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zoom RSS 社会主義時代の悲惨さ

<<   作成日時 : 2009/04/01 20:37   >>

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昨今の「大不況」で、雇用確保のための企業への政府助成金とか、失業者対策としての生活資金支援(職業訓練中の生活費補助)などが、自民党政権から提案され、補正予算などに盛り込まれるという。これらの施策自体は、小生は「一時的措置」としては、やむをえない措置として支持する。他方で、こういう福祉的視点が幅を利かせ始めると、やはり心配なのは、社会主義体制の方が良かった、というような単純な誤解を若者達が持つのではないかと言うことだ。そこで小生としては、またまた昔話が多くて恐縮だが、レーニン、スターリンが築いた社会主義体制というのは、決していいところは何もなかったということを、もう一度強調して、資本主義体制下における福祉政策との差異を再確認しておきたい。

1.経済的権利を完全否定
(1)言論の不自由
  基本的人権として、小生は、言論の自由と、経済活動における自由の二つが重要だと思う。今のようにインターネットが発達すると、人々は実に簡単に自らの意見、主張をブログで宣伝できるのだから、小生にとってもありがたい話しである。しかし、イデオロギー統制、思想統制の厳しかった社会主義圏では、国民に自由に意見を言える余地はほぼゼロだった。
(2)経済行為の不自由
  人間が食べていくためには、何らかの経済的な活動の自由も重要だ。これまで日本は、大企業が隆盛を極め、この故にどこかの大企業のサラリーマン社員であることは、自営業者である中小企業の社長よりも、商店のオーナーであるよりも、農家であるよりも、社会的ステータスが高いという、欧米人から見て不思議な現象があった。しかし今後は、小さくとも商店主、或いは中小企業社長として、更には高収益の農家(農業法人経営者)として、年収が多いなら、「青年実業家」などとしてより尊敬される社会となるだろう。もっとも現状では、倒産の心配がない公務員が一番という、情けない風潮もあるが。

 そもそも、社会主義時代小生が一番痛感した市民の貧困の原因は、この経済面での不自由だった。個人が商売をする、或いは個人的に起業することをほぼ全面的に否定し、全ての経済活動を国家が独占する、という社会主義の手法が、国民を貧困に陥れ、自己開発、自己発展を不可能としていた。職業選択の自由を奪い、国民全員を「労働者、勤労者、役人」=日本風に言えばサラリーマンにしてしまった

 また、当然のことながら、国営企業による独占体制は、「競争の欠如」をもたらし、何らの工夫も、改良も、改善もない、「低品質の商品」がいつまでも生産継続され、選択肢がないままに、市民はこれらの「低品質、悪趣味」な商品を買うしかなかった。いくら不味くともクレーンヴィルシュという低品質のソーセージしか売っていないのだ。60年代には存在した、羊乳・山羊乳製の高品質なヨーグルトは、徐々に市場から姿を消し、70年代後半には、本当に不味い牛乳(牛乳でも、生乳が高品質ならそれなりにおいしいが、そうではない。また生乳ではなく、脱脂粉乳のみを原料とする場合も増えた)製のヨーグルトばかりになってしまった。偽コーラ、オランジャーダなど需要の多い清涼飲料水は、コネがないと買えなくなった(商店従業員達は、需要が多い商品は、必ず横流ししてこっそり儲けるようになったから)。

  しかし、ゴルバチョフがペレストロイカ政策を採用すると、ブルガリアでも一応ある程度経済活動に関しても「経済改革」を試みようとし始めたのだが、実際には政権幹部達は「改革路線」をぶっつぶす意図からか、闇業者達を黙認した。闇業者達(「変革」後のマフィアの一部は、これら闇業者出身)は、闇レートで入手した闇ドルを使って、トルコから安価な繊維製品(ジーパン、パンスト、晴れ着などの衣料品)、装飾品、使い捨てライターの補修部品(使い捨てライターの底に穴を開けて金属部品で恒久的なガス注入口を作り、フリント(火打ち石)を交換し、LPガスボンベからガスを注入し直して、再度使用可能とする職人が、市場で公認のブースを使って営業していた。)、かっこうよい靴、傘、その他の消費物資をビットパザール(生活市場)と称する闇市場で大々的に販売するようになった。特にトルコとの国境に近いディミートロフグラット町の闇市場は、広大な面積を誇り、ブル全土から客を集めるほどだった。これら闇業者達は、秘密警察とか、地元の共産党組織が、賄賂と引き替えに黙認し、この大規模な「否定的現象」で、世論の大反発を引き起こして、ペレストロイカ路線を潰す計画だった。   ところが、実際には、物資欠乏に泣いていた国民の多くが、この闇市場黙認政策を歓迎したのだった。市民自らが工夫して、元来輸入した熱帯魚を繁殖させて市場で売ろうとしたり、或いはトルコから輸入された生地を使って、かっこうよい衣料品を縫製して売ろうとしたりして、市民自身が「知恵を働かせて金儲けする自由」を最大限に利用しようとする有様で、ブル共産党はこの「想定外」の市民の反応に慌てたのだった。

2.身分制社会だった
(1)職業選択権の否定
  社会主義体制の中では、例えば学生は、就職時にコムソモール組織(共産党下部組織、青年層を束ねる組織)から就職口を斡旋される。斡旋と言うよりは、多くの場合「命令」だ。自分自身の希望はもちろん前もって記入可能だが、それが考慮され、希望通りの就職口に「斡旋」が提示されることは、まず無い。強いコネがあれば別だが。
  小生がブル人から聞いたところでは、最初の就職先は、例えば教職の場合は、誰もが就職をいやがる田舎の辺地の小学校だったりする。他方で、共産党高級幹部の子弟などの場合、モスクワへの留学とかが、親のコネで(賄賂も盛ん)簡単に決まる。モスクワ大学の国際関係コースなどが、最高幹部子弟のお決まりの出世コースだった。そこには、東欧圏、ソ連の共産党最高幹部子弟が集められ、英才教育が行われた。それより少し下の高級幹部子弟の場合、ロシアの技術系大学とか、軍人用の士官学校とか、KGB士官学校なども留学先にあった。

  他方で、大学にも進学できなかった、本当の労働者階級は、高卒と同時に工場、農場、建設現場などに配属される。失業はなかったが、大部分の人々は、極めて低給与の、しかも辛い環境の現場が、最初の勤務先となる。

  要するに、社会主義体制では、職業選択の自由は否定されていて、労働の義務ばかりが憲法で規定されていた。我々日本人の常識では、日本国憲法は「職業選択の自由」、学問の自由(学校選択の自由)、配偶者選択の自由、などを規定していると思うが、共産主義時代のブル人達は、これらの多くに関し、自由がなかったのである。
  もちろん、学校選択、配偶者選択に関しては、それなりにある程度工夫が可能ではあるし、建前上は選択の自由があるのだが、実質的には必ずしもそうではなかった。
  低給与の、しかも衛生管理の悪い、田舎の工場にかわいい娘を就職させられるか、という「親ばか」達が、ソフィア市内の自宅で娘をぶらぶらさせる事例が出てきて、共産党がマスコミを動員してキャンペーンをしたことがある。社会主義建設のため、社会への奉仕のためにも、男女を問わず国民には「勤労・労働の義務」があるのだと強調する一方、このようなふしだらな現象を「否定的現象、傾向」と断定してマスコミが糾弾のキャンペーンを張るというのが、社会主義的風景だった。学校でも校長達が、「ぐうたら、怠け者のお嬢様、お坊ちゃまになってはいけない」と訓話するのだった。いくら親の収入がそれなりにあり、娘、息子には厳しい環境下での労働などさせるのは嫌だとごねても、「労働の義務」という憲法条項を基にして、コムソモールが「斡旋」した就職先への配属が強行されるのである。

(2)「家柄」にこだわる共産党「貴族」達
  配偶者選択についても、ばかばかしいことに、また憲法では「労働者階級が社会の先頭者集団」と規定されているはずなのに、実際には、共産党高級幹部達は、嫁候補、婿候補を親が選び、かつその選択基準は「共産党員としての”家柄”の良否」だった。小生は、一部党幹部達の宴席における会話で、彼らが「誰々は家柄が悪いから、息子をそんな娘とは結婚させられない」などと話しているのを聞いて、共産主義者の本音を知ったことがある。

(3)教育権でも不平等 
  学校選択の場合でも、ソフィア市内の一部有名高校、大学学部などは、親のコネと家庭教師による特別の授業・補習授業・予備教育がないと決して入学できない場合があった。

3.ゴミがほぼ無かった社会
(1)ゴミが処分しきれない:資本主義の風景
  最近のソフィア市では、ゴミ処分場(耕作不適地への埋め立て式)が満杯となり、他方、焼却場の建設が、どこでも地元住民が建設をいやがるので、目処が立たず、大きなプラスチック製の袋(丁度、牧草を丸めた塊のような大きさ)にとりあえず密閉して、他所の県の田舎町に「一時保管」場を設置して保管して貰う(有料で、将来焼却施設が完成すれば、焼却処分するとの約束で)という措置を執らざるを得ないほどだ。

(2)物資欠乏社会では、ゴミは殆ど出ない:社会主義の風景 
  社会主義時代には、今とほぼ同じように、市内各地にゴミを入れる鉄製の台車が置かれ、市民達がいつでもゴミを捨てられるという方式だったが、なかなかゴミ箱が埋まらず(また、ある程度ゴミがたまるとジプシー達が、ゴミ箱をあさって食品、衣料品、その他有用品と見なせば持ち去るので、回収車による回収量は少なかった)、埋め立て地も全然拡張する必要すらないほどで、ゴミ問題はほぼゼロだった。
  それなのに今では、ジプシー達は回収車の正式な作業員となって雇用されているが、回収しきれないゴミの山がすぐに貯まる。なぜこのようにゴミが増えたのか?やはり、資本主義社会の方が、プラスチック容器、その他の使い捨ての容器、包装材が豊富になっているほか、そもそも、モノ自体が社会主義時代に比べて多種、豊富に供給され、消費されているからだ。ゴミ問題のあるなしこそは、逆に、昔はいかに貧しかったか、物資欠乏社会だったかを証明していると言える。
  日本人はゴミ問題というとすぐにエコロジー問題と考えるが、ゴミも出ないような悲惨な物資欠乏社会(恐らく今日の北朝鮮もそうだ)は、市民生活がいかに貧しく、貧困に喘いでいるかの問題の方が大きいのだ。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
拙ブログへのコメントを有難うございました。
ある人気ブロガーが共産主義について、このような記事を書いていますが、未だに社会主義の幻想に酔っているのですね。
http://sun.ap.teacup.com/souun/346.html#readmore

要するに資本主義国による経済封鎖が悪い、ということ。「軍事費を民生用に振り向けていれば、違った歴史過程になっていたはずである」は噴飯モノ。暴力による革命を目指す共産主義なら、軍事拡大は当然の帰結。

投稿者とのコメントも戯言の集会場。そして毎日ブログ更新をしているのを見れば、かなり生活にゆとりがあるのでしょうね。それこそ発泡酒でも飲んで、共産主義に浸っている?「世界が一斉に共産主義に変われば」に度し難い夢想家の本性を見た思いです。
http://sun.ap.teacup.com/souun/347.html#readmore
mugi
2009/04/04 21:19
mugiさん、教えていただいたブログを少しのぞいたら、やはり小生と同じ年金生活者らしい。それこそ日本から外に出ず、社会主義国の市民の本当の苦しみも知らず、空理空論にふける馬鹿者達です。
少し考えてみれば、個人商店主とか、個人の中小企業家とかは、知恵の限りを絞って毎日工夫しているはず。他方、官僚経営者らは、独占の立場にあぐらをかいて、濡れ手で粟というか、何の工夫の、改善も、改良もせずに、同じ商品を作り続けるし、原料の牛乳が入手困難となれば、外国から安い脱脂粉乳を輸入して、それを原料にヨーグルトを作る。努力しなくとも良いシステムだし、努力して品質改善するには、障害が多すぎました。官僚独占経済の破綻は、必然だったし、農産物が徐々に減っていったように、全ての分野で、これまでの生産量さえ維持できず、経済縮小していったのです。結局、個人が工夫する闇経済ばかりがはびこるようになる
夢想家達
2009/04/05 08:42
(続)先の投書、小生のものです。題名と思って「夢想家」とニックネーム欄に書いてしまった。
最近祥伝社新書の『ヒトラーの経済政策』(09年4月。著者武田知弘)を買って読み始めています。ヒトラーは、資本主義体制を保ちつつ、社会主義というか国家統制、監督の利点も取り入れて、資本家の横暴、暴利を抑え、本当に労働者が住みよい社会体制を作り上げた。ナチスの経済運営、福祉政策は、今日の日本と比べても遜色がないほど「先進的」なものだった、ということです。アウトバーン建設で失業者を無くすし、経済が上向いたら国民に貯蓄させ、その貯蓄は銀行に公債を買わせることで、更に国家の支出財源を捻出するという、正しい金の循環を確立しているのでインフレにも成らなかった。少なくとも戦争が始まる前、1933−−39年が、ドイツの労働者にとっては最高にいい時代を創出したそうです。ユダヤ人とか、戦争で被害を受けた人々にとっては悪夢の側面もあるが、政治手法、経済政策面では、最良の工夫と選択をしたようです。歴史は、成功の部分、失敗の部分、両方をきちんと検証しないと。
室長
2009/04/05 08:55
共産主義時代のブルガリアでは現代日本と異なり、ニートも出来なかったということですね(笑)。
これはブルだけでなく他の共産圏も同じだったでしょう。私がこれまでネットで見た共産主義を讃える連中に限り、生活にゆとりのある暇人ですよ。私も日本から外に出たことがないので他国の事情はよく知りませんが、日本の左翼連中の能天気さは底が知れないというか…拙ブログに以前コメントした人が、「共産主義は宗教そのものでしょう」と言っていましたが、私も全く同感です。
冷戦時代の英国にもおかしな左派文化人がいたらしく、以前記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/9bcbe4718e7297dd95b996885f9c108d

『ヒトラーの経済政策』は味読ですが面白そうな内容ですね。単なる反ユダヤキャンペーンだけでは政権維持は不可能ですから。
mugi
2009/04/05 21:59
ニートもいなかったでしょうが、ノンポリ、そして関心事項は歌、音楽、スポーツのみと自分を意図的に「バカ」に徹しさせようという人は、インテリにもいっぱいいました。政治に関心を持ったり、経済理論に興味を持つと、現実は悲しすぎるから。生き方としては、怠ける、さぼる、政権側の宣伝・奨励することには全て背を向ける。さらには、工場、農場、役所の物品は「お国のもの」だから徹底的にくすねる、窃盗する!!
そうやって、表面抵抗しないが、裏では盗みも平気でするような、倫理観ゼロの人間が、社会主義体制の中では増えていきました。当然アル中も多いし、いつもいらいらしていて、妻に暴力をふるう(DV)男になっていく!!
室長
2009/04/06 09:10
社会主義社会の現実は、健全な労働者を育てるために、本当に正しい政策を実行したらしいナチスに比べて、まるでダメでした。もっとも、安価な(低品質の)アパートを大量建設し、劇場などの価格を安く設定し、夏休みも安価に休暇を楽しめるような施設を作ったり、ナチスの真似をした政策も多いです。家庭菜園による自給なども、ドイツの伝統的な制度に学んだらしい。しかし、ソ連圏の政策で、ナチスの真似をしようとして完全失敗したのが、国民車を作る政策(Volkswagen=国民車)で、東独がトラバントというオートバイ・エンジンに合成樹脂の車体という、情けない車、ソ連がイタリアフィアット社の旧モデルを借用したジグリ(ハンドルは重いし、性能は悪すぎ)、チェコがシュコダ(後部エンジンのやはり性能的に相当遅れたもの)、ルーマニアがルノー社旧モデルを借用したダチア:最悪の組み立て技術で、買ったらすぐに分解して、丁寧に組み立てし直さないと成らなかった!
要するに、ナチスは資本主義を維持して消費物資不足など無かったのに、ソ連圏は国営企業ばかりにして、消費物資欠乏社会を作り出した!!
室長
2009/04/06 09:13

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