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zoom RSS 北アイルランド問題に関する考察(1)

<<   作成日時 : 2009/04/10 15:17   >>

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 最近小生の頭を悩ましているのは、どうも世界情勢の先が読めないこと。一体米国はどこまでそのバブル的な「金融工学」の破綻、崩壊で「唯一の勝ち組」的な地位から転がり落ちるのか、或いは、既にその没落の過程は一時停止して、「ドルの復権と米帝国の覇権」が回復しうる兆しがあるのか、ということ。米経済が回復して、世界の中心軸が再構築されるならば、今回の世界恐慌も、意外に早く収束しうるのだが。
 ところで、世界経済が悪化すれば、そのとき人間は、再び経済以外の側面、長年の歴史的課題などに目を向ける。民族の悲願であるとか、国益であるとか、自国の利害に関わる歴史的な執着事項に関心が集中し、事件が続発しうるのである。米国のIT革命の余波、恩恵を受けて「ケルトの虎(Celtic Tiger)」として、90年代後半に大躍進したアイルランド経済も、今回の米国発の金融危機に巻き込まれて、多大な損害を負ったらしい(英国経済も更にひどい損害を被った模様)。そういう経済面での行き詰まり、閉塞感は、「民族主義的感情」に火をつける地盤を形成しうるのであり、その意味で、ここ10年以上「平和的状態」が継続していた北アイルランド問題という、英・アイルランド両国間の歴史的紛争が再燃しうる虞もあると小生は見ている。
 もちろん、既にここ10数年多くのアイルランド市民も、北アイルランドのアイリッシュ系市民も、失業・貧困を乗り越えて、繁栄を謳歌してきたので、更には、北アイ議会が成立して一応の「両系住民の自治政府」が再建されたこともあり、今更「北アイルランド問題」という民族紛争が蒸し返される可能性は低いのなら、それはそれで結構なことである。ともかく、小生は、アイルランド滞在ほぼ3年にして、ようやく「北アイルランド問題」の正しい理解にたどり着けたと感じ、論文を書いた(91/02)ので、今回はこの古い論文に、何度も追加の文章を書き加えつつ、ブログ記事にすることとした。民族紛争の根の深さを知るための参考として欲しい。恐らく2回、または3回にわたる記事となる予定。

1.序
(1)小生が89年 アイルランドに来た頃、初歩的なアイルランドの政治史について現地人知識人に質問した際、同人が説明した言葉が極めて印象深かった。「アイルランドの政治史、政党史は、IDEOLOGICAL PURITY に固執するREPUBLICAN本体たるシン・フェイン党(SF)から、それぞれの歴史上の接点で現実の情勢に対応・妥協したグループが枝別れしていった歴史と考えてよい。」というものであった。
東欧共産圏、バルカン半島を専門としてきた小生には、イデオロギー=共産主義 との固定観念があり、IRAの政治部門=IRAの表の顔にすぎぬSFが、アイルランドにおける共和主義イデオロギーの正統的伝統の担い手である、との説明は驚きであった。イデオロギーを和訳すれば、「正義体系」ということであり、司馬遼太郎が「儒教イデオロギー」などという用語を使うことからいえば、アイリッシュ・ナショナリズムの過激派IRAが、自分たちの正義体系を有するということは何ら不思議ではない。問題は、彼等が北アイルランドと南アイルランドの間の分断状況という現実への妥協を拒否し、アイルランド統一実現というナショナリストの理想を最も純粋なやり方で(すなわち武力、暴力の行使を容認)実行せんとしている“正統派“との評価が成立しうるということ、「ideological purity」という美しい言葉がかれらに与えられているということ、である。

(2)当地で種々勉強を積み重ねるまでの、小生の北アイルランド問題に関する漠然たる理解は、同じアイリッシュでありながら、宗教上の対立により一部は英国への帰属継続を望み、一部は英国支配の完全終結を欲する、という両派に別れて血で血を洗うテロの応酬に明け暮れている....とのものであった。
しかるに、最近 JOHN BOWMAN(アイルランドのジャーナリスト)著の「DE VALERA AND THE ULSTER QUESTION 1917-1973 」(OXFORD UNIVERSITY PRESS, 1989,初版=1982)を読み、北のプロテスタントが自らをアイリッシュと考えず、「BRITISH 」と自己規定していること、結局民族問題においては、各グループの人々が自らを「何人」と考えるかが最終的基準となること、に眼を開かれた。民族問題と考えれば、本件はより理解が簡単といえる。問題の複雑さ、解決策の見出し難い点・・・・「民族問題」ならこその特徴である。BOWMANの著書のタイトルが、「北アイルランド問題」ではなく、「アルスター問題」となっている点も、問題の本質に根差している。自らをアイリッシュと考えることを拒否し、ブリティッシュとして北の英国帰属は自然と考える北のユニオニストたちは、北「アイルランド」の用語を好まず、アルスターの用語を好む。アルスターであれば、アイルランドとは別の響きがあるではないか。(ナショナリスト側は、歴史的にアイルランドの中の4州の一つであったアルスター州には9県あり、6県のみの今日の「北アイルランド」はアルスターを名乗り得ず、せいぜい「北東アルスター」であると主張する。)


2.近年の主要な歴史的背景
(1)1919-21年の対英独立戦争は、1921年12月6日の英アイ条約署名をもって終結。右条約は北アイルランド6県を除く26県のみの「南アイルランド」の「国土分断」による独立という妥協・譲歩案であったため、SF党は条約賛成派と反対派に分裂し、右両派の間で1922年6月28日より1923年5月の間、「内戦」が戦われた。
[注:賛成派は1923.3 CUMANN NA nGAEDHEAL(クマン・ナ・ンゲール=ゲール・クラブ)と称する党を結成、同党はさらに1933年、他の小党2つと合併したうえで FINE GAEL(フィネ・ゲール=アイリッシュ家族)と改名、現在に至っている。
    反対派は、エーモン・デヴァレラが率い、1922.3 に CUMANN NA POBLACHT (クマン・ナ・ポブラクタ= REPUBLICAN LEAGUE)と称する党を設立したが、内戦後はSFに吸収され、更に再びデヴァレラが1926.5にSFを脱退してFF党を創設した際にこれに従った。 FIANNA FAIL(フィアナ・フォイル)とは直訳すれば SOLDIERS OF IRELAND であるが、同党は国家の運命を担うとの愛国的自負心から、SOLDIERS OF DESTINY との意訳を採用している。]

(2)内戦に先立つ1922.1.7のDAIL EIREANN (ドイル・エーラン=アイルランド下院)で英アイ条約が承認された(表決は64:57)ほか、内戦中の1922.10.25のドイルで、IRISH FREE STATEの憲法が承認された。また、英国議会でも、1922.12.5に、右アイルランド憲法と英アイ条約が批准され、内戦中とはいえ同12月6日に「自由国」(IRISH FREE STATE)が成立。右自由国の成立は、英国連邦内における独立を意味し、英国(U.K.)本国内に残留した北アイルランドとの北・南分断が始まった。

(3)上記自由国は、1937.7.1 の国民投票で新憲法を制定、同年12月29日より右「1937年憲法」(その後7度改訂されているが、現行憲法)を施行。施行時より、新憲法に従い国名は EIRE (エーラ*、英語名はIreland=アイルランド)に改名し、英国連邦の会議にも出席しない方針をとった。(*注:日本では、「エール」という発音で紹介する文献が多いが、小生がアイ滞在中に質問した現地人は、皆「エーラ」と発音した。)
右憲法は、余りにも共和主義派ナショナリストの理念(とくに時の首相デヴァレラの国家概念・・・カトリック主義、英国からの分離主義、共和制、全アイルランド島統一<「失地回復」>方針<北アイルランドへの領土主権を主張>、ゲール語復興主義)に裏打ちされた偏狭なものであったため、北のユニオニストをも包含しうる余地を幅広く残すという多元主義的理念(PLURALISM )からは遠ざかり(単一民族神話に基づくナショナリストの理想を盛り込みすぎ)、かえってナショナリストの目指す統一の達成、分断(PARTITION )の終結への可能性を閉ざすこととなった

(4)第二次大戦(1939-45 年)中、アイルランドが中立政策を採用し、連合国への基地(とくに軍港)提供を拒んだことは、アルスター・ユニオニストが連合軍に積極的に協力し、北アイルランドの軍港の戦略的価値が再認識されるという結果を生み、米国世論、英国本土世論もユニオニスト支持に大きく傾斜するという不利な事態を招いた。右により、分断の強化、固定化が進行した。

(5)南で1949.4.18 (EASTER MONDAY )に発効したREPUBLIC OF IRELAND ACT**は、37年憲法体制のもとでも一応形式的には存続していた英連邦への加盟状況を正式に廃絶し、共和制国家としての完全独立を宣言したもの。すなわち、37年に続いて、またもや南側の一方的措置として、英国王室との関係を完全に切断した。(**注:この法律名からはアイが国名を「アイルランド共和国」と改名したかのような印象を受けるし、英国の事典などは必ず「Republic of Ireland」と常に記述しているほか、英国政府も公式にかかる「Republic of Ireland」との国名表記をする。しかるにアイ政府側は上記の憲法に基づき、単に「アイルランド」を正式国名としている。)

 分断との関連では、右共和制宣言は、英国への忠誠を誓うことにより英国(U.K.)への帰属を恒久化せんと欲するロイヤリスト、ユニオニストの立場を補強するという逆効果をもち、分断を更に固定化した。
[注:北アイルランド問題関連の用語として、両系コミュニティーの存在を背景に、通常次のような言葉の配列が慣行化している。右にいくほど過激化した狭いグループの人々といえる。
@プロテスタント=多数派>ユニオニスト >ロイヤリスト
Aカトリック =少数派>ナショナリスト>リパブリカン


3.主要当事者
@南(26県)のナショナリスト
南の人口の約94%がカトリックで、彼等は通常ナショナリスト。BC3世紀頃には、アイルランド島の主要住民となったケルト系ゲール族の中のアイリッシュ族の血筋が主と考えられる。
[注:スコッツ(SCOTS)も、ケルト系ゲール族として同根であるが、紀元前にアイリッシュ族と分岐したうえ、今日スコッツはプロテスタント(Presbyterian Church信徒=「長老派」が多い)であり、アイリッシュとの同族意識は薄い。]

南ナショナリストの主柱たるFF党は、パーネル(CHARLES STEWART PARNELL,1846-91. ANGLO-IRISH 系の地主を父親に、ULSTER PRESBYTERIAN 系<米ではScotch-Irishと呼ばれることが多い>アメリカ人を母親に持つプロテスタント地主であるが、英国嫌いで、1870、80年代、WESTMINSTER 議会でアイルランド議員を率い活躍したナショナリスト)の言葉 「民族の前進に対しては何人たりとも限界を設ける権利を有さず」 を合い言葉としており、全アイルランド島のエーラへの編入を目標とする。デヴァレラは右分断終結を自らの生涯の政治目標としてFFを独裁的に指導したが、ついに目的を達成できなかった。

A北(6県)のULSTER UNIONIST
17世紀初頭の英国 TUDOR朝によるアイルランド再征服、ULSTERへのプロテスタント植民政策により移住してきたSCOTS 及びENGLISH、更に1649-50 年のクロムウェル清教徒軍によるアイルランドの再々征服後、益々増大した新植民者(17世紀までのOLD ENGLISH と区別して、NEW ENGLISH と呼ばれる。ただし、北に関しては、PRESBYTERIAN SCOTS が多かった。)の血筋が主と考えられる。北の人口の2/3、約 100万人。アイルランドのプロテスタントによる支配の「番犬」役として、屯田兵的に英国側が政策植民した人々の末裔。よって、1690.7.12 のボイン川会戦(ウィリアム3世=オレンジ公率いるプロテスタント軍がジェームズ2世率いるカトリック軍を破った。)をいまだに盛大に祝う。
SCOTS、ENGLISH など混成部隊のため、自己規定を「BRITISH」または「Ulstermen」とする。

B北のナショナリスト
1607年、英国支配に最後まで反抗したHUGH O'NEIL(ヒュー・オニール)ら多数のアルスター・カトリック領主が、一斉に大陸(仏など)に亡命したため、北の先住民たるカトリック・アイリッシュ族は、プロテスタント地主の支配下におかれた。南の独立後も、英国領内に残留・放置される結果となり、被支配民族としての不満をつのらす。全アイルランド島レベルでの民族自決が実現すれば本来多数派の一部となるはずであったのに、北アイルランド単位での不利な分断が成立、少数派として民主主義原則によっても救済され得ないとの不満。プロテスタントに比べ、失業率も高く、近年(1972年の英国による北アイルランド直接統治まで)ユニオニストによる差別待遇・被害にもあったため、IRAなど過激派運動の温床ともなっている。
他方、EC加盟(1973年)以前、南は経済が後進的で貧しかったため、英国の一部として「福祉国家」の恩恵にも浴してきたため、政治的不満はあっても、南へ移住する人々は少なかった。
南と同じく、ケルト系アイリッシュ族の血筋が主とみられる。

C英国政府




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