ブルガリア研究室

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zoom RSS 清貧思想の勘違い

<<   作成日時 : 2009/07/23 12:31   >>

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  最近トーキングマイノリティーなるブログ(http://blog.goo.ne.jp/mugi411)を作っているmugiさんが、後進国に行っては、「何もないけど、何かがある」とか、「子供達の眼が一様にきらきらしていて、日本の子供に比べて、実は心豊かな子供達だ。大人達も、モノに振り回されないだけ、むしろ充実した豊かな心情に溢れている」などという風に、日本人が後進国から帰国するとほぼ一様に同じような感想、愚論を述べることに苛立って、異論を述べています。

  小生も全く同感です。日本人は、朝日、毎日という、怪しげなマスコミによって形成された、左翼思想に激しく汚染されているため、真実を見る目を曇らされている、それがこのような愚論を蔓延させる傾向を生み出しているのです。国民全体が、愚論によって洗脳されていると感じるのは、社会主義政権下での、異常な体験を重ねた小生の感性が、少しは普通の日本人に比べてより敏感だからだと思う。

  今日は、「後進国の人間は、物質文明に毒されていないから心が優しく、精神的に美しい」の類の愚論について、これ以上日本人が外国に行ってまで、馬鹿げた主観論を展開して恥をかかないように、説教しようと思う。あなたがもし、これを読んで、相当腹が立つようなら、残念ながらあなたも朝日、毎日の左翼思想=「清く、貧しく、美しく」議論に相当洗脳されていると自覚してください。

1.「清く、貧しく、美しく」という清貧思想は、本当は豊かなご隠居の考え方
  古来中国思想にも、竹林で清談にふける七賢、などのように、物質文明豊かな大都会から離れ、田舎に簡素なあばら屋を建てて、周囲の美しい自然を愛でつつ、同じように教養のある文人同士が集まって、酒宴を共にしたり、漢詩を読んだり、風景画を描いたり、書道に励んだりして、風流に暮らす、という考え方があります。理想の隠居生活と言うこと。

  尤も、この背景を少し現実的に観察してみれば、この竹林という場所も、結構大都会からはそうかけ離れた田舎ではなく、これら文人達の立てた「あばら屋」もさほどはボロボロの家でもなく、また同じ気持ちで集まった文人達も皆、元は科挙を経て中央官僚として栄華を極めた富裕な知識人達で、隠居後のあばら屋にも、それなりに数名の下僕達(奴隷?)を抱えていて、自らは別に飯炊きとか、洗濯とかの労働もする必要のない、要するに豊かなご隠居の身分なのです。現代の日本になぞらえれば、引退後も十分な蓄え(生活資金)があり、気候の温暖な南国に、冷暖房完備の豪邸を建て、しかも時には付属の農地を耕し、天候が良ければヨットを繰り出して釣りを楽しむ。その上自宅には、家政婦さんとか、運転手とか、警備員までも住み込みで抱えているという、超リッチなご隠居なのです。

  中国人がなぜ清貧思想を生み出したか?それは恐らく、科挙試験合格まで資金援助してくれた一族郎党全員に恩返しするためにも、現役時代には任命された任地において、徹底的に現地人から搾取したり、賄賂を取ったりしながら(注:賄賂、汚職という概念もなかったという。中国では、地方に赴任した官僚は、現地で税金を取り立てて、中央に支払う税額を超過した分を、自らの懐に入れることは、全く正しい、当然の権利だったという)、「金まみれ」の人生を数十年続けたわけですから、自分の他に一族郎党までが十分金銭的に潤った、と思った段階で、引退して田舎暮らしを楽しみたい、という心境になったようです。 そういう、富貴な隠居人=文人(知識人、士大夫階層)が、集まって住んだエリアが竹林と言うことですから、竹林というのもいわば今日の日本で言えば、所沢周辺の金持ちの隠居家屋が立ち並ぶ「エリート用豪邸街」なのでしょう。

2.日本人の抱く後進国への哀れみ感情と訳の分からぬお世辞
  上記が本当の清貧思想の実体だと小生は想像するのですが、他方日本人は、言葉通りに受け取る「心美しき馬鹿者達」ですから、後進国に旅行して(特に出張などで)現地の高官とかと合うときに、相手側から、「到着しての我が国に関する感想はどうですか?」などと質問されると、本心は、日本に比べてかなり遅れた後進国だから、気の毒だな、と感じている部分もあるのですが、何しろ朝日、毎日両新聞から吹き込まれた左翼思想では、他国に傲慢になってはいけない、相手国を褒めなければいけない、ということですから、ともかく褒め言葉を探します。そして思い当たるのは、日頃から観念として信奉している清貧思想であって、これに基づいて、「貴国国民は、物質文明に左右されず、日々勤勉に労働して、美しい自然を守り、故に水はおいしいし、空気も清浄で、感動を覚えます」などと下らぬお世辞を言うのである。それに、戦後の高度成長を終えた頃からの日本人の海外旅行記的な読み物のほとんどは、そういう「後進国の人間は心が美しい、眼がきれい」の類の下らないコメントが多かったので、そういうコメントが無難だという概念が日本人の脳にはいっぱいインプットされているのです。下らぬ常套文句、他人が作り出した下らないイメージにばかり引っ張られて、自ら思考することをしない日本人の悪癖でもある。

  後進国側としては、一眼レフカメラとか、ビデオカメラなど文明の利器、贅沢品をいっぱい持参してきて、旅行を楽しんでいる人間=日本人が来ているのですから、これら文明の利器に手が届かず、工業化も遅れて、日本のように発展したいと思っている自分たちにとって、日本人から聞きたい話は、「貴国ではこういう工業が将来性がありそうです」とか、「農業ではこういう分野が今儲かるから、こういう作物がよいでしょう」とか、そういう具体的に発展するためのヒントのような、アイデアのようなことを聞きたいわけですが、それは何も無しで、(工業が何ら発展していないから)緑豊かで、水も空気もきれいだと褒められても、バカにされたとしか感じられません。
  もちろん、カッコ部分を日本人は言っていないし、心情的には相手国にお世辞を言っているのだし、それに70年代、80年代の日本では、公害がやはり大問題でしたから、本心で褒めている気持ちすらあるのです。しかし、後進国側にとっては、日本人は自宅にはカラーテレビ、マイカー、更には旅行先には高級カメラと、物質文明を謳歌し、工業化の利益を最大限に享受していながら、外国人には、貧しいままで水が上手い、空気がきれいで何が困るのだ、などと奇妙なご託を述べる、全くとんでもない偽善者だと、勘違いされます。

3.共産主義者と資本主義国人との相互違和感
  上記の諸点は少し抽象的議論に聞こえてわかりにくいかもしれません。小生がなぜそういう気持ちになったかを、詳しく説明するには、むしろ具体的な体験話の方がよいでしょう。
  社会主義時代に、小生は、通訳としてよく日本から来訪する政治家とか、農業団体の人、著名人などと、ブルガリアの高官達(大臣達)との会話に立ち会うことがありました。こういうときに、まさに上記のようなことを何度も体験しました。

  例えば、日本の政治家達は、70年代、80年代においては、「日本国の犯した最大の失敗は、公害を放置して、多くの犠牲者を出したことだ」という視点で話しますから、到着早々に、「貴国の空港に到着する際に、首都ソフィアの周辺に緑の農地が広々と広がる風景を見て感動を覚えました。それに聞くところによれば、貴国では他の欧州諸国のようにカルシュウムの多い硬水ではなく、日本のようにおいしい軟水が水道の蛇口から流れるという。自然がしっかり守られていると言うことがすばらしい!」などという。中央から来る代議士ばかりか、地方(東北地方など)から来る市長レベルの人までが、同じようなことを言う。日本の左翼言論人などの知識人も同じことを言う。

  招待した日本人が、何を言ったか、などは、共産圏では普通通訳、秘書達が文書で報告し、この報告書が高官達の間で回覧されます。そうすると、次第に、どの日本人も同じようなことしか言わないと言うことに気付きます。「日本人どもは、どうやら我がブルガリアを、工業化が進展していない後進国と勘違いしているのか、或いは自国の工業技術を盗まれることを警戒して、我々を後進国のままにしておこうとして、わざと近代工業技術に関して何も言わないのではないか?」と疑い出すのです。

  そこで、日本人達にはブルガリアが誇る大規模農場、大規模養鶏場、とか、工場なども視察させようと言うことになりましたが、そこですら日本人達は誰もが「日本でも公害が大問題となっています。貴国の工場では排水処理はどうしていますか?」としか質問しません。公害などは無視して工業化を急ぐことが共産党の掲げている政策ですから、彼らとしては「いやー、まだ公害といってもたいしたことはないです。それよりも工業化、近代化を急いで、早く豊かな社会主義国となり、その次の段階の共産主義社会実現を、我々は目指しているのです」と彼らは言います。日本人は、「公害は早めに対策を立て、早期に排除しておかないと、市民に犠牲者が出るし、自然破壊が甚大になります」と、必ず反論します。工業化を急いでいる共産主義者には、うざい発言でしか無かったのですが。

  ともかく、日本人の大部分からは、まともな(ブル人が期待する)言葉が出ないことに気付いて、段々ブル側は怒り出します。日本人が空港に到着すると、ブルの高官達は、今度こそは日本人らに、「緑、水、空気」、または「ヨーグルト、バラ」の議論はさせないぞと、先制攻撃します。「我が国も工業が発達したので、公害問題がかなり深刻になっています。だから、昔のように緑が美しく、水がおいしく、空気がきれいな国ではなくなってきています。しかし自分たちも、公害を排除しつつも、更なる工業化、近代化を図りたいのです、日本の優れた工業技術を教えていただきたい」と、真っ先に自分たちの希望を告げるようになりました。

  尤も、ブル人が招待した日本人の多くは、ブル側が期待する技術供与(要するに、ブル側は対価を支払わずに、「援助」として日本から高度の技術を導入したがった)には、直接関係の無いような人間が多く、相変わらず戸惑いながらも、「日本も失敗しました、公害問題は深刻な被害をもたらします、早く対策を取るべきです」などと、ブル側が辟易する「ご託」を並べていました。

  小生が一番面白かった議論は、社会党(当時)の代議士と、同人を招いたブル人地方政治家の間の議論で、ブル側が希望したのは化学肥料、農薬、新種の種子類を駆使した最先端の農業技術で、ブル農業を再活性化することでした。そのための近代農業の名人を派遣して欲しい、と言う要望でした。ところが、社会党代議士は、「田舎の農家が自宅の庭でミミズなどを食べさせたような、そういう養鶏こそが、一番望ましい形態だ。ブルガリアでも、大規模養鶏場などでブロイラーを量産して、日本向けにも輸出しているが、そういう養鶏とか農業は、危険な農産物を産み出すのであり、人間の健康に悪影響があるだろう。化学肥料、農薬に依存する農業などは、とうてい我々が推進してはだめな農業形態だ」と厳しく反論して、物別れとなりました。ブル側は、招待した費用が無駄になったと悔しがりました(もっとも、ブル側の「招待」は何時も、現地での宿泊費、食事の費用程度で、ブルまでの飛行機代は、本人持ちだから、大した損失ではないのですが)。

4.議論のすれ違いは、気にしなくて良い
  以上を含めて小生が指摘したいことは、日本人が外国人と接する場合に、相手側がなぜそういう言葉を重視するのか、なぜそういう思考に至るのか、という背景に関して、ある程度は推測しつつ(出来れば事前に勉強しておいて)慎重に言葉を選ぶ必要があるということ。特に、日本人側の勝手な思いこみとか、手前味噌な清貧思想などに基づいて、軽々しく、見当はずれな観察をして、それを正しい評価だ、などと勘違いすることには、大いに用心していただきたい。

  他方で、相手国側とは、視点、思考の違いにより、議論が噛み合わなくとも、それはそれで詳しく自らの発想の根拠を示して発言すればよいのであり、根本的な発想根拠が違う相手側に合わせる必要性はあまりない。日本人として、日本の知恵に基づく議論をするのであれば、それを押し通して不味いことはない。相手がそれを理解できなくとも、必ずしもそのことが、こちら側の責任ではない場合もあるのだから。

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タイトル (本文) ブログ名/日時
清貧思想への後退は、良くない選択
28日にBlogosというブログ記事を元に編集されているサイトで紹介されていたある記事は小生が09年7月に書いた「清貧思想の勘違い」という記事( http://79909040.at.webry.info/200907/article_4.html )との関連でも、興味深い内容を含むので少しご紹介したい。 ...続きを見る
ブルガリア研究室
2011/07/30 10:57

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。
れっぐと言います(ハンドルネームで失礼します)。
ときどき寄っては、、あまり知らない東欧のことや、いままで気がつかなかった歴史や経済のことなどもも教えてもらい、楽しい時間を過ごさせてもらっています。(過去の記事を含めて、ほとんど読ませてもらいました)。

実は、先生のブログの05/14の記事で、辻本清美氏たちのことを始めて知りました。
私も、彼女たちの考えや行動には普段から納得できないので、私のブログでも、この記事を紹介しました。そして、5/14付けのブログ記事にリンクをしました。
よろしかったでしょうか?
れっぐ
2009/07/23 18:43
れっぐさん、小生のブログを愛読していただいたようでありがとうございます。
貴殿のブログにリンクをしたそうですが、小生リンクとか自分で使いこなせないので、意味もよく分からないです。まあ、ご自由に。
気に入らない書き込みとかされたら、適当に削除しております。
ともかく、若い方に読んでいただいて、無料で知識を増やしていただきたいと思って書いています。年寄りの知識、経験を次世代のために残す、まあそういうことがしてみたいのです。今後もご愛読下さい。
室長
2009/07/24 00:10
またも拙ブログを記事に紹介されて頂いて、有難うございました!
 ブルでのお話はとても興味深かったです。東北のバカ市長を選んだバカ有権者の1人としては耳が痛かったですが、本当に「口は災いの元」ですね。もし現地に行って質問を受けたなら、「来たばかりで事情は不明なので、コメントは差し控えたい」と適当にお茶をにごすことは出来なかったのでしょうか?東北のバカ市長たちは悪気はなかったのですが、善意が通じないという見本です。

 半分は物見遊山程度の日本の代議士はともかく、途上国に何度も渡航している庶民までもが「現地の人は心が美しい、人間らしく生活している」というのだからお話になりません。彼らは己の体験だけを振りかざして、さも情報通面していますが、文面からその知性、想像力、洞察力のなさが浮かび上がってくることに気づいてないのは、痛いというか幼いというか。

 日本に限らず西欧の左派知識人も似たような傾向があるのは『ローマ人の物語』7巻目の後書きにも紹介されてました。自分は全てを持っているくせに、途上国の人々には元来の素朴な生活に戻れと説く者がいるそうです。
mugi
2009/07/25 17:09
mugiさんのブログからながれてきました。70年代にアマチュア無線をやっていると、東欧諸国はわりと無線局がいますので、アジア諸国より豊かだと感じていました。いまは完全に無線局の数が逆転しています。自由な言論と1家4万ドルの収入が短波のアマチュア無線をたのしむカベとなっています。これをこえて、しかもオタク趣味ができるというのはたいへんなことなのかもしれません。
 なお、北朝鮮はアマチュア無線家はおりません。
madi
2009/07/27 00:53
>mugiさん、多くの人間が、特に左翼系の人間が、既成概念というか、既に他人が発した言葉、形容詞に固執して、自らの頭脳で考えようとしないこと、もっと別の視点とか、重要な事柄はないのかとか、一生懸命自らの脳髄を動員して、自らの言葉で考えようとしないこと、これが小生がいつも腹を立てることです。外国に行っても、特に大きな言葉で相手国に何かを言う、訳も分からないのに形容詞を並べる、などという「要人ぶった言動を控え」て、むしろ「これから色々見てから、勉強させていただきます」程度に逃げておいて、日本に帰国してから冷静に判断する、そのくらいの気構えでなければ、他国に関して評論はすべきではない、と小生は思うし、その評価はなるべく、独自の視点であるべきで、他人の言葉を繰り返す、鸚鵡のような言動は恥ずべきことです。

室長
2009/07/27 08:36
>madiさん、コメントありがとう。70年代の東欧で、アマチュア無線局が多かった、というのは、少し驚きです。東欧では、秋葉原のような電子部品を自由に調達できる市場もなかったし、どうやって無線機を組み立てていたのか?軍用の無線装置の中古品などをくすねて自作していたのでしょうか?トランジスタ類も少なかったと思うので、真空管で?物資欠乏社会の東欧で、アマチュア無線局を立ち上げることは奇跡的と思えるのですが、技術力は持っている人がかなりいたと言うことでしょう。もう一つ難しいのは、言論の自由と当局の規制の関係。東欧諸国では、スパイ達の暗躍も警戒しますから、電波管理が厳しかったのです。海外の人々と交信するための無線局が公認されていたとすると、これらアマチュア無線家には、一定の電波周波数帯が割り当てられていたと言うことと、彼らは思想面でのチェックを受けた人々、すなわち当局から外国人と交信しても害はない、と公認された人々と言うことになる。むしろ、彼らは左翼思想を世界に宣伝するように、政府から奨励されていた人々である可能性の方が大きいのです。そもそも、共産圏時代の東欧には、年収4万ドルなどという富裕階層は存在し得なかったはずです。不思議ですね。
室長
2009/07/27 08:37
70年代の東欧諸国の無線家というのはオリンピックでのステート・アマチュアにあたります。国家が無線競技を支援していたわけです。
 団体局がおおかった印象があります。
 なお、アマチュア無線は無線基地として軍事のインフラになりますから、冷戦当時は支援される対象でした。
madi
2009/07/27 14:31
madiさん、
ご教示ありがとうございます。やはり社会主義時代の無線局は、一種の官営事業だったのですね。
室長
2009/07/28 11:49
1979年ごろにでたいしいひさいちのバイトくんの二巻は「名もなく貧しく美しくなく」だったと記憶しています。あの映画のパロディですね。東淀川の関西大学がモデルの学生生活を描いています。「男おいどん」が1970年ごろであまり美しくない貧乏マンガ自体はずっと存在しています。90年ごろから学生の生活レベルがあがってしまって、発展途上国の学生とはちがってきているのかもしれません。わたしは81年の京都大学入学ですが、下宿はフロなし台所なしとかいった状態でした。いまはそういうのはへっているようですね。
madi
2009/07/30 02:02

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