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<<   作成日時 : 2009/12/03 12:53   >>

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 11月2日(水)、よく晴れた日なので妻が、「ローマ展」を見に行こうと言い出した。確かに、この展覧会もそろそろ終わりの期日(13日)が近づいているので、気にはなっていたのだが、何しろ基本的に出不精な小生は、良い天気で散歩日和だ、などと相変わらずのんきなことを考えていたのです。翌日の今日(3日)は、一転して一日雨らしいから、昨日外出したのは、実にタイミングの良い決断だった!今年7月に、偶々横浜にいたし、友人が「海のエジプト展」(アレクサンドリア周辺の発掘品が中心の展覧会だった)を見に行くというので、便乗して行ってみたら、すばらしい展覧会だったことに味をしめ、その後展覧会は見ておくべきだ、という「気分」にはなっていたけど、何しろ出不精でなかなか腰が重かったのです。

1.「古代ローマ帝国の遺産」展:国立西洋美術館(上野公園)
 実際の展示は、初代皇帝アウグストゥスの時代と業績に焦点を当て、「栄光の都ローマ」と「悲劇の街ポンペイ」を紹介するものだそうです。

 ポンペイの街並、邸宅などが、CGで再現されていて、ポンペイの邸宅(意外と小さい間取りで、びっくりした。さほどの大金持ちの家ではなく、少し裕福程度ではないかと思えた。今の英国でも中流程度の、庭付き連棟式家屋で、噴水はあるが、庭の面積も50坪程度のようだ。壁画が、この庭に面したこぢんまりした寝室の壁面3方にあり、そのフレスコ画が、豪勢な庭園風景なのだが、小生の感想では、こういう派手な「空想的庭園風景」を、本物の庭に面した部屋に描き込む感性が、やや理解しがたかった。

 とはいえ、アレクサンドリアの時と同じく、ローマ時代の生活環境が極めて現代的で、CGで再現してみると、古代の人間社会と、現代との間の文明的較差がどこにあるのか、必ずしも明白ではないほど、すばらしい。あの薄暗い中世の欧州の雰囲気は、どうしてああも人間にとって住みにくそうに見えるのだろう?邪教と劣化した時代の、キリスト教・ローマ教会の堕落が、ああいう陰鬱な風景を醸し出したのか?

 CGの中には、北部イタリアのアウスタ渓谷にアウグストゥスが建設させた、アルプス越え、ガリアへの入り口の都市の再現CGもあったが、こちらは、ローマ帝国が建設させた都市の完璧な建築技術、水道技術を含めた非常に現代的な都市造成技術を紹介していて、感心させられる。各種の役所群が、一つの集合的な建物(大きな広場を囲む形)として、また地下の空間、或いは収納施設を完備する形で、見事に煉瓦で形成されていて、現代建築としても有効なほどである。

 このCG画像の解説では、基本的に地下、或いは半地下の空間が、主に収納の役割のようにコメントしていたような気がするが、小生の勘では、地下の一部、及び半地下空間などは、夏の気温が暑すぎる時、反対に冬の寒すぎる気温の時に、効果的な「天然空調」を約束してくれる「執務空間」なのである。アウスタ渓谷は、アルプス山岳地帯の入り口として、伊北部の寒冷な地域であろうと推測できるので、地下、または半地下の執務空間こそが、貴重な存在だったのではなかろうか?
 実は、小生が94年にマケドニアのスコピエにいたとき、地中海から少し離れたこの盆地の街では、夏の気温が40度、冬はマイナス10度ほどになることが多いと知り、特に夏の酷暑の期間は、半地下空間が好まれることを知った。スコピエ所在のイタリア大使館は、実はそういう半地下執務室を持つ、個人の邸宅を賃貸していたのだ!小生のスコピエにおける執務室では、GE製の大きなエアコンがあったが、騒音が実にうるさく、その割に冷房能力は効き目が弱く、快適ではなかったのだが、イタリア大使館員は、真夏の40度の気温の中、快適な執務環境を実現していたので、さすがだと感嘆したものだ。
 
2.「聖地チベット:ポタラ宮と天空の至宝」展(上野の森美術館、10年1月11日(月)まで開催)
 上野精養軒で昼食後、上野駅に戻ろうと歩いていると、このチベット展の看板が眼について、ローマ展の印象が薄れることを危惧しつつも、わざわざここまでまた来ることは、滅多に考えられないので、一応見ておこうという気になった。
 Roof of the Worldからの至宝=Treasuresとは、なかなかロマンチックなフレーズだし、看板に掲げられている千手観音の金ぴか仏像の写真も美しい!
入り口付近に掲げられている展覧会開催の祝辞などは、案の定中国側政府当局者達による言葉だし、展示内容も、やはりというか、よく考えれば政治的意図も加味されているように思えた。

 古代ローマ展では、帝政時代に入ったとはいえ、共和制という「民意を反映するという建前堅持のための道具:元老院、市民への配慮」も強調されているが(アウグストゥスは、自らの子息を後継者にすることにこだわったが、結局その可能性が無くなったので、やむなく娘婿に皇帝の座を継承させることとなった。世襲制が確立しなくて、ローマの歴史にはかえって幸いだった。)、チベットにおいては、政治の課題が全く異なったようだ。

 古来チベットは、遊牧系民族として、近隣諸国への略奪目的での侵攻は当たり前で、近隣諸国(主として中華帝国領域)の農村部を侵略、支配してもいたのだ。その意味でのチベット帝国(吐番)の最盛期は、8世紀であったらしいが、その後ネパール、中国側からの「仏教信仰の勧奨、働きかけ」があり、旧来のボン教を棄てて、インド式後期密教文化を受容してからは、平和的な仏教至上主義の国家となったようだ。すなわち、中国としては、チベットという強敵を仏教思想で飼い慣らしたことになる。

 その後の、中国との関係では、元の皇帝達がチベット仏教に帰依して、この故に元朝からは王室直属の工房で製作された、優れた仏像、仏具、などがチベットに寄贈された。同様に、明朝皇帝、清朝皇帝らも、チベット仏教に「深く帰依」して、チベット仏教への寄進=王室工房製作の金ぴかの仏像、仏具をポタラ宮に所在する活仏であるダライ・ラマに寄進・・・などと解説される。中国諸王朝寄進の仏像、仏具の絢爛たる美意識、仏教美術の粋が展示されているのだ。
 結局、中国の近代諸王朝が、チベット仏教に帰依して、その故にポタラ宮には、「中国の王室工房製作の仏像、仏具=至宝」がいっぱい存在したし、このように、13世紀の元朝以降ながらく、中国とチベットは「良好、友好的」な関係を保持してきたし、チベット仏教の文化圏には、今日のチベット自治区以外の四川省、青海省などの地域(注:実は吐番時代のチベット側の版図だった地域、チベット系の人々が暮らす。)すら含まれているし、要するにチベットは中国の一部として、何ら不思議ではない地域であるということを、暗黙の内に言わんとしているらしい。

 それにしても、バルカンとはいえ、西洋的な美術を見慣れた小生(注:ちなみに塩野七生氏によれば、ローマ帝国末期の軍人、更には皇帝を輩出したのは、バルカン半島の市民で、人種的にもローマ人かどうか怪しい、むしろバルカン地方の普通の農民家庭出身の軍人家族だったらしい。ローマ帝国も末期になると、バルカンが帝国の中核的な役割を担っていたのだ。バルカン専門家としては、嬉しい評価だ。)にとっては、チベット仏教の世界は、何となく薄暗く、後進的で、進歩、発展という概念が乏しい、暗黒的な文化に見えて、何となくもの悲しい気分になってしまった。仏像、仏具なども、いくら金ぴかでも、ちっとも楽しい気分にしてくれる代物ではない、何しろ髑髏がいっぱい彫刻とか絵画に出てくるのだから。

 チベットに比べれば、中華文明の世界の方が、より現世肯定的で、派手で、陽気に見える。遊牧民達が暮らす世界は、気象条件も日頃から厳しく、食糧生産も増産が容易ではない、飢餓と背中合わせの世界に見えるので、彼らが仏教無しの時代には、略奪主義的な生活様式を確立するのも理解できるように思うが、他方仏教が提供できるのは「来世における極楽」程度であり、この世における「人生」そのものは、「欲望を棄てろ」の一点張りだから、憂鬱にならざるを得ない!!

3.快楽を肯定せよ
 ローマ世界の場合は、キリスト教でも一応「愛」を強調するし、仏教のように「現世は苦が当たり前」、などとは主張しないし、多神教時代は更に、多くの神々に守られて、現世における快楽を賛美したのだから、明るい文明だという印象になる。

もっとも、中国、朝鮮、日本に伝わった北伝仏教の主流は、自らが悟りに到達できなくとも、菩薩による救済がありうるという概念を強調した「大乗仏教」だから、少しは明るいように思うが、それは実は偏見かもしれない。チベット仏教は、11--13世紀頃確立された、後期インドの密教文化だから、やはり大乗には間違いなく、菩薩による救済概念があるので、小乗仏教よりも陽気な思想のはずである。また、現世利益にも肯定的なのが密教だから、チベット仏教だとて、さほど悲観的な、暗い仏教ではない、というのが正しいのだろう!!

 さて、最近の議論で益々小生が苛立っているのは、タバコ増税議論だ。増税理論の言い訳には、「健康への有害説」というお節介がある。以前小生が主張したように、「健康だけではなく、家庭崩壊」をも導く酒害の方がよほど有害だろう。
 そうは言っても、酒は百薬の長、という言い分もあるように、タバコだって有益性は十分ある。「ちょっと一服で、気分爽快」になれるではないか!

 小生の経済観測では、既に先進国として、高コスト体質の日本経済は、新興国に徐々に席を譲って、衰退していくことは自明であり、昔の大英帝国のように、資本輸出国、技術輸出国として、生き延びる公算が大だ。その後の「金融帝国」には、軍事力を欠いている上に、戦略下手で、長期的展望の苦手な日本は、なれないだろう。

 ではどうするか?前回主張したように、大金を使わなくとも、少しでも満足できるような、低賃金でも人生を楽しむ心構えを確立すべきだ。人生とは何か?所詮、3悪を適度に楽しむのが「人生」だというのが、小生のバルカン思想から得た教訓だ。バルカンにおける3悪とは、ギャンブルを含まない、酒、タバコ、セックスのこと。ブルガリア人はよく、「酒もタバコも女も興味がないようでは、何のための人生か分からない」という。

 「ちょい悪」に見えるからこそ、タバコの魅力も満足感も倍増する。善行ばかり心がける人生では、ストレスが増すではないか。自分は少し悪だが、人生楽しまなくては、何のために生きているか分からない、と言う風に居直って、仏様にも少し目をつぶっていただく、というのが、日本人の哲学のように思う。親鸞様も、妻帯したし、肉食も、飲酒も、余り問題とせずに、「悪人なおもて往生する」と慈悲深い菩薩様に、楽観的に期待して、来世のことはお任せしたのである。

 大酒を飲んで家族、周囲にも迷惑をかけるよりは、換気扇の下でタバコを一服しつつ、子供や妻から、「いい加減に止めたら」という苦言を断固無視する、これが快楽で楽しみである!!こういう快楽を保持している限りは、ストレスも少なくなるし、却って健康的ではないか!!居直りましょう。



タンカの世界?チベット仏教美術入門 (Musaea Japonica (2))
山川出版社
田中 公明

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内 容 ニックネーム/日時
 私も今年の夏、地元で開催された「古代カルタゴとローマ展」を見に行きました。本当に見ごたえがありました。展示品には男女の死刑囚が描かれた鉢もあり、現代人との感覚の違いも感じさせましたが、地中海文明はやはり明るさがありますね。華やかなモザイク画には人物の他に多くの魚介類が描かれ、当時の人々の豊かな食生活が偲ばれました。俗物根性の私は現世を徹底肯定する思想に共感します。

 何年か前、チベット仏教を紹介した何かの特別展を見ていますが、やはり華やかさがありませんね。どくろは気にならないし、密教画はシュールな作品もありました。
 しかし、インド式後期密教文化を受容したにも係らず、ヒンドゥー文明圏とはかなり違う印象を受けました。インドの宗教画にもおどろおどろしいものは珍しくないですが、とかく派手で明るく、パワフルです。仏教と違いヒンドゥー教は実は現世利益肯定で、宗教者が金儲けするのを否定しません。インドで仏教が廃れたのも、現世否定の暗さも大きな原因かも。
mugi
2009/12/04 21:20
mugiさん、コメントありがとうございます。
 小生も、貴兄と同様に、現世肯定的な気分、「ローマ文化」が好きです。確かに人間の弱みというか、「来世の極楽」というのも、欲しいとは誰もが思うのでしょうが、むしろそれこそが、現世ばかりか、先の読めない来世まで「極楽」を保証せよと言うのも、仏教がそもそも否定している「欲の深さ」の一種の形態ではないか、という風にも思える。
 あまり欲張らない限り、現世でも来世でも、まあまあのいいことがありますよ、というくらいに楽観しているのが、むしろ無欲に近いように感じます。親鸞様の説いた浄土真宗というのは、恐らくそういう楽観主義で、ともかく南無阿弥陀仏と唱えて、菩薩の慈悲にすがり、安心して来世を期待すればよい、ということであろうと、そう思います。
 日本仏教は、日本の天候のごとく、太陽溢れる明るい世界を求めていて欲しいです。今日の同窓会で、小生が紹介したのですが、アイルランドとか英国、或いは西欧の多くは、緯度で言えば北樺太という、北極に近い地方なので、夏でも太陽の光が薄い日が多い。それに比べれば、日本とか、地中海地方、ブルガリアは、夏も冬も太陽の日光が力強いです!!
室長
2009/12/04 23:08

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