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zoom RSS 衰退論は正しいのか?

<<   作成日時 : 2010/11/04 14:33   >>

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 川北稔(かわきた・みのる)著『イギリス近代史講義』(講談社現代新書、2010年10月第1刷)を読み終えた。あとがき(エピローグ)によると、本書は、川北氏が一方的に7時間にわたり、4名の人を相手にイギリスの近代史につき、講義した内容を、テープ起こししてタイプし、これに少し手を加えるという形で成立したらしい。すなわち、一種の口述筆記とも言える。そのせいで、口語体が貫かれていて、読みやすいのだが、こうして英国の近代史を、経済史、社会史、生活史の視点で教えて貰うと、驚くほどに自分が英国史の裏側を知らなかった、と思い知らされる。
 この本には、色々な視点から評論できそうだが、小生が一番気に入ったのは、今日本で騒がれている「衰退論」について、英国では何度も何度もこの衰退論が議論されてきたが、実は本当に英国経済が衰退したのかどうか、結論は出ておらず、むしろ、いやそれでも英国は成長を続けている、という論調が根強いということ。
 筆者も、日本の今に重ね合わせつつ、「成長パラノイア」という近代以降の一種の病的心理にもふれつつ、経済には先進国といえども、完全な停滞は少ない、衰退論は政争の道具となっている(労組と過剰福祉を攻撃して、サッチャー「革命」という現象を起こし、保守党が政権を奪還した)が、実は本当の衰退を証明し得た理論はない、という。
 1940年生まれの歴史学の碩学の著書であるが、口語体で読みやすく、しかも考えるべき諸問題が満載であるので、皆様も是非お読み下さい。
 少し本書に関し、小生のコメントを示したい。

1.ジェントルマンが庶民を支配する国  
  英国には、近代以降支配層としてのジェントルマン(女性はレイディー)階層が出現した。最初のジェントルマンは、大地主達で、膨大な不動産を保有して、これらの賃貸料(不労所得)で、優雅な上流生活をした。大地主には、爵位を持つ貴族(17世紀末で200家族)と、平民身分のジェントリ(同時期、約2万家族)が存在した。彼らは、肉体労働をしないこと、誰かに雇用されるような勤務をしないこと、の二つが条件だった。ジェントルマン階級は、人口比で、約5%だった。
 補完的ジェントルマンとしては、地主の二男・三男で不動産を継承できず、弁護士、内科医師、、将校、高級官僚などの「ジェントルマン的職業」に就く人々。更に大英帝国としての拡大と共に、19世紀には、貿易商などの豪商、植民地でのプランテーション所有者らも、ジェントルマン階層に数えられるようになった。
更には、19世紀前半までには、シティで金融業をする人々(株式、国債、抵当証券などの動産に投資する人々)が、ジェントルマン階層の中核として、承認された。
 19世紀の保守政治家ベンジャミン・ディズレーリは、英国は、ジェントルマンと庶民という二つの国民からなっている、と述べた由。

2.現代の病「成長パラノイア」 
  マックス・ヴェーバーは、労働意欲の源泉として、宗教的動機を挙げて、「この世の仕事で頑張らないと、(神によって)救済されないかもしれない」という強迫観念から、「働くようになる」と考えた。他方、ゾンバルトは、「きれいな服を着て女の子に好かれたい、そのためには働かなくてはいけない」と考えた由。

  著者はしかし、「みんなが常にそれまでより、よりよい生活をしなければならない」という考え方が、実は資本主義の一種の定義でもある、という。しかも経済成長を目的とすれば、資本主義は社会主義よりも有効だと、最近になって証明された、という。
 他方で、常に成長しなければならない、発達や成長が当然だ、という考え方を、全世界規模で推し進めると、この地球はどうなるか、という問題が生じる、と著者はいう。著者はこの成長への強迫観念を「成長パラノイア」と呼び、近代世界システムの大問題であると考える。

3.政治算術という学問 
  「政治算術」という学問は、1662年のジョン・グラント著『死亡表の観察』により始まったとされるらしいが、wikiによれば、このグラント著も、実はウィリアム・ペティとの共著と書かれている。何れにせよ、ペティが「政治算術」と名付けた近世の学問は、この「死亡表観察」頃から始まったらしい。政治算術は、国富の元は人間だから、主権国家が有する人口こそは、国家間競争(主として英仏蘭)の将来的帰趨(国力)を決すると考え、人口動向の把握を目指した学問である由。やがては、この学問から、経済学、社会学、その他の人文系学問が派生したという。最初の頃は、毎週発行されるロンドン市における教区毎の死亡数(死亡表)を観察して、人口の増減を国レベルでも予測する、というやり方だったらしい。いわば現代における国勢調査であるが、極めて原始的な「算術」だったから、色々予測した数字と異なる結果が出るなど、問題は多かったが、いずれにせよ、国力(国民経済規模)の算定を何らかの形で、時系列で数字的に把握して、「成長の予測」を行おうという、経済学の原型ともいえる。

4.英国衰退論
(1)ドイツの脅威
 
   19世紀末、ドイツ、米国でも産業革命が起こり、両国における工業化が発達すると、英国ではドイツ脅威論が高まり、英国は競争に負けつつある、ドイツの台頭に比べ、英国は衰退しつつある、という議論が盛んとなった。この議論を背景に、チェンバレンは、大英帝国における「特恵関税による保護主義」を提唱したが、自由貿易主義のシティの論理、利害を背景に、第一次大戦までの段階で、自由貿易政策は堅持された。
  第一次大戦前夜、英国経済は本当に衰退していたのか?という点に関しては、当時はドイツの台頭に心理的にパニック状態になっていたけど、実はシティは非常に繁栄していたので、本当の意味では衰退していなかった、というのが最近の研究結果だという。

(2)本格的衰退論  
   1950年代末(戦後復興の景気の良い時代を終えて)から、新たな衰退論が登場し、60年代から70年代初めにこの議論が最盛期を迎えた。戦後の米国経済が順調だったことは脅威とは感じられなかった(アングロ・サクソンの親戚国家という意識の故)が、「西ドイツの奇跡」で、西ドイツが高い成長率を示し、また日本も高度成長を達成するようになって、成長率の比較から、敗戦国にさえ追い抜かれるという、新たなパニック心理となったのだ。

ちなみに、著者は、大英帝国の頂点は、1932年頃で、この頃大英帝国はウェストミンスタ憲章で、「ブリティッシュ・コモンウエルス(英連邦)」に組織替えされ、ブロック経済化された(要するに保護関税地域が設定された)という。

しかし、第二次大戦後は、1950年代後半にスエズ運河から撤退したことに象徴されるように、英国は世界帝国としての政治・軍事的負担に耐えられないようになり、中東、その他の秩序維持の責任をアメリカに委せて、自ら後退した。60年代には、アフリカの英領植民地が一斉に独立した。こうして、「衰退論」が益々賑々しく展開された。英国は、シティが、植民地への投資を重視し、国内投資を行わなかったから、衰退した、という議論が盛んだった。また、科学技術を大事にしない、文化・芸術ばかり大切にすることにも問題がある、という議論も盛んだった。そして、こういう議論は、特に政治家に好まれ、政争の道具ともされた。

(3)米国人による衰退論  
  マーティン・ウィーナーという米国人が1981年に出版した『英国産業精神の衰退』という著書で、衰退論はピークに達した。ウィーナーによると、英国では、ジェントルマンの価値観が強く、産業資本家は、産業革命時に一時興隆したとはいえ、1850年代には早くも潮流が逆転し、モノヅクリの産業資本家ではなく、財産を貸してその利潤で生活するという、ジェントルマン的なシティの金融業者を中心とする資本主義に変わっていった。この頃から、商品の輸出入では、英国は大赤字となるが、利子所得、海運、保険などのサービス業所得での大幅黒字で相殺し、国際収支は、黒字或いは均衡を保った、という。すなわち、1850年頃には、既に「世界の工場」としての機能は失われて、実物取引では大赤字状態だったのだ。つまり、製造工業を守るという、チェンバレン・キャンペーンは、シティが経済の中核という英国経済の実情に反していたと言えるらしい。

(4)既に金融業が主要産業との反論   
 すなわち、相当前の時点から、英国の資本主義は、シティの金融業者によって支えられていることに注目して、『衰退しない大英帝国』(1993年)と言う本が、W.D.ルービンステインにより、発表された。本来の地主ジェントルマンではなく、今では、金融業のジェントルマン達が、英国資本主義の要となって稼いでいる、と言うのだ。工業国家としての視点で見るから、衰退論などが論じられるので、ジェントルマン資本主義は、今やシティにあり、この金融業では、20世紀末も、21世紀初めの今日も、繁栄が続いている、と言う説なのである。

(5)衰退感はある! 
   著者は、衰退論争の最後に(p.248)、バリー・サップルという経営史学教授の引退記念講演を引用する。「衰退はないが、衰退感はある」、と言う議論だった由。
  人間の欲望はどんどん拡大していく。「成長パラノイア」があるから、「生活レベルは上がっていかなければならない」という欲望がある。それに対応するような経済成長が出来ていないから、これが英国人の「衰退感」の原因だ、という。

  著者は、70年代初期に英国西南部に旅行したときの衝撃的体験を述べている。B&B(簡易民宿)を転々としている老婦人に出会う。彼女は、「家を買い換えようとしていたら、インフレとなり、買えなくなったので、民宿を転々と渡り歩いて暮らしている」と述べたので、同情しかけたが、これが間違いだった。実は彼女は、「南アフリカのダイアモンド鉱山の株を持っているから、生活には困りません」と、十分な所得があることを漏らした!というのだ。我々日本人で、株式配当で悠々自適の生活、という人種は少ないだろう。英国では、ごく普通に見える老婦人が、金利生活者なのだ!衰退感はあっても、不幸でも何でもない、といえよう。

(6)経済統計数字 
   付録の統計を見ると、英国の「衰退」については、統計時点をどう取るか、ということで、かなり印象が違うと言える。
 まず、図1(経済成長比較、折れ線グラフ)では、横軸に1870年〜1998年まで、縦軸に3万ドルまでの数字がある。この表によると、1870--1918年までは、3000〜5000ドル水準(注:一人当たりGDPであろう)で、英国が1番上、次いで米国、3番目が全欧州だが、その差異は小さい。1943年頃から、英国は米国に追い抜かれ、その後ずっと米国の下にあるが、1998年時点で、米国がほぼ28000ドル、英国がほぼ20000どるとなり、全欧州も英国とほぼ同じ、となる。要するに、米国には第二次大戦時以降追い抜かれたが、全欧州と比べれば、英国は今も「衰退などしていない」とも言える。(もっとも、ドイツとのみ比べれば、負けているのだろう。)

 図2(世界の製品輸出に占める英国のシェア、同じく折れ線グラフ)では、横軸が1850年〜1913年までで、縦軸が%だ。1850年頃43%で、1868--74年頃は46--47%と最高点を記録する。1877年には、40%台を割り込み、以降右肩下がりで、1913年には28%位しかなくなる。要するに、第一次大戦前夜まで、モノヅクリ国家としての英国の工業基盤は、どんどん低下しているのだ。とはいえ1913年ですら、今の感覚に比べれば、まだまだ英国は製造業大国のままだった、とも言える。

5.教訓
(1)英国は、必ずしも衰退していない
 
  英国ジェントルマンが、元来は地主達という、不動産賃貸料に依存して優雅に都会生活、社交界(ロンドンの社交季節=Seasonがあったという)を楽しむ人々が資本の大部分を占有した。その後大英帝国の全世界的展開では、シティの金融業者という「新しいジェントルマン達」が、イングランド北部などの国内産業資本への投資には目も向けず、利率の良い海外植民地への投資を優先した。
  一方産業資本家達は、当初は小さい自らの自己資金で、何とか初期投資を成功させ、その後産業資本家として大躍進するが、その後も、非ジェントルマンの産業資本家達は、シティの支援は得られず、しかも後発の米国、ドイツが、19世紀末から台頭して(米、独両国では、重化学工業が主流)、最初の成長率比較による「衰退論」=悲観論が出たが、その割には、第一次大戦前夜においても、シティの金融資本は隆盛を極めていた、という。

(2)日本は、本当に衰退しているのか? 
  米国、ドイツよりも更に少し遅れて台頭した日本の場合、第二次大戦後に、むしろ高度成長を遂げたが、1989年のバブル崩壊で、その後ずっと「失われた20年」を経験中である。 その上、この期間に急成長を遂げている中国を目前にして、かつての英国同様に、パニック心理に襲われ、自信を喪失しつつある。
 しかし、どういうタイムスパンで統計表を見るか、ということで、印象は大いに異なる、ということを上記4.(6)で見た。

 英国の「衰退」感が、ドイツの台頭に直面した19世紀末以来とすると、実に既に100年以上を経過しているが、英国の経済レベルは、今でも、欧州全体の標準を下回ってはいない。

 日本国の高度成長期(1960年代半ばから)から数えると、未だに、半世紀ほどしか経過していないし、経済が頭打ちとなった「バブル崩壊」以降でも、未だに20年である。もう少し長いスパンで統計表を眺めたら、逆に、まだまだ日本も「衰退などしていない」という結論となるかもしれないのだ。

(3)今後の指針 
  英国が、ジェントルマンの国として、金融業で生き残ったのだとしたら、日本は、本来の高度成長の柱だった、電子、工作機械、自動車製造、などのモノヅクリ産業で、今後もしぶとく、生き残りを図っていくべきなのかもしれない。少なくとも、これからも当分は、英国、米国が金融業でがんばりそうだから、日本国としては、モノヅクリ産業で頑張るしかないのだろう。

 一時小生は、日本も金融業で頑張るべきと思ったが、やはりジェントルマンという、基本的に資産、資金を貸し付けて、利子で生きるような、そういう文化が長らく生きてきた国家に、金融では勝てそうもない。その上、一時日本が指導してやった中国の金融関係者が、「商人的才能」を発揮し始めてもいる。中国人も、ギャンブラー的才能がある上に、元の時代から既に、金融業者としての歴史・伝統もあるのだ。



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内 容 ニックネーム/日時
マット・リドレー「繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史」上・下 早川書房 を最近よみました。技術革新はマルサス的悲観主義をつねにうらぎってきており今後も裏切るだろう、というものです。
 著者は1958年うまれのイギリス人です。なんだか元気がでる本です。
madi
2010/11/05 02:57
madiさん、
 コメントありがとうございます。
 楽観論と悲観論、小生自身も、実は行ったり来たりで、新しい本を読む毎に揺らぐ傾向がある。いずれの立場からも、それなりの論評が出来るのでしょうが、楽観論はありがたいですよね。
 ともかく、昭和20年生まれの我々には、飢餓水準が基点ですから、戦後の高度成長の頃は、ほんとうに将来はバラ色に見える側面があった。
 他方で、それでも、昭和50年代でも、まだまだ日本は欧州から帰国してみると、羽田からのタクシーで、下水の臭いが臭くにおっていたり、食品類も今よりは不味かったし、後進国に見える部分もあった。
 現代の若者達は、就職難という新たな側面もあるけど、給与などでも昔の我々の時代の低さ(昭和42年で2万円弱、昭和50年で5万円強・・・これでもまともな正社員給与!)に比べれば、やはり今は高いと言える。対ドルで考えれば、昔の1ドル=360円は、外国旅行にはつらいレートだった。
室長
2010/11/05 08:48
<上巻>
もし文化が、他者から慣習を学習することだけで成り立っていたら、たちまち成長が止まってしまう。文化が累積的になるには、アイデアが出会ってつがう必要があった

人間は交換によって「分業」を発見した。努力と才能を専門家させ、互いに利益を得るしくみだ

若い世代が上の世代の生活を支えられるのは、イノベーションのおかげで豊かになっているからだ。誰かがどこかで三〇年返済のローンを組んでビジネスに投資し、そのビジネスが生み出した機械で購入者が時間を節約できれば、未来からもたらされたその資金は、借りた本人と購入者の両方を豊かにするので、ローンは子孫に返済できる。これが成長だ

自分の必要とするサービスを買えるだけの値段で自分の時間を売れなければ貧しく、必要とするサービスだけでなく望むサービスまで手に入れる余裕があれば豊かだと言える

専門家によって知識がしだいに積み重ねられ、そのおかげで私たち一ひとりが生産するものの種類をしだいに減らしながら、しだいに多くの種類のものを消費できるようになる。これが人間の歴史の中心を成す物語だと、私は言いたい。イノベーションは世界を変えるが、それは、イノベーションが労働の分割を進めるのを助け、時間の分割を促すからにほかならない

結びついている人口が多いほど、手本となる人物の技能は高く、生産的なまちがいが起きる確率も高まる。逆に、結びついている人口が少ないほど、技能は継承されるうちに着実に衰えていく

個々のタスマニア島民の脳には、どこにも悪いところはなかった。問題は、彼らの集団的頭脳にあったのだ。孤立(自給自足)が彼らのテクノロジーの縮小を引き起こした

「繁栄」のアウトラインです。
2010/11/10 01:50
<下巻>
人間には交換と専門化の習慣があるため、古き良き時代のマルサス的人口抑制がじつは人間には当てはまらないことを示唆している。つまり、食糧供給量に対して人数が多すぎるとき、人間は飢餓と疫病で死ぬのではなく、専門化を強めることによって利用できる資源で生存できる人の数を増やすことができる

人口を減らす政策として抜群に良いのは、女性教育の奨励だろう

ハイエクが論じたように、知識は社会に分散されており、それは各人にそれぞれの視点というものがあるからなのだ。知識はけっして一つの場所に集中させることはできない。それは集団的であり、個別には存在できないからだ

企業が成長していく上でもっとも危険な瞬間は成功を収めたときだ、なぜならそのときイノベーションを忘れてしまうからだ

二一世紀にはカタラクシー―交換と専門化によって自発的に起きる秩序を指すハイエクの造語―が拡大し続けると予測する。知性はより集団的となり、イノベーションと秩序はよりボトムアップになり、仕事はより専門化し、余暇がより多様化する

「繁栄」下のアウトラインです。
2010/11/10 01:51

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