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zoom RSS 清貧思想への後退は、良くない選択

<<   作成日時 : 2011/07/30 10:57   >>

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28日にBlogosというブログ記事を元に編集されているサイトで紹介されていたある記事は小生が09年7月に書いた「清貧思想の勘違い」という記事( http://79909040.at.webry.info/200907/article_4.html )との関連でも、興味深い内容を含むので少しご紹介したい。

1.在米日本人ビジネスマンが、清貧思想こそが「平等主義日本国国民」の居心地の良い普通の思想--との認識を示している 
  問題のブログ記事は、バンクーバー在住の日本人社長ヒロ氏のブログ記事である:「日本は清貧に戻るのか?」と題しており、下記二つのサイトで参照できる:
http://news.livedoor.com/article/detail/5741717/
  http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52196899.html

 少し詳しく引用すると、次のような部分が興味深い論点と思う:
−−僕らは中国に対して「共産党独裁はもう無理だ」とコメントしています。北朝鮮に対して「金独裁政権はもう維持できない」と意見しています。でも我々は「日本って何処に向かうかわからない」と思われています。

−−でもはっきりわかっていることがあります。それは経済的には日本人がどんどん貧しくなっていることです。バブルの頃消費を謳歌した40代から50代ぐらいの方はまだゆとりがあった頃の消費を体で覚えています。が、20代、30代の人は消費の仕方はまったく違います。「個性的な消費」とは裏返せばルイヴィトンのバッグを買える人と買えない人が出てきたということでもあります。

−−日本人の価値観はお財布の中身が変えたといっても過言ではないでしょう。青山通りをポルシェで運転してももう誰も振り向かなくなりました。でも繁華街で安売りに人だかりがあれば覗きに行くでしょう。人々の関心が生活に身近なものに、そしてもっと縁があるものにより強い興味を示すようになりました。

−−日本は元来「平等で大きな富はないけれど大きな幸せがある国」として繁栄を続けてきました。長い日本の歴史を考えれば1960年代から80年代だけが「特筆すべき異変」だったといえるのかもしれません。何故異変が起きたか?これは大戦で疲弊した日本人が平和的発展を目指し本当の挙国一致があったからでしょう。日々の生活にも困る中、朝鮮戦争特需もあり日本は経済的繁栄をとげ、企業は終身雇用を提示しました。

−−サラリーマンである以上、極端に多い給与はもらえないものの家族を養い、家を買い、車を買い、子供の教育費は出せる生活をほぼ保障されていました。が、バブル崩壊とともに企業は終身雇用を止め、給与やボーナスは下がり、勝ち組とそれ以外の人を格差として捉えるようになりました。そして出る杭を打つことで社会主義社会を再び強く形成しつつあるように見受けられます。

−−清貧を気持ちよく受け入れるその姿勢は、日本人でないとわからない精神世界に近いものがありそうです。少なくとも僕がカナダ人やアメリカ人にそれを説明しても簡単には理解してもらえません。しかし、僕は今の日本の動きが間違っているとは申し上げません。なぜならそれが日本にとってもっともナチュラルだからです。

−−僕が小さいころ、「天皇陛下は秋刀魚(さんま)を召し上がる」と教えてもらい僕は腰を抜かすぐらいびっくりしました。日本の神々が一生懸命働いていると天照大神は述べました。日本は西欧文化と違い、トップからボトムまでの段差がほとんどないことに絶対的な特徴があります。これは未来永劫、変わることはないでしょう。

−−おごり高ぶらず、見栄を張らず、自然体で人間らしく営んでいく日本人がある意味世界でもっとも平和で幸せなのかもしれないと思っています。これに賛同するものが日本に残り、財を成したいものは外国に出て行く、こういう構図が日本にはもっともナチュラルなのかも知れません。

−−僕は「日本は変われるか」というスタンスでいろいろ見てきたのですが、今までが異色の時代だったと考えるとこの問題は比較的すーっと理解できるよう感じます。

2.小生の清貧思想に対する懐疑論は、社会主義の悪平等への批判精神が根底
  小生がベラルーシ在住時に、「清貧思想には、ほぼ皆が平等に貧しい社会主義経済体制を肯定するための、共産圏指導層に都合の良い、悪平等主義の精神がある」、と感じて、冒頭に述べたブログ記事となりました。

 事実共産党独裁体制では、党政治局員などのトップレベル層には、使用人、特別の食糧配給などのあらゆる特権が与えられ、特に最高指導者の毛沢東には、ほぼ無限大の贅沢が保証されていたこと、他方で、毛沢東は、自分の妻をはじめ、子息らに対してすら、さほど大きな愛情と配慮などしておらず、ましてや一般党員とか民衆に関しては、その生命を含めて、何らの人道的配慮もない、という事実がユン・チアン、ジョン・ハリデイ共著の『マオ』(05年11月、講談社)で明らかにされています。一般党員も、ましてや一般民衆などは、食糧不足で飢え死にしようが、毛沢東は何らの感情も催さないのです。全く無関心です。民は貧しく、苦労して当たり前、他方で、自分に関しては、専用医師を常に確保して、健康に気をつけ、長生きしようとする超自己中心主義です。

3.日本の経済成長が止まったので、今後は清貧思想に戻り、慎ましく生きようというヒロ氏の視点
   他方、ヒロ氏の視点はあくまで日本の現代史で、バブル期であった1960年代〜80年代までの約30年間のみが、日本においては、がめつく金銭的成功と、物質的富裕さを追求した「例外期」であって、この時期には、つましく生きるという生活の知恵が一時的に後退し、清貧思想という古来の日本に伝統的な「平等主義の社会」から離れたが、バブルの崩壊後再び日本では多くの人々が貧しくなって、身の丈にあった生活という、清貧思想が復活している、というのがヒロ氏の視点らしい。

もっとも、このように清貧思想を極めて肯定的に見つつも、自身は「社長」であるらしいヒロ氏は、唐突に後半部に、
 > そして出る杭を打つことで社会主義社会を再び強く形成しつつあるように見受けられます。
と言う風に、この清貧思想にも、悪平等を至上主義とする社会主義の欠陥が再登場する可能性、という危険があるとの警戒的視点も付加しておられる。「出る杭を打つ」、という伝統も濃い日本社会には、悪平等の社会主義社会を彷彿とさせる部分がやはりある、と言う風に、在外日本人は見抜いていると言うことでもあろう。要するにこの視点は、小生が最近論じた、エリート教育に失敗して国が滅びようとしている、という小生の危惧感とも共通する側面がある、とも言えよう。(注:少し強引な我田引水ですが)

 まさに小生は、社会主義社会を見てきた経験から、「貧困=正義」、「富裕=悪」という社会主義国の資本主義国への偏見が、公的プロパガンダにより宣伝され、自国の市民に対しては、極端な物資欠乏と貧困という現状に対し、不満を言わないように強制していた時代が、30年ほども続いていた(丁度日本が、高度成長で繁栄していた同じ頃)という事実に対し、大いに反感を抱いたのだ。

 ソ連圏諸国でも、今日の北朝鮮と似て、「金王朝家族、党・軍幹部達」のみが、北京から高級牛肉、高級コニャック、その他の贅沢品を山のごとく買付けて、贅沢三昧、他方一般国民は、食糧すら足りずに、飢え死にの危機線上をしょっちゅう彷徨っている・・・というような極端な格差があったのだ。

4.人間の個人の能力に制限を加えるのか否か? 
  結局、小生の視点では、人間個人の能力を、どこまでも伸ばしてやるという、自由主義の考え方(この考え方は、ケ小平の言う「黒猫でも白猫でも、鼠を捕るのがよい猫だ」という、格差容認、或いは、「先に豊かになれるものから豊かになればよい」という、競争放任思想がどうしても含まれてしまうという欠点も、もちろんある)が根底にある。

 他方で、マルクス主義では、そういう競争を放任すると、結局は巨大独占企業体という悪い子供が現れて、やがては競争自体が制限されるようになり、また、国家が帝国主義となって、このような巨大独占企業を擁護し、世界市場を歪めるだろう、という。まあ、自由放任主義も、それが行き過ぎれば、いつの間にか、人間個人の発展を許さないような社会になるのですよ、という、至極賢明な警告とも言える。
 だから、元来のマルクス思想は、資本主義が発達しすぎて、生産能力が大きく成りすぎ、巨大独占資本家が登場した後に、こういう巨大な資本に国家が網をかけ、生産手段を没収して、国民の共有資産とする、という考えなのだ。しかし実際に起きたことは、資本主義すらまともに発達していない、後進国のロシア、中国などで、小ブルジョア達から生産手段を没収するという、マルクスも想定しなかった、いびつな革命だったのだ。

 そう言うわけで、個人の能力が発揮できて、自由な意見が述べられて、自由な経済活動が許されて、人間が生き生きと輝ける社会、と言う風に見れば、資本主義社会には長所も多い。だけど、皆が成功できるわけでもない。
 そこで、そう言う経済的成功を収められない人々のための慰めとしては、「慎ましく生きることが正しい」という清貧思想でバックアップしてやることも重要というか。つまり、富裕となった友人とか隣人を妬む嫉妬心を抑制する思想基盤を提供し、小さな個人・家族としての生活を、「小さな幸せこそ重要」という論法で後押ししてやらねばならないと言うことであろう。とはいえ、これは、新興国の工業力が強くなって、日本のモノヅクリ産業が競争力を失いつつある現状に対応しての、みみっちい言い訳とも小生には感じられる。

 
5.ドイツの成功??  
  ちなみに、日本経済の後退に関しては、小生は従来から、日本が得意としたモノヅクリ産業分野が、冷戦終結と社会主義圏の門戸開放の結果、中国、インド、ベトナム、東欧などが新興工業国として台頭し、日本の得意分野(家電など)が切り崩された結果と述べてきた。

  この視点に関しては、最近の米国『フォーリン・アフェアーズ』誌に掲載された論文が、興味深い視点を提供している:<フォーリン・アフェアーズ・リポート2011年7月号掲載> http://www.asahi.com/international/fa/
要旨は、モノヅクリ大国、輸出大国としてのドイツが復活しつつあり、ドイツの政界、財界指導層には自信が充満している、というもの。

 −−この10年間におけるドイツの経済成長の3分の2は輸出増大によるものだし、他のいかなる先進国よりも高い一人あたりGDPの伸び率も輸出のおかげだ。
 −−主要先進国では、この数十年にわたって「輸出を拡大するには、製造業の規模を維持するか、増大させるしかないと」考えられてきた。政治家も有権者も「何かをつくる会社を国内に持っていることが経済的成功の鍵だ」と考えていた。これは、一つには、製造業の平均賃金が他の産業に比べて高かったことと無関係ではない。ドイツは製造業を大切にし、この決定が経済的成功に大きな貢献をしている。
  (注:論文題名「ドイツ経済モデルの成功 ―― 他の先進国が見習うべき強さの秘密とは」、筆者:.スティーブン・ラトナー/前米財務長官顧問

つまり、中国などの新興国の台頭はあったが、モノヅクリを重視して諦めることをしなかったドイツは、中国に次ぐ輸出大国として確固たる地位を維持していて、その故に他の先進国が経済低成長に喘いでいるのに、一人気を吐いている、ということ。

 もっとも小生には、ドイツの例は、少し他の要素も考慮すべきと思う。要するに、多くのEU諸国がユーロという単一通貨(実質基盤は、以前のドイツ・マルク)により統一され、かつ関税も撤廃されて、その上最近はユーロ安が定着して、ドイツのモノヅクリ産業(中心は自動車製造業)が、活気を呈していると言うことだ。他方で、EU内で唯一成功している経済として、他の諸国の経済不振に基づくユーロ不安に対しては、しょっちゅう金融支援を強いられており、ドイツの経済にも課題は多いと感じる。

6.清貧思想に後退せず、個人も、企業も「強い精神力で」活性化して欲しい
  結論として小生は、日本の場合、「製造業の平均賃金がやはり相対的に高い、故にモノヅクリ産業を諦めてはいけない」というドイツの教訓を参考としつつ、今後とも日本国は、「家族単位の小さな幸せ」という、縮み思考に陥ることなく、清貧思想などという、中国本国でも存在したかどうか怪しい思想などではなく、やはり今後とも、生き生きしたモノヅクリ国家として、たくましく生き残って欲しいと思う。

  小生の意見では、原発は過去40年ほどの技術水準から見て、妥当な、比較的安価な電力の供給源であったし、今後も恐らく後30年以上は、相対的に安価で、CO2排出量も少ない、現実的なエネルギー源であることを、早く再確認して、モノヅクリ国家としての基盤を再構築して欲しい。放射能の危険性に関しては、現実的に見て、最近の論調は過敏に過ぎるというしかない。

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内 容 ニックネーム/日時
 シナでの清貧思想はともかく、日本の「清貧思想」も如何わしいと私は見ています。“清貧”を口にする者に限り、逆に恵まれた暮らしをしているような。カネは問題ではない、というのはカネの苦労をしたことがない人でしょう。それほど日本人は“清貧”を支持しているのでしょうか?
『「自然」のままに生活すれば平和になると信じているのは、飽食した先進国の自称エコロジストだけ』と言い切ったブログ記事がありましたが、考え方はそれに似ているように思えます。
http://hkuri.iza.ne.jp/blog/entry/2372389/

 震災後、やたらニュースで人との「絆」「繋がり」のフレーズを強調する傾向は疑問視しています。これぞ「和の精神」の焼き直しに感じるし、このような言葉を何度も使うメディアもウンザリ。思いやりやら優しさを訴える者こそ、実は何もしなかったりする。援助や支援を主張する当人は、自分の懐からは出さなかったり。
mugi
2011/07/31 21:29
清貧思想で思い出したのですが、日本では最近GNH(国民総幸福)理念でブータンが注目されています。
人間は物質的な富だけでは幸福になれず、充足感も満足感も抱けない、そして経済的発展および近代化は人々も生活の質および伝統的価値を犠牲にするものであってはならない、という考えです。
しかしブータンのように半鎖国状態で、国民が外界の情報にほとんど触れる機会がないならともかく、現代の日本でブータンと同じことをやるのは無理でしょう。
日本の国民はいったん物質的な豊かさや自由の味を知ってしまったわけですから。

同様に北欧諸国も幸福度の高い国としてよく引き合いに出されますが、人口がもともと少ない、北海油田がある、武器輸出を行っているなどの条件の違いの上に、実際にスウェーデンに住んだ経験のある人たちの書き込みを読むと、やはりいいことずくめではないようです。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0723/008890.htm?o=0&p=1
スウェーデンの生活水準

個人的には、昔の共同体や清貧思想を美化するような論調には危険性を感じます。実際に、かつてのムラ社会的な共同体の陰惨さを知らない若い人たちがそれに惹きつけられてしまうのではないかと。
ブラッド・ピット主演の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』で一躍有名になったチベットですが、河口慧海『チベット旅行記』(全5巻、講談社文庫)を読むと、中国に支配される前のチベットも、決して理想郷などではなかったことがよくわかります。
現在のように経済発展する前のインドも、もっぱら物質主義に染まらない、哲学的な国のイメージで見られていましたが・・・
ミツカン
2011/07/31 21:55
mugiさん、
 社会主義の物資欠乏ぶりのなかで生活した人間として、例えばTVのケンミンショーなどを見ると、恐らくは取材に応じた家庭が、恥ずかしくはないように、普段以上にごちそうを並べているのかもしれないけど、そうは言っても、日本の田舎の家は広いし、近代的で快適そうだし、夕食の食卓のにぎやかさ、贅沢さは、旧社会主義圏の市民なら、全く羨望しないではおれないものです。確かに、この番組では、地方における特産品とか、特殊な料理を扱うことが多く、必ずしも高価な食材ばかりではないけど、それでも食卓に並ぶ、ギンシャリの美味しそうなご飯、種々の地場産で新鮮な野菜をふんだんに使った料理、或いは新鮮な魚介類、など、それに美味しそうなビールとか、全く品質が高度で、豊かな食材に囲まれて贅沢なものです。
 こういう生活をしながら、これが普通と思っている人が日本では大部分だろうから、世界の常識として、というか、小生がベラルーシとかブルガリアで感じた、共産党首脳達が国民にある程度与えようとした、最低水準の「清貧生活」の生活水準とは、あまりに大きな較差があります。つまり、日本人が自ら「慎ましい生活」と思いこんでいる生活水準は、多くの外国から見れば、先進国のなかでも、食材豊か、種類豊富、日々贅沢・・・といえるような水準です。
 恐らく、ベラルーシ国民とか、社会主義時代のブル人から見れば、日本の田舎の生活こそ「理想の共産主義社会」に見えるかも。もっとも、家は少し狭いけど、日本の都会の生活も、決して貧しくはないから、やはり社会主義者らが考えた「清貧」の水準からは、高すぎる生活水準であることに変わりはないでしょう。だから、日本人が「清貧」などといっても、それは旧ソ連圏の考える「清貧」とは、かなりかけ離れたものです。
室長
2011/08/01 09:47
ミツカンさん、
 ブータンのGNHとか、北欧の高度社会保障社会など、日本のマスコミが良く取りあげる一種の「理想社会」も、実態として生活してみれば、決して日本の水準を超えるような豊かさとか、楽しさ、快適さ、を保証しているわけではないと思う。
 自給自足に近いブータンは、まだ日本人の誰にも、本当は住みにくそうだとか、分かるはずですが、北欧に関しては、日本人の間で「神話」に近い、或いは信仰に近いほどの、「理想社会」概念で見られています。

 小生自身は、北欧には住んだ経験も、旅行の経験もないけど、次の事実から見て、それほどうらやむほどのものでは無かろうと思う:
@北欧のフィンランドは、日本人が理想社会としてみる一つの国ですが、社会主義時代のブルの黒海沿岸のリゾートに来ていたフィン人女性は、心が荒れ果てていて、毎晩大酒をのみ、騒ぎまくって、同じホテルに滞在するブル人の保養者達から怪訝な顔をされていた。彼女の場合、失恋、などの個人的事情もあったかもしれないけど、ブルに来るフィン人の多くは、実は大酒をのみ、騒ぎまくることで有名でした。何故かというと、一つには、北欧では酒類への税金がバカ高くて、普段酒が飲めないから、外国に出ると飲みまくる傾向にあるという。フィンランド大使館員も、夏は多くの同国人が問題を起こすから憂鬱だと言っていた。酒も、タバコも、バカ高い税金をかけると、それの安い国に行ったときに羽目を外すことになる。要するに、自国では不幸と言うことではないか?!!
  もっとも、北欧人の多くは、自国が一番幸福な国だと思っている人が多いけど??
室長
2011/08/01 10:18
「北欧人は本当に幸せか?」(続)

A英国で、小生の二女と友人関係にあった4名のノールウェー人は、自国のローン制度(国の保証で、学生は銀行で、かなり多額の奨学金ローンを組んで、このローン資金を使って、英国などでの勉学、生活費に充てる)のおかげでかなり裕福だった。
 小生の二女の交友グループでは、英国人学生、小生の二女、韓国人学生などがつるんで、よくパーティー三昧していたのだけど(費用は、英国人学生は、あまり出せないので、日本人、韓国人、ノールウェー人がかなり多くを負担していた)、そうは言っても親の金で結構余裕があった小生二女、韓国人に比べると、ノールウェー人達の場合は、卒業後に相当長い期間ローン返済という、借金返還の負担も覚悟が必要らしかった。その上、勤務に就けば、直ちに、重税国家としての普通の税負担も重い。
 もっとも、北欧のなかでは、ノールウェーのみが北海油田の石油収入で、一番豊かと言うことだった。もっとも、冬の気候など、自然環境は結構厳しく、ノールウェー人の友人達は、今でも結構頻繁に英国に来ては気晴らししていく。狭い二女の家に泊まったりしながら!!
 そういえば、彼らの中の一人はゲイで、ようやく最近「結婚」したという。ゲイでもきちんと結婚できるという(ゲイ同士で)意味では、日本よりも「先進国」なのでしょう。視点を変えれば、「理想」の中身も変わるから、やはり知らない他国のことを、簡単に批判などはできません。
 しかし、小生の気持ちでは、北欧ではニシンの塩漬けと、鮭の薫製くらいしかおいしい食べ物がないような、そういう偏見しかないから、余り行く気もしません!
室長
2011/08/01 10:26

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清貧思想への後退は、良くない選択 ブルガリア研究室/BIGLOBEウェブリブログ
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