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zoom RSS 自己分裂症からの訣別とそこそこの大国としての生き残り

<<   作成日時 : 2011/08/17 17:06   >>

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 先週の週刊ポスト誌(8月19日付)に掲載されている岸田秀(キシダ・シュウ)という精神分析学者(1933年香川県生まれ。心理学者、精神分析学者。早稲田大学大学院修了)の日本国の将来に関する「憂国オピニオン」が、なかなか鋭い分析を含むと思うので、紹介したい。

1.総論 
  岸田氏は、日本人の心理を対米従属心と対米軽蔑心の二つの自己に分裂している、と断じており、その間を極端に揺れてきたのが近代日本史だという。だから、これからは、極端に走ることは止めて、冷静に「中庸」を歩めと言う。
 80歳手前の心理学者が到達した、1億人日本人の集団心理に関する結論として考えると、なかなか鋭い指摘と思う。
 
2.掲載論文 
  では、出来るだけ詳しく、ポスト誌に載っている岸田論文を引用しよう(普段と異なり、今回は全文を下記に紹介しました。勝手な引用で筆者には申し訳ないですが、素晴らしい論文なので、一部分だけでは済まなかったのです。)。

−−震災後の復興や原発を巡る議論を聞くにつけ、近代日本の歩みを振り返らずには居られない。
−−158年前のペリー来航以来、日本国民は米国に卑屈に迎合する”外的自己”と、米国を軽侮する誇り高い”内的自己”に分裂した。二つの自己は常に葛藤し、どちらかの自己を抑圧することで、もう一方の自己に極端に振れてきた。

−−近代以前の日本は、他国との戦争に巻き込まれることが無く、閉ざされた島国の中でのんびり暮らしていた。ペリー来航をきっかけに、「大国になるか」「外国の植民地になるか」の二者択一を迫られたのだ。
   (注:欧州を見てきた小生に言わせれば、太平洋の洋上にある島国という、特殊な地理的環境から、日本には例外的に260年という長期の、「鎖国・太平の江戸時代」というものがあったが、普通どこの大陸諸国も、常に隣国からの侵略の危険、或いは隣国からの内政干渉への対応に苦慮しつつ、外交し、戦争して、生きてきたのである。征服されるか、生き残るか、その選択肢を自前のものとすべく、軍備に金を使い、兵役の義務に服すというのが、どこの国でも普通のことなのだ。戦後、「戦争反対」などと言って、日本の軍備を敵視してきた左翼は、ソ連とか中国の手先達だった。)

−−日本は大国になる道を選び、無理に無理を重ねることになる。かろうじて日露戦争に勝ち、第一次大戦をうまく乗り切ったものの、思い上がって挑んだ第二次大戦ですっかり内的自己に呪縛され、外的自己は完全に抑圧された。
   (注:勝ったり、負けたり、領土が増えたり、減ったりというのは、欧州では普通のことである。もっと冷静に、勝ち残れる戦略を練るべきだったのだ。)

−−敗戦後*(*注:終戦ではなく、敗戦という用語の使い方は潔い)の日本は、外的自己が台頭し、内的自己は排除された。卑屈に迎合する米国に追いつくため、今度は経済に狙いを定めて、邁進した。その結果、世界第二位の経済大国になると、再び内的自己が頭をもたげてくる。「技術力は米国よりも上だ」という誇り高い内的自己である。福島の原発事故も、この内的自己によって起きたと言える。

−−原発推進の御用学者達は「日本経済の発展のために原発は不可欠な資源である」と言い、原発の危険性を知りながらそれを無視して「原発安全神話」を広めた。「事故は起こるものだ」という前提で対策を練ることが出来ていれば、「想定外の出来事」など起きなかったはずだ。

−−このように、日本は分裂した自己が葛藤を繰り返し、極端に走りながら、よろめくように歩んできた。そろそろこの葛藤から抜け出す決断をしてもいいのではないか。日本国民がこれから目指すべきは、内的自己と外的自己を統合し、安定的な中庸を保つことである。

−−そのためには、世界を相手にした経済競争に過剰な関心を持たないことが必要になる。多少貧しくなることは覚悟しなければならない。江戸時代、日本人は物質的な豊かさとは無縁ながら、街の治安は抜群に良く、識字率は世界一だった。文字通り文化大国として、あくせく働かず、のんびり適当に暮らしていた**。
  (**注:江戸時代を過度に美化する一部の風潮には、小生は疑問を感ずる。身分制の固定、社会秩序の固定が立身出世とか、競争の可能性を封じたし、生活向上の可能性を否定し、若者達の不満を鬱積させ、その鬱憤が爆発して、幕末の「尊皇攘夷運動」、「幕藩体制打倒」へと導いたはずだ。薩摩の下級武士、長州の、武士ですらなかった庶民出の奇兵隊員らが、維新革命を引き起こし、新しい「国民国家」を創り出したのだから。
  それに、江戸時代、皆が貧しかったとも言えないだろう。また、皆が適当に、怠けながら、あくせくせずに生きていた、と言うのも、誇張のように見える。小生自身、戦後の一番貧しい時代に育ったから、回虫に悩まされ、トイレットペーパーもまともにない、不潔な貧困時代への回帰は、もはやあり得ない選択肢だ。
  もう一つ、筆者は、日本は経済競争からは距離を置け、と言っているようだが、小生はやはり、アジアの韓国、台湾、中国との競争から、初めから降りてしまえば、将来の日本の産業力はゼロになると思う。競争力に関しては、これからも努力すべきだろう。)


−−国防の面では、かつての社会党が掲げた非武装中立のような、原理主義的なことを考えてはならない。日本に戦力がないと分かれば、ロシアは北海道に、中国は沖縄に攻め込んでくる可能性があるからだ。
 だからといって、核兵器を持って武装しろと言うことではない。極端を避け、ソコソコの軍備を持ち、ある程度の貧乏生活にも耐えながら、適当なところで折り合いをつけて暮らしていく−−これが日本のあるべき姿なのだ。

−−新たな日本への転換をする際に重要なのは、自ら決断して行動することだ。第二次大戦の終結は、米国による強制であって、日本が決断したわけではない。その結果、日本は必要以上に強い敗北感を持ってしまった。


−−原発を含めたエネルギー政策を考えることは、日本国民が自ら決断するためのきっかけになるかもしれない。震災発生以来、日本に敵対的でも迎合的でもない国際関係が成立している。外国に振り回されることなく、日本自身の基準を確立できるチャンスである。 ここで気をつけなければならないのは、原発を完全に捨て、一気に自然エネルギーに転換すると言った極端な決断をしないことだ。極端に走る弊害は、繰り返し述べてきた。エネルギー政策も同じで、そこそこ適当なところで折り合いをつけるためにも、原発はある程度は必要になる。原発の危険性を客観的に深く研究し、出来うる限りの対策を講じる−−これが日本の目指すべき当面の”中庸”である。


3.原発再稼働に関する小生の意見 
  小生は、日本が原発を建設開始した頃の技術水準から見て、当時の判断としては、最も安く大量のエネルギーを生み出し、電力という産業の米を、高度成長し、発展する日本経済に安く提供するという国策、電力会社の判断は、決して間違いではなかったと思う。

  核燃料リサイクルの視点から、高速増殖炉という、より原料的に自立しやすい、高度技術の開発にも挑戦したが、これは結局大失敗に終わった。「もんじゅ」は、やはり神頼み、仏頼みの、技術的障壁が高すぎて、難しすぎる挑戦に過ぎなかった。

  今現在国内に存在する多くの原発は、要するに、日本国現在の技術水準でも、やはり妥当で、ある程度安全性も確保されている(今回の事故を、あまりに誇大に考えすぎないことだ。中国、ソ連、米国などの核実験で、70年代に日本に降ってきた放射能の量よりも、よほど少ないという)、しかも建設済みでコストが一番安い発電所なのだ。
  これらを、極端に走って、全部停止したり、廃炉にする、という決断をすれば、それこそ日本経済は、競争力を自ら捨て、国家を貧乏国にするという決断をすることとなる。失業者が満ちあふれることも覚悟せねばならない。

  岸田氏の言うように、やはり極端に走らず、今ある電源を十分活用しつつ(安全対策に更にもう少し資金を投じつつも)、定期点検後の原発再稼働を促進して、今すぐの、そしてこれから20−−40年間ほどのエネルギー需要を充足していくしかない。

  原発以外の未来技術に関しては、将来の種々なエネルギー技術を磨いていくしかない。「もんじゅ」の失敗の例を見ても、希望的観測に引っ張られすぎて、太陽光と風力で将来は大丈夫、などという、冒険主義的で拙速な技術的判断をしてはならないのだ。

  これは、1970年代半ば、高速増殖炉という「夢の原子炉」を、意外に「日本の技術なら」達成できると「希望的観測」をして、囃していた小生自身の愚かさを、今更ながら痛感するからこそ、強く言いたい。
  その当時、小生の先輩で、より技術的造詣の深い某氏は、「君、増殖炉技術は難しいよ。開発と商業化には、多額の投資資金と、恐らく半世紀という時間が必要になる。当面、既存の原発技術を磨いていくしかないのだよ」と諭してくれていたが、若い小生は、「希望的観測論」に夢中になっていたのだ。

  「技術に関しては、希望的観測とか、冒険主義を排除すべき」と言うのが、賢明な戦略だ。日本近海に存在するメタン・ハイドレードで、日本のエネルギーは盤石だ、という説もかなり前からあるが、未だに実現しないではないか。技術には、コストと、それを低減させる更に高い技術力、というハードルがあるということを、謙虚に直視するならば、太陽と風、などとロマンチックな心理に訴える、無責任な言論は慎むべきだ。
  もちろん、お金持ちの多い日本国だから、今すぐにでも、自宅の屋根とか庭に、太陽発電機、風力発電機を建設し、エネルギー自給を図る、とおっしゃるなら、それは個人のレベルで出来ることはどうぞ、というしかないが、国家レベルで、無駄な投資、時間がかかりすぎる話しに、全てを委ねるのは、バカだ。

4.国民心理としての自己分裂症 
  ペリーの来航以来、日本人の心理として、米国は「植民地主義欧米帝国主義」の一つの象徴であり、この故に、対米迎合主義と、対米敵愾心との二つの心理が、日本人の心の中で、ほぼ同居し、しかし、その時々の時勢に応じて、一方が強くなったり、他方が優位を占めたりと、揺れ動く国策の根源ともなった、という分析は興味深い。

  ところが、最近の日本国は、民主党政権のあまりの無責任ぶり、行き当たりばったりの動向が、すっかり米国、欧州などで日本国の信用、地位を極端に低下させ、何事も日本とは相談すらせずに、パッシングしてしまう傾向が強くなっていると産経紙は言っている。その一方で、巨額の外貨を貯め込み、国家ファンドを通じて、米国債、或いは欧州の債券を保有しはじめた中国については、その「マネー大国」としての実力も加味して、それなりに大国の一つとして(安保理常任理事国として、当然でもあるが)、常に発言力を有しているらしい。

  要するに、これからの日本国は、若干衰退した大国として(ここ50年ほどの英国と似ているというか)、もはや対米迎合主義(これは、日本が強くなりすぎ、米国と経済摩擦を繰り広げた80年代、対米摩擦解消のためにも、ある程度意図的に日本政府が採用せざるを得なかった方針でもある)とか、対米敵愾心(これは、中国が強くなりすぎ、危険国家になってきた今となっては、むしろ対中敵愾心の方が顕著になってきていると思う)とかに、過度に偏重することも無かろうから、もっともっとこれからは、自己中心、国益中心の心理で、個々に判断していけばよい、ということかもしれない。すなわち、自己分裂症とは、おさらばすべき時期なのであろう。

  国防面でも、もっともっと日本国民は、自衛隊をきちんと育て、現実的な、あまり「技術的冒険主義に走らない」適度の技術水準の戦闘機(当面現有のF2A/B支援戦闘機を更に増産するとか)などを採用して、着実に「適切な規模の戦闘力」を今後も整備しつつ、中国、露、韓国などからの不当な圧力を排除できる体制を維持すべきだ。
  ミサイルについても、無人偵察機についても、日本は自前での開発力があるはずで、中国軍から南西諸島を守るための兵器体系を更に開発し、現地展開していくべきだ。陸自と海自は、南西諸島防衛により本腰を入れて、それを主任務とすべきだろう。

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
「属国意識の源流を辿る」という興味深いブログ記事があります。いささかユダヤ陰謀論の偏りが見られますが、日本の支配層の属国意識はペリー来航以前からだったという内容には、唸らせられました。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/07/001298.html

 近代以前は対中従属心と対中軽蔑心に揺れており、江戸時代にもその傾向があったようです。こうなると、自己分裂症は治まりそうにありません。
 貴方や私がバルカンやインド・中東のようなマイナーな地域に関心を持ったのも、対米従属心が主流の日本の風潮への反発があるのかもしれません。もっとも、対米軽蔑心の反動で第三世界を異様に持ち上げるタイプもいます。インド・中東オタクにもその手合いはいるし、日本のインテリは常に何処かの国への従属心があるのやら。
mugi
2011/08/18 21:48
 mugiさん、
  この「るいネット」という怪しげなブログは、勝手に朝鮮民族の一部が日本を支配したのだとか、ロスチャイルドの指令とか、まるで怪しげな陰謀史観の塊ですね。(今宮城と同時にこの千葉でもかなり大きな揺れがあった)
  統一教会とか、朝鮮系の金で動かされている、または、中国の資金とか??ともかく、あまりにも荒唐無稽で、日本の支配階級が、そのように外国系のユダヤ資本とかに、系統だって長年牛耳られていたならば、もっと一貫した、分かり易い国策とかが示されていたでしょう。バカバカしすぎます!
  まあしかし、岸田氏の対米従属心、対米軽蔑心という理論も、もちろん人文系の荒っぽい意見の一つで、とても自然科学系とはいえませんが、それでも心理学者の意見ですから、それなりにまじめな議論とは思う。
  他方、「るい」の方はと言うと、本当に根拠が曖昧だし、こけおどしというか、何らかの新興宗教系の、でたらめ議論としか考えられません。イルミナーテとか、いろんなことを唱えたりしますよ。ブルでも、フリーメーソンが復活しているのですが、メーソンは、ユダヤ人資本が裏にあるという説もあるし、これこそイルミナーテ?とか、なんとか。訳が分かりませんね。
室長
2011/08/19 14:51
>すなわち、自己分裂症とは、おさらばすべき時期なのであろう。

これには全く同感です。
このような精神分裂症的な心理というのは、ロシアの西欧派VSスラヴ派など、他国にも見られるものですが、バブル期を過ぎ、「失われた十年」も過ぎた今こそ、真に安定した自我を創り上げるべきときなのでしょう。
「対米迎合主義と、対米敵愾心との二つの心理の間で揺れ動く国」というのは、マッチョになりたいという心理と、マッチョになれない弱くてふがいない自分を卑下する心理との間で揺れ動く男のようなものです。

http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnbuzz/20110816-OYT8T00460.htm?from=yoltop
japanification 世界が恐れる「日本化」

ちなみに英エコノミスト誌がこのような記事を載せて話題になりましたが、わたしは、日本という国は外国から酷評されているときにこそ、着実な近代化、精神の成熟を進めてきた国だと思っております。


>対米軽蔑心の反動で第三世界を異様に持ち上げるタイプもいます。

日本の地域研究者の悪癖ですね。
地域研究者にとって必要なのは、あくまで冷徹な目で現地の文化を観察すること。
自分の夢やコンプレックスを研究対象に「投影」してしまう者は、研究者の資格なしと言わざるをえません。
ミツカン
2011/08/19 21:50
こんばんは。

 仰るように「るいネット」は陰謀論をよく展開していますし、この手の話はネットで人気があり、かのブログはかなり人気サイトでもあります。バカバカしいといえ、私も含めバカ話を好む人も多いのです(汗)。
 
 ただ、ユダヤ資本ならずとも、支配層に同盟国はもちろん仮想敵国が接近し、操ろうとするのは何時の時代も同じではないでしょうか?陰謀史観は貴方が言われるように出鱈目かも知れません。しかし、英領インド時代、宗主国は現地のマハーラージャたちを操り、間接支配をしていたのは事実だし、オスマン帝国末期も支配層は列強に翻弄されました。

 岸田氏の著書は前に小滝透(中東専門のジャーナリスト)との『アメリカの正義病・イスラムの原理病 一神教の病理を読み解く』(春秋社 2002年)を立ち読みしたことがありますが、分析は甘く、ネットでも貶されていました。図書館に小滝透の著書も置いてありましたが、酷い内容で怪しげなジャーナリストだと思っています。
 どうも私は心理学者という人種に偏見があり、メディアに頻繁に登場する彼らを疑いの目で見てしまいます。何でも心理状態にこじ付け、分析する手法は如何なものかと。
mugi
2011/08/19 22:06
ミツカン様、コメントありがとう。
 まあ、マッチョになる本当の意志の方は、敗戦後の日本人にはほぼ皆無に見えます。その代替として、ソ連、中国の社会主義に傾倒して、嫌米感情を露わにしていたり、或いは高度成長で少し自信を付けると、米国の技術は大したことはないと見下したり、いろいろ姑息に対米自尊心をこっそり養ったりしていたように思う。
 エコノミスト誌記事に関する読売記事は、かなり面白い。中国の低賃金+デジタル技術面での躍進(韓国も)、相対的に日本が工業力で韓国、中国に市場を奪われていることが、バブル後の景気刺激策などが利かないという新しい経済段階を示しているように思う。
 つまり、英米も、最近は、単なる景気刺激策とか、財政出動では、いっこうに景気が回復しないという、日本式ジレンマに陥り始めた、といえると思う。
 小生は、要するに「先進国病」で、「新興国」に追い上げられ、市場を取られて、輸入過多の経済になると、国内景気の刺激策などは通用しなくなる(新興国からの安い製品の輸入が増えるだけ)、ということで、日本が一番先頭で、これを経験していると見ています。
室長
2011/08/20 10:23
mugiさん、
 陰謀史観で唯一正しかったのが、最近の「別冊正論」で、ようやく半世紀後に証明されたコミンテルンの工作による、「日本を中国大陸内での戦争へと、無理矢理引きずり込む、更には、対米戦争もさせる」という、スターリンが指令した「陰謀」が、毛沢東や、米国内のコミンテルン手先達を通じて、実現されたということでしょう。
 もちろん、アングロ・サクソンとして、英米両国が世界覇権を維持するために、色々やっている・・・というのは自明のことで、これはむしろ、普通の国際政治学でも研究しているはず。
 他方、許せないと思うのは、英米の支配層も実はユダヤ金融資本が牛耳っているだの、イルミナティだの、そういう連中が日本人の支配層にも手先を持って、日本を翻弄しているとか・・・そういう陰謀論が多いこと。
室長
2011/08/20 10:52
(続)
 もちろん、近年米国で、ユダヤ・イスラエル・ロビーが強くなっているとか、そういうことはある程度常識化しているし、関連書籍も出ているし、小生もそういう新書を読んでいる。
 また、インド史で、英国がどうした・・・と言う話も分かるけど、それ以外は・・・??そういえば、新島襄だったか、新渡戸稲造だったかも、フリーメーソン会員だったとか、どこかで読んで様な。でも、それ故何か怪しい動きをしたとも言えないような。メーソンも結構普段は社交界の一種という役割のような気がする。

 もっとも、岸田氏のこれまでの著作に、怪しげなものがあるということは、小生岸田氏を十分知らないから、興味深い話です。心理学、精神分析学に、どうも怪しげな気がするというのも、小生も同感。でも、この論文は、面白かったんですが、必ずしも信用できない人ということでしょうか。
 中国学でも、やはりあの国にのめり込む人はダメ学者になるようですし、やはり日本人として、主体的に、自我を形成していく方がまともというか。

 でも、日本人にしても、本当に信用して、信頼できる、真のエリートがいない・・・これも困ったことです。民主党の、菅直人の後釜狙いの党内の迷走も、やはり皆がこの人だという、本当の本命がいないからでしょう。どうして、こういう愚人同士が足を引っ張る嫌な国になったのだろう??
室長
2011/08/20 10:54

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