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zoom RSS ボリーソフ首相誕生3年前の米大公電(その二)

<<   作成日時 : 2011/08/21 09:25   >>

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  前回の続き、その二です。

9.ボの経歴:消防夫からバットマンへ
1959年6月13日Bankya町生まれで、このソフィア市近郊の町で育った。町では、若い頃に、小規模なギャングらと対決して、近所から、頼りになるタフ・ガイと呼ばれた。

  高卒後、内務省高級学校(大学レベル)に入学し、1982年に卒業、消防用器具、消防安全につき学位を取得。ボは、陸軍士官学校入学、或いは内務省学校のよりエリート学部(消防ではない)を志望したのだが、祖父が1950年代の人民裁判で処刑された、という家系の悪さを理由に、これらへの入学は拒否されたという。(注:共産主義時代、このようにあからさまに「家柄、家系」が、教育機関の選択、職業選択にまで影響を与えていたのだ。)
内務省学校卒業後は、(柔道、空手の)黒帯保持者として、全国空手チームのコーチとなった。その後は、ソフィア市警本部(県警本部に相当)で小隊指揮官、中隊指揮官となった。
1985−−90年ボは、内務省学校(大学)講師となり、「工作員の心理的、身体的訓練」につき博士号を取得した。

10.ビジネスマン
  自由化後、ボはビジネスマンとなった。警備会社を設立して、ブル国内でも有数の有力警備会社(会社の名前は日本語<一本>を取り、Ipon)とした。ちなみに、混乱期の当時、「私的警備会社」とは、一種の暴力団的な存在でもあった
  他方、1990年代、ボは一時元独裁者Todor Zhivkov(権力を失ってはいたが)の身辺護衛を務めたほか、その後元国王のシメオン・サックスコブルクがブルに私的来訪するときには、身辺護衛役に雇われるようにもなった。
  シメオンが、ブルに永住を決めて亡命先のスペインから帰国し、そして01年に首相に選出されると、シメオン首相は、ボを内務官房長職に任命した。ボは、この任命を受けて、この内務省制服組トップという地位を、ブルにおける法執行機関内の強力な役職へと強化した。
  ボは、この役職で、伝統的な法執行諸機関の他に、国境警察、税関、全国治安局(NSS:ネセセ、同局は防諜、及び対テロ予防を担当)なども管轄するようになった。

11.イメージ戦略に専念 
  内務省官房長(制服組)、という、本来影の役割のはずが、ボは自らをメディア・オーナー達とか、有力マスコミ関係者に、上手に(恥も外聞も気にせず)売り込み、彼らと強い絆を築きつつ、メディアを利用して、自らをハリウッド俳優のように描かせることに成功した。
  時折見せる、うつむいて熟考するスタイルから「バットマン」とも渾名されるようにしたし、黒のデザイナー・ブランド・スーツ(アルマーニ)を身にまとい、更には、警察の逮捕現場にしばしば自ら突然登場する(しかもメディアを引き連れて)などのパーフォーマンスを繰り返して、国民的人気を博した。要するに、メディアを自己PRの手段として活用しつつ、老若男女全てに受けるキャラクターとして、自らのイメージを確立していったのだ。

 記者達が、こっそり述べるところによれば、ボは、記者達が好ましい報道をしてくれると現金を支払うが、反対にボをネガティブに報道すると、脅迫されるという。
  (注:記者が取材対象者から現金報酬を受け取るなどは、ジャーナリズム倫理の発達した先進国ではあり得ないことだが、記者といえども低給与のブルでは、このような裏報酬を受け取ることは、さほど例外的なことではない。社主、新聞編集部自体が、一定のマフィアのコントロールを受けている、との疑惑も根強い。)
  要するに、ボが内務官房長任期を通じて、「国民的シェリフ」として囃された割には、123件もの犯罪者同士の暗殺事件が起きたし、主要な組織犯罪ボスの誰も逮捕されなかったのだ。

  ボのために、付言すべきは、ボは米国の法執行機関、及び諜報機関との協力関係という面では、全く新しい分野にまでそれを推進した。そして、多くの麻薬取引犯逮捕、偽金造り(偽造紙幣)犯人逮捕、人身売買犯逮捕、などを推進したことも確かだ。
もっとも、これらの米国治安サービスとの絆、或いは西欧治安サービスとの提携に関しては、しばしばこれらを自らの欧米治安筋との緊密な提携として、自らのイメージアップに使用する、という態度が見られた。

他方で、ボがこっそり、しかし定期的に露大使館代表らと会談していることに関しては、ほとんど報道されていない。
   (小生注:親米政治家を気取って、米国の治安機関に対しても、積極的に支援するが、他方では、こっそり露大使館とも話しを通じているし、Lukoil社とも深く提携している・・・・つまり露からの金をしっかり受領している、と思われる。
  そもそも、ボが内縁の妻に商業銀行頭取をやらせ得るほどの金力を築いたとき、単に暴力団的収益<警備会社>だけではこれは不可能で、例え一時的にせよ、露資本からの巨額裏融資を得て、銀行株を買収したと考えるべきだろう。米国は、このような金を出さないから、その意味では頼りにならないのだ。
  ちなみに、露政府も、露オリガーキーも、露マフィアも、ブルの旧体制側・・・すなわちブル内務省士官=ボリーソフとか、DS<秘密警察>系の元士官=銀行家Emil Kyulevがそうだった、などの「力の省庁」系人物をパートナーとして好む傾向が指摘できる。不自由な共産主義社会で、唯一「自由らしきもの」を保持していたのは、警察、秘密警察という取り締まり側の人々だったから、行動力、発想力が豊かなのだろう。ちなみに、ボは外国語が苦手ではあるが、共産党時代にロシア語は必須科目だったから、ロシア人とは露語で問題なく会話できるはずだ。
  そう言えば、ボのビジネスマンとしての初期の事務所は、ロシア大使館真ん前のPark Hotel内に置かれていたのだ!!)


12.ボの言動 
  米大使との密談の折には、ボは、自らを「熱烈な反共主義者」として描こうとする。ボの言うコムニストの用語の中には、現在の社会党(BSP)までも含んでいる。よくボが語るエピソードは、祖父がコムニスト達の手で死刑に処せられたこと。また、「古いコムニスト家系(トップクラスのノメンクラトゥーラ)」に所属するスタニーシェフ首相、ヴェルチェフ検事総長、ピリンスキー国会議長など(注:全て06年当時の官職)が、未だに主要な役割を演じていることにも、強い反感を表明する。
  (小生注:要するに、ボは、米大からの承認が現在のブル政権維持には必要不可欠な要件、ということを了解しており、媚米的態度は意識的に取るようにしているのだ。そう言えば、ボは米国に自分を売り込むため訪米しようとして、なかなか査証を得られなかったし、訪米中も米国要人との会談を許されなかった、という苦い経験もしている。)

   ボは街頭でのメディアへのコメントなどでは、賢明さを発揮するが、基本的には、政治的に幼稚なところがある。例えば、ボが色々対米協力している代償として、自分を米国が直接的に支持すべきだ、などと「青い」ことを言う。(注:露と違い、米国は直接裏金を支給したりして、現地政治家を支援すると言うことなどは、まずあり得ない、と言う意味であろう。そういう風に「裏での米国との結託」が明らかとなれば、親露的世論も根強いブルでは、政治家としてマイナスともなりうる。)
  ともかく、エネルギッシュではあるが、注意の範囲が狭く、時にはまるで、檻の中の虎に見える。特に、公的、或いは私的な批判を受けると激怒し、堪え性が足りない。

13.暗い側面
  過去におけるボに対する攻撃ネタとしては、次が知られている:
@石油製品を横流ししたスキャンダル、
ALukoil社と組んでの非合法取引(上記@同様、燃料の密売か?)、
B合成麻薬取引への関与。

SIMO(注:検索でもヒットしない不明な機関、組織名。米国の機関であろう)からの情報によれば、ボが上記のような汚いビジネスに関与していたらしいことには、証拠があるらしい。
内務官房長としての役職も、色々な犯罪的取引を隠匿するためにも利用したという。また、ボの内縁の妻Tsvetelina Borislavovaは、ブルの大銀行の一つの頭取で、ブルの犯罪組織のために資金洗浄してやっているとも、また、ボ自身の非合法取引の資金洗浄もしてやっている、とも言われている。
    (注:ツヴェテリーナは、父親が社会主義時代に駐ルーマニア大使だった外交官家族出身の、ある意味「良家の子女」で、上品な人だが、他方では既に紹介したIliya Pavlovの妻ダリナと同じで、「極道の妻」でもあると言える。小生も直接会ったことがあるが、上品、繊細、と言う印象で、「極妻」的な凄みは一切感じなかった。) 

 ボ自身として、影響力のあるマフィア・ボス達、例えばMladen Mihalev(渾名はMadzho)、Rumen Nikolov(Pasha)との間に、ビジネス上の提携関係がある、と噂されている。
   (小生注:Pashata<ブル語の後置定冠詞-taは英語のtheという前置定冠詞に相当する。渾名などの一部固有名詞では、本当はtaまでを含みそう呼ばれているのだから、taも記述する方が正しいと思う>は、元来警備業、燃料業などの分野で、ボと3つの会社の共同経営者として登記されている人物。SIK組親分の一人。
  Madzhoに関しては、「SIK組親分の一人。第一東方国際銀行オーナーで、同銀行に表の顔のオフィスがある」と小生の昔(04年頃)のメモにある。7月7日付当ブログの記事「ブルの銀行業に関する米大公電」で次のように説明した:「BInternational Asset Bank (元 First East International Bank):暴力団SIK組系の銀行として有名。Margini兄弟(SIK組系大親分として有名)がオーナー」。すなわち、Madzhoがオーナーであった第一東方銀行は、現在もSIK組銀行として知られ、他方で、SIK組のMadzhoより上の大親分Margini兄弟が今はオーナーとなっているらしい。
  何れにせよ、ボのパートナーであった暴力団親分達はSIK組系の親分達で、従来からボ自身もSIK組系と見られている。)

14.露系資本との関係
  ボは、金融面、及び政治的絆の面でも、Lukoil Bulgaria社社長のValentin Zlatev氏との関係が強い。Zlatev氏は、極めて強力なキングメーカー、または、影の権力者と見られている。
  (小生注:ブル紙では、Zlatev支社長は、ブル政府「後部座席の支配者」と形容されている。
  当ブログで、7月31日付で、「エネルギーを巡るブルとロシアの対決」という記事を書いたが、その後、Lukoil社側は裁判所に提訴して、暫定的に精油所の操業再開認可<免許停止処分の一時解除>を確保しているし、要するに国内唯一の精油所閉鎖と危惧された、ブルにおける夏の観光シーズンにおける燃料不足、という事態は回避されている。
  結局は、スタニーシェフ元首相が当初から「対決ショーにすぎない」と皮肉ったように、ボの影の支援者であるZlatevとの対決は、ショーであった可能性も大きくなっている。なにしろ、ボ自身の世論調査での支持率は、対決ショー後に数%回復したし、燃料危機も生じていないのだ。
  もっとも、Zlatev支社長は、スタニーシェフ元首相のBSP党にとっても、財務的に大きな支持基盤であったとされる。L社の立場から言えば、常に政権与党と提携するのは当たり前だ。)


  ボのZlatevに対する忠誠心(同時に弱点ともなりうる)は、ボの政治決断において主要な要素でもある。ボは市長となって以来、L社との間に幾つもの私的・公的提携関係を締結している。例えば、ソフィア市の道路補修用に、L社はアスファルトを寄付したし、ソフィア大学前の、ソ連軍記念碑の保全費用も請け負っているし、低所得層向け住宅建設用にも金融面で面倒を見ているのだ。
  上記に対する代償として、ボは、L社新GS店開店用に、市有の土地を提供したりしている。これも、ある意味相当な物々交換に見えるが、ボのL社との公的取引関係は、実はボが裏取引している、より深く、広いZlatevとのビジネス関係(当大使館から他の機会に既に報告済みだ)の、ほんの部分的取引に過ぎないと言われる。

15.コメント:対米関係への影響 
  ボは、限りなく大きい政治的野望を持つ、予測不能な人物で、しかも明らかに、ブル政界における明るい将来性を有している。
恐らく本人が主張するように、現政権(スタニーシェフ政権)を崩壊させる能力を有している。もっとも、現連立政権内にも、同盟者を保有しているらしい。
  ともかく、現時点(06.05.05)では、07年正月のブルのEU正式加盟以前に、ボが大きく動くことはあり得ない。
  ボは、米国との緊密な関係を力強く支持しているし、米国のブルへの幾つかの利害を推進してくれる地位にもある。
  ボが発する明白な、ナショナリスト側票田へのアピールの姿勢は、時折は米国の政策と矛盾する虞がある。もっとも、これは同時に、より広範な市民に対し、米国のポジティヴなイメージを推進するための機会を作ってくれるもの、とも言える。

16.ボの弱点  
  ボのエゴイスチックな性格は、同人を操るときの良きテコを提供してくれる。ボは、自分に対する国際的な注目を希求している。特に米国からの承認・支持を欲している。
  我々は今後も、細い糸の上を歩くように、慎重に対処していくしかないだろう:ボのPRマシーンに利用されてはよくないし、他方で、国民的人気がものすごい、かつ、少なくとも表向きは親米的な人物−−しかも、恐らく次の首相になる可能性がある政治家を疎外してもよくない。
  別の言葉で言えば、我々は今後も、ボを正しい方向に押し続けねばならないし、他方では、我々がどういう人物(注:組織犯罪社会に半分身を置いている人間、との意味)と取引しているのかも、決して忘れてはならないのだ。
     Beyrle
                       (了)

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内 容 ニックネーム/日時
 現ブルガリア首相ボリーソフ、かなりアクの強い政治家ですね。「アルマーニに身を包むタフ・ガイ」という米国の批評がぴったり当てはまる。自由化後だからこそ、このような人物が台頭したのやら。元から自己主張の激しいブルでは、このタイプは珍しくない?
 確かボリーソフはブルの政治家には珍しく、母国語しか話せなかったのですよね?経歴を見れば、それも無理はないと思いました。祖父が人民裁判で処刑されれば、エリート学部への入学も認められないという共産主義時代のシステム自体、スゴイ階級制を物語っている。

「記者が取材対象者から現金報酬を受け取るなどは、ジャーナリズム倫理の発達した先進国ではあり得ないことだが…」と貴方は書かれています。申し訳ありませんが、この点に私はいささか懐疑的です。英国の有名な大衆紙が取材で盗聴まで行っていた事件もあり、日本の記者もどうなのか…と疑りたくなります
 私の母は若い頃、役場に勤めておりましたが、デカい顔をしてよく職場に来たのが河北新報の記者だったとか。役場所長も新聞に悪く書かれないため、記者には丁重にもてなしていたそうです。新聞記者とはタカる職業、と母は話していました。
mugi
2011/08/23 22:02
 共産主義時代の末期、要人警護部(UBOウーボ)所属の運転手とか、税関の若い労働者とか、一部の若者達が、秘密の連帯組織(これも一種のマフィア)を結成して、人脈で色々非合法な活動を行い、私的に利益をむさぼるようになっていきました。彼らは、DS(秘密警察)の若手なども巻き込み、老人の共産党エスタブリッシュメント達からは独立して、利益を追求する集団となっている、と感じることがありました。
 要するに、特権階級の下で、直接いわば下働きさせられ、いつも老人達の気まぐれに会わせて、早朝から夜遅くまで、家庭生活無視で働かせられるけど、その「特権階級人士」直属という身分故に、自分たちも、法律の枠をある程度無視して、勝手に動ける人々です。
 ボリーソフらの若手警官(消防畑)は、また、内務省内の若手士官として、柔道場、空手道場などで、個人として強さを証明し合い、道場仲間と徒党を組み、友情を確認しあって、マフィアの道を進んだ。秘密警察の若手士官だったEmil Kyulevは、外貨の闇交換などから、金融業への道を進んだ。
 Iliya Pavlovは、ジフコフ家とも親交を結んでいた、シリア・クルド人マフィアShaban家(中東湾岸諸国などに合成麻薬と武器を密輸出していた)の子息Fatikと、子供時代から兄弟のように育ち、自由化後は、FatikとIliyaは、共に自動車窃盗マフィア(イタリア・マフィアの手下として、仏、独などの町から、高級車を盗み、ブルにまで運んでくる。他に、ブル国内でも高級車を窃盗)として、混乱期の最初に富を築いた。
 やがて、Fatikは、グルジア・マフィアとも連携したけど、やがて暗殺された。Iliyaは、MG財閥を築いたけど、03年3月に消された。
 ロシア・イスラエル・マフィアと提携して大きく飛躍したKyulevは、05年10月暗殺された。
室長
2011/08/24 16:47
(続)
 Boyko Borisovは、内務省警官(とはいえ、消防夫という素濃いマイナーな部門からスタート)として、筋肉系マフィアの道を歩み、警備業という裏は暴力団の企業として、成功させ、しかも、旧体制独裁者のジフコフの護衛とか、シメオンの護衛などを請け負って、自由化後にメディアの前で、メルセデスのジープに乗り、坊主頭、アルマーニの背広、など格好良いファッションでもメディアの印象を引きつけた。
 その後も、自己宣伝に努め、分かり易いマッチョ系の「ワン・フレーズ」コメントで、益々マッチョ系としてイメージを上げていった。
 内務省官房長として、内相とは対立して、文民系大臣などはすっ飛ばして、シメオン首相に食い込んだけど、シメオンからはやり過ぎと冷たくされ、そこで一念発起して、シメオン政権後には、独自の道を歩み、政党を立ち上げ、総選挙でBSP党を下し、NDSV党(シメオンの政党)も下し、政権を自ら勝ち取った!ともかく、やると決めたらやり抜く、その決断力、意志の強さは凄いモノです。
 もっとも、やはりマフィア的感覚だから、裏の金をロシア人達からもらってもいるし、メディア対策が上手だけど、本当の本音として、まともな政治が出来るのか??との疑問があった。ところが、これまでのところ、意外に何とか政権も担当、運営してきている。下手なぼろは、これまでのところ出していない。そういう意味では、凄い人とも言える。
 まあ、内縁の奥様は、上品で、出しゃばらない、賢婦と見えたし、小生もただのまやかしのマッチョ・マフィアとも言えない気がする。不思議な英雄というか!??
室長
2011/08/24 17:02
(続)
 Fatik Shabanに関して、少し追記します。同人は、Iliya Pavlovと義兄弟のように育ったこともあり、ブル市民としてはFilip Pavlov Naydenovと名乗っった。これは、Iliya Pavlov Naydenovという、義兄弟Iliyaの父姓、姓をもらったもので、それほどIliyaと仲が良かったのだ。
 Fatikの父親は、Ismet Rashid Tyurkmen Shabanといい、1941/04/01シリアのHomos町生まれのクルド人で、キリスト教徒だった。Fatikは、63年にイスタンブールで生まれたが、60年代半ば、一家でブルに亡命した。
 Fatik自身は、Iliyaが殺害された03年の8月(すなわち5ヶ月後)に、やはり殺害された。
 03年におけるIliya 、Fatikの相次ぐ暗殺事件は、混乱期の第1期に活躍した、大物マフィア達が退場し、第2期マフィア達に席を譲る時期となったことを象徴する動きと見られた。
 ともかく、小生としては、こういう風に、普通のマフィア達は、富の絶頂とかで殺害されて消えるのに、ボリーソフは、生き残り、国家を指導する首相にまで上っている・・・・のが、実に不思議です。
 まだまだボには、メディアなどが理解していない、良いところとか、単に利益のために生きているのではない、立派なところとかもあるのかも知れません。
 なお、ダリナ(イリヤの極妻)が、英語、イタリア語などもぺらぺららしいのに比して、ボリーソフは露語以外は苦手らしくて、多言語を平気でこなすバルカン人としては、異例です。これも、庶民受けする筋肉系の特徴かも。
室長
2011/08/24 17:24

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ボリーソフ首相誕生3年前の米大公電(その二) ブルガリア研究室/BIGLOBEウェブリブログ
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