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zoom RSS 読書感想:『マオ 誰も知らなかった毛沢東』

<<   作成日時 : 2012/05/03 16:30   >>

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  さて、ようやく今日、『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(講談社、05年11月第1刷)の下巻を読み終えた。
 このGWのさなかに、家に閉じこもって読書にふけるなどは、引退後の老人の一種の特権かも知れない。とはいえ、この毛沢東という人物の詳細な伝記を、驚くべき精力と情熱を傾けて書ききった著者ユン・チアン女史の、素晴らしい労作を前に、遅読な小生が最後の300ページほどを3日程度で読み終えたことは、奇跡に近い。他方で、この陰鬱で、不愉快きわまりない老年の毛沢東に関して読み進めることは、いかにも多くの苦痛を伴った、というのも正直なところだ。
 「特権」などと喜んでいたと言うよりは、チアン女史の筆力(或いは訳者の土屋京子女史の筆力?)と、毛沢東のあまりに異様な性格に、圧倒されて、本を放り出す気力もなく、ただただ読み終えたい、という「完結」への衝動にかれれて、嫌々読んでいた、という気がする。

 上記のような感想を読まされても、読者の皆様には、ちんぷんかんぷんとも思えるが、そう言えば、小生のこのブログで、以前(2年前)「朱元璋と毛沢東」という記事(
http://79909040.at.webry.info/201004/article_3.html)を書きました。そこで、朱元璋と毛沢東の近似性についてご紹介したのですが、この記事を読んでいただければ、少しは理解が早いと思います。
 また、既にwikiでも、詳細なこのユン・チアン夫妻の著書に関する紹介記事もあるので、ご参照下さい:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AA_%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1 。

1.民生向上に全く無関心
 独裁者が権力を死ぬまで維持することと保身に最大限の目標を置き、民衆の生活改善を優先課題と考えず、娯楽・文化も市民に必要な要素とか、そういう常識的な配慮もなく、自己中心的な保身と権力に執心して、秘密警察を多用し、重臣(党幹部)の行政能力にはすぐに嫉妬ばかりして、しょっちゅう彼ら幹部に攻撃を仕掛けるなど、全てが自分のみの保身と権力にしか関心がない、とすれば、その国の民は限りなく不幸になる・・・・というのが、実はこの本の主題であり、結論です。

 小生のように、ブルガリアという、ソ連式社会主義の研究に半生を捧げた人間にとっては、この本に書かれたことを真実であると理解する能力はあるけれど、共産主義の独裁者の心の中に、僅かながらでも「資本主義国よりも豊かで、平等で、より素晴らしい社会を築く」という理想主義のかけらも心の中になかった、ということを確認することは、驚きと失望以外に言葉がない。
 毛沢東という、この本の読後感想から言って、下劣きわまりない人物が、あの巨大な中国を30年にわたり支配した、何億という国民を意図的に苦難の中に陥れた、というのは、本当に驚くべき事実です。

2.ソ連から軍事技術、核兵器技術を取得するため、食糧を飢餓輸出して、国内では7000万人を餓死させた男
 毛沢東は、中国共産党内部で権力を極めるために、長征時にも、紅軍の自分に対立する部隊を指揮する司令官にわざと危険なルートを辿らせ、(計画通り)国民党軍に攻撃させて、これら部隊を壊滅状態に追い込んだりと、あらゆる手練手管を使って、自分が共産党組織内で最高の地位を獲得すること、これを維持すること、に生涯腐心します。

更には、内戦時には、国民党軍に送り込んだ共産党シンパ(スリーパー)の司令官に、わざとその部隊を紅軍が待ち受けるルートに導かせ、これら国民党部隊を殲滅します。この手法は、長征時に自分の同僚達をわざと危険なルートに向かわせたのと全く同じ(逆転の発想ではあるけど)手法で、人道主義とは真逆の、人命に対する全くの軽視とも言えます。何度も同じようなこと(待ち伏せに遭い、部隊が全滅する)が起きたのに、蒋介石は、部下の将軍達を信じ、彼ら司令官らが共産党のスパイだという疑念を持たなかった、というから、おめでたい。

 小生が一番許せないと思ったのは、自国国民の生命に関する軽視、無関心です。スターリンから軍事産業のための工場、設備、技術、図面を貰うためには、自国農民が食べるものがなくなろうと意に介さずに、食糧(豚肉、穀物)を大量にソ連に向けて輸出しました。フルシチョフ時代になっても、同じで、食糧の飢餓輸出で、中国を超大国にするという「超大国計画」のために、ソ連から工場設備、核兵器製造設備、航空機工業用設備、などを輸入しました。巨額の輸入代金を節約しようという意識もなく、ほとんど何らの値引き交渉もしません。国民の生活苦とか、餓死などの窮状を全て自らの独自諜報網を通じて、細かく知っていながら、また、劉少奇などの幹部党員が国民の苦難を心配して、全員反対しても、これらを却下して、断固兵器生産基盤の整備に的を絞って強行します。

 また、従来の幹部層人材の「ほとんど全員が、劉少奇に味方して、毛沢東の超大国化計画に反対した」事を根に持って、彼ら統治機構の大半を占めた幹部層を逆恨みし、彼らへの「報復のために」発動し、経済、社会、文化を全てボロボロにまで破壊したのが、「文化大革命」であるという。しかも、この文化革命を上から詳細に、器用に指導させたのが、周恩来だという。
 あの周恩来が、毛沢東の命令に一切反抗できないイエスマンで、汚れ役(毛沢東作成のリストに基づく殺害命令などを含む)を、持ち前の几帳面さで、細かく全国規模で指導、監督していた、というから、これまでの周恩来のイメージがぶっ飛んでしまった。周恩来は、何度も何度も毛沢東によって、自己批判させられ、恐怖感を植え付けられ、洗脳されて、毛の命令に関しては、抵抗せずに動く、全くのロボット的人間となっていたという。
(注:そういえば、日本の極左集団でも、浅間山荘事件などで、小集団内で、何度も権力闘争が起き、しょっちゅう「総括」という名の、集団つるし上げが、隠れ家の中で繰り返されて、「粛清」という名の殺人事件が頻発していたことが、その後の新聞記事で明らかとなり、国民にショックを与えた。極左組織では、中国式の「つるし上げ、批判集会」で、幹部の一部を排除、粛清する、というのが普通のことらしい。周恩来の才能を妬んだ毛沢東は、何度も何度も、周恩来に「攻撃を仕掛け」、その度に自己批判の反省文を書かせ、徹底的に自分への隷従、奴隷根性を叩き込んで、終生周恩来を利用し尽くした、というのがこの本の結論だ。)

 要するに毛沢東にとっては、世界征服して、自らが世界の帝王となる、という野心が、一番重要だったといいます。外国要人との会談でも「米ソともに、核戦争で自国民が死ぬことを怖れているが、中国は世界一の人口を抱えているから、例え国民の半分が核戦争の結果死に絶えても、何の問題でもない。だから、核戦争に生き残れるのは中国だけだし、核戦争を躊躇する理由もないから、世界一の強国となれる」との理論を披瀝したそうです。
 そのくせ、自分自身のみの安全確保にはうるさく、滅多に使用しない全国各地の別荘とかも、万一の反乱部隊からの大砲での攻撃にも耐えうるような、防弾仕様の無粋なものだったほか、北京近郊の中央作戦司令室などは、核攻撃に耐えうる防空壕のような地下建物を多額の費用で整備させていた。つまり核戦争でも生き残れる、というのは、一般庶民の犠牲はいとわない、という身勝手なもので、自分自身の安全は、何が何でも確保しているのです。呆れた自己中心主義です。

3.自分の生存期間中には、ハイテク兵器製造には成功しなかった
 毛沢東政権が、旧ソ連圏・旧東欧とも異なる異様なところは、上記のように、国民生活の破綻、農村部での飢餓的状況を一切考慮することなく、全ての国家投資を軍事生産基盤構築につぎ込んだにもかかわらず、中国の低レベルな工業技術水準は、なかなか向上せず、原爆製造の成功(フルシチョフが送り込んだソ連科学者・技術者の支援のおかげ)を除けば、ミサイル、戦闘機、航空機などは、ほとんどが試験飛行段階で全て失敗ばかりで、何らの成果も得られそうになかった、という。

 要するに、最近の中国軍事力の整備、兵器品質などの向上、ハイテク兵器製造面での成果、などは、全て毛沢東が1976年に死亡して以降の、ケ小平時代における「黒猫でも、白猫でも成果を上げる者が偉い」という時代を経て、かつまた、科学技術発展、産業基盤、技術基盤をかさ上げするための外貨が潤沢となって以降の、ほんの最近の成果なのだ。毛沢東のように、自分の野望実現を急いで、民の欲望は全て封印させて、全てを「超大国化計画に投資する」などという、拙速なやり方は、余りにも無謀だったのだ。

 ケ小平のように、良識と常識を備えた政治家が、「急がば回れ」式に、まず経済制度を立て直し(民営企業の容認)、国民の生活水準を向上させるため、人民公社は解散し、家族制自主農業を承認し、工業部門の中でも、消費物資生産などにも投資を回し、民生に配慮し・・・・つまり普通の国の水準をまず取り戻してから、軍需生産などの、重工業にも徐々に投資資金を増やしていく、というやり方で、相当な年月(1977年から2005年としてみれば、やはり30年弱の年月が必要だった)をかけたので、今ようやく軍需生産部門も、技術水準が向上し、上手くいくようになってきたのだ。

4.毛沢東統治の「失われた30年間」
そう言えば、30年という数字は、現代中国を説明する鍵となるかも知れない。1949年、4年間に及ぶ国共内戦を経て中華人民共和国が成立したばかりなのに、早くも毛沢東はスターリンから、軍事技術への支援を引き出すことに目標を定めて、金日成が望んだ南北統一のための朝鮮戦争開始(1950年)に賛成し、大軍を朝鮮半島に派遣する決意をしたという。40万〜100万人という多くの犠牲者を出しながらも、その大軍の軍人の多くを、旧国民党軍軍人で賄ったり、この戦争のために必要だからと主張して、スターリンから軍需工場をせびったり・・・・全ては、軍事大国となることが目的だったのだ。このような、邪な思惑しかない人物が、全ての政策を、軍事大国化計画に従属させたから、1949年〜1976年の毛沢東死亡までの約30年間は、中国国民が、日々塗炭の生活苦に喘ぐ事となったのだ。

 日本では、バブル崩壊後の「失われた20年」というような言葉があるが、1990年にバブルが崩壊した後も、多くの国民が飢えることも、生活苦に喘ぐことも、さほど無かった。単にそれまでの、高度経済成長路線が頓挫し、新興国による追い上げ(低賃金、低価格路線)に日本の経済界が満足に対応できず、世界市場でのシェアがどんどん先細りした、という程度のことだ。国民が、自らの父親を非難させられたり、教師や上司を集会でつるし上げて迫害したり、学生が下放されて、農村で数年間も肉体労働に従事させられ、インテリへの道を拒まれたり、というような、悲惨な経験は味わっていない。

 いや、毛沢東時代の中国国民は、世界中を見渡しても、これほど不幸な市民はほとんど見付からないだろうと思えるほど、どうしようもなく哀れだ。雑草と泥で作った饅頭を食べて空腹を誤魔化したり、このような雑草と泥しか食べられない生活で体が痩せ衰えて、免役抵抗力もなくして、ばたばたと民衆が飢え死にしていったのだ。最近の北朝鮮でも、このような事例があるというが、食に拘る中国人の国としては、あってはならない暴政だった。「日本軍の侵略時代ですら、もっと民の生活は豊かで、安定したものだった」というから、毛沢東時代の悲惨さは、呆れるしかない。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。

 ついに貴方も『マオ』を読まれましたか!私も以前読み、記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/8282bef96dd7aec7ad8cd1a2f8daa8a9
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/dc62d1ebf17227986aaa09305b395d64

 貴方も記事で書かれたように、私もこの本であの周恩来のイメージが根底から覆されました。日本の田中元首相が周恩来はマオのロボット同然と見抜いていたそうですが、未だに良心的な周恩来のイメージが流布していますよね。とにかくマオのような極悪人は、中国史上でも稀と思いました。

 左翼運動をしたことのある人気ブロガーさんから、興味深いコメントを頂いたことがあります。やはり日本の極左運動には在日中国人の組織が背後にいたようです。
「1970年ごろでしたか、華青闘という在日中国人の組織から告発された極左の各派は、革マル派を除いて全面的に屈服しました。「私たちは抑圧民族です。日本人であること自体が抑圧者です」と自己批判しました…」
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/0ade2a90eef23422252bb5788ae5684d#comment-list
mugi
2012/05/04 22:07
mugiさん、こんばんは、
 あなたが既に『マオ』を読了済みなのは、いつかのコメントで知っていたのですが、上記のご紹介のおかげで、そのブログ記事を拝見できました。小生は、上巻は昨年中に読了し、下巻も買ってあったのですが、本格的に下巻を読み始めたのは最近です。
 確かに、下巻で小生も驚いたのは、ニクソン、キッシンジャー両名が、全く内政的配慮でしか対中外交を見ておらず、中国側には何ら厳しい交渉態度を取っていない、甘すぎて、言いたい放題に言われている、と言うこと。その米国が、中国を担ぎ始めたのを見て、仰天して、対中叩頭外交に走ったのが、田中角栄と園田外相です。園田外相などは、周恩来の手を握って、「もうそれ以上何も言わないでくれーー」と抱きついて、涙入りの浪花節で友好関係を築いた(?)、と自慢していたのだから、バカげている(言葉できちんと相互の立場を確認し合うのが本当の外交で、「何もいわんでくれ」と言って、話を打ち切っても意味はないのです)。トウ小平相手には、有名なトウ小平の痰壺に、自らも近寄って、ぺーーっと痰を吐く真似をして、「友情を演出した」というのですから、園田外交というのは、意味が分からない。しかし、本当に、そういって日本に帰国後報告し、語っていたのを覚えています。日中関係には、いろんなことがあったけど、同文同食(漢字と米食)だから、言葉が無くとも分かり合える、友達になれる、と言うことを園田は言いたかったらしい。相手には、ちんぷんかんぷんの不可思議な男としか移らなかったでしょう!
 キッシンジャーの交渉の仕方も、海千山千のユダヤ人という感じでは全くないです。中国に関する勉強が足らなかった。まあ、結果的には、ソ連に対し、米中結託を臭わせ、心理的に追い込むという効果はあっただろうけど。
室長
2012/05/05 22:59
 園田外相の振る舞いには愕然とさせられました。『マオ』にはもちろん描かれておりませんが、同文同食(漢字と米食)だから、言葉が無くとも分かり合える、と本気で思っていたのならば、度し難いバカヤローですね。こんな者が日本の外相とは言葉もありません。ブロガーにも未だにそのような戯言を述べている者を見かけるし、拙ブログにもその類がコメントしてきたことがあります。

 ハンドルネームをコロコロ変えてコメントする類は珍しくないし、「同じ宗教、文化を共有するアジア圏」と戯言を言っていた件のコメンターもその1人でした。いくらハンドルを変えても文体から大体検討はつきます。ただ、無名の庶民と外相では立場が違いすぎる!庶民がこのレベルだから、外相も五十歩百歩なのかも。

 私もキッシンジャーの交渉の甘さには驚きました。中国に関しては彼も素人同然だったということでしょう。ユダヤ知識人の多くは基本的に親中反日傾向だとか。少し前に読んだ本によれば、イラン革命政府もどうやら中共の友好演出外交にやられたらしく、自費で「中波友誼」記念碑を建てたことが載っていました。
mugi
2012/05/06 15:24
こんにちは、
 園田直という人は、確か熊本県の国会議員だった人。その夫人が園田天光光(てんこうこう)という、同じく元代議士。この園田夫人は、ブルガリア菌(ヨーグルトのブル産乳酸菌)を、明治乳業より先にブル大使館から入手して、日本の偉いさん方の夫人らに、この乳酸菌を増殖して、分け与えて、ブルガリアの宣伝に努めたとか言って、これを自慢として、日ブル友好協会会長となっていた(或いは今でも会長か?)人物です。
 wikiにも、園田天光光で記事を読めます。
 まあ、日本の政治家というのも、不思議な人種で、くだらないことで演説をぶちたがり、威張る!聞いている方は、それがなーーんだ??という感じです。
 特に上記の、対中外交の「裏話」などは、バカげていて、呆れるしかなかった。もっとも、本当の機密を漏らすよりは、こういう毒にも薬にもならない「外交秘話」なら、誰も迷惑しないという、長所はある。
室長
2012/05/06 17:27

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