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zoom RSS マリン・ライコフ選挙管理内閣が任命された

<<   作成日時 : 2013/03/13 20:59   >>

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  さて、ブルガリアにおいては、2月20日(水)にボリーソフGERB党内閣が総辞職し、その後大統領が表向きは憲法規定通り、院内主要会派に組閣要請したが、いずれも事前予告通り「拒否」して、結局大統領の権能として、選挙管理内閣が任命された。
  自由化後のブルでは、過去にも2回の選管内閣任命の先例があるが、今回の選管内閣が、うまく早期総選挙を成功裏に実施して、選挙後ただちに新内閣が組閣されうるかどうかに関しては、総選挙での中途半端な勝敗ぶりで、新内閣が組閣できない事態を予測する観測も多い。
  ともかく、5月12日の総選挙結果を待つしかない情勢となった。
  下記には、ライコフ選管内閣に関する情報、その他をご紹介する。

1.選管内閣名簿の発表
選挙管理内閣(実務者内閣)の名簿が、3月12日(火)大統領府から公表された(http://www.novinite.com/view_news.php?id=148615)が、13日(水)大統領は勅令を発出して、正式にMarin Raykovを首班とする選挙管理内閣を任命した(http://www.novinite.com/view_news.php?id=148637)。閣僚名簿は次の通り。
(1)選管内閣首班=首相
  Marin Raykov選管内閣首相兼外相(これまで駐仏大使)。

(2)選管内閣には、次の3名(女性)の副首相が置かれることとなった
  Ekaterina Zaharieva副首相兼地域開発相(同人はこれまで大統領府官房長、元地域開発次官と、Rosen Plevneliev大統領側近とも言える人物)、
  Deyana Kostadinova副首相兼労相(2011年6月〜2012年2月に労働次官
  Iliyana Tsanova副首相兼EU資金担当相(元欧州復興開発銀行職員)。

(3)その他の閣僚:13名
  Dragomir Yordanov法相(法務研修所所長、米国でも法律を勉強した経歴)、
  Prof.Ivan Stankov農相(SZ(Stara Zagora)市所在のトラキヤ大学学長)、
  Kalin Hristov蔵相(ブル中銀副総裁)、
  Christian Krastev(Hristiyan Krqstev)運輸相(元Wizz Air Bulgaria社CEO、今年1月16日運輸次官。同人の妻は、元Yambol県知事で現在は駐クロアチア大使)、
  Prof.Nikolay Miloshev教育相(ブル科学アカデミー副総裁)、
  Prof.Nikolay Petrov保健大臣(軍付属病院(ソフィア市)麻酔部長)、
  Petya Pqrvanova内相(現在彼女は、内務省の「EU及び国際協力局」局長)、
  Petqr Stoychevスポーツ大臣(著名な長距離水泳競技者)、
  Roman Vasilev電子政府大臣(新設の電子政府省を担当、Johnson Controls Electronics社元取締役、94--02年千代田化工建設に勤務)、
  Todor Tagarev国防相(防衛問題専門家)、
  Vladimir Penev文化大臣(人気TV番組「諜報員」で「良心的警官」として主役を演じている俳優)、
  Yulian Popov環境相(ジャーナリスト兼作家)。
  Asen Vasilev経済・エネルギー・観光大臣(Harvard大学卒、観光旅行関連サイトEverbeard社の共同創設者、企業戦略コンサルタント

2.大統領が記者会見して、暫定首相を紹介したhttp://www.novinite.com/view_news.php?id=148617
 12日、大統領は次のように、選管内閣任命の経緯を説明した:
  自由化後の政治危機に対応するため3回目の選管内閣を任命することとした。既に、前内閣、国会議員、国家安全保障会議などと何度も協議したが、国民の信用が崩壊しており、早期総選挙以外の道はないと悟った。

  自分は、憲法規定に忠実に行動する。明日3月13日に、この選管内閣を任命し、国会を3月15日に解散し、早期総選挙を5月12日に実施する。この選挙期日は、イースター休暇後の日曜日ということで選んだ。

  この選管内閣の組閣に当たり、自分は誰からの圧力も受けていない。選管内閣首相は、良き外交官で、他者の意見に耳を傾け、自分の意見を聞かせるすべを心得ている。また、合理的で、有能で、ブルの状況、地域の状況、欧州、世界の事情にも通じている。かつ、ブラッセルでブルの利益を守ることができる。

  上記演説後、大統領は、駐仏大使のMarin Raykovを選管内閣首相として紹介した。
  大統領は、副首相職に3名の若い女性を選んだと指摘した。また、全ての選管内閣閣僚たちは、自らの道を切り開いてきた、素晴らしい専門家たちであると褒めた。

  更に大統領は、ブル国は、初めて、電子政府担当大臣を持つこととなったと発表した。この役所は、ビジネスを推進し、汚職を減らすことにも役立つはずだ、と述べた。(注:電子政府は、プ大統領が執着してきた事業

  選管内閣の優先事項は、諸官庁に対する信用、透明性、市民統制を再建し、かつ、自由で、民主的な選挙を保証することだ、と述べた。
  選管内閣は、人々のために奉仕し、政治エリートたちに奉仕するものではない。総選挙を準備し、他方で、政治的ポストを求めて活動はしない。効率を追求し、独占業者と戦い、公共料金規制委員会(DKEVR)を改革して、効果的な規制の担当者とする。更には、電気代形成の全ての要素・要因を監査し、その結果を公表し、公正な市場価格を実現する。

  老齢年金は、計画通り、4月1日から引き上げる。また、選管内閣は、「EU資金の取り込みについて、空白期間を作ることはしない」。
  また、消費者が、配電業者を選択できることを可能とする制度としたい。エネルギー、環境問題を優先的に扱う公的評議会を設置することとしたい。
  中小企業を担当し、彼らに対する国家の借金を早く清算する(注:ブル政府は、中小企業に対する支払いを延期して、財政赤字を低く見せることがある)努力を担当する経済次官を任命する。
  市民には、選管内閣にチャンスを与えること、審判は、彼らの仕事ぶりを見守ってから、としてほしいと訴えた(街頭デモに訴えることは、当面控えてほしいということ)。

3.3回目の選管内閣:過去2回の選管内閣の歴史http://www.novinite.com/view_news.php?id=148611
  1989年年末に共産党政権が崩壊した後、自由化後のブルでは、既に2回の選挙管理内閣が形成された。
(1)初の女性首相による選管内閣
  第1回目は、Lyuben Berov内閣が崩壊後、Reneta Indzhovaが首相となって、1994年10月--1995年1月までの期間、選管内閣が運営された。Indzhova女史は、当時58歳で、民営化庁の長官だった(1992--94年)。彼女は、ブル史上最初の女性首相で、未だに、新たな女性首相は登場していない。彼女を任命したのは、Zhelyu Zhelev大統領だった。

(2)ソフィア市長として、政治家として、成熟期にあったSofiyanskiは、本格内閣に相当する実績を、たった3か月*で成し遂げ、やりすぎのため、次期本格政権のKostov首相から嫌われた
     (注*:選管内閣の任期は、基本的には総選挙実施までの2ヵ月ではあるが、実際には総選挙後の政権発足までには、連立交渉とか、組閣人事などに時間を要するので、総選挙後も1か月近く暫定内閣として留まることとなる。今回の場合、総選挙は7月7日の予定が、5月12日と、2か月弱早まっただけだから、GERB党にも底力が残っており、BSPも汚職の前例が多いから、決して市民が強く支持しているともいえない。結果として、勝敗がきちんとつかず、総選挙後にすんなり組閣が実現するかどうか危惧する見方が多い。つまり、もしかすると、このRaykov選管内閣は、もう一度早期国会解散、早期総選挙を繰り返す必要があるかもしれないと、観測されている。そうなると、この選管内閣は、下手すると半年ほども政権を担当することとなりかねない。)

  第2回目の選管内閣は、1997年1月の大規模な市民抗議により、Zhan Videnov内閣が崩壊した時に組閣された。抗議デモが巨大化したのは、Videnov・BSP政権の2年間の統治中に、政治的、経済的、金融的危機が深刻化したこと、特にハイパーインフレが生じて、国民生活が成り立たなくなったから。
  当時、ブル貨幣は1Lv=3000ドルという極端に低い交換レートへと後退し、パン、牛乳のような、基本的食品すらが、商店の棚から消え失せたのだ。一日の間に、商品価格が数回も書き換えられるほどの、ハイパーインフレだった。ブル人の平均所得は、月間10ドル程と推定され、年金生活者の収入は3--5ドル/月という悲惨なレベルに落ち込んだ。

  Videnov内閣は、1996年末に辞表を提出し退陣したが、政権与党のBSP党としては、Nikolay Dobrev(内相)を首班に指名して、新内閣を組閣し、政権担当を継続しようとした。この故に、国民の不満が爆発し、1997年1月10日、市民らが国会議事堂を取り囲み、早期総選挙実施を要求したのである。夜になると市民らは、国会議事堂に突入を試み、警官隊と衝突した。警官隊は、実力を行使して、多くの負傷者が発生した。

  警官隊の暴行は、BSP政権への抗議をエスカレートさせ、BSPとしては組閣をあきらめざるを得なくなってきていた。その上、SDS出身の右派系大統領(秋の選挙で当選していたが、まだ就任式前だった)のPetqr Stoyanovは、Dobrev内閣の閣僚名簿の受領を拒否したのである。Stoyanov大統領は、97年1月末に、就任式を終えた後、Stefan Sofiyanskiソフィア市長を選管内閣首相に任命した(1997年2月--5月)。

  このSDS系政治家Sofiyanskiの選管内閣は、非常時の中、「貨幣審査委員会」制度を採用し、新ブル貨幣を発行して、通貨の価値を復活させ(ドイツ・マルクとペグ制とした)、インフレを急速に終息させ、更には、国の将来への軌道として、NATO、EUへの加盟方針を決定し、交渉を促進するなど、短期間の選管内閣としては異例なほど、抜本的な改革を素早く断行し、華々しい活躍ぶりを見せて、次のIvan Kostov・SDS政権の誕生へと道筋を作った。
  しかし、やりすぎたため、Kostov新首相は激怒して、ソフィヤンスキが戻ったソフィア市と疎遠にふるまうなど、対立が生じ、結局Sofiyanskiは、自らSDS党を脱党して、新政党を立ち上げざるを得なくなった。その後ソ市長は、汚職裁判などで信用を無くし、結局政界から消えていった。

4.Marin Raykovの横顔http://www.novinite.com/view_news.php?id=148610
   Marin Raykovは、1960年12月17日、米国のワシントンDCに生まれた。父親はブル人外交官Rayko Nikolov。
   学歴:同人は、パリ、ソフィア、ベオグラードの高校で学び、1984年には、ブルのUNSS大学(当時は「カルル・マルクス経済大学」との名称)で国際関係学に関し学士号を取得した。

   職歴:1987年外務省に就職。
    1987--92年の期間、同人は外務省バルカン諸国担当部で勤務。
    1992--95年在ベオグラード大使館員。
    1995--97年、欧州評議会人権・人道・社会協力部門で、政治・社会問題専門家として勤務。
    1997--98年、欧州評議会ブルガリア代表部次長。
    1998--2001年、同人は外務次官(Ivan KostovのSDS党政権時)。
    2001--05年、駐仏大使兼ユネスコ常駐代表。
    05--08年、外務省の欧州外交部、戦略問題部で部長。
    09年7月、ボリーソフ内閣で、外務次官。
    2010--2013年3月まで、再度駐仏大使。

   他の経歴:New Bulgarian Universityで外交実務の元教授、ブルジャーナリスト連盟メンバー、国際法ブル協会メンバー。
   語学:仏語、英語、露語に堪能。
   家族:結婚しており、子供は2名。

   父親に関する情報:父親のRayko Nikolovもキャリア外交官で、1996年に仏Express Weekly誌が、「1953年にRayko Nikolovは、諜報局員として、当時仏で出世しつつあった政治家のCharles Hernuをソ連圏のスパイ(KGBスパイ)としてレクルートした」と報じた。因みに、1981--85年、Hernuは、フランソア・ミッテランの社会党政権で国防大臣として活躍した。仏の防諜部長(当時)は、その後、1992年にブルの諜報機関が、仏諜報部に対して、Charles Hernuが過去にソ連圏のスパイだった旨通報越したと確認した。(小生注:社会主義時代、多くの大物外交官たちも、KGB、或はDSの諜報員、乃至は協力者としても活躍していた例が多いということであろう。)

5.Wall Street Journal誌掲載記事(http://www.novinite.com/view_news.php?id=148635)
  Raykovは、政治家的な人物ではなく、これまで政治に直接関与したこともないが、他方で、行政部門がどのように機能するかを熟知しているので、安定をいかに保つかということには敏感に反応していけるだろうと、ソフィアのシンクタンクで部長のDaniel Smilov氏は評価している。

  ブルの実務者内閣登場は、社会福祉を削減し、経済が弱体化し、市民らの汚職に対する忍耐力の限界を超えた、欧州諸国(旧東欧)における一連の流れの中の一つと言える。
  ルーマニアでは、緊縮財政と汚職に反対する抗議デモで、12年中に2度も首相が交代した。スロバキア、リトアニアでは緊縮財政を堅持した政治家たちが、総選挙で敗退した。スロベニアでは、同じく緊縮財政と汚職を批判する抗議の高まりの中で、首相が少数派内閣を維持しようともがいている。

  ボリーソフ首相の辞表提出前後に、ブルでは3人の市民が焼身自殺し、抗議デモも激しくなったが、その後この2週間ほどは、デモが小規模化し、反対運動指導者たちも、新運動を一つの政治組織にまとめ上げることに失敗したので、総選挙で彼らは何らの大きな力も行使できないとみられている。すなわち、既存の政党が、不人気とはいえ、次の総選挙後の国会でも、大きな議席を占めると予想されている。

  ボ内閣は、退陣のさなかに、電気代を平均7%削減し、CEZ AS社の配電免許状を撤回する手続きを開始した。このことは、外資にとって、ブル政府がますます今後は「大衆迎合政策」を採用し、ブル経済を不安定化する可能性があるとして、警戒する声となっている。

  EU本部では、12年度ブル政府が財政赤字をGDP比0.5%へと縮小に成功した(11年度は2%だった)ことを称賛したが、他方で市場は、今回の5月早期総選挙が生み出す新政権は、いずれの政党も決定的な勝利者となりえず、連立政権を形成しえたとしても、もはや緊縮財政を維持することは不可能ではないかと、神経質に警戒している。

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総選挙に向けての内政動向
 ブルガリア内政動向に関しては、先般Marin Raykov首相率いる選管内閣の発足を記事としたが(http://79909040.at.webry.info/201303/article_2.html)、その後の動きに関し、少し追記しておきたい。ともかく一番特徴的なことは、あれだけ国民の憎悪の対象となったかに見えたGERB党が、再度勝利する可能性が見えてきた、ということ。 ...続きを見る
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2013/04/04 10:16

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