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zoom RSS 中国人の財富主義と汚職が頻発する社会背景(古代的社会の継続)

<<   作成日時 : 2015/08/24 14:24   >>

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 新聞切り抜きの、秀逸な論文の紹介を続けています。今回ご紹介するのは、既に1か月ほど前に産経紙に掲載された論文なので、少し遅すぎるのかもしれませんが、何れコメントしようと貯め込んでいたのです。
  要旨としては、中国の国民は元来為政者側を信用しておらず、為政者と民衆の間の距離感が大きすぎて、近代以降の国民国家のような一体感は無い、ということのようです。筆者は、逆にこのような相互の間の距離の大きさゆえに、簡単に体制は覆らない、と言う結論です。
  まず、1.で筆者の論点を紹介し、2.として、小生の見解を少し加えてみたいと思う。

1.「バブル崩壊」で中国は変わるか7月28日付産経紙「正論」欄、筆者:宮家邦彦・キャノングローバル戦略研究所研究主幹
   (小生注:この論文に関しては、ある程度は省略して短くするため、小生が一部を簡略化しているものの、小見出しに関しては、今回は筆者が立てたものを尊重して、そのまま使用しています。ただし、番号は小生が付けた。

 バブルが再度はじけた上海株式市場に、中国政府は社会主義時代の「命令経済」手法に逆戻りした、世界に通用しない市場介入を行った。
 市場介入などの功罪はさておき、筆者としては、この「バブル再崩壊」の及ぼす中国内政への影響を考えたい。

(1)権力と民衆の異なったこだわり
  現代中国指導部の行動指針は、経済だけではなく、軍事・政治・歴史を含めて総合的に分析すべき、と言うのが筆者の持論だ。
  現代中国漂流の原点は、1840年のアヘン戦争だ・・・ここから歴史的屈辱が始まった。
爾後の中国史は、この不名誉を克服しようとする中国人の絶望的努力の歴史なのだが、不幸にも未だにこの努力は報われていない。1851年の太平天国の乱、1861年の洋務運動、1900年の義和団事件、1911年の辛亥革命に至っても、あの屈辱感は克服されなかった。
  興味深いことに、これらの「下からの」民衆蜂起と、「上からの」改革運動には一定のパターンがある。それは、権力側の中華至上主義と、民衆側の対政府不信・財富への盲信に近いこだわりだ。

  近代中国では、権力エリート層がほぼ一貫して、既得権確保に耽溺し、一般民衆を見下し続けた。これに対し庶民側も、政府・権力者を全く信頼せず、自己防衛のため近親者と財富のみを信じ続けてきた。
  1949年の共産革命は、民衆の財富へのこだわりを不自然なまでに戒め、非現実的な共産主義経済政策を続けて、大躍進政策、文化大革命などの失敗、悲劇を生んだ。
  
(2)乖離する政治分析と経済分析
  建国から30年後の1979年以降、今度はケ小平氏が民衆の財富へのこだわりを巧みに利用した。権力側は対外的な中華の野心を隠しつつ、資本主義の導入で国力を蓄える「韜光養晦*」政策
を進めた。
   (*注:とうこうようかい=光を韜(つつ)み、養(やしな)い、晦(かく)す=才能や野心を隠して、周囲を油断させて、力を蓄えていくという処世の姿勢。)

  財富のみを信じる庶民はこれを大いに歓迎したが、権力側は彼らに政治的自由を認めなかった。これを不満とした学生らは1989年、天安門で立ち上がったが、権力側は民主化運動を徹底的に弾圧した。アヘン戦争以来の中華を志向する権力者と、財富を盲信する民衆側との相互関係は、結局変わらなかったのだ。
  更に、改革開放政策導入からの30年、中国では2ケタの経済成長が続いた。2009年のリーマン・ショックに際しても、中国では4兆元の大型景気刺激策で乗り切り、胡錦濤から習近平総書記への政権交代も順調に行われた。誰もが、近代史上初めて中国が政治・経済共に順風満帆、安定していると信じた。その矢先に、上海株式バブルが「崩壊」したのだ。

  これまで中国共産党の統治に関する政治分析と経済分析には常に乖離があった。共産革命後最初の30年間、中国経済は停滞・疲弊したが、大方の予想に反し、共産党指導の政治体制は崩壊しなかった。
  続く1979年からの30年間、中国経済が順調に成長する中、西側諸国の多くは中国での民主化・政治改革を期待した。しかし、中国の権力者は豊かな経済力の多くを政治改革ではなく、軍事大国化に投入した。またしても、経済分析と政治分析が一致することは無かった。

(3)共産党統治は揺らがない
  まずは今回のバブル崩壊の経済分析から始める。当局の異常ともいえる「市場介入」は短期的に奏功するだろう。だが、中国権力者の関心はあくまで目先の面子と短期的安定だ。
  では、政治的影響はどうか。今回の株バブルで踊った中国人の大半は、やはり財富のみを盲信する庶民だった。もともと庶民は政府など信じてはいない。ある程度の抗議、暴動は起きるだろうが、その程度で中国の伝統的な権力者・庶民関係が変わるとも思えない。
  要するに、中国共産党の統治が揺らぐとの分析は希望的観測に過ぎない。独裁政権が一時的な経済的繁栄で民主化することは無い。同様に、一時的な経済的困窮によって崩壊することも無い。やはり、中国共産党の統治は当面続くと見るべきだろう。

2.小生コメント
(1)古代的刑法が20世紀初頭まで存続
  今年3月に出版された産経新聞社発行の『別冊正論:総復習「日韓併合」』に掲載された古田博司・筑波大学大学院教授の論文「近代日本による刑政大改革と人権向上・・・韓国の歴史から見えるもの」によれば、中国も、韓国も、古代の王朝制度がずっと存続してきた「古代国家が近代まで生き延びていた体制」であるから、近代的な刑法、囚人に対する人権意識などは全く発達せず、不衛生で感染症が蔓延し、かつ冬季には凍死しかねない、劣悪環境の監獄しかなかったし、刑罰の手法も、拷問の手法も、全く非近代的なままだった。韓国に日本の統治体制が入り、ようやく日本のおかげで刑法も、監獄環境なども、より近代化されたという。
   (注:監獄での服役を、妻子、或は使用人に代理させる代理服役制度もあったという。賄賂社会だから、賄賂で服役を逃れ(使用人が代理)、頻繁な「恩赦」時期を待てばよかったというから驚きだ。なお、恩赦は国王の徳で民に恩恵を施すための施策で、善行と見做され、この故に乱用されたという。そう言えば最近も、有罪判決された前々大統領が、恩赦で無罪とされた事例があったように記憶する。頻繁すぎる恩赦は、法治主義、順法精神にとっては有害だ。

   8月25日追記:そういえば、8月13日付の産経記事では、鳩山由紀夫元首相が、ソウルの西大門刑務所跡地で、同人が土下座して「謝罪」する写真と記事が小さいながら報道されている。日本統治時代に建設した近代的な刑務所ならば、朝鮮王朝期よりはよほど近代的な処遇をしていたはずだが、相変わらずの歪曲史観で、独立運動家らを「拷問」と言う酷い刑を与え命を奪ったとの、「西大門刑務所歴史館」の展示があるという。折角、近代化された刑法で裁き、むしろひどい拷問などは軽減されたはずの日本統治時代の真実を歪めるモニュメントに、土下座までするとは、いくら日本人とも呼べない「火星人」であっても許せない。


(2)古代体制が存続
  ことは、刑法、監獄の話に留まらないはずで、少なくとも中国では、漢の時代から清の時代まで、韓国でも高麗朝から李氏朝鮮時代まで、国家体制としては、根本的にはほとんど変わらず、それを文明と考えてきた節がある。科挙で秀才を中央官庁の官僚として抜擢し、上に皇帝、或は国王が君臨し、儒教の「徳」の思想(ただし、形式だけだ)で統治すれば、それが文明だという中華主義だ。民衆の声になど一度たりとも耳を傾ける意識は、支配層には無い。基本的には、税金を搾り取れるだけ搾り取る、という意識しかない。つまりは、支配層ですら、関心の第一は財富なのだ。

  西欧、日本のような封建体制=地方分権=自治の経験が薄いから、民衆が自ら合議して、村、町の運営に当たるという、そう言う感覚もゼロなのだ。下の民意、利害に配慮しつつ行政する、そういう視点が支配者側に皆無だから、共同体意識、上下一体の団結意識が発達しないのだ。

(3)欧米社会との相違が、国防の視点から危険とはなかなか認識できなかった
  近代になっても、古代的な体制が、欧米の近代的な「国民国家」と言う、産業技術革命と国民皆兵の軍隊という結合体制(近代兵器を保有)に比べて立ち遅れていて、近代化しなければ危険であるという日本からの情報、議論には耳を貸さず、古代体制が継続し、この故に、日本が単独で欧米からの侵略に対応するしかなかった、という側面があること、他方そのように日本のみが「国民国家形成」に早々と成功し、「欧米帝国主義の真似をして、侵略した」、との歴史認識で、中韓両国が日本を敵視し、未だに根に持っている、とも言える。

(4)未だに「国民国家」形成には成功しえない
  現代になっても、中国の共産党支配体制は、共産党幹部という古代からの士大夫(したいふ)層に相当する階級が、一般民衆を「上から」統治するということで、古代以来の王朝体制とほぼ何も変わっていないと思う。
  中国の場合、「漢民族」と言っても、北京語、上海語、広東語、四川語、潮州語など、相互に大きく異なる方言に見られるように、一つの文化、宗教、言語を共有する「国民」としての一体感がなかなか生成しにくい。ましてや、満洲人、朝鮮人、モンゴル人、チベット人、ウイグル人、南方少数諸民族、などの全くの異民族をも抱えているので、「国民」意識の形成が容易ではないことは想像できる。
  旧来の家族、宗族という大家族主義(或は地縁主義)による団結を超えての、「国民」と言う大きな単位へ社会が進化していかないのだ。宗族と言う大家族主義だから、汚職による親族への利益配分こそは、中国人にとっては「美徳」でもあるようだ。

(5)韓国社会は、地域主義、あるいは家柄に基づく差別主義で分断
  韓国の場合も、ほぼ同じで、言語的には一つとか、宗教も儒教と言う形でまとまれそうに見えつつも(キリスト教、新興宗教などで宗教的分断は深まっているかも)、実は長い歴史の時期を通じて、両班(ヤンバン)という支配階層と、それ以外の民衆も4つほどの階層に分けられ(奴婢と言う奴隷階級すら20世紀初頭にまで存在した)、お互いに他者(他の家族、宗族)を蔑視し、差別するという、そういう非人権主義、或は根深い男尊女卑思考などで、「近代的個人主義、或は国民」と言う概念が発達しなかった。日本が35年間の統治を通じ、近代的教育を与えたにもかかわらず、韓国社会の中の、地縁主義、出身身分と言うカースト制的な相互の差別感情とか、宗族主義に基づく、財富への盲信、コネに基づく親族への配慮(汚職構造)などが蔓延り、近代化も、近代的「国民国家」の形成にも、未だに成功していないように思える。

  つまり、韓国の司法が、近代的な法学思想の根本に違反するような判決、対応を平気で取ることも、韓国社会が未だに王朝時代同様に、その時々の「空気」にばかり流される「古代体制」が残っているかららしい。近代的な順法精神などとは逆に、古代同様に、統治・支配層の「気分」が、或はマスコミの垂れ流す「空気」*が、最重視される社会であるらしい。
   (*小生注:韓国社会は、朱子学の理気二元論が未だに根強く、建前としての「理」である「反日」をマスコミが何時も大上段で振りかざし、一部国民の間にある「気」(本音)としての「親日」論は、誰も公の席で口にできないという。)

(6)親族の財富形成が、国家における「公正」よりも優先
  ところで、本件筆者宮家(みやけ)氏の言う、中華主義にのみ関心がある権力者と財富のみに関心がある民衆と言う対比は、興味深いのだが、独裁国家で中華主義と言う国家そのものの威勢・名誉にだけ関心のあるのが支配者層なのか?と言う疑問も小生にはある。

  大家族主義によって、広範囲の親族を優遇し、彼らの贅沢、福利のためにも財富の確保を優先する汚職が、社会全体の常識と化している中国では、支配者階層も財富への関心が薄いはずが無い。むしろ、共産党幹部が、自ら美人を囲い、妻子を欧米に居住させ、自分の資産を海外に移転し、海外在住家族に管理させ、いざとなればいつでも亡命できるように準備しているという報道が多い。つまり、支配層も、一般民衆も、自国の体制とか、国家・政府に価値を見てはおらず(信用せず)、単に自分らの財富の多寡のみを計算し、潮時と見ればいつでも海外に逃亡し、亡命するつもりなのだ。そういう意味からも、国民が一つの価値観でまとまって、団結する、「国民国家の形成に成功する」ということは、中国型文化の国家(中国、韓国、北朝鮮、台湾)には、今後将来も結構難しいことなのではなかろうか。

(7)権力者層が、自分たちの財富至上主義を隠匿するために、反日を利用する
  韓国の李明博(イ・ミョンバク)前大統領が、竹島上陸と言う暴挙に及んだ理由として、噂されているのが、親族による汚職が検察により摘発されたこと、自身の人気指標が急下落したことに慌てて、「反日世論」に迎合して、人気回復、或は、検察からの更なる追求を逃れようとしたという裏事情。

  人気急落で、息絶え絶えの台湾の馬英久総統が、最近戦後70周年を視野に、急に台湾における「慰安婦募集の強制性」につき問題提起し始めていることも、野党とも見解の相違が少ない、唯一のこの論点を主張することで、退任後の自己保存のため、世論工作に利用しようとしていると推測されている(8月19日付産経紙)。

  つまり、古代社会から急に現代社会へと移行しつつあるように見えて、社会基盤、社会の意識は相変わらずの「古代のまま」なので、唯一国民世論に歓迎されうる争点として「反日」、「侮日」を利用しようということなのだ。

  基本的には、権力者層ですら、財富至上主義の日頃の行動基準があり、この点を次の政権、或は、一般大衆層につつかれると困るので、責任逃れ、自己肯定の唯一の手段として、反日が利用されるということだ。
  財富主義の尻拭いは、反日で世論を煙に巻く、これが「儒教圏」諸国家における新常識であるとすれば、益々河野洋平、村山富市、朝日新聞などの罪業(反日主義に迎合し、自国を貶めた)は根深いし、日本国家に対する大きな損失を与えた政治家、マスコミであると言えよう。

  ちなみに付言すれば、なぜ必ずと言えるほど、反日政策が自国世論の誘導に成功するかと言えば、戦後の教育で、歴史を歪曲し、日本の統治、或は日本の中国大陸への進出時に起きたこと、歴史事実を改竄し、日本への悪口を並べ立てた「嘘の」歴史教科書で、一般庶民・大衆を教育してきたからだ。

  歪曲史観による、偏向歴史教育が功を奏して、中国、北朝鮮、韓国の庶民、大衆は次のような事実については全く無知だ・・・・日本軍には軍規が徹底されていたこと、慰安婦たちも現地の民間子女に対する強姦事件などを防ぐため、業者が女性を公募し、集めたこと(戦地における兵隊による売春制度の利用は、欧米でも歴史の常識で、これが存在しなかった事例を探す方が難しい)、(日本軍の場合)兵隊は十分高額な料金を支払っていたので、慰安婦たちにも不満は少なかったこと、慰安婦の構成は、日本人、韓国人、中国人などで、日本人慰安婦が一番多数を占めたこと、など。このような事実関係が一切無視されて、荒唐無稽な「強制連行、性奴隷」と言う事実無根の主張となった。また、極度に残虐な、恐らくは中国人、韓国人たちしか絶対にしないような残虐行為、仕打ちが、中国各地、朝鮮各地であったように改竄された、ウソ満載のテキストで歴史教育が貫かれているからだ。子供の時に教科書で埋め込まれた嘘は、なかなか成人となっても嘘とは気づかないということは、バルカン半島の偏向歴史教育の結果でも明らかだし、韓国人と議論してみても明白だ。

  なぜそこまで、日本の悪口ばかり書くのか、歪曲史観を教えるのか、と言えば、自国の社会の進化が遅れていて、大家族制など古代以来の制度が根強いこと、かつ自国の政府に対する市民の信用が相変わらず薄く、対日憎悪、反日しか、「国民意識、民族としての団結心」を高揚できるような、そういう共通基盤形成に役立つ題材が見付からないかららしい。つまり、国民全体が一つの意見でまとまれるような、共感できるような題材が、「反日」しかない・・・これが韓国、北朝鮮、中国であるらしい。

(8)上下に通底している財富主義が生まれる理由
  上記にも触れたが、財富主義は決して庶民層だけのものではない、権力層も同じなのだ。
  その第一の理由は、古代王朝体制同様に、権力が一元化されていて、三権分立(行政、司法、議会)による相互チェック体制が弱いということ。韓国における司法権が、時の行政府、或は世論(左翼思想に毒されているとの見方もある)を見つつ(これらの影響下に)、恣意的で、世界の司法の常識に外れた判決を下すことが最近段々明白となってきている。独立した司法権による公正な裁判が期待できないから、金しか信用できなくなるのだ。

  第二の理由は、権力掌握期間が相対的に短いので、短期間に親族たちを含めて財富の蓄積に励むという傾向が、極東の政治体制の常識となっていることだ。古代王朝においても、近年においても、派閥争いなどで、宰相以下の権力上層部はしょっちゅう入れ替わるので、一族の誰かが皇帝・国王の下で高官の地位に就いたら、早速親族が中央に集まってきて、権力を背景にあらゆる財富を貪り、短期間に富の蓄積を図る。中央での権力争いに敗れれば、財富は没収されるので、昔はそこで公平を図れたが、今は海外逃亡、財富の海外移転と言う抜け道がある。従って権力者層は、権力を背景とした親族の汚職的行為を止められない。

  韓国でも、台湾でも、大統領、総統職から任期切れとなった途端に、次期政権の意向を踏まえて検察が動き、前任大統領、総統は、権力在任期間における親族の汚職行為を理由に訴追されるという事態が頻発している。韓国などは、歴代の政権担当者が、次期政権によって汚職を理由に訴追され、恥辱の中にまみれ、場合によっては自殺さえしている。今の中国も、とうとう同じ方式を採用することとなったようで、習近平新政権は、江沢民派、胡錦濤派と言った前任政権時に汚職で財富を集めた元高官たちを党規律機関、或は検察を通じて訴追している。
  他方で、日本の首相で、汚職裁判の不名誉を経験したのは、田中角栄のみだ。しかも、日本の場合、金を集めるのは自分の派閥議員に対し、経済支援するという政治目的であって、私腹を肥やすためではない。

  第三の理由は、「上の貪り」が常軌を逸しているし、「公益」とか「民の福利」と言う概念が乏しいことだ。もちろん、儒教思想の根本は、徳に溢れた君主が民に対する善政を実施し、民の福利を増進することにあるのだが、実際には忠孝の理念、長幼の序のみが強調され、「上に対する盲従(忠)」と「親・年長者に対する奉仕、貢献(孝)」が最優先なのだ。

  忠とは言っても、皇室・王室の場合は、自分たちの贅沢のためにのみ税金を集め、贅沢するし、親とか年長の親族らも、財富主義で凝り固まっていて、中央に送る税金を中間搾取する連中だ。忠も、孝も、必ずしも「公益」の視点からは褒められた行為ではないのだ。そもそも、中国の王朝体制では、官僚の給与と言う概念が無かったとの説もある。地方の官僚は、税を取り立て、そこから自らの私腹を肥やすカネを中間搾取した後、中央に残りを税として送金する・・・自分の給与分は、勝手に盗む、そういうシステムであったらしい。つまり、汚職=悪と言う概念も元来弱かったのだ。今の共産党幹部らも、「公」に相当する社会主義的所有物(土地、工場、公営宿泊所)などを、勝手に売却したり、「民営化」して、濡れ手に粟の私利を貪るし、国営企業の売り上げ、利益などの一部を、経理の操作により、賄賂として「上納させる」ということさえあるようだ。

(9)財富主義=汚職体制と決別するには、民主主義が必要だ
  小生が思うに、民主主義の根幹として私的所有権の確立があると思う。社会主義の一番の欠陥思想部分は、公益を重視するあまりに、人類の長い歴史に根差した財富主義への人々の欲望を無視し、結果として権力層以外の私欲すら否定しようとしたことだ。

  ところが、近代西欧で発生した資本主義経済は、富の個人・家族による私有を容認し、権力による富の奪取に歯止めをかけること・・・すなわち、権力は国民が選んだ議会議員の中から発生する、と言うシステムを作ることで、みだりに権力が個人・家族から財富を没収する権利を制限したことにある。私的所有権を確立したい地主層が、紳士層(gentry)として議会を形成し、国王の権力と対峙したのが英国だし、土地、ワイナリー、工場、店舗の所有権を確立しようとしたブルジョア層が、革命政権を樹立し、国王を追い払って共和制を建てたのがフランスだ。
  フランスでも、議会を設立し、個人の所有権を更に確認する方向に動いた。「国家」に対立しての「個人」の権利の確立を図ると同時に、国家そのものの「公益」も補強・増進するために、「国民皆兵(徴兵)制度」を採用したのもフランスだ。兵役の義務と、個人所有権のバランスと言う形で、双方の利害が一致し、「国民」と言う形で、民主主義国家の根本理念が完成した。

  ところが、社会主義体制では、基本的には、土地、生産手段など大きな財富は全て「共同体(社会、集団)所有権」、「国家所有権」が独占する形となり、私有権は極めて制限された。そこで生じた現象は、労働・勤労意欲の低下、非効率経営・無責任経営の蔓延、生産性の低下、低賃金、低所得社会となって経済が停滞、特に農業生産量の縮減、飢餓の発生だ。

  中国の場合、そういう悪環境の中でも唯一生き残ったのが親族の団結による相互扶助、相互支援での食糧確保と言う意欲だ。とはいえ、食糧の国家による搾取は常軌を逸していたので、大量の農民層が餓死したという(2千万人とも言われる)。生産性が極度に低くなった社会主義農業なのに、社会主義体制が密かに抱える工業・都市住民層優先と言う、スターリン主義の間違った思想(「保守的」農民に対し、「革命的」プロレタリアートを優遇)で、農民から食糧を収奪して都市の工業勤労者たちに配布することを優先したので、農村で飢餓が発生したのだ。

  改革・開放政策の導入で、農村部において私的(家族)請負制度を許容したり、都市部では不採算な工場、商業などを民営化させるという、資本主義制度の部分導入で、民衆の財富主義を容認したことで、今日の中国経済の復活がある。(注:分譲マンションの所有権も、実際には公有地の時限的(例えば60年間など)な「使用権」に立脚する法制度で、永遠の私有権を認める日本のような制度ではない。この故に、中国人富裕層は、東京など日本でのマンション購入を有利と考えるのだ。時限性ではなく、永久に所有権があるということだからだ。)

  そうはいっても、今のところ、中国の富裕層、高官たちの処世術は、財富の短期蓄積、家族の海外での永住権取得、家族への送金による財富の海外移転ということらしい。自国における政体が進化して、個人所有権をしっかり確認し、安心できるというところまでは恐らく今後も絶対にいかないからだ。

  なぜ政府側が政体を進化できないかと言えば、個人所有権の確立は、政府から独立した個人の確立となり、必然的に個人所有権の更なる確認を求めて、民選議会の設立、民主的憲法、法制の確立、現在のような権力層による「人治」ではない、「法治主義」の確立を要求されるからだ。そのような、「下からの民意」を重視した政体など、これまで少なくとも2千年ほどは体験していないことであり、中国の権力層としては、想像すらできない事態であるし、そういう譲歩など考えたことも無いのだ。
   

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
大変興味深く読みました。過去の中国の歴代主席の退位後の処遇とか韓国の歴代大統領の退位後の事件など理解に苦しむところがありました。これを読んでかなり理解ができました。2016年11月の朴大統領の事件もよく理解できます。
愛知の肥後人
2016/11/10 11:06
こんにちは、
 あなたのコメントに長い間気づかず、、放置してすみません。

 この記事に関しては、古田博司・筑波大学大学院教授が産経紙、雑誌「正論」などでしばしば言及されていた、中国、朝鮮半島は、未だに近代社会の国民国家の形成に成功しておらず、古代以来の「王朝体制」のままである、という視点に多くを依拠しています。決して小生自身の考察ではないのです。今の中国の共産党独裁体制も、韓国の大統領制も、北朝鮮の金王朝体制も、考えてみれば、古代に秦帝国が成立して以来の、中国伝統の統治体制と比べて、あまり進歩がない、ということで、ほぼすべての政治現象が理解できてしまうのです。

  毛沢東のやり方が、古代の皇帝のやり方と何ら変わらないし、韓国の種々の現象も、大統領選で5年ごとに王朝が交代する、と考えれば、分り易いです。
  指導者層と一般庶民・市民との距離感が大きすぎて、民意とか、民の利益、などが一切考慮されえない、上からの統治体制しか存在しないというのが、中国と朝鮮の社会であり、これは古代体制がそのまま継続しているということ。

室長
2016/11/23 09:23
(続)
  他方で、日本、欧米で、民意尊重、民主主義が根を張っている訳は、フランス革命後の「国民国家」(国家指導部と市民の利害が一致して、下からの意欲で国家が隆盛した)の形成があったこと、日本もこのような西欧の民主主義を学んだこと、があると思う。更に、歴史家の多くが強調する要素は、封建体制で、小さい領邦国家が分立し、競い合った時代が一定期間(数百年)存在し、領邦国家の指導者たちが、民の生産意欲、増産意欲、やる気に配慮しての統治体制の経験が蓄積されたこと、がある。つまり、日本は、戦国時代以降、江戸時代も、小さな領邦国家(藩)内で、殿様、家老たちと、下の商人、農民らとの距離が短く、相互の意思疎通経路があり、民の側も納得できる統治が行われてきた伝統があるから、民主主義への移行がうまくいった、と言えるらしい。

  もう一つの要素として考えられるのは、中国、朝鮮の双方とも、近代化を行う際に、欧米の知識を自ら直接苦労して学ばず、明治維新後の日本に留学した人々が、日本人が翻訳した書物・・・日本語の書物を通じて学んだ、ということ。自分の脳髄を絞って、西欧と日本の差異などを考慮しつつも、漢字を当てはめて苦労して訳語を作り、深く理解しようとした日本人と、実は軽蔑していた日本人の言葉(日本語)を経由して、楽して学んだ中国人、韓国人たちは、欧米思想、科学技術に関しても、自分たちが富裕となるための手段として、安易に、軽く学んだ・・・だから、根本的な理解・・・欧米の政治体制の本質については、何も学ばなかったのでしょう。
室長
2016/11/23 09:24

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