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zoom RSS 読書:満洲におけるロシアの権益拡大時代と植民地朝鮮を統治する日本帝国主義の時代に関する書物

<<   作成日時 : 2016/10/06 18:14   >>

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 さて、最近小生は、偶々Book offで購入した2冊の翻訳本を読んだ。ともに米国人学者が書いた、第二次大戦以前に関する本で(注:後者の場合は、1945年8月の終戦まで、小生は1945年7月生まれだ)ある。小生自身、今では老人としての感覚しかないが、それでも、戦前或は戦中を含めての1945年8月以前の時代に関しては、自分の時代の歴史ではありえないが、最近の若い世代に比べれば、若干は記憶が重なる部分もある(例えば、小生のブルガリア勤務時代においては、周囲にいる先輩たちは、ハルビン学院卒のロシア語専門の外交官が多かったこと、など)。この故に自分の中でも、大日本帝国時代に、日本が満洲といかに関わったのか?とか、日本統治下の朝鮮はどういう社会だったのか?などに関し、それなりに関心があったから、このような本を買ったのであろう。日本人学者による、日本の立場からの著書ではないことも、それなりに、購入の動機となったことは間違いない。

 両著ともに、ある意味米国の歴史学者が用いる用語が、マルクス主義史観などに影響を受けすぎていて、日本の軍国主義、帝国主義に対する偏見も十分排除されていない、と感じてしまう部分もあるのだが、そうはいっても、第3者としての米国人の視点であるし、若い世代(注:ウルフ氏は、1960年生まれ、他方エッカート氏の場合は、小生より数年後の生まれらしい)の歴史家たちでもあるので、一定の信用が置ける書物となっている。
  以下に、若干小生なりの解説をしておく。

1.『ハルビン駅へ』
  1冊目は、原題では『To the Harbin Station:The Liberal Alternative in Russian Manchuria,1898—1914』、邦題は『ハルビン駅へ:日露中・交錯するロシア満洲の近代史』である。英語原著は1999年にStanford University Press(カリフォルニア)で出版されているが、翻訳版(訳者は、半谷(はんや)史郎)は講談社からで、2014年10月が第1刷となっている。著者David Wolffは、1960年NY市生まれ、ハーバード大学ロシア・フランス歴史・文学科卒である由。

  この本のあらすじとしては、1890年代にロシア帝国大蔵大臣だったウイッテが、ロシアの極東への経済権益の拡大を意図し、鉄道を使用した鉄道帝国主義の試みとして、東清鉄道(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B8%85%E9%89%84%E9%81%93)の建設、開設を計画し、仏、ベルギーで起債して資本を集め、大蔵省で雇いあげた人物たちを北部満洲地域に派遣して、この事業を起こしたことから始まる。シベリア鉄道のチタ駅から日本海に面したウラジオストックまでを、北満地域をほぼ直線的に横断し連結する鉄路として、この鉄道が計画されたのだ。
  建設工事に当たり、東清鉄道の本拠地として目を付けたのが松花江(スンガリー川、アムール川の支流)に面したHarbin市であり、ここにはロシアが都市建設を開始するまで、焼酎屋の酒蔵程度しか存在しない不毛の土地と湿原であったという。

  ウイッテとその支配下にあった大蔵省は、清国との交渉によって、名目的には合弁会社だが、実質的な支配権はロシア側にしかない、そういう形式での東清鉄道の建設契約を締結(ウイッテの交渉相手は、日清戦争を起こしたあの李鴻章、契約書そのものは1896年9月8日ベルリンで、清国政府と露清銀行の間で署名された)したという。また、ウイッテは、ロシアの軍事力を背景として有利な契約を締結したものの、あくまで私企業としての鉄道会社として、経済権益を狙うという方式で、ロシア帝国内の国防省、外務省、内務省などの干渉を極力排除し、大蔵省のみが権益を確保するという、厳しい「省益主義」を貫き、鉄道警備隊なども、できるだけ、大蔵省、鉄道会社だけが主導権を確保することに拘ったという。バカなロシア皇帝を上手に操りつつ、軍部の介入を拒否したり、サンクトペテルブルクにおける宮廷内での暗闘を繰り広げつつも、なんとか、大蔵省のみの権益としての経済利益を目指したようだ。

  こういう、建前的な「私企業形態」が幸いし、日露戦争*後も、東清鉄道は何とかロシアの支配権を確保したまま推移することができたのだが、第一次大戦後のロシア革命で、ロシア帝国が消滅し、ソ連政府になったこと、もっと致命的には、とうとう日本が満洲国を建国して、北満にまで支配権を拡大したので、1931--32年には、ハルビン市も日本帝国の支配下に置かれたという。(*注:ウイッテ自身は、平和裏に満洲に対するロシアの権益、特に経済的権益を伸長、確立する意図だったので、日本との戦争などは避けたかったが、軍部を始め、ロシア帝国全体の政策調整が遅れる間に、事態がこじれ、日本が開戦を決意してしまった。)

  なお、ハルビン市の建設、都市の人材募集には、ロシア帝国内で迫害されていた少数民族たるユダヤ人、ポーランド人、その他を宣伝活動により集めたという。つまり、ハルビン市はロシア文化が花咲く極東におけるロシア人の拠点という一面と、ユダヤ人が多数集まる、しかも中国人が住民の半分を占めるという多民族共生のリベラルな側面があった(長期的視野で治安面での利害を考慮して、ウイッテは、人種間の平等を貫く市政を志向させた)ということ。

  ハルビン市と東清鉄道の成功、繁栄の影には、鉄道建設に際し、山東半島など中国本土から大量に集められた中国人労働力(苦力=クーリー)という安価(低賃金)なのに器用な人々の活躍があったし、更には、シベリア鉄道経由欧州にまで大量に輸出された満洲産の大豆(植物油原料)という商品が存在した、という。満洲への中国人の進出(注:満洲は清国の本国として19世紀までは、中国本土からの移民は禁じられていた)が、東清鉄道建設、大豆の欧州への輸出などのおかげで、増えたということは、満州国建国以降、日本統治下における秩序、安定の結果、中国本土からの移民が増えたという風にばかり考えていた小生にとっては、一つの驚きでもあった。

  なお、あとがき分部(p417)で、著者は歌手加藤登紀子の母親加藤淑子(『ハルビンの詩がきこえる』という著書がある由)が、夫妻で1935--45年ハルビンで暮らし、ロシア文化の残照に輝いていた亡命ロシア人(白系ロシア人)と日本人、中国人が共存した時代の同市での暮らしを懐かしんで、東京都内に50年代からロシア料理店「スンガリ―」を次々と開き、洗練されたロシアの高級料理を蘇えらせたという。そしてこれらの店には、ハルビン引き揚げ組とシベリア抑留組が集ってノスタルジーにふけったと紹介している。

2.『日本帝国の申し子』
  2冊目の原題は、『Offspring of Empire: The Koch‘ang Kims and the Colonial Origins of Korean Capitalism 1876—1945』、邦題は『日本帝国の申し子:高敞(コチャン)の金一族と韓国資本主義の植民地起源1876—1945』である。原著は1991年にUniversity of Washington Pressで出版された。著者はCarter J. Eckertというハーバード大学教授(朝鮮史)。翻訳版(訳者は小谷まさ代)は草思社からで、2004年1月第1刷が出ている。

  この本は、日本の朝鮮半島に対する植民地支配に関し、多くの同時代資料(したがって多くの朝鮮総督府文献とか、日本語資料)をあさった上で書かれた、戦後の米国人学者の研究成果なので、朝鮮人自身が書く空想的、教条主義的な反日偏見は、一応排除されてはいるものの、戦後の早い時期に書かれた朝鮮・韓国系文献をも多く参照しているし、著者自身も結構マルクス主義史観に毒されている世代なので、用語的には日本帝国主義、などの用語、朝鮮人資本家などの用語が多用されていて、気持ちの悪い側面もある。

  とはいえ、全羅北道高敞郡出身の金一族という、元来が地主系の人々が、子弟を日本に留学させるなどして、徐々に近代日本の文明・文化と同化しつつ、資本家として、朝鮮総督府の高官らとの付き合いも深め、特に、朝鮮殖産銀行からの優遇的融資を得ることで、繊維工業を主体とする工業資本へと成長していく過程が詳しく検証されている。

  まず、李朝時代の両班(やんばん)階層(必ずしも名家の本流ではなく、支流でしかない場合もある)の出身者であり、地主としてある程度の、地方における名声と、金を握っていた階層の人々が、日本の統治が開始され、米の対日本輸出が儲かることに目を付け、土地を更に買い増して、地主として小作農たちを搾取しつつ、資本を蓄積し、子弟を日本へ留学させ、総督府の高官たちと閉鎖的な名門クラブなどで付き合いつつ、特権的な連携を強めて、日本による朝鮮支配に加担していった、という。

  高敞郡は、全羅北道だが、全羅南道も含めてこの一帯は、米を生産できる(水田経営ができる)農業地帯として恵まれた地方で、金一族はここを拠点に、徐々に地主として、資本家として成長していったという。また、朝鮮資本家たちは、最初は教育機関(学校)の創立とか、新聞の発行(金一族は東亜日報)などを通じて、一種のナショナリズムの支持者でもあったのだが、第一次大戦時に、西欧諸国が極東アジア市場から撤退したので、アジア全域の繊維市場を日本資本が席巻することとなり、1920年代から、朝鮮殖産銀行の支援も得て、朝鮮資本家らも繊維産業に乗り出した。金一族は、京紡(キョンバン)という紡績企業を、日本資本で朝鮮に進出した鐘淵、東洋紡などと競争しつつ、徐々に拡大していったという。ちなみに、労賃、労働時間などの面では、朝鮮資本家経営の工場の方が、日本資本の繊維工場に比べ、労働者にとっては不利だったらしい。(注:金一族、京紡は、伊藤忠などの大阪資本と深い信頼関係を築き、彼らから技術支援も得つつ、繊維産業へと進出した。)

  また、1930年代に入ると、満洲国建国に伴い、総督府からの支援も得つつ満洲にも巨大繊維工場を建設したという。
  1930年から45年にかけ、日本帝国主義の中国大陸、東南アジアへの進出と軌を一にして、京紡も拡大を続け、金一族の儲けも、資本蓄積も拡大し、更には、日本の軍国主義的国益への、無条件の傾倒、協力へと進んでいったという。

  米国人著者は、要するに、朝鮮人資本家たちは、必ずしも総督府高官たち、日本軍人たちから差別待遇を受けたり、或いは、強制されたのではなく、いつの間にか公私一体となった付き合いを通じて、日本帝国の統治、支配機構の一部となって、全面的に帝国の国益に奉仕することが、私企業としての彼らの利益ともなっていたという。
  ともかく、朝鮮総督府の高官も、或は朝鮮殖産銀行という、総督府と一体となって経済政策を推進した銀行も、まるで親戚付き合いのようにして、朝鮮資本家たちを優遇し、支援し、持ちつ持たれつの関係で1945年の終戦を迎えたという。

  朝鮮資本家たちが、繊維工業などでの工場労働者たちの福利厚生には、必ずしも配慮せず、厳しい労働条件を強いつつ、利益の確保、更なる投資資金の捻出にばかり邁進した・・・・その非情で、庶民、貧民への配慮の足りなさゆえに、日本の植民地統治から解放された後の韓国で、資本家たちは、対日協力罪などで裁判にかけられたりもしたという。ただし、金一族は、何とか言い逃れて、戦後も生き残れたという。

  この本は、小生が読んだ印象は、あまり良くないが、そうはいっても、第二次大戦下の内鮮一体化(注:日本内地と朝鮮の一体的団結)政策ばかりではなく、それ以前から、日本が朝鮮人資本家たちを育成し、朝鮮社会の工業化で、社会の近代化も図っていたことがわかる書物であり、そういう意味では、反日思想に凝り固まりすぎて、観念論的に日本の悪口しか書かない、韓国人の一部の研究書に比較して、この書物は韓国内でも評価する声があるという。
  いずれにせよ、総督府が支援した工業化の経験が無ければ、戦後の韓国における工業発展もより遅かったであろうし、植民地時代の資本家たちが築いていた日本人資本家たちとの繋がりが、朴正熙以降における韓国の工業復興、工業国家としての成長を支えたことは、否定しがたい事実のはずだし、本書もこれを指摘している。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。

米国の学界では、未だにマルクス主義史観が主流と聞きましたが、1960年生まれの歴史家もそのようですね。
 加藤登紀子は、「日本という言葉を発する時に、絶えず嫌悪の匂いが私の中に生まれる」と言ったそうですが、両親がロシア被れだったことは初めて知りました。案外この類のロシア料理店には、共産主義シンパやスパイが巣食っていたりして…

『日本帝国の申し子』は面白そうですね。戦後も何とか生き残れた金一族はかなり強かそう。朝鮮総督府の高官が朝鮮資本家たちを優遇、支援したのは、キーセンや賄賂のような接待もあった?と想像するのは邪推過ぎるでしょうか。

 日本と朝鮮人資本家の関係で、ふと英国とインド人資本家のそれを連想しました。もちろん英国はインド人資本家を優遇どころか支援もせず、商売の妨害までしています。インド企業には労働者の権利を守れと言いつつ、英国企業には罰則規定なしでした。
mugi
2016/10/07 21:27
こんにちは、
 ウルフ氏の方は、ウイッテとロシア大蔵省が推進した満洲への鉄道利権の拡張作戦と、その結果として生まれた、ロシア文化の輝きに溢れたハルビン市の、他民族に対しても寛容で、リベラルなあり方を称賛する。一方、満州事変を通じて、北満の首都、或いはロシア文化の粋として発展していたハルビン市に日本人たちが「侵略者」として入城し、ましてや、戦後の著書で、加藤登紀子の母親、その他の日本人らが、「ハルビンは私たちのもの」とノスタルジーを膨らましつつ主張していることには、「それはあり得ない」とつぶやいています。ウルフ氏は、あくまで、ロシア帝国の資本主義の権化だったウイッテ蔵相が築き上げた、「大蔵省権益」としての北満の花としてのハルビンの栄華を描きたかったようです。
 朝鮮資本家と総督府高官たちの繋がり、殖産銀行の有賀光豊(あるが・みつとよ)頭取などは、本当に朝鮮人資本家を育てる、という意識を持って、誠実に行動していたらしいし、当時の総督府高官にせよ、大日本帝国の国益という概念での行動と思う。キム・ヨンス、ソンス兄弟という金一族の当時のトップたちも、見事な候文で日本人の偉いさん方に私信を書いているし、心からの信頼関係が存在した、というところが指摘されています。
 欧米人の植民地統治と、日本人の場合とでは、現地人に対する扱い面で、大いに違いがあると思う。
室長
2016/10/08 11:56
鉄道は大量の兵士を輸送するための戦略兵器でもあるので、制海権を握られた上でシベリア鉄道が完成したら、日本はロシアに何時でも侵略支配される状態になります。
ゆえに日露戦争が起こり、朝鮮・満洲を富国強兵にする必要がありました。
これは、ローマの(対ゲルマンのための)ガリア支配に通じるものがあると思います。

>ウイッテ自身は、平和裏に……確立する意図だった
ウイッテには、そういう地政学的な考慮が無かった(というか単に日本を舐めていただけと思います)がために日露戦争を引き起こしてしまったともいえます。
大国のいう「平和」とは「戦わずして下す」という意味ですからね。戦前のルーズベルトや今の中国もそうですが。
motton
2016/10/11 10:30
こんにちは、
 ウイッテには、鉄道が完成することで大軍が配置可能となるということは分っていたと思うけど、日本軍がそこまで警戒して、大国ロシアに先制的に牙をむく勇気、軍事力(対露戦争準備)がある、という風には理解できていなかったのでしょう。
 日露戦争の終結交渉も、結局ウイッテが背負わされた。在米のユダヤ財閥が、満洲における鉄道利権を狙って日本に大金を融資し、日露戦争を支援したのに、日本の小村寿太郎外相が、戦後に、米国資本の満州鉄道への利権確保要求を拒否した。この結果米国の資本家たちは、日本に対する敵意を抱くようになり、最終的には日米開戦を運命づけた(山本五十六は、ローズベルトの策に乗った)・・・などという結末を知っている今の我々としては、満洲権益に固執した日本の政治家、帝国陸軍軍人などの短慮も責めることができるけど、後知恵と言えるかも。残念な経緯ですが。
 朝鮮総督府の官僚たちも、満洲国建国と、中国大陸での戦線拡大をむしろ日本工業資本の利権拡大への好機と見て、朝鮮資本家たちに「投資拡大」を指導し、これに乗っかったキム・ヨンスを中心とした金一族・京紡も、満洲、中国大陸へと投資を拡大している。戦後の朴正熙政権による工業復興に際しても、その時の朝鮮財界(FKI)のトップはキム・ヨングアン(金容完)という、金一族の人間で、京紡も継承していた人物。総督府と財閥の癒着という経済指導体制の経験は、現代韓国の政府と財閥との癒着関係にそのまま継承されているという。
室長
2016/10/11 16:28

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