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zoom RSS トランプ現象とは、理念型政治(美辞麗句、大義)への反発

<<   作成日時 : 2017/02/19 15:17   >>

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  トランプ現象とそれに先立つ英国のEU離脱(BREXIT)心理の解釈が、相変わらず小生の頭の中で中心的な課題となっています(注:これまで2回「トランプ現象とはノスタルジック反乱だ」と題して書いた。今回は別の角度からの論評です)。

  「暴言的リーダーの出現現象」と言う見方で言えば、昔のヒトラーの台頭とか、近年でも、ソ連邦崩壊の衝撃を背景に、旧ソ連の一角ベラルーシの指導者として台頭したルカシェンコ大統領の事例も、小生の注視の中にあるし、或いは、元来ヒトラー、ルカシェンコ同様に、非エリート層出身ながら、暴言と同時に実行力(麻薬対策での成果)を背景に台頭したフィリピンのドゥテルテ大統領の事例も、やはり参考値の一つと考えるべきでしょう。

  ヒトラー、ルカシェンコ、ドゥテルテ、そしてトランプと並べてみて、思い当たる共通項は、大衆人気、持論を徹底的に断言口調でまくしたてる自信、とはいえその演説・持論の中身には、驚くほど理想主義的な、あるいは理念的な哲学が欠如していることです。宣伝的に、また大衆の理解可能な平明な言葉で、インテリにはほぼ暴論としか聞こえないような口調で、断言的に一方的な主張を並べる・・・・そういう特徴があります。同時に、人権、自由、公平、民主主義、人道主義、国際主義、などの理念的なメッセージが、驚くほど完全に欠如していて、人格的な高貴さ、或いは、インテリを納得させうるような「徳」と言う概念からはかけ離れています。にもかかわらず、多くの人々にとっては、大言壮語する理念型の政治家にはない、大衆の利害を忖度し、大衆の利益に沿った、本当の意味での「必要な政治」を実現してくれる、そういう政治家としての期待に応えてくれるようにも感じられる・・・つまり、他国の国民からは嫌われても、一定の(少なくとも4割弱の)自国国民にとっては、一番頼りになる、信頼できる政治家像としての地位を築いている、或いは築けそうに見える、ということ。

  前書き部分が長くなりすぎています。以下に、幾つかまとめて考察しようと思う。

1.独裁者型・扇動家型の政治家たちは、その時代の一番切実な庶民的課題を直視し、これに対する解決案を処方する・・・一点集中型の解決策を提唱して政権を奪取
(1)ヒトラーの場合
  ヒトラーの台頭について言えば、よく知られているように、ベルサイユ講和会議で押し付けられた巨額すぎる賠償金がドイツ経済を圧迫し、失業と貧困がドイツ国民にとって耐え難いほどの苦痛を与えていた時、失業と貧困を解消し、偉大なドイツを再建すると約束した事。敗戦、その他の苦難の原因、責任、罪状を全て「ユダヤ人」に負わせるという詭弁で、国民に解決法と未来への展望を切り開いた。
  政権取得後は、公共工事と軍備拡張という財政主導型の経済成長策で失業と貧困の撲滅にも成功した。一種の統制経済的側面もあり、ソ連型社会主義との共通項も多いが、資本家たちを利用して効率的な経済運営を実現した(注:ナチス・ドイツに比べると、日本の場合、統制経済体制としては、必ずしも成功したとは言い難い、との説すらある)。

(2)ルカシェンコの場合
  ルカシェンコは、社会主義時代に、秋の収穫時期・農繁期に農村に出かけて、農民の他に、動員した学生、勤労者と言う助っ人たちを含めてアジ演説で景気づけして、突貫労働を扇動した宣伝屋が本業でした。

  1991年12月のソ連邦解体(=ベラルーシとして歴史上初めて独立国となった)後、自由化その他の措置が急激に実施されたが、ソ連体制に慣らされた国民には訳が分からなくなり、混乱のみが生じた。1994年7月のベラルーシ国初の大統領選挙で、ルカシェンコは対抗馬で当選が確実視されていたケビッチ首相と同様にロシア経済との統合を説いたが、同時に、より大衆迎合主義的に、ほとんど常識的には無理ともいえる公約(企業の破産を許さない、職場を守る、賃金・年金を守る、など)を並べて当選した。その後、3選禁止、その他の自分に都合の悪い憲法も改正して、独裁体制を確立した。

  他方、同時に、常識的には不可能と見えた「ソ連型社会制度の維持、存続」による、賃金支払いの励行、年金支払いの確保、国営企業の存続、国営・集団農場体制の維持、など・・・・要するに「ソ連型体制」を基本的に維持存続させるという「快挙」を実現し、今日に至っている。
  根本的な成功の秘訣は、独裁体制による社会的安定(治安)の確保と、貨幣の発行利益(シニュレッジ)を賢明に活用しつつ、インフレ率を徐々に抑制し、社会主義的な企業活動を何とか生き延びさせることに成功したことだ。西側であまり注目されていないが、小生には、財政出動で経済を安定させ、治安回復にも成功したという側面を見れば、それなりに成功した政治だと評価すべきように思える。ウクライナ市民らからは、自国の混乱、経済的低迷に比べて、ベラルーシの成功は羨ましいと見られているらしい。

(3)ドゥテルテの場合
  報道によれば、どうやら同人は、ミンダナオ島のダバオ市市長として、治安対策、麻薬対策において、ほぼ人権などは無視して、強権的手法で警察権力を拡大、治安の確保に成功を収めたらしい。
  大統領選で庶民が同人に期待したのも、治安の徹底と麻薬対策、汚職の追放などであるようだ。2016年7月に大統領に就任。

  また、金持ち階層と庶民の間の格差が深刻だった比(フィリピン)では、庶民派でエリート階層とは距離を置くことでも、ドゥテルテ人気は高かったらしい。
  暴言癖があるが、庶民に分り易い言葉で話し、有言実行で治安をあっという間に改善したことも、庶民からの支持を得ている。

(4)トランプの場合
  ラストベルト(rust belt)と呼ばれる、中西部の元工業地帯の元ブルーカラー年金生活者、或いは失業者、低賃金労働者などに対し、製造業の再建、雇用の確保、保護貿易主義による産業再建、移民の排除による職場の確保・・・・など分り易い目標を掲げて呼びかけ、番狂わせの当選を実現した。

2.理念型政治との決別:利益の配分、治安の回復を約束
(1)国家が仲介して、金銭的不平等を解消
  上記のように、庶民の生活水準を最重視し、そこに焦点を当てる考え方には、一種の「公平感」とか「正義感」の裏付けが臭う。

  社会主義の資本主義への攻撃の理論的背景も、要するに「悪平等」であろうとなかろうと、「平等、公平」と言う原則で、誰かが富裕で、誰かが貧困にあえぐ社会よりは、万一国民すべてが貧しくとも、「公平に貧しい」という「正義」が貫徹されるならば、それは許容できる、と言うのが根本理念だ。

  社会福祉という北欧系の制度も、考え方の根本はそれであり、利益の配分での不公平を「国家が介入して重税として徴税することで、平準化を実現する」と言う方式だ。

(2)理念型政治は、金銭的平等主義は、個人の才能、能力の発展を阻害すると考える
  他方で、これまでの自由放任主義、あるいは資本主義的競争の是認という欧米の主流的思想では、個人間の競争、企業間の競争など、人間社会には「自由な競争」が欠かせない。これを欠いたら社会の発展も遅れる。そもそも、自由な人間個人の才能の発展の可能性を人為的に狭めること、国家が介入の度合いを強めて、人間の自発的才能の開花、発展にタガをはめることは、社会全体の高度化、人間の発展、進化に対する阻害要因でしかない・・・と言う考え方だ。

(3)社会主義のイデオロギーも一種の理念型と言えた
  小生自身も、東欧圏における過度の国家による統制と、あらゆる経済活動を国営企業で行うという経済統制の徹底がもたらす弊害の膨大さを日々感じ、これの排除無くして、国民の「物質的幸福」の充実はあり得ないと思った・・・これが小生の社会主義批判の根幹だ(注:このブログの右側タブで、「社会主義の欠陥」と言う項目をクリックして、関連の記事を参照願いたい)。

  ソ連式社会主義では、市民の生活上の必需品とか、消費物資、或いは当時の東欧庶民が「文化的な消費物資」と称したジーンズとか、衛生的で使い良い生理用品(注:ソ連圏では、真綿しか供給できなかったし、しかも成人女性に薬局で「真綿」を高値で販売)とか、品質の優れた家電製品(音響機器を含む)、乗り心地の良い乗用車、或いは、味が上等なビールさえもが供給されなかった。社会主義への幻滅は、同時に、いつまでも続く低賃金、貧困と言う問題もあった。

  社会主義と言う体制は、経済面での生活水準平準化の重視と言う側面もあるが、実は社会主義イデオロギーと言う理念(勤労者からの「搾取」を徹底排除するとの表向きの考え方で、低賃金、悪平等を正当化)を優先する理念型でもあった。理念の高尚さと、生活水準の低さと言うギャップが激しすぎて、いつの間にか国民の間に資本主義国との「格差」に気付かれて、とうとう体制崩壊せざるを得なかった。

  ちなみに、ロシアでは、共産党一党独裁体制とは表向き訣別し、経済体制としては、資本主義、乃至は修正資本主義が採用されているが、実体としては、国営企業が復活しつつあるし、経済に対する政治の主導というソ連時代型に回帰しつつある、ともいえる。その上、アジアに残存している中国、北朝鮮、ベトナム、ラオスと言った「アジアの社会主義国」では、共産党の一党独裁体制は温存され、経済面でだけ、ある程度の自由化、資本主義の容認がなされている。社会主義理論に立脚する理念型と言う形式を一応は押さえておかなければ、実体としては、皇帝の独裁という、古代国家体制へと逆戻りしていること、近代化には実質背を向けていることを隠蔽できないから、共産党の旗印は、どうしても温存せざるを得ないのだ。

    (小生注:ちなみに、信じがたいことだが、最近の韓国は、再び朝鮮王朝時代のように、派閥が相互に敵対しつつ、誰も国益を考えず、結果として国家全体が溶解していく、という絶望的な経過をたどっているように見える。あまりにも長く、皇帝制度と言う古代国家のままの中国と真剣に付き合いすぎて、かつ、近代化の理論的試練は、日本統治時代の日本語文献に安易に依存して、自らが深く研究する労を取らなかったがために、本当の意味での近代化、西欧理念への理解度が低すぎるから、ちょっと困難が続くといつの間にか古代中国時代の感覚に皆が「先祖返り」してしまう、と言うことかもしれない。)

3.帝国主義の終焉
(1)「帝国理念」に幻滅が広まった
  帝国主義は、人種差別主義、或いは文化・文明的な優劣と言う、先進国側の「一方的偏見」を植民地統治体制正当化の根本原理としていたが、印のガンジー主義(高貴な無抵抗、不服従主義)、或いは、日本のアジア人らしからぬ(知能・文化・文明的な白人優位の概念を崩した)近代文明的成功によって、西欧側に自信の揺らぎを生み、第二次大戦後には、理念型から社会福祉型へと社会の意識、重点が変貌し、終焉を迎えた。

    【注:現在小生は、ジャン・モリス著の『帝国の落日』(講談社、2010年9月第1刷)の下巻を読み始めたところだ。上巻を読んでの感想は、意外なことに、当初英国は単に「金儲けのチャンス」と言う感覚で、徐々に大航海時代に先行した蘭の市場を奪いつつ、中国に進出するなど、アジア、或はアフリカでの勢力範囲を広げていったが、初期の拡大路線においては「帝国主義」とか、何らかの「理念」などは無かったという(行き当たりばったり)。他方で、いつの間にか巨大なインドを長期にわたり統治し、更にはアフリカ大陸の半分ほども支配するなど、領域が拡大したので、「未開民族に文明を届ける、とか、キリスト教の布教に貢献する」などの、諸々の先進国としての「使命感」などの理屈付けも行われるようになり、特に1897年6月22日のヴィクトリア女王即位60周年記念式典を盛大に祝った頃から、「大英帝国」としての理論武装も盛んになったらしい。
  いわば、ユダヤ人同様の「選民思想」に基づく、劣った有色民族に対する「文明化」での利益供与、「神の意志」に貢献する「帝国の支配階級」としての英国貴族の誇り、などの感覚が、帝国主義の根幹となって行ったらしい。

  他方で、英国の普通の市民層(当時の本国人口は4千万人ほど、しかもイングリッシ(Anglo-Saxon)の他に、ウエルシ、スコティッシ、アイリッシという4つの主要民族が英国には存在していて、一つの民族に立脚した国民国家ではなく、4つの民族が国王・または女王の下に結束する「連合王国」形態)にとっては、大英帝国の自治領である加、豪、NZと言う白人自治領以外にも、インド、香港、南ア、などの直轄領土、エジプト、イランなどの間接統治領土など、全世界に進出し、大英帝国派遣の現地文官、或いは武官として活躍できた。この意味で、英国の普通の市民層にも、20世紀の初頭頃までには、徐々に帝国官僚としての意識も強まったという。
  しかし、第一次大戦におけるあまりに膨大な人的犠牲の結果、帝国主義に対する幻滅もあり、一般市民の外国への進出意欲は減退し、「帝国」への熱意も消えうせたという。同時に、大英帝国の海外領土からも、多数の兵士が欧州戦線に送られ、多大な人的犠牲、多額の戦費負担、があったので、海外領土、或いは白人自治領などでも、独立への動きが活発化した
。】

(2)黒人大統領の「理念型」政治に対し、貧困化した市民層では「反乱的感情」が高まった
  オバマ政権は、「平和、自由、人権、人道主義、民主主義」などの高貴な理念を再主張してはいたが、何れにおいても大きな成功は無く、結局成功を収めえたのは、パキスタンでビン・ラディンを急襲した特殊部隊作戦、或いは、無人機でテロ首謀者たちを爆殺する中東、アフガニスタン、パキスタンでのドローン作戦程度で、実質的にはオバマ流理念型世界政策の不毛さの露呈となった。

  特に白人有権者層の潜在意識としては、「黒人の大統領が掲げる高邁な理論」などには感銘を受けにくく、むしろ、一部富裕層との「生活格差の拡大」、自分たちブルーカラー階層の失業率の上昇、中西部地域の経済的地盤沈下、製造業の衰退(新興国による製造業分野の簒奪)などの否定的現象ばかりが目立ち、現実に彼らの貧困度は切実に高まっていた。要するに、プア・ホワイト問題が深刻化し、「理念」などよりは「職場と賃金」を直接、早急に求める風潮となったのだ。

  この故に、日本ではオバマ大統領の広島来訪、或いはハワイ真珠湾への安倍総理往訪による第二次大戦の戦争に伴う両国国民の心理的齟齬の「歴史的、最終的和解儀式」がメディアでは注目されたものの、米英両国では、英国のEUからの離脱とか、トランプ氏の当選とかの、一種のエリート対庶民の間の国内分断現象が露呈する結果となった。高邁な理念よりは、切実な貧困問題への解決策が最重要課題だ、と言うのがプア・ホワイトたちの偽らざる苛立ちなのだ。
  
(3)世界に利益をもたらす米国と言う「使命感、責任感」への幻滅と、「米国ファースト(America First)」と言う、より低次元への軌道修正
  小生もこの表題で、うっかり「低次元」などという辛口批評(現在メディアに蔓延している)に乗ってしまっているが、実際には、庶民、一般市民の願望に寄り添っていく、という見方をすれば、民主主義の正しい側面と言えなくもない。高尚すぎる理念を掲げて、庶民感覚からかけ離れた政治に堕するよりは、市民の本音に付き合いつつ、国政を運営していく・・・これこそが民主主義の本来あるべき姿かもしれない(大衆迎合主義との批判もありうるが)。

  ルカシェンコが、ベラルーシの国益を最優先して、ロシアとの経済・政治統合を結局は拒絶し、独自の国政運営を模索したように、プーチンも、やはりロシア国民の利益を最優先し、石油、天然ガスと言う自国の資源を少しでも高値で売り払い、国民の利益を守ろうとした(ルカシェンコとしては、旧ソ連の同胞であるベラルーシには、ロシア国内の資源を特別の優遇価格で輸入する「権利」があると考え、第3国と同様の価格、即ち高値での資源の輸出というプーチンの提案、主張には激怒した・・・結果として、ロシアとベラルーシの「再統合」計画は流産した)。

  すなわち、トランプ流の「自国第一主義」は、米国国民・庶民の利益を第一に考え、安易に高尚な理念の美辞麗句に惑わされて、国民の利益を忘れることは拒否する、場合によっては、国際社会で理念が先走り過ぎて、国益に抵触するようなら、孤立することも覚悟の上だ、ということ。
  世界の治安、安全、平和への貢献と言う理念を掲げることで、米国が金銭的に損失を一国で背負うことなど、今後は許さない・・・これが庶民の本音だし、政治家としてのトランプも全く同感だ、と言うことなのだ。

     (小生注:1980年代初頭、小生がハワイにいた頃、現地の日系人達がよく言っていた言葉は、「アメリカはベトナム国民を共産主義の圧政から守ると言っては大金を支払うなど、世界中で保安官として行動することで、金銭的損失を全て背負っている。バカバカしすぎる」ということ。ハワイは民主党王国だから、民主党系の議論の一種とも言えるが、実はベトナム戦争に引きずり込まれたケネディー、ジョンソン両大統領も実は民主党だ。いずれにせよ、「国際社会への貢献を掲げて、米国民の税金を浪費するのはバカらしい」と言う議論は、トランプ時代に生まれた言葉ではなく、昔から米国では蔓延している庶民感覚なのだ。
  あまりにも強大すぎて、自国への安保上の危機感覚がゼロなのが米国であり(庶民感覚レベルの話、他方でFBI、CIA、その他の情報機関は警戒心の塊だ)、この故に、トランプが「世界の警察官にはならない」と公約したのは、庶民感覚としては、大昔からある意見なのだ。とはいえ、完全な孤立政策は、米国の国益にならないことも自明だと思う。しかし、庶民には、対外関与の必要性は理解できない
。)

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。

 独裁者型でもナポレオンやムスタファ・ケマルのように、「理念型」政治も同時に行うタイプもいますね。今回取り上げられた独裁者型は先のような稀代の英雄とは違う低次元型ですが、庶民的課題に応じなければ、扇動家型政治家が台頭するようになります。
「時代の流れは昨年に引き続き偽善者たちが追い込まれる方向という感じがする…これまで偽善を振りかざしてきた、欧米、マスメディア、日本では左翼の皆さま…」、と言った一主婦ブロガーさんがいますが、同じ思いの庶民は少なくないはず。

 ジャン・モリス著の『帝国の落日』、面白そうですね。「大英帝国」としての理論武装が盛んになったのは、19世紀末頃からですか。キップリングは1899年に有名な、『White Man's Burden(白人の責務)』を詠んでいました。
mugi
2017/02/22 22:25
こんにちは、
 まさにこの著書では、キップリングこそが、大英帝国の帝国主義の先頭に立って扇動した詩人と言う形で、何度も言及しています。
 「帝国の落日」について、小生としては、訳文が完全にローマ字→カタカナ化で事足りるというか、すべて日本語化して、原語の英語綴りとか、或いは人名、地名、事件名などへの注釈がほぼないのが不満です。確かに、Wikipediaが発達したから、色々調べればわかる場合も多いけど、やはり英語で探さないとwikiの記事としても到達しえないことが多く、綴りを想像しながらwikiの英語版を探す場合が多い。結局面倒になって、よく分らないままに、読み流すという、無責任な読み方にもなったりします。
  英国人の、帝国主義時代の研究家としては常識的な事件名とか、人名などでも、今の英国人ですら知らない場合が多いと思う。原著で細かく注釈してなくとも、役者としては注釈をきちんとつけてほしかったという感じです。
室長
2017/02/23 10:19
(続)
  上記の最後・・・役者は「訳者」の誤りです。
  この著作は、上記の通り読む側としては結構細かいところで、何の話だ?と言う疑問がわく記述も多いのですが、それでもその時代の文献などを精査して書いた名著のように感じます(訳者がもうすこし一般読者のために、しっかり注釈をつけてほしかった)。大英帝国がいかにして、徐々に市民層の関心から外れた存在となり、消えていったかがよく分ります。
  なお、独断型、断言型の政治家としては、日本では小泉純一郎、小池百合子などが当てはまると思う。国民大衆の感情を揺さぶり、一点集中型の「攻撃スタイル」で世論を巻き込み、政治の流れを作ることがうまい。二人がすべて正しいことを言っているかどうかは怪しいけど、マスコミ操作の手腕もうまい。既成政治家等のように、波風を立てないで、ごまかして、いつの間にか「実行して」、その中から関係者の利益を公平に分配する・・・談合主義的政治とは異なります。

  トランプなどの独断型政治家も、規制勢力の力を殺ぐ形で、新しい時代を切り開く、と言うやり方で、小泉、小池と似ている。日本では両名とも、名前だけは「小」と言う感じがついていて、表面的には謙譲的に見えることもあるし、庶民の利害を代弁している振りもうまい。孤立無援ながら、いつの間にか自身が政治の主流を歩む形を、上手に作る・・・とうとう、ナポレオン、ケマル・パシャ的な政治家が日本にも出現したと言えるかも。
室長
2017/02/23 10:39

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