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みんなの「歴史」ブログ

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トランプ現象とは、理念型政治(美辞麗句、大義)への反発
  トランプ現象とそれに先立つ英国のEU離脱(BREXIT)心理の解釈が、相変わらず小生の頭の中で中心的な課題となっています(注:これまで2回「トランプ現象とはノスタルジック反乱だ」と題して書いた。今回は別の角度からの論評です)。 ...続きを見る

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2017/02/19 15:17
ブルガリア内政:新大統領の就任、早期総選挙の実施期日が決定
  昨年末、大統領選におけるGERB党候補の敗北を受け、Boyko Borisov首相が内閣総辞職した(注:http://79909040.at.webry.info/201611/article_2.html)ので、Plevneliev大統領が、第43次国会の任期内における政府・新政権形成のため努力を繰り広げたが、結局政権を引き受ける政党、或いは小政党との連立で政権を支える大型政党が見付からず、政府形成努力は瓦解した。 ...続きを見る

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2017/01/26 12:07
大統領選大敗で、内閣が辞職
 11月のブルガリアにおける大統領選挙で、政権与党のGERB党推薦候補が敗退し、その結果、事前にもし大統領選で敗退するようなら、自分は首相職を辞任すると公約していたBoyko Borisov首相が、敗戦がほぼ確定した11月14日、内閣総辞職を申請し、第2次ボリーソフ政権は、約2年と任期4年の半分しか全うせずに退陣することとなりました。 ...続きを見る

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2016/11/22 11:48
虚構の力と財政規律という美名
 さて、前回の記事から既に1ヶ月、そろそろ新しい記事を書かないと小生自身の頭脳面での健康度に疑問符がつきかねない。  そこで、以前からやっている新聞切り抜きから、小生が別ファイルに分別しておいた注目すべき論文、記事、などを取り集めてご紹介してお茶を濁そうと思う。産経新聞記事の場合、検索できる記事に関しては、できるだけURLを探して、皆様が参照しやすいように手助けするつもりだ。産経紙電子版は、キーワードで検索しやすいので、すぐに関連の記事が見付かるのがありがたい。 ...続きを見る

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2016/11/05 17:05
読書:満洲におけるロシアの権益拡大時代と植民地朝鮮を統治する日本帝国主義の時代に関する書物
 さて、最近小生は、偶々Book offで購入した2冊の翻訳本を読んだ。ともに米国人学者が書いた、第二次大戦以前に関する本で(注:後者の場合は、1945年8月の終戦まで、小生は1945年7月生まれだ)ある。小生自身、今では老人としての感覚しかないが、それでも、戦前或は戦中を含めての1945年8月以前の時代に関しては、自分の時代の歴史ではありえないが、最近の若い世代に比べれば、若干は記憶が重なる部分もある(例えば、小生のブルガリア勤務時代においては、周囲にいる先輩たちは、ハルビン学院卒のロシア語... ...続きを見る

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2016/10/06 18:14
人間の働きぶりと、AI、ロボット技術の発展
 また、新聞切り抜き記事で気に入った記事を題材として、少し論じてみたい。 ...続きを見る

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2016/04/06 13:52
新聞切り抜き記事の整理方法
  今回は、小生が編み出した情報整理手法に関し、少し説明させていただきたい。   小生は現役引退後、徐々に情報整理の一環として(ブログ記事作成用資料の整理手法の一つとして)、クリアファイル(CF)を使って、似た情報を一つのクリアファイルに入れて時系列的に保管するという作業をしてきた。その過程で徐々にほぼ最適と言う形での整理方法が出来上がって来た(5--6年をかけて徐々に整理手法が完成した)。 ...続きを見る

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2016/03/14 15:32
歴史戦、安倍総理の70年談話
  8月15日の「終戦」記念日前日(14日夜)に、安倍総理が行った談話は、全ての要素、テーマにつき言及する一方で、これらを客観的な立場で、歴史として扱い、自分の言葉としては、「後世の世代にまで謝罪させる宿命を背負わせてはならない」と、一番肝心な主張をしたことが素晴らしい。国際社会の常識に照らして極めて異常な、一方的な「謝罪」と言う、極東アジアにおいてのみ発生した悪例としての異例の行為を、韓国、中国、北朝鮮が日本に対し行う・・・しつこく、しかもいつまでも繰り返される要求に対し、今後は日本国として繰... ...続きを見る

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2015/08/27 19:07
中国の巨悪にようやく気付き政策転換を始めたオバマ政権
  小生は、今年1月以来、ブルガリア社会の中の各エスニック集団ごとの文化、宗教、伝統などに関して、翻訳を主体として勉強しつつ記事を書いてきました。   この過程で、世界規模の政治状況(国際情勢)などに関しては、新聞記事切り抜き(主として産経紙)を通じて、それなりに遅れを取らないようにと配慮したつもりですが、それでも人間は一点集中と言うか、あまり多方面には目配りがきかないものです。   そういうなかでも、最近新聞記事切り抜きを整理しつつ読んでいて、凄いと思った記事がいくつかあったので、今回ご紹... ...続きを見る

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2015/07/26 15:07
ユダヤ人の祭日:前書き(その一)
  さて、今回から、在・ブルガリア・ユダヤ人社会の祭日に移ります。   今回と、次回の2回は、その前書き部分です。 ...続きを見る

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2015/04/05 15:21
在ブル・アルメニア人の祭日:9−12月期
   さて、今回は、在ブル・アルメニア人の祭日です。9--12月期の祭日と、アルメニア教会固有の歴史的祭日で、順番から言うと15--20番の6項目です。    なお、今回で、在ブル・アルメニア人の祝祭日の紹介は終了します。次は在ブル・ユダヤ人の祭日紹介などに移ります。 ...続きを見る

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2015/04/02 09:56
偉人百選:時系列での順位一覧
  今年7月以来、ブルの偉人『百選』の記事を、翻訳し、更に小生なりにいっぱい注を付けて解説し、自分の評価も下しつつ、書いてきました。半分ほど進んだ頃から、やはりこの著者たちの順位づけは、ブル人の考える各偉人に対する格付けとしては、正しいのであろうけど、時系列で読んだ方が歴史書としては分りやすいだろうと、そこの欠点が気になり始めました。   そこで、今回、『百選』の順位を生年の順番で組み直してみました。この順番で読むほうが、歴史の時代区分ごとに、時の流れとともに、理解しやすいというメリットがある... ...続きを見る

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2014/12/31 16:31
偉人百選:ヴァンガおばさん
  とうとう最後、100番目の偉人に到達しました。Vangaおばさんと言い、盲目の婦人ですが、30歳の時から半世紀強、来訪者の悩み、相談に乗り、彼らの個人的問題につき、回答を出して癒すことができました。悩み相談に際しては、霊界と交信して、相談者の親戚とか、死者などへの質問に対しても回答を得てくるなど、超能力とか、予見能力も発揮したと言います。 ...続きを見る

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2014/12/29 14:44
偉人百選:ラーザル・ドブリッチ
  99番目の偉人として、『百選』著者はサーカス業界のブル最高の人物を紹介しています。小生自身は、社会主義時代、1—2度はソフィア市内にあったサーカス劇場に見にいったことがあるのですが、小生の記憶では、ハンガリー・サーカスとか、ロシア・サーカスとかの来演時に見にいっただけのような記憶があり、ブル・サーカス団の公演に付いては記憶が無い。また、Lazar Dobrichと言う名前も、知らなかった。   小生が記憶しているブル人で、当時(1970年代)世界的に有名だと言われていたのは、M... ...続きを見る

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2014/12/29 08:59
偉人百選:メトディー・クーセフ
   98番目の偉人は、wikiで探しても見当たらないMetodiy Kusevという高僧の話です。現在マケ共和国領のPrilep町に生まれ、帝都に所在したブル正教会代理座で、オスマン政府と交渉し、マケドニア、トラキアのブル人居住地に次々とブル人学校、図書室などの施設建設許可を取得し、オスマン帝国内でのブル人の居住領域の境界線を確定しようと頑張りました。 ...続きを見る

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2014/12/28 08:53
偉人百選:ギューロ・ミハイロフ
  97番目の偉人Gyuro Mihaylovは、一種の「近代的伝説」、或は軍隊の「宣伝作戦」の結果生み出されたような、若干怪しげな「英雄」である。とはいえ、明治の日本が生み出した、「軍人伝説」の「広瀬中佐」とか、そういう類の話だと思えばいいようです。どこの国でも、ある種の「英雄伝説」が生み出され、軍人教育の視点から、巨大銅像にまでなるようです。   ところで、小生自身は、このGMの銅像と言うのは、一度も見たことは無かった。Plovdiv市では、社会主義時代、丘の上に立てられた巨大なソ連軍兵士... ...続きを見る

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2014/12/27 15:35
偉人百選:ディーコ・イリーエフ
  96番目の偉人は、『百選』では珍しい、作曲家です。長い間軍楽隊に勤務したので、軍隊用の行進曲も作曲しているのですが、それ以外に、結婚式、その他の民間の集会などで、管楽器オーケストラのみで演奏できるホロ曲を多数作曲し、ブル全土で好まれ、どこでも演奏されたという。とはいえ、本人は、ブル北部風のホロ音楽の伝統をきちんと踏まえて、どしどし多作したようで、ブル国の国民音楽の領域を広め、民衆が楽しめる音楽を多数輩出した功績は大きいようだ。 ...続きを見る

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2014/12/26 17:25
偉人百選:トンカ婆さん
  95番目の偉人は、四月蜂起を含め何度もの対トルコ解放闘争を仕掛けた在Gyurgevo(ジョルジュ)市ブル中央革命委員会のドナウ川対岸(ブル側)Ruse市で、革命闘士を匿ったり、書簡の往来拠点=クーリエ拠点として重宝された「家」(自宅)を提供したBaba Tonkaと言う女性の話です。彼女自身の活躍としては、隠れ家の提供、子息、娘たちをクーリエ役として使うことで、秘密書簡の往来を支援したという・・・・主として、ロジ役としての活躍です。 ...続きを見る

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2014/12/25 14:51
偉人百選:ストヤン・ザイーモフ
  94番目の偉人は、Stoyan Zaimovという、ブルの歴史、特に四月蜂起などの歴史的瞬間の記録者としてZahariy Stoyanov(20番目の偉人)と似たような役割につき功績が認められました。とはいえ、SZの記録者、伝記作家としての才能は、ZSよりかなり低いとの評価で、このように後ろの順位となりました。ZSに比べれば、元来富裕層に所属し、教育面でもより高い教育レベルで学んでいるのだが、若干小役人的なところがあるのか、ZSほどの文才を示せなかったようだ。   興味深いのは、子息のVl... ...続きを見る

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2014/12/23 14:24
偉人百選:ペータル・ボグダン
  93番目の偉人は、これまであまりブル人の間でもよく知られてこなかった、カトリックの聖職者です。同人は、17世紀と言う、未だに正教徒の間では、ブル民族としての自覚、民族解放運動などの復興期への動きも、始まっていない、むしろオスマン帝国内の同化作用の中で、ブル人の民族的個性が徐々に失われていた時期に、当時西欧文明の一番発達していた伊で学んだおかげで、ブル民族意識に目覚め、西欧、中欧諸国からの支援を引き出すことで、何とかブル民族をオスマン帝国から解放できないかと考え、反乱・蜂起の陰謀を何度も何度も... ...続きを見る

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2014/12/22 10:41
偉人百選:トードル・ジフコフ
   92番目の偉人は、小生が1967年初めてブル国に行った時から、1989年11月まで、ずっと独裁者として君臨していた政治家です。アジアの共産圏では、北朝鮮のように、世襲を試みる共産党指導者がいるが、ソ連・東欧圏で唯一娘のLyudmila Zhivkova(1942--81年)への政権引き継ぎを意図し、画策しようとしていたことでも特異な存在ですが、この夢も1981年7月に彼女が早世したことで、消えてしまいました。その後は、孫娘のEvgeniya Zhivkova(1965年11月生まれ、LZの... ...続きを見る

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2014/12/20 11:33
偉人百選:アレクサンダル・バラン
  91番目の偉人は、Aleksandqr Balanという言語学者で、なんと99歳まで生きるという長寿の人でした。同人は、スラヴ言語学、スラヴ方言学、ブル言語の歴史、近代ブル文語などに関するブル最高の学者で、共産党革命後のいわゆる「近代ブル文語の民主化」(簡素化)にも寄与しました。ロシア帝国BessarabiaのBograd市付近の生まれ、大学はPraha大学を卒業。29歳と言う若さで、ブル最初の大学(高等師範学校、現在のソフィア大学)の初代学長に選ばれたのですが、その後は学会内の嫉妬などで、... ...続きを見る

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2014/12/18 10:08
偉人百選:ディミータル・モローフ
  90番目の偉人は、Dimitqr Mollovという外科医師です。同人は、愛国者でもあり、幾つもの戦争に参加している(ただし、医師として)のですが、政治家としては親露派であったことから、Stambolov政権によって睨まれ、拘禁された(7年間)という苦い経験もあるようです。   とはいえ、1878年以降の「新生ブルガリア国」で、最初の保健関係の立法を手掛けたり、種々の医師団体、或は赤十字社を立ち上げたり、国立のアレクサンダル病院を創設するなど、ブル医学界の初期の指導者として存分に活躍したよ... ...続きを見る

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2014/12/17 10:24
偉人百選:ダン・コーロフ
  89番目の偉人は、Dan Kolovというプロ・レスラーの話です。1925--1930年代初頭に、米国で絶大な人気を誇った重量級自由スタイル・レスリングの巨星です。ところが、本国のブルでは1933年10月頃に国内のスポーツ紙が初めて報道するまでは、まるで知られていなかったというから、当時のマスコミと現在のマスコミとの報道の在り方の違いが大きかったというしかない。 ...続きを見る

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2014/12/16 12:16
偉人百選:ヴラディミール・ディミートロフ
  88番目の偉人Vladimir Dimitrov –Maystoraは、明るい原色を多用し、多くの肖像画、風景画を祖国に残したブルを代表する画家です。印象派というよりは、一種の象徴主義画家と見做されているようです。   両親の出身地は、実はAndrey Lyapchev(86番目の偉人)と同じ地域、すなわち現在マケドニア領のBitola市西方の山地に所在するMagarevo村です。両親はマケドニアからブルに亡命してきた、ALと同じくヴラフ(Vlah)系の家族ですが、VD自身はK... ...続きを見る

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2014/12/15 10:10
偉人百選:ヴァシール・ドゥルーメフ
  87番目の偉人はVasil Drumevという、復興期末期に出現し、近代ブル文学史上で最初の短編小説家、或は最初の脚本作家として功績のあった人物です。つまり露留学時の文学者としての功績(1860--72年、19--31歳)が評価され、この『百選』に場所を与えられているのですが、その生涯の軌跡を見ると、高僧、政治家としての経歴の方が長い人物です。 ...続きを見る

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2014/12/13 18:38
偉人百選:アンドレイ・リャプチェフ
  86番目の偉人は、現在のマケドニアResen町生まれで、珍しい少数民族系の出自(ヴラフ)であるAndrey Lyapchevという政治家です。同人は、Stambolovとは対立したPetko Karavelovと親交を結び、民主党、或は民主合意党の党首として、ブルの政界で重きをなした人物です。 ...続きを見る

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2014/12/10 15:00
偉人百選:ヨアン・ククゼル
  85番目の偉人は、最近としては珍しい「プラスの偉人」と言えそうです。しかも、教会音楽の世界の人で、説明を読んでもなかなか分らない用語が出てきて手こずりました(意味不明のままのところも、残念ながら残りました)。   生まれは何とアルバニアのDurres(当時はビザンツ帝国領)で、しかも13世紀末頃です。しかし、母親がブル人女性であったことは、代表作の名称からも明らかです。ただし、音楽家としての教育は、ビザンツ首都のコンスタンチノープルの王室音楽学校で受けたし、貧しい家出身だったが、その天性の... ...続きを見る

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2014/12/09 09:31
偉人百選:コーリョ・フィーチェト
  84番目の偉人は、本名がNikola Fichevで、綽名がKolyo Fichetoと言います(注:綽名と言うよりは、KolyoはNikolaの愛称形だし、FichetoもFichevの愛称と言えるので、むしろ愛称形と言うべきかも)。オスマン時代末期、ブル復興期の建築・建設業者兼主任職人で、Lovech市に所在する石の橋は、伊などに多く存在する様式を取り入れた「屋根のある橋梁」として有名ですし、更に東方のRuse県Byala町に所在する「長大な石橋」も有名です。同人の孫にあたるのが、62番... ...続きを見る

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2014/12/07 18:01
偉人百選:ナウム・テュフェクチーエフ
  83番目の偉人(またもやマイナスの偉人)は、あの偉大な解放後の大物政治家St.Stambolovの暗殺を企画し、実行させたテロ活動の専門家Naum Tyufekchievです。武器商人として、ロシアのボリシェヴィキに対しても、或はVMOROにも武器を売り込んだし、殺人請負人として種々の政治的陰謀にも加担したようです。 ...続きを見る

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2014/12/06 17:54
偉人百選:ヤーネ・サンダンスキ
  82番目の偉人は、Yane Sandanskiという、かなり極端な人物です。A.Tsankov同様に『百選』著者らによっては「マイナスの偉人」と位置付けられています。自らの個人的野心の故に、VMORO活動を、内部分裂による兄弟殺しという流血で低劣化したし、マルクシズムの影響を受け、「バルカン連邦」と言う夢想主義に走り、「マケドニア民族」という、ブル人とは異なる新たな「スラヴ系人種」の創設に後世利用される結果ともなりました。 ...続きを見る

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2014/12/05 09:06
偉人百選:ミハイル・ゲルジーコフ
  81番目の偉人はMihail Gerdzhikovと言います。ブルでは珍しいアナーキストの理論家兼アナーキズム運動創始者ですが、他方で、マケドニア解放運動にも参加したことがあるし、結局はPlovdiv市(トラキア地方の中心)出身者として、Gotse Delchevによってオドリン地方(東トラキア)の解放闘争の指導者に指名され、Ilinden -Preobrazhenie蜂起に参加したほか、バルカン戦争時も、オドリン地方のブル国軍に協力したという、愛国主義的な功績もあります。   他方で、M... ...続きを見る

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2014/12/03 10:24
偉人百選:アレクサンダル・ツァンコフ
  80番目の偉人(マイナスの偉人)Aleksandqr Tsankovは、1920年代半ばに、左翼に対する血なまぐさい弾圧を行い、「血まみれの教授」と呼ばれた政治家です。ナチス式の上からの統治体制を樹立しようとしましたが、ボリス国王は「軍事同盟」を後ろ盾(奥の院)とするATの「軍閥支配」体制(1923--26年初頭)を嫌い、穏健派のAndrey Lyapchev(1926年1月--1931年6月まで首相)らを後押しして、AT政権を倒壊しました(1926年1月)。 ...続きを見る

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2014/12/02 09:12
偉人百選:ゲ・メ・ディミートロフ
  79番目の偉人は、あの共産党の大物G,Dimitrovとほぼ同じ本名を持った男で、それが故にイニシャルのGとMを採って「ゲメート(Gemeto)」と通称された男の話です。生まれた土地はオスマン・トルコ帝国のEdirne県で、マルマラ海に面したEni chiflik村です。1903年の生誕時、この村は未だに多くのブル人が居住するブル人村であったといいます。   1913年(10歳)、第二次バルカン戦争にブル国が敗退すると、オスマン帝国の東トラキア地方にいたブル人達は、大挙してブル国へと移住を... ...続きを見る

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2014/11/30 09:46
偉人百選:ヨルダン・ヨフコフ
  78番目の偉人はYordan Yovkovと言う短編小説の名人です。出生は、バルカン山脈東部のKotel地方(Sliven県北部)の中でも、現在も観光村として復興期の美しい家々が残るZheravna村(バルカン山中の盆地)ですが、13歳の頃家族が移住した南ドブルジャ地方のDobrich県北部のIzvorovo村(当時はDolen izvor村)などのドブルジャの風景、そして、トルコ系、タタール系、ルーマニア系などのオスマン帝国時代の多民族が未だに共生していた頃のドブルジャ大平原という大地をネ... ...続きを見る

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2014/11/28 11:17
偉人百選:ツァンコ・ツェルコーフスキ
  77番目の偉人は、通称Tsanko Tserkovskiといい、ブル政界に1920年代初期、農民党支配時代をもたらしたBZNS(ベゼネセ)の創設者です。その思想背景は、ロシアのナロードニキ運動で、左翼の社民党(共産党の前身)に参加したこともあるのですが、本当は政治活動ではなく、農協的な活動をしたかったようです。文学にも関心があり、農村詩人として詩集も出しています。ところが、自らが当初主導権を握って創設したBZNSが、やがてAleksandqr Stamboliyskiらの政治家によって乗っ取... ...続きを見る

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2014/11/27 14:21
偉人百選:ハジー・ディミータルとステファン・カラジャー
  76番目の偉人は、二人を一括してこの順位に位置付けています:Hadzhi DimitqrとStefan Karadzhaの両名です。   HDはSliven市の裕福なギルド職人の家庭に生まれましたが、親戚の間にhayduk(山賊、ゲリラ)となった人々が数名居るなど、それなりに民族解放運動に自覚を持った環境の中に生まれたようです。 ...続きを見る

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2014/11/25 18:35
偉人百選:ヴァシール・ズラタールスキ
  75番目の偉人Vasil Zlatarskiは、31番目の偉人Marin Drinov教授によるブル歴史研究を更に深め、より一層科学的な資料検証、中世年代記に対するより詳しい検証を通じて、画期的にブル歴史学のレベルを高めた巨頭です。しかも、Drinov教授がどちらかと言うと、ロシア、ウクライナで活躍し、ブル本国での活動が短かった(ブル本国で教壇に立ったことは無い)のとは逆に、28歳以降はほぼ一貫して祖国ブルのソフィア大学で歴史学部の講師、助教授、教授として学生らにブルの中世史を教えたほか、後... ...続きを見る

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2014/11/24 09:50
偉人百選:イヴァン・ボゴーロフ
  74番目の偉人は、Ivan Bogorovと言い、復興期のかなり初期に活躍したブル近代文語の創設者の一人です(G.Rakovski、N.Gerovらとほぼ同時期で、学んだ学校も重なる)。ブル言語学者としては、ブル語の純粋性に拘り、ロシア語、トルコ語、ギリシャ語の影響を排除しようと提唱しました。しかし、これらの言語から派生した単語はあまりにも多くブル語の中に存在しており、これらをすべて排除するなどは現実的な選択ではありませんでした。既に定着していた単語、たとえばkibrit(トルコ語、マッチの... ...続きを見る

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2014/11/23 09:01
偉人百選:コンスタンチン・ストイーロフ
  73番目の偉人Konsitantin Stoilovは、2度も首相を務めた解放後の新生ブルにおける指導的政治家だ。Simeon RadevはKSのことを「全てのブル人政治家の中で、最も西欧的な政治家だ」と評した。 ...続きを見る

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2014/11/21 09:47
偉人百選:エリン・ペリン
  72番目の偉人は、Elin Pelinという筆名を持つ作家です。Pelinとはヨモギのことで、まさにソフィア市周辺の農民ショープたちを象徴する植物として筆名としたようです。故郷のBaylovo村は、今では巨大化したソフィア市の東郊とも言える場所ですが、19世紀初頭にはロシア対トルコ+墺の戦争のせいで無人化していたそうです。EP祖父のStanyoが、パザルジック県北部のPanagyurishte郡Poibrene村(Sredna Gora山地地方)から、この無人化した村へと移住を決意し、初めて... ...続きを見る

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2014/11/19 10:38
偉人百選:ペータル・ベロン
  71番目の偉人は、またもや教育分野の人です。Petqr Beronは、実は復興期の初等教本としては一番有名な『魚の教本』を、1824年(29歳の時)に著作し(ギリシャ語、セルビア語の初等教本を真似ただけで独創性は低い)、この故にブルの教育事業近代化、ブル近代文語の成立に大きな足跡を残しました。 ...続きを見る

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2014/11/15 13:42
偉人百選:ヴァシール・アプリーロフ
  70番目の偉人は、Vasil Aprilovという人物です。自分自身はGabrovo商人の兄たちのおかげで、ルーマニアのBrasov市の高校、或はウィーンの大学医学部などでも学ぶことができたが、兄たちの商売が傾き、医学部を2年で中退し、Odessa市で自らも兄たちと一緒に商売に励みました。蒸留酒工場、製糖工場などで成功したほか、食品・雑貨の大型店舗をO市で開店して更に成功を収めました。     ...続きを見る

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2014/11/12 13:02
偉人百選:キリル総主教
  69番目の偉人は、アルバニア北部からブル国へと亡命してきたアルバニア人家族の子弟として誕生したKonstantin Markovと言う人物です。父母ともに名前から見ると、ムスリムではなく、恐らくはオーソドックス教徒だったようです。その意味では、また子息がブル国で誕生したからには、KMもブル人ではない、とは言えません。 ...続きを見る

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2014/11/11 14:21
偉人百選:ペンチョ・スラヴェイコフ
  第68番目の偉人は、Pencho Slaveykovと言います。30番目の偉人Petko R. Slaveykovという政治家の子息として誕生し、他の男子兄弟(3名の兄たち)は、それぞれ政治家、軍人、或は言論人などとして活躍しますが、Penchoのみは、青年時の一種の事故で身体麻痺障害者となりました。生涯麻痺を背負う形となったものの、強い精神力で障害を克服し、詩人としての才能、作家としての才能を開花させました。   6年間も独のライプツィッヒ大学で哲学、文学(露文学、独文学、北欧文学)を学... ...続きを見る

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2014/11/07 16:18
偉人百選:ペータル・ディームコフ
  67番目の偉人は、Petqr Dimkovという不思議な人物です。教育、職歴から言えば純粋な軍人でもあるのですが、祖母から幼児期以来「生薬療法」などの伝授を受け、自らもこれらの伝統民間医術に深い関心を寄せ、生薬を中心とした自然療法の本を出版して有名となった。更には種々の近代的理学療法などと伝統的療法を組み合わせるとか、病気に打ち勝つには肯定的感情を持ち続けることが重要とかの心理学的要素(密教的要素=esotericism)も持ち込むとか、独自の方法論を駆使したようです。 ...続きを見る

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2014/11/05 15:55
偉人百選:アレクサンダル・マリーノフ
  66番目の偉人は、Bolgrad市近辺のブル人村(Yambol県からの亡命者村)で誕生し、キエフ大学卒の法律家としてブル国に帰還し、P.Karavelov(33番目の偉人)に引き立てられて政治家、民主党党首となったAleksandqr Malinovです。 ...続きを見る

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2014/11/04 15:55
偉人百選:ガヴリール・クラーステヴィッチ
  65番目の偉人は、G.Krqstevichという人物です。Sliven県Kotel町出身の秀才であったため、Sofroniy Vrachanski(Kotel町出身)の孫にあたるStefan Bogoridi(オスマン帝国高官)から目をかけられ、帝都Kuru-Cheshme地区所在のギリシャ語学校で中等教育を受けた他、パリのソルボンヌ大学法学部に留学させてもらい、大学卒業後の25歳に帝都に戻ってSBの個人秘書、補佐官として活動します。その後、1851年(34歳)以降は、オスマン帝国高官(司法... ...続きを見る

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2014/11/02 16:44
偉人百選:ステファン総主教代理
  64番目の偉人は、Stefan総主教代理といいます。バルカン戦争、第一次大戦での敗北と言う2回の「国家破滅」に直面し、ブル民族の自信が喪失されていた、一番困難な時期に、ブル正教への信仰を繋ぎとめるため、努力しました。Carnegie財団が派遣した国際委員会のために、また、セルビア、ギリシャによる「同化政策」に晒され、代理座という庇護者も失ったこれら両国の占領下で苦しむブル系人のために、彼らがこうむった非人道的被害の証拠を国際委員会に提出して、ブル系住民を保護しようと努力しました。 ...続きを見る

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2014/10/31 09:55
偉人百選:ザハリー・ゾグラフ
  Zahariy Zografは、復興期のブルで、ブル人商人たちの資力も高まり、各地に教会、修道院が建設されたり、修復、再建されたりしていた頃、その祭壇を飾るイコン画とか、壁を飾るフレスコ画を描くことを職業とした人々(Samokov画派)の中でも、一番才能が高かったと言われた人物です。ZZの描いた美しい壁画、イコン画は、Rila修道院、Bachkovo修道院、Troyan修道院、Preobrazhenski(「キリストの変容」と言う意味、Transfiguration)修道院(VT市郊外)でも... ...続きを見る

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2014/10/28 13:32
偉人百選:イヴァン・フィーチェフ
  第62番目の偉人Ivan Fichev中将は、バルカン戦争時に、その戦争準備期における作戦計画の立案段階から、戦争指揮の主役として活動した人物です。対トルコ軍作戦と言う緒戦では大成功したものの、同盟国として信用できない諸隣国の「裏切り行為」の結果、マケドニア地方の大部分の領土をセルビアとギリシャの両国に「横取り」された上、全く「同盟国」でもなかった、「部外者」であったルーマニアが「火事場泥棒に勝手に参加」して、南ドブルジャ地方を奪取するという予想外の損失も加わり、ブル国は「第一次国家破滅」と... ...続きを見る

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2014/10/25 18:12
偉人百選:ボリス・サラーフォフ
  61番目の偉人は、またもやVMRO関係者です。19世紀末から20世紀初頭に活躍した人物で、目的のためにはテロ活動も辞さないという、かなり過激な人物でした。最初はブル本国系(外部系)の最高委員会に所属した元軍人ですが、やがては内部系組織(VMORO)の闘士として行動しました。 ...続きを見る

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2014/10/22 18:10
偉人百選:ペーヨ・ヤーヴォロフ
  60番目の偉人は、Peyo Yavorovという詩人です。高校さえまともに卒業できなかったほど相対的には貧しい家庭に生まれたようですが、若い時からマケドニア解放運動に熱中し、また詩人としての文才を発揮しました。 ...続きを見る

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2014/10/20 16:44
偉人百選:ボリス・フリストフ
  59番目の偉人はBoris Hristov(Boris Christoff)と言うオペラ歌手です。同じバスのオペラ歌手としては、小生が生活した社会主義時代のブルでは、BHとは仲が悪かったらしいNikolay Gyaurov(Nicolai Ghiaurov)と言う歌手がいて、後者は時折ブルに帰国して公演もしていたのですが、BHは一度もブルに帰国して公演しなかったので、小生としてはあまり知らなかった人物です。 ...続きを見る

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2014/10/18 17:40
偉人百選:イヴァン・シシュマーノフ
  58番目の偉人は、Ivan Shishmanov教授という学者です。最初の留学先が墺で、その後はドイツ、スイスなどに留学しました。ドイツ語圏が好きだったようです。 ...続きを見る

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2014/10/17 17:37
偉人百選:アタナス・ブーロフ
  57番目の偉人は、Atanas Burovという人物で、例のブルの名門校Gabrovo高校卒、その後は裕福な家庭だったので、仏に留学でき、パリ大学法学部を卒業した。銀行家として経済界でも活躍しますが、帰国後は、ほぼすべての国会で国会議員に故郷のGorna Oryahovitsa選挙区(Veliko Tqrnovo県)から選出されていて、「Narodnata partiya(国民党)」党首になります。 ...続きを見る

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2014/10/15 18:45
偉人百選:フリスト・タタールチェフ
  56番目の偉人は、Hristo Tatarchevといいます。世代的には、VMORO活動家として、24番目の偉人Gotse Delchevとあまり変わらず、むしろHTの方が3年先に生まれています。他方で、GDは1903年に31歳と若くしてトルコ軍に包囲され、戦死したのに比し、HTは1952年と第二次大戦後まで長生きし、死亡時は82歳、しかも亡命先の伊トリノ市で亡くなっています。HTはVMORO活動家としては、常に穏健派に属し、ブル本国系マケ解放組織である「最高委員会(Vqrhoven kom... ...続きを見る

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2014/10/12 18:20
偉人百選:聖ゲオルギー・ノヴィ・ソフィースキと聖ニコライ・ソフィースキ
  55番目の偉人としては、二人のソフィア市内で殉教した聖人が挙げられています。16世紀に、イスラム教への改宗を強要されたが、断固として拒絶し殺害された、「普通のブル人」だという。宗教の話であるし、日本人の立場からは分りにくい部分もあるが、結局近代の国民国家形成において、基盤となったブル人としての民族アイデンティティーの主要素は、@母語としてブル語を話すこと、A宗教的には東方正教会系のオーソドックス教徒であること、B父母、親戚などもブル語を話す共同体・社会に所属していたこと・・・の3要素であろう... ...続きを見る

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2014/10/10 16:12
偉人百選:トードル・アレクサンドロフ
  54番目の偉人はTodor Aleksandrov、またもやVMRO(ヴェメレオ、英語IMROイムロ=Internal Macedonian Revolutionary Organization)活動家の話です。そもそも、ブル国のオスマン帝国からの解放運動は、ブル教会独立運動として始まり、やがてはオスマン帝国からのブル解放運動となり、しかし、独立した時に@ブル公国(北部のミジア地方)、A東ルーメリア自治州(南部のトラキア地方の一部)のみをベルリン条約で承認されました。すなわち、ブル系人の多数... ...続きを見る

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2014/10/08 10:35
偉人百選:ニコラ・ペトコフ
  第53番目の偉人Nikola Petkovは、第51番目の偉人Dimitqr Petkovの二男として、裕福な家庭環境下に生まれましたが、愛国心から、バルカン戦争、第一次大戦の兵役義務をきちんと果たしました。また、兄同様に、ブルにおける非共産党系の左翼系運動と言える農民主義運動に共鳴し、若い時からこのBZNS(ベゼネセ、農民党)運動に参加し、同党機関紙編集者などとしても活躍しました。 ...続きを見る

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2014/10/07 11:51
偉人百選:イヴァン・アセン2世王
  52番目の偉人は、中世ブル第2次王国期の5代目の国王(統治期間が23年と異例の長さ)であるIvan Asen II王です。   この王は、王位を簒奪した伯父のBorilに殺される危機を子供の頃に経験し、南ロシアにまで亡命(逃亡)し、その後成人してロシア人傭兵とともに帰国し、Borilの目をつぶして王位を奪還(1818年)しました(注:中世期盲人は国王位に就けないという慣習があった)。 ...続きを見る

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2014/10/05 17:46
偉人百選:ディミータル・ペトコフ
  51番目の偉人は、あの「ブルの大久保利通(19番目の偉人)=Stefan Stambolov」の忠実な家臣と言える人物です。幕末の維新期に相当する、ブルのトルコからの解放闘争にStambolov同様に実戦参加した、幕末の志士たちに匹敵する政治家でDimitqr Petkovといいます。現在の地図で言うとルーマニア東部Tulcea(トゥルチャ)県(ブル亡命家族が集住していた地区の一つ)の出身者ですが、親分のStambolovにぴったりと寄り添い、ソフィア市長として都市計画に従事すると、土建屋と... ...続きを見る

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2014/10/03 15:27
偉人百選:ヴァシール・ラドスラーヴォフ
  いよいよ「百選」の中の50番目の偉人となります。Vasil Radoslavovは、ドイツのハイデルベルク大学で法学博士号まで取得した、ブルにおけるインテリ政治家なのですが、その割には「血気盛んな」人物であったようです。内相を何度も経験しているし、そのある時期の内相として、少しやりすぎ(農民蜂起を鎮圧など)もあったようで、3年後には国家裁判所によって市民権剥奪などが宣告されました(後に恩赦された)。 ...続きを見る

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2014/09/27 15:59
偉人百選:イヴァン・ミハイロフ(その二)
   Vanche Mihaylovのその二です。(なお、wikiの英語版では、下記を参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Ivan_Mihailov。) ...続きを見る

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2014/09/26 11:49
偉人百選:イヴァン・ミハイロフ(その一)
  49番目の偉人は、ブル国のために、統一マケドニアを実現しようと試みた愛国者(しかし、少し不思議な人物)の話です。 ...続きを見る

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2014/09/25 13:32
偉人百選:イラリオン・マカリオポールスキ
  48番目の偉人はIlarion Makariopolskiと言います。VT県Elena町の富裕な雑貨商家庭の出身であったため、外国留学ができ、特にギリシャのAndros島の学校で自由な近代教育の雰囲気を味わい、更にはアテネ市の高校でも、民族主義、愛国主義、革命運動(民族解放運動のこと)などを他のブル人留学生らと共に育みました。 ...続きを見る

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2014/09/24 11:20
偉人百選:ソフロニー・ヴラチャンスキ(その二)
  Sofroniy Vrachanskiのその二です。 ...続きを見る

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2014/09/23 10:29
偉人百選:ソフロニーヴラチャンスキ(その一)
  47番目の偉人Sofroniy Vrachanskiは、1739年生まれと、前回のAntim代理に比べれば、77年も前に生まれ、死亡年が1813年とAの生年1816年より3年前の人物・・・そうとうに時代が遡ります。この故に、実はこのSVは、直接例のブル・ナショナリズムの先駆者・先覚者であるPaisiy Hilendarskiと会っていたらしいのです。そして、パイシー(5番目の偉人、1722年生まれ)の「スラヴ・ブル人の歴史」を自ら筆写し、後世に写本を遺すという功績さえあった人物なのです。この... ...続きを見る

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2014/09/22 15:23
偉人百選:アンティム総主教代理(その二)
  ★Antim総主教代理の、その二です。 ...続きを見る

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2014/09/21 10:46
偉人百選:アンティム総主教代理(その一)
  46番目の偉人は、Antim総主教代理と言う僧侶です。ブル民族復興期の僧侶ではあるのですが、カルジャリ県という、Rodopi山系の東端に位置する、トラキア地方の貧しい家庭(父親は雇われ庭師、母親は助産婦)に生まれました。このブル南部地方は、ブル北部のミジヤ地方とは異なり、純粋なブル人村は少なく、A自身の生地の村もトルコ人、ギリシャ人、ブル人、ユダヤ人が混住する村でした。 ...続きを見る

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2014/09/20 14:09
偉人百選:イヴァン・ゲーショフ
  45番目の偉人はIvan Est. Geshovという英国で経済学の教育を受けた人物です。帰国後最初は東ルーメリア自治州を第2のブル国として発展させることに精力を注ぎ、同時に1876年の四月蜂起に際しては、その西欧的感性と英語の能力を使って、米国人総領事、記者、及び独人記者の3名の国際アンケート委員会に対して、トルコ軍による蜂起鎮圧時に起きた残虐行為を告発し、自らも英紙Timesに7回の報告記事を送付するなどの活躍で、欧米世論、外交界に対して「ブルガリア問題」を提起することに成功しました。こ... ...続きを見る

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2014/09/18 14:36
偉人百選:ダナイル・ニコラーエフ
  44番目の偉人D.Nikolaevは、生粋の軍人で、露土解放戦争でブル人義勇軍部隊を率いた中隊長であったほか、解放後の第3次ブル王国における主要な事件にすべて関与し、何度も戦争相(国防相)を務め、更には、バルカン戦争時(60--61歳)にもトルコ国境に近い要塞司令官と言う地味な役割ながら一応参戦するなど、まさに、新生ブル国における国軍将校の象徴的人物であったと言える。 ...続きを見る

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2014/09/17 10:59
偉人百選:エヴロギー及びフリスト・ゲオルギーエフ兄弟
  43番目の偉人は、珍しく経済界の人間です。Karlovo町という「バラの谷」に所在する、当時としては一定の商業的繁栄を誇った町の出身で、子供の頃から両親を亡くし孤児となったので、母親の兄弟(伯父)たちの支援で成長し、成人するとルーマニアのブカレストで商業企業を伯父たちの出資を得て開店し、徐々に商才を発揮して事業を拡大しました。ブル産品である繊維製品、木綿、絹布、小麦、米などを西欧に輸出し、一定の規模となると伯父たちは故郷のKarlovo町に帰ったというから、独立したようです。弟も商才ありと見... ...続きを見る

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2014/09/16 17:37
偉人百選:フリスト・ダーノフ(その二)
  42番目の偉人フリスト・ダーノフのその二です。 ...続きを見る

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2014/09/15 09:44
偉人百選:フリスト・ダーノフ(その一)
  ブルガリアの復興期においては、ギリシャ人僧侶たちからの宗教的自立運動、次いでオスマン帝国からの自立運動があったが、それらの根幹には、まず「ローマ人、ギリシャ人」と言うオスマン帝国時代のmilet概念から離れ、ブルガリア人としての民族的自覚の覚醒が求められた。そしてそのようなブル人意識の再興運動と密接に関連したのが、近代ブル語の研究と近代ブル語文語の確立による教育の普及、或は、中世期に第1次、第2次ブル王国として、ビザンツ帝国と対等にわたり合ったという過去の歴史(=自尊心)の復活が試みられた。... ...続きを見る

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2014/09/14 09:40
偉人百選:ゲオルギ・ラコーフスキ(その二)
  41番目の偉人Georgi Rakovskiに関する、その二です。     ★「15--19世紀の著名人」からGRに関するデータを追記 (1)ギリシャ国籍を取得、おかげで死刑判決から免れた    1840年(19歳)帝都のギリシャ学校を卒業直後にギ国籍を取得したのかも。そして、1841年(20歳)、Ilarion Makariopolskiとともに、アテネで結成されたマケドニア協会会員となった。 ...続きを見る

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2014/09/11 10:47
偉人百選:ゲオルギ・ラコーフスキ(その一)
  41番目の偉人は、ブル歴史書に頻繁に名前が出てくるGeorgi Rakovskiです。この人物も、帝都Istanbulでの活躍、投獄経験、国外追放・亡命など、数々の波瀾万丈の生涯を生きますが、一番の同人の資質は、解放闘争に関連する種々の夢想的な「構想、計画」を出版してブル人達を扇動する能力でした。また、露外交方針策定の中で生れた、ブル各地からブル人住民を大量に南部ロシアに移住させるという「移住計画」を小冊子で暴露し、反対運動を火付けして、このような暴挙を廃案としたこと、実際にベオグラードで、... ...続きを見る

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2014/09/10 17:46
偉人百選:ゲオルギ・ベンコフスキ(その二)
   Georgi Benkovskiに関する、その二です。 ...続きを見る

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2014/09/09 10:13
偉人百選:ゲオルギ・ベンコフスキ(その一)
  40番目の偉人は、この百選の中では異例な非インテリで、小アジア半島を放浪したような、どうやら放蕩癖もある、お調子者の革命家であるGeorgi Benkovskiだ。日本で言えば、戦前の大陸浪人のような人物と言えば分り易いかも。   とはいえ、こういう世俗の中で人生経験を積んだ人物は、この百選に出てくる他のインテリで、学者、新聞記者、文人、政治家などを兼務したような人間とは違い、大衆を扇動し、反乱軍を編成し、トルコのバシボズク(非正規軍)のような荒くれ連中との実戦を指揮するには、よほど腹も座... ...続きを見る

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2014/09/08 23:42
偉人百選:ネオフィット・ボズヴェリ(その二)
  Neofit Bozveliに関する、その二です。   上記の記述よりも時系列で、しかも内容豊富です。 ...続きを見る

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2014/09/07 10:16
偉人百選:ネオフィット・ボズヴェリ
  39番目の偉人は、Neofit Bozveli・・・Bozveli(トルコ語で、規律に従わない破戒僧と言う意味だという)と言う不思議な綽名を持つ僧侶の話です。僧侶で、俗人教育に力を注ぎ、Svishtov町を有名な教育センターに育てます。しかし、その後には、愛国主義もあり、ブル人としては、僧侶としても出世できないこと、「売官制度」でオスマン帝国政府から高位の僧職の地位を買い取って、Tqrnovo府主教などとして赴任してくるギリシャ人僧侶(Phanariot僧侶)たちへの憎悪心を募らせます。 ... ...続きを見る

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2014/09/06 13:50
偉人百選:ナイデン・ゲーロフ(その二)
  さて、今回は、Nayden Gerovに関する、その二です。 ...続きを見る

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2014/09/03 11:03
偉人百選:ナイデン・ゲーロフ(その一)
  38番目の偉人は、ナイデン・ゲーロフと言う人物で、留学そのものは5年程度ですが、この期間にロシア国籍を得た。その後クリミア戦争時には、Plovdiv市のギリシャ系市民らから攻撃され、トルコ政府もロシア国籍を持つ同人を国外追放処分としたので、再度3年ほどロシアに滞在。そして、帰国後は教師として基盤を築いたPlovdiv市で、ロシア外交官として安定した収入を得たうえで、教会独立運動、民族解放運動などにも積極参画した。 ...続きを見る

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2014/09/02 13:31
偉人百選:キモン・ゲオルギーエフ
  キモン・ゲオルギーエフは、36番目の偉人ではあるが、これまでの偉人達とはすこぶる異質の、謀略を専門とした不可思議な人物だ。そもそも、20歳で士官学校を卒業し(1902年、20歳)、その後は2度のバルカン戦争と第1次大戦に参加(1912--1918年、30--36歳)した生粋の軍人だが、1918年の大戦終了後国軍から解雇され(講和条約で国軍規模が大幅縮小されたから)、1919年には退役将校らと「軍事同盟」という政治組織を作り、1923年の「6月9日クーデター」(41歳)で農民党政権を破壊し、更... ...続きを見る

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2014/08/31 18:00
偉人百選:ドラガン・ツァンコフ
  35番目の偉人は、ドラガン・ツァンコフといいます。   この男は、83歳という当時としては異例な長寿を全うした人物ですが、他方政治家としては、結構ふら付いて、異端・極端方向に走りました。 ...続きを見る

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2014/08/30 10:53
偉人百選:ディミータル・ブラゴーエフ
  34番目の偉人は、ディミータル・ブラゴーエフです。社会主義時代には、ブル共産党の創設者として、9月9日の革命記念日における集団行進の際には、1番目に肖像画が登場する人物でした。2番目がGeorgi Dimitrovで、3番目がTodor Zhivkovでした。もちろん、実際には、ブルのこれらの英雄(?)の前に、ソ連の英雄(ただし、レーニンと当時の共産党書記長の2名が普通。年によってはガガーリンなどのソ連の宇宙飛行士)の肖像画が行進することが多かったのですが。 ...続きを見る

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2014/08/28 13:18
偉人百選:ペトコ・カラヴェーロフ
  33番目の偉人は、ペトコ・カラヴェーロフです。この人物は、政治手腕にも優れていたほか、見識、政見にも一貫性があり、19番目の偉人St.Stambolovと同じリベラル党の指導者として、活躍しました。あるいみ、スタンボローフ政権の準備をしつつ、新生ブル国の基盤を固める作業をスとともに、成し遂げた人物と言えるでしょう。   特に蔵相として、均衡財政を主導し、国家の財政基盤を安定させた功績は大。 ...続きを見る

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2014/08/26 18:30
偉人百選:ネオフィット・リールスキ
  今回32番目の偉人は、Neofit Rilskiという基本的にはRila修道院を本拠とした僧侶です。この人物は、僧侶としての出世と言う視点では、最後にRila修道院の大修道院長となったくらいで、主教、府主教などの位階には就いていません。むしろ、ブル語教育者、ブル文化の発展への貢献、という側面に自分の関心が強かったようで、1830年代後半(自身は40歳代前半)には、Gabrovo市とKoprivshtitsa町に学校を創設し、ブル復興期のブル語学校の中心地、或は師範学校としてこの二つの教育セン... ...続きを見る

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2014/08/25 13:31
偉人百選:マーリン・ドゥリーノフ
  31番目の偉人は、マーリン・ドゥリーノフという歴史学者です。1838年10月生まれですが、1858年以来ロシアに留学し、その後は著名ロシア貴族夫人に気に入られて家庭教師となり、子供らを教えると同時に、この一家に付き添って1865--70年の5年間ほど、ウィーン、スイス、Praha、イタリアなどを歴訪し、これら各地の図書館を回ってブル歴史に関する資料を漁りました。 ...続きを見る

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2014/08/24 12:03
偉人百選:ペトコ・スラヴェイコフ
  暑い夏の日が続き、小生も毎日は散歩に出る勇気も失せました。その分、この偉人伝は次々に完成しているのですが。   さて、30番目の偉人は、Petko Slaveykovです。オスマン統治期末期のブル民族としての自覚、そして民族解放運動に向けて、ブル国民を啓蒙し続け、教師、記者、作家、政治家として活躍し続けた、いわばブル国における「幕末維新の志士」たちの一人と言うべき人材です。とはいえ、幕末の日本では、さほど新聞などの印刷媒体はまだ大きな存在ではなかったようですが、ブルの場合は、それなりに新聞... ...続きを見る

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2014/08/22 11:14
偉人百選:アレクサンダル・バッテンベルク公
  29番目の偉人は、ドイツのヘッセン州出身のアレクサンダル・バッテンベルク(Aleksandqr Batenberg)公です。ア公は、22歳の時、親しくしていた叔父にあたる露皇帝Alexander IIの推奨を受けてブル公として派遣されてきました。ブル第3次王国の初代君主(Alexander I of Bulgaria)としての着任でした。ちなみに、弟のHeinrichは、1885年7月23日に英国女王Victoriaの娘Beatriceと結婚し、英国貴族となりました。 ...続きを見る

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2014/08/20 12:49
偉人百選:リューベン・カラヴェーロフ
  27番目の偉人は、V.Levski、H.Botev、S.Stambolov、Z.Stoyanovらの少し先輩として、民族解放闘争の理論構築に励み、新聞を発行して対オスマン革命闘争を扇動したリューベン・カラヴェーロフです。本人は、「革命闘争」を過激に扇動する危険人物として、露、セルビア、ルーマニア官憲などからもマークされたようですが、身辺に危機が迫ると、何度もさっと他の国に亡命する。しかし、ハンガリー官憲によって一度は投獄されたこともある。 ...続きを見る

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2014/08/19 11:00
偉人百選:ヨーシフ総主教代理
  第27番目の偉人はYosif総主教代理です。   この項で作者たちは詳しくは言及していないのですが、19番目の偉人Stefan Stambolovのところで述べたように、Yosifこそは、スタンボローフの漸進主義に同調し、ス首相と同盟を組んだ相手なのです(http://79909040.at.webry.info/201101/article_4.htmlを参照)。ス首相のオスマン政府との交渉における事前根回し、仲介など「ブル外交官」としても活躍しました。 ...続きを見る

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2014/08/16 14:49
偉人百選:アレクサンダル・スタンボリースキ
  26番目の偉人は、ア・スタンボリースキです。第1次次大戦後には、世界中でボリシェヴィッキ革命、社会主義への期待が高かった時期ですが、工業化が遅れ、工場労働者が多くは無く、むしろ小規模農民(日本と異なり、土地がやせていて、雨も少なく、気候も涼しい欧州では、15--16haという耕地面積を持つ農民ですら、単なる貧農である。ブルの農民層の大半は、この程度の地主で、下請け農民層は少なかった)が住民の最大多数を占めていたので、スがこれら貧農階層こそが国政の主役となるべきだ、という理論を構築し、農民党独... ...続きを見る

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2014/08/15 14:26
偉人百選:ゲオルギー・ディミートロフ
  25番目のブル歴史の偉人は、Georgi Dimitrovです。   社会主義時代のブルでの生活を体験した小生としては、毎年ディミートロフ廟前で行われた9月9日の「革命記念日」の行進行事が、それなりに記憶に残っている。資本主義国の物質的繁栄を知っている我々外国人は、品数が極端に少ない「貧しい社会主義国の市民」たちが、その洗脳教育と無知ゆえに、誇らしげに廟の上に立つ共産党幹部に敬意を表して行進するありさまに、違和感を覚えたものだが、逆に物質的には豊かになった今日、未だに、「あのころは皆が平等... ...続きを見る

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2014/08/14 14:57
ブルガリア史の偉人100選:ゴーツェ・デルチェフ
  24番目の偉人は、現在ギリシャ領となっているブル人町Kukush生まれの英雄ゴーツェ・デルチェフです。本人自身は「ブル人」と意識し、マケドニア地方を最終的にはブル国と併合することを夢見て、組織作りに奮闘した人物なのですが、歴史の皮肉と言うか、今では「マケドニア共和国でも、マケ人の英雄扱い」されているようです。   このような歴史の歪曲は、最近の我が国にとっても無縁ではない話で、この意味でも、ゴーツェ・デルチェフは興味深い素材と言える。 ...続きを見る

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2014/08/13 12:40
ブルガリア史の偉人100選:ボリス3世王
  23番目の偉人は、第1次大戦後に即位し、第二次大戦中に、ヒトラーとの会談後の心労を元に死亡したと言われるボリス3世王です。1918年に即位したが、第1次大戦で経済的に疲弊し、領土的な夢も壊滅したブル国内では、農民党的共和主義、ファシスト系右翼による共和主義などの王権軽視、極端な政治思潮がはびこり、ボリスが親政を実現できたのは、ようやく1935年(41歳)のことでした。要するに、17年間は、ただただ「政治的忍耐を重ね、戦略的待機を重ね」、国王としての統治の知恵を磨く修業を重ねたという感じです。... ...続きを見る

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2014/08/12 09:35
ブルガリア史の偉人100選:クルム・ハーン
  22番目の偉人は、まだブル国の王たちが遊牧民風のハーンという呼び名で呼ばれていた、ブルガール族君主の統治時代に、ブル第1次王国の中央集権体制、行政機構、法律などを整備し(もちろん、未だに初歩的段階で、例えば、対ビザンツ戦でクルムが率いた軍隊にはスラヴ諸族首領が率いる部隊、アヴァール族部隊などもあった。軍隊レベルでは未だに部族連合的要素が根強かった。)、従来の遊牧民系の「部族連合政権(連邦制体制)」から脱却し、ビザンツ帝国と対等にわたり合える国家機構の建設を成し遂げたクルム・ハーンです。 ... ...続きを見る

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2014/08/10 13:51
ブルガリア史の偉人100選:エフティミー総主教
  今回21番目の登場は、エフティミー総主教という、ブル第2次王国期にブル国が保有していた総主教座の最後の長となった人物です。生年月日、死亡年月日、ともに確かなところは不明ですが、恐らく下記のような生年、没年と想定すると、75歳という、中世期としては大変な長生きの人物であったようです。   同人は、元来は瞑想と生きたまま神と同一化するという、仏教でいえば密教のようなイシハズム宗派の高僧ですが、出自がブル貴族で、しかも、聖典類の正しい原本の発掘、校正という、ビザンツ帝国末期の教会における流行にも... ...続きを見る

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2014/08/09 14:40
ブルガリア史の偉人100選:ザハリー・ストヤーノフ
  偉人百選の20番目は、Karavelovの新聞記事に感動し、民族解放闘争にStambolov配下として参加し、解放後もStambolov政策を支持する新聞論調で、裏から支えたほか、ブル公国と東ルーメリアの2つのブル国を合併する際には、東ルーメリアにいて蜂起を準備した、ザハリー・ストヤーノフです。   ザは、生涯を通じLyuben Karavelov、Stefan Stambolov支持者として活動したほか、1876年の四月蜂起にも自ら参加し、後にこの蜂起に参加した英雄たちの行動、経歴、人物... ...続きを見る

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2014/08/07 09:59
ブルガリア史の偉人100選:ステファン・スタンボローフ
  偉人百選の19番目は、小生自身が昔から尊敬してきた近代ブル国家をほぼ一人で基礎固めをしてしまった天才政治家のステファン・スタンボローフです。バルカン半島に多く輩出する、独裁ワンマンタイプの政治家でもあるのですが、とはいえ、後世の歴史家らもこぞって称賛し、後に続く、同種の大政治家が輩出しておれば、その後のブルの悲劇的な歴史は、回避されていたのではないか?と言えるほど、ぬきんでた政治家です。しかも、若い年齢にもかかわらず、他の年輩の政治家らをも圧倒する、気迫ある決断力を常に示しました。政権を失っ... ...続きを見る

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2014/08/04 14:13
ブルガリア史の偉人100選:イヴァン・アレクサンダル王
  偉人百選の18番目は、Ivan Aleksandqr王です。   第2次ブル王国末期のブル王で、当初は、ビザンツ皇帝軍を壊滅させるなど、軍事的才能も発揮するし、伸び盛りの西の王国セルビアのStefan Dushanには、妹のElenaを嫁がせて、友好関係を確立するという外交手腕も発揮し、それなりに有能な国王だったとも言える。   とはいえ、その後は全ての子息たちにも「国王」号を与えたりして内政の秩序を乱したり、対オスマン・トルコ警戒心を十分持たず、国家の破滅への対策をきちんとしなかった、... ...続きを見る

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2014/08/03 11:24
ブルガリア史の偉人100選:ボゴミール神父
  偉人百選の17番目は、キリスト教ドグマが一番盛んなはずの中世期に、突如ブル国内から出現した異端派信仰を創設したとされるボゴミール神父です。   ブルではキリスト教受容が864年で、10世紀の当時は、国家によるキリスト教受容決定後まだ半世紀で、まだ国民の多くも、たいして正当なキリスト教の教義自体についても、十分深くなじんでいなかった可能性もある。ともかく、このボゴミール教は、西欧にまで影響を及ぼしたこと、明白にブル発の異端派信仰であること、などから、結構ブルガリアという国名を聞くと、ボゴミー... ...続きを見る

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2014/08/02 16:27
ブルガリア史の偉人100選:ミラディーノフ兄弟
  偉人百選の第16番目です。   オスマン統治期の晩期に、現在はマケドニア共和国領西部にあるStruga町の陶工の子息として生まれた兄弟(とはいえ、年齢差は20歳もあった)が、ブル人文化人としてのナショナリズムに覚醒して、マケ各地で行われ始めていた「ギリシャ化」の波に抵抗し、昔からのブル文化を、民謡歌詞の発掘、採集という手法で出版し、ブル民族意識の高揚に寄与しました。   兄弟が、結局はギリシャ人僧侶の密告で、イスタンブールの牢獄でほぼ同時に獄死した、という悲劇性で、却ってブル人英雄、殉教... ...続きを見る

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2014/08/01 10:05
ブルガリア史の偉人100選:カロヤン王
  偉人百選の15番目です。   カロヤンという名称は、あまり日本人には馴染みがない(養毛剤はあるが)けど、ブル出身の琴欧洲関の本名と言うことでは知られています。また、ブル第1次王朝の始祖だったPetqrとAsenの兄弟の3番目の弟で、しかも、バルカン半島に侵攻してきた西欧からの侵略者たち=十字軍騎士軍を打ち破った英雄でもあります。 ...続きを見る

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2014/07/31 11:24
ブルガリア史の偉人100選:サムイル王
  偉人百選の14番目です。   サムイル王に関しては、隣国マケドニア共和国の捏造の歴史(旧ユーゴ時代のチトーによる捏造史観のたまもの)では、マケドニア王朝の始祖と位置づけされているらしいが、本当は以下に記す通り、ブル第1王朝期に最後の奮闘ぶりを発揮して、ビザンツ帝国に抵抗した人物です。 ...続きを見る

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2014/07/30 11:07
ブルガリア史の偉人100選:聖イヴァン・リールスキ
  ブル史の偉人百選で、13番目に位置付けられているのが、多分に伝説的な僧侶であるIvan Rilskiです。   ブル正教副本山格のRila修道院を開設したことでも、その聖遺品が、数々の奇跡を起こしたらしい伝説からも注目されますが、もっと注目すべきは、この聖人こそが、ブル人の庇護聖人として尊敬されている、ということです。今も、ブル観光では、Rila修道院は素晴らしい建物と、中庭にある教会の壁画の美しさが際立っているし、最盛時にいたとされる多くの修道士のために食事を作ったという大釜なども、ここ... ...続きを見る

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2014/07/28 16:11
ブルガリア史の偉人100選:Asen家の兄弟王
  さて、12番目の登場は、アッセン王家の2名の兄弟王、Ivan Asen IとPetqr IIの両名の話です。   Petqrが兄で、Ivanが弟ですが、どうしても人気、評判の面では弟が先のようです。もっとも、両名は、どちらかが形式的に「国王」となっていても、実質的には常に「共同統治者」であったし、弟のIvanにこそ、軍事的才能があったようです。どういう訳か、騎馬民族社会では、また、古いロシアの民話などでも、弟、或は特に第3子が一番の英雄である事例が多いようです。ブルでも、「シメオン大王」は... ...続きを見る

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2014/07/27 18:27
ブルガリア史の偉人100選:フリスト・ボーテフ
  とうとう、11番目のフリスト・ボーテフの登場です。ボの残した詩文は、数は少ないが、いずれも火を吐くような美文で愛国心を謳い上げ、すべての教科書に掲載されて、ブル人の脳裏に刻み込まれています。その意味で、誰からも愛されている、本当の意味での国民詩人と言えるでしょう。 ...続きを見る

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2014/07/26 11:49
ブルガリア史の偉人100選:クリメント・オフリツキー
  さて、ようやくこの百選の中の10番目の人物です。クリメントこそは、キリル兄弟の弟子ながら、実際にブル第1次王国の中に、古ブル語の聖典類を普及させ、ブル人僧侶を多数育成して、独立のブル正教教会の創立に対し、一番大きな貢献をした人物です。古ブル語文語に基づく聖典類を、多く書写して、後のルーマニア、ロシア方面へと普及させたのも、クリメントの孫弟子たちです。 ...続きを見る

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2014/07/25 15:20
ブルガリア史の偉人100選:フェルディナント王
  さて、偉人百選の第9番目は、今でもブル国民の間で評判が悪いフェルディナント王です。この本の2名の著者は、歴史の偉人の選定基準は、その人物がブル歴史に残した影響の大きさであり、肯定的か否定的かでの評価には依存しないと説明している。 ...続きを見る

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2014/07/24 12:05
ブルガリア史の偉人100選:アレコ・コンスタンティーノフ
  前回のイヴァン・ヴァーゾフに引き続き、新生ブルガリアで作家として有名となったアレコ・コンスタンティーノフが、第8番目の偉人です。ブル人は、外国人相手にブルの素晴らしさを威張り散らす表の顔と、自虐ネタで自国人を笑い飛ばす裏の顔の二つを持っています。この2番目の顔のヒーローを創作したのが、アレコとその周囲にいた当時のブル・インテリたちなのです。 ...続きを見る

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2014/07/23 10:02
ブルガリア史の偉人100選:イヴァン・ヴァーゾフ
  ブル史の偉人百選の7番目は、イヴァン・ヴァーゾフです。   小生自身は、ブル作家の著作をほとんど読まなかったので、作品内容に関してはコメント不可能ですが、オスマン帝国からの解放前夜と、解放後の双方の時期にわたって、ブル人の心を同時代的に反映し、写し取った、まるで心霊写真家のような能力があったらしい(この本の著者は、地震計と評価している)。   また、膨大な作品を通じて、近代ブル文語の確立にも寄与したというから、日本の夏目漱石のような存在と言えるかも。 ...続きを見る

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2014/07/21 11:54
ブルガリア史の偉人100選:シメオン大王
  ブル史の偉人百選の6番目です。   普通は、シメオンは、第1次ブル王国時に、ブルガリアとしての最大版図(黒海−−アドリア海−−エーゲ海へと3つの海に到達する大領土)を実現した「大王」として有名ですが、何度も言うように、EU加盟交渉中の03年に書かれた本書では、このような領土面での成果はあまり強調されず、「文化」(キリスト教文化)面での成果ばかりが強調されています。ともかく、中世のブル王の中でも、僧侶としての最高教育をビザンツ首都で受けていたシメオンは、異例のインテリ国王であったことも確... ...続きを見る

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2014/07/19 16:11
ブルガリア史の偉人100選:パイシー・ヒレンダールスキ
  さて、ブル史の偉人の第5番目を下記にご紹介する。   パイシーという下級の修道僧だが、この人物は、アトス聖山内の、セルビア系の修道院で修業しているとき、同僚のセルビア人僧侶たちから「ブル人」ということで差別を受け、秘かに激怒、発奮して、中世のブルガリアの栄光の歴史を掘り出し、歴史書を書くことで、ブル・ナショナリズムの火付け役、先覚者としての役割を果たしました。 ...続きを見る

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2014/07/16 13:03
ブルガリア史の偉人100選:ヴァシール・レーフスキ
  ブルの偉人百選シリーズの4人目です。レーフスキが絞首刑となったソフィア市内のところには、レの銅像がある(Bul. V.LevskiとSt.Moskovskaの交差点)。ここから少し南へ行けば、国立図書館とソフィア大学が所在するし、銅像の後ろ(西方)にはアレクサンダル・ネーフスキ―大聖堂が聳えている・・・・・・すなわち首都の中心部にレの銅像は存在している。 ...続きを見る

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2014/07/15 14:37
ブルガリア史の偉人100選:キリルとメトディウス
   今回も、偉人百選の続きです。聖書をギリシャ語から古ブル語に翻訳し、スラヴ人世界へのキリスト教布教の先駆けとなり、かつ、後世のスラヴ文化、ロシア文学の基礎をも築いた兄弟です。    この兄弟については、この本の作者たちは、少なくとも母系ではスラヴ人で、ある意味ギリシャ系とスラヴ系(当時のブルガリア系)のハーフという解釈です。 ...続きを見る

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2014/07/12 10:04
ブルガリア史の偉人100選:アスパルーフ汗、ボリス1世
  さて、小生はブルガリア滞在期に購入した本、『ブルガリア史の偉人100選:100-te nay vliyatelni bqlgari v nashata istoriya』(著者:Andrey Pantev、Borislav Gavrilov、2003年、Reporter社(Sofia)発行、第2版)に基づき、ブルガリア歴史上の偉人たちに関して、これからこのブルガリア研究室ブログを通じて、連載し、ご紹介していこうと思う。   ブルガリアから持参越した文献類は、相当多数存在するし、これまではい... ...続きを見る

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2014/07/10 10:06
従軍慰安婦部隊の本物は、韓国軍が設置していた!
  慰安婦問題に関しては、国際的な反日宣伝に一番利用できると見て、韓国官民が「慰安婦像」という、少女の像を北米の公園、その他で、目立つところに建設しようと画策しており、この歪曲史観の押し付けに日本国民は激怒している。さすがに、韓国内の有識者の一部の間でも、史実に目を向けて、「慰安婦は遊女だった」と真実を指摘する人物がいる:ソウル大学名誉教授の安秉直(アン・ヒョンジク)(77歳)氏だ。  この安教授については、小生は二つの記事切り抜きを持っているが、一つはweb記事でも読めるので、皆様に次の記事... ...続きを見る

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2014/02/13 12:22
ルクレティウスの詩文が、近代を開幕した
 『1417年、その一冊がすべてを変えた』(河野純治訳、柏書房、2012年10月発行。原作名『The Swerve:How the World Became Modern』、著者:Stephen Greenblatt、2011年発行)という書物を昨年末に、偶々Book –Offで安く手に入れたので、いつものようにトイレの中で読み始めた。  小生にとっては、難しそうで、ササッと読めない本は、基本的には、トイレの中でまず読書のスタートを切り、徐々に速度を上げるために、卓上で普通に読むと... ...続きを見る

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2014/02/05 16:57
ヒトラーは、何故ソ連に侵攻したのか?
 第二次大戦における一つの大きな謎であった、「何故ヒトラーが、不可侵条約を締結していたソ連への侵攻作戦という、二正面作戦を採ったのか?」という謎に対する回答が、実は、英国に冷戦期に亡命した元GRU職員によってとっくの昔(20年前)に提供されていた、という驚くべき論文(「歴史発掘:スターリンのドイツ侵攻電撃作戦」)が、雑誌『Will』の6月号に掲載されていて、びっくりした。この論文を書いているのは、西岡昌紀(マサノリ)というお医者さん(精神内科医、1956年東京生まれ、北里大学医学部卒)である。 ... ...続きを見る

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2013/05/15 12:00
教会も政府同様に腐敗しているとの記事
   2月25日付記事として小生は、Neofit新総主教の誕生につき書いた(http://79909040.at.webry.info/201302/article_4.html)が、また、その際に注書きで、Neofitには旧秘密警察(DS=デーセー)に保管されていた「DSファイル」が存在したことが、ドシエ委員会(ドシエとは、名簿のこと。DSに協力した人々の名簿、ファイルを調査するために、自由化後に設置された)により明らかにされていることにも言及した。そして、案の定というか、3月8日付のnovi... ...続きを見る

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2013/03/09 18:33
ネオフィット新総主教が誕生
さて、昨年11月12日に、マクシム・ブル正教会総主教の逝去につきこのブログ記事としてご紹介した( http://79909040.at.webry.info/201211/article_3.html)が、2月24日(日)には新総主教の選出が無事完了した由であるので、関連報道をご紹介する。     (注:下記の1――4.までは、http://www.novinite.com/view_news.php?id=147952を主として参考とした。) ...続きを見る

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2013/02/25 11:24
毎年繰り返されるブル・マケ両国間の「紛争」
 最近小生は、「マケドニア問題」に関連し3回ほど連載記事を書いたのだが(http://79909040.at.webry.info/201212/article_3.htmlなどを参照)、1月13日は、実はある女性闘士による対セルビア人占領者たちに対する抵抗運動の記念日であり、この記念日を祝うかどうかで、00年以降、毎年スコピエでは騒動が起きている。今年も、ほぼ例年の通りの展開で、ブル側支持者により、記念碑(板)が置かれ、献花されたが、翌日には記念碑が無残にも割られ、破壊されるという経過をたどっ... ...続きを見る

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2013/01/18 12:02
物故者への哀悼
 1月9日付の産経紙で、鳥居民(本名池田民、享年84歳)氏の死亡記事が出ていてびっくりした。少し前から気づいて、産経紙「正論」欄での同氏の論評を楽しみしていたので、悲しい思いだ。死亡記事は次を参照ください:http://sankei.jp.msn.com/life/news/130109/art13010922070004-n1.htm 。 ...続きを見る

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2013/01/12 12:06
中国史では異民族支配の方が長い(その二)
   前回に引き続く、その二です。 ...続きを見る

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2013/01/10 10:30
中国史では、異民族支配時代の方が長い(その一)
 岡田英弘著『読む年表:中国の歴史』(WAC=ワック株式会社、1912年3月初版)を再度読み直している。何度読んでも、すべてを理解し、頭に収めるのが難しいと思うほど、素晴らしい卓見が毎ページに現れるから、読み流せない。岡田氏に関しては次のwikiが参考となる: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%8B%B1%E5%BC%98。 ...続きを見る

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2013/01/10 00:04
短すぎる総理の任期
最近、小生が尊敬する元外務官僚河東哲夫氏が、そのブログに書いていたことで、本当に驚いた記述があった。  つまり、日本国の総理は、議会制が敷かれた明治期でも、1名の平均任期が2年に達しなかった(平均1.65年)し、軍部主導の政治期には1名平均が1.36年へと縮まったし、1985年以降には更に縮まって1.17年となっているという。 何れにせよ、日本国で政治的リーダーであるべき総理の任期が、100年以上前から2年を全うできない短期内閣ばかりだったという、そのことは、これまで何処のマスコミ記... ...続きを見る

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2012/12/21 13:16
西と東のキリスト教
 最近また、新しいアイデアが枯渇して、記事更新が遅れている。何か新しい面白い記事はないか、と思っていて、小生が長年所持しているが、宗教への関心の薄さから、ちっとも読み進まない本の中で、少しびっくりした箇所が出てきたので、このことを書こうと思う。 ...続きを見る

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2012/09/19 11:10
ブルガリア歴史:四つの記念日
 ブルガリアでは、9月6日と7日の二日間に4つもの記念日が重なるという偶然がある。最近のNovinite.com紙を見ていて、小生も初めてこの偶然に気付いたので、ご紹介しようと思う。 ...続きを見る

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2012/09/09 10:56
読書感想:『マオ 誰も知らなかった毛沢東』
  さて、ようやく今日、『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(講談社、05年11月第1刷)の下巻を読み終えた。  このGWのさなかに、家に閉じこもって読書にふけるなどは、引退後の老人の一種の特権かも知れない。とはいえ、この毛沢東という人物の詳細な伝記を、驚くべき精力と情熱を傾けて書ききった著者ユン・チアン女史の、素晴らしい労作を前に、遅読な小生が最後の300ページほどを3日程度で読み終えたことは、奇跡に近い。他方で、この陰鬱で、不愉快きわまりない老年の毛沢東に関して読み進めることは、いかにも多くの... ...続きを見る

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2012/05/03 16:30
偏向歴史教育の弊害:旧ユーゴ、セルビアの例(その二)
「偏向歴史教育の弊害:旧ユーゴ、セルビアの例(その一)」の続きです。    前回同様に、往復書簡形式となっています。 ...続きを見る

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2011/10/16 08:59
偏向歴史教育の弊害:旧ユーゴ、セルビアの例(その一)
 9月下旬に、小生がmugiさんのブログのコメント欄で展開した議論( http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/8a91275c6696b8fb616938ea2034b25d)では、mugiさんとのやりとりを通じ、旧ユーゴにおける偏向・歪曲歴史教育の弊害、これによりもたらされたセルビア人の誇大妄想が、唯一の世界大国米国との対決という、日本人がかつて犯したような過ちさえも導いた、ということを論じました。 ...続きを見る

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2011/10/15 16:54
スコピエ市における英雄像建立問題
 前回の記事(http://79909040.at.webry.info/201106/article_4.html)で、マケドニア共和国首都スコピエ市に、アレクサンダー大王に似た巨大な騎馬像が出現したと報じたのだが、マケドニア共和国内では、「似た」ではなく、明白に「アレクサンダー大王像」と呼んでいるらしいことが判明したので、ここに訂正しておく。  ちなみに、今回ブルガリアの英字紙Novinite.comに掲載された記事では、このアレクサンダー大王像の隣には、このほど、ブルガリア第一次王朝のサ... ...続きを見る

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2011/06/29 11:04
「ブルガリアの歴史」余話
「ブルガリアの歴史」を俯瞰してみれば:余話  今回は、英国人著者R.J.Cramptonが、その著書の末尾に掲載している結語部分の要約です。  ブルガリアの歴史を俯瞰してみると、特徴的な流れが見えてくる。この流れを指摘しつつも、最後には「責任をオスマン・トルコに転嫁」して、責任逃れする狡い態度からは、何も生まれ得ないとブル人達に警告している。 ...続きを見る

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2011/05/02 16:40
自由化後のブルガリアK
「自由化後のブルガリア」のKです。 ...続きを見る

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2011/04/30 09:55
自由化後のブルガリアJ
「自由化後のブルガリア」のJです。 ...続きを見る

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2011/04/29 10:35
自由化後のブルガリアI
「自由化後のブルガリア」のIです。 ...続きを見る

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2011/04/28 10:02
自由化後のブルガリアH
「自由化後のブルガリア」のHです。 ...続きを見る

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2011/04/27 06:06
自由化後のブルガリアG
「自由化後のブルガリア」のGです。 ...続きを見る

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2011/04/26 16:08
自由化後のブルガリアF
 読者の皆様、  ようやく、生活環境も回復してきたので、自宅に戻りました。これからブログ記事の更新に力を入れようと思います。 ご愛読下さい。 ...続きを見る

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2011/04/26 06:45
自由化後のブルガリアE
 本研究所ブログご愛読の皆様へ、  小生は現在、千葉県湾岸地区への震災被害による生活不便もあり、現在別荘に疎開中で、ブログ更新がまともに出来ず、ご迷惑をおかけしております。  DEの文章に関しても、3月初旬に原稿として下書きした分を、今は取り急ぎ、そのままの形で掲載せざるを得ません。時間が無く、この原稿をアップし終えたら、また疎開地に急ぎ戻るからです。コメントに対しても、次に返事できる日は、かなり先となるかも知れません。ご勘弁下さい。 ...続きを見る

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2011/04/06 14:44
自由化後のブルガリアD
「自由化後のブルガリア」のDです。 ...続きを見る

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2011/04/06 14:31
自由化後のブルガリアC
「自由化後のブルガリア」のCです。 ...続きを見る

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2011/03/08 10:40
自由化後のブルガリアB
「自由化後のブルガリア」のBです。 ...続きを見る

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2011/03/05 09:45
自由化後のブルガリアA
「自由化後のブルガリア」のAです。 ...続きを見る

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2011/03/01 10:29
自由化後のブルガリア@
 オスマン統治を脱したブルガリアが、ロシアとの利害関係の相違を認識して、嫌露路線の第3次ブル王国として、かつ中・西欧の提携先としては、結局ドイツを選ぶ形で近代化を推進してきたが、その親独政策が災いして、ソ連赤軍の占領という事態をもたらした。 赤軍が入って以来、共産党政権下に、対ソ従属国家として1944--89年の期間、共産党による、人間性を無視した、とんでもない圧政を経験したのですが、とはいえトップの座を長く務めた国内派共産党員のトードル・ジフコフは、表面対ソ隷従を貫徹しつつも、上手にソ連から経... ...続きを見る

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2011/02/26 10:44
共産党統治期のブルガリアG
「共産党統治期のブルガリア」(1944-89年)のGです。 ...続きを見る

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2011/02/24 14:42
共産党統治期のブルガリアF
「共産党統治期のブルガリア」(1944-89年)のFです。 ...続きを見る

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2011/02/21 11:12
共産党統治期のブルガリアE
「共産党統治期のブルガリア」(1944-89年)のEです。 ...続きを見る

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2011/02/18 17:20
共産党統治期のブルガリアD
「共産党統治期のブルガリア」(1944-89年)のDです。 ...続きを見る

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2011/02/16 10:42
共産党統治期のブルガリアC
「共産党統治期のブルガリア」(1944-89年)のCです。 ...続きを見る

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2011/02/13 17:12
共産党統治期のブルガリアB
「共産党統治期のブルガリア」(1944-89年)のBです。 ...続きを見る

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2011/02/11 09:27
共産党統治期のブルガリアA
  「共産党統治期のブルガリア」のAです。 ...続きを見る

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2011/02/09 09:26
共産党統治期のブルガリア@
 さて、前回まで、@〜Dの5回(実際はCを2分割したので6回)にわたり、ボリス王の統治期を中心に、欧州でファシズムの嵐が吹き荒れた頃のブルガリアの歴史を「第二次大戦終結までのブルガリア」として見てきました。  オスマン統治期を終えて、独立を果たした近代初期には、スタンボローフが嫌露派政権で近代国家の基礎を固め、その後は、スがドイツから連れてきた「サックス・コブルク・ゴータ家」のPrinceフェルディナントが、成長し、国王となり、独裁権を握って、ブル国家を「領土拡大路線」で引っ張ったのですが、第... ...続きを見る

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2011/02/05 09:51
第二次大戦終結までのブルガリアD
「第二次大戦終結までのブルガリア」のDです。 前回書いたように、1943.08.28にボリス王は死亡した。その頃ドイツ軍が東部戦線で既に劣勢に陥り、第二次大戦におけるドイツ側の敗戦がほぼ明白になり、ブルとしても何とか早く枢軸側から逃亡し、英米のお慈悲を乞い、ソ連軍の占領からは免れたかった。   しかし、米、英両国は、ブル側からの働きかけに極めて冷淡で、今更ブルに寛大な措置を約束してはくれなかった。結局、米英は、バルカン半島は後回しにして、仏のノルマンジー半島に上陸し(1944... ...続きを見る

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2011/02/03 08:55
第二次大戦終結までのブルガリアC−(2)
第二次大戦終結までのブルガリアC−(2)です。 ...続きを見る

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2011/01/31 10:51
第二次大戦終結までのブルガリアC−(1)
 「第二次大戦終結までのブルガリア」のC−(1)です。 (先ほど、C全体を一括アップしようとしたら、フリーズしてしまったので、データを軽くするために、Cを2分割することとしました。予定外のことですが、ご勘弁。) ...続きを見る

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2011/01/31 10:34
第二次大戦終結までのブルガリアB
「第二大戦終結までのブルガリア」のBです。 ...続きを見る

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2011/01/28 14:09
第二次大戦終結までのブルガリアA
「第二次大戦終結までのブルガリア」のAです。 ...続きを見る

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2011/01/26 11:59
第二次大戦終結までのブルガリア@
 これまで、フェルディナント国王の独裁時代のブルガリアを4回に分けて(@〜C)見てきました。いよいよ、第一次大戦後、フェルディナントが退位し、亡命した後のブルガリアの歴史です。ハイライトは、未だに国民の間で人気の高いボリス三世の独裁期ですが、それ以外にもスタンボリースキによる農民党政権時代、ブルの国粋主義者達が跋扈した時期、などもあります。  題して「第二次大戦終結までのブルガリア」の@です。 ...続きを見る

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2011/01/23 10:59
フェルディナントの独裁時代C
「フェルディナントの独裁時代」のCです。 ...続きを見る

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2011/01/21 16:06
フェルディナントの独裁時代B
「フェルディナントの独裁時代」のBです。 ...続きを見る

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2011/01/19 18:22
フェルディナントの独裁時代A
「フェルディナントの独裁時代」のAです。 ...続きを見る

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2011/01/16 16:34
フェルディナントの独裁時代@
 さて、ブルガリア史の「近代編」を@〜Dまで連載してきましたが、今回からは、いよいよ第2代のブルガリア公フェルディナントが、スタンボローフ首相を追い出し、自らの直接指導体制を整え、国際的承認も得て、アレクサンダル公以来悲願だった、ドイツ系王族による「親政」を実現した時代を見ます。  題して、「フェルディナント独裁時代」の@です。 ...続きを見る

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2011/01/13 11:57
近代のブルガリアD
「近代のブルガリア」のDです。 ...続きを見る

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2011/01/10 14:15
近代のブルガリアC
「近代のブルガリア」のCです。 ...続きを見る

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2011/01/07 14:34
近代のブルガリアB
「近代のブルガリア」のBです。 ...続きを見る

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2011/01/05 16:39
近代のブルガリアA
「近代のブルガリア」のAです。 ...続きを見る

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2011/01/03 10:49
近代のブルガリア@
 あけましておめでとうございます!   2011年の本年も、皆様のご愛読をいただきたく、頑張って執筆して参りたいと思います。 新年に入り、昨年末頃よりはじめた「ブルガリアの歴史」シリーズは、近代編に入ります。まずは独立後初期の、「近代国民国家としての基礎固めの時代(1878--1896年)」を、  「近代のブルガリア」として、連載します。今回がその@です。 ...続きを見る

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2011/01/02 09:30
コソボの歴史
 コソボ(Kosovo)問題について、今年10月にmugiさんのブログ(http://blog.goo.ne.jp/mugi411)で小生が論じたことを、ここにとりまとめて、今年最後の記事としようと思う。  バルカン半島における民族対立の歴史の中でも、一番根深い対立の一つと思えるものが、このセルビア人対アルバニア人のコソボの土地を巡る争いだから、我々バルカンに興味を持つ人間としては、看過出来ない問題なのです。 ...続きを見る

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2010/12/31 11:01
オスマン統治下のブルガリアF
「オスマン統治下のブルガリア」のFです。 とりあえず、今回で、オスマン統治時代は最後となります。今後は、独立後のブルガリアの歩みに移ります。 ...続きを見る

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2010/12/30 09:13
オスマン統治下のブルガリアE
「オスマン統治下のブルガリア」のEです。 ...続きを見る

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2010/12/29 10:20
オスマン統治下のブルガリアD
「オスマン統治下のブルガリア」のDです。 ...続きを見る

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2010/12/28 18:14
オスマン統治下のブルガリアC
「オスマン統治下のブルガリア」のCです。 ...続きを見る

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2010/12/27 10:17
オスマン統治下のブルガリアB
「オスマン統治下のブルガリア」のBです。 ...続きを見る

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2010/12/26 16:19
オスマン統治下のブルガリアA
前回の「オスマン統治下のブルガリア」@に引き続くAです。 ...続きを見る

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2010/12/24 16:53
オスマン統治下のブルガリア@
「ブルガリアの中世」@〜Bに引き続き、今回からは、 「オスマン統治下のブルガリア」(1393--1878年)を連載します。今回はその@です。 ...続きを見る

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2010/12/23 13:49
ブルガリアの中世B
「ブルガリアの中世」@、Aに続く、Bです。 ...続きを見る

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2010/12/21 09:29
ブルガリアの中世A
前回の@に引き続き、「ブルガリアの中世A」をお読み下さい。 ...続きを見る

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2010/12/11 11:24
ブルガリアの中世@
さて、最近の世相は、尖閣諸島問題(中国漁船の横暴への対応など)とか、朝鮮半島における北朝鮮による民間人居住地区への砲撃とか、我が国の国防に関し重大な関心を示すべき時なのに、いつの間にかマスコミは、海老蔵事件など、どうでも良い小さな事件にばかり報道枠を割き、菅直人内閣の迷走ぶりでさえも影が薄くなるほどで、もはやまともな報道が成されていないという情けない状況だ。小生も腹が立つが、何しろ私事の方も色々あって、きちんとしたブログ記事を創案している暇もない。そこで、これ以上ブログを放置するのも、一... ...続きを見る

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2010/12/09 15:13
衰退論は正しいのか?
 川北稔(かわきた・みのる)著『イギリス近代史講義』(講談社現代新書、2010年10月第1刷)を読み終えた。あとがき(エピローグ)によると、本書は、川北氏が一方的に7時間にわたり、4名の人を相手にイギリスの近代史につき、講義した内容を、テープ起こししてタイプし、これに少し手を加えるという形で成立したらしい。すなわち、一種の口述筆記とも言える。そのせいで、口語体が貫かれていて、読みやすいのだが、こうして英国の近代史を、経済史、社会史、生活史の視点で教えて貰うと、驚くほどに自分が英国史の裏側を知... ...続きを見る

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2010/11/04 14:33
少し冷静になろう
 今日は、少し時事的な話題につき、書きたくなった。  新興諸国の経済的勃興に押しまくられ、日本企業は海外展開を急ぐ以外に生き残れなくなっているが、若者は昔に比べ冒険心が無くなり、海外留学すら避けて通る。政治家達は、総理になることには熱心でも、なった後にどうすれば日本国をよりよい道に導くことが出来るのかという、舵取りの「構想力がゼロ」という人ばかりだ。しかも、あろうことか、党内抗争などで引きずり下ろされそうになると、勇気心も、闘争意欲もないから、あっという間に自ら辞任していく。国民が名前を覚える... ...続きを見る

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2010/08/25 15:39
国防の視点で日韓関係を見よう
8月11日付の産経紙によると、菅直人総理が率いる民主党内閣は、日韓併合100周年に関する「首相談話」という形で、またもや「お詫び」を繰り返すという愚を演じたようだ。   過去の歴史に関して言えば、韓国側にも、独立国としての自覚、国防意識の薄さ故に、ロシアの南下政策を危惧する日本(明治政府)の進言を聞き入れず、開国、近代化、国防力強化の努力を怠り、結果として、日本が乗り出して、自らが主導する形で、朝鮮半島の安全保障状況を改善するしかなかった、という、根本的な事実関係がある。当時の歴... ...続きを見る

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2010/08/11 14:40
「ブルガリア研究室」記事のテーマ別分類@
「ブルガリア研究室」ブログ:    記事のテーマ別分類 ...続きを見る

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2010/04/29 08:52
朱元璋と毛沢東
今回は、DVD作品『大明帝国 朱元璋』(CKエンタテインメント、16巻1〜第46話、wiki:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%98%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD_%E6%9C%B1%E5%85%83%E7%92%8B)を見終わったところなので、この歴史物DVD映画(中国のテレビドラマとして製作された)に関して、少しコメントを残しておきたい。  総論として解説すれば、この歴史ドラマ作品は、農民上がりの皇帝が、王朝の永続を願って部下達... ...続きを見る

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2010/04/12 17:12
昭和期軍部への断罪
さて、3月3日付のこのブログの記事「昭和期軍人だけの責任ではない?」( http://79909040.at.webry.info/201003/article_1.html )で書いたことの続きというか、昭和期青年将校ら、特に満州事変を企画、実行した関東軍参謀らが、日本国を敗戦へと導いた「主要な戦犯」であり、彼らの歴史上の過ち、罪状をきちんと議論して、昭和の歴史にそれなりの「反省を込めての断罪」部分を書く作業をしてみようと思う。実は、今回の記事は、小生がよくコメントを書... ...続きを見る

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2010/03/24 02:23
ロシアを捨てたスパイの話
 ちょっと今のところ書くべき自らの記事が用意できていないので、下記の他のブログ記事で気に入ったものをご紹介して、お茶を濁しておきます: ...続きを見る

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2010/03/11 01:33
昭和期の軍人だけの責任ではない?そして温暖化説は陰謀?
さて、最近少し冬季オリンピックとか、中国TVドラマ(『漢武大帝』というレンタルDVD)に嵌っていて、十分勉強が出来ていないのだが、その中で小生が注目した産経新聞の記事を2つほどご紹介したい。産経新聞の宣伝屋みたいになって、申し訳ないのだが、多くの新聞を購読する気もないので、ご勘弁願いたい。 ...続きを見る

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2010/03/03 03:12
虚構の計画経済G
さて、本件「虚構の計画経済」シリーズで、小生は、主としてソ連型社会主義体制への批判、或いは、「計画経済、科学的社会主義」と称した経済政策、経済に基礎を置いた社会政策の欠陥ぶりを、詳細に論じてきた。理論としてよりも、実際にブルガリアという国で、長年ソ連型社会主義の欠点、欠陥ぶりを観察してきた人間として、厳しく全てを白日の下にさらし、未だに社会主義思想を、より「人間に優しい」などと勘違いしている一部の愚かな日本人の蒙昧、無知を啓蒙したかったからだ。今回は、その締めくくりとして、何が一番辛いのか、或... ...続きを見る

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2010/02/25 10:37
虚構の計画経済F
 前回中国が、IT技術が完成して、安価に大量の情報を管理できる時代に、社会主義という制度を再編成して、経済的には資本主義的手法を取り入れて自由化すると同時に、政治思想としては、共産党一党独裁という体制を堅持して、引き締め、国民の「心を監視する体制が強化され」たことを述べた。経済を自由化しつつも、思想、心に対する自由化は拒否して、監視体制をIT技術で補強したという、実に多くの市民にとっては迷惑な決断であり、そういう政経分離の怪しげな社会主義新体制は、中国のみならず、ベトナムでもそうであるし、北朝鮮... ...続きを見る

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2010/02/18 18:34
虚構の計画経済E
 さて、今日は、中国型の新しい社会主義体制が出現し、これがPC技術という新しい技術革新を上手に利用することで、社会主義の非人道的、人間性無視の体制、秩序が永続される危険性に関し、指摘したい。  PC技術が完成し、普及する以前の、丁度良い段階で、ソ連型が崩壊したのに比べ、ようやく89年頃から「先に富むことができるものから富むべきだ」というケ小平理論で、社会主義体制を少し手直ししつつ成長路線に乗せることが成功し、その後、丁度PC技術の完成期(21世紀)に、進歩した情報管理技術で、技術的視点からも、... ...続きを見る

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2010/02/12 13:23
虚構の計画経済D
 最近、もう少し社会主義の欠陥に関して、思い出したことがあるので、書こうと思います。本当は、2月の記事としたかったのですが、日曜日に読む人も多いと思い、出し惜しみしないこととしました。 ...続きを見る

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2010/01/31 10:41
日本辺境論:そこそこが国是?
 今、内田樹(うちだ・たつる)著『日本辺境論』(09/11発行、新潮新書336)を読んでいます。日本の外交路線を日本人の心情面から解析して、日露戦争後何故日本が道筋を過ってしまったのかについての、分析が鋭くて、気持ちが悪いほどです。バルカン専門家として育った小生は、バルカン式の現実主義思考に慣れたせいもあり、日本人の本性というか、日本的心情というか、そういう「自己分析」には余り関心がなかった(どうせ日本人論は、日本人の欠点ばかり誇張する書物。根っこがバルカンの小生には無関係と思っていた)のですが... ...続きを見る

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2010/01/23 12:12
虚構の計画経済C
 虚構の計画経済Bの続きです。 ...続きを見る

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2010/01/10 10:45
虚構の計画経済B
 昨年末から、継続して書いている社会主義体制の欠陥ぶりを証明するため、小生のブルガリアにおける社会主義時代の体験に基づくシリーズの続き、第3回目です。  新年早々、重苦しい話題ですが、まあ日本人にとっては、他人事として軽く読みながら、間違っても左翼思想におぼれないで欲しい、そのための知識補強と考えていただければ幸いです。 ...続きを見る

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2010/01/05 11:29
虚構の計画経済A
 さて、社会主義の欠陥に関して、経験に基づき書き残すのが、小生の一つの使命と感じているので、今日も長々と書きます。小生自身、忘れたい過去の苦痛、悩みに関連する事柄も多く、書くのに苦痛も伴う場合もあるのですが、書いておくのが皆様の参考になると思い、続けます。どこまで記憶がよみがえるかの勝負でもあるのですが、来年まで書き続けられればよいと思っています。 ...続きを見る

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2009/12/30 12:07
虚構の計画経済@
 的場氏の『マルクスならこう考える』という本を、前回ご紹介しました。改めて感想を述べれば、マルクスという学者は、成熟期の大英帝国の資本主義を詳しく分析研究し、その上で資本主義の将来を占い、やがて行き詰まってしまうから、未来は共産主義社会しかあり得ないと予測したと言うところでしょうか。しかし、マルクスの生存中には、生産力の過剰と言えるほどの増大、その後の「欲しいだけ消費物資は手に入る」という夢のような世界は到来しなかったし、死後においてもそうはならなかった。  ただし、資本主義が、どんどん大量生... ...続きを見る

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2009/12/29 18:56
ドルと米国は復活する?
  昨晩(12/11)、シニア・フレンズの忘年会があり、なかなか楽しい話が聞けた。その中で一つ気になる未来予測があった:「2013年に円が大暴落して、ハイパーインフレ時代が来る」、というもの。2012年がマヤ歴における歴史の大転換の時期とされているだけでも、それなりに恐ろしい未来予測なのに、日本経済が大破壊されるというのでは、困った話しだ。もちろん、そういった、将来への危機を煽る類の占い愛好者は、巷に溢れているとも言えるが、自分の知人で、コンピュータに詳しく、種々インターネットで統計情報を集めて... ...続きを見る

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2009/12/12 15:03
ローマとチベット
 11月2日(水)、よく晴れた日なので妻が、「ローマ展」を見に行こうと言い出した。確かに、この展覧会もそろそろ終わりの期日(13日)が近づいているので、気にはなっていたのだが、何しろ基本的に出不精な小生は、良い天気で散歩日和だ、などと相変わらずのんきなことを考えていたのです。翌日の今日(3日)は、一転して一日雨らしいから、昨日外出したのは、実にタイミングの良い決断だった!今年7月に、偶々横浜にいたし、友人が「海のエジプト展」(アレクサンドリア周辺の発掘品が中心の展覧会だった)を見に行くというので... ...続きを見る

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2009/12/03 12:53
ソフィア市長補選
さて、ブルガリア情報を伝える英字電子メディアのwww.novinite.com/が報じるソフィア市長選(補欠選挙)などのニュースを少し紹介したいと思います。   ボイコ・ボリーソフ首相は、7月7日(日)総選挙に圧勝して政権を確保し、旧共産党系中心の連立政権を打破したが、右選挙は、元来自分をボディー・ガードとして雇ってくれた恩人の元国王=シメオン・サックスコブルク元首相の政党NDSVをも議会外政党に追いやるほどの圧勝だった。ボは、内務官房長(2001--2005年)時代に、警察制服組トップ... ...続きを見る

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2009/11/17 12:11
ブルガリア映画の受賞
 切り抜きした後に忘れていた記事を思い出しました。ブルガリア研究室を標榜するからには、いちおう無視してはいけない記事と思うので、以下に少しコメントしておきます。 ...続きを見る

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2009/11/09 11:17
「ながーい歴史」とそれに付随する欠点
さて、mugiさんのブログ(http://blog.goo.ne.jp/mugi411)で展開した小生の持論を再び焼き直しして(リサイクルして、ただし大幅に加筆)、自分自身のこのブログでも紹介しようと思う。「ながーい歴史」を誇る古い国家が、どうして現代社会で余り活躍していないのか、二流国家に落ちぶれているのか?という点に関する視点である。   「文明の衝突」という本があったように(小生未読)、世界各地には、古い文明、或いは「ながーい歴史」が創り出した、一種の「文明の型」が存在するよ... ...続きを見る

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2009/10/23 10:52
日本生まれの一神教?
 小生は、宗教に関しては、無神論ではないにしても、伝統仏教(真宗高田派)程度で十分という感じで、更には自分の宗派に関しても特に勉強したことはない。そうは言っても、バルカン半島、西欧、及び米国などとも若干は関わった「外国生活合計25年」の、「外国通」でもあるから、宗教に全く無関心でもない。その小生が最近、毎回一驚しつつ読んでいるのが、『週刊ポスト』に連載中の井沢元彦氏による「本居宣長の打ち立てた天皇絶対教は、一種の一神教だ」、という驚くべき指摘である。井沢氏によれば、日本においてキリスト教が人... ...続きを見る

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2009/10/16 11:51
「日本国の成立は7世紀」(続編)
「日本国の成立は7世紀」について 岡田英弘氏の『倭国の時代』(ちくま文庫)を読了したので、少し感想文を書く。   先に紹介した池橋氏の「稲作渡来民」=江南地方からの越人移民の到来に関する歴史推理とともに、従来我々が日本史として理解してきた流れとは全く異なる新歴史観が姿を現したと言える。岡田史観では、古代(古墳時代)の華僑社会形成こそが、日本国(及び韓半島の統一新羅国)建国の基盤だった、という極めて説得力に富んだご意見である。   実は小生は個人的には、脱亜論の方が好きで、近代以降のナ... ...続きを見る

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2009/10/01 14:06
鳩山「お坊ちゃま外交」に警鐘
  今回は、自分自身で書く以上に、すばらしい記事を書いておられるブロッガーがいらっしゃったので、勝手ながら、トラックバックをさせていただき、読者のご参考としたいと思います。   自分自身の筆ではないので恐縮ですが、バランスの取れた良い外交評論だと思います。 ...続きを見る

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2009/09/27 11:39
日本国の成立は7世紀
最近、東洋史学の新感覚の学究であられる岡田英弘氏の著作を読んだ。一種の読書感想文として、下記の記事を書くこととした。特に、白村江の戦いにて唐の大軍と戦って大敗した後の、倭国の生き残り戦略として、天智政権が当時のアジアにおける超大国中国からの侵攻を憂慮して、大和政権を中国の唐と対等な天命を受けた独立国の王朝として、反中国イデオロギーの下に新国家の独立、自立を宣言したのであり、この故に日本国はその後一度も中国政権に正式の国書も提出せず、独立国家として対等に生きてきた、との史観を提示されており... ...続きを見る

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2009/09/19 10:07
稲作渡来民が弥生人の祖先
日本民族の起源に関して、揚子江中・下流域に古代存在した越--タイ系水稲耕作民が、技術的には低レベルな龍船+櫂という「冒険的渡海技術」を駆使して、「男性のみ」が渡来して、北九州北岸の河口付近で稲作を開始し、縄文人女性との混血により弥生人を形成した、という、最近の科学的研究を総合したような、斬新な歴史推理書を読んだ。  小生も、かつて形質人類学などで、古代山東半島住民の遺骨が、弥生人遺骨と似通っているなどという説を読んだこともあるし、長江下流域→山東半島→朝鮮南西部・南部→北九州という稲作民... ...続きを見る

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2009/09/06 09:22
オスマン帝国衰退の教訓
 最近、鈴木董(ただし)著『オスマン帝国:イスラム世界の「柔らかい専制」』(講談社現代新書、1992/04第1刷、07/06第27刷)を読了した。最近の原理主義テロなどから、イスラム教は異教徒に対し非寛容で、狂信的な宗教というイメージがあるが、元来のイスラム系諸国家は外に開かれた開放的な世界であるし、征服した民に対しても、その地の民を「啓典の民」(キリスト教、ユダヤ教は神による啓示の書物を持ち、唯一神を奉じる、近しい宗教と見なすこと)として丁重に扱い、宗教別の自治を許したし、税を支払う限りは、ズ... ...続きを見る

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2009/06/06 14:20
キリスト教裏面史
 ヘレン・エラーブ著『キリスト教暗黒の裏面史』(徳間文庫、2004年12月初版)は、実に驚くべきキリスト教教団の発展史というか、同教会が西洋・西欧文明に対していかに多くの傷跡を残したかを解明した告発の書である。こういう視点でキリスト教会の歴史を、約2千年にわたる通史として、一貫した視点で書き通した書物は、他に皆無であろう。 ...続きを見る

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2009/05/25 16:47
NHK教育TV特集の非常識
 先ほどまで(04/26日夜)NHK教育TVの『日本と朝鮮半島2000年』という歴史特集番組を見ていて、相変わらずの日本人の「対外姿勢における無防備さ、お人好し」加減に、気分が悪くなりました。NHKには、海外生活経験のある(長い)一流のジャーナリストもいるはずなのに、対隣国関係史について、こういう不用心で、自国の歴史的な立場を貶めるような内容の番組を平気で制作し、放映することに呆れざるを得ない。また、局内にまともなインテリがいないのなら、しかるべき日本国内の有識者らに前もって見せて、ご意見を聴取... ...続きを見る

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2009/04/27 02:00
社会主義時代の方が良かった?
 小生が、社会主義圏脱出12年後のブルガリアに戻ったとき、旧知のブルガリア人達の多くが、「何が民主化だ、社会主義時代こそ皆が豊かだった、今は皆が貧乏だ」と口々に不満を述べていました。他方で、もちろん一部には経済的な成功を収めた人々も居て、その人達は一応自分自身には満足していたのですが、彼らも社会全体としては、失業の増加、物価の高騰などで、皆の生活が破壊されたと嘆いていました。そういう声があまりに多いので、「おや、あの不自由で、集団主義で、自分自身の自然な意見すら、全て隠して体制におもねる発言しか... ...続きを見る

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2009/03/05 18:29
物資欠乏社会
  10月に小生の二女が来日した際に、ロンドンで買ってきてくれたKapka Kassabova著の『Street without a name』(Portobello Books Ltd、2008年)という本を、最近ようやく読み出してみて驚いた。社会主義時代、社会主義陣営内に閉じこめられていた、いわゆる東側市民を何が悩ませていたかを再確認させてくれたからだ。まだ読み始めて1/3程度にしかならないのだが、一応社会主義時代の物質的欠乏(注:TsUM=ツムという中央百貨店ですら、妹Assiaのための「... ...続きを見る

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2008/12/07 16:15
近世のユダヤ人史
最近、ポール・ジョンソン著『ユダヤ人の歴史<近世篇>:離散した諸国で受けた栄光と迫害』(徳間文庫、2006年)という本を読んでいる。ユダヤ人の歴史に関しては、ある程度知っているつもりだったのだが、こういうユダヤ人に関する包括的な歴史書を読んでみると、知らないことばかりであった、と言うふうに反省させられる。以下に少しだけ、本書につき、小生の感じたことを書いてみる。 ...続きを見る

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2008/10/29 16:54
湾岸産油国の巨大資金
  最近読んだ新書に、前田高行著『アラブの大富豪』(新潮新書、2008年)がある。湾岸諸国の近代史と、その中で生まれた政商とか、王族ビジネスマン、また石油、天然ガスのもたらす巨大な国富を運用する政府系ファンド成立の経緯などについて、包括的に情報をとりまとめた、すばらしい著書である。   著作権に触れないように、ほんの少し、本書で触れている内容に関し、コメントしてみるが、本当のすばらしい内容は、是非皆さんご自身でこの本を読んでいただきたい。非常に読みやすく、一般読者を対象にした、こなれた文章で、... ...続きを見る

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2008/07/17 16:28
ジプシー
  今回も、今読んでいる新書に関して書いてみる。バルカン半島では、その人数の多さから避けては通れないジプシー問題に関してである。 ...続きを見る

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2008/06/26 09:44
宗教と民族
  今回は、最近読み終えた新書に基づき、バルカンの視点から興味深かったところ(他にも、ボスニア・ヘルツェゴビナなどの例があるが、これらはブルガリア専門家としては、割愛できる部分だ)を下記に記す。 ...続きを見る

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2008/06/19 15:11
ジャガイモと歴史
  現在、伊藤章治著『ジャガイモの世界史』(中公新書)を読んでいるので、それに関して少し所感を述べることとした。それにしても、欧州のほとんどの国でジャガイモは、特に冬の食卓には欠かせない食品(冬の野菜の王者)であるのに、ブルガリアにおいては、意外とジャガイモの地位は低い。この理由に関しても、少し考察してみた。 ...続きを見る

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2008/06/12 12:18
帝国主義の「国王」に近づいている米国大統領
    今回は、今日読了した本に関して、書いてみる。米国という覇権国家の民主主義制度が、非常時大権を持つ大統領という「期間限定の独裁者」に対する歯止めの制度が、堀崩されて利かなくなってきているという危険性を、その歴史的な流れとともに指摘しており、実にすばらしい研究書だと思う。 ...続きを見る

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2008/06/04 12:14
日本民族の形成に関する諸学説
  今回は、最近の小生の読書を通じて考えた、日本民族形成に関する種々の情報を取り上げてみたい。却って謎ばかりが増えたような気がするが、ともかく、列挙してみよう。 ...続きを見る

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2008/05/27 12:46
朝貢と女帝
  最近日本史関連の書物を読んだので、これらに関し書いてみる。   まず岡田氏の著書では、朝貢制度に関し、これは決して中国が傲慢に外国を見下し、その軍事力をひけらかして無理矢理朝貢を強いた、といったものではないとの、興味深い新見解が示されている。中国との貿易特権を認可してもらうためには、対中国友好の意志を、「貢献(引き出物)」を持参の上、「朝見(表敬訪問)」して、表明しなければならないだけだ、故に、ある国が「朝貢国」と言うことは、単にこの国が「友好国」であると言うだけで、属国と言うほどの意味は... ...続きを見る

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2008/05/14 17:04
加藤氏の名著を推奨する
  先週小生は、図らずも2回新記事を書いたので、今回は最近読んだ名著をご紹介する短い記事でご勘弁願いたい。読んで損はしないし、現代中国を理解する上でも、本当にすばらしい名著だと感じ入った。 ...続きを見る

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2008/04/24 08:02
中東の3民族と「職人国家」論
  先週立て続けに2本記事を書いて、そのせいか今週は種切れを感じている。毎週1本のノルマを自ら課しているので、何とか頑張りたい。今回は、少しまとまりに欠けるが、中東の3民族、チベット、台湾、そして「職人国家論」などについて言及してみた。 ...続きを見る

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2008/03/28 12:00
満州帝国と国民国家
 最近、『世界史の中の満洲帝国』と言う著書を読んだので、今回はこの本について感じたことを書いてみることとしたい。国民国家、民族に関する定義など、中国、満洲に関して斬新で、極めて興味深い内容を含んでおり、バルカン学の視点からも参考になる点が多い。  さらには、敷衍して、グローバル競争の時代に、新興工業国が勢いを増している現状に関しても、考察してみた。 ...続きを見る

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2008/03/13 15:01
コソボの独立とブルガリアの対応
  前回はお釈迦様の力まで借りて、国際情勢を公平に、冷めた目で観察する必要性を説いた(小生自身は、浄土真宗の家系であり、仏教を深く研究したわけでもないが、何となく仏陀の教えが、宗教としては一番納得できる)。逆に言えば、一神教の支配する米国、欧州、中東などのあまりに攻撃的な視点に疑問符を付したと言う側面もある。他方で、多神教的なアジアでも、中国、インドが台頭し、これがそのままアジア情勢の安定、将来における平和を意味するわけでもないので、ややこしい。アジアの将来に関しても、徐々に思索、観察を広げ... ...続きを見る

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2008/03/07 10:54
お釈迦様のような冷静な目の必要性
さて、また1週間が過ぎたので、新しい記事を作成することとした。個人的事情として、2番目の孫が生まれたので、それなりに私事に追われ、国際情勢について十分目を光らせる暇がなく、斬新な思考も生まれていないことをまずお詫びする。   前回は、「コソボの独立宣言」と題して、新たな民族自決、独立が、必ずしもすぐに国際的承認を得ることが容易ではない事情などを説明した。同時に、既に過去17年間、ミロシェヴィッチなどの失政に基づき、さんざん国益損失を重ねてきたセルビアとしては、国民の激怒の感情はさてお... ...続きを見る

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2008/02/28 15:50
経済発展の鍵:バルカン発展の可能性
  最近コソボにおける民族自決=独立問題に関し、長々と書いてきた。バルカン半島という地域は、西欧で18世紀においてなされた国民国家形成が、オスマン帝国の支配下にあったせいで歴史的変化が19世紀〜20世紀へと約1世紀以上も遅れたし、更にバルカンの中の辺境的な一部では、国民国家形成への動きが21世紀の今になって起きている、ということなのである。歴史の動き、変化・発展への動きが、時間の流れが、少し遅すぎると外部の人間には思えるのだが、当事者にとっては、長年の歴史的な制約の下、ようやく今頃にな... ...続きを見る

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2008/02/14 15:24
ブルガリア前史
 さて、最近ブルガリアのことを書いていないので、少し話しを戻したい。有史以前からブルガール人の到来までの、一番古い時代に関して、ブルガリアの歴史を概観してみたい。今日のブルガリア人は、9世紀後半に第1次ブルガリア帝国がキリスト教に改宗して、その後徐々にスラヴ人とブルガール人の同化が進んで、この混血と両民族の融合・融和(同じ宗教、文化に基づく融合)に基づき、10世紀頃に形成されたとされる。そのスラヴ人とブルガール人の連合軍のブルガリアの土地への侵攻までを扱うこととする。即ち、今日のブルガリア人は、... ...続きを見る

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2007/11/29 12:13
社会主義時代の思い出(2)
  前回社会主義時代の思い出、特に物不足、食品不足、品質低下に関してふれたが、再度この問題に焦点を当てて、詳述し、また、社会主義の根本欠点に関して再確認しておきたい。今日世界的に社会主義が後退した理由を、社会主義の中で生活したことのない人々には、よく理解できないからだ。もちろん中米地方で、貧富の格差が拡大しすぎたことへの反感から、ベネズエラなどで今になって社会主義が台頭している、という現実もあるにはあるが、これらに関しても、社会主義を徹底するとやはり経済停滞を招いて、痛いしっぺ返しがあるであろう... ...続きを見る

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2007/08/25 20:57
社会主義時代の思い出
なかなか新しい記事の構想が浮かばないので、悩んでいるのですが、今回は少し社会主義時代の思い出話などを書いてみたら、それなりに日本の皆様にも参考になるかもしれない、と思いつきました。 ...続きを見る

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2007/08/22 18:10
「ギリシャの北の国」について
「ギリシャの北の国」について 1.「風景が美しい」と褒めよう  最近はスローライフとか、環境保護とかが世界の流行語ともなっているので、それなりに昔ほどは「自然を褒める」ことは禁句ではなくなっているのかもしれません。しかし、「風景がきれい」とかは、褒め言葉として無難ですが、「自然が残っていてうらやましい」などの言葉は、まともな産業が発達していないと言っているようなもので、危険な表現です。   風景がきれいというのは、たとえ森林破壊された跡の、木が少ない貧相な風景でも、今のコンクリート・ジャ... ...続きを見る

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2007/07/26 16:25
ギリシャの北の国
 暑さのせいか、少し息切れ状態です。今日は自由に思いつくままに書きます。 ...続きを見る

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2007/07/26 13:59
ブルガリアの歴史に関する考察(5)
さて、4回にわたりブルガリアの歴史に関して記述してきました。書き終えて後に自ら気づいたことなどを感想として、また「総括」として、下記に付言したいと思います。 ...続きを見る

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2007/07/19 14:20
ブルガリア歴史に関する考察(4):社会主義の崩壊から新政権樹立へ
 前回は、ブルガリア社会主義政権末期の実情に関する証言を紹介した。今回は、社会主義政権崩壊から、自由化後の「ブ」における政治史の流れに関する証言である。社会主義政権末期に、ジフコフ(Todor Zhivkov)共産党書記長、及び娘のリュドミーラ(Lyudmila Zhivkova)政治局員の両名の政治補佐官として活躍したチャカロフ(Kostadin Chakqrov)の証言をご紹介する。同人には、もちろん共産主義者としてのバイアスはあるものの、それなりに貴重な歴史的「事実」に言及していると見られ... ...続きを見る

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2007/07/17 15:34
ブルガリアの歴史に関する考察(3):社会主義末期
 前回まで2回にわたり、ブルガリアの歴史に関して、特に「ブ」のルーマニアとの関係、あるいはマケドニアとの関係なども含めて、考察した。 ...続きを見る

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2007/07/16 13:36
ブルガリアの歴史に関する考察(2)
  前回主としてルーマニアとブルガリアの関係に焦点を当てて書いてみた。その理由は、あまりに多くの日本人、外国人にとって、ルーマニアとブルガリアが、大して差のない国家として混同される傾向に、ブル専門家として従来から不満であったから。   他方で、書き終えてみて改めて、歴史的にも民族的にも、ルーマニアとの浅からぬ繋がりということにも気付かされた。そこでまず、この点に関して、もう少し深く考えてみよう(前回書いたこととかなり重複するが、もう一度すべてを小生の言葉で、詳しく説明したい)。 ...続きを見る

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2007/07/13 17:26
ブルガリアの歴史に関する考察(1)
 室長:小生の経験として、日本人、外国人を含めてルーマニアとブルガリアを混同して、区別がつかない、あるいはいつの間にか両者を取り違えてイメージしている、という例が多く、困惑したことが度々あります。少しは、その相違点とか、両国の間の微妙な感情などに関して、理解を深めたいと思い、次の小生の経験に基づくメモをご紹介します。 ...続きを見る

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2007/07/10 16:56

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