アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「ロシア」のブログ記事

みんなの「ロシア」ブログ

タイトル 日 時
読書:満洲におけるロシアの権益拡大時代と植民地朝鮮を統治する日本帝国主義の時代に関する書物
 さて、最近小生は、偶々Book offで購入した2冊の翻訳本を読んだ。ともに米国人学者が書いた、第二次大戦以前に関する本で(注:後者の場合は、1945年8月の終戦まで、小生は1945年7月生まれだ)ある。小生自身、今では老人としての感覚しかないが、それでも、戦前或は戦中を含めての1945年8月以前の時代に関しては、自分の時代の歴史ではありえないが、最近の若い世代に比べれば、若干は記憶が重なる部分もある(例えば、小生のブルガリア勤務時代においては、周囲にいる先輩たちは、ハルビン学院卒のロシア語... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4

2016/10/06 18:14
社会主義国独裁者と民主主義国の世襲議員
  さて、このブログでは、最近小生の創造力が衰えているせいで、新規記事の掲載が少なくご迷惑をおかけしています。そこでいつもの姑息な手段ですが、mugiさんのブログのコメント欄で最近小生が投稿した内容のリサイクル記事で、ごまかそうというのが今回の記事です(注:原文は以下で参照: http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/970d46b3b053b6eaafe930a8584c2ec0#comment-list)。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3

2015/11/01 10:57
偉人百選:ストヤン・ザイーモフ
  94番目の偉人は、Stoyan Zaimovという、ブルの歴史、特に四月蜂起などの歴史的瞬間の記録者としてZahariy Stoyanov(20番目の偉人)と似たような役割につき功績が認められました。とはいえ、SZの記録者、伝記作家としての才能は、ZSよりかなり低いとの評価で、このように後ろの順位となりました。ZSに比べれば、元来富裕層に所属し、教育面でもより高い教育レベルで学んでいるのだが、若干小役人的なところがあるのか、ZSほどの文才を示せなかったようだ。   興味深いのは、子息のVl... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/12/23 14:24
偉人百選:アレクサンダル・バラン
  91番目の偉人は、Aleksandqr Balanという言語学者で、なんと99歳まで生きるという長寿の人でした。同人は、スラヴ言語学、スラヴ方言学、ブル言語の歴史、近代ブル文語などに関するブル最高の学者で、共産党革命後のいわゆる「近代ブル文語の民主化」(簡素化)にも寄与しました。ロシア帝国BessarabiaのBograd市付近の生まれ、大学はPraha大学を卒業。29歳と言う若さで、ブル最初の大学(高等師範学校、現在のソフィア大学)の初代学長に選ばれたのですが、その後は学会内の嫉妬などで、... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/12/18 10:08
偉人百選:ディミータル・モローフ
  90番目の偉人は、Dimitqr Mollovという外科医師です。同人は、愛国者でもあり、幾つもの戦争に参加している(ただし、医師として)のですが、政治家としては親露派であったことから、Stambolov政権によって睨まれ、拘禁された(7年間)という苦い経験もあるようです。   とはいえ、1878年以降の「新生ブルガリア国」で、最初の保健関係の立法を手掛けたり、種々の医師団体、或は赤十字社を立ち上げたり、国立のアレクサンダル病院を創設するなど、ブル医学界の初期の指導者として存分に活躍したよ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/12/17 10:24
偉人百選:ヴァシール・ドゥルーメフ
  87番目の偉人はVasil Drumevという、復興期末期に出現し、近代ブル文学史上で最初の短編小説家、或は最初の脚本作家として功績のあった人物です。つまり露留学時の文学者としての功績(1860--72年、19--31歳)が評価され、この『百選』に場所を与えられているのですが、その生涯の軌跡を見ると、高僧、政治家としての経歴の方が長い人物です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/12/13 18:38
偉人百選:ツァンコ・ツェルコーフスキ
  77番目の偉人は、通称Tsanko Tserkovskiといい、ブル政界に1920年代初期、農民党支配時代をもたらしたBZNS(ベゼネセ)の創設者です。その思想背景は、ロシアのナロードニキ運動で、左翼の社民党(共産党の前身)に参加したこともあるのですが、本当は政治活動ではなく、農協的な活動をしたかったようです。文学にも関心があり、農村詩人として詩集も出しています。ところが、自らが当初主導権を握って創設したBZNSが、やがてAleksandqr Stamboliyskiらの政治家によって乗っ取... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/11/27 14:21
偉人百選:ヴァシール・ズラタールスキ
  75番目の偉人Vasil Zlatarskiは、31番目の偉人Marin Drinov教授によるブル歴史研究を更に深め、より一層科学的な資料検証、中世年代記に対するより詳しい検証を通じて、画期的にブル歴史学のレベルを高めた巨頭です。しかも、Drinov教授がどちらかと言うと、ロシア、ウクライナで活躍し、ブル本国での活動が短かった(ブル本国で教壇に立ったことは無い)のとは逆に、28歳以降はほぼ一貫して祖国ブルのソフィア大学で歴史学部の講師、助教授、教授として学生らにブルの中世史を教えたほか、後... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/11/24 09:50
偉人百選:イヴァン・ボゴーロフ
  74番目の偉人は、Ivan Bogorovと言い、復興期のかなり初期に活躍したブル近代文語の創設者の一人です(G.Rakovski、N.Gerovらとほぼ同時期で、学んだ学校も重なる)。ブル言語学者としては、ブル語の純粋性に拘り、ロシア語、トルコ語、ギリシャ語の影響を排除しようと提唱しました。しかし、これらの言語から派生した単語はあまりにも多くブル語の中に存在しており、これらをすべて排除するなどは現実的な選択ではありませんでした。既に定着していた単語、たとえばkibrit(トルコ語、マッチの... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/11/23 09:01
偉人百選:コンスタンチン・ストイーロフ
  73番目の偉人Konsitantin Stoilovは、2度も首相を務めた解放後の新生ブルにおける指導的政治家だ。Simeon RadevはKSのことを「全てのブル人政治家の中で、最も西欧的な政治家だ」と評した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/11/21 09:47
偉人百選:ヴァシール・アプリーロフ
  70番目の偉人は、Vasil Aprilovという人物です。自分自身はGabrovo商人の兄たちのおかげで、ルーマニアのBrasov市の高校、或はウィーンの大学医学部などでも学ぶことができたが、兄たちの商売が傾き、医学部を2年で中退し、Odessa市で自らも兄たちと一緒に商売に励みました。蒸留酒工場、製糖工場などで成功したほか、食品・雑貨の大型店舗をO市で開店して更に成功を収めました。     ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/11/12 13:02
偉人百選:アレクサンダル・マリーノフ
  66番目の偉人は、Bolgrad市近辺のブル人村(Yambol県からの亡命者村)で誕生し、キエフ大学卒の法律家としてブル国に帰還し、P.Karavelov(33番目の偉人)に引き立てられて政治家、民主党党首となったAleksandqr Malinovです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/11/04 15:55
偉人百選:ソフロニー・ヴラチャンスキ(その二)
  Sofroniy Vrachanskiのその二です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/09/23 10:29
偉人百選:ソフロニーヴラチャンスキ(その一)
  47番目の偉人Sofroniy Vrachanskiは、1739年生まれと、前回のAntim代理に比べれば、77年も前に生まれ、死亡年が1813年とAの生年1816年より3年前の人物・・・そうとうに時代が遡ります。この故に、実はこのSVは、直接例のブル・ナショナリズムの先駆者・先覚者であるPaisiy Hilendarskiと会っていたらしいのです。そして、パイシー(5番目の偉人、1722年生まれ)の「スラヴ・ブル人の歴史」を自ら筆写し、後世に写本を遺すという功績さえあった人物なのです。この... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/22 15:23
偉人百選:アンティム総主教代理(その一)
  46番目の偉人は、Antim総主教代理と言う僧侶です。ブル民族復興期の僧侶ではあるのですが、カルジャリ県という、Rodopi山系の東端に位置する、トラキア地方の貧しい家庭(父親は雇われ庭師、母親は助産婦)に生まれました。このブル南部地方は、ブル北部のミジヤ地方とは異なり、純粋なブル人村は少なく、A自身の生地の村もトルコ人、ギリシャ人、ブル人、ユダヤ人が混住する村でした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/09/20 14:09
偉人百選:ダナイル・ニコラーエフ
  44番目の偉人D.Nikolaevは、生粋の軍人で、露土解放戦争でブル人義勇軍部隊を率いた中隊長であったほか、解放後の第3次ブル王国における主要な事件にすべて関与し、何度も戦争相(国防相)を務め、更には、バルカン戦争時(60--61歳)にもトルコ国境に近い要塞司令官と言う地味な役割ながら一応参戦するなど、まさに、新生ブル国における国軍将校の象徴的人物であったと言える。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/09/17 10:59
偉人百選:ゲオルギ・ラコーフスキ(その二)
  41番目の偉人Georgi Rakovskiに関する、その二です。     ★「15--19世紀の著名人」からGRに関するデータを追記 (1)ギリシャ国籍を取得、おかげで死刑判決から免れた    1840年(19歳)帝都のギリシャ学校を卒業直後にギ国籍を取得したのかも。そして、1841年(20歳)、Ilarion Makariopolskiとともに、アテネで結成されたマケドニア協会会員となった。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/11 10:47
偉人百選:ゲオルギ・ラコーフスキ(その一)
  41番目の偉人は、ブル歴史書に頻繁に名前が出てくるGeorgi Rakovskiです。この人物も、帝都Istanbulでの活躍、投獄経験、国外追放・亡命など、数々の波瀾万丈の生涯を生きますが、一番の同人の資質は、解放闘争に関連する種々の夢想的な「構想、計画」を出版してブル人達を扇動する能力でした。また、露外交方針策定の中で生れた、ブル各地からブル人住民を大量に南部ロシアに移住させるという「移住計画」を小冊子で暴露し、反対運動を火付けして、このような暴挙を廃案としたこと、実際にベオグラードで、... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/10 17:46
偉人百選:ゲオルギ・ベンコフスキ(その一)
  40番目の偉人は、この百選の中では異例な非インテリで、小アジア半島を放浪したような、どうやら放蕩癖もある、お調子者の革命家であるGeorgi Benkovskiだ。日本で言えば、戦前の大陸浪人のような人物と言えば分り易いかも。   とはいえ、こういう世俗の中で人生経験を積んだ人物は、この百選に出てくる他のインテリで、学者、新聞記者、文人、政治家などを兼務したような人間とは違い、大衆を扇動し、反乱軍を編成し、トルコのバシボズク(非正規軍)のような荒くれ連中との実戦を指揮するには、よほど腹も座... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/08 23:42
偉人百選:ナイデン・ゲーロフ(その二)
  さて、今回は、Nayden Gerovに関する、その二です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/03 11:03
偉人百選:ナイデン・ゲーロフ(その一)
  38番目の偉人は、ナイデン・ゲーロフと言う人物で、留学そのものは5年程度ですが、この期間にロシア国籍を得た。その後クリミア戦争時には、Plovdiv市のギリシャ系市民らから攻撃され、トルコ政府もロシア国籍を持つ同人を国外追放処分としたので、再度3年ほどロシアに滞在。そして、帰国後は教師として基盤を築いたPlovdiv市で、ロシア外交官として安定した収入を得たうえで、教会独立運動、民族解放運動などにも積極参画した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/09/02 13:31
偉人百選:ドラガン・ツァンコフ
  35番目の偉人は、ドラガン・ツァンコフといいます。   この男は、83歳という当時としては異例な長寿を全うした人物ですが、他方政治家としては、結構ふら付いて、異端・極端方向に走りました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/30 10:53
偉人百選:ディミータル・ブラゴーエフ
  34番目の偉人は、ディミータル・ブラゴーエフです。社会主義時代には、ブル共産党の創設者として、9月9日の革命記念日における集団行進の際には、1番目に肖像画が登場する人物でした。2番目がGeorgi Dimitrovで、3番目がTodor Zhivkovでした。もちろん、実際には、ブルのこれらの英雄(?)の前に、ソ連の英雄(ただし、レーニンと当時の共産党書記長の2名が普通。年によってはガガーリンなどのソ連の宇宙飛行士)の肖像画が行進することが多かったのですが。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/28 13:18
偉人百選:ペトコ・カラヴェーロフ
  33番目の偉人は、ペトコ・カラヴェーロフです。この人物は、政治手腕にも優れていたほか、見識、政見にも一貫性があり、19番目の偉人St.Stambolovと同じリベラル党の指導者として、活躍しました。あるいみ、スタンボローフ政権の準備をしつつ、新生ブル国の基盤を固める作業をスとともに、成し遂げた人物と言えるでしょう。   特に蔵相として、均衡財政を主導し、国家の財政基盤を安定させた功績は大。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/26 18:30
偉人百選:マーリン・ドゥリーノフ
  31番目の偉人は、マーリン・ドゥリーノフという歴史学者です。1838年10月生まれですが、1858年以来ロシアに留学し、その後は著名ロシア貴族夫人に気に入られて家庭教師となり、子供らを教えると同時に、この一家に付き添って1865--70年の5年間ほど、ウィーン、スイス、Praha、イタリアなどを歴訪し、これら各地の図書館を回ってブル歴史に関する資料を漁りました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/08/24 12:03
偉人百選:ペトコ・スラヴェイコフ
  暑い夏の日が続き、小生も毎日は散歩に出る勇気も失せました。その分、この偉人伝は次々に完成しているのですが。   さて、30番目の偉人は、Petko Slaveykovです。オスマン統治期末期のブル民族としての自覚、そして民族解放運動に向けて、ブル国民を啓蒙し続け、教師、記者、作家、政治家として活躍し続けた、いわばブル国における「幕末維新の志士」たちの一人と言うべき人材です。とはいえ、幕末の日本では、さほど新聞などの印刷媒体はまだ大きな存在ではなかったようですが、ブルの場合は、それなりに新聞... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/22 11:14
偉人百選:アレクサンダル・バッテンベルク公
  29番目の偉人は、ドイツのヘッセン州出身のアレクサンダル・バッテンベルク(Aleksandqr Batenberg)公です。ア公は、22歳の時、親しくしていた叔父にあたる露皇帝Alexander IIの推奨を受けてブル公として派遣されてきました。ブル第3次王国の初代君主(Alexander I of Bulgaria)としての着任でした。ちなみに、弟のHeinrichは、1885年7月23日に英国女王Victoriaの娘Beatriceと結婚し、英国貴族となりました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/20 12:49
ウクライナ情勢は、台湾の分離独立の可能性を広げる?
 前回クリミア・ウクライナ情勢について、社会主義時代のソ連との連続する歴史としての視点を忘れてはならないと書いた。未だに、クリミアの併合に取り残された形のウクライナ東部・東南部では、ロシアシンパたちによる、「共和国」としての分離独立→ロシアへの編入を期待する動きが激しくなってきた。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 7

2014/04/16 00:23
クリミア、ウクライナ情勢についての一考察
  さて、ブルガリア専門で必ずしもロシア、ソ連などについての専門家ではないので、最近のロシアによるクリミア半島、及びセヴァストポリ特別市のロシア連邦への編入という事態をどう解釈すべきか、当惑しつつ眺めてきた。とはいえ、小生も、社会主義時代にブルガリアに何度も長く住みつつ(1967--89年の期間に、3回、合計12年間在住した)、ブルガリアの社会主義体制につき日々研究し、同時にこの忌まわしい「共産主義体制」を押し付けたソ連を呪って暮らしていた。この小生の経験から、少し分析を試みる。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 7

2014/03/20 19:21
マクシム総主教の逝去
 さて、11月6日(火)早朝に、ブルガリア正教会トップのマクシム総主教が逝去したので、関連情報をNovinite.com英字紙に基づき、とりまとめてご紹介しておくこととしたい。  実は、同人が総主教に就任したのは、1971年7月4日と、小生が第1回目のブル勤務時代の話なのだが、恐らく小生はその頃外国旅行していたのか、かつまた、共産圏時代として、何ら大きなニュースとして取り扱われなかったせいか、或いは小生が当時宗教に関心がなかったせいか、小生には、この「総主教交替」に関連する記憶が一切無いのが悔... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 2

2012/11/12 20:45
シェールガス開発を巡る米露の新冷戦
7月14日付とかなり陳腐化した記事( http://www.novinite.com/view_news.php?id=141257)がある。これをこのほど要約して、ご参考に供したい。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 1 / コメント 3

2012/08/27 10:33
ボリーソフ政権の恥部(その四)
  ブルガリアという国家が、或いは、同じく旧共産圏、バルカン半島国家としてのルーマニアと共に、EU側からは、法による統治とか、自由主義、資本主義に立脚した正統な「西欧式民主主義」とどうも相容れない、怪しげな「マフィア達」(注:これらマフィア達の多くは、実は旧共産党の手足であった旧内務省(警察)、或いは旧「秘密警察」の将校クラス官僚であったり、これらが運営していた多くのスポーツクラブ(柔道場、空手道場、サッカー場、その他)に会員として自由に出入りして、仲間意識を育んできた「筋肉系」の人々)がい... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/07/31 17:00
ブルガリアのエネルギー戦略
前回の「エネルギーを巡るブルガリアとロシアの対決」の続編です。  今回は、表題に関して、最近漏洩された在ソフィア米大発公電の内容をほぼ全訳しました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/08/01 12:08
エネルギーを巡るブルガリアとロシアの対決
 最近のNovinite.comネット英字紙報道によると、7月27日(水)から、ブル政府は断固たる決意の下、ブルにおける石油業界をほぼ独占するロシア系企業に対し宣戦布告した模様だ。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2011/07/31 22:24
近代のブルガリアD
「近代のブルガリア」のDです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 2

2011/01/10 14:15
近代のブルガリアA
「近代のブルガリア」のAです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 2

2011/01/03 10:49
ブルガリアの経済関連ニュース
 少しは、ブルガリアに関するニュースを取りあげるべきだろう。南の隣国ギリシャが、経済危機に陥り、ブルガリアの経済に関しても、少し黄信号が出ているらしいので、これらに関する電子英字新聞(Novinite.com)記事に基づき、少しコメントを加えつつご紹介する。  ちなみに、自由化後、長年、構想だけはロシアと協議してきて、いっこうに進展がなかった二つのプロジェクトにつき、何事も明白に白黒つけるボリーソフ首相が、とうとう「切り捨て」を言明した。自由化後徐々に悪化の度合いを強める対ロシア関係は、ますま... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4

2010/06/15 13:32
「研究室」テーマ別分類A
3.旧ソ連・ロシア、東欧 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/04/29 09:01
ロシアを捨てたスパイの話
 ちょっと今のところ書くべき自らの記事が用意できていないので、下記の他のブログ記事で気に入ったものをご紹介して、お茶を濁しておきます: ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

2010/03/11 01:33
南オセチア・アブハジア紛争(3)
  読者の皆様には、またまた小生の勝手な興味でブルガリア事情から離れて、コーカサス地方に関する記事を書くこととなり申し訳ない。そうはいっても、ブルガリアが黒海西岸に位置する以上、その東の対岸にあるグルジア情勢、及び今後きな臭くなりそうなウクライナ国内の黒海北岸部・クリミア半島情勢、モルドバ国内の未承認国家「沿ドニエストル共和国」などが新聞紙上で取りざたされている以上、ブルガリア専門家である小生としても、大いに関心を寄せざるを得ないのである。オスマン帝国時代のブル人達は、クリミア半島にも、沿ド... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/08/28 17:29
南オセチア紛争、アブハジア紛争(2)
  読者の皆様、残暑未だに去らぬ中、暑中お見舞い申し上げます!しかし、暑い夏も8月15日を過ぎると、なぜか少し風が冷たくなったように感じるから不思議だ。温度計の目盛り以外に、心理的なものがあるのかもしれないが、人体面でも、この頃までには暑さへの耐性ができたのに、他方で、気温の方は徐々に、ほんの僅かながらも涼しい方に向かっているので、朝夕の気温の低下をより敏感に感じるのであろう。   ちなみに、南オセチア情勢に関し、従来から旧ソ連圏などに関して、冷静、客観的な観察を続ける河東氏のブログ(h... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/08/20 14:12
南オセチア紛争など
 皮肉なことに、今回のコーカサス地方の紛争は、8月8日という北京オリンピック開幕式の当日に起きてしまった。小生は、最近、米国住宅金融部門の投機崩壊を中心に、経済に視野を広げて、世界情勢を勉強してみようとしていたのだが、また、北京オリンピックというお祭り騒ぎは、丁度ほどよい「休刊期」と思い、しばらく夏休み的に書くことをさぼろうとも思っていたのだが、南オセチア、アブハジアというコーカサス地方における紛争の種に火がついてしまったので、少し書かざるを得ないかなと思う。今年3月に、チベット騒乱問題に... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/08/12 15:04

トップへ | みんなの「ロシア」ブログ

ブルガリア研究室 ロシアのテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる