民族主義に必要な敵性民族

  さて最近小生は、コソボ独立、満洲帝国、チベット騒乱などについて書いてきたが、その主たるテーマは、民族の概念が登場して、旧来の「多民族共存型帝国=旧タイプの帝国」が解体されて、民族自決による「国民国家」が誕生するという近代史の流れと、遅くして民族自決概念に目覚めた諸民族の、いわば「歴史への登場」のあり方、などであった。
  バルカンの歴史を中心に考える小生にとって、民族主義は一番のテーマであるし、バルカン学の視点から、近代・現代の歴史、或いは最近の国際情勢についても論じていきたいと考えたからである。
  今回は、その民族形成には、敵となる対立民族が重要な鍵となる、との佐藤優氏の興味深い指摘を踏まえて、小生としても少し論考を追加したいと考えた。

1.中国における民族概念の特殊性とチベット、新疆
  満洲帝国の回に、中国人としての民族意識の形成における特殊性について触れた:(1)漢字の読み書きができれば中国人になれる、(2)漢字の読み書きを修得したり、中国皇帝を頂点とする「商業網」に組み込まれている都市の「都市住民として戸籍が登録されれば」、中国人になれる、(3)従って、元来は中国人の周辺にいた夷狄の人々も、中国文明の枠内に次々に組み込まれて、「中国人、漢族」となれたので、元々は遊牧民などであった中国周辺の異民族も、現在では「中国人、漢族」となっている例が多い。

  他方で、清帝国末期、西欧列強、新興日本などに浸食され、植民地化される地域が増えて危機感を抱いた清帝国高級官僚層、或いは急激に台頭した各地の中国軍閥などが、中国人、漢族のナショナリズム勃興を背景として、「国民国家」としての中国=中華民国、或いは共産主義中国の建国に向け走り出したのである。
そういった漢族中心の「国民国家形成」というナショナリズムとは逆に、清帝国末期に至っても「中国化」されずに、固有の民族文化を保有していたのが、(1)新疆ウイグル自治区の回教徒(ムスリム=ウイグル族、カザフ族など)、(2)チベット自治区、右に隣接する3省のチベット族(ラマ教という仏教の一派を文化基盤とし、インド文明の影響を強く受けている)、及び(3)モンゴル高原と内蒙古、満洲の土地にいたモンゴル族である。

  モンゴルに関しては、外蒙古地区のみが、ソ連の後押しと、日ソ間の秘密条約に基づきソ連の影響下に入るべき地区に指定されていたことから、ソ連が中国と交渉して、独立を認めさせた。今日の内蒙古西部、及び旧満洲帝国領域内のモンゴル人地区は、現在の中国で「内蒙古自治区」となっている。
  残った、新疆ウイグル自治区、チベット自治区では、それぞれムスリム達とチベット族が、民族主義に基づく「独立運動」を継続し、中国の中央政府と対立しているのである。

漢族の歴史的「中国概念」では、中国文明に同化したら、元の民族名が何であれ、それらの人々は漢族に編入できるという、都合のいい民族概念であるから、新疆ウイグル自治区、チベット自治区でも、なるべく早く現地に多数の中国人を流入させ、混住させ、原住民にも漢字教育を施し、彼らを「中国人、漢族」にしてしまえば良いとの考えで、教育の普及、文明化を急いだという側面があるのかもしれない。「建前は、少数民族保護」という政策を、中国政府は続けていたのだが、本心では漢族への同化こそが、少数民族(ただし現地では元来は多数派住民)政策の根底にあったように思う。
  この故に、民族アイデンティティーが根強かった新疆ウイグル自治区、チベット自治区では、中華人民共和国の成立後も、長らく「民族紛争」が絶えなかったのであろう。

2.産経新聞の記事:民族の敵イメージ
  3月21日付産経新聞は、3回目の岡本行夫氏と佐藤優氏との対談記事を掲載しているが、その中で、佐藤優氏は「19世紀以降に、民族が形成されるとき必ず敵のイメージがある」との興味深い指摘をしている。「例えば、チェコ人ができるときの敵はドイツ人、ポーランド人の敵はロシア人」、と指摘している。
  これは、小生もこれまで気付かなかった貴重なご指摘と思う。

  考えてみれば、小生に民族紛争の根深さ、恨みの情念の激しさ、などを痛感させてくれたのは、北アイルランドにおける「民族紛争」であった。北アイの原住民(native Irish)でありカトリック教徒であるアイリッシ達は、英国本土から占領軍軍人、植民者・農民として乗り込んできて、彼らから土地を奪ったスコッツ、イングリッシ、ウエルシ達(プロテスタント教徒)を許さず、これら占領者達をブリテン島に追い返すまでは、闘争を止めないと誓い、SF(シン・フェイン)党、IRA(アイルランド共和軍)を中心に戦い、北アイ紛争に関しては、米国のCIAすら、「この闘争は、あと数百年続いても終結を見ないであろう」という秘密調書を作成したと言われていた。
  北アイを残したまま、早期に独立をしてしまった南アイルランドの「アイルランド」国の方では、プロテスタントの住民構成比率が元来低かったものの、独立後はプロテスタント教徒住民の英本土への撤収、移民が増えて、更にカトリック住民比率が高まった。その故に、北アイにおけるテロ事件は多かったものの、アイルランド国内におけるテロ事件はほとんど無く、ダブリンに生活していて、北アイ紛争の被害とか影響はほとんど無かったのだが、北アイ紛争報道そのものは毎日の新聞で読むことができ、双方住民の「民族紛争の激しさ、残酷さ、凄惨さ」に毎日のように嘆息したものである(90年代初頭)。
  要するに、アイルランド、或いは北アイにおけるナショナリズム、民族主義の根底には、英国という国家、または英国人(ブリティッシ)への憎悪感、敵意がある。北アイにおいては、英国人による「占領」状態が今日も続き、領土・土地の返還がなされていないので、憎悪感が終わる可能性が見えなかった。

  もっとも、これまでも何度も述べてきたように、英国、正式には連合王国=United Kingdomと言う国家はあるが、英国人という人種・民族はおらず、主要構成民族としては、プロテスタント教徒のアングロ・サクソン族(イングリッシ)、スコッツ族(スコットランド地方のケルト系民族)、ウエルシ族(ウエールズ地方のケルト系民族)の3民族がおり、アイルランド全体がUKの植民地として、UK領域内にあった頃は、アイリッシ(アイルランド島のケルト系民族、カトリック教徒)も英国の主要構成民族のひとつとなっていた。
  然るに、UK構成「4民族」中、カトリック教徒のアイリッシは、プロテスタント系の他の3民族に比べて、イングランド王への服属が遅れたこと、また大英帝国時代に国王への忠誠心が要求される大英帝国官僚としては、法王への忠誠心が強いカトリック教徒は信用できない、として公務員には採用されない時代があったりして、アイリッシ達は、「差別」を感じ、独立志向を強めたのである。
  アイリッシ達が、敵愾心を抱き嫌悪した敵民族名は、イングリッシ、スコッツ、ウエルシ3民族を総称する言葉としての「ブリティッシ」であった。もっとも、近年このブリティッシと言う言葉は、カリブ海系とか、香港系とか、最近英国に帰化した非白人・異民族系の新英国人を指す言葉として使われる場合も多いので、ややこしい。この故に、北アイ・ブリティッシ自らを指す用語として「アルスターマン」という用語も、北アイのプロテスタント側で使用される場合もある。

3.中国人、韓国人の敵性民族名
  最近小生は、韓国で大ヒットしたといういわゆる韓流TVドラマの傑作「朱蒙(チュモン)」をレンタルビデオで楽しんでいるのだが、「歴史」という視点で見ると、結構怪しい部分が多い。
  チュモンは、高句麗を建国した英雄の話で、扶余(プヨ)という、どうやら現在の北朝鮮と中国東北部の双方にまたがって存在していた古朝鮮国家と、楽浪郡、玄兎郡に所在した中国人の役所との間の外交、政略などが中心テーマとなっている。要するに、古代朝鮮時代から一種の「朝鮮人」としてのナショナリズムが存在していて、漢帝国の出先機関である楽浪郡・玄兎郡当局と、懸命の外交交渉を重ねていたし、戦争も行われていた・・・・と言う話しである。
  朝鮮人(韓国人)国家である扶余が、扶余国としての生き残り策中心で、漢に譲歩をしすぎるので、古朝鮮人全体の利益を重んじる「真の愛国主義者、民族主義者」としてのチュモンが決起して、扶余から分離独立した高句麗国家(注:因みに同国は、首都を含めて、国家の中心が元来は満洲地域に存在したので<その後北朝鮮地域に拡大>、高句麗国、またはその後の渤海は朝鮮人国家であり、今日の中国東北地方の多くの部分も、古代には朝鮮人の領域であったとして、高句麗、渤海は中国人が建国した国家であるとする中国との間で、「歴史論争」が存在する由)を建国するまでの波瀾万丈の物語、というのがこの韓国で大ヒットしたテレビ・ドラマの荒筋らしい(未だ小生は、ビデオ(DVD)の第21巻までしか見ていないので全体像は分からないが)。

  朝鮮人が、近代的な民族意識に覚醒したのは、日本より後であるし、少なくとも19世紀までは欧州域内のバルカン半島ですら、民族意識というものはほぼ無かったのであって、古代の朝鮮、満洲という地域において、民族主義的な意識があったなどと言うのは、怪しい。もっとも、そうはいっても、聖徳太子は、遣隋使派遣時に、「日出ずる国家の天子、日没する国の天子に書を致す、恙なきや」と書いたそうだから、何らかの民族意識というか、国家の利害に立った外交意識は、昔から存在したのであり、チュモンの時代、朝鮮民族には、少数部族を基盤とした君長国家なども多かったらしいこともこのドラマでは垣間見られるので、それなりの歴史観を持って書かれた脚本とは言える。存外朝鮮では、対中国としての限定的な民族意識の覚醒は早かったのかもしれない(近代的な「国民国家」形成のための「民族意識」ではないものの)。

  ともかく、小生は従来、経済レベルが上がれば、韓国人のひがみ根性、被害者意識も緩和され、日韓関係は好転すると甘く考えていたが、佐藤優氏指摘のごとく、民族意識を活発にして国を固めるには、「敵となる民族のイメージ」が具体的な方がよい、となると、今後も韓国人には、敵としての日本人のイメージが必要なのであろうか?残念なことだ。我々日本人としては、歴史的経緯に鑑み、韓国人・朝鮮人が「敵性民族」として中国人、漢族をより強く意識してくれればありがたい、ということであろう。

  因みに、チュモンというドラマに登場する女優陣は、扶余国王の第2夫人のユファ様、巫女のヨミウル様など、日本人にも非常に好まれてしかるべき美女(顔は日本人好みだが、ご想像通り、本当にしっかりした「強い性格」を有する)が登用されており、その意味でも日本人が見ても楽しめる。少なくとも、このドラマでは、敵は中国人であり、日本人ではない。その意味でも、安心して、娯楽番組として楽しめる。そもそも、ユファ様、ヨミウル様を見る限り、韓国人が考える美人と日本人が考える美人は、基準が似ているように思える。もっとも、中国でも昔、山口百恵が大人気だったそうで、中国人と日本人の美の基準も、あまり変わらないのかもしれない。
  
一方、報道その他で、いつも残念なのは、中国人が民族意識を覚醒させ、「国民国家」を形成する際に用いられた敵性民族のイメージは、どうやら、英国人でも、ロシア人でもなく、日本人であるらしいことだ。現代中国でも、第二次大戦時を含めて、自国民の「民族意識高揚」のために製作してきた映画、教科書、その他において、いつも利用されてきた主要敵性民族は、日本人であった。「教科書問題」が深刻なのは、実は、歴史の真実とはかけ離れた「南京問題」などを捏造して、繰り返し「反日教育」をしている中国の教育現場である。

  因みに、日本人は、島国として基本的に外国からの侵略を回避できた歴史に基づき(蒙古の襲来とか、日清戦争とかは、基本的に「中国側からの侵略行為」だったのであるが、何とか我が方は凌いで、結果オーライだった)敵性民族名が不明瞭だ。しかし、もし蒙古襲来に敗戦していたら、蒙古人とその同盟国として派兵した高麗人(朝鮮人)、或いは南宋人(中国人)を憎むこととなっていたかもしれない。唯一日本人が憎むのは、終戦間際に「宣戦布告」して漁夫の利を得た、旧ソ連の主要構成民族ロシア人であろうが、戦後の過剰な「平和教育」のせいか、日本人の対ロシア人敵意は、必ずしも強烈ではない。

4.バルカンにおける敵性民族名
  19世紀、バルカン半島で民族意識が勃興し、「覚醒」されていた頃の主要敵性民族名は、当然のことながら当時の主たる支配者であったオスマン帝国の主要構成民族である「トルコ人、ムスリム達」であった。

  然るに、バルカン半島で、最初に独立したギリシャ、セルビア、モンテネグロの3国が登場すると、その後これらと領土面で競い合うこととなったブルガリアでは、周辺の諸民族全て、すなわちルーマニア、セルビア、モンテネグロ、ギリシャの4民族が、トルコ人と共に、敵性民族名に加えられた(実際には、モンテネグロは小国で、さほどの力を持たず、故に省略可能)。また、第二次大戦後は、ユーゴ側が連邦国家形成上必要であったために、勝手に創設した「マケドニア共和国」の「マケドニア民族」名も、それなりに嫌悪の対象に加わった(ブルガリア側から見て、マケドニア人は、ブルガリア民族の一部であり、別民族としては本当は認めたくない)。

  ギリシャ人にとっては、トルコ人がその後も敵であったし、マケドニア、トラキア地方の領土問題からは、ブルガリア人も敵であった。
  セルビア人にとっては、マケドニア領土、ブルガリアから奪取した「西部国境地域」(これはブルガリア側から見ての名称)の回復を希求するブルガリア人も敵性民族だったが、ユーゴをコミンテルンから追放したロシア人も一時は敵だった(最近は、コソボ独立問題もあり、セルビア人とロシア人は友好民族関係にある)。

  ルーマニア人にとっては、ドブルジャ地方の領有を巡って対立を繰り返したブルガリア人も敵の一つではあったが、より深刻な敵はロシア人とハンガリー人であった。ハンガリー人からは、ルーマニアは、トランシルバニアという広大な領土を、棚からぼた餅的に、第一次大戦後取得したから、奪回されることを怖れたのだ。

  何れにせよ、領土問題を中心に、バルカン半島では、地理的に中央に所在したために、周辺の全ての他民族から領土を奪われたブルガリアが、常に四面楚歌の悲劇を味わってきた。この故に、逆にブルガリア国内では、トルコから避難してきたアルメニア人を保護したし、ドイツ、ポーランド、ロシア、その他の中欧、東欧では迫害されたユダヤ人に対しても、同情的な世論が強く、反感は少なかった。 因みに、バルカン半島のユダヤ人は、スペインにおける迫害からオスマン帝国に亡命してきて、テッサロニキ(今日のギリシャ北部の港湾都市、ブルガリア名ソルン)を中心に根付いたセファラディ達(スペイン語を話す)である。東欧、ロシア、ポーランドなどのユダヤ人は普通アシュケナージと呼ばれ、イディッシュ語を話す。

  なお、ブルガリアにとって、アルバニアとかコソボは、直接領土争いをした相手ではないことから、アルバニア人に対してはさほど敵意がないと思う。もちろん、ムスリムであるということで、一部のブル人は冷めた目でしか見ていないかもしれない。3月19日のコソボ承認は、クロアチア、ハンガリー、ブルガリアという対セルビア敵意を有する諸国による「共同宣言」という、団体行動としての承認であった。

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