虚構の計画経済⑧

さて、本件「虚構の計画経済」シリーズで、小生は、主としてソ連型社会主義体制への批判、或いは、「計画経済、科学的社会主義」と称した経済政策、経済に基礎を置いた社会政策の欠陥ぶりを、詳細に論じてきた。理論としてよりも、実際にブルガリアという国で、長年ソ連型社会主義の欠点、欠陥ぶりを観察してきた人間として、厳しく全てを白日の下にさらし、未だに社会主義思想を、より「人間に優しい」などと勘違いしている一部の愚かな日本人の蒙昧、無知を啓蒙したかったからだ。今回は、その締めくくりとして、何が一番辛いのか、或いは何故辛かったことを忘れるのか、ということについて書きたい。もちろん、また新たな記憶、新たな視点を思い出したら、このシリーズは永遠に続けていきたいのだが。

1.蓮池薫著書で感じたこと
 この意味(社会主義体制の欠陥)での、より鋭い体制批判の視点が書いてあると期待して、最近蓮池薫著『半島へ、ふたたび』(新潮社、初版09/06)を読んだのだが、若干期待はずれだった。余りにも過酷な24年間の拉致経験は、却ってそういう体制内でも生き抜く習性が養われて、悲惨さへの神経が麻痺してしまったこと、結婚し、子供もいて、精神的苦痛が緩和されていたこと、などが理由として想像される。もちろん、拉致問題が未解決で、拉致被害者への配慮から、筆を抑制しなければならないと、自己抑制してしまう部分もあろう。
 この蓮池氏の著書で、一番はっとさせられた部分は、最後の頁に書かれた言葉である:「北朝鮮での24年間に失った最大のものは、自分の夢を実現するためのチャレンジの機会だった」というくだりだ。

 確かに、社会主義体制の最大の悪夢は、人間各個人の自由な夢、自らがやりたいと信じる道を追求して、そこに人生をかけるという、個人の夢を奪うことかも知れない。自由に自分の会社を起業して金儲けする機会、自分がしたい職業への夢、自分が作家となりたい夢、描きたい自由な発想の絵画を描きながら、生計とする夢・・・・これらの各個人の夢に関し、社会主義体制は全くといって良いほど配慮しない。音楽、絵画、小説、映画などのあらゆる芸術分野に関しても、共産党が全て価値判断を行って「指導」するから、芸術家の夢の実現など、まるで無理なことが多い。自分の道を強く主張すると、芸術家連盟という官制組織から追放され、給与が出なくなるのだ。芸術家も、連盟から給与を貰うサラリーマンだと言うことを、資本主義圏の人々は何ら理解できないだろう。完全失業するのである。もちろん、代わりとして体制側が提示する、肉体労働などの職種に就職することは可能だろうが、絵描きが建設現場の重労働をさせられるのは、囚人となったのに等しい苦痛であろう。

2.喉元過ぎれば・・・ 
  そもそも、小生の場合、社会主義時代のブルガリアの「物資欠乏社会」で苦労したと言っても、自分自身はブル人でもないから、隣国のギリシャとか、ユーゴスラビアとかに車で出かけて、時には日帰りで、物資を調達してくることも可能であった。
 更には、厳しい秘密警察組織の監視を意識して、行動に気をつけると言っても、自分自身が空虚な共産主義思想を受け容れて、時にはそれに沿った発言を強いられる、というような、精神的強制を受けることはあり得ず、資本主義圏の人間として、勝手な意見を常に言えないわけでもなかった。要するに、体制外の人間としての「自由」とか、社会主義体制から仕事を得てはいないという「経済的自由」もあるから、自由に行動し、発言できる部分が大きかったと言える。市民権も「日本国」だから、ブルガリアに縛られることは少なく、自由に出入国できるのだ。

 とはいえ、社会主義体制故に感じていた不自由、不便さ、苦痛は、やはり大変なものだったのだが、それに関し思い出しうることをこれまでのシリーズで、色々書いているのだが、それで痛感したことは、「喉元過ぎれば、すぐ忘れる」と言うこと。蓮池氏は、北朝鮮で、冬の副食品としては、キムチしかないから、秋が深まった頃に、一家総動員で、大量の白菜、粉末唐辛子、塩辛などを買いだめして、一冬分の大量のキムチを数日間で一挙に漬ける作業が大変だった、二度としたくない経験だ、と書かれているが、人間とは不思議なもので、喉元過ぎれば・・・であって、後数年も経てば、ああ大量のキムチを漬けていた、あのときの作業が楽しかった、懐かしい、などという風に、感想が変わってくるのだ。小生も、社会主義時代の色々な思い出に関して、むしろ懐かしい、などと思い、苦しかったことなどは、ほとんど思い出さないことが多いのだ。だから、このシリーズを書くに際して、書いて、読み返して、徐々に思い出しながら、更に新しいことを書き足す、と言う風にして、何とか書いているのだ。

 そういえば、ある日本人商社マンの妻はブル人女性だったが、日本人の夫と夫妻でブルから出国するときなどは、普通のブル人としての出国許可を得る必要があり、そのためには、税金滞納が無い証明書、起訴されて公判中ではない証明書、借金を抱えていない証明書・・・・・などなどを、いろんな役所を回って文書を貰わなければならず、途方もないほどの労力が必要で、結局二度と外国には出ないと、妻が激怒したという話を聞いた。要するに、自国民を何ら信用していないのだ。

 従って、逆に、簡単に出国許可(出国査証)を取得でき、何度も外国旅行している人間は、ブルガリア人でも特権を認められている人間だ、ということ。小生が知っている例では、あるブル人女性は、日本語通訳として、要人の訪日に常に同行したり、日本の大学に留学もさせて貰っていたが、これらの特権は、何とトップクラスの党幹部との肉体関係で、獲得していたらしい!自由を得るためなら、体くらい提供する覚悟がいるようだ!!もちろん美人でもあるという、付加価値がなければ、あり得ないことでもある。彼女の場合、蓮池氏の言う「自分自身の夢を実現するためのチャレンジの機会」を手中にするためには、少しの我慢など何でもなかったのかも知れない。決して彼女を簡単に非難する気持ちには、なれないではないか!

3.暑さの苦痛も、慣れで忘れる
  そういえば、日本人なら、暑い夏に感じる苦痛を、秋も深まるとすっかり忘れ、冬真っ最中ともなれば、早く暑い夏が来て欲しい、という感覚がよく分かると思う。逆に、暑い夏には、早く寒さが戻って欲しいと感じるだろう。四季があるありがたみだ!

  ところが、「常夏の楽園」と勝手に日本人が呼んでいる南国の場合は、この夏がほぼ永遠に続くのである。四季を当然と考える我々には、住んでみて、意外に苦痛となるものだ。小生も、ハワイに住み、パラオに住んだ経験から、1年の終わり、正月を迎える頃には、この気候でお雑煮を食べてもちっともおいしくない、などと「贅沢な不満」を口にするようになるし、2年目には、もう何時までも暑いこの気候は耐え難い、などと不満になるのが普通だった。この逆は、アイルランド、ベラルーシで感じた、寒い時間が長すぎる、という感覚だ。この両国では、本格的に暑いと感じる夏日は、夏の間にもせいぜい数日間しかない。逆に寒い冬は長い。アイルランドは、気温がマイナスとなることは少ないのだが、暑い夏日はせいぜい2--3日しかないのだ。
  しかるに、現地にずっと住んでいる人々には、このような苦痛感が少ないらしい。麻痺してしまうようだ。小生が1年を過ぎて、南国で感じた、このまま「同じ気温が続くのは嫌だ」という感覚は、現地慣れしすぎて、感覚が麻痺した人々には通じない感じらしい。

 何が言いたいかというと、社会主義体制が崩壊して、自由が戻り、経済自由化で、物資欠乏もなくなって、その後「俺は社会主義時代の方が良かった」などと、とんでもないことを言う人の感覚が、この暑さ、寒さに慣らされて、不満を感じない、という感覚に似ている、ということ。

 人間は、何事にも慣れて、その環境の中で生きる知恵を出す。だから、我々が、耐え難いはずと思う、「職業選択の自由」、「表現の自由」、「海外渡航の自由」、「買い物する楽しみ」など、何れも全てが否定された、不自由で、モノがない社会の中でも生きられるし、数年後、十年後には一部記憶している、そういう辛い時代への記憶も、結構美化されて、「あの頃は良かった」などと、まるで客観的に見てあり得ない発言が出てくるのだ。蓮池氏がそうだとは言わない。彼の場合は、今自分が韓国語の翻訳家となっていることから、また拉致被害者が未だに北朝鮮に残っていることから、自己抑制しなければならない、という自制の気持ちも強いことだろうから。


4.恨(ハン)の量的(volume)な厚みの差が、結論にいたる思考、政策形成の違いを作る
  さて、蓮池薫氏の著書を読んで、小生は、朝鮮的な恨(ハン=小生の理解では、受けた屈辱、苦痛に対する、根強く抜きがたい怨恨感情)の意識に基づき、粘っこく、しつこく、北朝鮮の体制を非難する言葉、多くの事例を挙げての北朝鮮式制度に対する非難の言葉が書き連ねられている、と言う風に期待したことが裏切られたことに、びっくりした。さらっと幾つかは触れられてはいるが、とても小生が思う恨(ハン)の精神から来るほどの、しつこく、粘っこく恨みの感情が表現されていないからだ。

  その理由として、小生は、拉致被害者で北に残された人々への配慮、編集者達から、余りしつこく、同じようなことを書いても、読者の共感を得られず、本が売れないと制止された、など、色々と想像を巡らせた。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、という、少し失礼な想像すらした。
 
  しかし、ここで小生は、もう一つの理論を提示してみたい。屈辱感、辛い思い出は、それがひどいものであればあるほど、忘れたいし、触れたくもないのだ。その上、恨の量的な厚みの差は、必ずしも、ストレートに、文章の長さ、しつこさには、影響しない(蓮池氏は、水に流す傾向の強い日本人でもある)面もあるのかも知れないし、その意見に対する敵対者が、執拗に、色々な形で茶化してきた場合にしか、断固たる強い口調での反論は出てこないのではないか、ということ。蓮池氏の周辺には、現在、北朝鮮における異常な経験に心から同情してくれる人しかいないだろうし、ましてや、北の体制派として、おまえの議論は間違いだと、憎らしく攻撃してくる人、或いは、資本主義の考え方を全て棄てろ、将軍様(金正日)を守れ、などと強制してくる人はいない。だから、彼は、北朝鮮非難の議論をさらっと書く程度に止められるのだろう。
  他方で、敵対者と本当に論戦となったら、蓮池氏は何時間でも、何十もの実例を示して、いかに社会主義体制が、非人間的で、非人道的で、「人に優しくない社会」であるか、その社会体制、政策には、何ら人類に貢献する処など無かった、ということについて、蕩々と、何時間にわたっても議論できるであろう、ということ。

  何故小生がこういう議論をする気になったかというと、日本における、若干左の知識層、インテリ達に多い議論が、左派系の社会党にも日本の民主化に貢献した部分があり、そういう功績は認めてやるべきだ、という種類の議論が多いことだ。他方で、社会党が、北朝鮮、或いは朝鮮総連から資金援助を受け取って、北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、或いは彼らの日本人妻達が、いかに悲惨な運命に見舞われているか、その実態を知っていながら隠していたことなど、そういう否定面での要素に関しては、これらインテリ左派系人は、無視するか、右翼の宣伝として聞かない振りをするかであるということだ。

  小生のブログに最近よく意見を出してくれるap_09さんの意見を聞いていても、やはり時折感じる臭いは、左派系人士の欺瞞的な精神傾向だ。何故そうなるかというと、彼らは簡単に、あなたのような体験者の議論は、よく分かります、私も「中共政府には反対です。でも、中国人を嫌いにはなれません」と、シンパシーを示し、理解の振りをするのだが、しかし、彼らはたぶん、理論として、議論として、ある程度は理解したつもりでも、親左派という立場を決して棄てないであろう。小生も、中国政府の多くの政策には反対で、中国人個人、家族に関しては、同情的、ということでは、何ら変わりはない。結論は同じだ。しかし、結論にまでいたる、途中の議論、思考の側面で、その厚みで、大きく異なるように思う。また同じ結論から派生する対中政策も、警戒・国防強化を指向する小生と、軍事費削減を指向するap_09さんという風に、現実の政策でも、異なってくる部分があるだろう。それはそれでいいのだが。

  自分も、ブルガリアの社会主義体制の中での生活経験が、22歳の青春時から合計12年強という長きにわたるし、蓮池氏も24年間も北朝鮮に奪われた青春時代(小生が、自由を保持した外国人であったこと、1回当たりの長期滞在でも最長5年半で、蓮池氏にはとうてい及ばない)があるから、量的側面から見た恨の厚み、根強さは、とうていその辛さを実体験していない、日本人の観念左派系人士などに、簡単に「賛成、反対」などと結論だけで、軽く同意、反対して貰っても、ありがたくはない。もっともっとかれらも、深い人生体験に基づいて、何に関して優しくすべきか、何に関して怒るべきか、そこの処を深く考えていくべきだろう。量の差異を軽視しないで欲しいのだ。小生としては、結論にいたるまでには、量的な深い思考の積み上げの必要性がある、と強調したいです。
   誰も自分の意見を否定されたり、反対されたら、気分は良くないけど、余り簡単に「賛成です」と結論のみを合わせてきて貰っても、やはりどこか違うと思う。恐らく蓮池氏も、日本でいくら同情の言葉を貰っても、そう簡単には、嬉しくならないだろう。小生なら恐らく、もっと過激に、「同情するよりは、北朝鮮征伐の軍隊を派遣してください」と極端なことを要求するはずだ!!

この記事へのコメント

ap_09
2010年02月26日 14:12
北欧の社会民主主義がどんなものかは知らないのですが、日本の外に出て気付くのは、日本は社会主義国だなと。ひょっとして世界で一番成功した社会主義国ではないかと。と思ったら自分の発見ではなくて、とっくの昔に色々な所で言われていました。
マルクスは欺瞞だったのかもしれませんが、日本の集団主義文化そのものが社会主義的な考えなのではないですか。江戸時代にヨーロッパに先駆けて囚人の更正とか、貧民の援助等があったそうですし(記憶違いかもしれません)。貧民援助は明治時代になってから、逆に大きくカットになって、東京には江戸より貧民があふれていたそうです。
今は知りませんが、田舎に行くと医者は威張ってましたね。患者は質問もしちゃいけない、言われた通りに従っていろみたいな。脅しもする。ミスや間違いがあっても外に出てこない。内輪で隠してシランプリ。
首都圏のどこぞの大学には赤壁なるものが残っていて、医局崩壊の前からサヨク運動の拠点で医局が機能していないところがありました。しかし医療は本当に患者中心、患者第一で、田舎と違って医者の権威絶対などというものはなく、患者のために働いていました。
社会党が何をしたのかは知りませんが、これはサヨクの影響でしょうね。
こんな影響ならサヨクの方がいいです。
日本は沖縄や広島は別として、地方の方が全体主義的で保守的ですね。
ヨーロッパやほかの国は知りませんが、日本の保守派というのが、既存の権威による既得権を享受し、情報を公開せず、何か違う意見を言うとレッテル貼りをして口汚く罵り、吊るし上げのようなことをしたり、異なる考えの者はサヨクだから抹殺されも仕方がないというような態度なら、そちらの方がお話に出てくる共産主義者のようで、日本に関しては軽くサヨク化してた方がいいですね。
2010年02月26日 18:36
ap_09様、
 やはり小生も、段々いらいらしてきました。申し訳ないけど、あなたと対等に長々議論するのが苦痛となってきています。ご自分の文章をもう一度よく読んで、これがインテリとして恥ずかしくない、対等に議論できるほどの知的レベルなのか、と少しは反省して欲しいです。
 やたら大声を張り上げればよいというものではなく、同じレベルで自分が議論できているのか、と、少しは冷静に読み比べてみてはいかがでしょう。別に小生は、左派系でもいいのです、まともな議論が出来るのなら。しかし、今のあなたは、礼節も、知的思索も十分機能していない、わがまま娘のレベルで、「認めテーーー!」と叫んでいるだけ、mugiさん同様に、小生も、議論する時間が無駄だと思い始めています。沖縄、広島しか、まともな日本人はいない、というような発想も、バカバカしい!!
mugi
2010年02月26日 21:55
 私がネットを通じて知ったのは、親左派の輩は平気でウソをつくということ。稚拙な欺瞞でも幾度も繰り返す、旗色が悪くなるや、常に泣き言を並べ言い訳と話のすり替えを図る、レッテル貼りといじける…ということです。彼らの主張のパターンは日本社会が悪い、に尽きますよ。ap_09氏が典型であり、いかに自分は女ということで差別されていたか、愚痴を並べていました。これには同性からの手厳しい非難があり、それには一言も反論できずに逃げた。

 ap_09氏のコメントは此処の他に私のも含め三つのブログで見ました。いずれもスタイルは違うにせよ、保守系という点では共通している。「あちこちお邪魔している」と氏は拙ブログで書いていたし、左派がアラシ目的のため、保守系サイトを巡回しているのは知られています。
「文は人なり」と言われますが、氏のコメントは社会観が実に幼稚で、社会で働いた体験もあるのか疑われる。ネットでは引きこもりやニートがエリートを装い、医者や学者等と詐称するのは珍しくない。ヤフー掲示板で自称医者が何度も書き込みをしていたのを見たことがあります。しかし書き込み時間だけは誤魔化せない。他のコメンターからも、「お医者さん、仕事どうなっている」と揶揄されていた。総じて左派にその類が多く、平日から何度も書き込みしているだけで無能な暇人と言える。この類の相手をすれば、泥沼です。
mugi
2010年02月26日 21:58
 左翼がよく使う「日本は集団主義」こそ完全なステレオタイプのレッテル貼りです。「国家の行動と個人は分けて考えないといけない」と言いつつ、日本だけは完全に一般化と蔑視丸出しで貶しつけるのも左翼の特徴。儒教圏くらい集団主義で若者を抑圧する文化圏もない。インド、イスラム世界の方がずっと個性を発揮してますよ。ap_09氏の書き込みは中韓称賛(特に後者)と侮日傾向が強かったのも、親戚に中国系がいたなら当然。ネットでは中国人に成り済ます者もいますが。
 ap_09氏の日本社会観はハッキリ言って、在日社会に酷似している。教条主義と日本人顔負けの超集団主義、徹底した男尊女卑。朝鮮には「女は3日殴らないと、狐になる」という諺もあり、「血と骨」のようなDV亭主は少なくないとか。拙ブログでの氏のコメント「私が男だったら、あなた、張り倒してるでしょう」からも、粗暴性が伺えます。中国の古典「聊斎志異」にも妻への凄い折檻があります。

 昨年の拙ブログへのコメントからも、氏の人間関係が知れる。「外国暮らしもほとんど10年、その間日本に帰ったのは一度きり、1週間弱でしたが、どこでもそれ程変わらない、心境からは、程遠いです。いいところは、日本みたいに皆と同じようにという圧力はなく、浮いてる私でもほっといてもらえる、と言うところぐらいかな?それにしてもパーティーとか苦手なんですよね。つまり人間関係が作れないってことかな?親しくなる人は、現地の人から見たら、外国人同士っていう傾向にありますし…」
mugi
2010年02月26日 22:00
(続き)
 現実世界で人間関係が作れない者は、ネットでも友人が出来ない。気取って自己中な者に友人が出来ないのは当り前だし、それを周囲ののせいする。皆と同じようにという強迫観念に取り付かれているのは本人自身。海外で「沈没」したニートを異様に讃えていたのも、氏自身が同じだろうと、私は疑っています。氏の好む表現に「皆」もあり、全体主義的思想を感じさせられました。
 また氏は拙ブログで、「嫌な読者でしょうけど」と書いているから嫌われ者なのを認識している。2度も「ブログから締め出さないで下さい」と要請しており、方々で締め出しを食らっていたと思われます。コメントも愚痴と自慢話ばかり、まるで面白くないし、気の利いた会話も出来ないのです。アメリカで壁の花は気の利いた会話も出来ない無能と思われているとか。

 左翼が社会主義を望むのは働かず、社会に寄生する生活が出来るから。氏の書き込みを御覧になれば、その本性がお分かりになられたはず。マルクスこそ労働もせず、人にタカる一生を送ったクズだったし、史上最低のインテリです。共産主義は宗教と同じであり、下っ端は悲惨この上ない。しかも上に意見も出来ないから、超全体主義に陥る。米国のキリスト教原理主義や儒教体制に比べれば、日本の保守派など甘っちょろい。インドもいざとなれば、凄まじい迫害を行う。異教徒の女を輪姦、火に投じるのは宗教対立時の恒例行事となっているし、バルカンも凄惨さでは引けを取らないのではないでしょうか。
 日本の左翼こそ地球上で最も腐りきったブルジョワであり、既存の権威による既得権を最大限享受する特権階級なのです。だからネットで粘着している。そんな暇があれば、無医村で奉仕するがいい!
madi
2010年03月01日 03:14
米原万里の限界
米原万里対談集 「言葉を育てる」ちくま文庫2008年 文庫かきおろし
をよみおえました。日本共産党幹部の娘として、プラハのロシア語教育を小学校でうけ、中学以降は日本で教育をうけています。ただ、ロシアのエリート教育と日本の標準教育をいきなり比べていたり、古典小説至上主義のところがあり、実際の大衆レベルの小学生とか、マンガアニメの知識がほとんどないところがあります。
中学校の教育が画一的といってもエリートの選別前の学校と選別後の学校とでは内容がかわることは気がついてほしいようにおもわれました。


2010年03月01日 10:49
madiさん、
 コメントありがとう。米原万里ですか、小生ほとんど知りません。ロシア語翻訳家という認識ですが、恐らく左派系のひとですよね。プラハは、チェコ人の首都ですから、ある程度ソ連批判のムードとかは、上のレベルならあるけど、小学校レベルでは、それもなく、しかもプラハのロシア語専門校の小学校に学んだとすれば、周囲のチェコ人も、ロシアに忠実な「モスクワ派」のチェコ人だし、そのほかは、プラハ駐在のロシア人子弟でしょう。
 日本の学校は、日教組による観念教育という弊害はあるのでしょうが、まあ基礎学力重視、落ちこぼれ防止、などの観点では、いい面もあると思う。
でも、教育機関は、それこそ、色々な視点での、専門教育機関が当て、多様化しているべき、という風に小生は思う。普通の学校は、一般的な授業の仕方で、しかし、例えば理工系中心の学校、芸術系中心の学校など、それぞれ高校レベル(早期教育が必要な分野は中学校)では既に特化した専門校が存在するべきだと思う。
robita
2010年10月20日 10:00
こんにちわ。
mugiさんにご紹介いただいて、こちらの記事を読ませていただきました。
興味深い指摘で、なるほどと思いました。
私も偶然同じような視点で人情について記事を書きました。
「昔の日本人は今よりずっと優しかった」という思い込み(笑)
よろしければお読みください。
http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-d182.html

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