「極道の妻」が一時帰国
今回は、娯楽路線としてお楽しみ頂きたい。極妻のたくましさ、及びブル社会で自由化後、特に移行期においてマフィア系ビジネスマンが占めた華々しい地位を象徴するエピソードをお伝えしたい。
最近のNovinite.com紙(ネット英字紙)で、Darina Pavlovaに関する記事があった。Iliya Pavlovという、「移行期」を代表するブル・ビジネスマン(Multigroupムルティグループ=MG財閥、という企業グループを形成した人物)の妻として、巨万の富を持ち、元来米国に居住していたから、小生も、結局夫Iliya Pavlovの暗殺(03年3月7日、会社の出入り口で射殺された)後、MG財閥も縮小してしまったし、彼女は生涯米国でひっそり暮らすのか、と想像していたが、どっこいさすがはヤクザの女(極道の妻)、たくましく今も活躍しているという。
何とイタリアの例の好色首相の「影の女」に収まっているらしいのだ!!(注:Iliyaがべた惚れしたように、ダには大物の男を籠絡する才能があるらしい)。そう言えば、いつぞや(2--3年前か?)、ブルのモデルだったある女が、ベルルスコーニの愛人(の一人)に収まっているとのブル紙の記事を読んだ覚えがある。もちろん、この女性は、Darinaとは知り合いであろうが(恐らくはダが送り込んだはず)、ダから見れば格下の女だ。ベと対等につきあい、性的関係を否定して、目立たぬ形でベを助けて、内助の功を誇っているらしいダにすれば、そういう「単なる美人の愛人」と、ベ首相の「掛け替えのない、頼りになる友人」である自分とでは、大きな相違があるのだろう。
なお、今回の記事によれば、ほんの8月6--7日の1泊2日ほどで、彼女がイタリアに慌ただしく「戻って行った」というから、彼女もそれなりに、イタリアで忙しい毎日を送っているらしい。 ちなみに、夫のIliyaは、1960年8月6日生まれというから、今生きていたら51歳に過ぎないので、彼女が夫より10歳若かったと仮定すると(記事などでは、ダの年齢は書かれていない。普通ヤクザ達は、自分より10歳ほど若い女性を好むので)、未だに41歳ほどということになる。
以下に二つの記事の要旨を記す。
1.突然の帰国(8月7日付:http://www.novinite.com/view_news.php?id=130910)
Darina Pavlovaが、Iliyaの慰霊祭に出席するため、久しぶりに(03年以来初めて)帰国した。
ダは、元モデル、女優、そしてマフィア系ビジネスマンIliya Pavlovの妻だった女性。彼女は、6日午前11:30にVeliko Tqrnovo市東方のGorna Oryahovitsa町にある小空港に、自家用ジェット機Falconにて到着した。
この到着現場を24 Chasa紙記者が目撃報道している。彼女は一人でこの飛行機に乗ってきたし、パイロットのみが彼女を連れてきたという。
空港では、シルバー色のBMW車が待機していた(運転手と警備員一人)。後部座席には、大きな白バラのブーケが積まれていた由。
空港に待ちかまえていた記者達に、ほんのちょっとしゃべったのみで彼女はArbanasi村に向かった(注:ア村はGO空港からVT市に向かう道路で、市の少し手前に所在)。
アルバナシ村には、Iliyaを弔う専用のチャペルが存在し、この8月6日(イの誕生日)に、慰霊祭が行われるのだ。儀式には、10名が出席した。主として、夫妻の父親達を含む親戚だ。
ちなみに、チャペルに隣接し、イの所有物件の一つだったArbanasi Palace Residence(注、現在はMG所有のホテルとして利用されているが、元来は、社会主義時代のジフコフがよく利用していた国営迎賓館だった建物)は、「プライベートなイベントで使用に付き、閉鎖中です」と張り紙が出されている(注、恐らくダら親族が泊まるから)。
なお、同じく隣接の修道院(ここにイの墓がある)も、警備員らによって一般人の出入りを禁止していた。
慰霊祭は20分ほどの短さで、チャペルの横の扉から、直接レジデンスへと親族は移動した。
イは03年3月7日、会社から出ようとしたところを射殺され、その後犯人は逮捕されていない。
ダは過去3年ほどは、ローマ市内の豪邸に住んでいる。彼女は、伊の新聞「社交欄」をしょっちゅう賑わせている。彼女は、伊の有名人達と交流しているし、しばしばローマとミラノ市の間を旅している。彼女が伊首相のSilvio Berlusconiと深い交際をしていることは、両名も認めている。もっとも、彼女は、首相の利害を固く守る決意で、両人の間の「親密な関係」は、きっぱりと否定する。(小生注:恐らく彼女自身は、ベ首相と肉体関係はないかもしれない。むしろ、昔ブルで、ミス・ブルガリア・コンテストを主催して、美女の発掘に余念がなかった彼女のことだから、ブルの美女達をベに紹介・提供していると思われる。)
24 Chasa記者によると、彼女がブルに戻ってきたのは、03年にブルを去ってから、今回が初めてのことだという。
記者らが、GO空港に待機していたので、これを予想していなかったダは、驚愕して「ブルのメディアは、CIA、FBIよりも情報入手が早い」と褒めた由。また記者らには、「今回は、自分の父親と、義父に会いたくて数日だけ帰国したが、ブルに戻るつもりはない」と述べた由。
ちなみに、Iliya Pavlovには次の子弟が居る:長女Ventislava(最初の妻の子)、長男Iliya-Kaloyan、及び二女Paola(この二人は、ダが産んだ子供らしい)。この全員が、ブルに在住していない。
イの妹のSlavka Naydenova(41歳)と子息のPaul Wilson(8歳)の両名は、米国のDale Cityに居住していたが、2010年2月2日(昨年2月)に殺害された。この殺害は、米国警察によると、ロシア人のNatalia Wilson(47歳)が、夫とSlavkaとの「関係」に嫉妬して、殺害したものだという。
(注:Wilsonという米国人男性が、露人女性Nataliaと結婚していながら、ブル人女性のSlavkaとの間にも子供を産ませたので、嫉妬深いNがS、P両名を殺害したと言うことらしい。自由化後、自由の国米国に、ラッキーにも移住の夢を果たしたはずの女性達が、一人の男を取り合って、殺し合ったというのだから、哀れだ。自由は、必ずしも人間を幸福にしない、ということか?)
2.ダが伊に戻っていった(8月8日付、 http://www.novinite.com/view_news.php?id=130926 )
ダは、突然帰国したが、またもや突然戻っていった。6日来たばかりで、7日には戻っていったという。
ダの義父(つまり、Iliya Pavlovの父親)のPavel Naydenovが、24 Chasa記者に電話で知らせたところでは、ダは「数日間はブルに滞在予定だったが、突然のあるメッセージで急いで伊に戻る必要性が生じた」と説明した由。Falcon機は、ダのある友人の所有物だそうで、パイロットは黒海沿岸で待機していたので(小生注:恐らくVarna市に所在するMG系のホテルに滞在していた)、ダが電話で呼び出し、直ちにGO空港に到着した由。
義父によれば、彼女は一人で伊に戻った由。義父は、ダ及び孫達とはここ7年間会っていないという。
義父によると、チャペルには、栓を開けた赤ワインと火をつけたシガー(共にイの好物)を置いてきたという。
なお、慰霊祭には、1台の車が、ダの父親をカザンルック町(注:VT県の南に隣接するStara Zagora県の町。6月のバラ祭りで日本でも有名。ダの故郷)から連れてきたという。父親のKalcho(85歳)は、ある新聞記者がカ町に往訪してみると、慎ましい家に住んでいて、一人の女性が世話をしていたという。父親は、昨年秋に、膝の手術をしていて、歩行などが不自由という。この女性によれば、Kは「恥ずかしがり屋で、絶対に記者らと話したくない」と言っているという。Kは、Skypeと電話で、しょっちゅう娘(Darina)とは話しているが、今回直接会えて、うれしがっているという。
健康な義父の方は、米国から孫達も伊に来るようだから、自分もローマに行って久しぶりに孫達とも会いたいと述べた由。(小生注:要するに24 Chasa紙記者とPavel Naydenovとは、何らかの理由で、よく電話でしゃべる間柄らしい。この故に、今回の突然の帰国も、ジャーナリスト達にばれてしまったのだろう。)
3.Iliya Pavlovの葬儀に関する報道
さて、上記の通り、03年3月の暗殺から8年以上を経て、ようやく妻Darina Pavlova出席の下、Iliyaという希有な移行期の英雄(ブル第一の富豪となり、東欧富豪番付でも資産15億ドルほどと推計された)の慰霊祭が、親族のみの出席で、細々と施行された。
他方で、03年3月13日に実施されたIliyaの葬儀そのものに関しては、当時の新聞報道をまとめた小生の記録が残っているので、下記にその華々しい列席者らの顔ぶれを再確認し、ブルにおける「半合法マフィア」達の、華麗な交遊ぶり、社会的地位に関して、認識を新たにして欲しい。日本の常識なら、裏の顔が半分ヤクザとしれている人物の葬儀に、これほどの要人達が顔を出すだろうか??
★03年3月14日付24 Chasa紙、Trud紙、Standart紙報道をとりまとめたもの
13日11:00からのソフィア市Nedelya教会葬儀(「ブ」正教のMaksim総主教<ブル教会最高聖職者>、ブル教会sinod<英語:synod>メンバー高僧らが出席、葬儀の儀礼自体はNedelya教会、及びAl. Nevski教会の僧侶が担当した)に父親Pavel Naydenov(小生注:上記記事の24 Chasa記者は父親の名前をAngel Naydenovと間違って記録して居たので、小生が訂正した)、妹Slavka、妻Darinaの他、娘=Paola、子息=Iliya-Kaloyanが参列。またパの前妻の娘Ventsislavaも出席し、Darinaに付き添い介抱していた(仲がよいらしい)。
Kalchev国家行政相(当時のシメオン内閣閣僚)が閣僚代表として出席、実は同人はIliyaと同じFreemasonのlodgeに所属する(小生注:ブルガリアでは、社会主義時代以前にはフリーメーソン組織が上流階級に浸透していて、多くの閣僚がメーソン・メンバーだった。この伝統が自由化後に、復活している)。Dimitqr Nedkov・MG財閥広報担当によると、イに関し、メーソン儀式(葬儀)も行われたが、何時行われたかは言えない由。
教会葬儀でのお別れの順序は、①Maksim総主教、高僧達、②肉親、MG幹部、③メーソン幹部(最高司令官のPetqr Kalpakchiev、Velikata lozha長のPetqr Gornovski)、④政治家(カルチェフ、ドガン他のDPS党幹部)、⑤民間・財界要人(Ivan Slavkov<当時の>オリンピック国内委員会委員長<故Lyudmila Zhivkovaの夫>、友人・彫刻家のVezhdi Rashidov、Emil Kyulev(銀行家)、Vasil Bozhkov(ギャンブル王、ブル第2の富豪、「復興」クラブ会長)、Petqr Mandzhukov(BSP系ビジネスマン、武器商人)、元運転手Dimitqr Dzhamov(ヤクザ)、Slavi Trifonov及びRosen Petrov(両名は、bTV・TV局の有名司会者とプロデューサー)。なお、同じく葬儀に参列したルカーノフ元首相弟のAleksadqr Atanasovは、「兄はIliyaを尊敬していた。兄はVidenovとは対立していたので、左翼の手で殺害された」と述べた。
なお、シメオン首相からは、妻のDarina宛に弔意を表し、パの起業家精神を称える弔電が送られた。(弔電要旨:この死を受け入れるのは難しい。パの名前は、同人が創出した多くの家族のための職場、起業家精神とともに記憶されよう。皆さんは、パが創り出した事業を継続し、建設を進めて欲しい。生命は、悲しみより強いし、パが生み出した仕事は真の心の慰めとなるから。)
警備は3重:警察、会社の警備員、Borovetsスキー学校(MG系企業)のジャンパーを着た警備員。MGのカメラのみが教会内で撮影した。
首都中心部のNedelya教会葬儀の後、Iliyaの遺体は、市郊外Vitosha山山麓のBistritsa村から大型ヘリでヴェリーコ・タルノヴォ県Arbanasi村へと輸送され、同日17:05にSveti Nikola修道院(Arbanasi Palace Residenceホテル近くに所在)の墓地に埋葬された。
最近のNovinite.com紙(ネット英字紙)で、Darina Pavlovaに関する記事があった。Iliya Pavlovという、「移行期」を代表するブル・ビジネスマン(Multigroupムルティグループ=MG財閥、という企業グループを形成した人物)の妻として、巨万の富を持ち、元来米国に居住していたから、小生も、結局夫Iliya Pavlovの暗殺(03年3月7日、会社の出入り口で射殺された)後、MG財閥も縮小してしまったし、彼女は生涯米国でひっそり暮らすのか、と想像していたが、どっこいさすがはヤクザの女(極道の妻)、たくましく今も活躍しているという。
何とイタリアの例の好色首相の「影の女」に収まっているらしいのだ!!(注:Iliyaがべた惚れしたように、ダには大物の男を籠絡する才能があるらしい)。そう言えば、いつぞや(2--3年前か?)、ブルのモデルだったある女が、ベルルスコーニの愛人(の一人)に収まっているとのブル紙の記事を読んだ覚えがある。もちろん、この女性は、Darinaとは知り合いであろうが(恐らくはダが送り込んだはず)、ダから見れば格下の女だ。ベと対等につきあい、性的関係を否定して、目立たぬ形でベを助けて、内助の功を誇っているらしいダにすれば、そういう「単なる美人の愛人」と、ベ首相の「掛け替えのない、頼りになる友人」である自分とでは、大きな相違があるのだろう。
なお、今回の記事によれば、ほんの8月6--7日の1泊2日ほどで、彼女がイタリアに慌ただしく「戻って行った」というから、彼女もそれなりに、イタリアで忙しい毎日を送っているらしい。 ちなみに、夫のIliyaは、1960年8月6日生まれというから、今生きていたら51歳に過ぎないので、彼女が夫より10歳若かったと仮定すると(記事などでは、ダの年齢は書かれていない。普通ヤクザ達は、自分より10歳ほど若い女性を好むので)、未だに41歳ほどということになる。
以下に二つの記事の要旨を記す。
1.突然の帰国(8月7日付:http://www.novinite.com/view_news.php?id=130910)
Darina Pavlovaが、Iliyaの慰霊祭に出席するため、久しぶりに(03年以来初めて)帰国した。
ダは、元モデル、女優、そしてマフィア系ビジネスマンIliya Pavlovの妻だった女性。彼女は、6日午前11:30にVeliko Tqrnovo市東方のGorna Oryahovitsa町にある小空港に、自家用ジェット機Falconにて到着した。
この到着現場を24 Chasa紙記者が目撃報道している。彼女は一人でこの飛行機に乗ってきたし、パイロットのみが彼女を連れてきたという。
空港では、シルバー色のBMW車が待機していた(運転手と警備員一人)。後部座席には、大きな白バラのブーケが積まれていた由。
空港に待ちかまえていた記者達に、ほんのちょっとしゃべったのみで彼女はArbanasi村に向かった(注:ア村はGO空港からVT市に向かう道路で、市の少し手前に所在)。
アルバナシ村には、Iliyaを弔う専用のチャペルが存在し、この8月6日(イの誕生日)に、慰霊祭が行われるのだ。儀式には、10名が出席した。主として、夫妻の父親達を含む親戚だ。
ちなみに、チャペルに隣接し、イの所有物件の一つだったArbanasi Palace Residence(注、現在はMG所有のホテルとして利用されているが、元来は、社会主義時代のジフコフがよく利用していた国営迎賓館だった建物)は、「プライベートなイベントで使用に付き、閉鎖中です」と張り紙が出されている(注、恐らくダら親族が泊まるから)。
なお、同じく隣接の修道院(ここにイの墓がある)も、警備員らによって一般人の出入りを禁止していた。
慰霊祭は20分ほどの短さで、チャペルの横の扉から、直接レジデンスへと親族は移動した。
イは03年3月7日、会社から出ようとしたところを射殺され、その後犯人は逮捕されていない。
ダは過去3年ほどは、ローマ市内の豪邸に住んでいる。彼女は、伊の新聞「社交欄」をしょっちゅう賑わせている。彼女は、伊の有名人達と交流しているし、しばしばローマとミラノ市の間を旅している。彼女が伊首相のSilvio Berlusconiと深い交際をしていることは、両名も認めている。もっとも、彼女は、首相の利害を固く守る決意で、両人の間の「親密な関係」は、きっぱりと否定する。(小生注:恐らく彼女自身は、ベ首相と肉体関係はないかもしれない。むしろ、昔ブルで、ミス・ブルガリア・コンテストを主催して、美女の発掘に余念がなかった彼女のことだから、ブルの美女達をベに紹介・提供していると思われる。)
24 Chasa記者によると、彼女がブルに戻ってきたのは、03年にブルを去ってから、今回が初めてのことだという。
記者らが、GO空港に待機していたので、これを予想していなかったダは、驚愕して「ブルのメディアは、CIA、FBIよりも情報入手が早い」と褒めた由。また記者らには、「今回は、自分の父親と、義父に会いたくて数日だけ帰国したが、ブルに戻るつもりはない」と述べた由。
ちなみに、Iliya Pavlovには次の子弟が居る:長女Ventislava(最初の妻の子)、長男Iliya-Kaloyan、及び二女Paola(この二人は、ダが産んだ子供らしい)。この全員が、ブルに在住していない。
イの妹のSlavka Naydenova(41歳)と子息のPaul Wilson(8歳)の両名は、米国のDale Cityに居住していたが、2010年2月2日(昨年2月)に殺害された。この殺害は、米国警察によると、ロシア人のNatalia Wilson(47歳)が、夫とSlavkaとの「関係」に嫉妬して、殺害したものだという。
(注:Wilsonという米国人男性が、露人女性Nataliaと結婚していながら、ブル人女性のSlavkaとの間にも子供を産ませたので、嫉妬深いNがS、P両名を殺害したと言うことらしい。自由化後、自由の国米国に、ラッキーにも移住の夢を果たしたはずの女性達が、一人の男を取り合って、殺し合ったというのだから、哀れだ。自由は、必ずしも人間を幸福にしない、ということか?)
2.ダが伊に戻っていった(8月8日付、 http://www.novinite.com/view_news.php?id=130926 )
ダは、突然帰国したが、またもや突然戻っていった。6日来たばかりで、7日には戻っていったという。
ダの義父(つまり、Iliya Pavlovの父親)のPavel Naydenovが、24 Chasa記者に電話で知らせたところでは、ダは「数日間はブルに滞在予定だったが、突然のあるメッセージで急いで伊に戻る必要性が生じた」と説明した由。Falcon機は、ダのある友人の所有物だそうで、パイロットは黒海沿岸で待機していたので(小生注:恐らくVarna市に所在するMG系のホテルに滞在していた)、ダが電話で呼び出し、直ちにGO空港に到着した由。
義父によれば、彼女は一人で伊に戻った由。義父は、ダ及び孫達とはここ7年間会っていないという。
義父によると、チャペルには、栓を開けた赤ワインと火をつけたシガー(共にイの好物)を置いてきたという。
なお、慰霊祭には、1台の車が、ダの父親をカザンルック町(注:VT県の南に隣接するStara Zagora県の町。6月のバラ祭りで日本でも有名。ダの故郷)から連れてきたという。父親のKalcho(85歳)は、ある新聞記者がカ町に往訪してみると、慎ましい家に住んでいて、一人の女性が世話をしていたという。父親は、昨年秋に、膝の手術をしていて、歩行などが不自由という。この女性によれば、Kは「恥ずかしがり屋で、絶対に記者らと話したくない」と言っているという。Kは、Skypeと電話で、しょっちゅう娘(Darina)とは話しているが、今回直接会えて、うれしがっているという。
健康な義父の方は、米国から孫達も伊に来るようだから、自分もローマに行って久しぶりに孫達とも会いたいと述べた由。(小生注:要するに24 Chasa紙記者とPavel Naydenovとは、何らかの理由で、よく電話でしゃべる間柄らしい。この故に、今回の突然の帰国も、ジャーナリスト達にばれてしまったのだろう。)
3.Iliya Pavlovの葬儀に関する報道
さて、上記の通り、03年3月の暗殺から8年以上を経て、ようやく妻Darina Pavlova出席の下、Iliyaという希有な移行期の英雄(ブル第一の富豪となり、東欧富豪番付でも資産15億ドルほどと推計された)の慰霊祭が、親族のみの出席で、細々と施行された。
他方で、03年3月13日に実施されたIliyaの葬儀そのものに関しては、当時の新聞報道をまとめた小生の記録が残っているので、下記にその華々しい列席者らの顔ぶれを再確認し、ブルにおける「半合法マフィア」達の、華麗な交遊ぶり、社会的地位に関して、認識を新たにして欲しい。日本の常識なら、裏の顔が半分ヤクザとしれている人物の葬儀に、これほどの要人達が顔を出すだろうか??
★03年3月14日付24 Chasa紙、Trud紙、Standart紙報道をとりまとめたもの
13日11:00からのソフィア市Nedelya教会葬儀(「ブ」正教のMaksim総主教<ブル教会最高聖職者>、ブル教会sinod<英語:synod>メンバー高僧らが出席、葬儀の儀礼自体はNedelya教会、及びAl. Nevski教会の僧侶が担当した)に父親Pavel Naydenov(小生注:上記記事の24 Chasa記者は父親の名前をAngel Naydenovと間違って記録して居たので、小生が訂正した)、妹Slavka、妻Darinaの他、娘=Paola、子息=Iliya-Kaloyanが参列。またパの前妻の娘Ventsislavaも出席し、Darinaに付き添い介抱していた(仲がよいらしい)。
Kalchev国家行政相(当時のシメオン内閣閣僚)が閣僚代表として出席、実は同人はIliyaと同じFreemasonのlodgeに所属する(小生注:ブルガリアでは、社会主義時代以前にはフリーメーソン組織が上流階級に浸透していて、多くの閣僚がメーソン・メンバーだった。この伝統が自由化後に、復活している)。Dimitqr Nedkov・MG財閥広報担当によると、イに関し、メーソン儀式(葬儀)も行われたが、何時行われたかは言えない由。
教会葬儀でのお別れの順序は、①Maksim総主教、高僧達、②肉親、MG幹部、③メーソン幹部(最高司令官のPetqr Kalpakchiev、Velikata lozha長のPetqr Gornovski)、④政治家(カルチェフ、ドガン他のDPS党幹部)、⑤民間・財界要人(Ivan Slavkov<当時の>オリンピック国内委員会委員長<故Lyudmila Zhivkovaの夫>、友人・彫刻家のVezhdi Rashidov、Emil Kyulev(銀行家)、Vasil Bozhkov(ギャンブル王、ブル第2の富豪、「復興」クラブ会長)、Petqr Mandzhukov(BSP系ビジネスマン、武器商人)、元運転手Dimitqr Dzhamov(ヤクザ)、Slavi Trifonov及びRosen Petrov(両名は、bTV・TV局の有名司会者とプロデューサー)。なお、同じく葬儀に参列したルカーノフ元首相弟のAleksadqr Atanasovは、「兄はIliyaを尊敬していた。兄はVidenovとは対立していたので、左翼の手で殺害された」と述べた。
なお、シメオン首相からは、妻のDarina宛に弔意を表し、パの起業家精神を称える弔電が送られた。(弔電要旨:この死を受け入れるのは難しい。パの名前は、同人が創出した多くの家族のための職場、起業家精神とともに記憶されよう。皆さんは、パが創り出した事業を継続し、建設を進めて欲しい。生命は、悲しみより強いし、パが生み出した仕事は真の心の慰めとなるから。)
警備は3重:警察、会社の警備員、Borovetsスキー学校(MG系企業)のジャンパーを着た警備員。MGのカメラのみが教会内で撮影した。
首都中心部のNedelya教会葬儀の後、Iliyaの遺体は、市郊外Vitosha山山麓のBistritsa村から大型ヘリでヴェリーコ・タルノヴォ県Arbanasi村へと輸送され、同日17:05にSveti Nikola修道院(Arbanasi Palace Residenceホテル近くに所在)の墓地に埋葬された。
この記事へのコメント
Darina自身、元モデル、女優だったそうで、美貌を武器に大物の男たちと渡り合っている。顔だけではなく頭も度胸も見事なようで、全く大した女です。
米国移住していた彼女の妹や甥は悲惨でしたね。いかに嫉妬に狂ったにせよ、愛人のみならずその子供も殺害したというのは酷い。私も同性なのでその気持ちは分かりますが、殺害までやる女は稀。ロシア人妻は自ら殺害したのでしょうか?このワイドショー的ネタは、妙に気になります(笑)。
ベルルスコーニとダリナの関係は、むしろ、ダにしてみれば、ブルから美女達を連れてきて、ベに紹介することで、ベから何らかの商業的利益を引き出している、と言う風に感じる。
デビ夫人も、一時欧州の社交界で豪遊していたらしいけど、やはり大金持ちの凄い旦那が死亡したり、暗殺されたりすると、まだまだ活力の残っている、しかも社交界で世渡りする才覚のある、美人女性達は、欧州社交界の金持ち達の間を渡り歩いて、いい男を捕まえて、それなりに金も引き出し、自分の商才もあるなら、更にはそちらにも役立てると言うことでしょうか。
まあ、ダリナの出来ることは、商才と言っても、ブルにいる頃から、美女を捜し出しては、大物の男達にあてがう、と言う役割に見える。イリヤの遺産と言っても、ジャクリーヌ、デビほどの個人財産を手にしているかどうか、怪しい。それ故に、遺産を更に増やすための社交界活動に見える。
米国で、殺害されたイリヤの妹とその子息は、哀れだけど、Slavkaはロシア女の嫉妬深さ、恐ろしさに少し鈍感だったのか?とも思う。ロシア女にしてみれば、ソ連時代の衛星国ブルの女性などに負けては、悔しくて、自己抑制できなかったのでしょう!
ともかく、極妻の世界の物語としか思えません。
バカげているけど、ベルルスコーニ首相も、所詮この程度の女がパートナーというか、自分の一番の理解者となっているらしいから、呆れた人物です。もっとも、ダの男を落とす手練手管、或いは、爺殺しの才覚というものも、強く感じてしまう。
ちなみに、ブル女性は、普通才走って、かわいげが少ない、たくましい女性が多いので、日本人男性でブル人女性と結婚する例は、意外と少ないのです。 でも、おしゃべり大好きなイタリア人とブル人は、性格が似ていて、馬が合うと思う。地中海系の食品という食物のレベルでも、馬が合うはず。
一つ忘れていました。ダリナが、伊からブルへと友人の自家用機で旅したと言っても、本来国内用のGorna Oryahovitsa空港(今はアスファルト舗装してあるだろうけど、昔60年代末には、まだただの草原で、プロペラ機しか着陸できなかった)では、出入国管理官が常駐しているはずはないので、要するに、彼女の電話での要請に基づき、ブル政府の偉いさんの誰かが動いて、このGO空港に出入国管理官を派遣して、ダとパイロットの旅券に入国スタンプを押させたと言うことになる。
昔は、共産党幹部なら、何でも出来たけど、今は大物極妻でも、電話一本で何でも出来る時代というか。ダの場合、ブルの偉いさん達とは、電話一本で交渉できるだけの顔の広さを持っている、と言えるでしょう。
もちろん、自家用機がブル領空に入れるように、誰かが許可を取ってやってもいるはず。領空通過に関して言えば、伊→クロアチア→セルビア→ブルと色々な国を通過するから、欧州のVIP達の自家用機には、特別の領空通過許可、或いは着陸許可のシステムが存在すると思われる。これは、だから、具体的には、ダを運んだパイロットが手続きできるのかもしれません。そこのシステムに関しては、小生は知識がないので、何とも言えないけど、入国管理については、どうしてもすっ飛ばすことは不可能なはずです。