マクシム総主教の逝去

 さて、11月6日(火)早朝に、ブルガリア正教会トップのマクシム総主教が逝去したので、関連情報をNovinite.com英字紙に基づき、とりまとめてご紹介しておくこととしたい。
 実は、同人が総主教に就任したのは、1971年7月4日と、小生が第1回目のブル勤務時代の話なのだが、恐らく小生はその頃外国旅行していたのか、かつまた、共産圏時代として、何ら大きなニュースとして取り扱われなかったせいか、或いは小生が当時宗教に関心がなかったせいか、小生には、この「総主教交替」に関連する記憶が一切無いのが悔しいというべきであろう。ともかく、今回のブル正教会トップ(しかも、41年の超長期にわたり総主教職を務めた人物)の逝去は、それなりに一つの歴史の終了を意味すると言えよう。

1.政府病院にて逝去
11月6日(火)午前4時少し前、マクシム総主教は98歳の年齢で逝去した。1ヶ月前から政府病院に入院治療していたし、死亡に到る数日間は、生命維持装置でかろうじて生きていた。10月29日に、98歳の誕生日を迎えたばかりでもあった。
 同人は、1914年10月29日、Lovech県Troyan郡Oreshak村にて、(俗名)Marin Minkov として生まれた。総主教職には、1971年3月に先代総主教Kirilの死亡があり、1971年7月4日に、(恐らく裏では当時の共産党政権の承認も得て)就任した。
 自由化後のブルでも、その地位を保ち、41年間総主教職の地位を保持してきた。

2.ロシア正教会、ロシア大統領からも弔意を表明
 6日、ロシア正教会モスクワ総主教座外交担当福部長のNikolay Balashov長司祭(archpriest)が、マクシム総主教の逝去に際し、弔意を述べた。
 なお、マクシムは、世界のオーソドックス教会総主教の中でも最年長者で、かつ、この職務を41年間の長期にわたり保持してきたという意味でも、記録の保持者である。

8日Putin大統領は、ロシア正教会、ロシア国民とブル正教会、ブル国民との間の友好関係増進のために貢献したとして、Maksim総主教の逝去に対し、深甚な弔意を表明した。ちなみに、1950年代、Maksimは、ブル正教会のモスクワ総主教座にたいする代表として勤務したことがある。

3.後継者選出手続き
 今後4ヶ月以内に、ブル正教の高僧達により、後継者が選出される。ブル正教会「主教会議(Holy Synod)」は、「50歳以上で、主教職経験が5年以上」の条件の高僧の間から、3名の候補者をまず選定する。その後、「総主教選定全国教会評議会(National Church Council)」が、この3名の内1名を総主教に選出する。
 1週間以内に主教会議は暫定総主教を選定する必要があるが、この主教会議の議長は、現職府主教(metropolitan bishop)の中で最年長のGrigory・VT(ヴェリーコ・タルノヴォ)府主教が務める。

6日の主教会議で、Plovdiv府主教のNikolayが、暫定的に「ソフィア府主教職」(この職務は、元来Maksim総主教が兼任してきた職務)を務めると決定。また、主教会議は、政府に対し、11月9日(金)を「国民追悼の日」と指定するように要請した。

4.政府が、「国民追悼の日」を指定
7日(水)、ブル国会議長のTsetska Tsachevaは、ソフィア市St. Aleksandqr Nevski聖堂内に正装安置(lying in state)されたMaksim総主教の遺体に拝礼し、敬意を表した。
 更に同日、ブル政府(閣僚会議)は、9日(金)をMaksim総主教逝去に対する「国民追悼の日(National day of mourning)」と指定する旨決定した。

因みに、今後の関連行事は次の通りと主教会議で決めた:
(1)ソフィア市での行事: 8日(木)午前9時から、St.Nedelya教会にて公式追悼式をする。翌 9日(金)午前9時に、Al.Nevsky聖堂(寺院)で、葬儀とミサ。
(2)故郷トロヤン(Troyan)町での行事:公式葬儀は、9日(金)午後3時半より、Troyan修道院で行われ、その後同日中に、同修道院内に埋葬される。

5.実際の葬儀、ミサ
8日(木)午前9時から、教主のための奉神礼がソフィア市Nedelya教会で挙行された(奉神礼=オーソドックスの祈祷儀式の総称)。Plovdiv府主教のNikolayがこの儀礼を執り行った。同人が暫定的にソフィア府主教職を代行した。この日、マ総主教の遺体は、Nedelya教会に正装安置(lying in state)されていた。
 
9日(金)午前9時に、Aleksandqr Nevski聖堂で行われた葬儀、ミサを終え、かつ、ソフィア市における正装安置状態を終了して、Maksim総主教の遺体は、同人の遺言に基づき、故郷に所在する著名なTroyan町の修道院にて埋葬されるため、移送された。

6.暫定後継者の決定
(1)暫定総主教職
10日(土)、Varna府主教のKirilが、主教会議によって、暫定総主教職に選出された。他の候補者は、Lovech府主教のYoanikyであった。正式の新総主教が選出されるまでの4ヶ月間、Kirilが暫定的に総主教職を務める。

 ちなみに、 2011年年末と2012年初頭に、Kiril府主教は、豪奢な米国製の最新型Lincoln MKZ Hybrid車を運転していて、地元Varna市の信者の間で、何故高僧達が、これほどの高級車を所有できるほど富裕なのか?との疑惑を招いた経緯が想起される。

 他方で、Plovdiv府主教のNikolayは、一番若手の府主教であると共に、その僧侶としての硬派的立場が知られている(注:一種の原理主義で、教義、修行に五月蠅いと言うこと)。

(2)暫定ソフィア府主教職
  なお、10日(土)主教会議は、Kiril府主教が、暫定的にソフィア府主教職も兼任する旨決定した。同日、これに先立ち、主教会議は、同人を「暫定総主教職」に選出していたので、Kiril府主教は、Maksim総主教同様に、二つの職務を兼任(今のところ暫定的だが)することとなった。

 よってKiril府主教は、今後4ヶ月間ブル正教会を率いて行くほか、新総主教を選出するための全国教会評議会(National Church Council)開催の準備も担当する。
    (小生注:Varna市における高級車騒動という、余り芳しからぬ話題を振りまいたことのあるKiril府主教と、Maksim総主教同様に、清貧で、教義に忠実な感じのNikolay府主教、というこのNovinite.com紙の扱いぶりが、若干気になるが、上記の通り「暫定的」とはいえ、二つのキーとなる職務を兼務することになったKiril府主教が、次期総主教職レースで一歩優位に立ったということらしい。)

7.ブル国内のオーソドックス教徒数
2011年の国勢調査によれば、自身の宗教的帰属に関する質問に回答した市民の内、76%が「正教徒」であると回答した。宗教的帰属についての質問への回答は、義務的ではなく、自発的意志で行われたもので、全人口比で言えば59.4%が「正教徒」と回答した。

  (小生注:この調査で、全人口は735万人ほどであった。故に、人口の78%=約575万人が帰属に関する質問に回答し、その内76%=約437万人ほどが、オーソドックスクリスチャンであると回答したこととなる。
  他方で、ブル国民の内トルコ系、ポマック系、ジプシー系のムスリムを合計で約15%と見て、オーソドックス教徒は残りの85%ほどとの推計も良く目にする気がする。
  しかし、共産党支配時代に育った世代が多いので、典型的ブル人の宗教的帰属心が、さほどに深いとは思われない。実際には、735-575=160万人の無回答者=人口の21.8%、の内半分ほど、すなわち10%の80万人弱は、元来無宗教ということであっても不思議ではない。或いは、無宗教の比率は、もっと高いとも考え得るであろう
。)

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この記事へのコメント

kochan1026
2013年01月02日 21:04
ブログをしばらく見ていませんでした。パトリアック・マキシムは共産主義の厳しい時代を全うして、1990年代以降また人々が押しかける協会を経験したわけですね。今のブルガリア人の宗教心がどれほど強いかはよく分かりません。ただ、共産主義が潰れてあっという間に甦ったのは何だろうと不思議です。パトリアック・マキシムの故郷のトロヤンは強い酒ラキアをプラムから作る町でしたね。
2013年01月02日 21:35
kochan1026さん、こんばんは、
 Maxim総主教は、共産政権崩壊後、一時教会内からも分派活動が出るなどしたのですが、結局生き残りました。政府発表のドシエ委員会報告書(共産時代のDS文書を調べている役所の報告)でも、Maxim総主教は、DS協力者名簿には載っていなかったと12年1月に公表があった。
 Troyanは、Slivova Rakiyaで有名な町ですが、Troyan修道院も有名です。小さいけど、いい感じの修道院です。
 教会が、共産時代後にすぐ蘇ったのは旧共産圏共通の現象で、やはり共産主義と完全に分かれるためには、旧来の宗教、伝統に頼るのことが手っ取り早いからでしょう。

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  • Excerpt: さて、昨年11月12日に、マクシム・ブル正教会総主教の逝去につきこのブログ記事としてご紹介した( http://79909040.at.webry.info/201211/article_3.h.. Weblog: ブルガリア研究室 racked: 2013-02-25 11:24
  • Excerpt: さて、昨年11月12日に、マクシム・ブル正教会総主教の逝去につきこのブログ記事としてご紹介した( http://79909040.at.webry.info/201211/article_3.h.. Weblog: ブルガリア研究室 racked: 2013-02-25 11:24