ヒトラーは、何故ソ連に侵攻したのか?

 第二次大戦における一つの大きな謎であった、「何故ヒトラーが、不可侵条約を締結していたソ連への侵攻作戦という、二正面作戦を採ったのか?」という謎に対する回答が、実は、英国に冷戦期に亡命した元GRU職員によってとっくの昔(20年前)に提供されていた、という驚くべき論文(「歴史発掘:スターリンのドイツ侵攻電撃作戦」)が、雑誌『Will』の6月号に掲載されていて、びっくりした。この論文を書いているのは、西岡昌紀(マサノリ)というお医者さん(精神内科医、1956年東京生まれ、北里大学医学部卒)である。

 社会主義時代のブルガリアでは、相当なインテリですら、第二次大戦開戦時に、独ソ両国間の秘密協定に基づき、両国がほぼ同時にポーランドに侵攻して、ポ国を分割支配した、ということ、当時(冷戦期でソ連が存続していたころの話)の国境線でも、相変わらずソ連邦ベラルーシ共和国の領域の西半分は、この侵攻でソ連が占領・奪取した旧ポーランド領東部地域だ、ということを、全く知らなかったので、小生は、あまりの知的怠慢というか、共産圏におけるあまりに極端な情報統制(インテリたちですら、歴史の真実を何も知らない)に驚き、呆れた経験がある。ちなみに、冷戦後の今も、このソ連が占領した地域は、ベラルーシ共和国の西部として、そのままであり、ポーランドも既にこの領地の奪回を諦めている(奪回すれば、現在ポーランドの西部地域に編入されている領土を、ドイツに返還せねばならないから、ポーランドとしては、得にならないのだ)。

 ともかく、今回この西岡論文で注目すべきは、ヒトラーがソ連に侵攻した作戦が、「スターリンによるドイツへの侵攻作戦を、事前に察知して、裏をかいて、先にドイツ側が侵攻した」というのが実は歴史の真実であるらしいこと。この故に、ヒトラーの戦略は実は「二正面作戦」という暴挙を企てたのではなく、むしろ、「自己防衛の意味で、機先を制したのであって、ある意味では理性的、合理的な戦略、作戦だった」とも言えるかもしれない、と評価を変えるべきだ、ということ。
  以下に、この論文のさわりを少しだけ要約してご紹介する。まったく、改めてスターリンという男の、恐ろしい本性を知った、という思いがする。

1.著者の横顔
  件の著書は、1990年に英国で出版された『Icebreaker(砕氷船)』と題する364頁の本で、著者はViktor Suvorovというペンネームだが、本名はVladimir Bogdanovich Rezunという1947年生まれの歴史家、という。このRezun氏の経歴に関して、西岡氏は次のように紹介している。
(1)軍人家族の出身
  1947年レズンは、ウラジオストック市の海軍軍人一家に、ロシア人とウクライナ人との混血として誕生した。レは、軍人としての教育を受け、旧ソ連の情報機関GRU(ゲーレーウー、参謀本部情報総局、軍事関連の諜報機関)の将校に採用された。

(2)チェコ民主化の弾圧に参加して、思想的に転機を迎えた?
  1968年、21歳の時、レは、ソ連軍が「プラハの春」を弾圧した時の介入軍兵士として初めて外国を見たという。その後レは、軍人としてのエリート・コースを歩み、GRU将校に採用された。GRUこそは、実は有名なKGB(カーゲーベー)以上の、ソ連における最高のエリート集団組織であった。

(3)チェコ事件後10年で亡命を決意
  しかし、1978年レは、国外に逃亡し、旧ソ連における経験を活かして、ソ連に関する著作を西側で発表し続けた、という。上記の『Icebreaker』は、レ氏の著作の一つだという。

2.著書の要旨
レ氏が、この本で主張した内容を要約すると次の通り、という。
(1)まずドイツを油断させ、しかし、裏をかいてドイツの背後から襲いかかる準備をした
  スターリンは、ヒトラーのドイツが英、仏と戦争状態になることを期待して、そのために1939年に独ソ不可侵条約を締結した。
  1939年9月、実際にポーランドを巡ってドイツが英、仏両国と交戦状態に突入すると、それを待っていたスターリンは、ポーランドの東半分を占領するとともに、ソ連国内で大量動員して(この大規模動員では、囚人たちもが軍隊に動員されたという)、軍部隊を対ドイツ軍正面に移動し、ドイツを東方から奇襲する準備を整えた、という。

(2)ヒトラーは、ソ連の動きを察知した
  しかし、ドイツ軍は、このスターリンの陰謀を見抜き、ソ連側が奇襲攻撃をかける前に、1941年6月21日に、逆にソ連に対して先制攻撃をかけた。
  ヒトラーが、西部戦線で戦いながらも、あえて両面作戦を覚悟でソ連に侵入した本当の理由は、このようにソ連軍が侵攻を準備していたからなのだ。

(3)「砕氷船」は、国際共産主義のために道をつくるヒトラーにつけた綽名
  レによると、ソ連軍のために資本主義国家の氷の間に水路を作り、ソ連軍による西欧制服への道を開いてくれる「お人好し」としてのヒトラーの役割を期待して、このような綽名をスターリン達がつけていたという。

(4)ソ連軍は、自らが西方へ侵攻する作戦を考えていたので、西部「国境線」地域での防御的措置を何もしていなかった
  レによると、ソ連軍は、その西部「国境」地帯(ポーランド、ルーマニアなどに駐留していたドイツ軍との正面付近)において、塹壕線も掘らなかったし、防空壕も建設していなかった。むしろ、鉄条網も撤去していたし、地雷原も撤去していたという。その上、「国境」に集結していたソ連軍兵士の軍服は、夏服であったという。
  パイロットたちも、空中戦の訓練は受けておらず、対地攻撃訓練のみであったという。
  だから、ドイツ軍は侵攻作戦初期に、大々的な成功を収めることができたという。

(5)ソ連軍の奇襲作戦は、1941年秋に予定されていた
  スターリンによって国外追放されたトロツキーは1939年6月に、「ヒトラーの対ソ連侵攻作戦が、1941年秋に敢行される」、との予言を書いているが、これは逆に、「ソ連軍が1941年秋に対独侵攻奇襲作戦を準備している」ことを知っているから、そのように書いたのだろう、とレは書いているという。
  実は、ソ連軍は、日ソ相互不可侵条約を背景に、1941年5月初旬に極東ソ連軍を極秘裏に西に移動し、西部国境地帯に配備したが、これも、同年秋に対独奇襲作戦を開始する準備であったという。

3.ソ連軍の性的犯罪と、慰安婦問題について
(1)スターリンは、囚人兵なども使ったので、ドイツ本土などで強姦事件が多発
  西岡氏は、フィンランドからスターリンがカレリヤ地方を奪った時、或は、第二次大戦末期にドイツ本土に侵攻した時、更には満洲に侵攻した時などに、ソ連軍兵士たちは、現地の女性たちを集団強姦しまくった、という側面にかなりの紙数を割いている。
    (注:史実として、ソ連軍は、戦地で、これから先の侵攻先では、「強姦お構いなし」などという指令を流していたらしい。ルーマニアなど、ソ連にドイツ軍とともに侵攻した国の領域では、「強姦自由」となったという。だから、強姦をした兵士が、必ずしも囚人兵たちだけだったとも思えない。スターリンは、元神学生とは思えない、残忍な本性を持っていて、これらの指令を出していたようだ。これに反し、ブルガリアへの侵攻を前にしては、対ソ連宣戦布告をナチスに対し拒否し、ロシア人との伝統的友好感情に忠実であったブル国への一種の「配慮」から、ブルでは「強姦不許可指令」を発していたという。もっとも、それでも一部の性犯罪は起きていたと言われる。
  このソ連軍による、性的犯罪被害の深刻さ、悲惨さを見れば、日本軍が自国業者、或は朝鮮人業者の結成した商業的慰安婦たちを利用して、一般人への被害を減らしたのは、良心的工夫なのだ。

(2)橋下市長は、まともな意見を述べている
  最近、「維新の会」の橋下市長が、日本軍が「慰安婦」を利用したのは、現地の一般市民、女性たちに対する性的被害を回避するためには、やむを得ない措置であったと、普通にまともな意見を述べたら、韓国ばかりか、日本国内マスコミでも問題としているようだ。ばかばかしい。

(3)ベトナム戦争中の韓国兵による強姦、米軍の売春利用を忘れたか?
  ベトナム戦争中に、韓国兵たちがベトナム女性たちに犯した強姦事例の多さ、悲惨さはよく知られている。ベトナム政府が、どういうわけか今も騒がないので、韓国は得をしているだけだ。

  或は、ベトナム戦争時に米軍が、現地の南ベトナムの売春婦を大いに利用していたこと、更には、日本、沖縄、韓国などにおける「休暇」時に、休暇先の売春婦、風俗などを利用していたことも、周知の事実だ。

(4)米国は、自国軍が、進駐軍として「慰安所」を設置させた事実を忘却している
  または、少し古い話で、太平洋戦争後日本進駐に際して、米軍が直ちに日本政府に「慰安所」の設置を要求した事例(貧しかった戦後の日本では、相当数の女性が「パンパン」(パンの獲得が目的だったということ)となって、食糧を稼いだ)など、結局軍人が制服を着ていようが、私服の時であろうが、或は昔であろうが、今であろうが、ストレス解消に「売春」または「風俗」的なものが必要だということは、長い歴史を通じての常識であり、何らかの売春制度に依存しなかった軍隊などは、これまで地上に存在しないのだ。
  ちなみに、進駐軍兵士のオンリー(only)さんとなって、後には正式に結婚した日米カップルもかなりの人数存在したことも、我々老人世代なら知っている。或は、結婚せずとも、その米国系の種のおかげで、ハーフの子供たちがかなり生まれ、彼らの一部が芸能人となったりもしている。悲惨な例ばかりではないのが歴史の真実だ。

(5)韓国の商業的売春業は、ほんの最近まで、ドルを稼ぐ大産業だった
  韓国人たちは、戦後復興が日本より遅れて、80年代までソウル市内には売春婦が溢れるほど存在して、米兵、或は日本人観光客の袖を引いていた事実を忘却しているようだ。

(6)日本を悪者にするために、史実を歪曲
  ありもしなかった日本軍による「強制連行、慰安婦業強制」などというでっち上げの「捏造史観」で攻め立てる韓国マスコミ、世論の嫌らしさ、汚さには、ほとほと呆れるしかない。当時朝鮮は、日本と合併していて、ほぼ日本本土と同じ法制下にあったのだ。そこの市民(日本人と同根とされた)である朝鮮人女性を、現地の朝鮮人警官が逮捕して、強制連行などするはずがないし、そういう法的根拠があったはずがないではないか。

(7)日本人慰安婦の方が多かったと言われている
  戦前、戦中時には、日本の東北などの貧しい農村部の女性が「家族によって芸者となるために売られて、その一部が外地における慰安婦となっていた」のと同じで、朝鮮半島でも、専門の業者に「家族によって売られて、芸者として、或は慰安婦として、外地でも働いた」のだ。外地における慰安婦としては、日本人女性の方が、朝鮮系女性よりも多数を占めていた、というのが事実らしい。
  「売られる」とはいっても、一種の長期契約(2年とか)の代金として、かなりの金を家族(両親など)が受け取ったが、本人たちは、この「前借金」を返却できるまでは、自由とならない、ということ。
  現実には、慰安婦としての外地での収入は、当時の大学卒のサラリーマンの月収の数倍とかなりの金額で、借金を返済するばかりではなく、女性たちは実家への送金を行う余裕が十分あったという。決して、一方的搾取にあっていたわけでもないという。
  要するに、問題は、真実とはかけ離れた、嘘の証言を、平気で今もしている一部の「元慰安婦」と称する韓国人女性が存在する、ということなのだ。彼らのウソを徹底的に暴こうとする記者たちが、韓国にも、日本にも存在しないのが嘆かわしいことだ。
   (注:追記:この文章を書いたのちに、あるブログ(http://ameblo.jp/fugen-blog/)で、次のような、細かい事例を紹介している文献があるのを発見した:『【1】韓国ってホントに反日?』:http://peachy.xii.jp/korea/korea1.html
   膨大な量のネット・アドレスを検証した、なかなかの力作と見える。
   これらの記事の数々は、少し小生には読みにくい文体ではあるが、よくぞここまで調べ上げた!と驚かされた。小生は細かい事実については、承知していないが、ともかく、公娼制度のあった時代、或は、地域などの事例に関して、今の文明国では「すべて忘却」して、人権云々と的外れな議論ばかりされては困ると言いたい。
  また、韓国のように、「反日」を小学校教育の段階から「国是」のように行っている国家とは、まともにつきあえない、と改めて思い知らされた。この韓国の新大統領訪米時に、組織的に「反日」を米国で宣伝したことも、呆れた根性だと思うし、その間に起きたのが、随行高官による「セクハラ」事件であったことは、笑わされる不祥事だ。その程度の国民だと考えれば、ますますばからしい!!)

この記事へのコメント

mugi
2013年05月18日 21:15
こんばんは。

 米国など第二次世界大戦以降、ずっと“慰安婦”を必要としていましたね。ベトナム戦争時もそうだったし、韓国軍も劣らず方々で強姦を繰り返しました。最近私がよく見ているブログで、イラクでやりたい放題の米軍を取り上げた記事がありました。
http://www.bllackz.com/2009/06/blog-post_08.html

「日本で売春をさせられている韓国女性を救い出して帰国させよ」という記事も痛快です。女の私から見ても大いに納得できる「正論」を感じます。問題は外国女と遊びたがる日本のスケベ男。
http://www.bllackz.com/2013/05/blog-post_17.html
2013年05月19日 10:27
こんにちは、
 橋下徹市長が、正しいことを言ったのに、日本のマスコミまでが叩きに回っている。しかし、最近の産経紙の読者投稿では、橋本支持の議論が多い。皆、米軍の進駐軍が日本に来てすぐに「慰安所」開設を日本政府に求めたこと、東京の赤線街のあった地域では、一斉に性病検査を売春婦のみならず、普通の日本市民である女性に対しても強要したこと、など、戦後の日本、東京についての記憶を持っておられる老人たちの意見で、今さらの米国政府高官らの「建前発言、人道主義のご託宣」に、大いに反発しておられる。
 ベトナム戦争終結後、ベトナムには、米兵との混血の他に、2万人も韓国兵の強姦の結果として生まれた韓国とベトナムの混血が存在するという。
 今の時代にも、韓国女性が米国などに、売春婦として進出する事例が、相変わらず少なくない、という。小生がハワイに滞在した、80年代初頭、日本人経営のナイトクラブなどのホステスの、かなり高い比率で、韓国系女性で、在日出身者も多くて、日本語が達者だった。ベトナム戦争から逃れてきた、ベトナム女性もいた。
 ともかく、兵隊(自衛隊員)、或は、遠洋漁業従事者などの日本人は、ハワイで戦後も「久しぶりの休暇」を得ると、「風俗」に行くのが普通。
 今の米国兵も、世界中で、同じことをしているはず。
 「一般市民、女性への迷惑」を回避するには、プロが必要、という発想は、女性蔑視と非難するのは簡単だが、大いに金儲けに利用している女性も多い。
 人類は、それほど簡単には、進化しないのではないか?
 
motton
2013年05月27日 10:24
ドイツ(と日本)を『砕氷船』に見立てたというのはどこかで読んだ記憶がありますが、
ソ連のドイツ侵攻計画はバルバロッサ作戦の免罪符にはなりません。当時そういう宣伝もしてないのでスターリンに意志があったとしても無関係でしょう。

ソ連の蛮行はさすがモンゴル帝国の末裔という感じですが、モンゴルなどの遊牧帝国は少数で支配するために抵抗した都市に対し意図して蛮行を行います。褒美という面もありますが、都市を消滅させる『屠城』の場合は、そうすることで次の都市に無抵抗降伏を促すという軍事的に合理的なものです。

このユーラシアの“常識”に従うと、1937年の南京は『屠城』が行われるはずであり、それゆえ現在の中国人は行われたと信じ、中国語では南京大虐殺ではなく『南京大屠殺』というわけです。しかし、実際には(軍事的意図と持った虐殺は)行われなかったので日本はモンゴル帝国にはなれませんでした。

『慰安婦』問題はこのユーラシアの“常識”が重要なキーだと思いますが、日米では実感としては分からないんですよね。あと貧しい時代の『身売り』という“常識”が通じなくなったのも大きいかと思います。
のらくろ
2013年05月27日 21:42
慰安婦問題はあったかなかったかよりも、当時日本領の一部であった今の韓国・北朝鮮にそれを
糾弾する資格はない。なぜなら、こういう存在があったからだ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E6%80%9D%E7%BF%8A
終戦時の最終階級は中将、開戦時も少将で、押しもおされもしない「帝国陸軍将軍様」である。
wikiにもあるとおり、当時の朝鮮独立一派とも親交があったし、朝鮮人脱走兵をかくまっていたりもしており、ゴマすり出世組とは一線を画した「朝鮮的硬骨漢」であったらしい。
その将軍であっても、当時の「慰安所」については何もしていないのだ。本当に「理不尽」な「動員」のされ方があったのならば、この「将軍」、黙って唯々諾々とするなんて考えられない。(つづく)
のらくろ
2013年05月27日 21:53
(続き)
というのも、226事件だって、その原因の一つが、自らの部下となった召集兵から、姉や妹の身売りの話を聞かされて、「それに比べて大臣連中は」という憤りが青年将校の決起理由のひとつになっていたからだ。士官学校出立ての下級将校が決起する動機になったことよりも理不尽なことが自らの故郷で起こっていて、高級将校が何もしなかったというのはいったいどういうことか。答えは「理不尽とみなされるような事象は生じていなかった」か「朝鮮民族として容認しうる程度のことであった」しかない。
ちなみに、現女酋長、ではなく同国大統領の父は通名「高木正雄」であったが、彼の最終階級も中尉であり、「指揮官」である。後に大統領になり、日韓正常化交渉に際してもこの種の問題提起はしていない。よって、韓国・北朝鮮に「慰安婦」問題糾弾の資格は元々ない。
2013年05月29日 23:14
 mottonnさん、こんばんは、
1)この西岡先生の解説どおりでは、砕氷船というのは、ヒトラー個人につけたソ連上層部の暗号名で、ドイツ、日本という国家のことではないようです。
2)レズン氏は、スターリンの方にも、ドイツへの侵攻作戦があり、そのせいでドイツ側からの侵攻を警戒せず、初戦では負け続け、ソ連軍の損害が大となったことを問題としているのではないでしょうか?つまり、西側への亡命者としてのレズン氏の意識では、スターリンこそが、判断ミスで、多くのソ連国民の生命を無駄にしたとその責任を問うているのでしょう。別に、ドイツ軍の侵攻の責任を免罪する云々という点には重きがないのでは?ただし、ヒトラーの作戦が、戦後の歴史家が思うほどは、戦略的な過ちという訳ではなかった、むしろ、やられる前に、先に侵攻したことは、最終的には敗戦となったとはいえ、むしろ作戦として有効なものであったと言いたいのだと思うのです。
3)慰安婦問題は、芸者として、親たちが少女を売る・・・「売る」という表現で、米国などでは「奴隷制度」と同じだったと勘違いするから問題ですね。「身売り」とはいえ、日本国内の業者は、親に支払った金額に見合った「年季」とか、返済金額(元本+利子)を設定して、その期間、或は「金額返済」があれば、奉公の義務から外すので、生涯自由を得られない「奴隷」とは話が違う。また、兵隊たちも、きちんと代金を支払っていたので、芸者、または売春婦の月収は、大臣の給与を上回るほどの金額で、自宅に送金して家族の生活を支えていたりした。そういう細かいこと、「自発的犠牲」という部分の話を正直にしないのが、韓国人のずる賢いところです。
室長
2013年05月29日 23:16
(続)
 終戦当時に例えば20歳という若さだったとして、これら朝鮮人売春婦も、今では88歳の高齢者のはずで、もし、1945年に25歳だとすれば、93歳のはず。
 しかし、小生が聞いた話では、毎日のように大使館に押しかけて館員に恨みの話を聞かせに来たり、大使館前で喚き散らしたりする、元気な御婆さんたちがいるようで、彼らがこれほど高齢とも思えない。単なる嘘つきたちなのではないか。
2013年05月29日 23:44
のらくろさん、こんばんは、
 洪 思翊(ホン・サイク)という、朝鮮人系の帝国軍人のことは知りませんでしたが、wikiにこのような記述があるとは、大したものですね。どなたか、奇特な方が、wikiに投稿してくれているようで、感謝に堪えません。
 朝鮮人の女衒たちは、もしかすると、日本国内の業者よりも汚い、無慈悲な現車集めをしたのかもしれませんが、それでも、当時の朝鮮では、警察官の8割ほどは朝鮮人であったというし、きちんと「金額、年季」などの話し合いが合意されての納得済みの(少なくとも「売った親たちは納得した上での」)人集めでなければ、朝鮮人警官たちが黙ってはいなかったはず。

 「従軍慰安婦」という用語が、当時のものではないらしいけど、それでも「慰安所」という言葉はあったらしい。しかし、普通用語では、「芸者」でしかなかったと思う。小生が昔のインパール作戦に関する証言集などを読んでいた時も、「芸者」という言葉しか、覚えがない。
  つまり、「年季奉公」という、日本式制度で、「奴隷」ではなかった。芸者はきちんと、高額の、毎月の「報酬」も受け取るとか、或は、「芸者屋」の主人から、毎月「借金」がどれだけ、その月の売り上げで、帳消しされたのか、という会計報告は受けていたはず。つまり、借金=前払金と、月々の収入との「帳消し額」で、あと何年ほどで「年季明け」となるかの予測がついたはずです。
 
2013年05月29日 23:45
(続)
青年将校たちが激怒したのは事実でしょうが、しかし、それらの青年将校と言えども、芸者を買っているものも多かった…そういう時代です。或は、昔乃木希典将軍の話を、文芸春秋で読んだけど、彼は、士官学校校長時代でも、毎夜のように芸者屋に通い、若い芸者を買っていた!!軍務で、連帯旗を失ったり、旅順で大勢の兵士を戦死させたりで、苦しい心を慰めるために、明治天皇の死を見届けて、殉死できる時が訪れるまで、芸者買いを止めなかったらしい。
  やはり、今の基準では測れない部分もある!
2013年05月30日 00:27
mottonさん、のらくろさん、
 うっかり言及を忘れましたが、小生が時折ご紹介してきた、英国在住のブロガーさんでtnaという、インテリがいて、最近面白い記事を書いています。小生と同様に、橋下市長の発言が、諸外国記者、特に韓国人記者、米国記者らの反日論調に「巧妙に利用されていること」に激怒して、旧ユーゴ、コソボなどのPKO部隊に参加している米国兵士らによる、人身売買罪とか、それを例の韓国人国連事務総長が、もみ消しにしたらしいことなど、興味深い指摘をされています。
http://tna6310147.iza.ne.jp/blog/entry/3084225/
  小生も、03年頃か、04年頃、ブルに在住していた時に、米国兵士でコソボの安定軍に参加している米兵が、休暇を与えられ、ソフィアに来て、Rodina Hotelという、安ホテルだが相当部屋数が多いホテル(300室はあると思う)をほぼ借り切り状態で、売春婦を毎晩買っている、というブル新聞の記事を読んだ覚えがある。
 ブルに数多い売春婦たちに、前もって、米兵休暇の情報を流し、ホテルのロビーで待つように仕向けて、米兵の買春便宜を、在ブル米大使館の武官らが、裏で取り仕切っていたのだと思う。もちろん、実際には、ブル人売春業者たちに、女たちを集めるように、こっそりと武官たちが、ブル人を使って情報を流していたのだと思う。・・・日本を占領した時に、慰安所設置を日本政府に指令したのと、根本的には同じですよ。
 コソボでは、西側記者らがうるさいけど、ソフィアなら、西側の記者はほとんどいない、ブル人記者しかいないから、国際的に情報が流れない、との計算があったと思う。
motton
2013年05月30日 12:14
怪文書ですが第7回コミンテルン大会(1935)のスターリンの演説に『砕氷船のテーゼ』というものがあるようですね。
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/193/

>芸者
将校→芸者、兵士→慰安婦だったのでは。

慰安婦が年季奉公といっても実質的には人身売買であり、厳格に規制すると「親子共々死ね」になる状況だったゆえに黙認していたに過ぎません。その意味で当時の政府に責任はあります。内地より貧しく人権意識の低かった当時の朝鮮でより酷い状態であったのも事実でしょう。

ただ、それが当時から豊かだったアメリカ人や豊かになった日韓の一部には実感として分かりません。
逆に良く分かっているのは現在進行形で同じことになっている韓国政府であり、それゆえに強制連行でないと困るというのがこの問題の病巣です。
wikipedia の「人身売買」にある「人身売買に関する年次報告書」の地図で、米韓が『基準を満たす』で日本が『基準は満たさないが努力中』なのはジョークでしかないのですがね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E5%A3%B2%E8%B2%B7
2013年05月30日 18:29
こんにちは、
 コミンテルン文書・・がこのように見られるとは驚きですね。日独の矛先を資本主義国同士の戦争に導けとの指令は、確かにあったのでしょう。小生が読んだこの西岡氏の論文では、ヒトラーに砕氷船との暗号名を付けたとあるのですが、広く日独両国も同じようにコミンテルンでは「砕氷船」と形容していたのかも。

 小生には、慰安婦という言葉がぴんと来ない。我々世代は、戦争に行っていないので、前線でどう呼ばれていたのか?小生も分らないけど、芸者としての技芸、素養がない売春婦は、昔は女郎と言っていたように思うけど。戦地では、慰安婦という名称も使われたのでしょうか?

 年季奉公という概念が、今の感覚では人身売買になるというのも、言い過ぎではないでしょうか?江戸時代ですら、年季という概念があったはず。もちろん、5年、6年と遊郭に行けば、性病に罹患して死亡する確率は増えるけど、あの土佐の女衒の父親を描いた映画とか小説(宮尾登美子作)などを昔読んだ記憶があるけど、やはり「年季奉公」でした。
 ちなみに、現代の人身売買は、東欧諸国では未だに多くて、最近もロンドンで、ロシア人女性らが首謀者となっていた、東欧圏から人身売買、騙しで連れてきた女性らによる売春組織が摘発されています。しかし、「性奴隷」という概念は、決して自由の身となりえない、ほんとの奴隷制を長くキープしていた米国などでは、日本の事例よりも、より悲惨と見られると思う。
  
2013年05月30日 18:33
(続)
リンカーンは、南の諸州の独立を認めたくなくて、戦争したけど、北部にも5つも奴隷制の州があったという。大義名分のため、何とか奴隷解放宣言とか、立法とかにこぎつけたけど、本当は国際的イメージの問題がなければ、リンカーンにも、奴隷を解放するかどうかは、どうでもよかったとの意見が最近のWill誌にも載っていてびっくりした。黒人奴隷がいなくなったので、中国からクーリーたちを輸入し、やはり奴隷として、人権無視の扱いをしていた。日本でクーリーたちを運搬していることがばれた米国船舶から、日本政府が中国人を解放したら、駐日米国大使館員が圧力を行使しようとしたけど、日本政府は突っぱねて、中国に送還してやったという。鉄道建設では、クーリーを酷使して、時には残虐に殺害している。インディアンと同じ扱いです。

 歴史を調べれば、米国のご都合主義はいっぱい出てくる。今の国際情勢では、韓国を利用して、北朝鮮と対処する必要があるので、日本たたきに付き合っているのかも。或は、中国とも、裏で談合しつつ、経済的利益を引き出している。それが米国の現実主義です。

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