ピーター・オトゥールの死について

最近産経紙に、桑原聰という記者が「鈍機翁のため息」と題するコラムを書いている。スペインのドン・キホーテ関連の話を書いているのだが、小生は関心を持っておらず、これまで読んでいなかったが、偶々新聞切り抜きしていて1月14日付の記事で、Peter O'Tooleという「アイルランドの名優」が昨年12月に亡くなったと書いているので、興味を覚えて切り抜いた。
 この記事の要旨と、小生の感じたことを少し書き残しておきたい。

1.記事概要
 オトゥールと言えば、「アラビアのロレンス」だろう。澄み切った海の色をした目が印象的だった。
 アラブ人のオスマン帝国からの独立闘争に身を投じたトーマス・エドワード・ロレンスが1935年にバイク事故で亡くなることなく、自分を190㎝近い(注:wikiでは188㎝)長身のオトゥールが演じることを知ったら、複雑な気持ちになっただろう。実際のロレンスは165㎝しかなく、身長コンプレックスが、アラビアのロレンスを作ったと言えなくもないからだ。イギリスの貴族社会では、長身であることが大きな価値を持っていたのだ。(小生注:長身以上に、痩身であることも重要だと思う。)
 長身のオトゥールのはまり役だったのが「ラ・マンチャの男」である。この映画でオトゥールはセルバンテスとドン・キホーテを演じた。
 異端の疑いをかけられたセルバンテスは牢獄にぶち込まれる。彼を待ち受けていたのは泥棒や人殺し達。このすさみはてた空間で、彼は即興劇を演じることを牢名主に提案する。その即興劇こそ『ドン・キホーテ』である。
 風車に突撃し巨大な羽根に巻き込まれ、はじかれた時のオトゥールの悲壮感と諦観がないまぜになった目が忘れられない。キホーテは「憂い顔の騎士」の名を献上されていたが、このオトゥールこそ憂い顔の騎士であった。合掌。

2.Irishだったとは!
 小生も、オトゥール主演の「アラビアのロレンス」(1962年)は、恐らく高校生として津の映画館で見ていたか、或は、大学に入ってから東京の映画館で見たのだと思う。長身と言えば、確かに小生にとっても、長身だが若干女性的に繊細で、トルコ人軍人のホモ男に狙われたりした場面など、結構そういうところが印象に残った。もちろん一番覚えている場面は、自分が率いるアラブ人部隊が、制止命令に耳を貸さず、トルコの敗残兵たちを襲って殺害を開始するのだが、負傷したトルコ兵が、それでも自衛のため銃を構えると、結局は部下たちを守るため、自分も殺害に参加してしまい、そのあと血まみれの手を絶望的に見つめて、泣いていた姿だ。

 とはいえ、一番驚いたのは、オトゥールがアイリッシだという記述。小生はてっきり英国人と思っていたので、アイリッシという指摘には驚いた。早速wikiで調べてみると、Peter Seamus O'Tooleはアイルランド西部のゴールウェー県コネマラ生まれ(1932年6月、アイルランド発行の出生証明書がある由)或は英国のイングランド北部のヨークシア州Leeds(リーズ)市で1932年8月2日生まれ(英国での出生証明書)という二つの出生地があり、本人もどちらが真実かはわからないという。
 もっとも、結局は、高校と初期の就職先までは、リーズ市でずっと暮らしており(第二次大戦中に疎開したのも、リーズ市内のHolbeckという地区だ)、その後英海軍に勤務後、奨学金を得て演劇学校に入ってからが、俳優としての出発。

 要するに、父親がIrishの競馬の賭け屋、母親がScottishの看護師で、カトリックとしての教育を受けたが、実際にはずっと英国暮らしで、アイルランドでの生活期間はほとんどないらしい。これでは、本物のアイリッシと言えるのかどうか??もっとも、それでもカトリック教育を受けた人間で、Irishの血液が入っていれば、アイリッシという分類となってもおかしくはないのだが、我々日本人から見れば英国人に見えてしまう。

3.最近まで生きていた!
 また、小生もうっかりしていたが、あまりにも昔に「アラビアのロレンス」の映画を見ていたせいで、とっくの昔にオトゥールも死んでいると勘違いしていた。
 ところが、昨年12月14日に亡くなったのだという。ほんの1ヵ月前なのだが、その訃報記事が新聞でもあったはずだが、小生は見逃していたのだ。
 上記の桑原氏の記述にある通り、「憂い顔」、「泣き顔」が奇妙に美しいし、まさに「海の色」という形容詞がふさわしい、美しい目の色が印象的な俳優だった。
 なお、小生がアイルランドで出会ったアイリッシたちの中には、どうもオトゥール的な容貌は記憶にないし、もしいたとしても、かなり珍しいタイプだと思う。

 ちなみに、北アイルランド紛争のせいで、Irish とScottish の両民族は普通仲が悪いので、父親がスコティッシの女性と結婚したことも不思議だ。更には、オトゥール自身も、WelshのSian Phillipsという女性と結婚したというから、全く多彩な混血家族と言えるかも。もっとも、同じカトリック同士なら、不思議ではない。また、元来がIrish、Scottish 、Welshの3民族は、共にCelt系民族ではあるのだし、それぞれが、イングリッシ(アングロ・サクソン)とは異なるアイデンティティーを抱え続けているのだが、それでもこれらケルト系3民族がお互いに親近感を持っているとは思えない。3民族とアングロ・サクソンとの距離感も別々なのだ。Irishは一番遠く、Welshが一番アングロ・サクソンとの距離が近いようだ。

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この記事へのコメント

mugi
2014年01月16日 22:05
こんばんは。

 ようやくピーター・オトゥールの訃報を知りましたか。私は昨年ネットニュースで真っ先に知りました。ブログでも書いていますが、彼の主演した『アラビアのロレンス』を見たことが、中東史に関心を持つきっかけとなりました。

 ロレンスのコンプレックスは短身よりも、私生児という生い立ちが大きいと思います。ビクトリア朝時代の英国は性に厳格でしたし、彼の両親は正式に結婚していないことを隣近所に隠していたとか。
 室長さんの挙げたトルコ兵皆殺しのシーン、インパクトがありましたね。原作のロレンスの自伝『知恵の七柱』も学生時代に読みましたが、本当に面白かった。

 碧眼が珍しくない西欧人の中でも、オトゥールの青い目は印象的でしたね。あれほど澄んだ碧眼は珍しい。他に印象的な青い目の俳優といえば、ダニエル・クレイグ(6代目ジェームズ・ボンド役)くらいしか浮かびません。
 ロレンスの父はアイルランド準男爵で、母はスコットランド人です。アイルランド貴族でも英国からの移住者の子孫のようです。オトゥールと違ってロレンスはプロテスタントだったし、教育は全て英国で受けています。
2014年01月17日 16:20
こんにちは、
 ローレンスの父は「アイルランド準貴族」ということですが、実はアイルランドの政体は「共和国」ですから、アイルランド政府が付与し、認める貴族というのは存在しない。英王室しか、爵位を与える人は、ブリティッシュ諸島には存在しない。もっとも、Irishでも、英軍人、或は英国官僚として功績があれば、英王室から勲章を貰えるし、爵位を貰うこともある。これらの英王室から勲章、爵位を受けた人々が主体の組織がRoyal Dablin Society=RDSです。今もこの会員たちは、英国王室から叙勲されたりしていることが自慢で、上流階級として誇りを持っている。
 しかし、19世紀、未だにアイルランドが独立していないころの「アイルランド貴族」というのは、アイルランド在住の英国貴族で、普通はアイ生まれでも、先祖はアングロ・サクソンという、いわゆる「アングロ・アイリッシ」系のはずです。Jonathan SwiftもAnglo-Irishですし、James Joyceもそうです。Anglo-Irishの大部分はプロテスタントです。
 たほう、P.オトゥールの父親はLeedsという北部イングランド在住でも、アイリッシですから、ピーターの場合は、人種的にはやはりIrishというべきだし、宗教的にもカトリックの学校で教育を受けているから、本来は在英のパブでもIrish系パブで飲んでいたのか?とはいえ、英国系の俳優学校で育っているし、周囲の友人などは、イングリッシの方が多かったのではないか?と想像します。Welsh女性と結婚したというのも、オ青年がAnglo-Saxon系社会に親近感があった証拠かも。
2014年01月17日 16:21
(続)
 ともかく、英国が独立後のアイルランド人に対しても、何時でも英国旅券を発給して「同国人待遇」を続けたこと(同じく、アイ側も、英国人に対し、要請があれば、アイ旅券を発給できる)は、第二次大戦後ただちに韓国人が第3国人となって、日本国籍を認められなかった扱いとは異なる。若干、そこのところが、英・アイ関係と、日韓関係の相違として結果的には大きかったのか?と思うこともあります。しかし、英国のアイルランド植民地化の歴史は、数百年の長さだし、同じブリティッシュ諸島の中という地理的環境から見ても、日韓関係とは違う、ということでしょう。

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