クリミア、ウクライナ情勢についての一考察

  さて、ブルガリア専門で必ずしもロシア、ソ連などについての専門家ではないので、最近のロシアによるクリミア半島、及びセヴァストポリ特別市のロシア連邦への編入という事態をどう解釈すべきか、当惑しつつ眺めてきた。とはいえ、小生も、社会主義時代にブルガリアに何度も長く住みつつ(1967--89年の期間に、3回、合計12年間在住した)、ブルガリアの社会主義体制につき日々研究し、同時にこの忌まわしい「共産主義体制」を押し付けたソ連を呪って暮らしていた。この小生の経験から、少し分析を試みる。

1.貧困=共産主義からの脱却・・・金儲けの自由
  資本主義体制にも、それなりの欠点があるかもしれないが、それでも資本主義+民主主義という日本、或は欧米の社会は、人間個人の権利、人権を尊重する(自分自身の志望、希望に基づく人生設計が可能。共産圏では、職業選択の自由すら、保証されなかった)し、言論の自由もある。それ以上に重要なのは、「金儲けの自由、商売の自由」を認めることで、これがないと、いかなる民主主義もお題目に過ぎない(国家が就職先を決める社会主義体制では、反体制的な意見を述べただけで、職場追放などで食べていけなくなる。その上、裁判にかけられて、政治犯収容所に送り込まれるか、或は「建設軍」という囚人労働部隊に送られる)。
  また、共産主義体制では、モノ不足、物資欠乏が深刻で、これも人間心理を破壊する。社会主義時代のブル人は、小生の手からもらうチューインガム、アメリカ製シガレットでさえ、憧れの的だったし、ジーンズ欲しさに狂うように悶えていた(注:ジーンズは、カウボイスキ・パンタロンと呼ばれていたが)。もちろん、トヨタ、ホンダの自動車などは夢のかなたで、生涯手が届かないと諦めていたほど。

2.中国は、鄧小平理論で豊かさを追求
  現代中国は、ここ30年ほどの期間に国民に対し「金儲けの自由、商売の自由、及び海外移民の自由」などを認めたので、それ以前の共産主義体制とはすっかり様変わりして、国民には自由と富裕の双方がかなりの程度入手可能となった。それ以前の窮屈極まりない、時には餓死さえも強いられた毛沢東時代とは様変わりだ。
  もっとも、共産党幹部階級という階級支配体制、制度が存続していて、一般国民とは天と地ほども格差が広がってしまった。特権階級層が、法も金も一元支配する、いびつな繁栄と言える。

3.ロシアは、資源を西欧に売って豊かになった
  冷戦後のロシアも、ある意味現代中国同様に、資本主義の容認、海外渡航の自由化など、自由の幅は増大している。プーチン体制になってから、徐々に国家統制の側面が増えているとはいっても、昔の窮屈な共産主義体制からは解放され(中国は一応、共産主義の看板は下ろしていないが)、ロシア人たちは、石油、天然ガスの国際市場での販売代金のおかげで、かなり高い生活水準を享受できるまでになった。

4.ロシア人と兄弟民族のウクライナ人、ベラルーシ人は、「独立後損した!」と部分的に後悔している
  ところが、小生が以前書いた「2番手支配民族の心理」(http://79909040.at.webry.info/200801/article_5.html )でもかなりの程度触れたように、「ソ連帝国」解体後に「ソ連帝国では、2番手支配民族」だったウクライナ人、ベラルーシ人には、ロシア連邦という資源豊かな国家からはじき出された、「新興貧乏国」としての困難な新国家・独立国としての「未知の航路」という困難さが待ち受けていた。
  つまり、ウクライナ人、ベラルーシ人は、ソ連解体という歴史的「チャンス」をつかみ、自由になったと少し安堵して、左右を見回してみたら、実は、かつては資源大国の中にいたのが、今では資源希薄で、貧しいだけの小国国民へと「落ちていた」のだ。
  もうひとつ、「2番手支配民族」の心理的な弱点は、元来が独立国家としての過去の歴史的経験がほとんどないことから、自前のナショナリズム感情も、さほど強くないということ。ソ連時代には、ロシア人とウクライナ人、ベラルーシ人の間にほとんど「格差」らしきものも、差別待遇も存在せず、完全に同僚同士だったし、言葉も「ロシア語」で教育を受けてきたし、今もウクライナ語、ベラルーシ語よりもロシア語の方が流暢という人々の方が多い。従って、ロシア人を嫌いでもないし、自らも、チャンスがあれば、ロシアで働くことも選択肢の一部、という人々が多い。

5.ベラルーシ人は、ナショナリズムが弱い
  ベラルーシ人の場合、ベラルーシ語でしゃべれる人々、日常語としてベラ語を使っている人々は、実はせいぜい3割ほどと言われるが、小生が現地で会った人々はほぼ全員がロシア語しかしゃべらなかった(ベラ語もしゃべれるという人はいたが)。その意味では、ベラ人のナショナリズムは、かなり弱い。ベラ人が独立に傾いた理由は、ソ連時代に満足していたのに、ゴルバチョフ、エリツィンらが、訳の分からない「改革、自由化」に走って、ソ連が混乱し、特にモスクワを中心とするロシアが混乱状況に陥って物価が急騰したことに驚いて、自国もロシアの貧困、窮乏に付き合わされるのはごめんだと、逃亡を決め込んだからだ。その後、ロシアが資源の輸出で立ち直り、プーチン時代になって経済も安定化すると、ベラ国民の間では、独立を維持するルカシェンコ大統領よりもプーチンの人気の方が高かったほど。つまり、ルカシェンコという独裁者を選挙で選んでしまって後悔した市民が多いということ。

6.ウクライナは、4つの地域がバラバラで、まとまりがない
  他方で、ウクライナは4500万人の人口を擁する大国だ(ベラの人口は1千万人弱)。ただし、ウクライナという国は、次の4つの部分に分けられるという(下記①~④の分類は、河東哲夫氏による)。
①ロシア語系の多い東部及び南部(工業・鉱業が集中し、人口の70%、GDPの90%を占める由)、
②ロシア語系・タタール系・ウクライナ語系が鼎立するクリミア半島、
③反ロ・親欧的な西部(農業を中心とし、経済的には弱い。しかも南部はカルパチア山地)、
④そして首都キエフを中心とする中部。

  結局、ウクライナでウクライナ民族主義が極めて強烈なのは、過去の歴史でポーランド、墺などに服属し、カトリックの影響を強く受けたユニエイト(帰一主義教会)が宗教である最西部の農業地帯だという。第二次大戦中には、この地域では、反共産主義、反ソ連で、ナチスに協力したファシスト系軍隊まで組織されたらしい。今回のキエフでの政変も、この西部の極右ナショナリストたちが動いたと言われる。中部のキエフ周辺部(ここでは、ロシア正教会から自主的に分離したウクライナ正教会が存在)も、ある意味、西部とともに、ウクライナという独立国の存続を希望しているらしい。

  ところが、②のクリミア半島では、少なくとも6割以上がロシア系住民で、ロシアへの編入を希望するらしい。また、①の東部、南部地方も、住民の多数派は、ロシア語を話す人々で、ロシアへの編入願望があるらしい。(①、②の双方ともに、ロシア正教会が生き残っている模様。

7.民族自決主義実現が可能な地理的範囲とは??
  2010年12月に書いた「コソボの歴史」(http://79909040.at.webry.info/201012/article_13.html)でも触れたようにおもうが、民族自決主義というのは、なかなか難しい問題をはらむことが多い。

  我々は、冷戦時代の国連で、ソ連とともに、ウクライナ、白ロシア(今はベラルーシ)という2カ国が国連加盟国として存在していたために、ウクライナも白ロシアも、ソ連に編入される前には独立国だったと勘違いしやすい。第二次大戦直後の国連で、ソ連が社会主義国として、安保理常任理事国とはいえ、資本主義国が多数加盟している中で、あまりにも少数派過ぎるということで、国連結成時に、ソ連邦内のウクライナ共和国、白ロシア共和国にも国連議席を与えて、いわばソ連が最低3票を総会でも持てるようにする、という特別待遇(米国が容認した)があっただけなのだ。ウクライナも白ロシアも、その領域の西部あるいは全部を、ポーランドとか、リトアニアが大国だったころは、これら2国の領域となり、或はウクライナの西部の一部は、墺(オーストリア)が盛んなころには墺に帰属したことがあるが、その後はロシア帝国が強大となってロシアに帰属していた。すなわち、近代の歴史でウクライナ、白ロシアが独立国だったという経験はほぼ皆無なのだ。

  そして、実は上記6.で述べたように、ウクライナという国は、①~④のそれぞれの歴史にかなりの違いがあり、かつ、住民構成も異なるので、なかなかウクライナ全体として、一つであるべきだ、という結論にも、必ずしもなりえないのだ。

  コソボが、ユーゴ連邦時代に、セルビア共和国の中の一地域でしかなかったのが、ユーゴ連邦解体後に、そのセルビアという残された小さい共和国の領域の一部(自治州)でしかないコソボが、勝手に、コソボの領域内では、住民の9割がアルバニア系だから、民族自決権を行使すると宣言(91年10月)して、セルビア軍との独立闘争に入り、そして98—99年の本格的な武力闘争、多数のコソボ難民の国外への逃亡・避難などの苦難を超えて・・・・・とはいえ、結局は米国・EUの肩入れ・軍事介入を経て、独立を勝ち取ったことは記憶に新しい(その後年月を経て、ようやく08年2月に「コソボ共和国」として、正式の独立宣言)。

  コソボの独立への過程でも、セルビア、或はロシアが、勝手な国境線の変更・現状の秩序の破壊だとして強硬に異を唱えたのだが、冷戦後の世界を1極支配するかのように米国の覇権が強かった当時は、戦争への米軍の介入、その後EUが派遣した軍隊による治安維持(セルビア軍からコソボを庇護した)と、長い時間(8年強)を経た後に、結局はコソボの独立を容認した歴史がある。

  今回のクリミアでは、米国のオバマ政権が、08年秋のリーマンショック以降軍事費のねん出ができなくなり、かつ、ノーベル平和賞も受領したせいか、すっかり軍事力行使から内向きに変貌した結果、ロシア軍が、クリミアのロシア系住民を裏から支えつつも、さほど流血もなく、住民投票で短時間内に「クリミア独立→ロシア連邦への編入」と、矢継ぎ早に手を打ってしまった。時間的な長短はあるが、ロシア国民として、或はプーチンの論理としては、やったことは、コソボを独立させた米国と同じことだ。

  国際法上の問題としては、各種の既存の国際法(ロシアとウクライナの間の条約、協定、国境不変更というヘルシンキ協定、国連憲章など)に違反する、ということだが、ある意味連邦解体後のユーゴにおける民族単位での「自決権の行使」が、どこまでの範囲の領土について容認可能なのか?という疑問があったのと同じく(たとえば、セルビア共和国内には、コソボ以外にもサンジャック自治区とかボイボディナ自治州とかの少数民族地域が存在したが独立は認められなかった。また、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでも、セルビア系居住区は結局BH連邦内の「スルプスカ共和国」という形でしか、自治を認められず、セルビアとの合体は容認されていない)、クリミアについては、コソボとの類似性で見れば、クリミア共和国内の住民構成が6--7割はロシア系というなかで、より豊かなロシアの庇護を受けて、よりよい生活水準を享受したいという住民の希望は、断固国際社会から拒絶されるべきなのか???という問題なのだ。

8.安保理常任理事国は、国境変更の特権を有する?
  上記の通り、小生は、日本の新聞に書かれていない視点として、米国が世界を牛耳る体制に不満なロシア、セルビアならどう見るか?との視点を少し考察してみた。

  コソボという小国が独立したところで、大きな国際問題は無く、むしろ人道的見地から見れば、多数のアルバニア系住民が、流血の悲劇から救われたではないか、という視点は確かにあり得る。

  しかし、他方で、国境線の変更、国家間の領土のやり取りは、21世紀の今日もはやありえないこと・・・・というような視点だけからでは、全てが説明できないと思う。少なくとも、21世紀になってからも、セルビアは一人悪者にされ、歴史上自国の根本的な発祥の地である貴重なコソボの土地を奪われた。安保理常任理事国で、最強の国家である米国が、軍事介入までして決めたことだから

  今回は、ロシアが同じ気持ちであろう。しかも、コソボは米国人住民が多数いる土地でもなかったのに、米軍が介入して、裁定した。
  クリミアは、ロシアのエカテリーナ女帝がオスマン・トルコと戦争して勝ち取り、以後ずっとロシアの固有の領土となってきた土地だ。ゴルバチョフ、エリツィンの時代の、一時的失策で失ったものの、そもそもウクライナ人だって、西部の極右勢力以外は、実はロシアと分離・独立した経緯を必ずしも喜んでいない。しかもクリミアは、ロシア黒海艦隊の基地を今後も永久に維持せねばならない、ロシアにとっての重要軍事基地だ。住民もロシアへの復帰に異存はない。この領土の回復、ロシア連邦への編入に、一方的に反対する米欧こそが勝手すぎる!・・・これがプーチンの本音だろう。安保理常任理事国ということは、ロシアは、世界の中でも、一定の国際秩序創造の権利を持つ特権国のはずだから、米国ができることを、ロシアができないというのは、理屈に合わないのだ。

9.軍事力で勝手に領土変更した他の事例
  そういえば、今回ロシア軍は、巧妙にロシア軍の派遣、占領を隠ぺいし、地元クリミアの民兵組織=自衛軍による行動を隠れ蓑として、少数のロシア正規軍の派遣のみで、しかも、流血の惨事はほとんどないままに、クリミア議会の議決で「独立宣言」させ、かつ、「ロシア連邦編入要請決議」を受け入れる、という形式を踏んで、無血併合を完了しようとしているが、同じような事例はないだろうか?

  我々日本国民としてすぐに想起するのは、無人島ではあったが、昔から日本固有の領土であった竹島を、敗戦後で自衛隊も未だない日本の間隙をついて、1953年に無血占領して今日にいたる韓国の事例だ。不法占拠後、勝手に「歪曲、改竄した歴史」を強弁して、今日に至り、更には竹島の浮かぶ海の名前まで、日本海→東海へと名称替えを世界に要求するという、滅茶苦茶な無理強いを世界各国で展開している。

  もう一つ小生が想起できるのは、1974年7月20日のキプロス島へのトルコ軍の侵攻で、キプロス島北部を人口比以上の割合(人口比ではトルコ系は2割程度<18%>だったが、領土比では島全体の1/3を奪った)で占領し、1975年2月に「キプロストルコ人連邦国家」という独立国を立ち上げた(1983年に「北キプロス・トルコ共和国」と改称)事例。

  1964年以来内戦が発生し、ギリシャ系とトルコ系の間で抗争が続いたほか、ギリシャ本国の軍事政権が共和国内政に介入するなど混乱が続く中、トルコ軍は遂にその軍事的優位を背景に(トルコ側は、海軍が上陸部隊を派遣し、空軍機がトルコ本土から近いキプロス首都のニコシアに対し空挺部隊を派遣できたし、空域支配も実行できた。他方ギリシャ側は、空軍基地が500㎞の遠距離であるロードス島にしかないなど、軍事的、地理的に、完全に不利だった)、自国系民族保護の名目で本格的に軍事介入に踏み切り、トルコ系住民を強制移住させて、居住地域を島の北部に集中させて、ギリシャ系との混住状態に終止符を打ち、テロ行為などの危険を完全排除した。この北部におけるトルコ系共和国の一方的な分割・独立という現状は、今日も維持されている。

  民族紛争、流血の対立が絶えない場合には、トルコのように短期決戦で、流血を小規模に抑えつつ、地理的な分割でその後の民族紛争を根絶する、という手法は、小生には必ずしも間違いには思えない。むしろ大成功と思う。
  もちろん、国際社会は、トルコによる一方的な領土分割、少数派による独立強行として、北キプロストルコ共和国は、国際的に承認する国家はトルコのみだが、そうはいってもトルコ系住民は、分割・独立後は、生命への危険を感じることはない。

  もっとも経済的には、ギリシャ系のキプロス国がEU加盟国として繁栄しているのに対し、北キプロスは、国際的承認もないので観光面でも立ち遅れて、貧しい状態が続いている・・・とはいえ、再統合にはトルコ系住民らは乗り気ではないようだ。ムスリム系少数派住民として、生命の危険にさらされた内戦期の経験(英領だったころは、治安が良く、ギリシャ系、トルコ系は問題なく共存できていた)が悪夢なのだ。   (注:近年、ギリシャとともに、キプロスも銀行の一時閉鎖など、金融不安に陥った。ロシア人富豪らのオフショア銀行口座を管理することで、大いに繁栄していたが、リーマンショックで、キプロスのバブルもはじけたようだ。キプロスは、アラブ人富豪などの隠し口座も運営するようで、要するに各国の富豪の税回避を支援する、そういう銀行業で儲けている。ある意味、欧州辺境の島国で、むしろ中東が近いという地理的環境からは、観光のみでは豊かでおれないとすると、幸い小国で、島国という環境を活用するには、オフショアという、税回避地という生き方が最適なのかもしれない。)

  北キプロスの事例は、小生には、国際情勢の中の一つの奇跡のように思える。欧米のキリスト教徒への身びいきから、ムスリム系の所業は、国際社会では断罪されるし、国際世論は味方しないが、とはいえ米国も、トルコという地域大国の決断を、結局は黙認した。ほぼ無血で軍事占領され、既成事実が成立すると、それを覆すことは、どこであれ相当困難となる。我が国への教訓としては、竹島のように、尖閣諸島も、あっという間の軍事作戦で占領されないように、今後も警戒し、軍事力の配備を怠ってはならないということだ。

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この記事へのコメント

mugi
2014年03月21日 22:23
こんばんは。

 記事に見るウクライナやクリミア情勢への考察は興味深いですね。私はウクライナには全く浅学なので、東と西が対立しているといったイメージがありましたが、実際は4つの地域があり、まとまりがなかったとは。
 コソボも多くの日本人は忘れているでしょう。しかし、セルビアはもちろんロシアも、この時の屈辱を忘れているとは思えません。クリミアの原住民、クリミア・タタール人は今回の併合には複雑な思いでしょうけど、ウクライナ時代でも冷遇されていたはず。

「北キプロス・トルコ共和国」も、一般日本人にはなじみが薄いですよね。トルコ政府のやり方を大成功と評価する貴方の見解に、私も完全に同意します。とかく領土問題は占領した者が勝つのです。竹島はこの点でかなり絶望的でしょう。
こんにちは、
 今回小生が試みたことは、社会主義時代のソ連、或は、程度の差こそあれユーゴ連邦で、市民たちが何を感じていたか、共産主義体制の何が一番市民にとって苦痛だったのかを、再想起して、結局貧困と、かっこいい耐久消費財(家電製品、乗用車)或は日常消費物資(おいしいビール、生理用品、ジーンズなどの衣料品、チューインガム、コーヒー)の欠乏が、いかに人々を心理的に意気消沈させ、体制を呪うようになったか、その故の体制からの逃亡、ソ連邦、ユーゴ連邦からの脱退、逃亡が起きた・・・・というところから解説しました。
 他方で、連邦(小生としては、多民族を束ねることから一種の「帝国」と見ている)解体の過程で、どの程度小さい単位、地理的範囲で「民族自決」を国際社会が許容すべきか、という問題があった。
 モルドバから、「沿バルト共和国」、グルジアから「南オセチア」、「アブハジア」という小さい地域が、それぞれロシアの後ろ盾を得つつ「独立」しています。今回は、「4地域に内部分裂していてまとまりのないウクライナ」からクリミア半島部分が、民族自決権を行使する・・・となった。この背景として、やはり、民族として元々ロシア系が6割以上という点と、ウクライナの中でも一番貧しいという経済的「貧困から脱出したい」という願望の二つの要素を考えるべきと思う。
 なお、ブル南部のトルコ系が多数派のカルジャリ県につき、Stanishev・BSP党首が「カルジャリ県が、クリミアを真似して、分離独立したい」と言ったと仮定して、我々がそれを許せるのか?という問題だと述べて、DPS(トルコ系政党)が、「誰がそんなことを言ったというのだ!」と激怒しています。BSP、DPSは今回の連立政権を組む仲間ですが、それでも民族、宗教の違いからくる相互不信感はある。
2014年03月22日 09:08
訂正します。
 上記で、ニックネームのところに、勘違いしてこのコメントの「題名」を書いてしまいました。自分のブログなのに、他のブログの投稿欄と、やり方を混同してしまいました。
motton
2014年03月25日 12:43
こうした問題は難しいですね。
今は上手くいった様に見えても十年、百年のスパンでどうなるか。
例えば、満洲国は内部的には非常に上手くいったわけですが、外部要因で崩壊しました。

個人的には、ウィルソンの『民族自決(self-determination)』が諸悪の根源だと思っています。
人間を集団に分ける場合、血統に基づく人種(race)、文化に基づく文化集団(ethnic group)、国籍に基づく国民(nation)があります。

民族は nation の訳語とされますが、ウィルソンの self-determination では独自の nation であるべき race や ethnic group という意味になります。
各個人が自決して国民国家(nation state)を作った結果として個人が nation になるのであって、前後関係がおかしいのです。(アメリカ独立以前にアメリカ国民やアメリカ民族がいてはおかしい。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%97%8F にもこうあります。
> 同一文化集団が政治的自己意識を獲得する以前からあらかじめ潜在的にすでに「眠れる」nationであるということではない。事後的に、始めからnationであったことに“なる”のである。

各個人の権利であるべき self-determination を race や ethnic group に結びつけたことが多くの悲劇を生んだと思うのです。
今日でも『中華民族』なる奇怪な用語があります。多くの race や ethnic group で構成される中国国民で良いはずなのに、国民国家になれない独裁国家が人民を統合するために作り出した用語です。

2014年03月30日 14:03
こんにちはmottonさん、
 米国が、ベトナム、コソボなどに参戦した時の正義とは、自国の国民を保護するとか、そういうことではなく、人類としての正義感から、「共産主義」の独裁体制にベトナム全土が組み込まれると、ドミノ式に東南アジアが「共産圏に編入される」こととなるのを防止する、という大義でしたし、コソボも、セルビア人による「民族浄化作戦」で、アルバニア系民族が抹殺されるという、人道的悲劇を阻止する、という大義を掲げていたと思う。自民族保護のためという狭義の正義ではない、より大きな大義を目指した・・・・という口実です。
 
 他方で、セルビアがコソボに介入したのは、コソボで少数派のセルビア人同胞を保護するためだったし、今回のクリミアも、クリミアという小地域に限れば、ロシア系住民が多数派なのに、ウクライナ全土から見れば、極右民族主義からの危険性に対応して「自民族を保護する」必要性があったとの名目が使われた。
 そういう意味では、自民族保護ではない大義という米国の論理と、自民族保護というセルビア、ロシアの論理との間には、必ずしも同質性はないのですが、古い歴史を持つ諸国の歴史観からみれば、米国のように、自国民すらいない地域にまで軍隊を派遣して介入するのは、覇権主義とも見える。
 
2014年03月30日 14:06
(続)
 更に、米国は、軍隊を派遣して多大のコストをかける割には、戦後において、当該地を占領して、領土を米国領にするとかもしない。他方で、ロシアは、軍事介入のコストを支払えば、領土はほぼ必ず併合するのです。古い論理という側面にも見えるけど。

 とはいえ、米国が、コソボに軍事介入したりするのは、普通の国際関係論から言うと、利益がないし、そこまで正義面したいのか?という風にも見える。

 米国の国力、経済力が最近急速に衰えて、イラクも、アフガニスタンも、仕事半ばで「理想」を捨て、投げ出して、撤退するということでもあり、そういうやり方も、無責任とも見える。他方で、現実主義に立ち戻りつつある、ともいえる。

 日本としては、正義面の米国も必ずしも正しく見えないし、他方で、コストと利益が会わないから、西太平洋、東南アジアから撤退というのも、困った事です。
2014年03月30日 14:26
 そう言えば、もう一つ論点がある。
 大日本帝国は、朝鮮を合併した後に、朝鮮人も日本人へと同化しようとして、「内鮮一体化」を図り、朝鮮人を日本人扱いしたけど、中国系が多かった台湾では、台湾古来の土人を含め、中国系住民を「日本人」として扱わず、あくまでも帝国領土の住民(植民地住民)としていた。もっとも日本語教育を施し、神道の神社なども作っていたから、やがては台湾住民も「日本人」へと同化していく意図はあったのかもしれません。

 今になってみると、短期間に同化・教育が完了して「日本人」扱いした韓国人が、「反日」国是を確立して、歪曲史観で世界中に日本の悪口を言い、他方で台湾人たちが、今も「親日」で、むしろ大陸との合併路線を嫌がっています。台湾人が「親日」なのは、恐らく中国本土と合併されても何ら利益が無く、将来が暗いと見るから、むしろ日本時代への懐旧心がわいているのかもしれません。
 とはいえ、我々日本人からすると、不義理にも台湾との国交を斬って、中国と国交を持ったけどいいことが無かったという現在の結果から言うと、今後は台湾を大事にしていくべきなのでしょう。

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