偉人百選:ヨアン・ククゼル

  85番目の偉人は、最近としては珍しい「プラスの偉人」と言えそうです。しかも、教会音楽の世界の人で、説明を読んでもなかなか分らない用語が出てきて手こずりました(意味不明のままのところも、残念ながら残りました)。
  生まれは何とアルバニアのDurres(当時はビザンツ帝国領)で、しかも13世紀末頃です。しかし、母親がブル人女性であったことは、代表作の名称からも明らかです。ただし、音楽家としての教育は、ビザンツ首都のコンスタンチノープルの王室音楽学校で受けたし、貧しい家出身だったが、その天性の美声故に音楽家として、正教会で養成されました。

  当時の古い楽譜記述形式では、歌唱法、声色なども不明瞭だったので、楽譜記述形式、特に発声、イントネーションなどの記述方式に工夫を凝らし、正教会音楽に革命的な改革をもたらした人物でもあるし、スラヴ人が好む民謡系リズムを正教会音楽の世界に持ち込んで、新曲を多く作成した、と言う意味でも、抜本的に正教会音楽の世界を広め、豊かにした人物だと言います。
  発声訓練のための新方式も編み出し、音楽学校の授業方法にも改革をもたらしたようで、この意味でも、ブル人の正教音楽様式への偉大な貢献と言えるようです。

85.ヨアン・ククゼル=教会音楽の美声歌手、作曲家、中世ビザンツ宗教音楽メロディーの改革者(Yoan Kukuzel、1280頃--1360年頃)
     Petqr Dinev*の言葉:「『ブル人女性のシャンデリア』が、後世の東方正教会式教会音楽の基礎を築いた。更に、一部の人には信じられないだろうが、歴史的事実は、正教会内で歌われている芸術的な歌唱方法は、ブルガリアが発祥の地なのだ」。
  (*注:Petqr Konstantinov Dinevは、Kumanovo市(現在のマケ北部)生まれ(1889年--1980年、ソフィア市で死亡)の作曲家、宗教音楽教師で、主としてロシアで学び、ロシアで活動した人物。http://www.pravenc.ru/text/178263.html。)

  ブル人のYoan Kukuzelは、東方正教会内で使用される教会唱歌の大革命を成し遂げた人物だ。この方面の成果は、徐々に、遅くやってくるものだし、その上目には見えない分野だ。とはいえ、その影響は我々の精神性に対し、痕跡を残すのだ。YKと言う宗教音楽家に関しては、相対的に多くの歴史的文書が残されていると言える。この文書とは、YKが残した作曲楽譜、理論的論文、などで、その一部は今日まで同人の肉筆のまま伝わっている。

(1)出生、教育
  YKの生涯に関しては『Zhitie Yoanna Kukuzelya kakq iztochnikq dlya bolgarskoy istorii(ブル歴史の源泉としてのYKの伝記)』という1892年に出版された書物が存在する(ギリシャ語で書かれた14世紀末の伝記に基づく)。同書によれば、YKはDurres(Durazzo、ブル語ではDrach、アドリア海に面したアルバニア北部の港湾町)市のブル系家族に生れた。1280年頃の誕生、或は1302年生まれとの説もある(wiki英語版の1280年頃生誕--1360年死亡説を採用しておく)。Durresは当時はOhridの大主教管区に所属していた(http://en.wikipedia.org/wiki/John_Kukuzelis)。

  貧しい家庭(母親はブル人)に生まれたうえ、幼児に父親も亡くなり孤児となった。ところが、同人の歌手としての才能が際立っていたため、首都Constantinopleの「Sv.Pavel教会」所属の教会歌手養成学校(ビザンツ王室の庇護下にある学校。主としてギリシャ系以外の人種の児童たちが学んでいた)に入学でき、音楽教育を受けた。
  しかも、YKの教師となったのは帝都(コンスタンチノープル)の総主教Yoan Glika(1315--19年)であったし、美しい歌声から皇帝からも愛されたという。

  『伝記』では、同人の綽名Kukuzelは次のエピソードに由来するという:同級生がYoanに対し「今日何を食べたの?」と質問した時、同人が「Kukia ke zele」とギリシャ語とブル語を混ぜて答えたという(まだギリシャ語に堪能ではなく、ブル語が混ざった)のだ。要するに、ブル語で言えば「bakla i zele(ソラマメとキャベツ)」と答えたとのだという。ここからKukuzeleの綽名が付いたという。また、声の美しさを称えて、ブル語では「Angeloglasniyat(天使の声)」という綽名もつけられた。
  (小生注:今回の記述には、『ブル中世期の著名人』という事典からのデータも付加しています。)
  なお、音楽教育を受けた後一度だけDurresに帰郷し、この時母親を思い出して有名な『ブル女性のシャンデリア』と言う名曲が生まれたという。この曲のメロディーの基層には、母親のYoanを呼ぶ声(Moe dete milo,Yoane , kqde si mi・・・私の愛しいヨアンや、どこにいるの?)と言う言葉があるという。そしてこの呼びかけの言葉は、14世紀末の『伝記』にギリシャ文字で、しかしブル語で書かれている、と言う。
  その後帝都に戻ったYKは、為政者らにかわいがられ、特に皇帝Andronik(1282--1328年)から寵愛されたという。

  しかし、世俗の喧騒を嫌い、自ら聖山(Sv.Athos)に隠遁したという。特に、Great Lavra修道院(Sv.Atanasiy)に長く居住したという。1355年、総主教が聖山を往訪して、この美声の歌手を同地で発見したという。
  YKは、その晩年(死亡したのは1360年頃らしい)までAthos聖山で、修道僧として暮らしたといわれる。  

(2)ビザンツ宗教音楽へのスラヴ系民謡の影響、特にYKの功績
(ア)Damaskin様式が正教会音楽を支配してきた

  ブル人がキリスト教に改宗し、ブル民謡などの生き生きした音調が徐々にビザンツ時代の教会音楽へも影響していった。なぜなら当時の有力な作曲家たちがブル人、その他のスラヴ系だったからだ:Yoan Kukuzel、Metrofanes Bienides、Yosafat Laskarisら。
  彼らの影響の故に、13世紀末のビザンツ宗教音楽には、変化への条件が熟していた。この変化とは、Irmos(原注:一種の教会音楽で、これがその他の歌唱曲の始まりともなった)風のスキームから解放して、より新しく、生き生きとした音楽形式へと言う方向性だ。この変化への課題を実行し、正教音楽新作の創造、或は教会合唱団の歌唱法に大きな影響を与えたのがYKなのだ。

  10--11世紀までのビザンツ宗教音楽に独占的な支配力を行使していた巨匠のYoan Damaskinの後継として、いわば第2千年紀(注:キリスト教がローマ帝国で公認された313年(ミラノ勅令)以来の2回目の千年紀と言う意味らしい)初頭に指導的人物として出現したのが、YK(第2のDamaskinと呼ばれた)なのだ。Damaskin以降で、正教会の讃美歌作曲家としては、YKが一番多くの讃美歌を残したと言われる。

(イ)ククゼル様式の楽譜記述方式が新たに主流となった
  YKが音楽理論、芸術性に対して成した貢献は、極めて大きい。YKはいわゆる「僧侶の妻」風*教会音楽様式を創設したし、更に新ビザンツ風(ククゼル式)楽譜記述様式も創設した。この新楽譜様式で、それまでのDamaskin式の線無しの楽譜から、有線式へと改めたのだ。

   【*注:?、原文のpapadicheskiと言う形容詞=じつは意味不明です。『中世の人名事典』ではpopadichesko peeneとある。popadiyaというのは、僧侶の妻ということ。しかも、この出展では、iso na popadichesko peene=つまり、「僧侶の妻風のバス(男性低音)による歌唱法」と言う難しい唱法らしい。僧侶の妻は、低音で怖い(荘厳な?)音色が出せるのかも。YK自身以外がなかなか出せない、難しい発声法であったという。
  他にも、Popadiykaと言う言葉があり、次の語義が示されている:①イタチ、②孫の手、③毒性を含む植物で、くすんだ黄色の花を持つ由。
  背中を掻くための長い腕を持つスプーン=孫の手というのも、歌唱法としては意味不明だし、イタチも分らない。毒性植物と言うのも、やはり分らない
???】

  また、発声、発音形式にも新様式が導入され、改革された。

  YKの名前は、ビザンツ音楽が発展した一番輝かしい時期・・・後期ビザンツ楽譜の時期に相当する。この当時以来、多くの肉筆による楽譜が残されている:これらは楽譜記述様式が完成され、簡素化されたが故に、今日でもこれらの楽譜は理解可能で分かりやすいのだ。

(ウ)有名作品
  YK作曲の宗教音楽で一番有名なのは、讃美歌の『Vladiku i sveshtenonachalnika nashego(我々の主教と聖職者たちの指導者)』だ。小さい傑作だが、宗教唱歌専門家の間では極めて評価が高い作品だ。
  また、もう一つのYK作品で美しい有名曲が、『Polyuley na bqlgarka(ブル女性のシャンデリア)』で、この曲は、ダヴィデへの讃美歌の宗教的内容を有する、詩的な歌詞が基層にあるという(注:自分の子供を失った母親の深い愛情を謳い上げている、とも言われる)。そしてこの歌は、大きな祭日の日の朝のミサの時に歌われたという。

  正教会風教会音楽発展のために成したYoan Kukuzelの貢献の意義は大きい。90もの同人の作品(メロディー)が、種々の歌唱形式(ジャンル)とともに、今日まで生き残っていると言われている。また、これらの楽曲には、当時の古ブル語による民謡の要素が入っているとも言われる。

(エ)独唱形式を創案
  多くの専門家たちは、YKが、いわゆる「僧侶の妻風」(上記(イ)の注を参照)歌唱法を創設したと考えている。また、楽譜による表現枠を広げたし、音楽形式の枠組みも広げたと見做している。

  一部研究者によれば、YKこそが、正教会独特の独唱形式(Monodiya:原注:一人の声で歌い上げる方式、随伴する合唱を伴わない方式で、9世紀まではこの合唱式が普通だったのを、独唱式に改めた。小生注:ソロのことらしい。)を発展させた功労者であり、西欧音楽における多声音楽(polyphony)へのヨハン・セバスチャン・バッハの貢献と並ぶ偉業であると見られている。

  疑いの余地なく、YKの創造力と、同人の作品『ブル女性のシャンデリア』は、今日も正教会で使用されている芸術的な歌唱法の中に、基層として存在しているのだ。

  
(3)死亡 
  YKは1360年頃にAthos聖山で死亡(約80歳)。東方正教会から、死後聖人に叙任された。同人の聖人としての祭日は10月1日。
  YKの死後も、同人の作曲様式、発声法などは19世紀に至るまでずっと真似され、踏襲されたという。特に、YKの「甘い音(kolofonna=sladkozvuchna)」様式は人間を聖人化する目的に利用され、「天使的な歌唱」法は聴衆をエクスタシーに誘ったという。

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