51-54.11月の祝祭日

 今回は、11月の祝祭日4件をまとめます。

51.11月8日:聖天使長ミカエルの祭日(Sveti Arhangel Mihail、Arhangelovden)
(1)由来
  11月8日正教会では聖天使長(西欧では大天使)Mihailの集会を祝う。
  ブル国民の想定では、同人は天上勢力の指導者で、地上の悪霊たちと戦っている。国民はまた同人をVadidushnikと呼ぶ。なぜなら、病人、或は老人から魂(dusha)を抜く(va'dya)からだ。

(2)伝統
  Arhangelovden前の土曜日はGolyamata zadushnitsa(注:Zadushnitsaとは、英語のAll Souls’ Day=諸魂日、カトリック:諸死者の記念日=11月2日)だ。更には、voynishka兵士の日)とも呼ばれる・・・なぜなら、この日に、全ての戦争で死亡した人々に敬意を表するからだ。
  Arhangelovdenに続く週は、Vqlcha sedmitsa狼の週間)と呼ばれ、この週には狼(vqlk)と言う言葉は禁句だ。
  Arhangelovdenから1週間後の11月14日からは、Koledna zagovezniクリスマス断食)が始まる。

(3)風習
  ブル国内の多くの集落で、教会は聖天使長Mihailの名称を冠しており、この日には集会が開催される。
  集会では、kurban(煮た羊肉の料理)を、ove'n(去勢していない雄羊)、ya'lova ovtsa(子供を産まない雌羊)、或はよく肥育したshi'le*を屠殺して料理し、皆で食べる。
   (*注:子羊はagne、大人の羊はovtsaというが、この中間がshileである。肉としてはshileshkoという。肉としてもagneshkoよりは安いが、ovcheよりは上等と言う感じ。)
   ★Kurbanの料理法:羊肉は小さい断片に切り刻み、水と塩のみで茹でる。決して野菜、コメ、調味料などを加えない。

(4)この日に名前の日を祝う洗礼名
  Angel、Angelina、Arhangel、Mila、Milka、Mihail、Mihaila、Miho、Rayna、Rangel、Hana、Hanka、Hanko。

52.11月21日:生神女進堂祭(Vqvedenie Bogorodichno)
(1)由来
  11月21日に教会は生神女進堂祭を祝う(正教会では、十二大祭の一つ)。また、この日は、クリスチャン家族の日(Den na hrisitiyanskoto semeystvo)とも呼ばれる。
  英語では、The Entry into the Temple of the Most Holy God's Motherと言う。

(2)福音書による伝承
  福音書によれば、年長者両親のAnaとYoakimの間に誕生した処女マリヤは、出生前から、神に捧げると約束されていた。
  3歳になると、彼女はエルサレムの聖堂に連れていかれた。ユダヤ教の教えでは、敬虔な人生のために用意される処女たちは、一定の年齢に達するまでは、聖堂の近くで教育を受けねばならなかった・・・その後、家族に返還されるのだ。
  彼女たちは、結婚し配偶者に引き渡されうるように、また、もし未亡人となって、独り身となっても、善良で、敬虔であるように、用意されるのだ。
  マリヤは、ダヴィデ王族の老人Yosifに与えられた・・・同人が、彼女の世話をし、庇護するように。


53.11月25日:聖クリメントの祭日(Sveti Kliment Ohridski)
(1)由来
  11月25日には、ローマ法王Kliment、聖Kirilと聖Metodius兄弟の弟子のKliment Ohridkiを祝う。後者のKlimentは、上記2名の兄弟のMoraviya、Panoniya(Pannonia)、及びローマへの使命に付き添った。
     (注:Ohrid=オフリットは、現在マケドニア国西部に位置する湖畔の町の名称。この町で、Klimentとその弟子たちは、典礼書のギリシャ語から当時のブル語(中世ブルガリア語)への翻訳、筆写、布教などを行った。Moraviaは今日のチェコ、Pannoniaはハンガリー平原。

(2)聖Klimentのブルにおける活動
  聖Klimentは、まずブル第1王朝期の首都Preslav市で広く文学活動し、その後はOhrid町で活動を継続した。
  奉神礼に必要な経典類をブル語に翻訳し、教訓話類を著作し、神を称える言葉を書き記し、更には自分の教師たちであったKirilとMetodiusにつき「多くの伝記」を書き記した。
  Kliment Ohridskiの名称は、ソフィア大学に冠されている。    
        (注:欧州の大学、高校などの場合、歴史的に賞賛すべき人物、その大学にゆかりを感じる人物、その地方の偉人、などの名称を冠することが多い。日本では少ないが、例えば、早稲田大学などは、その創設者の「大隈重信」の名称を冠しても欧米式ではおかしくはないはずだ。

(3)ローマ法王Kliment
  ローマ法王の聖Klimentの場合、使徒のペテロからローマ教会の法王として任命されたと考えられている。
  同人は、『コリント信徒への書簡(Poslanie do korintyanite)』という「新約聖書」以降の最初のキリスト教の著作品で知られている。
  Hazar帝国に対する外交使節としてKiril Filosofが旅したとき、同人はHerson付近の海の中から聖人Klimentの遺品を見付け、これをローマ市に持ち帰った。現存している古ブル語による作品『Slovo za prenasyane na moshtite na sveti Kliment Rimski(聖Kliment Rimskiの遺品を持ち帰った経緯)』は、Konstantin -Kirilの文章と見做されている。

(4)この日に名前の日を祝う洗礼名
  Klementina、Klima、Klime、Kliment。

54.11月30日:聖使徒アンデレの日(Sveti Apostol Andrey Pqrvozvani、Andreevden)
(1)由来
  教会は11月30日に、盛大に聖アンデレ(Sv.Andrey)の記憶を祝う。同人はフリストスの12人の使徒の一人で、弟子であり、使徒ペテロの弟だ。
  同人は、Andrey Pqrvozvani*(最初に呼ばれたアンデレ)と呼ばれている。なぜなら、使徒たちの間で、キリストから最初に、自分の後ろに従うよう命じられたから。
  国民が信じるところでは、Andreevdenは熊(mechka)たちに敬意を表して祝う日でもあり、故にMechkindenとも呼ばれる。

   【*原注:フリストスが磔刑に処された後、弟子たちは世界中に散った。アンデレはキリスト教をバルカン半島の人々に布教した。キリスト教に反対する敵方の人々によって逮捕され、死刑を判決され、ギリシャのPatraの町で十字架への磔刑に処された。後ほど同人の遺品は帝都コンスタンチノープルに運ばれ、「聖使徒」教会に安置された。

  十字軍が後に帝都コを占領した時、彼らはこの遺品を1208年にイタリアへと運んだ。
  聖アンデレは、帝都コの最初の主教を任命したので、同人は正教会系スラヴ・クリスチャンの使徒であると考えられている。周知のごとく、コンスタンチノープル総主教座によって、ブル人、セルビア人、ロシア人、その他のスラヴ人達は、洗礼を施されたのだ。
  イコン画及び中世期の芸術で、アンデレの十字架は、X文字の形に描写され、アンデレの十字架(Andreev krqst)と呼ばれている
。】

(2)伝説
  伝説によれば、12使徒のうちアンデレのみが自らの祭日が無かった。そこで、熊に乗って神の元を往訪した。主は次のように言った:「お前さんを祝わない者は、お前さんの馬によって御されるべきだ」。故にこの日、トウモロコシをゆで、これを煙突を通過して投げ出し、次のように叫ぶ:「さあ、熊さんよ、茹でたトウモロコシだよ・・・生のまま食べないように、家畜を食べないように、そして人間も食べないように」と。

(3)風習
  国民は、この日から以降は昼が徐々に大きくなると見做している。全ての植えたものが大きくなるように、このAndreevdenには、トウモロコシの穀粒を入れた鍋に、更に次のものを追加する:インゲン豆、レンズマメ、エンドウ豆、キビ、小麦、麻の実、大麦、オート麦(燕麦)。
  この日、小麦をきれいにして(ゴミを取払う)、水車小屋に運び、粉に挽いてもらう。なぜなら、この日に挽くとより多くの小麦になると信じられたから。
  Teteven町(Lovech県西部)では、若い花嫁はこの日は働かず、親戚の家にごちそうになりに出かけたという。受け入れ先では、花嫁たちに御馳走を与える・・・大きくなるように。つまりは、妊娠するように、と言うこと。

(4)この日に名前の日を祝う洗礼名
  Andrey、Andreya、Andreshko、Desho、Deshka、Deshko、Pqrvan、Pqrvanka、Prqvka、Prqvcho。

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