ムスリムの祭日:スイーツ祭、犠牲祭

   今回は、在ブルガリアのムスリム住民たちの祭日、スイーツ祭と犠牲祭の二つをご紹介します。

3.Sheker bayram(Sweets festival)
(1)由来
  Ramazan bayramの最後の3日間(お祝いの賑やかな部分)をこのように呼ぶ。なぜなら、まさにこの3日間にAllahはKoranを預言者Mohamedに対し伝達した、と信じられているから。
  http://www.allaboutturkey.com/bayram.htmによれば、今年2015年のSeker bayramは7月17--19日だという。
  
(2)初日
  ブル国内のトルコ系村落の一部では、Seker bayram初日をAslq bayram(Fundamental festival)と呼ぶ(注:上記2.(4)と同じだ)。恐らく、大々的に祝われるからだ。男性たちはジャミーの中で、Koranの中の一部の詩文に聞きほれるし、hoca(ホッジャ、imam=イマーム)たちの告白は、皆が慈悲深くあれ、神を怖れよ、祈祷を衷心からAllahに捧げよ、ということだ。

(3)帰宅後の食事
  祭日に際しては、家々はよりきちんと整理整頓され、同時に豪華に飾られ、御馳走はより盛大に盛られ、若者も、年よりも祭日用の晴れ着を着る。若者たちは、自分の親しい友人、或は親戚の家にお客として往訪したり、更には逆に自宅にお客を迎えたりするのが好きだ。
  用意される料理は、基本的に甘いもので、必ずあるべきはBaklava、banitsa、kurabiye(cooky)などのスイーツ。(小生注:banitsaは、普通ブルの場合、甘いbanitsaと言うものは食べたことが無いが、トルコのborekの場合甘いバージョンもあるのかも。)
  飲み物としてはsherbet(シャーベット=シロップ)、果汁類・・・最近では各家庭は市販の清涼飲料も利用する。

(4)他の習慣
  祭日用の衣装に着飾った、12歳ほどの少年たち、及び20歳ほどの若者たちは、近しい人々、親戚たちの家々を巡回訪問する。家の主人の手にキスして、許しを請い、年長者から教えられた幾つかの祝福の言葉を述べる。彼らに対し、主人側は、クッキー、たくさんのキャンディー、角砂糖、クルミ、ブドウ、ボンボンなどを与える。
  現在は、一番多くの場合、ボンボンを与えるようになっているが、しかし、チョコレート系は使わないようだ。

4.Kurban bayram(Sacrifice Holiday、犠牲祭)
(1)由来
  在ブル・トルコ人達及びブル人モハメダンたち(注:Pomakのこと)が祝う祭日の中でも、一番盛大なムスリムの祭日と言えば、Kurban bayramである。またの名をKoch bayramとも呼ぶ(注:トルコ語のkocとは「去勢されていない雄羊」の意味というから、ブル語のovenだ。犠牲に供するには、去勢されていない、立派な雄羊が必要なようだ。)。

  キリスト教で言えば、復活祭、ユダヤ教ならペサハ(過ぎ越し祭)に相当するお祭りと言える。期日は、2015年の場合は、9月23--26日の4日間。
  Kurban bayram=犠牲祭とは、Allahの名前の下に、犠牲の羊を捧げて、過去1年間に成されたかもしれない罪悪(gryah:ブル語です、複数形はgrehove)につき、贖(あがな)い、或は寛恕(かんじょ)することなのだ。犠牲を捧げることは、一種の納税であり、同時に、犠牲の動物の血が流れることで、罪悪が払い落とせる、と信じられているのだ。

(2)前日
  犠牲祭前日は、Arife(Eve、トルコ語)と呼ばれ、死者たちに捧げられる日だ。
  パン、katmer(トルコ語、薄皮のパイ生地で作られたpastry)、牛乳または水で煮た米を用意し、これらを死者たちの魂の慰霊のために分配する。もし、最近死亡した者が家族内にいる場合には、この日に犠牲の動物(kurban)を屠殺する、なぜなら、死者は早目の犠牲を待ちかねていると信じられているから。とはいえ、宗教上の正しい原則から言えば、Arifeには、kurbanをしてはならないのだ。なぜなら、これはMekaに巡礼に行った人々より先んじてしまうからだ。Mekaでは、祭日当日に犠牲の羊を捧げるのだから。

(3)当日の慣習
(ア)ジャミーで祈祷

  犠牲祭当日、朝ジャミーでは、大祈祷が捧げられる。ふつうこれは2部制で、通常のnamaz(祈り)すなわち、sabah(朝)と、もう一つは盛大なnamazでbayram(festival)と呼ばれるものだ。これら二つの部の間に、ホッジャたち(イマームたち)はKoranの幾つか選んだ章の文章を読み上げてhutbe(説教、訓辞)とする・・・この中では、全ての祈祷と礼拝は、Allahに対する深い信仰に立脚しておらねばならないこと、表向き(外見)のみを繕っての偽善的行為であってはならないことが強調される。特に富裕な者たちは、表向きを飾るために、メッカに巡礼することもできるし、犠牲の動物も何匹も捧げることができるが、本当の真心からの信心に立脚していなければ、単に自らの富裕ぶりを誇示しているに過ぎないのだ。

  ジャミーにおける説教で、ホッジャたちは、犠牲祭用の動物を買ったものの、aksham(3日目の夕刻の祈祷)までに屠殺ができなかった人の場合は、この動物を生きたまま提供すべきこと、或は、この時期を過ぎてからようやく屠殺した場合には、この肉を食べてはならないと奨励する。
  さて、bayram式のnamazを合唱し終えたら、男性たちはジャミーを後にして、自宅に帰宅する。

(イ)犠牲用動物に染付してマークする
  自宅では、家族の中の一番年長の女性が、犠牲の動物を朝日が出る前にすでに赤茶染料(henna)で染めて、マークしてある。染め付けた個所は、奇数・・・3,5、7、或は9・・・であるべきだ。染め付けは義務的だ、なぜなら、動物があの世で、自分のご主人様を見付けることができるためなのだ。一部の家庭では、子供たちと若者に、染付された犠牲用の動物を花、或は赤い糸で飾ることを許す。

  犠牲の羊の屠殺は、一定の決められた場所で行われる。この場所では、血液は地面表面でジュクジュクせず、むしろ地中深くに吸い込まれる・・・そういう場所だ。血液は地面に吸い取られる前に、まずその家族の一番年長の女性によって、子供の額に十字の印を付け、更には家と家畜小屋の玄関板になすり込まれる。

(4)カルジャリ県での例
  ブルにおいて、小さい領域ながら一番多くのムスリムが集住しているカ県では、祭日はGolemiyat koch(大きな犠牲の羊)と呼ばれる。犠牲用の雄羊は、家の主人が自分の羊群を持たない場合は、1か月前に購入される。通常、白い、曲がった角を持つ、目の周りが黒い斑点となっている(vakql)、よく餌を与えられたoven(去勢されていない雄羊)が選ばれる。時には、種無しの羊も許容される(注:貧しい家の場合であろう)。犠牲用羊を買う者は、決して値段を交渉してはならない・・・売り手が言ういい値で買い取る。値下げ交渉などした犠牲用羊は、Allahは、犠牲用の動物として認めてはくれない。

(5)準備の2日間
  Kurban bayramの直前には、準備期間としての2日間があり、それぞれが、akqtma* gyunとchuruek* gyun(arife gyun)と呼ばれている。後者の日には、mekitsa(揚げパン)とkatmer(pastryとしての甘い菓子、トルコ式のパラチンキ)が配布される。祭日の儀式的な時間は、akqtma gyunの終わり近くに始まり、次の日の同じ時刻に終わる。
  Arife gyun(Eveの日)には、ovenの染付(マーキング)が行われる。一部の村落では、犠牲羊を捧げるほんの数時間前にこれを行う。
   (*注: akqtmaは不明な単語です。トルコ語のakitは、結論、契約、実行などの意味があるが、akitmaとの単語は辞書で見付からない。
    **注:churuekをトルコ語のÇürükと考えると、この語には1.rotten,decayed;2.unstable;3.unfounded;4.bruise、などの意味があるが、よく分らない。
)   

(6)朝の祈祷と、帰宅後の屠殺
  本物の祭典Bayram kurbanは、ジャミーにおける祭日の祈祷が終わってすぐに開始される。祈祷が完了するまでの時間帯では、誰かが祭日用の挨拶をすることは、厳しく禁じられている。Bayram namaz(祭日用の祈り)に参加した男性は(とはいえこれは全てのトルコ人にとり義務的だが)、自宅に戻り、犠牲用に用意された動物を屠殺する。Kurbanはいつも家長の名前で執り行われる。特別の誓約が子息の一人にある場合には、2頭目の犠牲羊も屠殺されるが、必ず先に家長の名前で犠牲に供された後に2番目の屠殺儀礼がある。稀にKurbanが、青年のために捧げられることがあるが、これはbekyar kurban(独身男の犠牲羊)と呼ばれる。
    (注:トルコ語のbekâr=1.unmarried,bachelor,singleで、独身のこと。

  犠牲羊の骨、内臓は、特別に用意された穴(ブル語:yama)に埋められる。屠殺作業を執り行うのは、特別の祈祷(tekbil)を知っている者だ。そして、屠殺実行の前に、祈祷勤行を発声する。屠殺用の刀(ナイフ)は、その前夜にジャミーでお清めされたもので、一つのナイフで犠牲は20匹まで屠殺が可能となっている。

  実際に屠殺する場所は、非関係者立ち入り禁止だ。事前に掘られた穴(トルコ語:koyu=deep、dark)に血液が集められる。この血液は、皮膚病(tsirey)の治療に用いたり、新築だが、未だにお清めを受けていない家の隅っこにばら撒くなどする(注:魔除け用)。小村落では、屠殺作業はジャミーの庭のある穴の上で行われる。Koch(犠牲用雄羊)を決められた場所まで引っ張っていく前に、一杯の水を飲ませ、目を白いハンケチで覆い隠す。羊は、頭、背中、腹の部分に染料で幅広い縞(しま)印を付けられている。この羊の頭を押さえつけて・・・頭をメディナ・メッカ方向に向けて・・・体も倒す。男たち数名で、kochが動かないように抑える・・・なぜなら、細かく震えるなら、この犠牲が捧げられた家長が罪悪を犯しており、この故に動物が苦しみ、震えると見做されるから。

(7)食肉の分配
  食肉として切り刻んだら、分配に際してはまず犠牲羊が捧げれらた男に対し、右側の腎臓が与えられる。そして、茹でられるか、或は焼かれる。次いで、体の前半部の右側の肋骨7本分を切り取り、これは、全体的なkurban用としてジャミーに持参させる。
  残りの部分は7つの箇所に分けて、分配される。Kurbanは、4日間の祭日中に、分配されなければならないし、普通は貧乏な家庭用に配られる。この施しを受ける貧乏人としては、ムスリム、クリスチャン、ジプシー、或はその他のエスニック集団の人間かを問わない。
  現在は既に、このようなkurban肉の分配と言う風習は消えた。その代り、他の機会におけるkurban用として保存される。

(8)Kurban料理
  頭、shkembe(反芻用の胃)からはpacha’注:肉を細かく切り刻んで、煮込み、jelly、cheese状にしたもの、パテのことらしい)を作る。他の普通の肉からは、野菜と一緒に煮込んでシチュウ(kapama)を作る。野菜としては、ネギ、ニンジン、ニンニク球根、及び米或はジャガイモが入る。一部地域では、挽き割りカラスムギ(bulgur)、或は挽き割りトウモロコシで肉を料理する。
  レバーを使って、banitsaを作る・・・ciger bidesi或は、dolma bidesiだ。
    (注:トルコ語のciger(ジゲルdzhiger=ブル語ではドゥロップdrob)は、現在はkaraciğerと呼ばれ、これは、liver=肝臓の意味。N.Gerov辞書には、Dzhigerが、語源はトルコ語として掲載され、ブル語ではDrob(臓器)と訳されている。また、現代ブル語辞書では、Byal drob=肺(lung)、Cheren drob=肝臓(liver)とある。なお、dolmaは、中身を詰めた、との意味。バーニツァはbӧrek(pastry、pie)だが、bidesiと言うトルコ語が不明だ?

  Korana(コラーン)の宗教法規(kanon)で酒類は厳しく禁じられているが、今日在ブルのトルコ人達は、この禁酒をほとんど守っていない。とはいえ、このKurban bayram祭日において、誰かが酒を飲むと言えば、同人はもはやkurbanの肉は食べない。そうではなく、別途食肉を買い・・・この肉に関しては、何ら特別の祈祷が読まれていないし、父親、或は家族の他の男性成員の名前で捧げられてもいないので、これらの肉ならば食べられる。

(9)若者たちの遊び
  娘たちは集まって、歌或はdaire(タンブリン、小太鼓)の演奏に合わせて、幾種類もの遊びに興じる。若い男性たちは、片足で競争したり、昔は水牛皮のボール遊びをしたりしたが、今日では、ほぼフットボール(サッカー)に興じる。また、ブランコ遊びをし、ホローを踊って騒ぐ。

(10)墓場に記念盤
  Kurban bayramの祭日に、女性たちは家族の墓場に行き、記念の板などを建てる。

(11)アリー派の風習
  アリー派(シーア派)の人々は、このKurban bayramの祭日を、Ramazan bayram祭から70日後に祝う。その後7日を経て、犠牲の動物と決めたモノの額と背中に染付をする。Bayram当日には、男性たちは早朝起き、祭日用祈祷のため、祈祷の家に行く。祈祷を終えたら、kurban実施につき許しを得て=riza ot babata(トルコ語:長老の御許可)を得て・・・・その後帰宅し、動物を屠殺する。極めてしばしば、犠牲用には雄鶏が屠殺される。鶏の皮は、皆が食べられるように集団(ジェーマ、cemmat=宗教共同体)用として寄付され、鶏肉からはシチュー(yahniya)を料理する。子供、娘たち、独身男性らは家々を巡り歩き、各家庭は、食物を贈る。
  昼食後、村の広場では、alay(円形になってのお遊び)が行われ、踊り、歌が楽しまれる。
  Kurban bayram祭日の最初の夜は、ジェーマの全ての成員は、シチュー、パン、ラキーヤ(果実焼酎)を楽しみ、一緒に集まって祝う。他方、その後の3日間は、それぞれの家族が自宅で楽しむ。仕事に出かけることは無い、特に初日と最後の日は外に出ない・・・不幸が襲わないようにだ。

(12)Kurban bayram関連の信仰、伝説
(ア)犠牲用の動物の資格

  Kurban(犠牲用動物)としては、一番大切に餌を与え、保存されてきた動物が使われる。Oven(ブル語、去勢されていない雄羊)、或はagne(生まれて間もない子羊)、時にはtele(子供の雄牛)だ・・・なぜならMohamedが、犠牲用に、身体的な障害・・・nishan(印、マーク)・・・のあるような動物の使用を禁じたからだ。
  もしあなたが死亡した時には、犠牲に供された動物があの世では馬となっていて、最後の(恐ろしい)審判の席へとあなたを運ぶため、天国と地獄の間を結ぶSaratの橋を越えさせてくれる、と信じられているのだ。
  伝説は言う・・・橋は細く、まるで女性の毛髪のようだし、一番鋭い刀以上に鋭いという。この故に、kurban(犠牲用)として、目が悪いとか、足がびっこだとか、耳が無い、尻尾が無い、或は最近毛を刈ったばかり・・・・などの動物は使えないのだ。更に犠牲用動物は、角があるべきだ・・・死者はこの角にすがることで、滑り落ちることが無い。Kurbanを捧げず、或は弱い動物しか捧げない者は、橋を渡り終えることができず、橋から落ちて地獄に行くしかない。

(イ)天国の美女
  Koranaによれば、またはムスリムの迷信では、屠殺された動物は、一時的に死ぬだけで、すぐに天上に向かって登っていく。犠牲用動物の血液の一滴ごとに、Allahは一人の非地上的美女(原注:フーリ・クズ>huri kisi・・・小生がトルコ語辞書で調べてみると、①トルコ語huri=英語houri=イスラム教では、極楽に住む黒い瞳の完全美の処女、②トルコ語kishi=person、human being・・・合わせると「極楽の美女」)を作るという。天国に入れるにふさわしい男性に対して、Allahは各人に70名の極楽の美女を贈ったという。
    
(ウ)犠牲の意味=神の試練
  犠牲の献呈(zhertvoprinoshenieto)についてはコラーンの第37章(Sura):102--107に明記されている。この項では実際には、Avraam(アブラハム)関連の伝説が再録されているだけだ。アブラハムが、犠牲用動物にふさわしいものが何もなく、決められた日に、仕方なく子息のイサク(英語Isaac)を連れて行ったのだ。しかし、まさに犠牲として屠殺するため、イサクを地上に下ろした時、同人の前に一人の天使が出現したのだ・・・1匹のoven(ブル語、去勢されていない雄羊)を連れて。

  コラーンでは、次のように述べる:「イブラヒム(アブラハム)は、二人の子息を有していた・・・IsmailとIshakだ・・・このうちどちらかを、犠牲献呈用の動物とするよう運命づけられていた・・・。Ibrahimは夢の中で、次のような声を聴いた:『神様はお前に、自らの子息を犠牲とするよう命じておられる』と。」
  朝が来て、父親はこの命令は悪魔の声ではないのか?と迷うが、同じ夢が3夜にわたり繰り返されたので、これこそが神の御命令だと信じた。Allahは、実は単に、自らの下僕の信仰心を試そうとしたのだ。故に、最後の段階でようやく、命令を変更した。
  イスラム教では、犠牲用動物として、豚、ロバ、馬などを献呈することを禁じる。一旦神に捧げられた犠牲用動物を食することができるのは、(イスラム)信者だけだ。

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この記事へのコメント

mugi
2015年05月01日 21:49
こんばんは。

 ブルのムスリムたちにスイーツ祭があるとは、実に羨ましいですね。日本だとスイーツ=女性が食べるものと思われていますが、あちらでは男性もお祭りでスイーツ三昧。中東ではイスラム以前から王侯貴族はシャーベットを食べていたそうですが、当時の庶民は口に出来なかったでしょう。それにしても、糖分の取り過ぎで糖尿病にならない?と思ってしまいます。

 犠牲用羊の決まりごとも興味深いものです。犠牲用羊を買う者は、決して値段を交渉してはならなず、売り手が言ういい値で買い取るならば、結構ボラれるのでは?値下げ交渉などした犠牲用羊を、Allahが犠牲用の動物として認めてはくれない…というのは苦笑します。Allahではなく、商人とつるんだ聖職者が決めたのでしょう。
 犠牲羊を振る舞うのに、宗教を問わないという習慣は素晴らしい。このような肉の分配の風習は消えたのは残念です。
2015年05月06日 09:02
こんにちは、
  スイーツ祭は、ラマザンの断食月間の最後の行事ですから、本来は、断食で痩せ細った体に、甘いお菓子で糖分を供給して、体力回復を願ったのかも。近年は豊かになったので、ラマザン期間と言っても、夜間に御馳走をたらふく食べて、断食期間に却って太るというから、スイーツ祭など不要と言えるかも。
  犠牲用羊も本来は農民であるムスリムたちが、自ら所有する家畜群の中から、犠牲用の動物を選んでいたはず。この説明では、三途の川を渡るときの馬となるというから、健康で力のある羊を選ばないと自分が困る、ということらしい。
  色々と伝説的な説明がなされているから、よく分るけど、都市に住む金持ち商人が、農民から雄羊を買い取るときには、「言い値で買え」というのは、一種の施しとして、貧しい農民に支払う金をけちるな、ということかも。もっとも、「交渉」しなければいいのだから、高い言い値の羊商からは買わず、適正な値を付ける相手から買えばいいだけかも。
  ともかく、モハメット関連の伝説とか、結構「神話」的なところで、伝統、習慣が細かく決まって行き、人々の生活を律している。ユダヤ教でもそうですが、掟とか、律法とか、戒律とか、祭日の作法とか、細かく決めることで、村の生活とかが一定の法則に基づいて動く・・・・これが文明だったのかも。

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