ムスリムの祭日:7--9.夏の始まりから新しい火の採取まで

   今回は、3種類のムスリムの祭日をご紹介します。

7.5月6日:Hqdqrlez(Hidrellez、立夏)
(1)由来
  5月6日に、ブル在住のトルコ系住民らは、Hqdqrlezという、ブル人のGergyovdenに相当する祭りを祝う・・・この日は、夏が始まる日(立夏、1年の後半の始まり)と見做されている。
  この祭りで祝われているのは、二人のムスリム聖人、即ちHqdqr(ハドゥール)とIliyaz(イリヤス)である。彼らは人間、動物、及び豊饒の庇護聖人だ。

  この両聖人は、何時も反対方向に向けて動いている・・・もし一人が東に向かうと、もう一人は西に向かっているし、一人が北に向かえば、もう一人は南に向かう。これは彼らがこのようにして、色々な方向の人々に広く奉仕するためなのだ。
  国民の信じるところでは、彼らは眼に見えない。しかし、時折彼らは人間の形をして姿を現すという。そして人々に、助けを乞う・・・もしこの願いを聞き入れないと、背を向けた人間は不成功確実だし、時には大変な不幸に陥る。二人の聖人が出会うのは、1年にたった1回で、5月の1--5日の間だ。この時両名は、どこに行ったとか、どういう善行を成したとか、人間のため何をして助けたとか、そういう情報を交換する。しかし、この時期に金曜日が含まれていると、出会うことは無いという。

(2)風習
(ア)娘たちの占い

  5月6日、娘たち、或は若い嫁は、7つのcheshmi(水汲み場)から水を汲んでくる。そして銅製の大鍋の中に、緑の葉っぱと枝を入れておく・・・これらには印を付けておく。その後一人の娘が、印を付けた葉っぱと枝を抜く。他の娘たちは、四行連の詩=manitaを歌う。そしてこの時歌われる四行連詩の内容に基づいて、将来の夫につき占いするのだ・・・将来の楽しい、或は悲しい家庭生活、娘の人生の運命について。葉っぱと枝の引き抜きを終えると、全てのその場に居合わせた者は水で顔を洗い、枝を川に捨てる。
  Hqdqrlezの日には、皆でayazmo(治癒的水が湧きだす泉)に行き、健康のために体を洗うとか、入浴する。この入浴時に来ていた衣類は、近くの木にかけ、泉の中には銅貨を投げ込む。

(イ)Momchilgrad町のムスリムの風習
  この祭日の日、Momchilgrad(ブル南部カルジャリ県中部の町)近辺の人々は、Podkova村(注:カ県南部のKirkovo郡北東部にあり、M町から真南に10kmほどいったところ)に所在する古いジャーミであるEdi Kqzlqr dzhamiを往訪する。リューマチに悩む者は、このジャーミ近くの屹立している黒い崖に触るのだ・・・この崖に触ることができれば、健康になると信じている。他にも、ここには石の窓と言うのがあり、自分の体をねじ込んでここをくぐれば、病人ばかりではなく、普通の健康体の人も、1年間力強く、幸福でいられると信じられている。

(3)シーア派の場合
(ア)印を集める

  シーア派教徒の場合、この祭日の直前に、二人の早く生まれた娘(村の結婚していない娘の中の年長者)たちが錫メッキした銅製容器をもって家々を巡り、Nishan(印、目印)を集めて回る。ある家に着くと、軒下に立たないように気を付けて立つ、するとその家の主婦は、彼らを家に招くことなく、印を渡す。全てのお印を集め終えて、この銅製の鍋を抱え、最近結婚したばかりの夫婦の家に行く・・・彼らはこの1年間で、最後に結婚した若夫婦だ。この鍋をこの家のバラの木の下に置き、ハンカチで覆う。

(イ)羊毛製の布カバー類を天日干しにする
  5月6日の当日になると、主人は早起きして畑を見回る、他方主婦は、全ての羊毛製の布カバー類を外に出す・・・・枕カバー、ベッドカバーなどで、これを太陽の日に当て、祈祷を唱える。これらの羊毛製布カバーをしっかり太陽で焼けさせた後、主婦はこれらを取り込み、並べるのだが、もう当分使わないモノの間にはクルミの葉っぱを入れ込む。

(ウ)髪の毛を整える
  娘たちは朝早くから小麦畑に出かけて、畑の中を転げまわる。特に好まれるのは、ライ麦(rqzh)畑で、転げまわることで、麦の穂が長くなれと祈るのだ。家に帰ると、母親は、とぐろを巻いた綱の上に座って、娘の髪の毛を巻き上げる・・・綱のように太く、長くなれと祈りながら。髪を編む束(plitka)の個数は、髪の量にも依存するが、常に奇数(tek)・・・3、5、7、或は9・・・であるべきだ。他方で、結婚した女性の場合は、束の数は偶数(chift)であるべきだ。

(エ)昼食
  お昼頃になると、畑からご主人様は帰ってくる。手には、ライ麦、或は小麦の穂をいくつか携えて帰ってきて、座って昼食をとる。
  この日の料理としては特製sqrmi(注:単数形はsqrma)がある・・・ひき割りカラスムギ(bulgur、或は挽き割り小麦で作るトルコのシリアル・フード、http://en.wikipedia.org/wiki/Bulgurを参照。)を山ほうれん草(loboda)の葉っぱで包み煮込んだもの(サルミー)に、細かく刻んだニンニクとヨーグルトをかけたものだ。更には、新鮮なsirene(フェタ・チーズ)とヨーグルトも食べる。
  他方で、新鮮な牛乳と卵は茹でないし、針とかナイフも手に取らない・・・これは蛇が出現しないようにとのおまじないだ。

(オ)ブランコ遊びで健康を祈る
  食後は、村の広場に出かけ、そこの大木にしつらえられたブランコで遊ぶ・・・ブランコに揺られることも、健康のためのおまじないなのだ。

(カ)お印と民謡でおまじない
  ブランコに揺られた後、女性らは家に戻る…そこには、印を入れた銅鍋がある。村中からお印(nishan)を集めて回った二人の娘は、同時に銅鍋の両側の取っ手をつかんで、出発する。この娘の側を、大きな黒いスカーフをかぶった女性が付き添う。円陣(alay)の真ん中に鍋を置き、娘の一人がそばに座る。女性がスカーフを外して、娘と鍋をこの黒いスカーフで覆う。
  この娘には、鏡が与えられており、この鏡の中を常に見つつ、もう一つの手で鍋からお印を引き出す。娘の側には2名の女性がステッキを持って立っている・・・娘が印を差し出すと、この印をステッキに付けて、高く掲げて皆に見せる。自分のnishanが引き抜かれたら、その女性は、このnishanを掲げてくれた女性の歌う一つのmani(トルコ語、英語:ballad=民謡、踊り歌、物語詩)を聞く。このようにして、全てのお印が抜き出され、民謡でおまじないされるのだ。

(キ)子羊の犠牲動物を食べる
  この日には、agne(子羊)が、kurban(犠牲動物)として屠殺され、yahniya(シチュー)料理として作られ、皆で食べる。

(4)Smolyan県のPomak達の習慣
  Smolyan県東部Nedelino町(注:著者はNevestino町としているが、Smolyan県には、このような名前の町は無い。更に後半にNedelino町と書いているので、ここもNedelino町が正しい)のブル人モハメダン(Pomakのこと)たちは、Gergyovden前に、庭の花を集めて花束(kitka)を作り、一つの銅製の鍋に入れ、水を張る。この花束を入れた鍋を上からブドウの葉のついた枝で覆い、この鍋をクルミ、或はハナミズキの木の枝にかけておく。

  この祭日当日の早朝、娘たちは川に出かけて、水を掛け合って遊んだ後、集落内の広場に、この花束(複数)入りの鍋を持参する。
  一人の娘が鍋から花束を一つ、二つと引き抜き、他の2名の娘がこれに合わせて歌う:
 Katro, chestito belilo,   ラバさん、白粉を貰っておめでとう、
 po-mnogo zlato da ima,     もっとたくさんの黄金が、
po-mnogo pari da ima,      もっとたくさんのお金が、
po-mnogo drehi da ima----   もっとたくさんの衣服が、授かりますように・・・
  (注:Katqrが、ラバを意味する。)
  全ての花束を引き抜き終えると、娘たちは水をばらまき、鍋に残った水で、今度は動物たちに水を振りかける。Gergyovdenの前には、家畜小屋を、魔術(magiya)とか、悪霊の目(uroki)から避けるために、花束で飾るほか、動物たちに捧げて、kurban(犠牲の動物)を屠殺する*。(*原注:著者が、53歳のLyudmila Angelovaから聞いたお話。

  ちなみに、Nedelino町とStartsevo村(注:Nedelino郡の南隣り、Zlatograd郡北部の村)との間の距離は、たったの5--6kmしかないが、このStartsevo村では、Gergyovdenの前に、銅製鍋(bakqr)を新しい水で満たし、フウロソウ(zdravets、ゼラニウム)の花を入れる。鍋の上には赤い糸で結んだナイフを置く。
  早朝、若い女性たちは、ハナミズキの枝を切り取りに行く。この枝は1本を帯に差し、1本は頭に花束のように載せる。
  鍋からフウロソウを取り除き、鍋に残った水で顔を洗う・・・・これは夏の間、頭が痛くならないようにとの魔除けだ。また、フウロソウの花束では、家畜小屋にいる家畜たちに水を振りかけて健康を祈る。
  Kurbanとしては、agne(子羊)を屠殺する**。(**原注:著者がStartsevo村の86歳のお婆さん、Emine Kyuvelchevievaから聞いたお話。)

  なお、この祭日には、多くの村々でブランコ(lyulki)を作る。クルミの木の枝に括り付けて、ブランコを作るのだ。また、koklyush(百日咳)を患っている子供たちは、クルミの木の根の間を潜り抜けさせることで、治せると言われていた。    


8.Yamur Duvas(Molba za dqzhd=雨乞いの祈祷)
(1)由来
  この慣習については、決まった期日は無いが、ほぼいつもHqdqrlez(Gergyovden)の直後に位置付けられる。ただし、春まきの種が発芽しないとか、秋まきの麦類が成長しない、などの旱魃の気配が濃厚な時に、実行される。

(2)習慣、風習
(ア)祈祷+犠牲の動物

  春の干ばつが続くとき、ムスリムたちは墓場であるmezerlq(メゼルルー、トルコ語辞書では、mezarlik=cemetry、graveyardとある)に出かけ、そこで雨乞いをする。ホッジャたちがyaamqr duvas(小生注:トルコ語辞書では、yagmur duasi=Ritual prayer for rain、村人たちが旱魃の時に祈りとして捧げる言葉、とある。)と呼ばれる特別の祈祷を捧げる。祈祷後には、kurbanとして、雄の動物を屠殺する。

  一部の村では、大干ばつに際しては、10--15匹のkoch(トルコ語、去勢されていない雄羊、ovenのこと) を集めて屠殺するという。屠殺する人物は、雨乞いに必要な祈祷に通じた人物だ。また、事前に地面に穴を掘っておき、この上で屠殺する・・・・こうすれば、血液が地面に吸い込まれて、血を踏むことも無く、かくして「魔術がダメになることが無い」からだ。屠殺された動物の皮は、墓石の上に置き、これを犬、猫、鳥などがついばんで粉々にするようにしておく。
  Kurban料理は、動物が屠殺された場所の近くで行う。全家庭からパンを持参越して、皆で共同しての祈祷的宴会とする。

(イ)蝶様の雨乞い
  旱魃に際しては、12--13歳の娘たちが、5--6つの集団で、古い民族衣装を身に着けて、ニワトコ(bqz)の花を腰と頭に飾って、スカーフを冠り、素足でkelebek(トルコ語で蝶々の意味)を踊る・・・Peperuda(ブル語:蝶々)、或はkepce kadin(注:kepceは虫捕り網、kadinは女性を意味するので、蝶々を捕まえようとするおばさん、或は蝶様と言う意味であろうか?)を演じるのだ。彼らは村の中の全ての家を巡り、その後墓場を3回巡り、死者たちの支援も得て、天に雨を降らせるように要請するのだ。
   (注:クリスチャンブル人の習慣でも、蝶様たち(娘たち)が雨乞いする風習があった:http://79909040.at.webry.info/201502/article_7.html を参照。)

(ウ)カルジャリ県の風習
  Kqrdzhali県住民たち(大半がトルコ系)は、石を水の中に投げ込み、生まれたばかりの幼児に水を振りかける。女性たちは、postni pitki(精進用のパン)をこねる・・・・小麦粉、塩、水のみしか使わない。または、トウモロコシ粉でパンを作る。このような精進パンとヨーグルトのみで、慎ましやかに御馳走する。

  近年の習慣としては、若い娘たちが「dudulki*」踊りをする・・・つまりこれは蝶様(peperuda)踊りで、雨乞いの踊りと言うこと。一人の娘の頭には、緑の葉っぱが積まれているのだが、黒いスカーフで括られている。彼女が先頭に立ち、後ろには、錫メッキで白い鍋をもって、この鍋には水を一杯入れて娘たちが続く。一部の娘たちは、キヅタ或はツゲの花束で水を振りまく。(小生注:蝶様たちは、鍋の水を降りまきながら、雨乞い踊りするのだ。
    (*注:希少語辞典にdudulayka=(方言)雨乞いをする娘たち、peperuda、とある。

(エ)共同事業
  雨乞いに関しては、最近十数年の傾向としては、ムスリムとクリスチャンが一緒にkurbanの動物を屠殺するようになった。なぜなら、雨は全ての市民らに必要で、宗教の差は大した意味がないからだ。

9.Pqndqk pateshまたは Pandqk odzha(Dobivane na nov ogqn=新しい火の採取) 
(1)由来
  ブル国内各地の農民、或は畜産農民たちは、旱魃、多雨、人間の病気、家畜の病害などと戦うために、相当古めかしい習慣、儀礼を実施することを強いられる。
  現代では、人間用の医学、或は獣医医学も相当進歩したので、何らかの人間の、或は家畜の伝染病に関しても、迅速な対処がなされうるようになった。しかし、在ブル・トルコ人の生活様式の中では、古い迷信が未だに生き残っている。(小生注:伝統と言うべきで、「迷信」などと言う用語を使うのは、差別的で、我々の感覚ではおかしいところがあるが、ブル人著者の発想としてはこういう無神経なところがある、と言うべきか。)

  この故に、家畜の病気、或は人間の伝染病において、下記のような新しい火を採取する、つまり新生活の象徴を得る、と言う習慣が存在している。

(2)風習
  この習慣は、2名の同じ名前(注:恐らく、first nameが同じということ)を持った女性が実行する:彼女たちは、古い火を消す。そして今度は、2名の同じ名前を持つ男性が、十字路に、川の側に、或は井戸のそばに立って、黙って、乾燥したハシバミ(leshnik、英語:hazelnut)の枝同士をこすり合わせる。根気強く擦りあわせていくと、やがて火がつく。火がついたら、この火種で、事前に積み上げてあった巨大な枯れ木(sqchki)の山に火をつける・・・激しく焚火が燃え上がる。その近くでは、もう一つの焚火にも火をつける。
  この二つの焚火の間を、家畜に通らせる。また、新しい火を得たので、燃えた木の枝を手にして、全ての動物の体に触れる。人間も二つの焚火の間を通るほか、焚火が弱まったら、勇気のある者は、焚火を飛び越える。その後、皆が残り火(zhar、炭火)を家に持ち帰り、自宅の火も新しいものと交換する。

(3)Pomakの習慣
  さて、Pomak住民たちの間には、人間、或は家畜の疫病(mor)、病気(bolesti)に対する治療薬(tsyar)として、新しい火を採取する、と言うような習慣は記録されていない。他方で、重大な伝染病に際しては、男性たちが村落の全ての方向から、巨大な焚火を立ち上げ、その上、枯れ木の上には、生木の枝も投げ入れて、より濃い、目に染みる煙を作り出すという・・・病気特に疫病(chuma)に対して、このような煙が、追い払う効果が大と信じられているのだ。

  また、疫病を宥めるためには、幼児を持つ母親たちは、いわゆるZaranulkaと呼ばれる食品を料理した。
  まず、母親たちは、穀物食品、ネギ、トマト、赤ピーマンを集め、これらを年配の女性に渡す。この年配女性は、村はずれの廃屋(捨てられた小屋もありうる)に行き、火を起こして料理を用意する。そこに、黒いスカーフを頭に巻いた女性たちが集まってきて、蜂蜜、或は砂糖を塗りつけたpitka(特製円形パン)を持参越す。
  集まった女性らは、持参越したpitkaから、それぞれ一かけらを切り取り、疫病用に残しておく。他方、老婆は自らが用意した料理で女性たちに御馳走する・・・各女性に対して2匙であり、1匙目は疫病の名前で呼ばれる。女性たちは、2匙を食べ終えると、上記の蜂蜜を塗ったパンの一かけらを残して、皆が一斉に、異なる方向へと急ぐ・・・このようにして、疫病が、誰を追跡しようか迷っている間に、皆が逃亡に成功するのだ*。
  (*原注:著者が、Startsevo村の93歳の老婆Ayshe Topchievaから聞いたお話
   小生注:この話の書き方では、Zaranulkaと呼ばれる食品が、pitkaのことなのか、或は、老婆が作った料理のことなのか、どちらか判定が難しい。しかし、pitkaでは、さほど特製食品とは言えないので、老婆が作った特別料理であろうか。しかし、この特別料理を疫病用にも小屋の中に残しておいたとは、書かれていないのだ。著者の記述は、精度を欠くと言える。)

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