ユダヤ人の祭日:前書き(その二)

   さて、前書きのその二です。

(3)ユダヤ教団の聖なるモノ(アイテム)
  ユダヤ教団の聖なるモノとしては、①モーセ五書、②Tora(トーラー)の巻物(Torah Scroll、http://www.chabad.org/kids/torah/default_cdo/aid/333007/jewish/What-is-a-Torah-Scroll.htm)、③Ester(エステル)の巻物(Book of Esther、http://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Esther)、④書物の肉筆版、⑤王冠(korona)、⑥儀式用の盃、⑦角(つの)、⑧mezuza(メズーザーと呼ぶ金属製の容器)、⑨tefilin(トーラーの言葉の一部を書いた一種の皮革製の容器)、⑩祈祷書、⑪信仰上の教訓が刺繍された長い皮革製のテープ、がある。

(ア)モーセ五書
  「モーセ五書」とは、モーセによって書かれたユダヤ教の根本的なドグマ(教義)を示す書で、「創世記」(ブル語:Bitie)、「出エジプト記」(Izhod)、「レビ記」(Levit)、「民数記」(Chisla)、「申命記」(Vtorozakonie)のこと。羊皮紙に書かれた五書を巻いたローラー(麺棒)のことを、古い習慣に基づきユダヤ人達は、「生命の木」と呼ぶ。五書は、ホタルブクロ属の草による六角形の冠状の装飾で飾られる。ちなみに、六角形は「ダビデの星」を象徴している。

(イ)トーラー
  「トーラー(モーセ五書+これに関するrabbi達による解説、コメント)」をシナゴーグにおける礼拝時に持ち込み、これの一部を読み上げるときには、大いに盛大な調子でこれを演技・実演する。また、トーラーを箱の中から引き出す権利を得るためには、信者たちは入札でこの権利を買い取った。そしてこの入札で得られた資金は、その集落におけるユダヤ社会の必要資金に充当された。また昔は、シナゴーグこそが、ユダヤ人共同体にとっては、宗教的、精神的、社会的生活のセンターであった。

(ウ)エステル記
  「エステル記」は、Megila(メギーラ、Megillah)とも呼ばれ、羊皮紙の巻物に書かれた書物で、Esther(ペルシアの王妃となったユダヤ人女性)と、孤児のEstherを自分の娘として育てたペルシア人のMordecai(Mordechai、或はMordekhay、或はブル語でMorodohay)のお話だ。この巻物は、特別に細工を施した筒状の容器に保管されている。全ての家族は、このメギーラを保有する義務があり、それぞれの家族の懐とか好みに合わせて、木製、銀製、金メッキ製、宝石装飾付き、偽宝石装飾付き、などいろいろの種類の容器に保管されている巻物を所有する。エステル記そのものは、旧約聖書の中の一部としても入っているが、貴族Mordecaiと姪のEstherがいかにSusaに所在したペルシア宮廷の中で行動したかに関する伝説を伝えている。特にPurim祭・・・・2月の祭日で、これは紀元前426年に、ペルシアの君主Artakserksから、ユダヤ人達が解放されたことを祝う祭り・・・の時に、この伝説は読み上げられる。
  メギーラは、枝とか花などの色々なテーマ、デザインで飾られる。裕福な求婚者(godenitsa、フィアンセ)は、自らの婚約の贈り物として、銀製のメギーラを作成させたりした。ちなみに、ソフィア市の歴史博物館では、1897年に婚約贈り物として提供されたメギーラを見ることができる。

(エ)メズーザ
  もう一つのユダヤ教団の伝統的なモノ(アイテム)としては、mezuzaがある。このモノは、五書の祈祷文の一つの最初の幾つかの言葉を含む。実物としては、金属製の容器であり、全てのユダヤ人家庭で、これを保有することは義務的だ。シナゴーグでは、入り口の門の脇の方の枠にこれが懸けられている。ユダヤ人達は、メズーザが自分たちを過ちから守ってくれるし、悪い聖霊たちを追い払ってくれると信じているのだ。この容器は、植物性の、或は幾何学的な模様で飾られている・・・例えば、鳥の形とか、冠・碑文の図形とか、ダビデの星とか、二匹の相対して立つライオンとか、その他の動物など。

(4)神によって選ばれた民
(ア)仏人Belonの記述

  1546年、仏自然科学者兼医師のPier Belonが、仏の外交使節団員としてConstantinople(現在のIstanbul)に到着した。同人は、コ市への道中多くの国を通過し、その中には、ブルガリア地方も入っていた。そして、その紀行文で、当時の広大なオスマン帝国に居住するクリスチャン、トルコ人、ユダヤ人、その他のエスニック集団に関し、興味深い観察を記している。特に興味深いのが、ユダヤ人達に関する同人の観察記録だ:

  「イスパニア、ポルトガル(すなわちIberia半島)から追い払われたユダヤ人達は、トルコの国内で自らの文化をしっかりと発展させたので、ほぼすべての種類の書物をユダヤ語に翻訳してしまっている。その上彼らは、スペイン語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語、ドイツ語でも出版している。彼らは4--5種類の言語を知っていて、話せるし、一部の人々は10--20もの言語を話せる。
  イスパニア、ドイツ、ハンガリー、ボスニアから亡命してきた人々は、これらの元来の母語を子供らに教えるほか、現在住んでいる地域に住んでいる人々の言語も覚えるのだ・・・例えば、ギリシャ語、トルコ語、アラビア語、アルメニア語、イタリア語だ。しかし、ほとんどのユダヤ人は仏語を知らない。なぜなら、仏人とは商売していないから。ユダヤ人はそもそもが商業民族で、それ故に昔から、数か国語を知っていた。このことは、昔から歴史書などにもよく書かれていることだし、聖書にも書かれていることだ。すなわち、ユダヤ人達が、色々な外国から五旬祭を祝うためにエルサレムに戻ってきたとき、我々の主の使徒たちは、Galeliyaの土地から一歩も出なかったし、他の言葉を話すこともできなかった。唯一喋れたのは母国語であるユダヤ国の言葉のみだった。ところが突如、この日から、各使徒たちは、地上の全ての言語をしゃべり始めたのだ。そしてその場に居合わせたユダヤ人達は、このことを本当に不思議がった。使徒たちが、色々な言葉で話すのを聞いて、人々は、あなたたちはGalileyaの人間ではないのですか?と聞いた。とはいえ、我々の誰もが、自らの祖国の言葉を聞けるのだ。・・・これらの話は、使徒たちの伝記に記されている。

  さて、ユダヤ人達は、トルコのあらゆる種類の商売を手掛けている・・・なぜなら、彼らは地方の州からの徴税権に関して、一番高い値を約束するからだ。また、塩への徴税権とか、船舶への乗船・積み荷(boarding)の権利なども、高値で買収する・・・。これらの複雑な商売をこなすために、彼らは商売相手の言葉を学習することに努めるのだ。ユダヤ人達は、巧妙な詐欺的手法も駆使する・・・例えばイタリアに行くときは、白いターバン(ブル語:tyurban、英語:turban)を頭に付けて、自分自身をトルコ人のように装う、なぜなら同地では、トルコ人の方がユダヤ人よりも信用されるからだ。普通の旅では、ユダヤ人は黄色のターバンをかむり、クリスチャンたちは緑っぽい青、或は雑色のターバンをかむるが、トルコ人達だけは白のターバンなのだ。    (小生注:この当時の観察では、クリスチャン、ユダヤ人らも、それぞれ白以外のターバンを冠っていたということらしい。これは驚きだ。)

  この旅では、何度もユダヤ人と取引を強いられたし、何度も彼らの元を往訪した。そして分ったことは、彼らは一番繊細な民であり、しかも一番抜け目のない(lukav)民なのだ。彼らは、トルコ人、ギリシャ人、仏人らが屠殺した肉は絶対に食べないし、クリスチャン、或はトルコ人によって作られた脂肪系食品類(maznina)も食べようとはしない・・・。
  一部のユダヤ人は、クリスチャンの奴隷を保有している・・・男も、女も・・・そして、彼らには土曜日に色々な仕事をさせる・・・例えば、印刷所、或は商店で。また、クリスチャンの女性と交友する者もいる・・・まるで、彼らと血が混ざることに何らの問題も存在しないがごとくに。しかし、他のユダヤ人は、このようなことは異端の行動であると否定する。良心的なユダヤ人は、外国人女性との性交は禁止されるべきだと欲している。もっとも、もし同じユダヤ教の奴隷女性がいるのならば、彼女を使うことは構わないという・・・。」
   (小生注:ユダヤ人達は、金曜日の夕刻以降土曜日夕刻までは勤労できないから、土曜日には、奴隷たちに商売をやらせたほか、女奴隷との性交を楽しむ場合も少なくなかったということらしい。)

(イ)仏人Kuzineriの記述
  なお、1770—90年代のSalonica市のユダヤ人達に関し、仏人旅行家Espri Mari Kuzineri(注:この仏人に関しては、http://79909040.at.webry.info/201502/article_5.htmlの25.Eremiyaの日の項を参照)は次のようにあまり知られていないことにつき描写している:

   「Salonica市には、外見的には既にトルコ化したが、実際にはモーセの宗教への帰依を継続しているらしい、多くのユダヤ人が存在するという。この故に、彼らにはdyonme(注:ドョンメ、アクセントはメにある。トルコ語で、イスラム教に改宗したクリスチャンのこと。ここでは、ユダヤ教からの改宗者だという。)と言う名称が与えられている。すなわち、嘘の改宗ということだ。彼らのセクト(宗派)は、約100年以上前に、Salonica、及びConstantinople市のrabbi(これは英語、ブル語:ravin、ユダヤ社会の宗教指導者)たちの間で大論争が生じた時、ユダヤ教から分かれたらしい。彼らdyonmeたちは、約500家族で、ムスリムサイドからは色々と彼らを本当のイスラム教へと導こうとする努力がなされたにもかかわらず、結局は本当のイスラム教徒として帰依することも無かったという。彼らは、ジャミンを往訪し礼拝してはいるのだが、Salonica市における全体的な意見としては、本当は彼らは未だにユダヤ人で、トルコ人の振りをするのは、自分たちが他のイスラエルの民から分派した教義に忠実に、しかし平穏に暮らすための方便だと言われていた。
   Murad II(http://en.wikipedia.org/wiki/Murad_II)がSolun(Salonica)市を征服して以来、ユダヤ人達は、スルタンの軍隊の軍服用生地(suknoと呼ばれる厚手の羊毛による羅紗)製造の権利を独占し、優遇されてきたのだ。

(ウ)英国人Brownの記述
  英国人弁護士で旅行家のHenry Brownも、ユダヤ人について証言を残している。同人は、1634年にオスマン帝国内を旅行した:
   
   「自分が知りたいと思った主要な宗教共同体は、ユダヤ人達だった。彼らに関しては、クリスチャンたちからは、理解するというよりは、初めから汚名を着せたり、嫉妬に満ちた視点で描かれたりしていて、公平な記述が少ない。そもそもユダヤ人達の当初の職業は、羊飼いであり、羊たちの悪意のない生活ぶりが、彼らの性格ともなっていたし、更に自由な時間を多く与えられたことで、そのおかげで後にカナン(ブル語:Hanaan)の土地に定住した時に実現することができたような、階級制を学ぶことができた。然るに、必要性は変化をもたらすのだ。その上、外国人との交流の中では、嘆かわしい運命が待ち構えていたので、羊飼い時代のような純粋な知恵に戻ることは不可能となった。何度も外国人により奴隷とされ、その状況の中で苦労を強いられ、元来は善良な羊飼いとか農民であったのが、今日では商人、仲介人、詐欺師となってしまったのだ。
    (小生注:商業そのものですら、当時の英国人は悪行の一つと考えていたらしい。)
  
  もちろん、上記のような変化には、彼らの宗教の影響もある。この宗教は、過去においても、現在でも、彼らに対して、他の民族以上に、知恵の回転でもって自助すべきであると要求するのだ。従って、この宗教が彼らを、その迫害下にある状況にもかかわらず、計算不可能なほど途方も無い富の蓄積へと駆り立てるのだ・・・彼ら自身が次のように語っているのを聞いたことがある、すなわち、この富の蓄積こそが、神からの祝福の証拠だというのだ・・・。彼らは、全体として、この世界で、最も柔軟で、動きの早い(変わり身の早い)知恵を保有しているのだ。なお、このような性向は、部分的には彼らの祖先以来の、鋭い知恵にもよっている。また、モーセが強いたダイエットの習慣も、これに資するようだ・・・断食は、血液を浄化し、精神的にも鍛える効果*を、何世代にもわたり発揮してきたのだ。彼らの一部では、新約聖書を悪意を持って解釈する・・・キリストの奇跡を否定するためにだ。聖書の中で、彼らが一番嘲笑する箇所は、パスハに参加するためキリストが、その死の数日前にエルサレムに赴いた時、同人の親戚とか、弟子たちが、まだキリストのことを信じていなかったという点だ・・・・。
    (*小生注:断食が「血液を浄化し、精神的にも鍛える効果がある」と言うのなら、イスラム教徒たちにも、同様の効果があって、優れた人々となっているはずだが??
  
  ある時自分は、Shabbat(英語:Sabbath)の日に、Nish(注:セルビア東部の町)の町を数名のラビ(rabbi)たちと共に散歩していた。うち一人は、特に皆の尊敬を集めていたSofia市シナゴーグの長を務めるラビであった。自分は同人に対し、キリストはあまりにも穏健な形で、あらゆる圧政者に対して抵抗したので、神の慈悲に授かるには、十分な貢献をしていないと言うが、それは事実か?と問うた。これに対し、同人は、若干結論を捻じ曲げて次のように述べた:「キリストはこの世に着いた時、既にその世界はローマ人によって征服後であった。ローマ人たちの過酷な戦勝と、その後の徹底的な隷従下で、現地のほとんどの民族の精神はへし折られていた。この故にキリストは、同人生誕以前に栄えていた自然崇拝の宗教ほどにも、自分の宗教を英雄的な事業に基づいて樹立することができなかったし、まさにこの逆に、穏健で平和的な宗教として、へし折られた精神の中に浸透していったのだ・・・」。

  その後、同人は、Kabbalah(ユダヤ教神秘主義の書:http://en.wikipedia.org/wiki/Kabbalah)の歴史について語った:「カバラーとは、伝承と言う意味で、即ちある時代から次の時代へと伝えていく手法を意味するのだ。更には、Adamが堕落した時に失った知識と言う損失を一定程度補填することを意味している。これらの知識は、神によってその後4回にわたって再発見された。

  最初は、Adamが天国から追放されて、非常に落胆して座っていた時で、神様はRafael大天使を派遣し、慰めた。その時Adamは、自分の悲嘆の根本原因は、実は造物された者が、その創造主に対して感じている依存性とか、被造物者としての自分たちの間における交流とか、そういうことに関する知見を失ったことにあることを発見した。歴代の法王たちは、旧約聖書を新約聖書と整合するようにと、旧約聖書をすっかり壊して、拡大解釈して、或は変更してしまい・・・・それを基礎として自分たちの市民的制度、教会組織としての制度を建設した。

  カバラーは、伝統に基づいて何世紀にもわたり伝承されてきたが、その中で、ノアの洪水(potop)とか、Babelの塔(babilonskoto stqlpotvorenie)などの教訓が失われていた。その時、もう一度神は、これらの教訓についてモーセに開示された。エズラの第3書には次のように書かれている(14:5—6→小生注:例のhttp://www.jw.org/ja/サイトで調べてみたが、エズラ第三書と言うのは存在しないし、14章と言うのも存在しないので不明。1982年版のブル語聖書の1186頁だという):「その時多くの奇跡が訪れ、時間とその終わりに関する秘密を開示し、最後に次のように命じた『この言葉は皆に教えなさい、他方、他の言葉は隠しなさい』。モーセはこれらの奇跡、創造、戒律、教訓などをエジプトから逃げてきたイスラエルの民に開示した。他方、時間の終わりに関する秘密に関しては、モーセはイスラエルの70名の君主に対してのみ開示した。その上、これらの伝承もやがて失われてしまった・・・。

  そこで神は、第3回目としてSolomon王の夢の中で告げた。Solomon王に関しては、時間の初めと終わり、そして中間を知っていたと言われている。故に、同人は、この知識を元に、色々なことに関し、多くの書物を書いたという。しかし、これらすべては、その後の幽囚の時代に失われてしまった。
  
  そこで、とうとう最後のチャンスとして、神はエズラに対し、開示した。エズラとその書記たち40名に対し、40日間閉じこもるよう命じて、この期間内に彼らは204冊の書物を書き上げた。最初の134冊については、神は著名人、非著名人を問わず、皆が読むように命じた。残りの70冊に関しては、国民の間の賢人たちの間にのみ配布すべきと命じた。まさにこの最後の70冊こそが、カバラー的な書籍とされ、それらの全ては、未だに失われてはいない・・・。

  神から与えられた全ての祝福の中で、ユダヤ人達は「成長し、増やしなさい」と言う言葉を一番好む。(注:先にあった、「産んで、増やしなさい」ではなく、ここでは「成長」となっている。)

  シナゴーグには一つの隠し棚があり、ここには神の命令書が保管されており、これは時折引き出され、キスされる。種々のメロディーの歌を歌い、エホヴァの名前には、本格的な祭典の時にしか言及しない。割礼の際には、少年たちにダビデの讃美歌を大声で叫ばせる・・・この大声を怖れて、幼児たちは泣き出す・・・。ユダヤ人達は、女性がシナゴーグ内に入ることは許さない、彼らには外の回廊の一部があてがわれる。
    (「英国人のバルカン半島旅行記」、1987年発行、128—133頁。)

(エ)英国人Alexanderの記述
  ユダヤ人女性たちの衣装の美しさに関しては、1826--29年に旅行した英国軍人James Alexanderが、次のように記している:
   「ピクニックの時、ユダヤ人達と出会った。彼らは主としてスペインからの亡命者たちで、オスマン帝国へと亡命を許された人々だ。Adrianople(注:Edirne市)から来ていたユダヤ人達が一番外見がよく、特に女性たちはイスラエル人の中でも美人ぞろいだった。男性の衣装はトルコ人達と変わらないが、一つ異なるのは頭に鐘のような形の黒い帽子を冠っていること。女性たちは、美しい色とりどりの円錐形のターバンを付けている(ここでいうターバンとは、女性用の帽子の意味で、スカーフで顎の下に止めてある)。ペチコートは腰のところで絹の帯で止めてある。この帯は、前のところで、金と宝石で作ったバックルで連結されている。彼女たちは、我々の前でも、別に(乳房を)隠すことなく平気で子供に乳を与えた。ソファーに腰を下ろすと、長いパイプ(chibuk)とコーヒー、ジャム、水などを持ってきた。テントは普通あずまや(asma)の下などに設けられた小さな空間で、床には座布団が敷かれていて、ここで人々は神に対し、自分らの父親への御加護を祈るのだ。」
     (上記の1987年発行の書、715頁。)

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