ユダヤ人の祭日:過ぎ越し祭と五旬祭

  ユダヤ人の祭日の続きです。今回は、7--8.の2件をご紹介します。

7.Pasha(ブル語ではパスハ、ヘブライ語ではPesach:ペサハ、日本語:過ぎ越し祭、英語:Passover)
(1)由来
  ペサハ(過ぎ越し)は、ユダヤ歴Nisan(第1月)の14日に始まり、21-22日に終わる。普通は、グレゴリオ暦の3月末~4月初めに相当し、故に、キリスト教の復活祭に相当するお祝いだ。
  この祭りは、ユダヤ民族の誕生と結びついている。聖書に記された歴史に基づけば、ユダヤ民族がヤコブ、ヨーシフ(ヨセフ)に率いられてエジプトに避難したものの、同地で厳しい隷従生活を強いられた。そこで、神がユダヤ民族を救出し(戸口に羊の血で目印を付けたユダヤ人の家を「死の天使」が「過ぎ越し」て、各家庭の第1子を殺せとのファラオの命令からユダヤ人の幼児は逃れることができた)、モーセが率いる「出エジプト」(紀元前1300年頃)により、エジプトにおける隷従状態から解放されたことを記念するものなのだ(http://en.wikipedia.org/wiki/Passover)。

(2)歴史と種無しパン
  一部の歴史家たちは、この出エジプトのエピソードは、エジプトのファラオ(Pharaoh)であるラムセス2世(Ramesses II、http://en.wikipedia.org/wiki/Ramesses_II)の頃の事件とみる。このファラオはアブ・シンベル神殿の造営で知られる。
  すなわち、ユダヤの民が奴隷として、無慈悲な労働を強いられたのが、このファラオの時代と見られているのだ。
  アロン(Aaron、モーセの兄)とモーセ(Moysey)の指導の下、ユダヤ人達はエジプトにおける隷属から脱することができ、紅海をまるで普通の地上のごとくに渡りきることができた。他方、ファラオと同人の軍隊は、海水に飲み込まれてしまった。・・・まさにこの出来事をユダヤ人達はペサハの祭りで祝うのだ。出エジプトを急ぐために、イースト菌・または酵母(maya)でパン生地を膨らませる暇も無く、膨らまないままのパン生地を焼いた・・・そのパンをmatsot、或はmatsa'と呼ぶ(注:英語ではmatzo=種無しパン)。マーツォは、1--2㎝ほどの薄い皮のようなパンで、暑く熱した石の上で、種無しのパン生地を、急いで焼いたものだ。エジプト脱出への旅立ちを急ぐユダヤ人家庭で、皆が慌てていたので、このような応急的なパンを焼いたのだ。ペサハの期間は、現代でも、7日間は、ユダヤ人達はこのマーツォを食べるのだ。

(3)イースト菌・酵母を避ける戒律
  なお、この祭日期間の始まる前には、即ちNisan月の14日以前には、今日のユダヤ人家庭では、自分の家から、maya(パン種=barm、イースト菌=yeast、或は酵母=leaven)と混ざったらしいすべてのものは、これらを焼き捨てる。料理用のペチカ、オブンなどは、全て赤くなるまで熱して、火でお清めする。ペサハの期間中は、どのユダヤ人も、自分の家の中に、mayaを含む食品、飲料などを置いてはならない。モーセの時代以来守られてきたこの戒律を守らない者は、重い犯罪を犯したと見做される(Yom Kipur祭に際して、断食を守らないことも、犯罪と見做される)。昔は、この戒律に違反した者は、ユダヤ人社会(共同体)から追い払われたという。
  (注:イースト菌、酵母入りの練り粉のことをユダヤ教ではハーメツ(英語:hametz、或はchametz、ブル語:hamets)と呼び、これで作ったパンとか、ハーメツづくり用の用具類は、ペサハの期間中、厳しく食用、使用を禁じられるという。)
     
(4)ハーメツの忌避が、工房の一時貸与に発展
  イースト菌・酵母を忌避することから、ハーメツに関わる全てが忌避されることとなり、パン屋、スイーツ屋などの職業を営むユダヤ人達は、このペサハの期間中は、その工房を非ユダヤ人達に一時的とはいえ、譲渡するという風習さえ生じた。この、一時的な工房の貸与、或は形式的な一時的売却という形式の仲立ちは、rabbiたちの役割となった。

  地元のrabbiは、工房の賃借り人を雇うとか、或は工房内の全ての所有物に関する一覧表を作って、全てを一時的に信用できるクリスチャンに貸与、売却するという行為の仲立ちをした。この祭日期間が過ぎれば、工房は再度rabbiに返還され、短期間貸与を受ける、或は買い取る役目を演じたクリスチャンは、その行為に関し、若干の利益を与えられた。そしてもちろん、工房の所有者らは、祭りが終わったら、その所有権の返還を受けるのだ。

  なお、このように、店ごと一時貸与することから、かなりの家族は、ペサハの期間のみ使用するために、特別のキッチン用品を所有していた。もし、普段も使用しているキッチン用品をペサハ期間にも使う場合には、灰、或はソーダを入れた水で、これらの容器を沸騰消毒した。エナメルメッキがはがれた容器とか、傷がついた陶器などは、決してペサハ期間には使うことを許さない。

  (ペサハの期間中)料理に使用可能なのは、アヒルの脂肪だけだ。また、スープの肉もアヒルだし、挽き割りカラスムギ、或は米を使う料理も、アヒル肉か、アヒルの脂肪で料理する。
  パンは食べず、その代わりに、種無しのboyoと呼ぶものを焼く・・・これは、楕円形の、厚さ2--3㎝程度の薄焼きだし、もう一つはmunuzaという薄い、四角形の皮だ。この皮は、水に浸したのちに、色々な料理用に使用される。
  マーツォ類が、パスタ類、米などの代用品となるし、ペサハ期のスイーツであるBurmuelosもマーツォで作る。卵は、茹でる際にタマネギの断片を入れることで色付けした、固ゆでのゆで卵を食べる。

(5)料理、習慣
  祭日の宴会料理としては、boyoを3枚重ねて出すほか、卵焼き、羊の肩肉に詰め物した料理、マルーラ(marulya=ロメイン・レタス)の葉、セロリ(kerviz)、お酢を入れたコップ、ドライ・フルーツの粥が並ぶ。食卓は、白いシーツで覆い、皆が手を洗って、家長が唱える祈祷を聞く。家長は、シナモンを付加したお酢に浸したセロリを食べて、祈祷を続ける。中くらいのマーツォをナプキンに包み、子供の肩にかける。その後、夕食が始まる・・・。朝になると、シナゴーグでの礼拝後、水でふやけさせたマーツォ、卵焼きで朝食をとり、mastika酒を飲む。

  *初日の夕食は、(最後の)ハーメツで焼いた新鮮なパンと、ヨーグルトで始められた*。8日目には、礼拝後子供たちは、草を採取する。父親たちはこの草を頭に乗せ、子供たちを祝福する:「どんどん成長せよ、野原の雑草のように、生き生きと、健康に」。
   (小生注:*—*の部分は、この祭日の期間ハーメツが厳しく忌避されるという記述と背反しており(初日の夕食にもハーメツは許されないはずだ)、小生には理解不可能だ。ヨーグルトも乳酸菌で作られる食品であるが、昔は酵母と乳酸菌が区別できたかどうか。よって、この部分の記述は全く謎だ。)

(6)Haroset(料理名)など
  『気質の歴史(Istoriya na nravite)』(第1巻)に描写された、全世界のユダヤ人Diasporaたちが、この祭日をいかに祝ったかの様子は次の通り:
   「復活祭(ペサハのこと)の料理は、きちんと定められた順序で推移していく・・・。ワインの他には、これには6つの儀式用食品が含まれている。①mayaを使わないパン3個・・・マーツォと呼ばれ、しばしばイスラエルから輸入される。昔、信心深いユダヤ人達は、最新の収穫物である小麦をきちんと保管し、最後の段階でこれを粉に挽いて食用とした。

  ナプキンで包まれたこの3個のマーツォの上には、残りの5つの食品がが置かれている:②ペサハ用の子羊肉、或は他の肉、例えば鶏の胸肉。③子羊の血・・・これで家の敷居を濡らす。なぜならこれはこの家族の先祖の、最初に生まれた子供を「死の天使」から守ったから。④塩水の中で殻をむいた、固ゆでの卵。⑤野菜類・・・タマネギ、セロリ、苦い香草(marulya=ロメインレタス、或はhryan=西洋わさび)、なぜなら、エジプト人の親方たちの鞭(むち)で縛られた生活は苦(にが)く、苦しかったから。更には、荒野で飲んだ泉の水は苦かったから。⑥そして最後には、harosetというseder(注:セデル:出エジプトを記念し、過ぎ越しの夜と次の夜に行う祝祭のこと。晩餐の際には脱出物語=Haggadahを朗読する由)に際する料理・・・クルミ、アーモンドの粉で作ったパン生地、ワインの中で細かくしたリンゴ、から成っている。実はこの混ぜ物は、エジプト時代にユダヤ人達が捏ねなければならなかった煉瓦用の「モルタル」を象徴するという(http://www.myjewishlearning.com/holidays/Jewish_Holidays/Passover/At_Home/Food_and_the_Kitchen/Haroset.shtmlを参照。)。

  ペサハの最初の夕刻には、扉を開いたまま、家族的なサークルで夕食をとるが、時には多くの家族が集まる・・・帯をきつく締め、まるですぐに出かけるかのように。夕食には、4杯のワインを注ぐ。5つ目の盃は、ペサハの食卓の上に置く・・・このワインは預言者のエリヤ(ブル語:Iliya、英語:Elijah、http://en.wikipedia.org/wiki/Elijah)のみに捧げられている。エリヤは、全イスラエルが待っていたメシアの到来について予言した。祝福の祈りの後、手を洗い、パンを砕く。その時4つの儀式的質問を子供たちから出されることで、夕食は中断する。この子供は男の子が好まれる・・・これは家族の父親が、この夜と他の日の夜の違いを想起し、祭日の理由とか、その要素に関し説明し、この伝説的な出来事に関連するテキストを読み上げ、それを祝う行為が更にこの後7回の夜に及ぶことにも言及する機会となる。一部のユダヤ人共同体では、現在は5杯目のワインは、ナチスによるホロコーストを記憶するために飲まれる。この行為は、未だに罪人扱いされているユダヤ人の救出、或はその存在こそが解放の印であるイスラエル国の存続、を願う希望の象徴として行われる。
 
  最初の晩、家長は、葦を祝福するための祈祷を読み上げる・・・葦は、昔ユダヤ支族(複数)が居住地とした地域で重要な役割を果たしたし、そこでは記憶さるべき色々な出来事が起きたのだ。2番目の夜からは、omera(英語:omer)の計算が始まる。Omeraとはmana(ブル語:mana'、英語:manna、日本語:マナ・・・神が荒野のイスラエル人に与えた特別の食べ物)を荒野の中で集めるときに使われた計量単位。この計算には50日間もかかったという。丁度次の祭日Shavuotの日まで(注:http://en.wikipedia.org/wiki/Counting_of_the_Omer。ペサハ2日目から49日間を毎日数えていってShavuotに至る、1日毎の計算をomerの計算と呼ぶという)。
  ペサハ終了後の土曜日には、またもや父祖たちのEtika(戒律)、即ちTalmud書の一部が読み上げられる。
  ペサハ祭の最後には、人々は次のような挨拶をかわす:「来年にエルサレムでお逢いするまで(御機嫌よう)」と」。
  
8.Shavuot(シャヴオット、ブル語:Petdesetnitsa、五旬祭、古代ギリシャ語:Pentecost=聖霊降臨祭)
(1)由来
  Shavuot(http://en.wikipedia.org/wiki/Shavuot)は、ペサハの一種の終了儀式だ。なぜなら、ペサハ終了後7週目、omerを計算し始めてから50日目に当たるから。5月末~6月初めのSivan月(第3月)の6日目に祝われる。また、これは礼拝の祭日でもある、なぜなら昔はエルサレムの神殿で祝われたから。

(2)この祭日の実態としての3つの祝い
  この祭日には実は3つの意味がある。
  まず第一には、(秋まき小麦の収穫がこの祭日とともに始まるし、この時皆が2個のパンを受領するのだ。

  第二には、最初の果物の日としても祝われる・・・Bikurim(最初の果物、英語:Bikkurim、http://en.wikipedia.org/wiki/Bikkurim_(Talmud)。)と呼び、神殿で神への感謝のしるしとして配布された、すなわち神がこの「蜂蜜と牛乳が流れる国家」をイスラエルの民に与えたことへの感謝の念だ。神殿に果物を持参する習慣は、神殿が破壊されたのち70年後に停止されたが、イスラエル国家が成立後、再度復活された。イスラエルではこの日に、「国家ユダヤ基金」のために、自主募金が集められ、この基金の資金で、古代の昔祖先たちが所有していた土地を買い戻すのだ。もっとも、イスラエル国外では、蜂蜜と牛乳で作ったスイーツ、チーズ、そして三つの角に中身を詰めた特製kifla(小型パン)を持参するだけだ。

  第三の祭日の意味は、シナゴーグを花と緑で装飾する日と言うこと。これは、緑が深まったシナイの丘で、Tora(Torah、Tanakhの最初の五書、http://en.wikipedia.org/wiki/Torah)及びAppo Mundi(注:「神がイスラエル国のために行ったすべての祝福と、介入の言葉を要約した戒律」とこの著者は説明しているが、google検索で見付からない不明語だ??)が公表されたこと(紀元前2448年6月6日、土曜日)を祝うのだ。習慣としては、この日に美しい収穫婦のRuth(ブル語:Rut、日本語:ルツ)に関連する話(聖書のルツ記)を何度も読むことがある。ルツは、畑の所有者Boazと結婚して、David王の祖先となったのだ。そしてダビデ王はShavuotの日に(紀元前837年頃)生れたという。このお話を読み、偉大なダビデ王に関する賛美歌を歌うのだ。

(3)在ブル・ユダヤ人固有の風習:種無しパンをまた作った
  ブル在住のユダヤ人達の一部の間には、次のような確信が存在する、即ちまさにこのShavuotの日に、モーセは神が自ら書いた十戒をシナイ山山上で受領した(紀元前1512年頃)のだと。また、母親と夫たちが協力して、7種類の種無しパンを作っていたという・・・7つの天の形、柱とか、書物、鳥、ランプなどの形で。(注:7つの天については、http://en.wikipedia.org/wiki/Seven_Heavensを参照。)

(4)ユダヤ人がパンに抱く深い敬意
  ユダヤ人達はパンに対して大いに敬意を抱いていたという・・・パンの小片が落っこちると、これを拾い上げてキスしたという。食事の際には、家長はパンの小片を塩に付け、感謝の祈祷を唱えた。今でもソフィア市のシナゴーグでは、土曜日の典礼後、食卓に皆が集まる。食卓上には、パン、マーツォ、果物、野菜、牛乳、一杯のmastika酒が並んでいる。食事を始める前に、rabbi或は詩編歌手(psalt)が、パンに関する祈りを捧げ、ようやくその後座って食事を開始するのだ。
  ちなみに、ユダヤ人の間における一番強い誓約の言葉は:「神のパンにかけて誓う」、或は「パンが自分を盲目とするように」など。 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

この記事へのコメント

小澄壮太朗
2015年04月13日 11:26
突然のコメント失礼いたします。
日本で「和風総本家」というテレビ番組を制作しております、
小澄壮太朗と申します。

只今弊社の番組で「世界で見つけたMade in Japan」という企画をしておりまして、
今回ブルガリアにお伺いしようと考えております。

企画の概要としましては、日本で作られた製品・商品が、遠く離れた異国の地で、
大活躍しているといった事実を追い求め、
その現場を取材するといった流れの番組構成です。
特にブルガリアで作られるヨーグルトに関連するMade in Japanを探しております。
例えば・・・・

有名な~~(場所・建物)で
 実はニッポンの○○という素材・技が 使われている

◆○○美術館では、その壁面の修復に日本の漆喰の技術が使われている

などです。

※ブルガリアにある日本料理屋さんや、現地の日本人が使用している日本製品ではなく、
現地の方が何か理由があって使用している日本製品を探しております。


お心当たりがございましたら、ご連絡いただけたら幸いです。


 テレビ大阪「和風総本家」AD 小澄 壮太朗

  東京都中央区築地1-13-14 NBF東銀座スクエア6F

  TEL : 03-3543-7705/FAX : 03-5550-7227

  Email : wagu137@yahoo.co.jp
2015年04月14日 10:56
小澄様へ、
  小生は05年にブル滞在を終えた後、ブル国には行ったことが無いので、分りません。この番組は時折見ており、面白い番組とは思っています。
  現在ソフィアに住んでいて、ブログを書いておられる方に連絡してみてはいかがでしょうか?
  http://blog.goo.ne.jp/moochiekawaguchi  です。
mugi
2015年04月18日 20:31
こんばんは。

 モーセ以来のイースト菌・酵母を避ける戒律を守り続けているユダヤ民族はスゴイですね。様々な国家や民族、宗教が興亡を繰り返した中東世界で、例外的に古代から生き残ったのがユダヤ人なのも納得させられます。尤も現代イスラエルには、チーズバーガーを食べるユダヤ人も一部にいるそうです。肉類と乳製品を同じ皿に盛るのは戒律違反だし、チーズバーガーを扱う店について、選挙の争点になることも あるとか。

 聖書にはユダヤの民がエジプトで奴隷として、無慈悲な労働を強いられたと記載されていますが、これは誇張と歪曲でしょうね。無慈悲な労働を強いられたはずなのに、ユダヤ人の人口は増えていますから。
 豊かなエジプトには方々からの異民族が移住しており、ユダヤ人もそうでした。他の異民族は同化しましたが、ユダヤ人だけはそうではなかった。だから次第にエジプト人から嫌われるようになったのです。
2015年04月19日 10:24
こんにちは、
 小生がベラルーシで暮らしていた頃、小生の暮らしたマンションの部屋は12階だったかの高層部にあり、北側の窓から見える、平屋の小さい住宅みたいなのが、実は小型ながらシナゴーグでした。真下は、駐車場で、その先にあったのがシナゴーグ。しょっちゅう顎鬚が長く、黒い帽子と衣服を付けた僧侶が何名も出入りするし、信者も集まるし、賑やかで、好奇心をそそられました。確かに、ソ連解体後のベラルーシでも、出ていくものは拒まずと言うか、移民がほぼ自由化されたので、イスラエルへと移民していく人も多かったのですが、何とかベラルーシにおけるユダヤ人コミュニティー、文化などを維持しようと頑張っていました。このシナゴーグも、小さいながら、ミンスク市内の割合目立たない、いいところというか、イスラエル本国、或は他の国のrabbiたちも来訪するせいでしょう、しょっちゅう大勢の出入りがあって、何かユダヤ教の儀式をしている、と言う感じ。
2015年04月19日 10:41
(継続)
ハヌーカ祭に一度ユダヤ人達から招待された話は、確かあなたのブログで披露したような気がする。杉原千畝が査証を発給しまくり、更には、樋口季一郎が満洲に逃げてきたユダヤ人を救済したりして、仁徳を施しましたが、このとき小生が知っていた話は杉原の話だけで、この話をしたら結構受けた。案外ユダヤ人達にはよく知られていない話でした。樋口の話も、ほぼ知られていないでしょう。
  ハヌーカ祭には、例の燭台が、シナゴーグの野外に置かれ、小生宅から見下ろすと、毎日灯が一つ増えていく。ある意味毎日が賑やかな日本に比べ、欧州は暇と退屈が覆い尽くしているような気分になることがあるけど、シナゴーグ見物だけは、今は何の祭日だろうと、空想していました。今ならgoogle検索で調べられるけど、当時(01年前後)の現地でのネット速度は極めて遅く、検索もめったにするつもりにならなかった。
  エジプトで人口が増えていた、本当は他の民族は同化して消えた・・・と言うのは重要な点で、日本人もマニラに逃れたはずのキリシタン大名の子孫らさえ、後には分らなくなっていた・・・ユダヤ人なら考えられない話でしょう。バンコックの山田長政らの子孫もそうです…日本人との意識すら残っていないのが恐ろしいというか。

この記事へのトラックバック