ムスリム系の祭日:前書き~断食祭

  さて、いよいよ小生が苦手な領域、ムスリムの祭日に関し、これからご紹介する。小生の手持ちのトルコ語辞書(トルコ語と英語の対訳形式)では見つからない単語もあるし、イスラム教に詳しいわけでもないので、間違いもあろうかと思うが、間違いなどの御指摘はコメント欄にどうぞ。

Ⅳ.在・ブルガリア・トルコ人、シーア派教徒たち(Kazqlbashite)の祭日
★前書き(1):ムスリム歴における月の名称
  Mohamedは、その死の3日前に、コラーンの中の、「悔悟」の章(sura)で次のように宣言した:「神の前における月は12だ、そのように旧約聖書にも書かれている・・・天と大地を創造した日以来、12カ月があるのだ。この内4つの月が聖なる月と考えられている。これが正しい信仰だ」と。更には次のように続けている:「聖なる月を延期することは、不信仰を増大せしめるのみだ。不信心者たちは、ここのところで間違いを起こす。ある年にこの延期を許可するが、他の年にはそれを認めない・・・アラー(Allah)が聖なる月と定めたにもかかわらず、このように都合に合わせて変えてしまうのだ」。(Koran、sura9(第9章「悔悟」)、36、37。全文は次を参照:http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/koran_frame.html)。

  要するにこれらの言葉は、追加月(閏月)を追加することを断固拒絶していると解釈されている。なぜならMohamedがメッカにおける礼拝儀礼を終えたとき、モハメッドは犠牲として自らの手で、63頭のラクダを持参し、同時にほぼ同じ数の奴隷たちを解放し、更には、太陰暦で数えてのモ自身の年齢もこの数であった。よって、このような太陰暦を維持するように、モは推奨しているのだ。
  ムスリム歴の各月の名称と、各月の日数は次の通りだ(http://en.wikipedia.org/wiki/Islamic_calendar):
1月 Muharram  ・・・・ (意味:禁止、闘争禁止)  ・・・・30日、
2月 Safar     ・・・・ (無効、空虚、食糧が少ない)・・・・・・29日、
3月 Rabi -al-awwal   ・・(最初の春)・・・・・・・・30日、
4月 Rabī‘ ath-Thānī  ・・・(2番目の春) ・・・・・・・・29日、
5月 Jumādá al-Ūlá   ・・・(1番目の干からびた土地)・・30日、
6月 Jumādá ath-Thāniyah・・・(2番目の干からびた土地)・・・29日、
7月* Rajab  ・・・・・・・・・(尊敬、*聖なる月、闘争は禁止)・・・30日、
8月* Sha'bān  ・・・・(散らばる、水を求めてアラブ部族が各地に散った)・・・29日、
9月* Ramaḍān   ・・・(燃える、夜明けから日没まで断食する)・・・・・30日、
10月* Shawwal ・・・・(膨らんだ、ラクダが妊娠した)・・・29日、
11月 Dhū al-Qa‘dah・・・・(和平の月、戦争禁止)・・・・・・30日、
12月 Dhū al-Ḥijjah・・・・(巡礼の月、戦争禁止)・・・29/30日。

  つまり、通常1年は354日間となるのだが、最後の12月には1日を時折加えて355日とするというサイクルとした・・・30年の間に、11回が30日の「満たされた」12月で、19回が「短い」(29日)12月と言うこととなる。このように、毎年10日、或は11日早く新年を迎えるから、結局は全ての季節を一回りして32.5年後には、太陽暦に対し、元のサイクルへと復帰する。

  興味深いことにOsman帝国は、1677年にユリウス暦を採用したのだ・・・これは帝国の官僚たちへの給与支払いを、33年ごとに、34年分の給与を支払うという不合理を避けたかったのだ。とはいえ、トルコとしては、新年をユリウス暦の3月1日に祝うこととした。751年のこの日に、イスラム教に改宗したという、その期日を維持するためだ。
  結局1928年、Mustafa Kemal Atatyurkは世俗主義原則を国家に適用し、クリスチャン式の暦(グレゴリオ暦)を採用したのだ。
  他のムスリム系国家では、その住民総数は5億人に上るが、それぞれの現地の市民的暦、大体はグレゴリオ暦を採用している。故にこれらの地域では、宗教歴は宗教的行事のためだけに用いられる。

★前書き(2):ブル人、トルコ人両エスニック集団の混在、相互交流
  さて、約6世紀間にわたるブル人とトルコ系住民との共存は、不可避的に二つのethnic集団の相互の生活習慣、職業、民話、及び民俗的慣習に対して、影響を及ぼした。もちろん5世紀間に亘ってトルコ系住民がご主人様としての権利を行使したので、ブル人達は何とかクリスチャンとしての信仰を守り、特にクリスチャン歴に基づく祭日などを順守した。
  これらに関しては、宗教的なcanon(英語:教会法規、規範集、ブル語:kanon)の故に、相当程度の独立性が、クリスチャンにも、ムスリムにも維持されえた。とはいえ、時間が経過するにしたがって、トルコ系の勤労者住民たちも、徐々にブル人と接近し始め、やがては両系人の暦上の祭日は、やがては全国民的な行事となって行った。

  例えば、ある民謡のテキストからもこのような両系人の交流状態は確認できる。例えば、Varna地方のトルコ系は、二つのブル語によるクリスマスの歌を、トルコ語に翻訳して歌っていた。更に例えばLazarovden(ラザロの土曜日、http://79909040.at.webry.info/201502/article_4.html)にLazarkiたちが歌うLazarski pesni(ラザロの日の歌)も、トルコ語に翻訳されていたという。これらのトルコ語の歌が、トルコ系御婦人、警察署長、裁判官などの名士のために歌われていたのだ。

  その他、ブル在住のトルコ系住民たちは、アラブ語を理解できなかったので、礼拝典礼時とか宗教的儀式において、アラブ語でイスラム教の伝説とか、伝承等を歌うことはできなかった。従って彼らが歌う民謡、歌謡などは、主として生活に関わることしか歌っていない。主として、家庭とか、共同体における生活など:父母と子供との関係、姑と嫁の関係、隣人関係、など。恋愛歌も多くある・・・深く信頼関係で結ばれたり、不倫したり、恋愛への夢とか、苦難とか・・・。

  復活祭に際しては、ブル人達は赤く染めた鶏卵と人形(卵入りの儀式用のpitka)を隣人のトルコ人家庭に持参したりした。トルコ系の方は、今度は、Ramazan bayramの祭日には、ブル人の隣人家庭に、baklavaとか、特別のスイーツを持参した。
  しばしば、Kurban bayramの祭日には、トルコ系の家庭は、犠牲に捧げた動物のかなり大きな部分をブル人隣人のために、「za hair(good luck)」のために、贈った。
  要するに、このように、両系ethnosが混在し、交流しあっていたので、アラブ諸国などでは厳しく守られているイスラム教の習慣が、わが国では元の形を残していなかった。

1.新年
  ブル、或はトルコ共和国では、1928年に国家の中に世俗主義原則が導入され、暦もクリスチャン歴を採用した時以降、トルコ人たちには、新年の祝賀に関わる特別の慣習などは見られない。トルコ共和国は、新年を1月1日に、他の住民らと同様の形式で祝う。
  各家庭には、祭日の気分が満ち溢れ、普段より多めの料理が用意され、家庭には、妻を迎えた子息たち、或は嫁に行った娘たちも戻ってくる。小さい子供とか、生徒たちは、新年の贈り物を受け取る。

2.Ramazan bayram
(1)由来
  全てのムスリムにとっての基本的義務は、1年の間に1か月ほど断食するということ。この断食は、9番目の月Ramadanに行われる。そしてほぼ、キリスト教のクリスマス断食・・・11月と12月の期間・・・と同じころだ。
  この断食に関する指南はコラーンの第2章:「・・・アッラーが前もって決めておかれた、そこを目指しなさい。食べなさい、飲みなさい、朝日が出て、白と黒の糸の区別がつくようになる前までは。その後は、夜までは断食せよ。

(2)習慣、風習
  断食の「Oruch」(注:トルコ語で断食のこと)とは、イスラム教の一部の研究者によれば、最初はどうやら純粋に経済的視点に基づき開始されたという。アラブ世界では、農民たちは日中は畑で仕事をすることはできなかった、日光があまりにも強いからだ。そこで夜の期間に仕事をしたし、その際に食事もしたということ。アラブ人たちがこれを行ったのは、古い収穫時と新しい収穫時の間の期間だ。この故に、ムスリムたちは日中は飢えさせられ、夜には朝日が昇るまでは食べるという習慣となった。この期間には、アルコールを飲まないし、シガレットも吸わないし、時には薬すら服用しない。  

  Mohamedの場合、飢えは一定の時期・・・Ramadan月・・・と言う形式をとるようになった。この月は、古代のアラブ人にとっては、聖なる月であったが、同時に、啓示の月でもあった。この啓示は、27日目の「運命の夜」に受け取られた。この夜にコラーンは天から降ってきたのだ。
  人間がこの夜の祝福を十分に利用するためには、Ramadan月の最後の10日間は「世俗的な生活から身を引く」ことが奨励された。つまり祈祷と瞑想に埋没できるから。この断食の慣例を利用して、イスラム教の僧侶たちは、幾つもの祈祷、或は儀式でこの断食を美化した。
 
  Ramazan bayramの祭日そのものは、30日間の断食(oruch)を終えた直後に祝われ、本気で飢えを耐えたムスリム信者たちに対する慈悲の扱いだと受け取られている。断食期間中には、彼らは、悪意との激しい戦いを演じ、これに勝利したと見做される。この故に、この祭日を盛大に祝う権利を得たのだと。この祭日には、豪勢な御馳走と共に、全ての若者たちは、年長者たちに「許し」を乞う。

  Ramazan bayramの断食時、トルコ人の中からは、特別の吟唱屋が活動する。この男はmanitaと呼ばれる四行連(原注:1行目、2行目、4行目の詩文が韻を踏む)を歌って回る。これらの男たちは、tqpan(太鼓)を叩いてムスリムたちを起こして歩く・・・朝日が昇る前に朝食を終えるように早目におこすのだ。更には、各家庭の前で、色々な幸運祈願の言葉を告げる。Tqpanと四行連の詩文による早朝の起こし作業は、30日間毎朝続く。そして、Bayram初日、これらの吟唱屋たちは、自分が早朝起こして回った同じ家庭に出かけて、それ相応の報酬を受け取る。
  ムスリムで、かなりの高齢者の中には、このmanitaのテキスト、メロディーを覚えているものもいるようだ。(注:つまり、今日では、この吟唱屋商売は下記カルジャリ県以外では存在しないようだ。)

  Ramazanの祭日以前には、Kqrdzhali県在住のトルコ系住民らは、食事、水、喫煙につき、朝日が昇ってから日没までの期間、完全な禁止を守る。性交も控えることとなっている。食事をしてよい時間は、1--2名の男性が、太鼓(tqpan)を叩いて知らせる。彼らは一定の家の前で停止しては、祈祷を挙げ、或はmanitaを歌う(注:つまり、吟唱屋の伝統は今でもK県では維持されている模様。金持ちの家からは後で報酬が期待できるから、特別奉仕するのであろう)。
  1か月間の断食後、断食明けを祝うのは、9番目の月Shawwalの初日で、これは1月に相当する時期だ。

(3)Kyuchuk bayram(Ramazan)・・3日間 
    (注:kűcűk=small、little。bayram=religeous festival。)
  この祭日に関しては、実際は2日前から準備を始める。Katmi(注:katmerと言うトルコ語が、pastry(パイ、タルト、turnover(三角形に折り返したパイ)に当たるという)を焼いて皆で分かち合う。これらを更にChurek gyun、或はarfaと呼ぶ。(注:小生手持ちのトルコ語辞書では、cörek=cookie、gün=day、timeと言う意味だ。
  この日には、同じように、meki'tsa(メキーツァ、小麦粉を練って、これを高温の食用油の中で揚げた柔らかいパン、通常上から砂糖を振りかけて甘くする)も配られる。この日には子供らは、あちこちの家を巡り歩いて、メキーツァとかボンボンを貰う。

(4)Ramazan初日=Asli bayram=fundamental festival
  この日は、ジャミン(回教寺院)の中での、朝のRamazanに因んだお祈りから始まる。この典礼儀式が終わるとすぐに、相互の挨拶が交わされる(祭日に因み、挨拶をかわすことをトルコ語でbayramlashmakと呼ぶ)。まずより若い層が、高齢者たちに挨拶していく。彼らはジャミンの庭に、序列に応じて並んでいる。この席にいる者たちは、少年たちにボンボンを与える。若い男性たちは、年配の男性の手に、よく知られた東方的礼儀・・・額と髭に触ったのち、キスする。同時に次のように挨拶する:「Bayramamqn mubarek oslu」・・・これは「断食明けの祝福された祭日」と言う意味だ。年長者らは、次のように応答する:「Chokyasha」・・・「ご長寿を(祈る)」と。

  ご挨拶と、祝福の言葉を交わしたのち、皆は家に帰り、祭日の御馳走を食べる。細心で器用な主婦は、kapama*(野菜入りの肉)、banitsa、baklavaを料理する。(*注:kapamaをトルコ語辞書で引いてみたら、lamb and onion stew=羊肉とタマネギのシチューだ。バーニツァは、パイ生地の中身にsirene(白チーズ)を入れたパイの一種、baklavaはパイ生地の中身が砕いたナッツなどで、上から水砂糖をかけた甘いデザート。)

  これらの御馳走は、意図的に、あるいは意図せずに成されてしまっていた罪悪に関し、贖罪し、また寛恕するためなのだ。Banitsa、baklavaは、近くに居住しているブル人達にも分け与える。皆が、施しものを与えるのだ・・・zakatと呼ばれるイスラム教の教えで(http://en.wikipedia.org/wiki/Zakat)、いわば自然的な1/10税として、慈善的施しをする義務があるのだ。娘たちは集落内で遊び、mani(トルコ語、ballad(物語、民謡)の意)を歌う。他方、若い男性たちは勢いあるhoroを踊る。時には、相撲を披露する。

(5)シーア派
  Kazqlbashite(aliani=アリー教徒、シーア派)の場合は、Ramazan bayramの祭日は特定の期日が無い・・・毎年10日ずつずれていくのだ。なぜなら、彼らはアラブ式の太陰暦を維持しているからだ。そして、3日間続く。ちなみに、アリー教徒自身が、この祭日は自分らのモノではなく、純粋にトルコ的な祭日であり、権力者側から相当に過酷なやり方で強制されたものだ、と言う。この祭日を認めない者、祝わない者たちは、激しい拷問を受けた後、完全に抹殺されたという。

(6)独身男たち
  この祭日前の1か月間、独身男たちはmaniの歌唱法を学び、太鼓のたたき方を学ぶ。
  また、家から家へと巡り歩き、自らの歌で次の日にはbanitsaを用意しておいてほしいと注文するのだ:
    Sam si opqnah tqpana,   自分で太鼓の皮を張りました、
  obikolih mahalata i doydoh,    村の中を巡り歩いて、こちらに参りました、
 mila bulyo , doydoh da porqcham banitsa---  おばさん、banitsaをお願いしに参りました。

  このように依頼された家では、注文通りbanitsaを用意する。主婦は、幾つものbanitsaを料理しておく。その晩にやってくる独身男のお客が何名かによって、数が決まる。夜になると、男らがやってきて、banitsaを受け取り、特別の入れ物に入れる。その後、男たちは一か所に集まって、皆でbanitsaを食べる。このようにして、毎晩、別の家に依頼しておいたbanitsaを食べるのだ。
   
(7)祭日1日前:Bayram Arifesi
  この日には、全ての家庭で小さなpitka(円形パン)・・・kifla(三日月パン)に似ている・・・を作る。これは、kolakと呼ばれる。更に、mekitsaの引き延ばした形式のパン・・peksimetiも作る。これらは、親戚の家に分配する・・・各々の家に、一つのkolakと、一つのpeksimetiが配られるのだ。
  
(8)祭日当日
  朝男たちはジャーミ(cami、ジャミン、回教寺院、mosque)へ祭日の祈祷を捧げに行く。祈祷後は家に戻り、より年長者の手にキスをして、祭日のお祝いを述べる。子供たちにはボンボンとお金を与える。ジェーマ(cemaat、宗教共同体)の女性たちは、お祭り衣装に着飾って、お婆さんに挨拶に行く・・・ラキーヤを入れた小瓶(200g)を持参して。(注:ブル、トルコのムスリムたちにとっては、ラキーヤ、ワインなどの飲酒は断食期間以外はOKだ。ラキーヤを入れた小瓶は、昔のブルでは居酒屋でも定番的に売られていた。

  更に煉瓦職人(duvarci)は、旗持ち(bayraktar)を連れて全ての村落を歩き巡る。彼らが往訪した家の主人は、金銭を与える。また、自分の家に婚約者(女性)、或は若い嫁がいる場合には、旗竿(bayrak)にタオルをかけて、この来訪によって光栄を与えられたことへの感謝の念を表す贈り物とする。

  煉瓦職人と旗持ちは、前もって決めたある家庭を指定して、昼食を注文する。この家庭では、料理を用意するとともに、娘たちと独身男性たちを集める。昼食を食べ終えると、彼らはmani(ballad=物語、民謡)を歌いだす。そのあと、村の広場に出かけて、嫁たちと娘たちは、踊り、歌う。この姿を、年長の女性とか独身男たちは眺めている。この後、娘たちと独身男たちは、村の中を巡り歩く・・・娘組と男組はそれぞれ別方向に向かうのだが、あちこちの道筋で出会っては、相手の行き先を遮(さえぎ)ったり、その他の種々の陽気なからかい(zakachka)、冗談を仕掛ける。

  興味深い点は、Ramazan bayramに際しては、娘たちは女友達(トルコ語:kardash)を、男たちは友人(トルコ語:bilizer)を選んで、それぞれの両親に事前に知らせるということ。娘たちは1軒の家に集まり、自分たちで料理し、そしてその家に、娘たち、独身男性たちを招く。一部の者たちは、alay(円形になっての遊び)遊びをする。その後、夕食をとり、「女友達(ブル語:druzhka)」となった娘たちは一緒に寝るし、その後はいつも一緒だ。他方、bilizerを選んだ男の母親たちは、特別のpitaを一つずつ作って、これを特別に用意したタオルに包み、お互いにpitaを交換する。この日から、両名は義兄弟だ。(注:結婚前の若者が、若衆宿などに寝泊まりし、女の口説き方、扱い方などを学びつつ、両親から自立していき、結婚準備するという日本の習俗とは少し違うが、一人の同性の終生の友達を決めることも、結婚への一段階を上るということなのであろう。親離れの一つのやり方と言える。

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