ムスリムの祭日:マホメット降誕祭から立冬まで

 今回は、マホメット生誕祭、マホメットの一夜の旅、そして立冬の3件をご紹介します。
10.Mevlit(トルコ語、英語:Mawlid、Maulid、 ブル語:Rozhdenieto na Mohamed=モハメットの生誕祭)
(1)由来
  8月29日に、Mohammedの生誕が祝われる。この祭日は、「生誕の夜」と呼ばれていたが、預言者Mohamedの娘Fatimaとその夫Aliの生誕日と関わっていた。
  ブル在住のムスリムたちの間では、死者の弔いが52日目となった時に行われる精進落とし(pomen)の際に、Mohamedの伝記のテキストを読み上げ、コラーンの一部も読み上げるという伝統が存在している。

(2)この祭日の歴史
  Mohamedは、Ribiu -l-aual月の12日(原注:570年8月29日)の月曜日に生まれた。バグダッドのスルタンHarun al Rashid(766--809年)の母親は、Mohamedの生家を礼拝所に指定した。その頃から、Mohamedの生家まで、盛大な行進をする習慣があった。行進は、祝辞と、施し物の配布で終わった。

  オスマン帝国では、この祭日は、17世紀に採用された。更に、1910年以降は、単に宗教的祭日としてではなく、トルコ国家の国の祭日としても祝われるようになった。ところが、この国祭日化に対しては、かなり多数の反対論が存在した・・・・なぜなら、この祭日には、提灯を付けたり、或はロウソクを灯して帰宅する(クリスチャンが復活祭に行うやり方)という、キリスト教的要素が包含されていたからだ。
  肯定論者たちは、この祭日の良い側面を強調した・・・貧者たちが食品を施してもらえる機会を提供したし、楽しく騒ぐ機会でもあった。他には、信者たちにとっては、コラーンの中の詩文及びmaulidiを聞く機会でもあった・・・ちなみに、maulidiとは、Mohamedの生誕、人生、戦勝、善行などに関する、詩文的な語りを意味する。

(3)風習
  在ブル・ムスリムたちは、この祭日に際しては、祈祷文を読んだり、肉を小麦(ひき割り小麦、bulgur、http://en.wikipedia.org/wiki/Bulgur、湯通しして乾燥させた一種のシリアル)、米と共に茹でて、シャーベット(シロップ)を飲む。

  ジャミーの中では、皆でmevlidi(原注:一種の儀式用の歌、マホメットに対する頌詩)を斉唱する・・・これは、その村落におけるすべての故人に対し捧げるものだ。
  また、kurban(犠牲の動物)が屠殺される。

(4)Mohamedの信者にとっての位置づけ
  ちなみに、預言者Mohamedは、全てのムスリム信者にとっては、最後の審判の際に、Allahの前で証言してくれる弁護人役と言える。

(5)この祭りに関連する食品、料理
  ホッジャ(イマーム)たちは、ムスリムの墓場に行き、墓石に水を注ぎ、Mohamedの伝記を読む。更には、お客を家に呼び、客たちには、pitka(パン)、lokum(求肥に似たお菓子)、角砂糖、或は卵焼きを御馳走する。

  このMevlit祭り(ブル語:Mevlid、またはMevlud)には、3つの特徴的な食品が存在する:①kurban用の肉で、事前によく焼いたものと米とbulgur(シリアル食品)を一緒に煮込んだスープ。②肉とジャガイモ、或はインゲン豆の煮こみ。③デザート類:oshav(オシャーフ、干し果実のコンポート)、sutliyash(sutliash、米のプディング)、vareno zhito(茹でた小麦)、vareno tsarevitsa(茹でたトウモロコシ)。(小生注:最後の二つは穀物系シリアル食物であり、上記のbulgurと基本的に同じようなモノ・・・茹でて、乾かして、シリアルとしたもの。)
  
(6)19世紀仏人の記録
  仏人Dzhevadが、1882年に記録したところでは、Mevlud祭(モハメット降誕祭)は8月29日(Ribiu -l-aual月の12日)に、祝われたが、この祭日には、4千名のイェニチェーリ(ブル語:enichari、トルコ語:yenicheri、英語:janissary、トルコの近衛騎兵、1826年に廃止された。)が、盛大に挙行されたスルタンの到着行事に参加せねばならなかった。

  スルタンは、Sultan Ahmedモスク(いわゆるBlue Mosque、http://en.wikipedia.org/wiki/Sultan_Ahmed_Mosque)において朗読される預言者モハメットの伝記を聴取しにやってくるのだ。イェニチェーリたちは、その儀式が続く間、モスクの列柱郭(peristyle)の下で待機せねばならなかった。
  なお、イェニチェーリ軍司令官の役割は、モスクに到着したスルタンが騎馬から降りるのを補助し、モスクに入るときに長靴を脱ぐのを手伝い、他方、モスクから去る時には、長靴を履かせ、馬に乗せるということ。
   
11.Radzhep bayram 、Miradzh(トルコ語:mirac=モハメットの昇天、モハメットの「一夜の旅」)
(1)由来
  この祭日は、モハメットが奇怪な動物に乗っかってエルサレムまで行き、そこから第7番目の天、Allahが玉座に座るところまで登り、しかもAllahと語り合った、との伝承に基づいている。

  すなわち、この祭日は、直接的に預言者の関わる伝説と結びついた、第2の祭日である。この期日は、イスラム歴では、Ramadan月の17日と、その日の直前の夜との間とされ、何世紀にわたり守られてきた。

  かくして、「夜の旅行」の夜、と称される。まさにこの名称で、コラーン第17章(Sura 17)の表題となっているし、この章できちんと、「なぜなら、預言者がこの夜、メッカからエルサレムへと旅された・・・一番遠くに所在するジャミー「Al Aksa」まで行かれたのだ。この旅は、自らのBurakと言う翼のある特殊動物(イスラム教の伝統では、女性の顔を持ち、体は馬で、尻尾は孔雀のものという)を乗りこなして、エルサレムの上空、天へと昇天した旅の一環だった」と言う。

(2)夜の旅の続き:地獄篇
  ムスリムにとっては、モハメットのエルサレムまでの「夜の旅」は、二つの世界の出会うところを示している、と言う意味もある。一つは、現実世界のこと、もう一つは、あの世の宇宙(vselenata na otvqdnoto)で、そこには神と神に仕える天使たちが暮らしているし、「天国の楽園rayski gradini)」とも繋がっているのだ。天国の庭には、素晴らしい果物の木が茂り、水、花、美に満ちている。とはいえ、もう一面としては、あの世には地獄(ad)もあり、ここには、罪深き住人達と彼らを虐める拷問者たちがいる。

  モハメットは、天使Gavril(Gabriel)に導かれて、地獄の7つの空間に到達した。そこでモハメットがまず見たのは、ラクダのように唇が分厚い人々で、彼らは火の玉を飲み込んでいた。モが「彼らは誰だ?」と尋ねると、大天使Gavrilはこう答えた:「彼らは、孤児たちから盗んだ人々です」。次いで、巨大な腹を膨らませて、悪魔に熱い焼き串(rqzhen)で追いかけられている哀れな人々を見た。Gavrilは「彼らは高い金利を取って儲けていた連中(lihvarite)です」と説明した。次いでモハメットはテーブルを前に座っている人々に遭遇した。卓上には、おいしそうな御馳走が並んでいたが、その側では残った御馳走が腐っていた。彼らは、現世において合法的な配偶者を放置して、浮気しまくっていた人々なのだ。(小生注:この部分には、注釈が無く、少しわかりにくいが、卓上に並んだ御馳走を見ながらも、彼らには食欲が残っておらず、食べられず、食物が腐って行くのであろう。)

  このように、色々と信じられないような人々の苦難を見て、モハメットは地獄の果ての方まで行き、そこでは金釘を胸に打ち込まれ、天井から吊るされている女性たちを見た。彼らは、現世において自らの子供たちを軽視し、全ての注意を配偶者(夫)が連れてきた継子たちに注いだ女性たちなのだ。(注:夫の連れ子を可愛がり、自らの子供を軽視し、辛く当たるのは、悪い母親ということらしい。子供そのもののためを思っての行動ではなく、連れ子に良くすることで、夫の愛を勝ち取ることに注意が払われているので、こういう女性は悪妻であるらしい。とはいえ、普通の女性なら、自らの連れ子を可愛がり、夫の連れ子にはつらく当たるのではなかろうか?若干、モハメットの視点は変人っぽい??)

(3)夜の旅の続き:神様と直接対話、天国も垣間見た
  モハメットは神のところに行った。神からは、正しい信者に関して、教示を得た・・・そのうちの一つは、一日に50回祈りを捧げるべきだ、と言うこと。しかし、後にモーセと出会って、祈りに関して相談したところ、モーセからは次のような助言を得た・・・人間はこれほど多数の回数祈りを捧げるほどの忍耐力を有していない、と言うこと。モハメットは再度神の前に進み出た・・・・神はこの予言者から、説得力に富んだ説明を聞いて和解し、祈りの回数を1日5回まで減らすことに同意した。ただしこの祈りは、1回目は朝日が昇る前に、最後の5回目は日没前に行わねばならない。
  最後に大天使Gavrilは、モハメットを天国の楽園に連れて行った。そこでは、信心深かった人々が、あの世での恵まれた生活を楽しんでいる姿を見ることができた。
  
(4)夜の旅の続き:ワインを禁止された
  伝説によれば、モハメットはこの一夜の旅で、ユダヤ人の始祖であるAvraam(Avraham)、モーセ(Moysey)、及びIisus Hristosとも出会ったという。彼らの周りには、聖書に出てくる預言者たちも一緒にいたという。

  預言者は、イマームとしての資格で、彼らの先頭に立って祈祷を指導した。これが終わった時、モの前には2つの容器が運ばれてきた:一つには牛乳が、もう一つにはワインが入っていた。モハメットは、牛乳の入った容器を手に持ち、牛乳を飲みほした。
  そこで大天使Gavrilは次のように言った:「あなたは、信心深い道を進まれた。あー、モハメットさん、そしてあなたが導かれる共同体よ。既にこれ以降、あなたたちにはワインが禁じられるのだ」。

  この故に、コラーンは、明白に、ムスリムたちがワインを飲むことを禁じているし、他方でクリスチャンは、その聖体拝領、或は聖餐式で、ワインを摂取するし、何時でもワインを飲むことができる。
   (小生注:最後の、天上世界において、モハメットが祈祷を指導した「功績」として、逆にワインを禁止されるという話は、どうもクリスチャンたちの解釈に基づく、意地悪い説明の仕方のような気がするのだが??)

(5)夜の旅の解釈
  さて、幻想的な体験談であるモハメットの「夜の旅」は、たったの1夜で、メッカからエルサレムへ、そしてエルサレムからメッカへと戻るのだ。この道程は、普通のキャラバンの旅ならば、2か月はかかる距離なのだ。

  故に、多くのコラーン研究者、或は解釈者たちは、この旅を夢の旅、「夢の中での旅」と見做している。なぜなら、彼らの多数派は、モハメットを、既に存在していた宗教、特にユダヤ教を利用して、イスラム教を創作した、実は普通の人間だと見ているからだ。
  他方で、ムスリムたちにとっては、この「一夜の旅」は、他の預言者モハメットの生涯に起こった出来事と共に、何ら疑いの目で見るべきことではないのだ。


12.Kasqm(Dimitrovden、立冬)
(1)由来
  ブル在住のトルコ系は、Kasqm(小生注:トルコ語辞書では、kasim=Novemberとある)の祭日を慎ましく祝う・・・この祭日は、クリスチャン・ブル人にとってのDimitrovdenに相当するお祭りである。
  すなわち、この日を境に、冬の季節が始まるのだ。Hqdqrlez(Gergyovden)が夏の季節の開始(立夏)を意味したのと同じように。
  このKasqmの祭日で、来年がどういう気候となるかを占う習慣がある。例えば、Kasqmから100日目の日、即ち2月1日が良い日であるなら、その後の40日間も良い気候が続く、と言う風に見るのだ。

(2)Rodopi地方の風習:keshkek料理とダンスを楽しむ
  Kasqm祭に関連する、より注目すべき祭日は、東Rodopi地方で祝われるYedi kqzlar ashq(7人の娘の家)*祭だ。
   (*注:トルコ語辞書でyedi=seven、girlie(英語)=kizlari。しかし、家にあたるashqと言う言葉は見当たらなかった??他方で、ash=cooked foodと言うトルコ語はあるので、これが正しければ、家ではなく、「料理」の意味となる。下記のkeshkek料理から見て、「7人の娘の料理」でも意味は通じるので、著者の間違いかも。Ashura bayramの項で、Ashというイラン料理があることに言及したが、これを念頭に入れたほうが良いかも:http://en.wikipedia.org/wiki/%C4%80sh。)

  この祭りは、収穫を終えた直後に祝われる、10月末頃だ。この祭りに参加するのは、娘と若い嫁であり、夜間に祝われ、男性は参加しない。参加者の娘、花嫁たちは、一つの家に集まり、皆が小麦とか、新収穫物を持参越す。トウモロコシ、インゲン豆(fasul)、或は他の穀物(grah=エンドウ豆、leshta=レンズマメ、oriz=米)でもよい・・・しかし、全ては今年に収穫された作物でなければならない。
  また、mekitsa(揚げパン)、banitsa(パイ生地の中にフェタチーズを挟み込み、食用油たっぷりで焼き上げたpastry)、baklava(パイ生地にナッツ類を混ぜ、同じく食用油たっぷりで焼いた後、水砂糖を上からかけた甘い菓子のpastry)なども持参越す。

  さて、メーンディッシュだ。最初に小麦を石の鍋(dibek=石のすり鉢、トルコ語)の中で砕く。自宅で屠殺した鶏肉を持参越し、上記の小麦と一緒に一つの大鍋(kazan)の中で煮込む。7名の娘が、列をなして順番に茹でている料理をこねまわし、肉が骨から外れるまで捏ねる。そこで骨を拾い集め、これは畑に持っていって、肥やしとして埋める。そして、大鍋の中には、バターを入れる。この料理をkeshkekと呼ぶ*。
  この料理を用意している間に、皆が踊り、そしてmani(バッラド、民謡)を歌う。daire(タンブリン、小太鼓)またはtqpan(太鼓)が演奏として付く。この太鼓演奏者も、娘の誰かであるか、或は花嫁だ(注:男性禁止の女子会だから)。 
     (*注:keshkek、或はkeskekは、アナトリア地方のシチュー料理で、アルメニア料理でもあり、トルコ料理でもあるという、http://www.eurasianet.org/node/64651を参照。)

  さて、真夜中ごろになると、料理をかまどから下ろす。そして、木の柄杓(お玉、英語:ladle)でシチューを掻き混ぜ、粥とかピュレーのようにする。Keshkekを金皿(tepsiya)に注ぎいれ、皆がこの皿から掬って食べる・・・残りは、村人たちに配布して分かち合う。

  Keshkekは、儀式用の食品であり、結婚式、精進落とし、或はムスリム聖人に捧げる祭日などに際して料理される。一部地域では、より簡単に、より早く料理できるように、肉+米、即ちpilafで代替される。
   (小生注:先日ウズベキスタンだったかに関するTV番組で、大勢を招待する宴会料理としては、ピラフだけを大量にレストランで提供し、親戚・知人らに御馳走していたので、ムスリム社会では、keshkek、或はピラフというのは、「ハレ」の料理と言うことなのだろう。)

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この記事へのコメント

AniTNe5
2017年07月23日 15:36
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2017年07月26日 17:52
こんにちは、AniTNe5さん、
  文字化けが激しくて、コメントが一切読めません。
  もう一度打ち直してください。
Richardcof
2017年12月17日 02:28
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