満洲事変と中国における偏向歴史教育の弊害

  さて、前回小生は二つの書籍を参考に、中国の反日偏向史観の起源を探ったのだが、最近他にも二冊の本を読み、再度中国、韓国における「歴史」と政治との関係性、或いは、捏造史観を盾として、欧米、近代日本国に挑戦すること、反日歴史教育することでしか、国民国家としての愛国心、民族主義などを確立できなかった両国の在り方について、より深く学べたように思う。

  いずれにせよ、西欧同様に、封建制的中世を経験し、狭い範囲・小領域での領国経営という経験を経て、成立した近代日本国においては、西欧同様に、国王(君主、或いは大統領)+議会+司法+四民平等の国民・・・という、欧米的な近代国家の枠組みが、相対的に易しく樹立しえたのに対し、儒教以外の思想、社会的枠組みを経験せず・知らずに二千年以上の歴史を刻み、政治(中央政府)と下層民衆との間の「懸隔」が、あまりにも遠いので、国家と言う枠組みそのものへの民衆レベルからの共感とか、参加意識なども少ない、かつその故に、宗族という拡大家族の利害しか視野に無い中華文明(朝鮮を含む)社会の特殊性もあって、日本国が極東アジア代表として、結局は孤立的に、近代国家・近代的軍隊を発展させ、アジア全体の利害を国際社会の中で主張するしかなかった、と言う、元来が不利で、不幸な環境にあった、と言う点を再確認しておきたい。

  また、相変わらずの中華圏(韓国を含む)における「反日言辞」の横行は、日本の明治維新に学びつつも、未だに社会の近代化にさえ十分に成功していない、これら中華圏諸国の遅れた社会構造(本当の民主主義を、どうしても確立できない)が根底にある、ともいえよう。

1.『学校では教えられない満洲事変』(著者:倉山満(みつる)、2018年4月発行、KKベストセラーズ)
  この本の要旨は、著者自身により、序章のp16に次のように要約・紹介されている。
①満州事変に軍部の「独走」など無い。石原莞爾とて、お役所仕事を全うしたに過ぎない。
②満州事変に国作法違反はない。むしろ生真面目に遵守しすぎ。
③満州事変にコミンテルンの陰謀は成立しない。それどころか、当時のソ連は終始一貫して日本に怯えきっている。
④満洲には、夢もロマンもない。王道楽土?所詮は人口増加問題の解消策である。
⑤満州事変は人類が不幸になっていく始まりの大事件である。軽く考えてはならない。

  今まで通説とされてきた、日本の軍部独走・侵略史観に基づく悪玉扱いは間違いだ。1931年(昭和6年)当時、現在の中国東北部に当たる地域は、張学良と言う名のアヘン中毒の軍人が率いる軍閥(ギャング)の勢力範囲(シマ)と化し、無法地帯となっていた。この無法の故に、日本人居留民(朝鮮系日本人を含む)たちも苦しんでいた。軍閥配下による権利侵害、不祥事続発を解決すべく、同年9月18日、関東軍が奉天近郊の柳条湖付近で南満州鉄道の線路を爆破し、この(中華民国による)「テロ事件」(関東軍は、爆破犯人は中華民国の仕業と決めつけた)を口実に張学良軍閥の討伐作戦を展開した・・・・これが満洲事変だという。関東軍は、人数的にはたったの1万5千人と言う小規模で、張学良の配下は20万---50万と言う大人数だったという。所詮は元来が匪賊である張学良軍は、20倍、30倍の人数でも、当時の規律正しい日本軍には適わなかった。

  出先の軍部隊が勝手に事変を起こしたのだが、世論はこれを支持し、マスコミも関東軍の活躍ぶりを称賛し拍手した。なぜそうだったのか?井上準之助蔵相の失政で、デフレ不況のさなかに超緊縮金融・財政政策(金本位制を採用)を取ったことから、東北農民は娘を女衒(ぜげん)に売らざるを得なかったし、中小企業も倒産続出で、多くの国民が食えなくなった・・・こういう状況では、国民の間には、「戦争が起これば景気が良くなる、札束が回り始め、国民生活は救われる」と言う経験値があったから、世論は満州事変の勃発を喜んだ。ケーンズ学派などのような、財政出動で景気を浮揚し、国民生活を救う、と言う発想が井上蔵相には無かったことが災いしたのだが、後任の高橋是清蔵相が、金輸出の禁止、金融緩和・財政出動に踏み切り、あっという間に景気は回復した。景気が悪ければ紙幣を刷れ、というリフレ派的見識が高橋蔵相にはあったのだ。

  【注:ちなみに、ある程度現地人が信用する中央銀行的な銀行を、日本軍が進出した各地に設立し、これらの現地中央銀行に紙幣を発行させることで、支那各地、東南アジアに進出した日本軍は、必ずしも「軍票」に依存することなく、効率的に軍資金の現地調達に成功したという・・・この日支戦争、太平洋戦争を支えた金融の仕組みを解説した本として、多田井喜生(たたい・よしお)著の『昭和の迷走』(2014年12月、筑摩書房発行)がある。

  この本は、満洲事変以降の日本の円通貨圏、特に北支における連銀創立などにつき詳しく論じている興味深い本です。小生は金融の知識が不十分なので分かりにくいところもあったが、要するに、現地住民が信用する金融機関(現地中銀)が発行する紙幣であれば、経済は回る。そして、日本軍の必要経費も、相当程度現地中銀を通じて、「空中から金が出てくる」感じで、戦費が賄えた、ということ。同書のp122にある次の表は、興味深い。

  円通貨圏の発行高(1945年8月末)
      発行開始              発行高(億円)
台銀券   明治32年9月(1899年)      16.51億円
朝銀券   明治35年5月(1902年)      79.87億円
満洲国幣  昭和7年9月(1932年)       81.57億円
蒙銀券   昭和13年3月(1938年)       27.98億円
連銀(北支)券  同上             1032.63億円
儲備(中支)券  昭和16年1月(1941年)  5079.04億円
南発券・軍票(東南アジア)
      昭和18年4月・昭和12年11月    195.75億円
日銀券   明治18年5月(1885年)      423.00億円
  総計                   7836.35億円

  ネットで検索したら、昭和17年当時の物価水準から言って、当時の1円=5000円から1万円ほどと言うことらしい。すなわち、北支(華北)地方では、1032億円ほどが発券されたというから、これを単純に1万倍すると、1千兆円となる。半分と見れば500兆円だ(この金額は、最近の日本国のGDPに相当する!)。もちろん、この500兆円は、北支経済が必要とする、現地での経済活動を回すための資金であり、全額が日本軍の戦費として使われたわけではないが。また、連銀券、儲備券の発行額が日銀券に比べてやたらに巨額なのは、当時の華北、華中地域の経済規模が膨大だったということではなく、日米の戦争で日本の敗色が強まった昭和19年、20年頃には、これら日本軍が背景にあった紙幣に対する信用が低下し、インフレが進行していたからだ。

  他方で、主に国内で使われた日銀券は、423億円で、これを5千倍すると、211.5兆円となる。日本国が敗戦した後、戦後日銀券は信用を失い暴落するが、昭和20年に至るまで、日銀券は、「政府の信用」のみを背景として、きちんと機能していたのだから、中央政府に対する信用があれば、紙幣はきちんと機能するのであり、紙幣の増刷で景気は改善できるというのは、それなりに正しい理論だと言える。


  満洲、中国各地では、日本人拉致事件、或いは日本人に対する襲撃・暴行事件が年間500件も頻発していたのに、我が外務省は「相手が困るから」と抗議もせず、「日中友好」のスローガンに固執していた。他方、中国は、一つの中央政府(国民党政府)が確立されておらず、各地に軍閥がいたし、国民党も十分統率が行き届いた組織とは言えなかった。つまり、当時の中国では、日本人居留民、日本国籍の朝鮮人居留民が大勢働いていたが、彼らに対する襲撃・暴行事件が絶えなかったし、イギリス人、アメリカ人たちも、同様に上海租界の中でさえも安全に暮らせていなかった(中国在住欧米人は、日本軍の出動をむしろ歓迎したという。中華民国は、国名はあっても、国内統治に成功していない、治安・秩序を確立できなかった、情けない状態だった)。

  それなのに、平和ボケしていた当時の帝国陸軍、外務省などは、即時に軍事介入して、外国人居留民たちの安全確保に万全を期すとか、そういう迅速な行動をせず、各省とも蛸壺的に自分の役所の利害にのみ基づいてお役所的に行動し、危機意識が足らなかったという。元老も明治期の元老に比べれば小粒な西園寺公望で、昭和天皇の補佐に当たる人材たちも、必ずしも有能とも言えなかったらしい。

  日本の敵は、ソ連だった。日本は自衛のために緩衝地帯としての満洲が必要だった。その満洲が抱える問題(無法状態)を「解決」しようとして日本は失敗した(著者は、全ての問題に、きちんと解決などする必要性を認めない)し、満洲国を「国家承認する」と言う結論を急ぎ過ぎて、勝手に国際社会で外交的に孤立し、国際連盟を脱退することで、国際連盟と言う国際秩序の防波堤を破壊してしまい、却って自国の立場を悪化させてしまった、と著者は嘆く。

  事変を起こし、どさくさに紛れて、ソ連が掌握していた北満地域をも一方的に占領したにもかかわらず、当時日本軍の力を怖れていたスターリンは文句も言わず、北満洲の権益さえ手放した。更には、事あるごとにソ連は日本側に「中立条約の締結」を提唱し、日本との対決を先延ばししようとしていたという。小生に言わせれば、スターリンは、欧州大陸での情勢に専念したかったし、当面アジアでの権益拡大と言う政策には関心が低かったのであろう。

  関東軍が独走して、張学良率いる匪賊に対し自衛措置を取ったが、同時に北満にも進駐し、満洲全域の制覇行動に出たので、南満洲地域の治安維持、邦人の生命の安全を図るため、朝鮮軍(関東軍同様に日本軍の外地部隊)も越境した(満洲地域に入った)。これに対し、日ごろからの日本人(日本国籍朝鮮人を含む)に対する暴虐なふるまいを周知していた英国は、リットン調査団の報告書を含めて、国際連盟で「日本軍の匪賊討伐権」を容認するという判断を出したという。他方で、満洲国の建国とか、熱河省の満洲国への併合(これは日本が担いだ愛新覚羅溥儀の要請に応じた結果だという)、などに関しては、日本側に認められないと主張していたという。若槻礼次郎首相、幣原喜重郎外相らは、英米両国との協調外交を最重視していたので、満洲事変の拡大、満洲国の国家承認などを性急に進める意向は無かったというが、日本国内政の方で政変が起き、後任の犬養毅内閣、特に斎藤実内閣の内田康哉外相などの「見識」が無さ過ぎて、英米の虎の尾を踏むことになったという。孤立した挙句に、格好をつけて「国際連盟から脱退する」というように、自らを更に孤立化するという愚策を採ったのは、国内世論にばかり配慮した、今で言えば「自国ファースト」の大衆迎合政治家たちだったのだ。

  日本国の生存にとって一番大切だった外交判断の、その時に、一番外交センスのあった内閣が瓦解し、その後の政局の中では、外交センスのある外相が不在となったというのは、本当に残念な話だ。

  結局、当時極東、アジアでは最大の大国だった日本は、国内秩序もまともに保てない蒋介石の中華民国と違って、国際的な信用も高かったし、満洲事変でさえ、自国民保護の視点から「匪賊討伐」が必要と言う一点に焦点を当てて国際社会に説明し、徐々に満洲国の形成を、時間をかけて行うとか、或いは、表向きは承認しないものの、実体的には傀儡政権を操ることで、同じように日本人の権益を拡大できたはずだ。曖昧なままに、物事を進めるという、そういう狡さが足らなかったということだ(著者は、近年でさえ、米国のイラン、アフガニスタンへの介入とか、ロシアのクリミア半島、グルジアへの介入などの事例を挙げ、大国が介入して傀儡政権を樹立することは、行われている。一番重要な大国を「決定的に怒らせない」ように注意しつつ、妥協も含めて柔軟に外交する、そういうセンスを日本人も発揮すべきだという)。


2.『中国の歴史認識はどう作られたのか』(著者:ワン・ジョン(ワンはサンズイ偏に王、ジョンは金偏に爭、英語名はZheng Wang)、訳者:伊藤真(まこと)、2014年5月第1刷、発行所:東洋経済新報社。なお、原著名は『Never Forget National Humiliation』で2012年Columbia University Pressより発行)

    【注:本書に関しては、小生は未だに読書の初期段階で、p29まで来た段階に過ぎないが、一応初めの部分で全体像を描いているので、そこの点だけを以下に記す。著者自身は、雲南省出身で、主として米国の大学、シンクタンクで勤務しつつ、時には中国本国の政府系シンクタンクでも米中関係を論じていたらしいから、ある意味、慎重に言葉を選ばなければならなかったようで、我々なら「中国共産党による歴史の歪曲・・・捏造史観」による歴史教科書を使用して、国民に偏向史観を植え付け、愛国心、国民意識を育成するために、特に「反日」思想を培養した・・・・と簡単に書くところを以下のように、自国政権のために配慮して、言い回しに気を付けて、否定的語彙を注意深く避けている。とはいえ、結局言っている中身は、捏造史観で教育した、と言うこと。

  天安門広場で戦車の列の前に立ちはだかった一人の中国人青年・・・欧米では中国と言えばまずこの風景を思い浮かべる人が多い。中国の国民と政府の間にある深い亀裂を見て、欧米では国民は政府転覆を望んでいると受け取った。
  然るにそれから20年後、様々な事件・・・・2008年のチベット騒乱、08年と10年に起きた痛ましい震災、08年北京オリンピック、10年の上海万博・・・これらを見て世界が衝撃を受けたのは、中国の若い世代と共産党との間の新たな関係だ。NYT紙記者が北京オリンピックの聖火リレーを報じる記事で、指摘したのは、「学歴のある中国の若者ほど愛国心が強く、既存の権力体制を支持していること」なのだ。

  40年前の紅衛兵世代、20年前の天安門世代と違い、現代の若者たちはインターネット世代であり、多くは英語も話せる。ところが中国が世界に門戸を開き、国際社会が中国と関係を深めてきたこの30年の月日が産んだのは、「反欧米的な愛国主義者の新たな世代」だったのだ。もし彼らが単に政府に洗脳された「外国人嫌い」でないとすれば、今日の若者たちの間に目立つ西側諸国に対する心底からの憤激をどう解釈すればよいのだろうか?中国のこの新たな愛国主義の源泉はどこにあるのだろうか?
この謎には、歴史的記憶が重要な要素として関わっている(以上は、p1—2)。

  国民の歴史認識には、教科書を通じて植え付けられる「集合的な歴史の記憶」が重要要素となる。中国の歴史教科書で一番強調されてきたことは、「忽忘国恥(ウーワン・グオチ)」の四文字だ。中国では、1840年のアヘン戦争からの100年間を「恥辱の1世紀」と呼んで、国民的トラウマとして、この100年間に経験させられた国民の被害者たちの心情を教え込む。実際にこの時代に生きていた世代以上に、強いトラウマとして、今の若い世代は「国恥」を心に刻んでいるのだ(p4)。
 
  国家の支配層は、歴史のどの部分を記憶にとどめ、どの部分を忘れ去るべきかを取捨選択することで、「国民の歴史と言う物語(narrative)」を操作し、政権に都合の良い形でのナショナリズム、愛国主義を教育するのだ。政府が歴史をどう規定するかは、極めて政治的な問題であって、政府の支配の正当性とも密接にかかわり、まさに中国の国民的アイデンティティーを形作るものでもある(p5--9)。

  社会学者のアントニー・スミスは、「記憶無くしてアイデンティティー無し。アイデンティティー無くして国民無し」と主張した。「過去に関する集合的な記憶こそが、一群の人々を結びつける」のだ。国家的レベルでは、一国のアイデンティティーは、その国の国益を規定し、その国益が今度は、政策や国家の行動を規定することになる。
また、偏見、ナショナリズム、そして更には紛争や戦争の根底に、「強烈な集合的記憶・・・・実際の記憶にしろ、作り上げられた記憶にしろ・・・が関わってくる」場合もある(p9)。

  ある国を理解するには、一国の深層に横たわる構造や力学を把握すべきで、そのためには、その国の小学校や高校を訪れて「歴史の教科書を読むべきである」(p10)。

  選民意識過去の歴史的記憶に残っている成功や勝利の感覚)と神話成功、勝利に関わる事例、或いは物語)、及びトラウマ損失、敗北、屈辱に関わる感情)などが複合した心理構造(Chosenness—Myths—Trauma complex=CMTコンプレックス)は、国民のアイデンティティーを形作るうえで決定的な役割を果たす。
  今日の中国の政界や国民の考え方の多くは、「恥辱の1世紀」の間の出来事に大きく影響されている・・・・これこそが本書で強調したいことだ(p28)。


3.小生のコメント
 (1)倉山氏の著書
  著者の倉山満氏は、1973年生まれと小生よりも28歳も若い。つまり全くの戦後世代で、「憲政史研究家」を名乗る憲法学者だが、多くの歴史書も書いているそうだ。多くの書籍を書いているだけあって、学者ぶっての難しい表現は少なく、口語的で、若者にも理解しやすそうな文体だ。
  おかげで、それなりに楽しく、迅速に読めるのがありがたい。とはいえ、これまで小生は、老世代の書いた満洲関連本、或いは、日本の近代・現代史を読んできたせいか、70年代と言う若い世代の学者さんが、多くの当時の資料を読みこなして、これまでの通説とは異なる、斬新な視点で歴史書を書いてくれたことに感激した。

  今回の『満州事変史』では、昭和初期当時の日本国で、民主政治が・・・2大政党による選挙結果に伴う組閣、と言う憲政の常道が・・・それぞれほぼ機能していたのに、結局は、日本国に「国家の戦略を総合的にまとめる」そういう機関とか、英雄的な政治家とか、そういう存在がおらず、帝国陸軍内部さえも、派閥闘争が盛んで一致団結していないとか、陸海両軍が、それぞれの「予算獲得」と言う小さい、官僚的視点で、個々の事件に際しての態度を決めているとか、本当にもうすこし大所高所からの大きな視野での人物=大物がどうしてこの当時いなかったのか?と歯がゆい思いに駆られてしまう。

  国民党政権の歴史教科書で「反日意識」を膨らませ、日本人居留民に暴力をふるい、商売を妨害する支那の民衆、或いは規律を守れない支那の兵隊たちに対し、日本本国の平和ボケのために、迅速に実力行使・反撃するという行動様式を欠いたために、徐々に「反日暴動の規模が膨らみ」、結果として、「日支事変」「日支戦争」と言うより大きな紛争、戦争へとずるずると引きずり込まれたのだ。本当はもう少し、本格的に国益に沿って、中国への進出範囲は、満洲権益、及び欧米列強と協同しての上海租界での商売に限定して専念しておれば(すなわち、北支各地などまでは進出を控えて)、泥沼の日支戦争などは回避できたのではなかろうか。 

(2)ワン・ジョン氏の『中国人の歴史認識』
  この著書では、小生が上記で紹介した部分で、おおよそ著者が言わんとしている内容が想像できる気がする。
  結局は、中国側の視点で、どういう歴史的記憶が重視され、どのように国民が教育されてきたか、それが故に、対日感情がどういう風に刺激されるのか・・・などが詳述されているようだ。

  もちろん近代社会が産み出した「国民国家」という社会構造は、まず、近代的国民をきちんと形成しなければならない。中国のように、漢族だけでも5つも6つもの方言が話される国家では、まず日本の真似をして、標準語を定め(北京地方の会話語を基礎に、標準語が制定された)、明治の日本人が苦労しつつ西欧諸語から和製漢語と言う形で、西洋式概念に対する翻訳語を作ったのを利用して、これら和製漢語をそのまま現代中国語に採用して、近代化、国民国家の形成に励んだ。つまり、和製漢語+北京白話(会話語)で現代標準中国語を作ることに成功したのだ。

  和製漢語を使って、近代化に何とか成功した、と言う点では、実は韓国も同じはずだ。
  しかし、近年の中国では、ソ連・東欧における社会主義政権の崩壊、社会主義イデオロギーの衰退と言う現象に対応することが急務だった。

  結局、中国における共産党政権の継続、共産党による独裁という政治体制を守るためには、「共産主義イデオロギーを捨てないまま、経済体制としては、資本主義も容認しつつ、それでも国民として団結するための、共産党政権に都合のよい捏造の歴史=物語が必要で、そのために、歴史的出来事の中から、都合の良い部分を取捨選択して、歴史教科書を制定し、愛国主義教育を強化する」と言う方策で、社会的安定、共産党政権の生き残り、などを確保した・・・と言うことであろう。

  ともかく2.で紹介したように、捏造史観での教育を、肯定的な用語を連ねて、うまく解説することで、一定程度には国際社会を欺こうとしている・・・と言う風にも考えられるのだが、本当は最後まで読まないと言い切れないのかも。とはいえ、どうも小生には、すぐに読み終えようという意欲がわかない。やっぱり、中国人が、自己肯定のために作りだした言い訳に過ぎないのではないか?という疑念があるからだ。

  今の日本は、満洲事変時ほどには軍事力が、アジアで突出している訳でもないので、軍事的解決、行動などは考えられないものの、いつまでも中国、韓国などによる「身勝手な、捏造史観」で日本への攻撃を続けるなら、日本人の中に「嫌中憎韓」の感情が蓄積されてしまうであろう。

  そう言えば、小生は既にセルビアにおける夢想史観(http://79909040.at.webry.info/201112/article_5.html)が、セルビア人の中に誇大妄想、夜郎自大のナショナリズムを育成し、ベルリンの壁崩壊による「ソ連圏」共産主義の崩壊に際しても、自分たちユーゴスラビアの「人間の顔を持った社会主義」は、ソ連・東欧の共産主義とは別で大丈夫だ・・・・と頑固に既成概念に固執して、時流の変化への対応、米国一極主義時代への対応・・・と言う方向での対米外交の調整を怠り、米国からの懲罰を一身に受けた事例を挙げ、偏向史観の持つ弱点、危険性に警鐘を鳴らした(http://79909040.at.webry.info/201110/article_4.htmlhttp://79909040.at.webry.info/201110/article_5.html)。

  国民があまりにも幻想史観に凝り固まると、国内世論が夜郎自大となって、極端に「自国ファースト」な政策しか受け付けなくなる・・・・そしてその結果は、国際社会の「常識」とのずれとなり、亡国への道を歩むしかないのだ。今、トランプ政権の虎の尾を踏み,亡国への道筋にはまったように見える中国は、共産党の都合で描いた「偏向歴史認識」と言う「悪霊」のしっぺ返しを受けつつあるのかもしれない。

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