昭和期陸軍は、明治期に比べ、やはりダメだった!

 遂に小生が求めていた、昭和期の軍閥、陸軍エリート官僚達を「けちょんけちょんに弾劾」する書物が出現した! 小生は、最近昭和期の軍人達(帝国陸軍参謀、海軍参謀達)こそが日本国を敗戦に導いた「戦犯」であり、彼らの所業をしっかり歴史の視点からも断罪してこそ、今後の日本国の未来への展望も見えてくる、と議論してきた。彼らの悪行、どこが間違っていたのか?に関する議論を曖昧にしたままでは、日本国の未来論・将来論としても、却って不毛である、との立場である。しかるに、偶々最近書店で購入した別宮暖朗(べつみや・だんろう)著『帝国陸軍の栄光と転落』(文春新書、2010年4月第1刷)を昨晩(6月28日)読み終えてみると、まさに小生が期待していた以上にすばらしい名著であることが判明した。昭和の陸軍の大罪の一部が、社会主義への傾倒故であったことも強調されていて、社会主義制度の欠陥を指摘し続けている小生にとり、この点でもよき著書である。
 皆様にも是非お読みいただきたい。少しだけコメントさせて欲しい。

1.陸軍の統制派は、社会主義かぶれの、官僚統制経済(軍官僚支配)論者達だった
 著者は、統制派の永田鉄山をはじめとして、それに連なる人脈で満洲を拠点に独断専行して満州事変を引き起こし、日本国を泥沼の「支那事変」に導いた板垣征四郎(岩手県出身)、石原莞爾(山形県出身。要するに板垣、石原は、両名とも東北出身で、東北の貧農のために国の金を再配分するというローカルな利益が、彼らの念頭で優先されていたという。著者は、当時は国民皆が貧乏で、日本の富者といえども、欧米に比べしれていた。社会主義によって、貧乏が治癒されると言うことはあり得ない、と、小生同様に社会主義ユートピア思想を切って捨てる)、東條英機など、統制派の軍幹部達は、いずれも社会主義に惚れ込んだ唯物主義者、出世主義者(陸軍内における人事を、元老達から取りあげ、自分ら局長級が握るという、官僚至上主義者達。この現役官僚が人事を握る構想は、昭和11年(1936年)頃、相次ぐテロで元老を排除した後実現され、今日も諸官庁で行われている!)でしかなかったと、きっちり彼らの罪状を指摘している。

 石原莞爾についても、はっきり「ソ連に惚れ込んでいた」と書かれているし、永田鉄山の「国家総動員体制、統制経済」という思想も、ドイツに学んだとはいえ、結局は陸軍エリート官僚達が企業、経済も牛耳る「計画経済」=社会主義に他ならなかったという。しかも、ドイツでは、戦時における臨時の「統制経済」にすぎないはずが、昭和期の陸軍軍人によれば、平時においても自分らが国家全体を牛耳るための権力を独占するための手段でもあった。

 昭和陸軍を嫌い、社会主義を憎む小生(長年の社会主義時代ブルガリア勤務で、社会主義の欠陥を知り尽くしているから)にとって、まさにどの頁をめくっても、共感、同感の連続という、すばらしい本なのである。

2.日露戦争の真相
 その上、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で築かれた小生の日露戦争「戦史」に関する常識も、ほぼ全て完全に否定されている。司馬が英雄視した児玉源太郎は、凡庸な二人の参謀を重用したため、開戦時の作戦計画、奉天会戦における戦略面で完全に失敗した由。
 また、陸軍参謀本部(現地に出張して「満洲軍総司令部」となった。児玉がトップ)は、奉天会戦において、マイナスの機能しかしておらず、何ら戦功はなかった由(それに比し、乃木大将は、「独断専行」で大功績を挙げていた)!!

 他方で、現場の野戦軍司令官であった乃木希典率いる第3軍は、乃木本人が電線を断ち切って総司令部からの「通信連絡」を一時排除するなどして、「満洲軍総司令部」からの指令に対し、命令無視、独断専行を積み重ね、「結果としての大功績」を挙げたと詳しく説明している。黒木その他の野戦司令官達も、それぞれ現場の工夫で(独断専行で)効果的な戦術を採用し、ロシア軍を凌いだという。特に強調されていることは、近代戦では積極攻勢(白兵突撃)が必ず防御側に負けるという第一次大戦の教訓で、既に旅順攻城戦でこの法則を世界に先駆けて経験していた故か、奉天会戦で日本陸軍の野戦司令官達は、この防御戦重視戦術に徹したという。
 ボルトアクション式小銃(30年式歩兵銃、これはロシア軍のモシン・ナガン銃と同じ方式の新式銃)という、迅速な弾の詰め替え、連射が可能な新式銃の特性を利用して、塹壕、或いは中国人家屋などの「陣地」内から、日本軍は、突進してくる数倍のロシア軍に対し、座射して、正確な照準で敵兵を殺しまくったという(未だに日ロ両軍とも機関銃の配備はわずかだった)。すなわち、太平洋戦争時に多用されたらしい、白兵の突撃などという、非人道的愚行は、行われていないのだ!!

 (注:(1)なお、日露戦争時、現地野戦指揮官達の「独断専行」は、総司令部側の戦略・戦術が、現場の環境・実情を無視していて、無知・幻想的で使い物にならない状況下、むしろ全ての局面で、有能な指揮官と、優秀な兵士達の、家族愛的な団結心の下、また、退却・撤退が念頭にない勇敢な士気と共に、日本軍の強さと戦勝をもたらした、と高く評価されている。

 (2)小生は、陸軍の現場将校達の「独断専行」、「功名心」を、従来支那戦線における不要な「戦線拡大」の元凶と見なしてきたが、著者によると昭和期省部(陸軍省+参謀本部のこと、陸軍中央を指す言葉)のエリート軍官僚達は、軍人と言うより官僚化していて、省部に留まることを好み(前線には出ない)、軍功とか、軍事にはもはや関心が薄く、政治への介入とか、経済統制における利権とか、そういう「平和時指向」が強く(通勤時には背広!)、太平洋戦争開戦も専ら海軍主導で行われ、陸軍官僚達は、国家の運命そのものにも、大きな関心を払っていなかったというので、それはそれでやはり呆れるしかなかった。)

3.元老の効用
 山縣有朋という元老についても、これまでの「藩閥政治家」という悪いイメージとは真逆の、公平な陸軍人事を貫いた(長州藩士への配慮はほとんど無く、むしろよく全国からの人材を案配した由)、国益を見据えた偉人として高く評価されている。別宮氏の記述は、まるで井沢元彦に似て、これまでの歴史学会の「定説」を全て覆してくれる感じだ。別宮氏が元来経済学部卒で、大手信託銀行でマクロ経済の調査・企画を担当していた経歴から、プロの歴史学者でなかったことが、斬新な歴史視点を生む原因ともなっているかも知れない。ともかく、こんな凄い著書は、興奮無しには読み進められ得ないし、本当に目から鱗が各頁に詰まっている。あまりに楽しすぎる!

 山縣は、陸軍のドンとして、大所高所から、陸軍人事を行ったし、真の「尊皇攘夷」主義を生涯貫いたが、山縣死亡後の昭和期の陸軍軍人達は、既に、天皇は利用するもの、陛下の大権も自分たちの意志に従属すべきもの、という、「昭和維新、革命思想」で、陸軍官僚至上主義でしかなかったというように、道義的にも退廃、失墜していたという。

4.近衛文麿も社会主義者だった!!
 小生は、お公家様の近衛は、単に気が弱く陸軍にひきづられた哀れな「傀儡首相」と思っていたが、実はそうではなく、本人自身どうしようもない、とんでもないバカ宰相だったようだ。

 著者は、支那事変(1937.7勃発)は、蒋介石(当時はコミンテルンの支配下にあった)が仕掛けたもので、基本的に蒋介石の軍事顧問であったドイツ人ファルケンハウゼンの戦略に基づき、上海周辺に秘かに築城されていた要塞地帯ゼークト・ライン(日本軍は、この要塞地帯の存在を事前に把握していなかった由!上海に数多くあったはずの日本軍特務機関は、遊んでばかりいたのか??)にて日本軍を殲滅する戦略・作戦であったという。

 上海決戦では、蒋介石軍75万に対し、日本軍30万人と劣勢だった(もっとも当時の中国軍はどうしようもなく軍紀が低いし、戦意も低い弱兵)うえに、相手は要塞に立てこもる攻城戦で普通なら日本軍は絶対勝てない。ところが、日本軍は「分隊攻撃法」(横並びに密集した部隊が一斉攻撃するという旧来の戦法はせず、10人程度の分隊で長い要塞線の一部分のみを攻撃)で、しかも「全縦深」(前面の鉄条網から、最後方に陣取る野砲陣地までの、ある一角における全ての陣地)を一挙に突破するという、賢明な戦術(誰が生み出した戦術だろう?もしかしたら旅順で生まれた?)で勝利したという。

 日本軍の戦死者2万に対し、蒋介石軍は(後の台湾政府発表では)25万を失ったという。陸軍の大戦功だったが、当時の日本のマスコミは、陸軍嫌いで、この大戦勝をほとんど報道せず、小規模な海軍飛行隊の活躍ばかり報道したという。政治にばかり介入して、日本を社会主義化して、軍官僚独裁国家を幻想していた陸軍に、マスコミも国民も不満だったからだろう。当時、未だマスコミは、独立していたのだ。ちなみに、戦後、国民の意識を含めて、「時代の空気」が対中国侵略とか、陸軍の統制経済につき、全面支持していた、というような、そういう議論が多いが、この支那事変初期のマスコミ報道ぶりから見て、決して「時代の空気」そのものが、全て陸軍礼賛とか、そういう感じではなかったことが証明されていると考える。「空気に流される国民性」という議論も、根拠は薄いと思える。やはり誰か特定の「戦犯」がいるのだ。それが、陸軍統制派軍官僚達だ、というのが、小生の結論だ。

 1937.11南京に肉薄した日本軍を前に、蒋介石は、日本側提示の停戦条件を全てのみ、停戦を受け容れたが、この回答を見た近衛文麿は何と、閣議で賠償金支払いを含め、条件をつり上げ、停戦申し入れを拒否するという決定を下したという!蒋介石の申し入れを受け容れるべきだと主張したのは、皮肉にも陸軍参謀本部のみだった!という(陸軍省軍務局も反対した由)。
著者は、敗者の停戦申し入れを拒否すると言うことは、世界戦史上でも類例がない、という。近衛の態度は、文民政府として異常だった。

 更に著者は、近衛は、統制経済導入を推進したし、政友会、民政党の解消→「新体制運動の提唱」と議会政治の否定を行ったが、これは、明治憲法遵守を求める昭和天皇と元老西園寺への反抗だったという!!近衛は、統制経済=社会主義経済に賛成していて、この故に、官僚を掣肘する側の君主・議会を排除する思想に傾き、欧州戦線に関してもドイツ国家主義を支持したという!!

 近衛が社会主義思想に傾いたバカ者であったとは、小生もこれまで全く知らなかった!著者によると、「民間の社会主義者、赤」は、厳しく取り締まられていたが、他方、陸軍内部などでは、軍官僚が国家権力・経済への権益を独占できる思想として、その社会主義が深く信奉されていたらしい。その信念から、永田鉄山などは、3月事件以来全ての昭和の陰謀・テロ事件に関与していたという。要するに、天皇をロボットとしか考えないし、赤色テロリストと何ら異なるところがないのが、永田鉄山、および他の統制派軍官僚の実態だった。そして陸軍の社会主義思想こそが、大日本帝国を滅亡させたと著者は断罪する!!

5.陸海二元統帥 
 世界的には、海戦で戦争にケリがつくことはほとんど無く、陸戦が最終決戦であることなど、軍部内における海軍と陸軍の比重では、圧倒的に後者が強く、陸軍参謀本部が国軍全体の要として、統合参謀本部の中心となるという。

 しかるに、日本のみは、日露戦争時の海軍大臣山本権兵衛が強力に自己主張して、陸海二元統帥という他国に例のない、相互に協力体制のない、不可思議な体制が実現されたという。

 山本は、海軍戦略上の都合(在東洋の露艦隊を先に撃滅し、その後欧州から回航される露艦隊との決戦を行う)から、明治天皇を押しまくり、開戦のイニシャチブを取り、旅順口急襲作戦をもって先制攻撃した。しかも、海軍軍令部長ではなく、海相である山本権兵衛が、連合艦隊司令長官の東郷平八郎と第三艦隊司令長官の片岡七郎に開戦を命令した由。
  日清戦争では、陸軍参謀総長の有栖川宮が、陸海軍に対清国開戦を命令したのに、今回は陸軍は蚊帳の外だった、という。日露戦当時、海軍と海相の地位が極めて向上していたのだ!

 ちなみに著者はp.105で、「日露戦争は山本権兵衛による旅順口急襲作戦、太平洋戦争は山本五十六の策案したハワイ作戦で、開始された。両方とも陸軍はカヤの外であった」として、世界の大国中で、日本ほど海軍に比重を置く国は無いと述べている。

6.主たる「戦犯」は、帝国陸軍統制派
  他方で、この著書が「帝国陸軍」に関する本であることを除外しても、昭和期の「軍閥」が主として陸軍内部における権力抗争の中で生まれ、なかでも統制派という「統制経済主義者=社会主義者」達が、非効率な社会主義経済(著者は、実際には、「官僚統制」では、何ら経済「効率」、「生産力」は増大、向上せず、失敗だったことも数字で証明している)の採用と、対独シンパ思想(ドイツは社会主義の本家!)から、国家を滅亡させたと断罪している。

 小生は、東北出身軍官僚エリートの板垣征四郎と石原莞爾を戦犯として既に断罪したが( 2010/03/24付け本ブログ記事「昭和期軍部への断罪」参照)、本書を読むと、永田鉄山という、従来は意外と高く評価する書籍が多かったように記憶する、統制派の首領が、そもそもの統制経済論の元凶で、しかも、陸軍主導のテロ事件全ての黒幕でもあったらしい。すなわち、戦略で敗戦の直接原因を作ったのは、海軍だが、日本全体を官僚主義のダメ国家としたし、戦後の官僚主義の前例、基盤をこしらえたのも、陸軍の連中なのだ。

7.現代の陸軍統制派は民主党だ?
  そういえば、旧社会党、現在民主党の中の労組系の組織票は、官公労系が主体であるし、その中でも強力な金力、組織力を誇る日教組などは、ある意味戦後の「キャリア官僚」達と同類の、強制的な金・富の再配分、私有財産の公的収容を「公益」と考える、隠れ社会主義思想の持ち主達では無かろうか?
 自由な言論ではなく、「ダメと言ったらダメ」と、論理性さえ無視して、一方的に押しまくるのは、まさに彼らが社会主義者だからだ。社会主義の本質が、高級官僚達による独裁であることは今や自明で、キャリア官僚、またはそれの裏返しである労組官僚達が、戦前の陸軍官僚と同じように、政治権力を狙っているのだ。
 
 国民として、警戒すべきではないか!!自由主義経済、民主主義で一貫して、豊かな日本国を追求していく方が、まだましである。皆さん、自民党を見直しましょう。

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