テーマ:マケドニア

偉人百選:ヴラディミール・ディミートロフ

  88番目の偉人Vladimir Dimitrov –Maystoraは、明るい原色を多用し、多くの肖像画、風景画を祖国に残したブルを代表する画家です。印象派というよりは、一種の象徴主義画家と見做されているようです。   両親の出身地は、実はAndrey Lyapchev(86番目の偉人)と同じ地域、すなわち現在マケドニ…
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偉人百選:アンドレイ・リャプチェフ

  86番目の偉人は、現在のマケドニアResen町生まれで、珍しい少数民族系の出自(ヴラフ)であるAndrey Lyapchevという政治家です。同人は、Stambolovとは対立したPetko Karavelovと親交を結び、民主党、或は民主合意党の党首として、ブルの政界で重きをなした人物です。   若い頃は、マケドニア解放運動…
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偉人百選:ナウム・テュフェクチーエフ

  83番目の偉人(またもやマイナスの偉人)は、あの偉大な解放後の大物政治家St.Stambolovの暗殺を企画し、実行させたテロ活動の専門家Naum Tyufekchievです。武器商人として、ロシアのボリシェヴィキに対しても、或はVMOROにも武器を売り込んだし、殺人請負人として種々の政治的陰謀にも加担したようです。   現在…
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偉人百選:ヤーネ・サンダンスキ

  82番目の偉人は、Yane Sandanskiという、かなり極端な人物です。A.Tsankov同様に『百選』著者らによっては「マイナスの偉人」と位置付けられています。自らの個人的野心の故に、VMORO活動を、内部分裂による兄弟殺しという流血で低劣化したし、マルクシズムの影響を受け、「バルカン連邦」と言う夢想主義に走り、「マケドニア民…
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偉人百選:ミハイル・ゲルジーコフ

  81番目の偉人はMihail Gerdzhikovと言います。ブルでは珍しいアナーキストの理論家兼アナーキズム運動創始者ですが、他方で、マケドニア解放運動にも参加したことがあるし、結局はPlovdiv市(トラキア地方の中心)出身者として、Gotse Delchevによってオドリン地方(東トラキア)の解放闘争の指導者に指名され、Ili…
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偉人百選:イヴァン・フィーチェフ

  第62番目の偉人Ivan Fichev中将は、バルカン戦争時に、その戦争準備期における作戦計画の立案段階から、戦争指揮の主役として活動した人物です。対トルコ軍作戦と言う緒戦では大成功したものの、同盟国として信用できない諸隣国の「裏切り行為」の結果、マケドニア地方の大部分の領土をセルビアとギリシャの両国に「横取り」された上、全く「同盟…
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偉人百選:ボリス・サラーフォフ

  61番目の偉人は、またもやVMRO関係者です。19世紀末から20世紀初頭に活躍した人物で、目的のためにはテロ活動も辞さないという、かなり過激な人物でした。最初はブル本国系(外部系)の最高委員会に所属した元軍人ですが、やがては内部系組織(VMORO)の闘士として行動しました。   1872年生まれという点では、24番目の偉人であ…
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偉人百選:ペーヨ・ヤーヴォロフ

  60番目の偉人は、Peyo Yavorovという詩人です。高校さえまともに卒業できなかったほど相対的には貧しい家庭に生まれたようですが、若い時からマケドニア解放運動に熱中し、また詩人としての文才を発揮しました。   更には、ソフィア市では二人の女性を愛し(一人目が結核で死亡してから、次の恋人(この女性は名門のお嬢様だったがバツ…
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偉人百選:フリスト・タタールチェフ

  56番目の偉人は、Hristo Tatarchevといいます。世代的には、VMORO活動家として、24番目の偉人Gotse Delchevとあまり変わらず、むしろHTの方が3年先に生まれています。他方で、GDは1903年に31歳と若くしてトルコ軍に包囲され、戦死したのに比し、HTは1952年と第二次大戦後まで長生きし、死亡時は82歳…
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偉人百選:トードル・アレクサンドロフ

  54番目の偉人はTodor Aleksandrov、またもやVMRO(ヴェメレオ、英語IMROイムロ=Internal Macedonian Revolutionary Organization)活動家の話です。そもそも、ブル国のオスマン帝国からの解放運動は、ブル教会独立運動として始まり、やがてはオスマン帝国からのブル解放運動となり…
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偉人百選:フリスト・ダーノフ(その一)

  ブルガリアの復興期においては、ギリシャ人僧侶たちからの宗教的自立運動、次いでオスマン帝国からの自立運動があったが、それらの根幹には、まず「ローマ人、ギリシャ人」と言うオスマン帝国時代のmilet概念から離れ、ブルガリア人としての民族的自覚の覚醒が求められた。そしてそのようなブル人意識の再興運動と密接に関連したのが、近代ブル語の研究と…
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偉人百選:ヨーシフ総主教代理

  第27番目の偉人はYosif総主教代理です。   この項で作者たちは詳しくは言及していないのですが、19番目の偉人Stefan Stambolovのところで述べたように、Yosifこそは、スタンボローフの漸進主義に同調し、ス首相と同盟を組んだ相手なのです(http://79909040.at.webry.info/201101/a…
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偉人百選:ゲオルギー・ディミートロフ

  25番目のブル歴史の偉人は、Georgi Dimitrovです。   社会主義時代のブルでの生活を体験した小生としては、毎年ディミートロフ廟前で行われた9月9日の「革命記念日」の行進行事が、それなりに記憶に残っている。資本主義国の物質的繁栄を知っている我々外国人は、品数が極端に少ない「貧しい社会主義国の市民」たちが、その洗脳教育と…
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ブルガリア史の偉人100選:ゴーツェ・デルチェフ

  24番目の偉人は、現在ギリシャ領となっているブル人町Kukush生まれの英雄ゴーツェ・デルチェフです。本人自身は「ブル人」と意識し、マケドニア地方を最終的にはブル国と併合することを夢見て、組織作りに奮闘した人物なのですが、歴史の皮肉と言うか、今では「マケドニア共和国でも、マケ人の英雄扱い」されているようです。   このような歴史の…
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ブルガリア史の偉人100選:ミラディーノフ兄弟

  偉人百選の第16番目です。   オスマン統治期の晩期に、現在はマケドニア共和国領西部にあるStruga町の陶工の子息として生まれた兄弟(とはいえ、年齢差は20歳もあった)が、ブル人文化人としてのナショナリズムに覚醒して、マケ各地で行われ始めていた「ギリシャ化」の波に抵抗し、昔からのブル文化を、民謡歌詞の発掘、採集という手法で出版し…
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ブルガリア史の偉人100選:サムイル王

  偉人百選の14番目です。   サムイル王に関しては、隣国マケドニア共和国の捏造の歴史(旧ユーゴ時代のチトーによる捏造史観のたまもの)では、マケドニア王朝の始祖と位置づけされているらしいが、本当は以下に記す通り、ブル第1王朝期に最後の奮闘ぶりを発揮して、ビザンツ帝国に抵抗した人物です。 14.サムイル王=ブル第1王国最後の対ビ…
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ブルガリア史の偉人100選:フリスト・ボーテフ

  とうとう、11番目のフリスト・ボーテフの登場です。ボの残した詩文は、数は少ないが、いずれも火を吐くような美文で愛国心を謳い上げ、すべての教科書に掲載されて、ブル人の脳裏に刻み込まれています。その意味で、誰からも愛されている、本当の意味での国民詩人と言えるでしょう。 11.フリスト・ボーテフ=ブル人が愛する国民詩人(1848--…
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マケドニアでの体験(その二)

  「マケドニアでの体験」のその二です。 6.RE:マケドニアでの体験 (mugi2013-10-24 ) >こんばんは、室長さん。 (1)スコピエの酷暑  93年の夏頃の貴方のマケドニア出張時のお話も興味深いですね。スコピエは何と昼間は40度ほどにもなるのですか!その夏は特別な猛暑ではなく、毎年そうなのでしょうか。さら…
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マケドニアでの体験

  さて、11月に入ったので何か記事を書こうと思ったのですが、読書の秋で、読んでばかりで新発想が出てこないので、諦め、またもやmugiさんのブログで展開したコメントを再利用する(リサイクルする)という手段で記事とします。原文は、以下のブログで:http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4fbe82e25f35d82…
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読書感想文:『夫婦で行くバルカンの国々』(その二)

  読書感想文のその二です。  p27:「だから、オフリドはマケドニア正教の聖地であり、いっときは365もの教会があったという。ブルガリア帝国の首都だったのだから大変な要地なのだが、ガイドの女性は、それはブルガリア帝国なんかではなくマケドニア帝国ですと言い張るのだった。」  小生注:サムイル王(注:Samuil、統治期間:997…
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読書感想文:『夫婦で行くバルカンの国々』(その一)

 さて小生は、8月に入って連日の猛暑が続く関東地方のアパート住まいである。4階にあるので、それなりに風は通るから、例年ならこれほどの酷暑を感じないで済むのだが、残念ながら今年は毎日室内でも30度を超えるので、なかなかネット記事にも、書物にも、集中が困難だ。  しかし、最近妻が市立図書館から借りてきた文庫本は、小生の関心の中心である…
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毎年繰り返されるブル・マケ両国間の「紛争」

 最近小生は、「マケドニア問題」に関連し3回ほど連載記事を書いたのだが(http://79909040.at.webry.info/201212/article_3.htmlなどを参照)、1月13日は、実はある女性闘士による対セルビア人占領者たちに対する抵抗運動の記念日であり、この記念日を祝うかどうかで、00年以降、毎年スコピエでは騒動…
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「マケドニア問題」の根幹(その三)

さて、これまで2回のマケドニア問題に関する紹介記事で、ほぼ問題の根幹は説明し尽くしたと思うのですが、その後のNovinite.com英字紙の記事で、ムラデーノフ外相、ボリーソフ首相の両名が、EU内の検討の場で、「何故、マケ国に対しきつい立場を採ったのか」というブル側立場に付き、追加説明しているので、一応、「マケドニア問題の根幹」(そ…
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「マケドニア問題」の根幹(その二)

「マケドニア問題の根幹」のその二です。   因みに、昨晩の自民党の圧勝報道にはとりあえず喜んでいます。是非憲法改正まで実現して欲しいし、財政立て直し、原発再稼働にも、取り組んで欲しい。 (ウ)経済的要因から、北部ギリシャ住民は「ギリシャ人」となった   上記のように、北部ギリシャのブル語住民は、いつの間にか「同化教育」で…
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「マケドニア問題」の根幹(その一)

最近のNovinite.com紙記事によれば、ブルガリアは、最近特に目障りとなってきた隣国マケドニアという、「もう一つのブルガリア」による「反ブルガリア・キャンペーン」とか、歴史歪曲、捏造史観に基づく攻撃的態度に激怒して、他の隣国で最近はブルとの関係が良いギリシャ、ルーマニアと組んで、マケドニアのEU加盟交渉をはっきりと妨害する立場…
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スコピエ市における英雄像建立問題

 前回の記事(http://79909040.at.webry.info/201106/article_4.html)で、マケドニア共和国首都スコピエ市に、アレクサンダー大王に似た巨大な騎馬像が出現したと報じたのだが、マケドニア共和国内では、「似た」ではなく、明白に「アレクサンダー大王像」と呼んでいるらしいことが判明したので、ここに訂正…
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ブルガリア出身女優とマケドニア情勢

少し、ブログネタが少ないので、今回は、6月20日付Novinite.comネット英字紙に掲載された、二つの記事の紹介でお茶を濁すこととする。 1.ブルガリア人ハリウッド女優:Nina Dobrev    ブルガリア生まれ、カナダ国籍で、現在ハリウッドスターとして活躍するNina Dobrevという女優に関する記事が掲載され…
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フェルディナントの独裁時代③

「フェルディナントの独裁時代」の③です。 5.バルカン外交と2回のバルカン戦争:1908--13年 (1)ゲーショフ内閣の成立  第5次大国民議会がタルノヴォ市で開催される少し前、1911.03.11にNarodna partiyaとProgresivnoliberalna partiya連立政権が成立した。首…
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フェルディナントの独裁時代②

「フェルディナントの独裁時代」の②です。 4.マケドニア危機と独立宣言:1900--1908年 (1)国際情勢が悪化   1897年、クレタ島における危機を契機にオスマン帝国とギリシャは戦争に突入し、数週間内に、ギリシャ軍は、テッサリー(Thessaly)平原で壊滅させられた。この戦争は、マケドニアに関して、二…
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コソボの地位(民族主義をどこまで抑圧できるか?)

  最近ロシアの反対があって、コソヴォのセルビアからの独立を承認するかどうかを巡って、バルカン情勢が再び緊迫していると伝えられている。本件に関し、小生が1998年8月時点で考察したメモを見付けたので、ご紹介したい。内容的には一部、当時のメモに改訂を加えてある。バルカン半島における民族紛争の複雑さについて、改めて考えてほしい。 1…
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