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zoom RSS 社会主義を継続させた国:ベラルーシの実験

<<   作成日時 : 2007/09/18 16:37   >>

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 さて、前々回までに、ブルガリアにおける社会主義時代の思い出として4回にわたり、社会主義の欠陥、資本主義の利点について書いた。十分書き尽くしたように見えて、まだまだ書くべきことがあるようにも感じている。それは、どういう体制にも、それなりに欠点はあり、完璧な政治・経済体制というものは、所詮生身の人間が作る社会であるから、望めないもの、というところから考えて、やはり未だにこの世に理想的な社会が実現されたことがないからだ。

 今回は、89--90年に起きた、ソ連・東欧の「革命・変革」に背を向けて、ソ連式の社会主義を大部分継続するという選択をした、ベラルーシという奇妙な国家の例を挙げて、国民の選択肢の不可思議さを考えてみたい。

 小生の総括的な評価は、産みの苦しみを通じて、10年弱苦労を重ねたにしろ、人間の欲望と可能性を開放したブルガリアの方が、結果的にはベラルーシよりも成長、発展の速度は高くなっており、より成功したモデルであるとは思うが、そうでないやり方もある、ということでベラルーシはやはり参考にすべき国と思う。

1.ルカシェンコ大統領の選出
 1991.12.08ベラルーシ西部のベロヴェージの森で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ3共和国の首脳が集まり、ソ連邦解体に関して電撃的な合意を成立させ、ここにベラルーシはその歴史において初めて独立国家となった。他のソ連邦構成共和国も、この3共和国に続いてソ連邦からの脱退を決めたので、ここにソ連邦は崩壊した。

 1994.07.10におけるベラルーシ大統領選で、ソ連邦復活、共産主義体制継続を唱えるルカシェンコが、急激な体制変革、自由化に不安を覚えた主として年金生活者らの老人市民の支持を得て、大統領選に勝利した。同人は2001.09.09の大統領選でも再度勝利を収め、憲法も改正して、大統領職の3選禁止条項を廃棄し、独裁体制を確立した。

2.ルカシェンコ登場の背景、国民の選択理由
 隣国のロシアでは、経済の自由化、資本主義市場経済体制の推進など急激な改革の中で一部の新興財閥が勃興する中、多くの労働者が失業したり、モスクワの街路には売春婦がたむろするという、悲しい時期があったが、その後ロシアは石油、天然ガスという資源を活用し、また、プーチンという強力な指導者が出現して、社会、経済の混乱を収束させ、経済発展を確実にした。

 他方で、資源も持たず、コメコン(COMECON)経済圏における組み立て産業(機械製品の最終組み立てを担当する)国としての有利な地位を失ったベラルーシでは、国民が経済の市場化、資本主義体制への移行を嫌い、ともかく旧来の工場をそのまま存続させること、失業者を出さないこと、年金の支払いと最低限の市民生活を保障すると言うことを優先させた。集団農場という、社会主義時代の農業体制もそのまま存続させ、軍隊も、警察も、KGB(秘密警察)も、国営企業も、そのままの体制で継続させるという、全く時代錯誤のような政策が実行されている。

 そういう夢想主義的なルカシェンコ政権が誕生した背景は、結局の所、ソ連時代に一番高い生活水準を享受して、ソ連邦内の先進共和国としての誇りを感じ、ベラルーシ(白ロシア)という独自の民族としての意識よりも、自分たちも多数民族であるロシア人の一部、という意識の方が強かった市民感情が、原因であろう。要するに、ベラルーシの国民は、ソ連体制に満足していたし、ソ連邦の中の主流派民族ロシア人の一部として、共産主義国家ソ連邦による世界制覇を夢見ていたし、ソ連邦解体に賛成した共和国首脳の考え方に全く共感ができなかったし、青天の霹靂というべきソ連邦解体にも賛成ではなかったのだ

 この故に、94年7月の大統領選では、若くて元気で、しかもソ連邦の歴史的意義、偉大さを強調して、社会主義体制の継続を唱えるルカシェンコの選択肢を、国民の多くが支持したのである。最大の背景は、ソ連邦解体後、急速に進められた経済自由化で、国営企業が行き詰まり、失業の危機が生じ、年金の支給額が減少してとても生活できなくなったからだ。ルカシェンコは、全てを元に戻す、十分生活可能な年金額を保障すると言ったのだ。

3.労働者の首切りは無くなり、年金は支給されたが・・・
 ルカシェンコ体制では、企業の経営手法も、統制経済体制も、ほとんど全てがソ連時代に逆戻りした。企業経営陣には、労働者の首切りを禁じたので、ソ連時代に比べて生産量は例えば1/3に減少したのに、労働者の人数は据え置かれた。即ち、生産性は1/3になっても、労働者の首切りは政府の政策として、絶対に不可能となり、賃金はきちんと支払われるという、労働者天国が出現した。また、年金生活者の生活も重視され、最低限の生活が可能なように、物価の統制と、物価に見合った年金額の支給が重視された。年金生活者らにとっても、隣国のロシア、ウクライナの友人達に比べて、安心して生活ができるとして、威張れる社会が継続された。そのため、ロシア、ウクライナにに居住していたベラルーシ人らが、特に老人層が、喜んで帰国してきて、更には食えなくなったウクライナ人とか、アルメニア人、グルジア人も移住してきて変革後の人口減少が緩和されたほどである。

 ところが、賃金、年金支給を重視するという、「国民の福祉最優先」の政策は、それを支えうるような経済力に裏打ちはされていなかった。ソ連時代に好調だった国営企業も、ベラルーシは組み立て産業に特化した経済構造だったので、部品の供給元であるロシア、ウクライナなどの「協力企業」が、倒産して、部品が入ってこなくなったり、部品、素材価格が上昇したりして、企業経営は極めて困難となっていった。生産量は、年々低下する一方であり、利潤も出ない。製品の品質は、社会主義時代と同じか、それ以下となったので、トラック、建設機械、白物家電、などの国産商品は、輸出競争力が不十分で、年々輸出は不振となっていったのである。それでも、前述のように、社員は解雇できない、売上税という国税は支払わねばならない、など企業の体力は殺がれていった。

 それでも、経済が回り続けることができたのは、インフレのおかげともいえるかもしれない。企業にとっては、昔の社会主義時代同様に、モノ(原材料)を備蓄して、細々とでも生産を続けていけば、製品価格はインフレのおかげで月ごとに、半年ごとに高くなるのだから、それなりの売り上げ目標を達成したり、利潤を計上することができる。賃金も支払える。インフレ様様なのだ。

 他方で、もちろん、インフレを追いかける形で、ルカシェンコは賃上げ、年金額の引き上げを命じるので、鼬ごっこは続くこととなる。
 スーパーで買い物をしていると、輸入品はもちろんインフレをすぐ反映して値上げが激しいのだが、国民の必需品である黒パン、ビール、ウオッカ、牛乳などは値上げの速度が遅れ気味だ。モノの統制という社会主義経済だから、インフレの中でも、必需品価格は優遇されていることが明白だった。

 老人の年金生活者らは、黒パン、サーラ(豚脂)、ウオッカ、などの必需品が買えれば、後は自留地での野菜・果物・ジャガイモの自給を通じて、何とか生きていけるのだ。電気代、暖房費、その他の公共料金も、相変わらず採算レベル以下の水準が保たれており、国民は社会主義の利点を実感して、貧しいながらも、混乱が継続するロシア、ウクライナに比べれば、よほどベラルーシはましだ、ルカシェンコはよい指導者だと、感じていた(00--02年頃の話だが、今もそう変わってはいないのだろう)。

4.インフレにもかかわらず、生活は保たれた
 ベラルーシ独立後の経済は、社会主義体制が保たれたと言っても、やはり旧ソ連時代とはかなり変わった。国営企業の経営者らは、生産性が落ちたものの、トラクターとか、ブルドーザーとか、冷蔵庫、タイヤ、下着などを輸出した場合、ソ連時代には、ルーブルで対価を受け取っていたのが、今ではドルで代金を受け取れるし、自らがロシア人、ウクライナ人の商人達と商談して、自由に価格を契約できるし、こっそり代金の一部を裏金で、西欧にある自分の銀行口座に振り込ませるという「悪事」も可能となった。

 ビール製造の国営企業経営者は、相変わらず製品価格を国家統制されてはいたが、また品質は低いままであったが、ロシア人の商人達が工場を買収するための「商談」に来て、接待で豪華な食事などを提供して、もてなされるようになった。少なくともちやほやされるようになった。

 年金生活者らは、ルカシェンコがウオッカはやめて、ワインとか、ビールとか、アルコール度の低い酒にしようと奨励しても、安いウオッカをやめる気はなかった(0.5L瓶の一番安いウオッカは、円換算140円ほどで買える。月に10本飲んだとしても、1400円と毎月もらえる年金額の1割程度に収まる。ビールは0.5L瓶で40円ほど)。主食の黒パンは、ベラルーシの肥沃ではない土壌でも収穫できるライ麦を主たる原料(他は小麦粉)としており、ミンスクの各地域には、社会主義時代以来の古くさいパン工場で、ほぼ毎日のように焼きたてを売っている。焼きたての黒パンは、独特の香りが豊かで、おいしい。ライ麦から作られるロシア式の清涼飲料クワスは、1.5L入りのペットボトルで安く売られていた。愛国者には、同じ黒色系飲料として、コカコーラよりクワスなのだ。ペットボトルという原材料は、ソ連時代には貴重品で、工場も入手できなかったはずだが、周辺国が自由化したおかげで、ルカシェンコ時代には、ペットボトルとかは輸入ができるようになったのだ。ロシア製の、ベラルーシ製よりは味が少しましなビールも、同じく1.5L入りのペットボトルでも売られるようになり、驚いたものだ。

 牛乳は、社会主義時代のままに、安っぽいビニール袋入りで、価格はやはり非常に安いままで売られていた。この袋はよく破れ、スーパーの売り場では、こぼれた牛乳の液体の中に売れ残りの牛乳袋があるので、牛乳を買うときはいつもティッシュ持参で、こぼれた牛乳で汚れた袋を拭きながらレジまで行かねばならない。それでも、品不足はあまりない。牛乳は集団農場で生産され、輸出は不可能だし、スーパーでしか売れない。ケフィアという乳製品(コーカサス原産の乳酸菌と酵母で発酵される飲み物、一種のヨーグルトのようなもの)は、味はまずいが健康によいということで、小生も結構買うことが多かったが、これも価格は30円か40円という安さだったと思う(1L当たり、因みに、ミネラルウォーターは1L当たり100円ほどもするので、「水の方が牛乳より安いのでは、生産意欲がわかない」と農民らは批判していた)。ケフィアもロシア製の、瓶入りの高級品も売られていた(値段は高くなるが、品質はより良かった)。一部のスーパーでは、輸入品の冷凍のイカ、エビといった我々日本人が欲する食材も売られ初めて、社会主義時代に比べて、社会主義が残ったベラルーシでも、それなりに消費生活は豊かになっていた(これら高級品を買えるのは、金持ちと外国人くらいだが)。

 中国人経営の中華料理店とか、米国資本のマクドナルド店(高級レストランと見られていた)、なども開店していた。

 要約すると、毎月5--10%というかなりのインフレが続いていたが、経営者も、労働者も、年金生活者らも、それなりに安定した生活を送り、大きな不満はなかった。もっとも、工場、企業には、将来展望が無く、青年層も大学を卒業しても、就職先は少なく(ただし、優秀なIT技術者とか、能力のあるものは、西欧とか、ロシアとか、自由な国に出て、出稼ぎすることができるし、美人で有名なベラルーシの女性達は、パリに出てマネキン(モデル)になるとか、外国人と結婚するという脱出方法がある)、出世の機会も少ないので不満があった。もっとも、それなりに(ある程度)優秀な学生らには、軍人、警官という大規模な就職口が待っている。

5.経済発展が無くとも、ある程度は生活は安定する?
 極めて不可思議に思えるが、人間はある程度諦めれば、それなりに安定した生活を送れるのではないだろうか。グルメといえるほどのおいしい食品を期待せず、将来の出世とか豊かな生活という「欲望」を捨てて、貧しいながらも、飢えることはなく、細々とこれまで通りの生活を続けられることが幸せ、と考えることができるならば、ベラルーシの国民のように、黒パンとウオッカとサーラが安ければ、暮らしていけると、楽観的に考えるならば、世の中はさほど暮らしにくくはない。

 もっとも、経済自由化したラトビアのある人は、一度資本主義体制で作られたおいしい食品に慣れてしまったので、今では昔のソ連時代のままの品質のベラルーシの食品は、不味くて食べられない、と述べていたので(これは日本人の我々も、多くのベラルーシの食品を、とても食べられないと感じたので、同感だが)、やはり社会主義の中で生きていくことは、容易なことではないというのが真相ではある。

 他方、指導者のルカシェンコは、ソ連時代同様に、軍隊、警察には寛大に資源を割り振るので、軍人とか、KGB職員とか、警官らは、旧来の社会的尊敬を集めうる自分の職場(少なくとも、本人達はそう信じている)に満足している。制服も、備品類も、社会主義時代よりは品質が良くなり、かっこうよくなった。

 消費物資も、闇市場的なものが公認された市場には、商人達がロシアとかポーランド、ウクライナ、トルコなどから買い付けてきた商品が溢れ、ソ連時代に比べればかっこうよいジーンズとか、割安な中国の商品(家電製品を含む)が買えるのである。社会主義体制が保たれ、一部の目障りな金持ちが(少しは出現しているが)、あまりにも多くいて目障りなロシアに比べれば、ベラルーシでは、ルカシェンコ様が彼らを取り締まってくれるので、さほど自分たちの貧しさと金持ち達の豪華さという社会格差も目立たない

 企業の設備は年々老朽化して、来年の操業が不安だが、ベラ人達の技術力で、来年も何とか機械と設備は稼働できるだろう。パン工場所有のトラックも、信じがたいほどの年代物(恐らく60年代製造)であるが、ベラ人達の技術力で、未だに動くのだ。集団農場も、ライ麦とジャガイモの生産が、極端に不振となることはないであろう。少なくとも、秋の収穫時になれば、ルカシェンコ閣下が農村周りをして、地方の高官達を叱咤激励するので、農民達は自分たちが忘れ去られているという孤独感は味わわないですむ。心配なトラクターとトラックの燃料も、秋になると、ルカシェンコ閣下の号令下、どこかからタダで供給されてくる!!(ちなみに、ルカシェンコ大統領は、元来が集団農場の秋の収穫キャンペーンなどをアジ演説で盛り上げる、共産主義の宣伝屋が本職であったそうだ。大統領になっても、秋になると本能的に農村周りを欠かさない!)
 ウオッカは安いし、それなりにうまい!サーラを肴にしてウオッカを飲めれば、他に何が必要だろう!

 
6.完全な資本主義ではなくとも、経済は破綻しない?
 ベラルーシの経済は、ある意味小生にとり、未だに謎であるが、それなりに合理性を持っているようだ。成長から取り残される欠点はあるが、インフレに基づくタイムラグを利用して(価格は上がるが、賃金、年金の引き上げには、2--3ヶ月の遅れがあるので、そのタイムラグとか、通貨発行による利益とかで、国家は税収不足をカバーできるのである)、ベラルーシの政府は奇跡的ともいえる形で経済を何とか生かしていた。かつて、チトー時代末期のユーゴスラビアでも、そのようなインフレが利用されて、国民の不満を最小限に抑えつつ、社会主義体制を保つことができた。ソ連という国家の一部であったベラルーシ共和国の場合、通貨発行の権限は、連邦政府が握り、通貨発行による利益は連邦に奪われていた。ある経済学者の推計では、独立国家となって、自国通貨を発行する権利を得たことで、年間数億ドル分の利益がベラルーシ財務省には生まれたという。

 もっとも、「ソ連」独立したために、ロシア国家の保有となった石油、天然ガスという資源から切り離されたので、ベラルーシは、これらを高値でロシアから買わなければならなくなっている。元々ロシアとは、兄弟国という感情が強いので、ベラ人達は、ルカシェンコ大統領を含めて、自分たちが国際価格で石油とか天然ガスの代金を支払う義務があるということが、なかなか納得できないのだ。

 ともかく、ベラルーシには、国営企業の多くが、資本家らには、ある程度の高値で買い取る価値のある企業が多くあったが、ルカシェンコは国家の資産であるとして、主としてロシア人の財閥指導者らに対し、「安値では売らない」との公約の下、ほとんどの資本家からの提案を拒否するので、なかなか経済の近代化とか、資本主義的な改革とかは、進展しなかった(今も、あまりしていないと思う)。

 
7.不思議の国に未来はないが、それでもある程度は生き延びうるだろう
 ともかく、民主主義的な選挙(少なくとも、94.07の最初の大統領選では、選挙干渉は少なく、自由選挙が実現していたと見られている)で国民は、自分たちの職場と賃金を守ってくれると約束したルカシェンコを選んだし、その後の選挙でも、この公約をおおむね守っているルカシェンコに、若干不満は増えているかもしれないが、多くの年金生活者らが引き続き期待して、支持するので、政権は存続している。貧しいが、社会格差が相対的に少ない社会を国民が選択するならば、ベラルーシはその一つのあり方を示している。小生はベラ人達に、「共産主義とは、昔の一部の日本人の間にもあった、清く、美しく、貧しく、という原則を意味しているのだな」と皮肉を言ったものである。(注:意外にも、ベラルーシ人の反応は、「その通りだ。発展しなくとも、社会格差のない、搾取のない、そういう生活でよいと自分らは考えている」というものだった。)

 もっとも、国民が犠牲にしたことは少なくない。社会主義体制は、言論の自由を保障しないし、選挙においても、候補者らは予め限定されている。しかし、ベラ人達は、本当の自由を経験したことも少ないし、昔通りの生活を守ることに賭けたようだ。 
 経済の方も、公設市場における消費財の個人商人による売買の公認とか、一部の私有企業の許可、など部分的な自由化もあるし、国民の多様な欲望にある程度は対応できる仕組みができている。例えば、カザフスタンから移住してきた朝鮮人達は、市場で酢漬けの漬け物を売っている。色が赤いので初めはキムチかと思ったが、ベラ人、ロシア人らは辛いものを好まないので、白菜・ニンジンの酢漬け(パプリカで色は赤くなっているが、辛くない)としたようだ。ともかく、市場の商人は「個人企業家」と呼ばれており、公務員ではない。ただし、市場は市などの地方行政組織によって管理されているので、彼ら個人企業家は、売り場面積当たりの借料を市の役人に支払うこととなる。

 市場商人とか、個人商店とかもあり、部分的な自由化が為されているので、かつての社会主義時代に比べれば、自由な雰囲気もある。これらが、窮屈な社会主義経済のガス抜き、若干の緩和剤ともなっていると感じた。

 いわば混合経済とも言えるが、大企業はやはり全て国営企業で、農業も個人農を増やす政策に転じていなかったので、少なくとも03年前半までのベラルーシは(その後どうなったか、情報を得ていないが)、相変わらず古い社会主義経済の根幹を残したまま、経済資源の大半を賃金、年金支払いに充当しつつ、生き延びているという、後ろ向きの社会体制をとっていた。

 このことはまた、不思議だが、国民の少なくとも1/3が望ましいと考えている方向である。小生の好みではないが、やはりそういう国が残っていると言うことは、多数ある国際社会の中で、人間の選択肢という意味で、今後も興味深いのである。北欧の福祉国家が、相変わらず、高い税金と高福祉を維持しているのと同じで、国民が自由までも捨てて、現状維持を選んだ国がベラルーシでは無かろうか。ロシアも、プーチン政権で、経済の自由化も最近は少し軌道修正しているらしいし、少なくとも言論の自由の面でも、また制限をかける社会に戻りつつあるようだ。そのことが国民の自由な選択の結果ではないとしても、少なくともそういう傾向が顕著な人間を指導者に選択したという意味で、ロシアも、ベラルーシと大きく異なっているわけではないだろう。


 
 

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ノスタルジック反乱(その2)・・・愚かな選択?
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