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zoom RSS 日本国の成立は7世紀

<<   作成日時 : 2009/09/19 10:07   >>

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最近、東洋史学の新感覚の学究であられる岡田英弘氏の著作を読んだ。一種の読書感想文として、下記の記事を書くこととした。特に、白村江の戦いにて唐の大軍と戦って大敗した後の、倭国の生き残り戦略として、天智政権が当時のアジアにおける超大国中国からの侵攻を憂慮して、大和政権を中国の唐と対等な天命を受けた独立国の王朝として、反中国イデオロギーの下に新国家の独立、自立を宣言したのであり、この故に日本国はその後一度も中国政権に正式の国書も提出せず、独立国家として対等に生きてきた、との史観を提示されており、我が国の歴史に関する解釈として、潔い決意が見えて共感できる。更には、「中国に深入りして、日本国が自滅した」と大東亜戦争を総括し、故に現代日本国も、中国に深入りすることを避けよと警告していることも、時節にかなった歴史家の警告として、より注目されてしかるべき意見と言える。

1.読書
 昨日(9月17日)、岡田英弘著『日本史の誕生』(ちくま文庫、08/06第一刷)を読み終えた。既に岡田氏の著書としては、08年5月の本ブログ記事「朝貢と女帝」及び09/04の「NHK教育TV特集の非常識」で触れた『倭国』(中公新書、07年)を読んでいたので、日本という国号を採用する前の倭国の段階においては、日本の北九州から瀬戸内海、更には近畿地方にかけて、華僑主導の交易拠点の開発、右拠点を中心とする倭人酋長国(集落)の出現、などの歴史展開があった、という岡田理論には、それなりに慣れていたのだが、今回の著書は更に説得力豊かに、「歴史」という文字で書かれる書物の成立に関わる「文明の論理」までが詳しく理論づけられていて、啓蒙された。皆さんも是非お読みいただきたい。目から鱗が落ちる日本史誕生の秘密に関する新説が目白押しである。なお、岡田氏には、08年5月に小生がこのブログ(「連休明け」)で紹介した中国史に関する著作(『中国文明の歴史』=講談社現代新書)も存在するので、ご紹介する(これも名作である)。

2.邪馬台国の位置
 本書の第2章では、邪馬台国の所在地に関して、現在の山口県辺り、関門海峡の近く、と推論しており、極めて説得力がある。魏志東夷伝倭人の項がどういう経緯で成立したか、という三国志・魏志筆者陳寿の置かれた政治的立場にまで配慮・推理して、執筆内容の信憑性を評価して、邪馬台国を西方の大月氏国と対等の大国として叙述する必要性があったから、倭人項に見られるようにわざと遠方の、南洋の国家のごとく書いたのだという。
 そこで著者は、現実の邪馬台国は、秦・漢系の中国語を話す華僑達が牛耳っていた関門海峡付近の小国家に過ぎず、倭人項で詳述された経路の最終部分にあるもう一つの奴(ナ)の国(最初の奴国は、博多にあった由)は、難波津で、ここにその後ヤマトの河内王朝が出現したという。当時楽浪郡の所在した平壌から、河川を辿る水運で、漢陽(ハニャン、現在のソウル)→忠州→尚州→釜山に出て、その後海路を取って対馬、壱岐を経て博多(奴国)に着き、更に瀬戸内海沿岸の各地の港を経て、最後に難波津に至るという華僑の交易路があり、邪馬台国の卑弥呼は、そういう華僑の移民達の倭人(現地人)との利害調整役=名誉総領事的な立場であったという。 

3.日本の国号など
 岡田氏は、668年に近江の大津京で即位した天智天皇が本当は初代の「日本国天皇」であり、天智天皇が制定した「近江律令」に、日本国という国号、天皇という王号の双方が規定されていた、と推理している(p.240)。
 
4.歴史の見方
 本書最終章の第13章が、「歴史の見方」であり、東洋史家としての岡田理論の総括的な部分であり、大いに感動させられる部分だ。まさに、歴史オタクとしては、一番愛読すべき箇所である。あまり長い引用は、著作権の侵害ともなるので、少しだけ触れさせていただくこととしたい。
 歴史とは、記録者の意志の表現であり、言葉による説明である、という。結局歴史家が書いて創り出す物語であるのだ。その歴史とは、紀元前5世紀の地中海文明と、紀元前2世紀の中国文明の中で、それぞれ個別に発生した文化である、という。地球上の他の文明には、独自に発生した歴史という文化はなく、何れからコピーしたものだ、という。
 ヘロドトスに始まる地中海文明の歴史とは、アジア対ヨーロッパ、東対西、野蛮対文明の対立・抗争という視点から描くもの。キリスト教が浸透した後の西欧人は、右歴史の伝統に立ちつつ、「ヨハネの黙示録」に照らして、世界を善の原理である「主なる神」の軍勢と、悪の原理である「サタン」の軍勢の戦場という視点から見なし、善が勝利する、という史観である由。

 他方、アメリカ合衆国には、独立以前の歴史がなく、アメリカ人というアイデンティティーを作ったのは、1788年の「合衆国憲法」における自由と民主主義というイデオロギーである由。故に、米国には、建国後200年を経た今も、国民全体が共有する歴史は、ほとんど無い、という。ヒストリーという言葉は米国では、「誰でも知っている話し」くらいに軽く扱われる由。

 日本文明は歴史のある文明であるが、日本文明の歴史という文化は中国文明からの借り物である由。中国文明でヘロドトスに相当するのが、『史記』著者の司馬遷である。司馬遷は、紀元前2世紀から前1世紀にかけ、54年もの長きにわたって在位した前漢の武帝の側近で、占星術を担当する太史令職にあった人物。一代の治世において、中原の限られた土地から一気に膨張して、当時の人間(中国人)の知見の及ぶ範囲の世界をことごとく支配下に置いた、神に近い人格が武帝であった。よって、史記では、武帝を中心として回転する世界の姿を叙述し、天文・地理・人事百般にわたると共に、武帝の巨大な権力の起源を説明して、神話時代の黄帝に始まり、五帝・夏・殷・周・秦の各時代を貫いて、前二世紀の当時にまで連なる「天命」の不変の「正統」を叙述する形式を取っている。地中海文明の歴史が、対立・抗争を歴史の本質とするのと違って、中国文明の歴史とは、一定不変の世界を叙述することによって、皇帝権力の正当性を証明するためのものである、という。

5.日本型の歴史は、反中国イデオロギー
  オオキミ斉明が百済再興のため派遣した倭軍は、663年の白村江の戦いで唐軍に敗北した。更に唐軍は668年に高句麗王国も壊滅させた。
 そこで倭人達は、アジア大陸から排除され、海中に孤立することとなり、急いで中央政府を樹立して、団結して唐軍侵攻の脅威に備えざるを得なかった。かくして、668年、高句麗滅亡と同じ年に、天智天皇が即位して、初の「日本国天皇」となったのである。
 歴史のある中国文明から独立した日本国は、やはり歴史のある文明国として、中国に対抗して独自のアイデンティティーを主張するための国史を必要とし、天智天皇を継いだ天武天皇が国史の編纂に着手したのである。681年に作業を開始して、39年を経て、720年に『日本書紀』が完成した。内容は、天智・天武兄弟の祖先が、天の神々から正当性を受け継いで、常に日本列島全体を統治してきたと主張して、しかも中国からの影響を全く無視するもの。日本国の建国自体が、中国からの侵略を予防するための措置だったから、そういう風に「事実」とは正反対の主張、記述となった。

 何れの文明でも、最初に書かれた歴史の枠組みが、人間の意識を規定するのであり、「日本書紀」が主張する、日本は中国とは対立する、全く独自の正当性を天から譲り受けた国家であるという思想は、長らく日本の性格を規定した。この思想自体は、「史記」以来の中国の歴史枠組みをそっくりコピーしたもので、一種の中華思想(日本版)だが、中国とは別の日本の正統を立てたことから、当然中国と日本とは両立できないこととなる。「天命の正統」は、世界にただ一つしかないはずだから!!

 上記のように岡田氏は、「日本書紀」によって日本国の天皇が、独自の天命を受けた正統な王朝であると主張することで、日本は中国世界と正式の国交を結び得ない、反中国的な存在となったことを強調する。すなわち、遣唐使が決して一度も正式の国書を唐に持参しなかった理由も、中国皇帝側が対等の他者の存在を容認しないから、日本国として不平等な国書は書けなかったからだ、と議論する。その視点から、15世紀に足利幕府の足利義満が「日本国王」と称して、明の永楽帝に使者を送り、息子の足利義持が「日本国王」に封じられたことも、征夷大将軍職は天皇が任命する職務で、日本国元首ではないから、正規の国交ではありえないと主張する。

 よって岡田氏は、日本国と中国との最初の国交は、日本の建国(668年)から1200年以上も経た日清修好条規(1871年)であるとする。もっとも、当時の清国は、満洲人という異民族の支配下にあった植民地の一つであり、1894--5年の日清戦争は日本と満洲人との間の戦争であり、日清戦争の結果日本が領有した台湾は、満洲人の清から割譲されたものだ、と厳密に注釈する。

6.中国との関係を深めると日本国は破滅する
 日清戦争敗戦後、清は日本型の近代化・欧米化方式の直輸入に着手したが、その結果は1911年の辛亥革命による清帝国の崩壊だった。1912年誕生した中華民国は、共和国とは名ばかりで、軍閥の割拠と内戦の連続で、日本と中国との関係が深くなればなるほど日本国は中国の混乱に巻き込まれ、更にロシア革命の後、共産主義の脅威まで中国大陸に浸透して、結局日本国は国策を過って満州事変、支那事変、大東亜戦争と、泥沼にはまり、国家滅亡に至ってしまった。(注:大東亜戦争敗戦は、白村江の戦い敗戦、秀吉軍の朝鮮からの撤退に引き続く3回目の日本の「敗戦」とも言えるが、岡田史観では、白村江の戦いは、在倭華僑達が多くいて、未だに倭国は中国文明の一部分だったのだから、「倭国」時代を除いて「日本国」時代としての敗戦は、2回のみとなる。)
 他方で、大東亜戦争敗北以降は、米ソ対立のおかげで日本は再び中国と絶縁して、その間に未曾有の繁栄を享受できた!! 
然るに、ソ連が崩壊して共産主義の脅威が消滅した今、日本は再び中華人民共和国と密接な関係を結びつつある。我々日本人は、7世紀の建国以来19世紀に至るまで、常に中国とは深い関係にはいることを避けてきた。いわば鎖国は、日本の建国以来の国是であったし、それが地政学的に必然で、日本の歴史なのである。関係を避けきれなくなって中国に巻き込まれて失敗したのも、また近年の日本の歴史である!!と岡田氏は警告する。
 現実の日本経済は、既にどっぷりと中国経済からの需要に依存していており、対中経済関係まで切ることは難しいと思われるが、歴史を通観しての教訓には、皆が留意すべきであり、中国とは深く関わらない、常に自尊自立を心がけて、中国とは距離を置くべきという日本の歴史の宿命を再度明記すべきであろう。単に儲かるからと言って、軽薄に中国にのめり込むようなことは、日本の歴史の知恵から見て、無謀なのだ!!!





中国文明の歴史 (講談社現代新書)
講談社
岡田 英弘

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「日本国の成立は7世紀」(続編)
「日本国の成立は7世紀」について 岡田英弘氏の『倭国の時代』(ちくま文庫)を読了したので、少し感想文を書く。   先に紹介した池橋氏の「稲作渡来民」=江南地方からの越人移民の到来に関する歴史推理とともに、従来我々が日本史として理解してきた流れとは全く異なる新歴史観が姿を現したと言える。岡田史観では、古代(古墳時代)の華僑社会形成こそが、日本国(及び韓半島の統一新羅国)建国の基盤だった、という極めて説得力に富んだご意見である。   実は小生は個人的には、脱亜論の方が好きで、近代以... ...続きを見る
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2009/10/01 14:07

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 岡田英弘氏の著書は未読ですが、とても面白そうな内容ですね!
 まさに大陸と深入りすると、日本は自滅しますよ。福澤諭吉の「脱亜論」はさすが先見の明があった。中国や半島べったりで何処の国営放送か分らないNHKの歴史特集は本当に頭が痛い。最近は歴史番組はあまり見ないのですが、日本に限らず古代ローマを扱ったBBCの歴史特集も酷いものがありました。

 そして、新首相のアジア重視とやらの外交政策も疑問です。だから私は彼には期待していないし、「鳩左(サ)ブレ」と揶揄する声もあります。
mugi
2009/09/19 20:57
 mugiさん、コメントありがとうございます。岡田英弘氏は、1931年生まれで、小生より14年前に生まれた大先輩に当たるのですが、ブログ冒頭で「新感覚」と形容させていただきました。1954年生まれの井沢元彦氏同様に、歴史学会の定説とか、そういうものに振り回されず、自らの脳髄を絞って、自らの全く新しい推理によって歴史を再構築するという、立派な覚悟で歴史研究され、論文に書いてこられた偉い人と思います。よって、同氏の書かれた歴史書は、斬新な親切に溢れていて、最初は眉唾したのですが、その説得力にどんどん傾倒していくようになりました。
 韓国人、現代日本人の祖先が、交易のために来航した華僑(男のみ)達と現地朝鮮人、或いは倭人の女性との間の混血が主体、少なくとも最初の韓国人或いは倭人による国家建設は、中国史との関連で行われた、という説のようですが、いずれにせよ、岡田史観には、説得力があります。朝鮮史、中国史を詳しく研究された岡田氏の結論ですから、説得力がないはずはない、ともいえます。
 日本国が、島国故に、中国から韓国に比べて、より独立的にこれまで生きてこれたこと、今後も海中の独立国として、独立自尊で行けばよいこと、そういう自信を与えてくれる書物です。
室長
2009/09/20 15:29

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