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zoom RSS マルクス思想現代版:読書

<<   作成日時 : 2009/12/17 14:03   >>

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 的場昭弘著『マルクスだったらこう考える』(光文社新書、04/12初版)を何とか読み終えた。著者はマルクスを37年間研究してきたと言うだけあって、マルクス哲学を根本から理解しており、もし現代にマルクスが生まれ変わってきたらどう考えるか、という視点で「グローバリズム時代のマルクス思想」を論じてみた由で、なかなか面白い著作である。
ブルガリア専門家として、特に社会主義時代のブルガリアを、現地の新聞情報を分析しつつ推理して、社会主義体制の欠陥、断末魔の経済停滞、政治的苦境などを日々追っていた人間としては、マルクス思想などは根本的に間違っている、人間の我欲を肯定して、企業間の競争を煽る方が、結果的には商品の品質も良くなるし、サービスも良くなるし、人間のためになる、との結論が先にあるので、その分偏見もあり、益々読みづらかった。
 しかし、既に人気は薄れたとはいえ、人類史に大きな影を落とすマルクス思想から見たら、グローバリズムの進展と共に、後進国に工場が移転して、後進国の賃金が徐々に高まり、他方先進国の賃金は低下して、賃金の世界的下方均衡化が進行し、結果的に世界の生活水準も何れ平準化していくだろう、という状況の中で、どこに資本家と労働者の2階級による対立の軸があるのか、どこで革命運動が起きうるのか?と気になるところだ。

1.資本は愛国者ではない
 19世紀、或いは20世紀は、国民国家が主要民族を中心に生まれ、民族主義と愛国心を掲げて、一国主義的な資本主義を確立した。ソ連も、一国社会主義を主張したが、これは資本主義の高度に発達した段階における共産主義への移行、世界同時革命というマルクスの予言からは逸脱しており、結果的にソ連で生まれた体制は、共産党官僚が「資本家」の役割を演じる、一種の国家資本主義でしかなかった、と著者はソ連体制を否定する。

 その上で、アメリカが唯一の超大国として勝ち残り、世界の経済構造がグローバリズム化してしまったので、資本は資本の利潤効率(資本の利回り)のみを求めて、工場を賃金の安い後進国に移転したり、或いはこの反動として、先進国での失業率が高まって、結局は先進国での賃金低下をももたらす、という、資本主義の高度化が実現された。すなわち、マルクスの予言したように、資本=企業には愛国心はなくなり、資本対労働者の対立では、まさに「万国の労働者の連帯」が必要な段階が到来している、という。

2.労働者連帯の困難性
 とはいえ、先進国の労働者にしてみれば、工場の海外移転も、安価な移民労働も敵であり、その意味で労組・労働者の国際連帯というものは、簡単には達成できない目標である。しかも、先進国では、資本主義の発達と生産力の飛躍的増大の時代に、労働者賃金の上昇、生活向上があり、資本対労働者の対立軸は弱まり、労組組織率も低下したので、労働者の連帯という概念も弱体化している。日本国内でも、正社員と、派遣労働者という風に、労働者の内部にも亀裂が生じている。
 筆者は、上記の点を理解しつつも、それでも、マルクス思想としては、「他者・外部の搾取(例えば、先進国が後進国から経済搾取する。或いは、国内でも正社員が派遣労働者の労働を搾取する、など)」を基盤とする経済体制は間違っているので、国外、国内のあらゆる形態での「他者搾取」を排除するような国際連帯、運動を目指すべきだという。

3.政治・経済の一体性
 マルクス思想では、他者の搾取を徹底排除すべきと言うのが、真実の共産主義者だから、政治(上部構造)と経済(下部構造)は不可分であるという。
 他者の搾取を一切排除するには、直接民主制しかなく、代議制は認められないという。何故なら代議制では、市民から選挙で選ばれた代表者が、結局は市民の労働から搾取し、支配する側に回るからだ。
 ちなみに、直接民主制などは、極めて小さなコミュニティーでなければ機能しえないと思うのだが、筆者としてはそれでよいらしい。

 経済面では、資本が利潤を求めて、世界中を徘徊するのは、生産力を巨大化させ、エコロジー、地球環境の視点からも好ましくなく、この意味で生産力増大・生産効率化を追求するような資本主義は、結局は資源の無駄遣いになるから、止めるべきだ、という。よって、共産主義思想の一部に言う(しかしマルクスは、そういうことを言っていない)俗説である「分配は欲するだけとる」というような、物質的な過大な欲望は棄てるべきと言う。
著者の考える企業形態は、要するに、地産地消的な地元小企業中心の経済形態を考えている可能性がある。労働搾取が一切あってはならないのだから、協同組合企業的なものとなるのだろう。

 p226では、共産主義社会は、「比較的小規模の生産力と比較的小さな欲求の世界だ」、とおっしゃる。資本主義は人間の持つ無限の欲望に答えようとする故に、巨大な生産力を必要とするが、「共産主義は、資本主義の持つ生産力の悪魔を退治すること」だ、とも書いている!!

4.国家はやがて消滅する?
 マルクス思想として当然とも言えるが、著者にとっては国家は消滅すべきで、実際グローバリズムの帰結として、企業にも、労働者にも愛国心とか、民族主義は消滅していき、国境も意味を持たなくなっていくのだから、長い歴史を経て、最終的には国家は消滅するという。

 多国籍企業(株主も、労働者も多国籍)は、徐々にその生産拠点を後進国で賃金の安い国に移転させるので、70年代に欧州が経済停滞して今もそのままであるように、日本経済も当然今後復活するはずもない。国家が景気対策をして、成長路線に戻せるはずもなく、国家は責任を放棄して、各個人に「自己責任」を求める、という。自己責任とは、場合によっては、成長拠点の後進国に自ら出かけて就職口を探す=移民労働者になるということだ。

 ともかく、当面の共産主義の運動としては、全ての「他者への搾取」を排除するための運動が必要で、国家を超えて、各地域の労働者、或いは市民が連帯するべきという:「全ての地域の『他者』よ、団結せよ!」が結論。(「万国の労働者よ団結せよ!」が共産党宣言だったが、これを少しひねったものである由。)

5.読後の感想
(1)今更共産主義思想なんて
 ソ連体制を押しつけられたバルカンの小国(ブルガリア)の悲劇を観察しつつ、反ソ連感情を日々高まらせていた小生としては、反マルクス、反共産主義は当然の結論で、故に資本主義の権化と言うべき「大米帝国」にも寛容な立場を取る。資本主義の方が、生産力の巨大化・効率化に適していて、松下幸之助の哲学であった「電気製品を安価に、水道の蛇口から溢れるように、市民に供給する」という理念の方が、小生としては分かりやすい善である。

(2)マルクス理論から見ても、日本経済は立ち直れない
  もっとも、資本自体が資本の論理として、愛国心も、民族主義も関係ない、どこの国であろうと、利潤率の高いところに投資して、利回りを追求するという性情があり、この故に、中国、ベトナム、インドネシア、などの賃金が低い国に集まり、結果として日本国が徐々に貧乏国に成り下がっていく、という現状も困ったものだ。しかし、世界中の諸国民の生活水準が平準化しない限り、資本の移転、移動は終わらないであろうし、この故に、日本国ではもはや経済成長路線、景気対策は無意味であり、欧州がこれまで30年間停滞を記録しているように、日本も最低30年、恐らく永遠にこれからは停滞するという著者の観察は、間違っていないと思う。

(3)搾取されているはずの資本主義国市民は、物欲を満たされ幸福だった!
 そうは言っても、「他者の搾取」という資本の論理を強調しすぎて、「アソシエートした個人による社会」(小生には未だに意味不明)とか、直接民主制とか、「小規模の生産力で、欲望を小さくせよ」、などと、まるでまた仏教主義社会か?と突っ込みたくなる。
小生自身の体験では、社会主義を謳ったブルガリアの時代は、まともな消費物資が市場から次々に姿を消していき、人々がまともな食品すら買えず、不味い食品で我慢するしかないし、資本主義国の電化製品(ステレオ、ラジカセなど)とか、性能の良い自動車(独、仏製自動車)とか、そういう「物欲」=叶えがたい物欲に身悶えして苦しむ、更には社会主義体制の非効率を呪う、という最悪の社会だった。

  (注:独裁者のジフコフが、専用機で訪日する際には、在日ブルガリア大使館員らは、秋葉原で電気製品を山のように買いあさり、羽田空港に直送して機内に積み込み飛び去る、という有様で、ジフコフ家及び一部の特権階級は、外遊のたびに高級家電製品を買い込んで物欲を満たしていた。一般人も、高級党官僚らが、外遊の度に日本製の電化製品を持ち帰ることを噂で聞いていて、嫉妬心を募らせた。70年代になると、外貨(ドル)専用店で、日本製家電製品、西欧製の靴、ブーツ、英国製ウィスキー、米国製タバコ、などを売るようになった。しかし、外貨を入手できるのは、一部特権階級と、中東に出稼ぎできる建設技術者、医師などだけで、一般国民は、日本製のラジカセなどを、「夢見る」しかなかった。要するに、物資欠乏などほぼ経験がない日本人には、東欧共産圏で市民達がいかに「物欲に身悶え」していたか、西欧式ジーンズに恋いこがれたか、などは想像も付かないだろう。日本では安く入手でき使い捨てのパンストなども、共産圏では、パンストの綻びを手直しする「修理店」が繁盛するなど、物資不足の深刻さは、想像を絶した!!)

(4)ユーゴの「自主管理型社会主義」も結局ソ連型と大差はなかった:人間の欲望に少しは妥協して、ガス抜きはしてたけど
 隣国ユーゴスラビア(著者は、ソ連に留学を許されず、代わりにユーゴで少し勉強した由)は、ソ連式中央集権主義を少し緩和した「自主管理社会主義」を唱えたが、そこでは、農業の集団化は、結局途中で断念したし、小規模の商店(レストラン、パン屋など)は民営のまま許容されたり、市民の資本主義国への出稼ぎは自由とされ、国内の大企業で労働しても低賃金という党官僚以外の不満を、農業、小規模商業、国外出稼ぎという形で、ガス抜きしてはいたものの、国家独占・官僚支配という国家資本主義の欠点は、ほぼソ連型と何ら変わらない、官僚主義国家だった。

若干の自由化部門を残したことで、ソ連型よりも上手くいったように見える部分もあった(ユーゴでは、輸入バナナ、輸入原料依存のチョコレート、コーヒーなど、ブルガリアでは通常入手困難な消費物資があった。特に感心したのは、タイヤ、その他の自動車部品、小型耕耘機、工具類などが、店頭で販売されていたこと。物資欠乏社会のブルガリアでは、これらは店頭にほぼ常に存在しない商品だった)が、他方で、政権末期(80年代)になると、インフレが激しくなって、それこそ日々ディナール紙幣の価値が目減りしたように、経済は崩壊に向かっていた。要するに、ソ連型でも、ユーゴ型でも、社会主義は経済体制としては、全く失敗だった。

6.所詮共産主義などは夢想家の思想
  著者は、ソ連への留学を断られ、ユーゴ型について勉強したほか、結局はパリで共産主義思想を勉強した由で、それ故に、共産主義思想のユートピア性というか、夢想性を小生のように体感できなかったから、未だに、完璧な共産主義、などという、あり得ないものに興味があるらしい。
 直接民主制などは、ギリシャの都市国家で一時成立したものの、これとて「奴隷労働の搾取」という「恵まれた、気楽な市民」の間でのみ成立し得た、特殊な制度で、しかもギリシャですら、結局は上手く機能せず、代議制、寡頭制とか、独裁制、王政などへと変化したはず。

 そもそも、企業の中では、社長とか、株主によって、労働者(他者)に対する「搾取」が行われるとか、その労働者も他方では消費者であるから、必ずしも賃金をけちれないとか、ややこしい議論が多すぎる。「能力」に応じた賃金、ということにも、共産主義者として著者は反対だ。しかし、個人的成績、或いは会社の業績に基づき、賃金やボーナスが配分されるというシステムは、分かりやすく、社員としても必ずしも社長・株主から「搾取」されていると実感することはなく、そういう不満はないのではないか?

 他者への搾取を一切排除する社会を目指して、直接民主制だの、小規模の生産企業など、これまでの人類史上、成功した試しのない制度を夢想したとて、どうも眉唾、将来性のある議論には思えない。
 もっとも本書では、こぼれ話として、「マルクスが妻が連れてきた下女と、その下女の妹と、更には姪の誰かと、○○婦人と・・・合計最低4名と不倫した」とか、マルクスに関して小生がこれまで知らなかったような情報も多くあり、極めて面白い読み物ではある。また、マルクス主義の修正哲学としてのサルトルの哲学とか、色々な哲学をわかりやすく紹介してくれている、という意味で、参考文献としても有用性はあるといえる。

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
 記事を拝読後の感想ですが、「アンタ、まだ共産主義など寝言を言っているの?」で、読みたいとは感じられない本でした。共産主義者だった私の伯父が、惨めな死に方をしたので、マルクス主義には強いアレルギーがあるのです。

「所詮共産主義などは夢想家の思想」に同感です。しかも、たらふく食っている先進国のリッチな者に限り、愚にもつかない夢を見る。そもそも、人間は平等を本能的に望まない生き物です。誰しも人より豊かになりたい、楽したい、上になりたいと思うのが当り前。禁欲など人類史上守られたことはなかった。

 マルクスが最低4名と不倫したとの箇所だけは笑えました。彼は資本家が他人の妻に手を出していることに対し、「公認の婦人共有」を提案しましたが、「非公認の婦人の独占化」を実行していたとは。
「裕福な連中の愛国主義などというものは、財産や既得権を危地に曝すという緊張には耐えられないものらしい」と言ったのはネルーですが、マルキストも男の本能から自分の女の所有権を危地に曝すことには耐えられないでしょう。
mugi
2009/12/20 20:27
mugiさん、コメントありがとうございます。
 共産主義思想については、小生の場合、あまりにも多くの否定概念を体感したので、マルクス文献とか、勉強したこともほとんど無かったので、この本はよい参考書として、それなりに楽しめました。
 
ブルガリアの政府が、マルクス主義の範囲を逸脱しない中での、「経済改革」について、何度も実験した(ハンガリーの実験の中でソ連が認可して、ソ連自身が試みた改革を、後追いで試す、という場合が多かった)こと、そういう改革がいかに惨めに全て失敗に終わったかと言うことも見てきました。
 ソ連式社会主義で、容認可能な経済政策というものを、新聞記事から日々感じながら、しかし、どれもうまくいかないのも、結局は資本主義なら、個々の経営者が経営裁量を持ち、工夫して生産コストを削減し、品質を改善できるのに、全てが国家計画委員会(ゴスプラン)という最高官庁によって、資源も、資金も「割当制度」で、現場の工夫は重視されない、という独裁体制にまず問題があると感じました。
 企業が収益を増やしても、税金として取られる部分が増えるだけで、企業自体、経営者、労働者にも、利益が還元されないのです。賞状とか、勲章をもらえたりするだけ。

 結局偉いのは、党の高級官僚だけで、しかも彼らは出自、生まれで、高級官僚となれることが決まっているという、全くの「貴族制=資本主義時代の貧農とか、労働者階級で、社会主義、共産主義の運動に参加していた少数者の子孫というエリート階級」でした。
 
室長
2009/12/21 09:23
(続)
 高級官僚といえども、確かに、資本主義国の我々ほど、毎日おいしいビールを飲み、おいしいタバコを吸い、美味な食事が取れたわけでもないのですが、それでも彼らには種々の特権があった。特に、西独製のメルセデスの公用車、自宅アパートには、西欧・日本製の電化製品、など、庶民が夢に見ても買えない贅沢品が溢れていました。
 ゴルバチョフという、甘っちょろい指導者が出現したとき、ポーランド、ハンガリー、チェコなどの「中欧」諸国(元来資本主義先進地域)が、狡賢く「改革」を先走り、「危機」を演出しながら、ソ連圏からの早期脱出を悲願として、うごめいていたことは、今では常識です。
 ブルガリアの独裁者は、逆に若いゴルバチョフの「理想論」の危険性を熟知していて、何とか揺り戻そうと必死でした。その当時(86年以降)、ジフコフ(ブル独裁者)は、「社会主義では、金が速く回転しない、これが経済停滞の原因だ。お札が熱を帯びて手が焦げるほど、せっせと回転するようにしなければ、経済の発展はあり得ない」とか、「ハイテク革命に追いつかなければ、社会主義圏は崩壊する」とか、一見米資本主義礼賛のごとき話しを公開し、国民の危機意識を煽りますが、これは全て、ソ連のゴルバチョフに対する当てつけでした。
 まあ、結局小国ブルガリアは、ソ連から無視され、ゴルバチョフとしては、「社会主義でも、より自由で、民主的で、成長率の高い国家は可能」とみて突っ走り、政権が自滅しました。国民皆に、西独車、日本製家電などを買い与えるとか、コンピュータを安価に供給してやるとか、国民の物欲を満たすことなど不可能な政権に、生き残りは無理でした。
 理想論より、物欲を満たせ!!これが小生の教訓です。
室長
2009/12/21 09:35
日本経済が元気になる側の論客は三橋貴明・日下公人などがあります。前者はブログがありますので(広告がおおいのでちょっとよみにくい)参考にしてはいかがでしょうか。すこし元気になります。

わたしは政治学のゼミにもいましたが(1985年ごろ)、現在の政治過程論はグループ間のクリスクロスを重視しますから、大きな集団の連帯は困難という感覚は共通なんでしょうねえ。
madi
2009/12/21 22:34
 ゴルバチョフは甘っちょろい指導者と思われていたのですか!冷戦終結前夜の東欧の政治事情もまた驚愕させられました。
「ポーランド、ハンガリー、チェコなどの「中欧」諸国(元来資本主義先進地域)が、狡賢く「改革」を先走り、「危機」を演出しながら、ソ連圏からの早期脱出を悲願として、うごめいていた…」の箇所も、恥ずかしながら初めて知りました。ジフコフもゴルバチョフの「理想論」の危険性を見抜き、国内外で利用する強かさには言葉もなく、日本人には到底真似が出来ませんね。

 ソ連(ロシア)が東欧諸国を搾取しているとの報道を流した西側メディアもありましたが、これらの国々もまた「親分」を利用していたのですね。本当に国際政治は複雑ですが、日本のマスコミはこのようなことをまず報じない。左翼がやけに使う言葉が「搾取」で、搾取とされる者という社会観が単純極まるのは、人間社会に完全に盲目だからでしょう。
mugi
2009/12/21 22:41
madiさん、コメントありがとう。
 三橋高明のブログは、先般石という方のコメントで知り、読んだのですが、国家全体としては収支がそろっているから大丈夫、もっと赤字国債を出しても良い、という、超楽観論で、納得できませんでした。
 小生自身、昨年来、技術水準がかなり停滞期に入っていて、他方新興国の知恵、技術水準、資本蓄積なども向上している中、賃金が格段に安い後進国からの追い上げに、成熟期の日本経済は太刀打ちできない、既に衰退期であり、無理に赤字国債で景気浮揚をはかっても無駄との議論を展開してきました。
 資本主義の分析手法としては、マルクス思想は優れたもので、的場氏も的確に小生と同じ結論です。マルクス思想の欠点は、資本主義の修正ではなく、全く別種の経済理論があり得ると考えることだと思う。
室長
2009/12/22 09:12
mugiさん、東欧の独裁者達も、党高級官僚達もバカではありませんでした。ジフコフは、元来少学卒の印刷工上がりで、インテリではなかったけど、権力闘争とか、ソ連のブレジネフにごまをすって石油を安く輸入して、これを西側市場へ転売して利益を得るなど、国益外交も上手でした。日本からは、ハイテク技術を盗もうとしました。日本の資本家には、ブルガリアへの投資を呼びかけました。小生は、一部の大企業には、共産主義者が資本家に儲けさせてくれることはあり得ませんよ、と釘を刺し、無謀な投資を回避させました。
 ソ連が、本当の東欧から「搾取」して、利益を得ていたかどうかに関しては、スターリン時代の1945−−54年頃までは、ソ連が東欧から金、宝石、ブルガリアの「バラ油」などを直接略奪して持ち帰ったり、そういう強盗のようなことまでやりましたが、その後ブレジネフ時代になると、「社会主義国の連帯」を重視して、石油、天然ガスを安価で供給したりしたので、ソ連側としては、「搾取」部分よりも、「恩恵」の方を多く与えた、と思っていると思う。
 他方、「中欧」の元先進国(ポーランド、チェコ、ハンガリー、東独)などにしてみれば、資本主義のままなら、西欧に後れを取ることはなかった、共産主義などという、経済体制としてどうしようもないものを押しつけられたから、停滞と貧困が普通の除隊になってしまったという恨みから、「恩恵」などは、「本来はそんなものもいらない」という感情だったでしょう。
 ブルガリアは、元来後進国だから、ソ連からの「恩恵」には感謝していた。しかしゴルバチョフが、東欧に対する「恩恵」供与を否定して、「国債価格」でのCOMECON価格見直しを始めたから、困ったし、怒った!!
室長
2009/12/22 09:27

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