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zoom RSS 昭和期軍部への断罪

<<   作成日時 : 2010/03/24 02:23   >>

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さて、3月3日付のこのブログの記事「昭和期軍人だけの責任ではない?」( http://79909040.at.webry.info/201003/article_1.html )で書いたことの続きというか、昭和期青年将校ら、特に満州事変を企画、実行した関東軍参謀らが、日本国を敗戦へと導いた「主要な戦犯」であり、彼らの歴史上の過ち、罪状をきちんと議論して、昭和の歴史にそれなりの「反省を込めての断罪」部分を書く作業をしてみようと思う。実は、今回の記事は、小生がよくコメントを書いているmugiさんのブログ(http://blog.goo.ne.jp/mugi411)に書いたコメント(「評論家という名の似非文化人 そのD」記事へのコメント:http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/de0a7eb271436afb1163cd97e2cc1c11#comment-list)をまたもやリサイクルした、そういう「再生」記事に過ぎないので、恐縮ですが、若干訂正、加筆しつつも、下記に採録したいと思う。小生のコメント部分のみで、mugiさんの書いた部分などは割愛してあるので、少し不自然な文章となりますが、ご勘弁下さい。

1.昭和期軍幹部の形式主義、非人道性への憤慨
 mugiさん、大米帝国が、占領した日本国に、将来とも使えそうな人物にてこ入れして、戦後資金提供したりして育成してやっていた・・・それが山本七平の正体だ、ということですか。まあ、あり得る話しでしょう。資金を出せる機関としては、やはりCIAなのでしょう。とはいえ、あの当時、山本は、それなりに左翼思想の観念論を排撃し、「正しい右翼思想」を指し示そうとしていたように、小生は感じていました(70年代後半だと思うけど)。同時に山本は、自らの軍隊体験から、昭和期陸軍に対する適切な批判、断罪もしていたように記憶します。

 また、小生は、インパール作戦に関する批判的な記録を中学生の頃図書館で読んでいたので、昭和期の日本陸軍に対し、非常にマイナス・イメージが強い。山本七平、水木しげるなども、昭和期の陸軍で将校・下士官らが訳もなく、やたらに部下を鉄拳で殴るとか、作戦現場への兵站(補給)が、ほとんど無視されていて、現場で兵隊達が食糧、飲料水の調達も出来ず、餓死者まで出る、或いは南洋では風土病でどしどし病死する、などの惨状を告発していたと思う。他方で、将校らは缶詰とか、良い食糧を独占して配給されたり、インパール作戦の司令官などは、芸者を引き連れて進発するなど、全く呆れた連中だと思いました。もちろん、支那戦線でも、人道主義的で、中国人市民からも尊敬された将軍がいたという話しも、書物で読みました。個人差が大きいようです。
 (小生の父親の戦争体験では、海南島に上陸作戦した父親の海軍部隊には、現地の中国人から「息子が下痢で苦しんでいる、薬を欲しい」という要請があり、我が父親は、適切な薬も見あたらなかったので、気休めにと歯磨き粉<当時は、粉末>をやったところ、翌日にはこの中国人が、「息子の下痢が治った」と感謝して、果物をお礼に置いていったという。子供のときこの話を聞いたので、当時特に感想はなかったのだが、今となってこの話を思い出すと、海軍陸戦隊として(元来親父は艦隊乗り=水兵で、陸戦隊ではない)、支那兵と戦闘しているいわば敵軍に来て、「薬を所望する」という中国人市民とは、実に愛国心とかとは無縁な人々だなーと感嘆する。また、それほどに、当時の支那軍は一般市民から嫌われていて、むしろ日本軍の方が信用されていたのであろう。小生の小学校の教師も、支那大陸戦線に従軍していたが、ほとんど戦闘もなく、現地の中国人とは和気藹々だったと言っていた。)

 ちなみに、兵隊への体罰の過酷さ、将校らの形式主義、国産兵器(戦車の性能)の頼りなさなどにつき、司馬遼太郎も呆れて、昭和の幹部青年将校達を呪うようになったらしい。また、山本、水木も、何とか生還できたことを喜びつつも、戦争中の大本営、秀才参謀達の現場の苦労無視、非人道的な突撃作戦だけという精神主義に大反発したこと、戦後も、そういう幹部将校への反感が消えなかったことなど、全く正しいと思います。兵站・補給という概念が不十分で、現場では夜襲・突撃という、体当たり主義、兵隊の生命の軽視、全て昭和期軍部の大欠陥です。だから、元来クリスチャンだった山本七平は、昭和期の軍部を大嫌いになっただろうし、水木しげるも、司馬遼太郎もクリスチャンではなくとも、同じ気持ちだったと思う。

2.人命軽視
 小生の父親の回顧によると、海軍の場合は、水兵は艦上生活だし、食料品は十分積載されていて、陸上(軍港近くに家族が生活)の家族が食べる食物不足の方が大変だったようです。ただし、水兵の場合、軍艦が米国潜水艦の餌食となり始めてからは、死亡率が恐らく陸軍より高くなっていた。

 なお、インパール作戦に従軍させられた陸軍徴兵達(小生の高校教師の話)などによると、本当に酷い食糧事情で、現地調達主義とかもあり、食べられるものは何でも工夫せざるを得ず、蛇などもごちそうの部類だったという。
 この我が教師の話では、空から襲う英空軍機に対しては、地上から機関銃などで応戦することも多かったけど、ある時鳥が群れ飛ぶのに対して機銃攻撃して実験したら、一羽も当たらなかったので、空に向けて発砲しても、滅多に当たらないので、発砲は銃弾の無駄遣いに過ぎないと証明された。ましてや飛行機に対し発砲すると、ジャングルの中における日本軍の存在位置がばれて、報復の爆弾が降ってくるだけで、無駄ばかりではなく、有害と判断して、部隊長が航空機への機銃反撃は止めるよう命令したそうだ。まともな指揮官もいたのです。
 他方インパール作戦部隊全体を率いた牟田口という司令官は、チンギスカーンに倣い、「馬倒れれば馬を食らい」、とかいって、輸送馬などを食糧とする、という程度の兵站感覚で、自分はトラックに乗せた芸者らも引き連れて進発したという。全く言語道断の司令官です。

 太平洋戦線(グアダルカナル島)でも、現場将校達は、まともな作戦計画を立案できず、夜襲・肉弾突撃という、全く部下を無駄死にさせる作戦ばかりを多用したので、米軍、豪軍などは、夜襲に備えて機関銃を並べ、毎晩のごとく日本兵を機関銃の餌食にしたそうです。兵隊に食べさせる食糧もないし、士気を保つという目的も加わり、無意味な夜襲作戦を繰り返したようです。
 大本営でも、いくら多数の兵士が無駄死にしても、紙の上では、どこそこで夜襲、戦果多数などと、統計的なきれい事をでっち上げて、並べられれば、それで良かったようです(形式主義の極み)。小生は、そういう昭和期の軍人、あるいは、日露戦争時に、203高地で同じように、肉弾突撃を無意味に命令し、思考停止作戦を繰り返して、兵士の生命損失を軽視したという乃木希典将軍と配下の伊地知参謀などが大嫌いです。

 もちろん、米軍、その他でも、映画ではそれに類した場面も出てくるでしょうけど、日本軍の規模で、兵站軽視によって、作戦現場で兵士を飢えさせ、或いは無駄な肉弾攻撃主義で、人命を損なった軍隊は少ないと思う。朝鮮戦争における中国人民解放軍も、兵器不足を人命でカバーしたらしいけど、それは共産党の軍隊だから、非人道的な面があって当然。
 すなわち、我が日本軍だから、許せない!形式主義、作戦思想の貧困。せめて機関銃とか、三八式歩兵銃よりはまともな兵器をより多数配備、装備して、戦う位の常識もなかった軍隊とは、情けない!!

3.日本が生き残るために、離島に陸自を配置せよ
 mugiさん、小生自身、一応戦後に育っているので、昭和軍人の欠陥、欠点を強く意識してしまいます。父親は、海軍軍人として、戦後も海軍大好きとの意識を変えることはありませんでしたが、その理由は、海軍では下士官ながら結構いい暮らしを個人的に経験できたこと、飢餓とか、兵站軽視という面では、陸軍ほどはひどくなかったからのようです。

 それでも、海軍も、海軍航空隊の特攻作戦とか、戦艦大和の最後の出陣など、人道無視の作戦を決行しました。作戦的に成功の可能性ゼロの任務など、合理主義的視点から言えば、また、本来合理的に練るべき作戦という視点から言っても、決して許されるべき戦法ではないです。

 小生は、中学生の頃に、父親が購読していた文藝春秋をよく読んでいたのですが、その中で、昭和期に維新を唱えた「青年将校」達を、皇族、華族、ブルジョアなどの上流社会では、本質的には共産主義者だと見なしていた、という話しを読んだ覚えがある。キチガイ達が右翼気取りでのし歩き、夜は芸者を上げて飲んだくれ、皆で右翼革命(昭和維新と称した)の気勢を上げて、結局は上流階級を倒し、政権を奪取しようとしていた。共産主義革命路線と何ら変わらず、危険視していた、というのです。
 右翼も、左翼も、革命を唱え、権力を奪取しようとしていた。青年将校、参謀達の多くも、地方出身の小作の子供らで、秀才ではあっても、発想は下克上だけで、危険な連中だった、という風に、書いていたように記憶する。

 国家を安全に経営し、滅亡させないためには、成り上がり者の革命思想ほど危険なものはない、ということです。少なくとも、昭和期においては、そういう上流層に、もっと勇気ある人材が沢山居れば、また軍隊が必ずしも成績至上主義ではなく、軍幹部に、(英国などのように)貴族階級などの指定席みたいなのがあれば、金持ち喧嘩せずで、歴史は変わっていたと言うことかも知れないです。(小生自身は、上流階級に所属しないので、貴族達を弁護してやるのも変ですが、国家を自滅させた昭和期青年将校達に比べれば、貴族たちの方がましな国策を考えたかも知れないと思うから。)

 成り上がりのナチ系軍部ではなく、伝統的なドイツ陸軍には、ユンカー貴族など、伝統的な軍人家系出身者も居たらしい(彼らは貴族ですから、無謀なナチの戦争路線に危惧感を持った将校が多かったとも聞く)けど、政権をナチに取られて、またSS(ナチ親衛隊)軍が、ドイツ陸軍と同じほど大規模になっていたから、国策を変えることはできず、ドイツも結局自滅戦争をやってしまった。

 小生は、現代日本も、米国との同盟という枠組みを維持すると同時に、海自、空自の近代的装備を整備していくほか、陸自は対馬、南西諸島(特に与那国島)などにもっと多数配置して、隣国に対し、絶対に自国領土を守るという姿勢を見せるべきだと思う。孤島として過疎化すると危険性が増すから、(陸上)自衛隊を配置することには、離島の人口を維持する、または増大する、という意味でも意義があります。 最近の産経新聞は、与那国島への自衛隊配備が、中国からの脅威に対抗するために、早急に望まれる措置だとして、キャンペーンしているのに、左傾民主党政権は、何らの反応すら示していない。彼らに、真の国防意識があるかさえ、怪しいことは、普天間基地問題の迷走、外国人参政権に関連する法案準備という、けしからん動きから見ても明らかである。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 またも拙ブログURLを紹介されて頂き、有難うございました。
 それにしても、室長様の父君が現地人に歯磨き粉を渡したエピソードは驚きました。いくら息子のためでも敵兵に薬を要求し、日本兵もまた薬代わりの品をあげた。件の支那人がお礼に果物を置いていったというのも意外でした。あの国の歴史でも反って“官軍”の方が民間人に略奪暴行を働き、革命軍の方が軍規が行き届いているということが少なくなかったし、同胞という意識が稀薄だった。食料が尽きると、喫人(食人)まで行うほどだし、三光作戦は当り前でした。

 現代の中国人、殊に若者は侮日反日感情が根底にありますが、戦前はまだ違っていたのかも。毛沢東を描いた『マオ』(ユン・チアン著)を読まれたでしょうか?共産主義時代のブルはもちろん旧ソ連も、文革時代の中国に比べたら、ずっと平和に思えてきますよ。
 
 ところで、「評論家という名の似非文化人 そのD」コメントの正しいURLは、http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/de0a7eb271436afb1163cd97e2cc1c11#comment-listです。上記にあるものはトラックバックURLであり、クリックするとerrorとなります。
mugi
2010/03/24 21:53
mugiさん、
 またコメントありがとうございます。
1.海南島
 地元の中国人にとっては、支那軍は、国民党軍とか、軍閥軍とか色々あったのかも知れませんが、ともかくどの軍隊も略奪、強盗などして信用できない連中ですが、日本人は優しくて「薬を分けてくれる」とか、ともかく軍紀が良くて、信用される存在だったようです。
 島嶼部の海南島ではなく、大陸部に進駐して、日本軍による制圧・治安地区を担当した小生の小学校の教師も、地元中国人は、国民党軍を信用せず、日本軍を信用していて、地元民との関係は良好だったといっていた。

2.マオ
 この本は、かなり前に買ったのですが、結局最初の方で退屈して、読み終えていないです。ただしもっと昔(大学時代か?)に中国共産党の歴史とか、人民解放軍の歴史など、読んだ記憶があります。張学良だったか、張作林の子息が蒋介石を拘束して、共産党との共闘を約束させた西安事件など。

3.URL
 トラックバックのURLですか。トラックバックで、そこの記事に飛べると思っていた。小生のIT知識はいい加減ですから。訂正させていただきました。

4.語り部
 我々世代だと、子供の頃には、父親も、学校の教師も、戦地から帰国してまだ10年程度しか経過していない時代ですから、結構彼らは懐かしい思い出として、色々語ってくれました。中国人女性は、バストが日本人より高くて、きれいだと、小学生の我々に語る教師もいて・・・!それでも我々の時代には、誰も先生に、エッチな話しは嫌とか言わなかった。へー中国人の方が美人なのか!と感心して聞いていました。
室長
2010/03/24 23:15

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