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zoom RSS キッシンジャー著『外交』について

<<   作成日時 : 2012/10/13 16:01   >>

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 ヘンリー・A・キッシンジャー著岡崎久彦監訳の『外交』(上下2巻、1996年、日本経済新聞社)という著作があり、ブックオフで半値で売っていたので、これは安いとすぐに買いました。分厚い著書で、キッシンジャー自身が直面した外交課題に関する経験談かと思ったら、大部分は欧州近代史のお復習いでした。
 とはいえ、普通の著作と違って、外交とは、米国にとってどういう哲学、態度で臨むものなのか、欧州の偉大な政治家達の外交哲学はどうだったのか、と言うことを詳しく当事者達の著作、伝記、周囲の人の回顧録、なども読みこなした上での、徹底的にまじめな外交理念に関する教科書のような本で、びっくりしてしまった。今読んでいるところは、下巻の第二次大戦以降の欧米主要国政治家、或いは中東諸国指導者などの駆け引きとかが中心になってきているけど、基本的にはやはり、米国の外交理念を中心に説明し、それぞれの大統領、国務長官などが実際にどう考えたかなども、詳しく追跡調査されている。

更に要約すれば、旧大陸欧州諸国の外交理念と、新大陸米国側の外交理念は、次のように対比できるであろう:
   欧州諸大国の外交:自国の利害(国家理性)のみを基準とする徹底した国益外交、軍事的な合従連衡策、レアル・ポリティーク、バランス・オブ・パワー。
   米国外交:キリスト教的倫理観に沿った理想主義的、道徳主義的外交。孤立主義で元来は、軍事同盟を否定。

 余りにも中身が濃くて、これまでどうしてこんな名著に気付かなかったのか、どうして自分はキッシンジャーを嫌な奴程度にしか考えず、軽視してきたのか?もう少し早く読んでいれば、もっと参考になったかも・・・・などと考えてしまう。
 この本を要約するほどの能力は、小生にはないが、少しだけコメントを試みたい。

1.モンロー主義の意味
 この膨大な、中身の濃い著書を簡単に紹介するのは無理だけども、米国という英国移民が中心となって形成された、極めて歴史の新しい国家が、どういう特殊な外交理念を掲げているのかを知ることは、未だに我が国にとっては重要なことだ。明らかなことは、彼ら米国人が、旧大陸欧州の、旧式の大国を蔑視し、モンロー主義を掲げた頃の気風が、未だにその「米国式の外交理念」として、底流にあるということに気付かせてくれることが、この著書の一番重要なところかも知れない。

 モンロー主義、孤立主義の考え方は、どうやら、独立戦争を戦った上で国家を形成した米国人が、英国という旧式の大国(元来の本国)に対して、俺たちは神の教え、聖書により忠実に、全ての国事、外交においても、「国家理性」とか、「レアル・ポリティーク」とか、「大国間のバランス・オブ・パワー」などという、不道徳で、倫理観に欠けるような、非道なやり方は徹底して排除しますよ、そして、南米を含め新大陸全体は、我々の「新しい、聖書に基づく倫理に、より忠実にやらせて貰いますよ」と言う主張が根幹にあるらしい。

 本当は、最初の移民がプロテスタントの中でもある意味原理主義者だった「ピューリタン(清教徒)」だったし、独立戦争を戦ったからには、英国式の古い政治理念とは訣別して、新しい理念での国家形成、国家理念(国家理性に代わるもの)を基礎とした外交、と言うものを目指したから、米国は、欧州式との「区別、対立」を意図的と言うほどに大切にする国家となった、とも言える。

 要するに、米国独立は、フランス革命風の「国民国家」形成という、近代理念の産物であったが故に、逆に、母国と言える英国には背を向けて、「新式」の国家理念を追求した、とも言える。

 母国英国は、島国、海洋帝国という基盤を背景に、独自の考え方で旧大陸の欧州大陸部に対しては、「一つの超大国を大陸欧州に誕生させない」という、唯一の基準で、大陸部欧州諸国の勢力均衡、対立関係維持に腐心して、現実外交を貫いてきたから、軍事力、勢力の均衡、バランス・オブ・パワーに極めて敏感だったが、外交にキリスト教的倫理観とか、個人の道徳感情などを持ち込むことは決してなかったのだ。

 他方で、米国にとっては、何をするにも、米国民の考える、個人の倫理観、道徳観と緊密に結びつけうるような、そう言う「善悪の基準」でまず情勢を把握、分析した上でしか、行動できないし、ましてや旧大陸に介入する意図も、元来はまるでないのだ。
 第二次大戦後、フィリピンをすぐに独立させたことからも、米国が元来は、旧大陸欧州式の「植民地主義」を嫌っていたことも明白だ。

2.倫理に五月蠅く、孤立主義を好む国民をいかに国際外交、戦争の世界に導くのか?
 我々日本人にすれば、フランクリン・ルーズベルトが日本をペテンに賭けて真珠湾攻撃を仕掛けさせ(?)、これを契機に、怒濤のごとく米国民を第二次大戦に引きずり込んだ、「悪魔のようにずる賢い大統領」であることを、しっかりその点も指摘してくれていることは、信用に値する著書であることを証明してくれていると言える。
  (注:もちろんキッシンジャーは、自国国民を欺くことも、「偉大な政治家」としての「証明だ」として、称賛しているのだが。
   ちなみに、当時の米国ジャーナリズムの常識として、ル大統領がポリオ後遺症による身体障害者であることは、決して分からないような、力強い大統領としての映像表現に、新聞界、映画界なども協力的だったという。この点も小生は、初めて知った。米国民は、ルーズベルトが障害者だと気付いていなかったらしいのだ。
   米国政界が、そう言う雰囲気なら、世論操作も、国民を騙すことも、政治の一部分として、当然の時代であった、とも言える
。)

 しかし、大統領さえ、自国民を何とか騙し、騙し、徐々に戦争へと駆り立てていかなければならないほど、旧大陸における「戦争」、「国家間対立」、「レアル・ポリティーク」に背を向け、「独自の孤立主義」とか、「個人の倫理観と外交理念は一致すべきだ」と言うことに拘る、そう言う不思議な米国という国の「不思議な世論」というものも、初めてこれほどの大作で長々と説明されて、ようやく分かったという気がした。
 米国外交、世論を簡単に「偽善」ばかりと非難して、悪人視しても、現実に米国で「悪人」的な人物に会わない理由はここに存在する。彼らは、真面目に、道徳的に、対外政策を推進するのだ。結果としての外交政策が、我々の視点でいかにレアル・ポリティーク的でも、その行動に到るまでには、それなりの彼ら米国流の意味づけ、倫理的理論付け、が存在するのだ。

3.理想論の限界:戦後処理における拙劣さが、次の戦争を産む
 「道徳と政治との垣根を否定」する国民を説得するには、偽善的とも言えるほど、善悪二元論に拘った国際関係の説明とか、人道主義などの大義名分が、外国への介入とか外交の前提条件としても重要だ、と言うことが分かる。
 そして、その米国のプロテスタント的欠点が理解できれば、「損得勘定抜きで」第一次大戦、第二次大戦後の処理を行い、必ずしも軍事的勝利の成果を領土的取得とか、或いは賠償金として要求しなかったという米国の欠点(?)、或いは「理想主義の盲点」も浮き彫りになる。

 キッシンジャーは、この米国式理想論の欠点を第一次大戦後のウッドロー・ウィルソンが主導した「ベルサイユ会議」による戦後処理について、詳述している。
 すなわち、経済力・軍事力を計算した上での「バランス・オブ・パワー」、「レアル・ポリティーク」上の配慮、を一切しない形での、ドイツという旧大陸における強すぎる統一国家の危険性に、ほぼ何らの警戒心も欠いているウイルソンが、「旧式の国家理性」に拘り、「ドイツ再勃興の危険性排除」という視点に立った、現実論の仏国の反対論を、全てけんもほろろに拒絶して、「国際連盟」という国際機構を通じての平和樹立という、理想論で押し通したことで、第二次大戦を用意してしまったと嘆く。
 
 そして、このベルサイユ会議を通じて、英国に対しても「理想論的思考」を強要して、英国外交の元来の「現実主義思考」を弱めてしまったことにも、残念という感じでコメントしている。それこそが、ミュンヘンにおける弱味、逃げ腰外交の原因となったのだ。他方で、米国式に合わせるという、英国の新しい生き方は、第二次大戦戦後においては、米国の政策の中に、巧妙に「英国外交の視点、利害」を埋め込む、という成果を生んだ、とも評価している。

 ともかく、ベルサイユ会議には、敗戦国のドイツと、革命直後のロシア(ソ連)が招かれておらず、米国主導で「民族自決」という理想を優先して、中欧に、ドイツへの防壁とはなり得ないような弱小の独立国家を多く誕生させてしまったことが、大失敗の根源であった、とキッシンジャーは言う。ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニアなどの小国は、経済力・軍事力で、ドイツに比べあまりにも弱小すぎて、何らの防壁ともなり得ず、よって欧州のバランス・オブ・パワーはベルサイユ体制下、初めから全く成立していなかったのだ。強すぎるドイツの再興は、現実夢(悪夢ではなく)として、ベルサイユ体制が構築した欧州の新地図だったのだ。  

4.スターリンへの個人的信用、過信が、ソ連の大国化を招き、第二次大戦後の「冷戦」を産んだが、他方で、民主主義国家としての、ねばり強い「封じ込め政策」で冷戦を勝ち抜いた
 キッシンジャーによれば、ルーズベルトはそのキリスト教的性善説でスターリン(神学教育を受けている)への人物評価を全く誤り、ソ連国家のロシア国家と何ら変わらない「領土欲、勢力圏指向」を見抜けず、大戦中過度の経済、軍事支援でソ連を大国化してしまったし、東欧諸国をソ連支配下の共産圏へと追いやってしまったと嘆く。他方で、現実論のチャーチルに対しては、米国指導部は、古くさい政治家として、あまり尊重しなかったので、その意味でも、色々と外交的失敗を犯したと嘆く。
 しかし、終戦処理段階では、ソ連の取り分を大きくしすぎて失敗したものの、その後はねばり強く「封じ込め政策」でソ連を孤立化し、苦しめ、特にソ連に「拡大しすぎた勢力圏を維持するための経済的負担」を与えて、徐々にその負担から逃れる方向を指向させた、と言う。つまり、社会主義方式という経済的弱点を抱えたソ連経済が、「大国+勢力圏+巨大軍事力」の維持に失敗して、崩壊、自滅したという。

5.米国における不思議なほどの対共産主義への警戒心の欠如
 もっとも、小生として不思議なのは、ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワーなどの歴代の米国大統領が、スターリン式共産圏における「人権抑圧」、「宗教的自由の欠如」、および「政治的自由、民主主義の欠如」などの、米国式の個人的倫理観、道徳観とのあまりなほどの乖離に関して、必ずしも敏感に反応しなかったこと。この理由としては、どうやら、やはりモンロー主義、即ち旧大陸については、干渉しないという伝統的外交理念が背景にあるようだ。

 英国では、第二次大戦前に既に、ジョージ・オーウェルが『アニマル・ファーム』で、共産主義の非人道性を告発していたのに、米国大統領の周辺、特にルーズベルト時代の米国指導部には、多くのコミンテルンのスパイ達が紛れ込んでいたし、日本占領軍(駐留米軍)幹部達の間にも、コミンテルン系の社会主義信奉者が多かったのだ。ルーズベルトがスターリンを誤解していても、国務省の誰も、それについて注意喚起しなかったらしいことも不可思議だ。この辺に関しては、キッシンジャーは何も書いていないように見える。
  (注:尤も、まだ最後まで下巻を読み終えてはいないが、どうもそれに触れているような見出しは見あたらない。キッシンジャー自身、中国に対しては「大甘」だったらしいから、社会主義思想への嫌悪感、警戒心が足りないのかも知れない。
  そう言えば、キッシンジャーはどこかで、歴代大統領共に、側近のブレーン達の「忠告、進言」を五月蠅く思って、結構排除したがる、自分自身の判断で動きたがる傾向が、それなりにある、と指摘していたように思う。もちろん、側近の意見を聞かない程度は、各大統領個人によって違うし、信頼厚い側近とか、国務長官が存在して、大きな影響力を行使することもしばしばではあるのだが。)


6.日本における東京裁判の背景
 本件著書で、米国という国が、いかに「自国の利害に基づく戦争、侵略などを嫌うか」とか、「外交、戦争」共に、十分に倫理的な理論に基づくべきで、個人の道徳観に立脚しても「正しいものでなければならない」という視点に拘る伝統的背景を知ると、太平洋戦争敗戦後、敗戦国日本に課した、「東京裁判」というものの背景も理解できる。
 つまり、「悪魔的にずる賢い大統領」により嵌められ、戦争に追い込まれた日本国民には理解しがたいことだが、アジアで侵略戦争にふけり、米国領の真珠湾にさえ戦争を仕掛けた日本国は、明白な「犯罪国家」として、裁かれるべきだったのだ。

 米国式の善悪二元論の、「倫理外交理念」では、米国が戦った敵国は「悪の戦争を仕掛けた国家」で、その「悪」は処罰の対象なのだ。
 国際連盟の理念として、国家間の紛争は戦争で解決せず、連盟における議論で物事を解決し、平和的解決を常に追求すべきだったのだ。
 もちろん、米国自身は、旧大陸の対立に巻き込まれることを極度に怖れて、連盟には参加しなかったのだが、その連盟精神を世界に押しつけたのは、米国であり、第二次大戦後には、その精神に逆らったドイツ、日本、などは、米国式理想主義の理念で裁かれて当然というのが、彼らの考え方だった、と言うことだ。

 もちろん、米国式の理想主義にも、色々な側面がある。大国が外交していくからには、利害、損得に基づく勘定というものがある。例えば、相変わらず、サウジ、クウェイトなどの産油国では、独裁的政治体制が容認されうるし、最近は、石油を産まない国(産む国にも?)には、絶対軍隊を派遣しないし(ソマリアからはすぐに撤兵した)・・・・大国主義的「国家理性」があるように見える側面の方が、近年は目立ってもいる。しかし、そうではあっても、米国外交の底流には、今でもやはり、道徳、倫理に基づく判断基準というものが、根強く影響力を有している。その側面を見誤ると、米国という国家の動向を正確に占うことは出来ないのだ。
 東京裁判に関して言えば、悔しいけれど、そういう「宣教師的側面」を抱えた国家と事を構えてしまった、と言うことをも、反省点に加えるべきかと思う。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。

 私もキッシンジャーに関しては、ユダヤ知識人によく見られるように、親中反日の嫌な奴というイメージがあります。それでも優れた外交官なのは確かだし、このような人物が活躍できるのは羨ましい限りです。

 米国外交はキリスト教的倫理観に沿った理想主義的、道徳主義的という特徴があり、「宣教師的側面」を抱えた国家という意見には大いに納得させられました。基本的人権という思想も、キリスト教から来ていると言ったブロガーもいます。
 米国が外交で道徳、倫理を振りかざすのは、日本人から見れば不可解でしたが、そのような背景があるのですか。そうなると従軍慰安婦問題でも極めて厄介なことになるでしょう。

 日本としては米国の事情を頭に入れて、外交を展開したいものですが、「トラスト・ミー」を言う阿呆がトップになるから救いようがない。
mugi
2012/10/17 21:41
こんにちは、
 キッシンジャー自身も、欧州出自のユダヤ人として、欧州式の国益外交、自国の利害のみに立って、かつ軍事力を計算しつつ、冷酷に外交を実行するスタイルの欧州の大政治家らの方がお好きらしい。
 だから、ウッドロー・ウィルソン大統領が第一次大戦時に示した理想主義論の結果に関して、辛口です。他方で、ウイルソンが、「自国の利益のために参戦するのではない」として、道徳主義、倫理主義に立脚して、旧大陸の「ろくでなしの旧大国」に対して、米国式の理想主義を押しつける意味で参戦したことが、この故に国民の支持を得られることとなった、米国民を戦争に導くには、むしろそういう理想主義者でなければ、参戦を確保し得なかったとも「評価」しています。

 新大陸を「聖書に基づく新大陸」と意識し、旧大陸を蔑視している国民を戦争に引きずり込む(米国自身は、別の大陸で、軍事的脅威を何ら感じない)、それがウイルソン、フランクリン・ルーズベルトの役割でした。
 問題はウイルソンが心底理想主義論者だったが、ルーズベルトは、「国民を騙して参戦させる、悪魔的側面を持った、偉大な政治家」だったということ。
 つまり、ルーズベルトには、力(軍事力)を信奉する現実主義者としての顔もあったことです。また小生自身は、大恐慌以来の不況を克服する真の「経済問題解決策」が、供給余力を動員できる第二次大戦への参戦という最後の手段しかなかった、という経済的側面も大きかったと思うのですが、キッシンジャーは経済には疎いのか、そういう側面は無視しています。
 ともかく、ルーズベルトは、「大魔王」ですね。
室長
2012/10/18 09:04

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