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zoom RSS イスラム教は、進歩、近代化の障害??

<<   作成日時 : 2013/09/26 11:55   >>

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  さて、前回提起したイスラエルとパレスチナの間の中東和平協議が、いまどのような段階にあるのか?進んでいるのかどうかなど、その後一切の情報が報道されていない。ともかく、パレスチナをどういう線引きの領土で独立させるかとなると、様々な問題が山積で、1年、2年の歳月では交渉がまとまるはずがないことなのかもしれない。だから、シリア紛争(内戦)とかで、若干ごたごたしつつも、世界の目がシリアに傾いていて、イスラエルから離れていることは、交渉にとってよりよい環境であるのかもしれない。

 今日小生が考えてみたいことは、実は中東情勢を考えていてふと思ったことだが、イスラム教という、元来は7世紀頃のアラビア半島、中東地方の道徳、宗教観を基盤に発生した、強固な一神教は、結局西欧が主導した「近代社会」とか、米国が主導した20世紀型の「現代社会」というシステム、枠組みには、なかなかなじみにくい、相当に強靭性のある、特殊な宗教であるのかもしれない、ということだ。

1.近代以降、人類社会は、基本的に西欧型の発展をすると考えられた
 まず、中世時期の西欧でのカトリック教会による世俗社会に対する、強すぎる干渉、僧侶による「正義」の独占体制への反感として、ルネッサンスという「文芸復興」に名を借りて、ギリシャ、ローマという古代社会での「人間中心、人間性重視」という視点で、禁欲主義と教会へのお布施を強制する教会権力にボディーブローを食らわせ、次いで、ルターなどが、「プロテスタント」という聖書の「新教」式新解釈、新教団を立ち上げることで、カトリックの束縛、聖書解釈権の独占を打破した(宗教改革)。この土台の上に、近代に入ると、世俗君主が権力を拡大して、絶対王政を築き始め、その理論的支柱として、「啓蒙主義」という、一層の世俗主義理論により、教会、宗教の影響力を弱体化した。更には、その後、フランス革命で、絶対王政ではなく、「国民国家、民主主義」という新しい政治体系が提案された。

 つまり、西欧型の社会思想発展の流れは、ルネッサンス→宗教改革(新教)→啓蒙主義→絶対王政→国民国家の成立→民主主義という道筋をたどったし、人類全体が同じような方向性を持って、旧弊に満ちた、僧侶たちが牛耳る伝統社会から、市民中心の民主主義的な近代社会へと進化するもの、という概念ができたと思う。

2.日本は、明治維新という「市民革命」で、近代に素早く乗り換えた
 日本の明治維新を考えると、実のところ維新を推進した幕末の志士たちが、伝統社会と化した江戸幕藩体制の中では、下士階級とか、商人、農民階層と言った人材を多く含んでいたせいで、一種の社会革命も伴った「王政復古」だったせいで、復古とか、伝統への執着心は低く、むしろ蘭学などの欧米的学問の影響が強く、西欧近代化の歴史、文化、技術に忠実に学ぶ、という姿勢が強かった。従って、日本国は、東洋思想の呪縛から離れて、西欧近代思想に基づく革命を成し遂げ、国民国家を形成し、徴兵に基づく国民軍を整備して、西欧型の近代思想にうまく自ら適合した、と思う。

 そもそも日本国では、基層となる宗教が、実は神道という、かなり柔軟性の強い多神教であり、神仏混交も進展していたので、「人間性の復活」というルネッサンスも不要であったし、強すぎる僧侶による思想的束縛も、一神教的な宗教による独裁状況も、元来存在せず、徳川政権も、むしろ後知恵として考えれば、「地方分権体制」+「絶対王政」に近い政体であり、西欧近代社会との相性が良かった、ともいえるであろう。
 日本の僧侶階級が、親鸞の頃からすでに妻帯は当たり前妻帯は、要するに宗教と世俗社会の妥協というべきことの象徴かもしれない。僧侶が特殊な人種ではなくなるということだ)で、これに比し、未だにカトリック教会では僧侶の妻帯すら認可されていないという事例のみを見ても、日本国におけるドグマへのこだわりの弱さ、「人間性尊重」という点に関する国民的コンセンサスが、非常に早い段階から成立していたことが分る。

3.中国の混迷
 日本社会が、意外と西欧社会との類似性が強く、西欧式近代化もスムースに進展できたのに比して、中国の場合は、元の時代以降は外国人による統治体制が長らく続き(注:岡田英弘理論によれば、明という中国人政権と見られている王朝も、その政体、社会体系は元朝とほとんど何ら変わらず、中国的要素が低いという)、清朝も、もちろんモンゴル系の政体、社会体系を踏襲した満洲族という異民族系の支配であったから、そもそも、明治維新期において、中国社会を西欧式近代社会へと転換させることは、無理だった。だから、清朝を国民党が追い出した後も、現代期におけるモンゴル勢力とも言えるソ連が、毛沢東らを操り、20世紀の異端派というべき共産党支配をもたらしたので、未だに近代社会に到達しえていない、ともいえる。

 そもそも、小生は、儒教思想の根幹である「忠孝」の概念は、部族制社会としての規範であり、現代社会の小家族制とは根本思想が合致しない、と思う。小中華と言われる朝鮮・韓国の場合も、儒教思想が未だに生きているから、やはり部族制社会だと思う。部族制社会では、個人としての人間性尊重という発想は障害だから、要するに近代化すら難しいのだ。中国社会が未だに「法治」を実現しえないで「人治」と言われるのも、部族制社会では、大家族の親族を守る、ということが最優先で、国家という上過ぎる社会段階からの命令である「法律」などに、誰も服属する意思がないからだ(韓国人の傍若無人ぶりも、結局は「法治」概念への服属習慣がないからだろう)。

4.イスラム社会は、伝統との訣別が難しい
 イスラム教の特色は、日常生活の規範、或は社会的制裁措置(法体系)が事細かくコーランで命令されているから、個人としての人間性の尊重とか、啓蒙主義による宗教との訣別、などの近代化思想を受け入れることができないし、政体も最終的には、常にコーランの体系に逆戻りしがちだ。ムスリムとしての道徳観、倫理観も、一切変化が難しいし、部族制社会という社会形態も、古代、或は中世期の部族制社会時代の社会構成の在り方も、何ら揺らぎようが無く、変化の受け入れが難しい。

 部族制社会というのは、個人としての工夫の余地が少ない社会で、「持てる者は持たざる者に喜捨すべき」ということで、金、モノ、土地、資産、などあらゆるものの「私有概念」が弱められているから、近代社会のもう一つの側面である資本主義という経済体系の根本に関してすら、きちんとした合意が成立しえない。アラブ諸国の「民主化革命」が、結局は「宗教原理主義」へと劣化してしまうのは、@人間性尊重=個人主義、という概念が弱いし、A「所有権、私有権」の絶対化という概念もなく、B個人が他人より裕福となりたい、という「進歩の概念」、「成功者への尊敬心」も薄められてしまうからだ。その意味では、最近まで跋扈していた「共産主義」と重なる価値観が存在する、ともいえる。社会主義国家が、人間の裕福になりたいという欲望を抑えたため、「全員みな貧乏」という「平等主義」のジレンマに陥り、経済が自滅したのと同じだ。コーランの教義が絶対的である限りは、現代化はもちろん、その前の近代化にすら、なかなか踏み込めない部分があるのだ。

5.トルコの宗教回帰、エジプトの世俗回帰
 最近、イスタンブールにおける反政府抗議デモの勃発で、小生は、アタチュルクが世俗化路線を敷いたトルコでは、軍部によるクーデターという究極の「世俗化装置」が無くなっても、市民による世俗化革命が起きれば、やはりイスラム圏でも、近代化、現代化という欲求は、イスラム教の呪縛を克服できるかもしれない、と期待した。
 ところが、結局は、粘り強く、執拗に、徐々にイスラムへの回帰を図る、エルドアン首相の路線へのトルコの一般大衆の支持が強くて、今回の民衆蜂起は世俗化路線の回復とはならなかったようだ。

 他方で、ムスリム同胞団という原理主義政権が成立し、いったんムバラク政権による世俗化路線を断ち切ったかに見えたエジプトでは、一昔前のトルコにおけるやり方、すなわち軍部クーデターという方法で、世俗化主義への回帰が実現した。この状況は、トルコとは完全に逆方向と言える。エジプトには、イスラム教以外の、古いキリスト教であるコプト教という宗教が存在していて、このコプト教は、ある意味アレクサンダー大王の遺産というか、ヘレニズム時代のギリシャ人植民者たちの系列が根強く生き残っているから、イスラム教一辺倒とならずに済み、揺り戻しが実現したのかもしれない。

 この意味では、トルコにおけるキリスト教徒とか、他の宗教信徒の割合は、エジプト(コプト教徒は1割ほどいるらしい)に比べると低すぎるのであろう。
 それにしても、アタチュルクという英雄が、世俗化、西欧式近代化という路線を、圧倒的な独裁権限を行使しつつ実現し、トルコとはイスラエルも、軍事、政治面で協力していたのが、エルドアン政権が出現して以来、トルコとイスラエルの特殊協力関係も、全く途絶えつつあるように見える。バルカン専門家として、トルコが特殊な歴史をたどって、東西の架け橋として成長することを願ってきた小生としては、結局トルコが、基層となる宗教(イスラム教)に回帰することで、徐々に欧米系社会との亀裂を深めていくような気がして、少し複雑な気持ちになる。

 とはいえ、軍部主導政権が続いていた頃のトルコ共和国は、軍事費を最優先で割り当てるため、いつも通貨の過剰発行、これゆえのインフレに悩まされていたが、宗教に半分基盤を置くエルドアン政権は、経済政策では現代経済学を取り入れており、新興国として経済も上昇傾向を示して、その意味では国民生活は改善され、安定化している。そういう意味では、イスラム系の宗教勢力が強い国家でも、現代社会でまともな「経済政策」が実現し得る余地が出てきているということかもしれない。このイスラム教と現代経済学の調和の例は、下記の東アジアの例に、より顕著にみられる。

6.東アジアでは、イスラム教も必ずしも近代化の障壁とはなっていない
 マレイシア、インドネシアの例を見ると、イスラム教の強い国家でも、近代化、現代化が、全く不可能、ということでもないようだ。イスラム教と、現代経済学が、どのように折り合いをつけて、近代化、現代化の道を推進できるのか、或は、イスラム教そのものも、適宜現代社会に適合していけるものなのか?
 ともかく、東アジアにおけるイスラム社会と、中東におけるイスラム社会の間には、どこかに違いが存在する可能性もある。今のところ小生には、この疑問が解けない。
 今のところの小生の仮説は、トルコ、マレイシア、インドネシアの3国とも、親日国で、日本企業の進出もかなり前から受け入れてきた国家で、この故に現地人達も、日本に学ぶという意識が強かったこと、更には、宗教面での原理主義は弱く、世俗主義的な傾向も強い、ということ。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
近代化に際しては「法」の捉え方も重要なのかなと思います。

西欧の「法」は、ローマ法、ゲルマン法、コモン・ローに立脚します。日本では長らく御成敗式目が基本法でした。
これらは基本的に社会の慣習を元にした固有法であるため、民による法の改正や解釈が可能で社会の変化に応じて柔軟に運用され政権が滅んでも受け継がれました。

一方、外来の法を持ち込んだ継受法の場合は、法が立脚する権威が神や制定者であったり法の文面そのものであったりします。そのため剛性であり、社会の変化に対応できず、制定者の滅亡とともに消えてしまいます。日本における律令や近代憲法がそうです。

イスラム法や中国の律令は、元はある部族の固有法だったのでしょうが、それを大帝国に適用した時、民にとっては継受法になりました。その結果、法の改正や解釈の権利が民にはなく、社会の変化に対応できない(むしろ社会を法にあわせる)ようになっています。

固有法の社会が「法治」に、継受法の社会が「人治」になる傾向があるとも言えると思います。

マレイシア、インドネシアについてはよく知らないのですが、歴史上の国家の力が弱かったので社会に固有法が残っているのではないでしょうか。(と思って googleさんに聞いたら、その地域にはイスラム法とは違う「アダット」という慣習法があるようですね。)
トルコは、ケマルという特異点の影響があるため解釈が難しいです。

なお、日本史上で最大の「市民革命」は承久の乱&御成敗式目と思います。
(上記を含め、山本七平の『日本的革命の哲学』を参考にしたものです。)
motton
2013/09/27 12:17
mottonさんこんばんは、
 最近河東氏が書いた論文で、中世の西欧では、カトリック教会がローマ法を受け継ぎ、ローマ帝国時代からの統治方式も、学問、識字

を独占した僧侶階級が、官僚の役割も兼ね備え、継承して生活が続いていた(http://www.japan-world-trends.com/ja/cat-

1/post_1213.php)ということを書いておられます。僧侶というのは、地元名士の次男、三男の就職先だったという。ローマ帝国の官僚

に仕官したというのと、教会に就職するというのが、同じような意味を持っていたらしい。
 
 今回の小生の視点は、古代欧州では、ギリシャ、ローマ時代に、人間>神という時代であった(多神教では、神々も人間的だし、唯一

絶対の真理を神の教え、命令という形で独占しない)。しかし、中世になると、カトリック教会が聖俗双方を兼ねる、独占状態の圧迫感

=神>人間と言いつつ、実は僧侶が神を独占して、人間を束縛した。この状況から解放されるため、教会から徴税権、軍事権限、司法権

などを奪い取るために、ルネッサンス、宗教改革、啓蒙主義などの思想的な革命が行われ、西欧諸国の王権が、教会からの解放(司法権

、軍事権限、徴税権奪取)を勝ち取り、ついに人間>神という近代に突入することができた、ということ。西欧の一部の国では、現在も

教会税(10%)を国家が代行して徴税しているが、教会が直接徴税はできない。
室長
2013/09/28 00:02
(続)
中東では、7世紀のイスラム教勃興以来、神>人間という宗教優位の社会体系が確立され、なかなかその呪縛から完全に解放されるような動きが生じていない。シャリーア法体系が、イスラム諸国の法体系の根幹として、未だに機能している国が多い。砂漠の遊牧民と商人階層を主たる対象としているイスラム教は、石油、天然ガスを売りつつも、現代社会でも、商人としての感覚さえ維持すれば、基本的には生活していけるからかもしれません。とはいえ、貴兄の言うように、インドネシア、マレイシア、トルコなどでは、近代的法体系も取り入れている模様で、イスラム法から離れつつあるのでしょうけど、それはやはり、これら諸国では、植民地化されたり、ケマル・アタチュルクという英雄が現れたりで、独自の近代化を図ったりしたからでしょう。ネシア、マレイシアでは、植民地時代の法律というのも、結構継承されたのではないか、と思う。

 
室長
2013/09/28 00:06
(続)
アジアでは、中国の場合、元来多神教的で、道教が結構人間的だが、儒教という別の宗教が社会の上層階級の宗教として、異民族支配の時代にもそれなりに生き残った。儒教というのは、結局部族主義の精神的支柱としての「忠孝」ばかり強調していて、ある意味極端なほど人間>神ではあるが、この場合の人間とは、個人としての人間性ではなく、大家族、部族、氏族という単位であり、この意味で、国家への忠誠心とか、愛国心などの近代的思想は、生まれなかった。中国の部族主義は、アラブ、中東の部族主義とも、異なる。それは、
偉大な唯一神からの命令、という一種の法体系が存在しないから。むしろ、中国の法律というのは、秦の時代以来、皇帝による支配を広い国土に中央集権的に実現させるための、法家の定めた命令だから、各地の慣習、伝統とは相容れず、この故に、現地司令官などによる「人治」となったのでしょう。また、王朝、支配民族が変われば、やはり大きく変わり得るのが、中国の法体系だったのではないか。
室長
2013/09/28 00:06
こんばんは。

 私自身もマレーシアやインドネシアについて浅学ですが、確かに同じイスラム国家でも中東と東南アジアでは違いますよね。以下は私の想像ですが、この原因は地政学だけでなく環境も大きいと思います。中東発祥で遊牧民に受け入れられたイスラムも、緑豊かな東南アジアでは変貌せざるを得なかった。中東のムスリムからすると、厳格ではない東南アジアは「イスラムからの逸脱」と非難されているとか。
 
 アラブ人やイラン人ムスリムも東南アジアに伝道しましたが、イスラムを根付かせる役割を果たしたのはインドのムスリムだったそうです。元から東南アジアはインド文明圏だったし、マレーシアもインド南東部から移住した人々が住み着きました。
 マレーシアやインドネシアが中東のイスラム圏と異なるのは、民族構成もあるのではないでしょうか?両国とも華僑が経済を握っており、特にマレーシアは華僑の占める割合が高い。その対抗策としてマレー人を優遇するブミプトラ政策が取られましたが、華僑との経済格差は縮まらない。マレーシアやインドネシアでは、華僑に不満を抱くムスリム多数派による暴動も起きています。

 マレーシアには他にインド系もいます。東南アジアのイスラム国家が世俗的なのも、異教徒の占める割合が高く、周囲は非イスラム国家という事情があると思います。
mugi
2013/09/28 20:45
こんにちは、
 水が豊かなアジアの風土、そして、インド系ムスリムがもたらしたイスラム教が、イスラム教と無縁の華僑が握る経済力によって、ネシア、マレーシアでは、必ずしも国家を主導する原理と成れなかった、ということですね。むしろ大衆の宗教として、広く信じられるようになったけど、アジアのムスリムは国家の主導権を握れなかったというか。マレイシアのスルタンたちも、インドのムスリム藩王たちと、大きくは変わらない存在だったのでしょうが、とはいえ、民衆レベルまで、仏教、ヒンドゥー教からイスラムへと宗教が変わったというのも、不思議なような部分も残るけど、あなたの言う視点は、確かに理解しやすい説明ですね。

 湾岸から東アジアに渡航して、スパイス貿易していたムスリム商人たちは、ポルトガル、スペイン人の来訪で、香料貿易の独占から排除されたけど、華僑たちは西欧商人たちの下請にもなって、それなりに活躍を継続したように思う。
 マレイシア、シンガポールには、ムスリム以外のインド人も多いし、それなりの多民族国家としての性格から、ムスリムたちも世俗的で、一神教の恐ろしげな、厳格な神による支配とは少し異なるということですね。豚を食べない、ハラール食品を守る、一日何度もメッカの方に向かって礼拝する、などは、ネシアのムスリムたちも守るようで、最近東京を訪れるネシア人観光客も増えているというTV番組で、日本でも、ハラール食品、礼拝所などに対応していくことがムスリム観光客受け入れ上必要な措置と言っていました。基本となる日常生活の規範は守るけど、国家としての法体系、経済政策などで柔軟に対応できるので、東アジアのムスリムは、近代化に順応できていると思う。
室長
2013/09/29 10:37

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