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zoom RSS 偉人百選:ダン・コーロフ

<<   作成日時 : 2014/12/16 12:16   >>

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  89番目の偉人は、Dan Kolovというプロ・レスラーの話です。1925--1930年代初頭に、米国で絶大な人気を誇った重量級自由スタイル・レスリングの巨星です。ところが、本国のブルでは1933年10月頃に国内のスポーツ紙が初めて報道するまでは、まるで知られていなかったというから、当時のマスコミと現在のマスコミとの報道の在り方の違いが大きかったというしかない。

  また、1935年になると結核を患っていることが判明し、ブルに帰国して、慈善活動とか、スポーツ・クラブの設立、後輩となりうる若手レスラーへの指導など、祖国に対する貢献と言うことに非常に力を注いだようです。

  そう言えば、ブル国では、オスマン時代の影響下、トルコ式相撲の伝統があったせいか、特にトルコ系ブル人の間で、レスリング、或は重量挙げなど「力技」を得意とする人材が社会主義時代も多かったと記憶するのですが、小生自身はスポーツに興味が無く、DKの名前も知りませんでした。ともかく、「熊殺し」とか言う伝説もあったようで、異例に筋肉が発達した人物であったようです。当時は未だにペニシリンが存在せず、1940年、結核のせいで47歳と言う若さで死亡しました。

89.ダン・コーロフ=ブル出身、米国で活躍した重量級プロレスラー(Dan Kolov、1892—1940年)
     Henri Deglane*の言葉:「米国で人気があった、その人気たるや大統領に匹敵するほどだった。しかしいつまでも同人はブル人であった・・・なぜなら自分の祖国を愛していたから」。
  (*注:アンリ・デグランは、仏人レスラーで、1924年パリ五輪で金メダルを受賞した人物。http://en.wikipedia.org/wiki/Henri_Deglane。)

  スポーツの歴史と言うのは、神話を作り出すのに適したジャンルだ。ブルにおいては、この神格化されたスポーツ英雄として一番著名な人物がDan Kolevなのだ。実のところ、DKは決してブル人として最初の世界的に著名なレスラーでもないし、最高位に到達した人間でもない。Nikola Petrovと言うレスラー(http://en.wikipedia.org/wiki/Nikola_Petroff)が1900年のパリ万博時に世界チャンピオンとなったが、その時DKはまだ8歳だった。NPと異なりDKは一度も世界チャンピオンとはなっていない。にもかかわらず、DKはブル国内の試合では3万人の観衆を集めたし、何年にもわたり同人の足跡は、世界各国、及びブルの新聞によって追っかけられた。そしてその死後には、レジェンド(神話)となった。多くのスポーツ・クラブが同人の名前を冠しているし、一番人気のあるトーナメントは「Dan Kolov」と名付けられている。

(1)出生、教育
  Doncho Kolev Danevは、1892年12月26日、Gabrovo県Sevlievo郡Sennik村(Sevlievo町の西方)に生まれた。7歳の時父親が死亡し、7名の兄妹とともに生きるため、羊飼いをした。13歳になる前、外国へと出稼ぎに出ることとし、ハンガリーへ行って庭師として働いた(1905--1909年、12--16歳)。
  1909年(16歳)、ブダペスト市でNikola Petrov(上記のブル人チャンピオン)の試合を見て自分もレスラーになることを決意した(NPがDKに、レスリングが盛んな米国への移民を勧めたという)。

(2)職歴
  1910年(17歳)で、DKは米国に移民した。米国では、当初色々な職場を転々としたが、結局は鉄道建設労働者となった。この仲間たちの間で、DKの腕力、体力は評判となった。DKは自分の首にレールを巻いて、これを曲げることができたのだ。
  あるサーカスで、当時有名だったレスラーのJack Lawrenceと初めて戦うこととなり、なんと勝利してしまった。    (注:wiki英語版によれば、1914年(21歳)、Victoria Circusで、団長が当時StarだったJeff Lawrenceと観客との力比べを呼びかけたとき、リング上に上ったDKは勝利してしまったのだという。)

(3)遂に職業レスラーとして活躍
  1918年(26歳)には、職業レスラーとしてのキャリアを開始した。DKが勝負したのは米国式のレスリングで、Catch as catch can(好きなように取り組め)と呼ばれたFreestyle wrestlingの一種だった。ちなみに、レスリングには、1925年までは、カテゴリー(体重別)が無かった。
  1925--34年(32--41歳)まで、DKは世界のCatcher(Freestyleレスラー)強豪たちと、信じられないような対戦を繰り返したが、一度も負けなかった。

  身長171p(低い)、体重106kg以下と言う体で、世界の強豪たちに勝ち続けたが、残念ながら世界チャンピオンにはなれなかった。チャンピオン・ベルトを帯びていたJim Landosは、DKとの対戦を逃げ回った。例えばBoston市で、DKは、JLと戦うために、5千ドルの賭け金をデポジットしたのに、同人は対戦を回避したのだ。
  愛国者であるDKは、米国籍の取得を決してOKしなかったので、マネージャーたちは、DKのために、チャンピオンとなるための決選をアレンジしたがらなかったのだ。

(4)プロ・レスラーとしての戦績
  DKは、伝説的に偉大なブル人スポーツマンだ。マットの上ではほとんど負けなかった(公式マッチ1500回以上で、敗北は10回のみ)。
    wikiブル語版でタイトル、戦績などを総括した数字は以下の通り:
  @ダイアモンド帯獲得(職業レスラーとしての重量級世界チャンピオン)2回:1927年(34歳)と1933年(40歳)。
    (注:上記(3)で「世界チャンピオン」と成れなかった…と書いてあるのと矛盾する。「重量級世界チャンプ」に2回もなっているのだから。???

  A職業レスラー重量級欧州チャンピオン3回:1934年(41歳)、1937年(44歳)、1937/1938年(45歳)。
  B日本トーナメント:1924年(31歳)
  Cブラジルトーナメント:1927年(34歳)
  D米国トーナメントで何度も優勝:1914--27年(21--34歳)

(5)ブルでは、1933年まで知られていなかった!
  まったく信じられないような話だが、欧州ではCatchというレスリング様式が有名ではなかったので、DKの名前は祖国のブルでは1933年までほぼ誰にも知られていなかった。ようやく1933年10月11日、新聞『Sport』紙に次のような記事が掲載された:「一人のブル人巨人が最近パリに出現した。先週パリで開催された国際トーナメントで、同人はリトアニア出身のチャンピオンBili Bartusに勝利したのだ」。

(6)結核を患ったが、祖国のために慈善活動
  結核を患ったので、DKはブルに帰国し(1935年4月7日)、病魔と闘いながらも、ブル人同胞たちに支援の手を差し伸べた。
  DK自らが、故郷の村Sennikに帰郷して、租税を支払ったことが有名だ。また、1933年には、Leipzig裁判(注:G.Dimitrov他が独のLeipzig市の裁判所で、独国会放火罪容疑で公判を受けた事件)被告たちの解放のために、2千ドルと言う大金を拠出したことも有名だ。

(7)その他の功績
  他の名人たちとDKの違いは、同人が決してその得意技などの秘密を隠し通そうとしなかったことだ。重量級フリースタイル・レスリングの技法を皆に教えたのだ。その意味でも、このスポーツ分野における将来のために、同人が及ぼした影響力はより大きい。

  本件『百選』の中に採り上げる要因としての同人の影響力に関しては、同人のスポーツマンとしての模範的業績ばかりではなく、同人のブル国内における慈善活動、及び、スポーツ・トレーナーとしての活動と言う功績も大きい。
  1935年4月に帰国後は、DKは慈善活動家、及びブル・レスリングの組織者となった。同人の指導、及び同人が設立したスポーツ・クラブのおかげで、多くのブルの偉大なレスラーたちが養成されたのだ:Kiro Andreev、Serafim Marshalov、Dimitqr Stoychev、Ivo Kyaev、Todor Naydenovらだ。
  更に同人の功績として見逃せない点は、現代のブル人達の生活にスポーツが及ぼす大きな影響力・・・この原因を作ったのも、DKの影響力がおおきいのだ。全てのブルのスポーツマンの中で、DKほどブル人のスポーツへの関心を高めた人物は他にいない。

(8)死亡
  DKは、1940年3月27日(注:wikiでは26日、47歳)、故郷のSennik村で死亡した。
  同人の死亡時、既にブルは他の有名レスラー、例えばHari Stoev、Petqr Fereshtanovなどを有していたが、彼らの何れもDKほどは人気が無かった。

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