独裁型指導者という政治形態

バルカン半島では、どうして独裁者型指導者が近代史、現代史においてもしばしば出現するのだろうか、と98年に考えて小生が書いた原稿が見付かりました。最近、ブルガリア、バルカン半島から離れた議論ばかりしてきたので、少し反省して、この原稿に少し手を加えて、皆様に考えていただこうと思います。バルカンばかりではなく、ロシアも独裁者型指導者(プーチンを含め)の方が成功の確率が高いようですが、ロシアもバルカン半島から導入したオーソドックス教会(ギリシャ正教系東方正教会の教義)が主流なので、同じような社会となるのでしょう。もちろん、ベラルーシのルカシェンコ政権も独裁者型指導者です。

1.一神教的思考が、現代社会への進化を遅らせる?  
  バルカン半島の歴史が遅れているのは、イスラム教、或いはオーソドックスの一神教的伝統が色濃く残り、宗教改革、産業革命などの「近代化」の歴史過程が欠落しているから、というのが小生の仮説である。
  他方、多神教的な我々(日本人、アジア人)と西欧的文化・文明には、今日では大きな相違がないように感じられる。宗教改革、産業革命で作られた社会は、政教分離などにより「一神教的ではなくなっている」からなのか?

2.建前論でこそ、伝統、歴史が反映された思考が出てくる 
  なお、そうは言っても、長く外国生活してみると、人間の思考、感情にそう大きい差はないと感じることも多い。

  然しなお、議論とかしてみると(喧嘩になったりして)、やはり相違を大きく感じたりもする。これは、議論となると、それぞれの社会における「常識」とか「通念」とか、「伝統的価値観」などが関わってくるからだ。こういう部分こそが、即ち歴史的な「発展段階、文明、文化、伝統」と言われる部分に関わるものといえるだろう。換言すれば「建前」的議論の際にこそ、人間が自分のアイデンティティーに関わる「基盤的な思考、正義体系=イデオロギー」の本音が出てくるのだ。

 即ち、建前の議論の中では、その社会で広く信じられている常識的思考が主として出てくる。こうしてその国特有の「政治体制」などが成立するのだ。バルカン半島では、この場合どうしても、一神教的伝統から、個人独裁的な傾向が強く出る。
  人々が話し合いでコンセンサスを作る、何人もの有力者が意見を出し、その間で調整しつつ「足して割る」というような政策調整は、彼らの価値観には基本的にはない。誰かがより賢いのであり、白黒つけて誰かの意見を採用する、一旦誰かが勝ち残ったら、その人物は引きずり降ろされるまでは、勝手に自分の意見だけで政策立案して、これを「腹心」に命令して実行していく。これがバルカン半島では当たり前なのだ。

  イソップ物語は、ブルガリア、その他のバルカン半島の先住民であるトラキア人の寓話、教訓話だが、その寓話では、狡賢い、ないしは賢明な者が常に勝者であり、英雄で、バカには何らの価値も認めていない。最近の日本(ヘキサゴンIIのTV番組)のように、おバカさん達がもてはやされるような文化土壌はゼロだ。

3.西欧、欧米では? 
  西欧的な「建前」でも、「リーダーシップ」信仰があり、日本的なコンセンサスのやり方は好まれない。もっとも、米国首都のワシントンで、米国官僚達から聞いたときに、先方説明で分かったことだが、最近は他国への政策(例えば対日要求)などの際には、省庁間意見交換の機会が多く、これによって各省間で意見調整した後に、揃って対日要求するという手法が盛んとなってきたそうだ。これは、然し、自分らの気付かない「良い知恵」をも動員して、一緒になって最大限他国から「譲歩を引き出す」知恵を絞るという事である。調整型の会議が存在はしても、その会議における目的、趣旨などは予め決まっていて、単によりよい知恵を皆から出させるためで、方針、政策そのものを議論すると言うことではない感じであった。

  西欧文明でも、イソップ式の「狡賢い者が勝ち」という原則は通っていて、一時的に譲ったり、損したりしても、長期的な信用を勝ち取るべき、というような謙譲の美、正直、東洋風道徳、商業上の戦略とはかなり違う。

4.日本では、あまり確固たる自己の意見を持たない人間が出世する 
  日本では、調整型人間が「出世」する。これは他の誰かから恨み・妬みを集めない人間が「徳がある」と見られ、成功する社会だからであるし、そもそも自らの意見を強固に持ち、これを強く主張する人物は、「性格が濃すぎる」とか、「個人主義」とか、最近の言葉では「KY(周囲の空気が読めない)」とかいって異端視されるからだ

西欧型では、一番有能さを皆に印象づけることに成功した人物、「英雄型」人物が勝ち残る。「リーダー」に委ねるという思想が強い社会だから。故に、西欧、米国では建前論を含めて、自らの考え方を執拗に、ねばり強く議論して、他人を論破し、リーダーとしての資質を証明していって、その後に指導者になるというのが、一神教的要素を薄めた「近代、現代」西欧、米国社会でも、未だに普通のプロセスと思う

  他方で、そのように他人より上の「知恵、指導力」などをリーダーに求めないのが日本社会のようだ。これも、やはり困ったことかもしれない。

5.「王権神授説」のオーソドックス社会 
 1月3日TBSが放送した「歴史ミステリー:古代ローマ1000年史」というTV番組は、塩野七海氏の歴史書に基盤をおいた中身らしいが、それによると、ローマ皇帝は元老院、市民からの信任を受けて「皇帝」という地位を得ていたので、市民、元老院からの信頼を得られなくなった皇帝は廃位されうる存在であったらしい(因みに、古代ローマは未だにキリスト教が異端の多神教世界であった)。

  それよりも強い皇帝権力と言うことで、「王権神授説」が皇帝サイドから生み出され、教会から「神の思し召し」で権力を付与されたと認定させる形式が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で生まれ、これにキリスト教が利用されたという。
  即ち、東ローマ帝国と一体化して発展したオーソドックス教会の教義は、独裁者としての皇帝に都合の良い宗教であり、このギリシャ正教系のオーソドックス教義を維持しているバルカン半島やロシア、ベラルーシで、「独裁者型指導者」が相変わらず誕生しているのは、ある意味で当然、納得がいく社会現象といえるのかもしれない

最近のブルガリア史に限定して考えてみても、マルクス経済学者にして、ソ連のエージェントでもあったはずのコストフが、90年代半ば以降は愛国主義者に転じて、首相として政権を確立(97--01年)、維持する際には、タバコ密輸、その他のマフィア組織を庇護して獲得した裏金を使って、大臣などSDS党幹部を買収して絶対権力を握り、独裁者型指導者として国政を専断した。これが功を奏して、社会主義から資本主義、自由主義へと政治体制を見事に転換、正常化させた手腕は、オーソドックス社会における独裁型指導者としての伝統的手法を採択したからといえる

  他方、コストフ後継政権を担当したシメオン「元国王」の政権では、やはりオーソドックス社会の「王権神授説」に乗りつつも、フェルディナント(祖父)、ボリス3世(父)と同様に、外国(ドイツ)から迎えられてブルに来た「外来の王様」として、より慎重に諸大臣の能力に依存しつつ、政権運営を行った。基本的には、シメオン首相は、ヴェルチェフ蔵相の財政均衡最重視政策で、インフレを防止し、経済安定をもたらした。コストフ、シメオン両名共に、自国の伝統と歴史に基盤をおいた政策を実行したのが成功の秘訣であった。

  なお、ロシアのプーチン政権は、もちろんオーソドックス社会の伝統(権威主義)にも基盤をおいているが、KGBというソ連社会主義時代の「秘密警察の実力行使の伝統」にも依拠している。更には最近の報道では、石油、天然ガスなどのエネルギー資源を再度国営企業で掌握して、その裏金をスイス銀行の自分が管理する口座に巨額貯蓄しているらしい。どうやら、巨額の裏金を使って、与党を強化したり、宣伝戦略をとったりと、コストフ的な技法も使っている模様だ。

6.日本でも総理一人の責任における即断即決は、場合によっては不可欠  
  多神教の日本では、なかなか絶対君主的な存在は歓迎されなくて当然だ。そうはいっても、共和制で、元老院の長々とした議論を経て、ようやく政策が決定されるような形では、危機に際して帝国を守れないので、一人の独裁者に一時的にせよ政権を委ねるという形で皇帝制度ができた古代ローマの教訓も、捨てがたい政治理論であろう。

  日本型の「調整的な、足して二で割る結論」では、もちろん日本国は生き残れない。日本国首相といえども、政権を委任された「総理である期間」くらいは、即断即決、総理の自己責任による効率的な政策遂行が要求されることもあるのだ。だから我々は、最近の歴史で、小泉政権という、日本社会では初めてともいえる「大統領型首相」を誕生させたのだろう。小泉型政権という、西欧、米国などからも理解しやすい政権タイプが、早くも異端視され、日本の政界からは排除されようとしている。何となく残念な感じもする。  

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