ローマ帝国と食べ物、ジャガイモ


最近塩野七生(ナナミ)氏の著書『ローマから日本が見える』(集英社文庫、2008年9月)を読んだ。ローマ史をくまなく調べ尽くした同氏のみが到達できる、ローマ帝国1千年という超長期帝国を維持できた秘密、政治システムの秘訣、ローマ帝国が産んだ多くの人材、英雄達のどこがすごかったかに関する洞察が詳しく論証されており、単なる歴史オタクのための読み物としても楽しいので、皆様にも一読をお勧めする。とはいえ、バルカン半島、特にブルガリア研究を主眼とする小生にとっては、バルカンに関する記述が少なく、期待はずれの側面もあった。今回は、実際には、この名著とはほぼ何の関係もなく、食べ物の話を書く。

1.ブルガリアとローマ帝国:チーズの縁
  ブルガリア専門家として、まず思い浮かべるローマ帝国時代の遺産は、チーズの一種であるカシュカヴァール(黄色チーズ)である。元来のカシュカヴァールは、ローマ兵士が騎乗しつつ持ち運べるよう、馬の鞍にくくりつけやすいようにひょうたん型をしていたようだが、ブルガリアで市販されているカシュカヴァールは、皆普通の長方形・板型であった。社会主義時代は、どういう訳か、カシュカヴァールは常に表面から油がしみ出ている、少し臭みもあるような代物で、また料理に使ってもじゅくじゅくと食用油がしみ出るので、脂っこいチーズだなーと不思議だったのだが、自由化後に市販されていたカシュカヴァールは、すっかりきれいになり、油も滲み出ておらず、普通の硬質系チーズの一種という感じになった。どうして社会主義時代のカシュカヴァールが、脂っこいものだったのか、未だに謎だが、恐らくよほど原材料が悪かったのだろう。
  最近TVで、田中義剛の牧場自家製の「カチョカヴァロ」・チーズというひょうたん型のチーズを紹介していたが、これこそがブルガリア、ローマのカシュカヴァール・チーズのことだと思う。小生の知る、ブルガリア製カシュカヴァールは、少し癖があるとはいえ、基本的にはゴーダ、エダムなどにも近い、普通の硬質系チーズという味だった。

  黄色チーズ以上にバルカン半島(特にブルガリア、ギリシャ、マケドニアなど)、トルコなどでは主要なチーズが、シーレネ(西欧名はフェタ・チーズ)であり、小生は白チーズと呼んでいた。白チーズは、恐らく昔のギリシャで生まれた一番単純なウエット・タイプ・チーズだと思うが、社会主義時代には、塩水の中に大きな塊で、まるで豆腐のように浮かべられて売られていた。買う方は、1kg、500grという風に、重さを指定して切り取って貰ったのだ。まるで、昔の日本で豆腐をグラム買いするときと同じだが、不器用なブル人にかかると、500gと指定しても、大きめに切り取られて600g買わされてしまうことは普通のことだった。塩分が高すぎる白チーズは、自宅に帰ると薄めの塩水を用意して、その中に漬け戻して、塩分を少なめに調整してから、鰹節を振りかけ、醤油を少し垂らして食べると、何となく豆腐気分が味わえたものだ。
  もちろん、白チーズの一番おいしい食べ方は、小生がこれまで何度も紹介してきた、バーニツァを作ることだ。

2.ロメイン・レタスとイタリアン・パセリ
  ローマという名前が入っているサラダ菜であるロメイン(「ローマの」の意味)・レタスは、最近日本のスーパーなどでも時折売られている。ブルガリアでは、マルーラと呼ばれ、日本人として社会主義時代に、菜っ葉類の代用品としては、このマルーラしか見あたらなかった(他には、キャベツとほうれん草があっただけ。最近は、ブルガリアでも白菜とか、小松菜、モヤシなども時折買えるようになったようだ。パザルジック、プロヴディフあたりで、中国人農民がこれらを栽培して中華料理屋、中華食材店に売るので)。マルーラは味噌汁の具として、或いは湯通しして鰹節をかけ醤油を垂らして、など、万能の菜っ葉だった。
 
  イタリアン・パセリも恐らくローマ時代から続くバルカン半島で多用されるパセリであり、ブルガリア名はマグダノスという。マグダノスは、ほとんどあらゆるブルガリア料理で、香味材料として使用されている。不思議なことに、我々が好む西欧風のパセリは、社会主義時代のブルガリアでは、一切お目にかかれなかった。
  ブルガリアでは、香味材料としては、マグダノスの他には、ニンニク、西洋わさび(ブルガリア名=フリャン)、胡椒、チューブリツァ(注:一種の薬草で、主に暖かい丸パン(ピタ)につけて食べる。パンにつける不思議な薬草、ということで、ブルガリア飯店(ハンチェ=ブルガリアの郷土料理店)では外国人が必ず不思議がる食材。薬草粉+塩+パプリカ粉がチューブリツァの中身である。)などが用いられる。なお、チューブリツァは、最近はスーパーなどで、かなり大きめの袋入りで、いくらでも手にはいるようになっている。

3.ジャガイモとベラルーシ
  6月のこのブログで、ジャガイモの欧州における歴史を紹介した。また、ブルガリアでは、社会主義時代に、ジャガイモすら、必ずしも十分出回らず、小生家族はジャガイモ、バナナなどに不自由して、週末の土曜日に隣国ユーゴ(セルビア)のピロットの町(注:ブル人なら、必ず、「そもそもピロットはセルビアが不当に合併した西部国境沿いのブル人居住地区の一つである」と、怒りを込めて語るであろうが)まで買い出しに行ったものだ。
  ジャガイモに関しては、歴史は浅いものの、アイルランドに次いで、旧ソ連では(黒パンとともに)主食だったということを付言したい。小生が1999年から2002年までベラルーシに在住した際に、思い知らされたことは、旧ソ連、そして当時のベラルーシ、或いは当時未だに経済混乱期で貧しかったロシアの一般庶民にとって、ダーチャ(別荘、ブル語ではヴィラ)付属の小農園で栽培、収穫するジャガイモこそは、苦しい時代の生活を支えてくれた(自給自足)、唯一の頼りになる食糧だった。もちろんジャガイモは、ロシア人、ベラルーシ人にとって、自家製ウォッカの原材料としても貴重な存在である。

  ベラルーシのジャガイモに関しては、面白い思い出がある。ベラルーシでも、マクドナルドが2--3店舗進出していたのだが、同社は、食材の吟味にうるさく、特に米国本部では、アイルランド系の「高品質」ジャガイモ(アイダホ系品種)に固執しており、ベラルーシの店舗でも、安価で豊富なベラルーシ産のジャガイモを使用せず、わざわざ輸入してでもアイダホ系ジャガイモを使用したので、独裁者ルカシェンコの逆鱗に触れた。ルカシェンコは、「世界一美味なベラルーシ国産のジャガイモ、牛肉」などをなぜ使わないのか!と激怒して、マクドナルドに対し色々圧力をかけたが、マクドナルド側は譲歩しなかったらしい。たかがジャガイモ、されどジャガイモというべきか。

  もう一つ、追加で思い出したのは、ベラルーシで、あるユダヤ人の祭日の晩餐会に招待されたときの出来事。同席した3名ほどの米国人農民達がいて、彼らはなんとベラルーシにジャガイモ生産の農業技術を伝授するために来ていたのだ。彼らを紹介したユダヤ系コミューニティーの指導者によると、「これら米国人は、ベラルーシの農村で、正しいジャガイモ生産技術を指導し、彼らの技術によれば、反当たり収量は、3倍にもなった」という。
  これら年配の米国人農民らは、「我々は何も特別な、新規の技術を伝達しに来たのではない。基本的な農業技術の原則を守って育てれば、ジャガイモだって喜んで、これまでの何倍もの収穫が可能だと言うことを示しただけ。また自分らは、新しい方法を学びたくないという農民には一切強制しないし、自ら学びたいという農民達にのみ、農業の基本を教えただけである。農業は、天候、肥料、土壌、などの要素を勘案しつつ、いかに作物に適した栽培方法を採用するか、を考えながら行うもので、そういう基本さえ身につければ、誰にも難しい技術ではない」と述べた。
  逆に言えば、ベラルーシの農民達が、いかにど素人で、農業の基本的な技術原則をも無視した、でたらめな農業をしているかを考えさせられたものである。結局社会主義体制では、工夫したり、考えたり、勤勉性を発揮して作物にやさしい栽培を心がける農民を生み出さなかったということだ。天候を見ながら、種芋を植える適切な日を決めたり、土壌改良、施肥などにも、ジャガイモに適した工夫をするとか、そういう普通の農民ならできるはずの配慮すら、社会主義体制のなかでは、余計な努力で、誰もやらなくなっていたのだ。農民が、農業「労働者」となって、命令通りに、言われた仕事をこなすだけの存在になってしまっていたのだ。集団農場のジャガイモは不作でも、自分のダーチャにおけるジャガイモは豊作、という例が多かったのが社会主義時代なのだ。そういう集団農場を温存したのが、ルカシェンコ政権である。そういえば、最近、ベラルーシの下院選挙で、またもやルカシェンコ系の議員のみが当選したと日本の新聞に報道されていた!!
   

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