日本生まれの一神教?


 小生は、宗教に関しては、無神論ではないにしても、伝統仏教(真宗高田派)程度で十分という感じで、更には自分の宗派に関しても特に勉強したことはない。そうは言っても、バルカン半島、西欧、及び米国などとも若干は関わった「外国生活合計25年」の、「外国通」でもあるから、宗教に全く無関心でもない。その小生が最近、毎回一驚しつつ読んでいるのが、『週刊ポスト』に連載中の井沢元彦氏による「本居宣長の打ち立てた天皇絶対教は、一種の一神教だ」、という驚くべき指摘である。井沢氏によれば、日本においてキリスト教が人口比1%以下という限界を打ち破れない理由も、天皇絶対教という、日本式の一神教が存在するからだという。
 多神教徒で、複眼思考が出来る日本人という風に、自尊心を膨らませていた小生の既成概念を破壊する、重大な指摘である。井沢氏の説くところを少し解説して、この件に関し、少しは自説を展開してみたい。ちなみに、キリスト教に関しては、最近面白いwebサイトを見付けたので、ご紹介する:http://blog.goo.ne.jp/watapi_1968

1.天照大神(アマテラス)=天皇=絶対神(現人神)
  まず、ポスト誌10月9日号で井沢氏が指摘しているのは、天皇の意志そのものと、本居神道にいうところの忠臣像のねじれ現象。1936年の「2・26事件」で、陸軍青年将校率いる部隊が、総理大臣岡田啓介、内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清らを襲い、斎藤、高橋らが殺害され、昭和天皇に「昭和維新」断行を促したが、天皇ご自身は彼らを「反乱軍」と激怒・非難し、断固弾圧したが、青年将校達はその天皇決断を聞いた後も、自分たちが正しいという信念を崩さなかったと言うこと。
  青年将校達が信じたのは、山本七平によると、浅見絅斎(けいさい)による「赤穂義士弁護論」で、その忠臣像によれば、「勝手に天皇の心情なるものを仮定して、一方的にこれに自己の心情を仮託しこれと一体化して、全く純粋に私心無くそれを行動に移したら、その行動は法に触れても倫理的に立派だ」ということである由。キーワードは、至誠と正直で、出世、成功、利益などの私心無く、目的を追求すれば、その姿勢は結果的に正しく、神にも祝福されるという考え方だという。この思想に基づき生まれた日本の諺が、「至誠通天(至誠は天に通じる)」と、「正直の頭(こうべ)に神宿る」であるという。
  また、10月16日号では、井沢氏は、至誠通天、正直の頭に神宿るという考え方を、本居宣長は断固否定したといい、その理由は、絶対神である現人神の天皇にこそ、判定のスイッチはあるのであり、至誠通天では、結局は絶対神ではなく、個人=人間側にスイッチがあるからだという。儒教も元来、天人相関説で、「帝王が良い政治をすれば、天はそれを祝福する」という風に、人間が善行をするというスイッチを入れれば、神も祝福するという人間主体論で、絶対神を認める立場ではない、という。「この世で起きることの全てを神の仕業と考え、受け容れる」ことこそが、一神教の立場であり、主体は全て神にある。悪人が栄えて、善人の自分が貧しい、などという事態に直面しても、それでも神は正しいと言えるのが一神教徒であるという。キリスト教も、イスラム教も、そういう風に、自らの願望が実らずとも、不幸がうち続いても、神の仕業は正しいと信じて疑ってはならないという教えである由。

2.陸軍現地将校達による独断専行:人間側スイッチの欠陥
 (この2.以下の項は、小生が井沢氏の所説を勝手に解釈して、敷衍しています。)
 ちなみに、本居神学では、アマテラス以外の神々も存在するが、アマテラスが絶対神で、そのアマテラスと一体となってこの世に顕現しているのが、現人神の天皇だ、という立場である。青年将校達が、自分は忠臣だと確信して、幕末の長州藩、薩摩藩などの志士たちに倣って、「天皇のために、奸臣どもを排除することは正しい」と信じたのは、儒教的な人間主体論であって、本当の天皇絶対教の立場に照らせば、間違いだったのである。他方で、陸軍当局は、昭和天皇の「反乱軍だ、断固鎮圧せよ」という命令には従ったものの、逮捕した青年将校達には「おまえ達の心情はよく分かる」などという、温情的な対応もあったと聞く。
 要するに、本居神道は、必ずしも浸透せず、日本人の多くは昭和期において、相変わらず儒教的な立場、心情(至誠通天という人間側スイッチ思想)で行動していて、結局は天皇独裁でもなく、2・26事件後に陸軍軍人の独断専行=大陸現地における勝手な戦争拡大(現地陸軍軍人の、勝手な忠誠心、愛国心解釈に基づく、独断専行)が更に横行して、日本国を破滅の道に追いやったのである。

3.「友愛」哲学への疑問
  さて、現下の日本において、鳩山総理の「友愛」哲学は、未だによく分からないものの、あるサイトでは、これをフリーメーソン思想と関連づけて考察しようとしている( http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/)。
  ともかく、フリーメーソン思想の継続で、欧米では意外に理解されている、といわれても、さっぱりその中身が分からないが、どうも小生には、日本で生まれるほとんど全ての思考形態が、未だに「至誠通天」型で、よく言えば良心に基づくが、悪く言えば自己陶酔型で危なっかしい、と思える。
  政治家は悪人でも、ホテルのバーで飲むエリートでも、小泉家、鳩山家のような世襲でも構わないが、極めて現実的に、細かく政策を吟味し、実行に移していって欲しい。結局は、国益を至上として追求し、厳しい国際競争の中で生き残る国策を遂行する、という常識的な政治の「知恵」を実行する人物であって欲しい。お人好しの、理想論の、危なっかしい夢想家だけはごめんである。

4.大乗仏教
  そういえば、最近中村元著『古代インド』(講談社学術文庫、09年1月第8刷)を読んでいて、伝統的保守的仏教では釈迦=ゴータマと同じように、自ら悟りを開くための修行をするという、独善的な立場(自己救済型)だったのを、その後3世紀頃から、他者をも救済する利他行を実践する菩薩などへの信仰という大乗仏教が勃興して、これが中国、韓国、日本などにもたらされたと説明されている。

  選ばれた修行者自身の救済ではなく、人類全体の救済という、利他(慈悲)行という概念は面白いが、多くの菩薩などへの信仰が強まり、多神教的要素が深まったと言うべきか。 また、著者は、寺院にこもりきりで、自らの涅槃のみを追求する保守的仏教に比べて、大乗仏教では、普通の庶民の間で説教し、教導する大乗仏教の僧侶達は、徐々に世俗と妥協を繰り返し、「飲酒」、「妻帯」などの禁止事項を次々に棄てていったとも書いている。それでも、寺院にこもり、自分だけの悟りを追求する保守的仏教よりは、社会に役立つ宗教家になろうとして、僧侶達は頑張った、ということか。

  まあともかく、大乗仏教も、本居神学のような厳しい、荒ぶる絶対神(この教えでは、天皇独裁制以外の政体はあり得ないし)ではなく、普通の市井の民の生活を尊重し、その中に「菩薩による救済」という「安心」を、庶民にもたらした、人間に優しい神学のような気がする。菩薩は自分たちのために祈ってくれていると信じることは、それなりに心和む教えではないか。
  他方で、人間側にスイッチがあると夢想して、「天皇は理解してくれる」と単純に信じた、バカな将校達の思想は行き過ぎだ。
 

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この記事へのコメント

mugi
2009年10月16日 21:52
 井沢元彦氏による「天皇絶対教は、日本式の一神教」説は面白いですね。井沢氏の『逆説の日本史』をまたじっくりみたくなりました。井沢氏が影響を受けた山本七平を、私はかなり如何わしい面のある評論家と見ていますが、それでも戦前の天皇絶対主義は戦後生まれの私には不可解で仕方ありません。天照大神(アマテラス)=天皇=絶対神(現人神)など、はぁ??と思うのも、戦後教育のためでしょうか?私の両親は昭和一桁生まれですが、昭和天皇に戦争責任がないというのはおかしいと言っていました。

 ただ、私と同じ年の友人さえ天皇に対する敬意を持っており、「国民は天皇陛下を全面的に支える。しかし天皇陛下からの見返りは一切期待しない。天皇陛下は国民の幸せを第一に願ってさえくれればそれでいい」と書いていた若いブロガーもいたのは、本当に驚きました。私もお人好しの、理想論の、危なっかしい夢想家だけは願い下げです。

 以前私は「皇室、王室報道」という、日本と英国の報道を比較した記事を書いています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/b6cda95abcec9b5e106a749936e4402a
2009年10月17日 12:17
mugiさん、コメントありがとう。
 本居宣長は、三重県松坂の人で、またまた同郷人なのですが、本居神学が、一神教のレベルにまで及ぶ過激派理論であったというのは、驚きです。
 中学生の頃、小林秀雄が文藝春秋に本居宣長論評とかを掲載していて、その頃小生がこの論文を読んで驚いたのは、「本居宣長は、漢心(からごころ)を否定し、純粋な赤ん坊のような、日本人魂を称揚した」、この故に、「宣長は、年若い女中の部屋に、夜になると平然と夜ばいすることもしていた」とあって、更にぶったまげました。純粋な心とは、若い女中に手を付けることなのか?(笑い)
 まあ、そういうわけで、小生はそれから、誰も人間をさほど偉いなどと尊敬しないこととしたのです。同郷人であっても!
 
 冗談はさておき、本居神学が一神教であったにもかかわらず、戦前の日本人、特に軍幹部が、未だに「陛下の意志を勝手に忖度して、天皇の軍隊を自分の情勢判断で勝手に動かして、満州事変を起こしたり、その後もシナにおける戦線を拡大していった」という、自己スイッチによる暴走は、本当に呆れますね。やはり幕末に、天皇を利用して倒幕にまで持って行った(孝明天皇自身は佐幕思想だったのに)成功例が、昭和の陸軍に利用されたということで、歴史は誤った事例を作ると、バカが真似して、悲惨な結末を呼ぶ、ということでしょう。

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