ルクレティウスの詩文が、近代を開幕した

 『1417年、その一冊がすべてを変えた』(河野純治訳、柏書房、2012年10月発行。原作名『The Swerve:How the World Became Modern』、著者:Stephen Greenblatt、2011年発行)という書物を昨年末に、偶々Book –Offで安く手に入れたので、いつものようにトイレの中で読み始めた。
 小生にとっては、難しそうで、ササッと読めない本は、基本的には、トイレの中でまず読書のスタートを切り、徐々に速度を上げるために、卓上で普通に読むというプロセスをたどる。ところがこの本は、凄い、面白いと思いつつも、ほぼ最後まで、トイレでの読書本としての地位を保った不思議な本だ。
 まあ、単に小生の趣味からは遠いというか、キリスト教教理と、これを破る近代的思想形成への戦いで、どこが重要な論点だったかとか、著名な誰(たとえばトーマス・モア、ニュートン)がどういうことを述べたとか、そういう哲学的論考が多すぎで、小生としては辟易する議論が多い本だったということ。

 もっとも、欧州の知識人にとっては、賢人たちが、キリスト教ドグマから徐々に自らを解放し、近代的思想へと移行していった、そういう近代思想史を上手にまとめてくれる素晴らしい解説書に映ると思う。
 ちなみに、swerveとは、「逸脱」ということで、まるで原子が軌道を「逸脱」するように、ある古代ローマ詩人の一つの著作が、ある修道院の書庫から目ざまされ、中世末期の人文主義者らによって広く読まれることで、教会の束縛を「逸脱」して、近代思想の基礎が築かれた、ということを指し示している。Greenblatt氏は、元来が世界屈指のシェークスピア学者であるらしい。
 以下に本書の「解説」文などをご紹介する。

1.小生自身の感じたこの本への「感想」文
 ともかく、小生にとっては宗教理論とか哲学的思考とか、必ずしも楽しくもない記述ぶりが続くので苦手意識が先走ってしまったが、この本を読むことで初めて、一神教の弊害、思想的な束縛の激しさ、あまりにも強く強制された信徒たちへの禁欲主義、清貧主義の建前と、金満の教会組織、高位聖職者たちの強欲ぶりという実態との間の乖離、格差という現実の中で、各種の改革意識(プロテスタントによる宗教改革運動など)が発生した、ということが我々仏教徒にも理解できるという気がした。

 つまり、我々はあまり日頃神の教え、教会の教理と自分自身の考え方に衝突が生まれたとか、こういう風に考えてはだめだ、教義に背反する、などという風に堅苦しく考えることはないが、キリスト教信者として、教会、或は神父から教えられた以外の考え方で物事を推し進め、科学的に理解し、その考え方を何とかキリスト教教理と背反しないように誤魔化しながら著書を書くとか、そういう苦労、異端審問裁判の危険性を潜り抜ける工夫とか、そういうこともなかなか理解できないが、この本を読むと、本当にこういう苦労を重ねて、近代哲学、思想が世の中に存在を認められ、その後啓蒙思想、唯物論の社会主義などが登場できたのだ・・・という西欧社会のややこしい思想史の本質がわかる気がする。

 あまりにもキリスト教独占で多様性が排除された中世社会において、多神教時代(古代ギリシャ、ローマ)の書物を復活させて、そのキリスト教教理との哲学的乖離の根本を理解し、見据え、束縛を解く努力を徐々にしていった、ということ。ルネッサンス初期に、古代科学によってすでに到達されていた思想、哲学、科学を蘇らせたことで、キリスト教の束縛を解除でき、近代社会へ向けての科学主義運動の開始、或は人間性解放という動き(宗教改革もその動きの一側面)が開始できたということの重要性を、思想史的、哲学的に、徹底解明したのがこの本なのだ。

 要するに、ローマ帝国がキリスト教を公認し(313年ミラノ勅令でキリスト教を公認)、その後徐々に、キリスト教がドグマ的にローマ帝国全域で唯一の信仰としての地位を確保して、欧州全域がほぼそれ以前の多神教時代の書籍なども焚書してしまったので、約1千年後の14世紀には、イタリア、ドイツ、フランスを中心とした西欧社会では、図書類が非常に少なくなり、古代社会では当たり前だった公共図書館も無くなり、文明、文化的に非常に暗い時代となっていた。

 ところが、偶に修道院などの図書館に隠匿されている古代ローマ、或は古代ギリシャ時代の文人、哲学者、政治家らの著作、詩文、歴史書などの写本、或はその断片(聖書などの筆写材料用に表面を削られた古代書籍の羊皮紙に、削られずに残されていた古代の書物の一部など)には、古代の多神教時代の、自由で、より深い科学、哲学、思索とかが書かれており、この故に、中世末期には、西欧で人文主義運動が起こり、ラテン語、ギリシャ語の勉学、古代人の著作・写本の発掘、筆写という方面で、多大な情熱が生じたという。すなわち、古代文明の復活、再興は、中世末期の人文主義者=ブック・ハンターたちによる、古代文献の探索、修道院書庫からの秘かな古書の書写による古書再発掘こそが、ルネッサンス期文人、哲学者、詩人らの思索の礎となったというのだ。実は、あのマキャヴェッリも密かにこのルクレティウスの「物の本質について」の写本を蔵書として抱え込み、読みながら、「君主論」などの著書を書いたという(ただし、教会による異端審査を警戒して、一切ルクレティウスには言及しなかったという)。

 「万物はそれ以上は小さく分割できない、目に見えない小さな原子と真空により成り立っており(注:この原子論そのものは、古代ギリシャで紀元前5世紀に、レウキッポスとその弟子デモクリトスによって創始されたという)、神の摂理とか、神の創造行為とかによって生み出されたものではない。宇宙も神の意志などとは無関係に、自律的に動いている。魂という、人間精神の神髄的に思われるものですら、基本的には肉体と一体のモノであり、滅びる。死後の世界などはない。死後の審判もない。だから神への怖れは無意味だ。全てこの世のものは、宇宙も、地球も、人間も、原子と真空という基本単位に凝縮される」。

 「しかし、逆にそれ故に、そのような自然世界の原子の組み合わせである粒子の、ある奇跡的な組み合わせでできた人間、その人間に帰属する魂が、生きた証しとして発した言葉で形成された詩、文章は美しい」、「だからこそ、ただ1回限りの人生は、迷信から解放され、自由に、正しく楽しむべきなのだ」というのが、エピクロス派の快楽主義哲学。この哲学を元にして紀元前1世紀に生きたローマの詩人ルクレティウスが、「物の本質について」という不思議な、美文調のラテン語詩文にこの哲学の趣旨を読み込み、表現した。この著書・詩文が、法王の個人秘書で人文主義者だったポッジョ・ブラッチョリーニにより1417年に偶然発見され、書写され(実際はポッジョの弟子が筆写した)、この写本が徐々に広まって、広く人文主義者らの間で読まれ、かつ15世紀末からは印刷術の発展と共に活字本としても流布することで、欧州社会が「近代」へと導かれたという。

2.東大教授池上俊一氏による「解説」
 (上記の小生による「感想文=解説」では、分りにくいところが多すぎると思うので、この本の正式の「解説」文書を以下に引用しておく。)
 古代ローマの詩人ルクレティウスと15世紀イタリアの人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニ。西洋文学史・思想史上の重要人物であることは確かだが、プラトンやアリストテレス、或はレオナルド・ダ・ヴィンチなどとは違い、恐らく専門家以外にはほとんど知られていない二人だろう。

 ルクレティウスは、紀元前1世紀初頭に生まれ、前55年頃死去したラテン詩人だが、その生涯はほとんどわかっていない。ギリシャの哲人エピクロスの教えを忠実に伝えようとした長詩『物の本質について』でのみ有名である。エピクロスの原子論的な自然学というのは、宇宙に存在する万物はそれ以上分割できない原子と何もない空間から成り立っており、無限にある原子が無窮の空間を運動しながら互いに衝突・結合することによって物質が構成されると説く。

 ブラッチョリーニ(1380--1459年)の方は、更に一般になじみが薄いだろう。彼はフィレンツェ南東部の町モンテプルチャーノ近郊の中層階級の家に生まれ、アレッツォで法律および人文学を学んでから、フィレンツェにやってきて公証人の仕事に就いた。次いでフィレンツェの書記官長であったコルッチョ・サルターティの推挽で教皇庁の秘書官ポストを得てローマで勉学を重ねたが、その後ヨーロッパ各地の修道院などを巡り、多くの古代写本を再発見し筆写した。人文主義者としての著作では、中世キリスト教的な清貧至上主義から解放され「貪欲」の価値を賛美したとされる『貪欲論』がよく知られている。他に道徳哲学のジャンルでは、『偽善者駁論』『高貴さについて』『運命の盛衰について』『人間生活の悲惨さについて』、また歴史書として『フィレンツェ史』更には『滑稽本』などがある。

 本書『1417年、その一冊がすべてを変えた』で論じられているのは、だからオリジナルな思想の継受と発展の物語ではない。そうではなく、千数百年間すっかり忘却されていたエピクロス主義の紹介者ルクレティウスと、ブックハンターとしてのポッジョとの遭遇がテーマである。いわば思想の媒介者・紹介者としての二人が、偶々出会うに至った不思議な経緯の物語である。それなら大したことでもない、と思われるかもしれない。しかし、もしこの二人の「出会い」が、実は西洋の、いや世界の歴史を根本から変えてしまったとするならばどうだろう。そうだとすれば、誰にも無視できまい。

 それは「世紀の大発見」として、教科書に太字で記載されるような「重大事件」とされることはなかったし、今後も決してないだろう。簡単に言えば、千年にわたる中世キリスト教世界の中で完全に抑圧・忘却されていた、原子論の復活とその流布についての話なのだが、その思想は必ずしも常に同一の命題によって表現されたのではなく、時代と環境に応じて変異・進化していった。だから「地動説の発見」のような大文字の出来事ではなく、まるで誰も知らないうちに遺伝子情報が書き換えられたかのように、それと気づかないまま、ある時代以降、皆が別様な「考え方」をするようになり、その後の人類の歴史が一変してしまっていた、というような塩梅なのである。

 当然、そのような絶えず変異しつつ流布していく思想についての歴史を書くのは困難を極める。ところが、著者スティーブン・グリーンブラットは、わずかな痕跡を手掛かりに、それらを繋ぎあわせながら、15世紀の人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニが、自ら意図しないまま近代誕生を手伝う助産師になっていた様を跡付け、そればかりかわくわくするようなルネサンス文化史として描き出すことに、見事成功したのである。

 扱われているテーマは、ポッジョがドイツの修道院で幾多の困難を乗り越えながら古代写本を探したこと、彼には美しい文字で正確に書き写す筆者人としての能力があったこと、古代ローマにおける書籍や哲学的思索の評判とそこにおけるルクレティウスの位置、物質としての本の危機とキリスト教にとっての有害思想の破壊、ポッジョと友人ニッコロ・ニッコリとの友情、巨大な宗教的官僚機構としての教皇庁とその偽善、教会分裂を治めるための公会議とポッジョの後半生、『物の本質について』の概要とその写本の運命、15世紀末以降のルクレティウスの書物とその思想の広まり・・・・などだが、ここで私が中途半端な内容解説をするより、推理小説を思わせる本書を読み進んでもらうのが一番だろう。

 ところで私にとって非常に面白いと思われたのは、ルネサンス期の人文主義者や教皇及びその周辺に巣食う者たちの生きざまの描写である。グリーンブラットが、ルネサンスを近代世界をもたらした時代として極めて高く評価し、それとは対照的に、快楽追求を禁じ贖罪のため鞭打ち苦行に励んだ中世を、暗鬱なる時代として呪っていることがわかる。だが、グリーンブラットは単純な近代主義者ではない。本書の真骨頂は、手放しでルネサンスを賛美せず、むしろルネサンス世界の奇怪なる姿を炙り出しているところにあるのではなかろうか。

 卑劣で狡猾・無慈悲な教皇を戴く教皇庁には、複雑な商取引、異端狩り、脅迫、ペテン、二枚舌、淫乱が溢れており、そこでは思慮深く学識高いものが冷遇される一方、無知で無価値な高位聖職者が称賛された。ポッジョのような才覚ひとつで生きていく野心的な若い知識人は不平を鳴らし,退廃した高位聖職者を皮肉ったが、彼ら自身、ライバルを出し抜くために、激しい中傷と競走と陰口の世界に生きざるを得ず、堕落の淵に臨んでいた。ローマ・カトリック教会はこんなひどい罪人たちの巣窟でありながら、一般の信徒には、キリスト教教義に抵触する自由な議論は許さず、却ってキリスト自身の教え・福音書の精神に忠実な者を、異端として容赦なく火炙りにした・・・・・何という恐ろしい時代だろう!

 グリーンブラットが、歴史の深い地層から痕跡を発見し、それらを結び付け組み立てた物語には説得力があり、容易には否定しえないように見える。だが、「1417年、その一冊がすべてを変えた」と、果たしてこのように言えるのだろうか?「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の姿は一変していただろう」というような偶然史観は、今日の歴史家たちの間では失効している。出来事は、それを意味づける社会的・経済的諸条件が整わなければ決して歴史を動かす重要な一齣にはならないし、またそうした諸条件が揃えば、多少の時間的前後はあれ、いずれ同様な動きが起きただろうと、そう私たち歴史家は考える。しかし、このルクレティウスとポッジョの遭遇の意義をスリリングに、しかも雄大に描き出したグリーンブラットの筆力は、歴史における「偶然」の役割をもう一度考えさせる魅力と迫力を備えている。

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この記事へのコメント

mugi
2014年02月06日 21:21
こんばんは。

 この記事で古代ローマの詩人ルクレティウス、15世紀イタリアの人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニを知りました。あのマキャヴェッリもルクレティウスを読んでいたとは。古代ローマ史を読み漁っていた彼ならば、それも当然でしょうね。西欧キリスト教社会での異端審問は悪名高いですが、何故イスラム世界ではそうはならなかったのか?中東オタクには未だに答えが出せません。

 最近『興亡の世界史/オスマン帝国500年の平和』(講談社)を読んでいます。こちらの世界ではイスラム教徒とキリスト教徒が共存していたことが描かれています。意外なのは女性も権利をもっていたこと。中東で魔女狩りなど、聞いたことはない。

 命の保障はされているにせよ、現代のキリスト教社会でもおかしな動きはありますね。拙ブログでのキリスト教に批判的な記事には、よく奇妙なコメンターが現れます。平日朝から「マリア様」と書き込んできた者までいた。日本人クリスチャンにもかなりおかしな信者が珍しくないことを、元信者さんから伺いました。
2014年02月08日 12:12
こんにちは、
 『物の本質について』で、古代ギリシャの哲人たちが、当時の科学力で証明はできなかったものの、正しい推論、論理的思考の末に、原子というそれ以上分割困難な最小単位のモノが、地球上の動植物、宇宙そのものまで、普遍的に存在する全てのモノの本質だ、と喝破していたことが、中世末期の人文学者により発掘され、このルクレティウスの本が再発掘されることで、フランス、英国などの近代科学者(ダーウィンを含む)にも影響を与えた。古代ギリシャの原子論では、宇宙の広大さ、無窮性も論じられ、地球は太陽の周りをまわっている一惑星だという、地動説まで到達されていた、というから驚きです。
 そして、中世の欧州がキリスト教ドグマの闇の中にいる頃、中東のイスラム圏では、古代ギリシャ、ローマの文献が広く収集され、その一部がアラビア語に翻訳され、科学が西欧以上に発達していた・・・・(だから、後に古代ギリシャ、ローマの文献の一部は、アラビア語からラテン語へと再翻訳されて蘇った)・・・つまり、中東の科学が西欧に勝っていたから、異端審問などという愚かな行為が、中東では起こらなかった。あるいは、基本がアラビア商人精神の中東では、商売が重要で、金が重要で、税金さえ払えばキリスト教徒にも寛容、という流れとなったと思う。
 ともかく、アインシュタインが出るまで根本的には解明できなかったけど、ギリシャ人が原子論に到達していた!・・・・古代のギリシャは凄いと思う。ギリシャ人はその後東ローマのキリスト教ドグマの中のビザンツ帝国の中核民族となって、古代の栄光から遠ざかったと思う。

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