偉人百選:ヴァンガおばさん

  とうとう最後、100番目の偉人に到達しました。Vangaおばさんと言い、盲目の婦人ですが、30歳の時から半世紀強、来訪者の悩み、相談に乗り、彼らの個人的問題につき、回答を出して癒すことができました。悩み相談に際しては、霊界と交信して、相談者の親戚とか、死者などへの質問に対しても回答を得てくるなど、超能力とか、予見能力も発揮したと言います。

  とはいえ、新興宗教を設立するとか、そういう種類の活動はしなかったようで、自由化後に豊富な資金力を得ると、自宅の側に美しい教会をたて、皆が心の救済を得られるような施設としました。また、この教会の建つRupiteと言う場所(Vanga自身の住んだ自宅の隣)は、特別のパワースポットであるとの噂もあり、彼女の死後、この教会が巡礼地、観光地として繁栄する、と言うことも彼女は予測していた可能性があります。

100.ヴァンガおばさん=ブルが産んだ千里眼、超能力者(Lelya Vanga、1911--96年)

    Velichko Dobriyanov教授の言葉:「Vanga女史のような人々にとっては、交信のための何らかの超自然的能力などと言う概念は存在しない。単に、生きた材料の進化が、数世紀にわたって創造してきたものが存在するだけなのだ」。

  Vangeliya Surcheva、或はより有名な名称としてはLelya Vanga、或はPetrichkata vrachka(Blagoevgrad県Petrich町の占い師)・・・は、現代ブル社会における一番興味深い、しかし、一番議論の多い人物だ。
  20世紀の後半に生きたブル人で、彼女の超能力について聞かなかった者はいないし、数千名は少なくとも、直接彼女に接触し、その驚くべき先見能力を体験したのだ。
  彼女の才能は、十分に研究されたとは言えないものの、長年社会的議論に晒されてはいた。熱烈に支持する声と、完全否定の双方の意見があった。そもそも先見能力と言うのは、常に一定程度のミステリーを伴うものだ。従って、真剣な科学的評価が難しいし、科学者たちにとっては、彼女が何らかの事柄に関して、そもそも能力があるのか?と言う疑問が残るものなのだ。

  しかし、我々が扱うのは、その人物の活動が何らかの大きな影響力を有したかどうか、と言う視点での評価であり、この視点に立てば、Vangaおばさんこそは、議論の余地なく一種の現象を引き起こした人物であるし、この『百選』には場所を占めるべき人物なのだ。

(1)出生、成人の頃まで
  Vangeliya Pandeva Surchevaは、1911年1月31日、マケドニア東部のStrumica町に生まれた(現在Strumica町は、マケ共和国領内で、彼女が晩年住んだブル領Petrich町からは60㎞ほど西方に所在する)。(ブル語解説:http://vanga.eu/biography/
  出生時、彼女の家は決して裕福ではなく、母親は彼女が3歳の時に、他の子供の出産時の難産で死亡したし、父親のPando Surchevは第一次大戦時ずっとブル国軍兵士として出征した。故に、彼女は親戚のところに預けられて育った。
  1923年(12歳)のとき、異例に強烈な嵐のとき、砂埃が目に入り、彼女は眼を患い、各地の病院で、何度も手術をしたが(この手術を巡り、家族が破産状態となったという)、結局13歳で盲目となった。Zemun町(セルビア首都のベオグラード北郊にある町)所在の盲目者用保護施設で1925年から3年ほどを過ごしたのち、1928年(17歳)彼女はStrumicaの自宅に戻り、弟、妹たちの世話をすることとした*。(*原注:父親の後妻も死亡した後、数名の弟、妹がいたという。)

(2)占い師として、予見能力が生まれたらしい
  Vangaおばさんの占い師としての能力は、1941年の春(30歳)に初めて出現したという**。そして、短期間に彼女の周辺には色々なレジェンドが生まれ、これらの神話が彼女をStrumica町の権威者に押し上げた。(**原注:Vangaの姪のKrasimira Stoyanovaの話小生注:Vanga自身の話でも、この年から遠くからの声で、色々な予言が聞こえるようになったと述べている。この霊界からの「声」が、第一次大戦の結果ブル国が敗北する、とか、色々な予言を勝手に彼女に語るようになったという。しかも、「声」の持ち主は、背が高いハンサムな男性、騎馬に乗って、制服を着ているのだという・・・つまりVangaおばさんは、「神様」のようなこの人物を、心の目で見ることができたし、「声」を聴くことも可能だったという。)

  さて、いわゆる日常的な先見性・予見性とか、そういう類の話は、ふつうすぐに誇張されてしまうし、多くの場合は癒しを求める人々が自ら作り出す、単なる噂話に過ぎない。このような初期の時代において、Vangaがきわめて正確に先見性を発揮したという、そういう種類の出来事に関しては、後になってこれらを証明することは、ほぼ不可能だ。
  一部の彼女の伝記には、このような初期の頃に、ブルのBoris3世王が彼女の元に来訪し、Vangaが、絶対的な正確さで、同人の死亡日時を予見した、と書かれている***。
  (***原注:またもやKrasimira Stoyanovaの証言によれば、Vangaはボリス王に対し、「8月28日と言う日付と、この日にクルミの殻を採集する」ということを記憶すべきと伝えたという。Boris3世は、1943年8月28日に死亡したし、クルミの木の棺に入れて埋葬された。とはいえ、この予見が実際にどのように伝達されたのかとか、その正確性、真実性をきちんと検証することは不可能だ。)

(3)結婚
  1942年(31歳)、彼女はブル国軍兵士のDimitqr Gushterovと結婚した。同人は、彼女のところに来て占ってもらったのだ。
  家族は、全員でStrumica町から、ブル領Blagoevgrad県のPetrich町に移住した。そしてこの頃から、Petrichの占い師(vrachka)として有名となった。
   (小生注:1942年から44年までは、第二次大戦中で、マケドニア地方の大部分とセルビアの一部、ギリシャ北部の一部も、ブル軍が占領していたので、Vanga家族がStrumica町からPetrich町に移住するに際しても、何ら手続き的な困難性は無かったのであろう。)

(4)Petrich町で占い師として大成功
  毎年、彼女の自宅には多くの人々が助けを求めてやって来るようになった。1962年(51歳)のとき彼女は未亡人となり(夫が早世した)、益々彼女はその毎日の暮らしを占い業に捧げるようになっていった。そして益々多くの人々が、彼女のところにやってきて、他の誰も回答を与え得ないような問題について、相談するようになった。
  彼女の影響力はどんどん膨らんでいった。他方で、当時の社会主義政権側は、占いとか、予見性などという、そういう民間診療的なことに関しては、沈黙したし、軽蔑してもいた。

    (注:しかし、やがては多数来訪する「相談者」たちと、Vangaおばさんへの人々の尊敬心から、地元の警察組織が、混雑を避ける意味からも、彼女の家を警備するようになり、やがては、中央(首都)在住の共産党高官たちも、色々と相談に来るようになって、彼女の占い師としての地位は体制側からも保護された。その上、ロシア人たちも、わざわざソ連から来訪して、彼女の助言を求めるようにもなったという。結局、共産党体制とはいえ、多くの権力者が相談すると、それなりに何でも回答するので、重宝な存在でもあったらしい。つまり彼女は、共産党体制末期には、一種のVIP扱いの大物となっていた。自由化後も、大統領候補者などが来訪しては選挙結果を占ってもらっていたらしい。)

(5)科学的検証は不可能、だが、何らかの利害に絡んだ予見、占いでは無かった
  Vangaに関しては、幾つもの本が書かれたし、ドキュメンタリー映画すら数本作製された。しかし、彼女の超能力に関しては、説明がつかなかったし、同時に、理論的に否定されることも無かった。
  生存中に彼女が一部の人々に語ったところによれば、遥か彼方の世界との交信中、彼女は他の誰もが見ることも、触ることもできない人々と交信でき、その姿を見られるし、声も聞けるということなのだ。

  一部の懐疑論者たちは、事前に彼女が情報網を駆使して色々な情報を集めたうえで、人々の無垢な信憑性を利用して騙すのだ、と彼女を非難した。このような非難はしかし、全く空虚な説に過ぎない。なぜなら、彼女のところにやってくる何千人もの人々に関して、事前に情報を集めるというなら、どれほど膨大な諜報網が必要となろうか?それだけのスパイたちを、彼女はどうやって雇用する資金力があるというのか?…その上、彼女の占いの中身には、何らかの私的利害に絡んだ、或はその他の一定の動機、目的も見当たらないのだ。
   (注:社会主義時代にも、ジプシーたちのように、裏の営業として「占い師」をして、金銭的対価を受領したり・・・・そういう人々がいたが、Vanga女史の場合は、そのようなこともどうやら無かったし、何らかの新興宗教として営業していたわけでもないらしい。そういう利益目的の行為であれば、社会主義政権時代として、簡単に弾圧できた。ところが、彼女の行為は多くの普通の人々を助けたばかりか、有名になるにつれ、多くの社会主義政権の上層部まで、こっそり彼女に相談して、回答を得ていたのだ。ソ連のブレジネフでさえ、彼女の占いを聞くために会いに来た、とも噂された。)

(6)Dobriyanov教授は、科学的解析を発表した
  Velichko Dobriyanov教授は、Vanga現象に関する一番実証的な検証本の著者*だ。
    (*原注:同人の著書『Vangaにおける現象』Sofia、1995年。)

  同人は、Vangaが絶対に少しも面識がないということが明白な来訪者(相談者)たちとの会話をきちんと記録した。そして教授は、事実と、憶測と、推測とを並べて、彼女の個々の来訪者に関する霊界との交信結果の有効性について、確率を導いた。
  教授によれば、来訪者に関し完全な事実を彼女が知る場合には、この確率は1、すなわち100%となるはずだという。Vanga女史の場合に顕著な事象は、この確率が常に50%を上回り、58--86%と言う数値を示すということだ。

  ちなみに、この検証で教授は、ある普通の人物たちを用意し、この人物に「偽占い師役」を務めさせたという。彼らが、Vangaが会ったのと同じ来訪者たちと会って、彼らなりに、来訪者たちの人物像、生活ぶり、などを推測してもらったところ、その確率は決して20%を超えることは無かったという。
  上記の2つの事例を比較したうえで、教授は次のように結論した:「Vangaおばさんは、異例に強いテレパシー能力を有しており、この能力を駆使することで、人々の心の中を読み取ることができるのだ」と。

(7)予見性・・・科学的検証は無い
  ちなみに、予見性(将来の出来事を事前に予測すること)に関しては、今のところいかなる科学的な証拠も見つかっていない。
  しかるに、本当か、嘘なのか?はっきりしないとはいえ、彼女の預言、予見は、50年以上もの長期間にわたって、大きな影響力を行使してきたのだ。「Vangaがこう言った・・・」とか、「ペトリッチ町の占い師が、次のように予見した・・・」とかの噂は、あっという間に広がり、しばしば集団心理的な影響力を持っていた。
  1977年のSvishtov町地震後のある日、ソフィア市からは人々の姿が消えてしまったことがある。なぜなら、噂では、この日には「Vangaが新しい、大地震が起きると予見した」からだ*。
   (*原注:真実を言えば、このような予見をVangaは述べてはいない。)

(8)とうとうVangaの寄付で、教会まで建った
  Vanga女史の巨大な影響力の最後の現象としては、Petrich町郊外のRupiteと言う場所に、Vanga家族の寄進と、他の人々の寄進を集めて建設された美しい教会がある。
   (注:1994年建立、Sv. Petka Bqlgarskaこの教会は、Vangaが住んで、人々の相談に乗った自宅のすぐそばに立てられた。ちなみに、1889年末に社会主義が崩壊後、占い師、宗教家などは人々からのお布施、謝礼の受領が自由となり、急速に富裕化した。そのおかげもあり、また教会建設資金の寄進を相談者らからも受け付けることで、短期間に教会の建設が可能となった模様。なお、ブル人ばかりではなく、ロシア、西欧などからも巡礼者が来訪し、この教会は今も繁栄している模様。)

  そして、このVangaが中心となって建設された教会は、その後多くの人々が巡礼にやってくるようになったが、この現象もまた、彼女の有名さ、皆から尊敬されていたことの証明である。

(9)死亡
  Vangaは、1996年8月3日、ソフィア市の「政府病院」に入院し、一時的には回復の兆しもあったが、結局8月11日(日)午前に死亡した(85歳)。
  Vanga女史の長い人生において、同人は普通の市民何千人と会い、相談に乗ったが、他にも、高位の政治家、その他の要人らとも面会し、彼らに対しても、それなりに影響力を行使したはずだ(注:独裁者Todor Zhivkovの娘、Lyudmila Zhivkovaの相談にも乗っていた)。
  彼女の超能力、或はExtrasensory(五感以外の超感覚的知覚)関連の能力については、いずれにせよ、よく分らない部分があるし、今後も決してその謎は解けないであろう。
  とはいえ、今後も彼女は、ブルに誕生した、一番人気があった、影響力があった千里眼・超能力者として記憶に留まるであろう。

   【小生注:上記(1)で紹介したブル語によるネット解説記事では、Vangaおばさんの不思議な「死生観」が書かれている。その部分を下記に紹介する( http://vanga.eu/biography/)。極めて仏教の輪廻転生観に近いように見えるが、しかし、彼女自身はクリスチャンとしての信仰を保有していて、別の新興宗教などを興すつもりは全然なかったのだ

  ―――人間の体は、死と共に腐るが、魂=心霊の部分は腐らない。転生(再生)と言うことが言われる。自分にも再生と言うのは良く分らない。しかし自分が考えるに、腐らない部分と言うのは、次の段階では、より高い水準に行くものらしい。いわば、最初の人生では、文盲として死ぬが、次の人生では学生として死に、次の段階では大学卒として死ぬ、次には、学者と成ったり、高位の人物となったり・・・そういう風に魂(心霊)は成長していくのだ。
  ―――魂は死なない。悪い人間の場合には、魂も悪くなり、死後にも高い方へと行かない。悪い魂は、再生しないのだ。転生はあるが、地上に戻ってくるのは、良き魂、勇敢な心霊のみなのだ。少なくとも150回は義務的に転生するし、更にその魂が望むなら、何回でもまた転生できる。全ての地上の人間一人には、二人の魂の教師が存在している。彼ら教師は目に見えないし、因果応報・宿命(karma)には関与しない。とはいえ、運命が完全に狂わないように予防はしてくれる。

 ―――死と言うのは、訂正なのだ。地獄も天国も存在しない。あるのはただ、色々な水準における教訓なのだ。転生の度に、新しく生まれるときには、前の人生に関する記憶は全て奪われてしまう。そしてまた、普通の運命が繰り返される。また、自分が生まれるときには、自分の両親は自ら選ぶものだ。そして、両親と自分の水準も、常に異なるものだ。

 ―――埋葬前に、長々とお棺の前で儀式したりすることは良くない。盛大な葬儀で多くの食物を消費したり、多くの人々を集めたりするのは、死者に対する愛情とか悲しみの心とは無関係のことだ。人間の感情を、食物の量で計ることなどできない。自分が夫を愛していたことは親族ならよく知っている。しかし、命日において自分は一つの椀に小麦、少量のオリーブ、1杯のワインを夫の魂を慰めるために捧げるだけだ。死者にとって重要なのは、生きている者たちが、彼に対し敬意を表し、心から懐かしむことなのだ。

 ―――Melnik町の例を採ろう。町の入口には記念盤があり、1912年の戦いでトルコ人に殺害された我が国の英雄たちを記念している。彼らの子孫がこの記念碑を作ったし、この作成によって、彼らに対してもきちんと清算を成し遂げたと思っている。これ以上何ができる?死者は死んだのであり、それ以上何もできない。自分たちは、生きている者たちの面倒を見よう。・・・・・そうではないのだ。死者たちも生き続けているのだ。彼ら死者たちも、我々の間にいるのだ。我々を愛して、我々に永遠の人生の真実を見ることを助けようとしてくれているのだ。この故に、彼らを心から敬愛すべきなのだ。


  (小生注:死者たちは、転生するはずだが、実は「千の風」の歌のように、死後も相変わらず我々の近くで、我々を見守っている、だから死者に関しても時折思い出しては、敬愛の言葉をかけ、助けを求めるのが正しい在り方だという。確かに、Vangaおばさんは、目が見えなくなってからは、むしろしょっちゅう、死んだはずの父親、母親、親戚などとも出会い、会話することができていたらしい。結局、彼女の死生観は、理論的にまとまってはいないし、新理論を展開するつもりも元来なかったように見える。周囲の皆が助けを求めてくるから、いつも思いついた助言を引き出すのだが、その助言も体系化された哲学に基づくものなのではないのだろう。どこかから、「神」のような「声」が聞こえてきて、その話をしてやるだけだったのだ。)】

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この記事へのコメント

mugi
2014年12月30日 20:41
こんばんは。
 ついにブルの偉人百選シリーズの100番目に達しましたね。7月10日から始まった偉人百選が年内で終わるとは予想外でした。ブルの偉人について百本の記事を書いたとは素晴らしい偉業です。

 ブルでも歴史の偉人の大半は男性ですが、最終回は珍しく女性。しかも千里眼、超能力者というから、少しオカルト風ですが、ブルにもこのような女性がいたのは面白いですね。怪しげな占い師は何処にでもいますが、彼女は良心的だったようですね。

今年も多くの記事を有難うございました。来年のご健筆が楽しみです。それではよいお年を。
2014年12月31日 15:50
こんにちは、
 昨日、意地でも年内に書き上げました。今眺めてみると、7月に開始以来の初期には、wiki記事もきちんと参照せず、他の文献も参照せずの、いい加減な形で書いていたのですが、とはいえ、有名な人ばかりだから、wiki記事なども参照し始めたら、資料が多すぎてかえって混乱したかも。
  他方、後ろの方に行くほど、ある意味近代、現代の人々が多く、資料も増えすぎて、益々大変な作業となって行きました。とはいえ、資料がある方が、どういう人間だったかを推測し、評価はしやすくもなります。
 この後、時系列資料を追加する予定です。

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