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zoom RSS ソ連、中国が相変わらず仕掛けている「日本悪玉論」の元凶

<<   作成日時 : 2018/04/26 12:24   >>

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  昨日偶々、電子版「産経新聞」を参照していて、Ironna記事欄で見付けた記事に驚き、呆れてしまった。
  実際には、2015年に雑誌『歴史通』7月号に掲載された記事だというが、小生は全くこれまで気づかなかったし、知らなかった、恐ろしい歴史の真相、裏面史なのだ。

  小生自身、韓国、中国の歪曲史観、執拗な反日言論のありようには、大いに腹も立ったし、産経紙が『歴史戦』として、種々の記事で警報を発していることを好感していたのだが、今回小生が発見した記事は、産経記者が今から3年も前に、すでに発掘し、警報を発していたものなのだ。

  要旨として言えば、結局スターリン時代に、ソ連のスパイとして活躍し、GHQの占領政策(すべての悪、責任は近代日本にあるとして、日本の精神の根幹を破壊せんとし、自虐史観を植え付け、日本を立ち上がれない敗戦国にする政策)にも協力したハーバート・ノーマンという人物と、そのノーマンを尊敬する米国人左翼学者のジョン・ダワーと言う二人が、全ての朝鮮・韓国系、中国系の「反日国際世論喚起運動」の元凶だということ。
 
  また、元来がスターリン時代のコミンテルンが発動した、ソ連が欧州戦線に専念するための謀略であった、極東地域で日本と中華民国(蒋介石政権)を戦争に引きずり込み、更には米国と日本をも戦争させるという方向への陰謀、策動には、ノーマンをコントロールしていた更なる黒幕として、冀朝鼎日本式発音ではキ・チョウテイであろう)という中国共産党の大物工作員がいたという。つまりこの冀()という工作員は、恐らく毛沢東の指令下で、蒋介石と日本軍を戦争させるための工作をしていたのだ。

  要するに日本の第二次大戦に至る政治の岐路は、大きく見れば、スターリン、毛沢東の両名が放った工作員によって、体よく誘導されていた、ということだ。にもかかわらず、この謀略には知らんぷりして、またもやノーマンのでっち上げた日本悪玉理論に乗って、更には中国系の陰謀にも加担して、ダワー教授らが蠢いているし、日本の新左翼の人々も、この動きに再度加担し始めているという。大阪出身議員の辻本清美なども、実は相変わらずこのノーマン系の陰謀に利用されているというから、バカらしい。

  ちなみに、ノーマン、ダワーらは、南京虐殺というあの嘘八百のでっち上げにも関与しているという。

  以下に、この論文を転載する。
  
★★「日本悪玉論」を拡散するジョン・ダワー

   【『歴史通』 2015年7月号、https://ironna.jp/article/1634、筆者:岡部伸(産経新聞編集委員:
(おかべ・のぶる 1959年生まれ。産経新聞編集委員。81年、立教大学社会学部社会学科を卒業後、産経新聞社に入社。社会部で警視庁、国税庁などを担当後、米デューク大学、コロンビア大学東アジア研究所に客員研究員として留学。外信部を経て97年から2000年までモスクワ支局長。『消えたヤルタ密約緊急電──情報士官・小野寺信の孤独な戦い』(新潮選書)で第22回山本七平賞を受賞。ほかに『「諜報の神様」と呼ばれた男』(PHP研究所)などの著書がある。



1.米国の反日研究者
  連休の最中の5月2日(注:2015年)、天皇制を批判し、日米同盟の強化も危険と論じる米国の日本研究家がまた「日本悪玉論」を説教めいて語った。TBSの「報道特集」に「戦後70年 歴史家からの警告」と題して登場した『敗北を抱きしめて』の著者、マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授である。

  「日本には行き過ぎた愛国主義者が存在しているので、戦争が日本にもたらした結果や日本人がアジアで行ってきたことに真摯に向き合えなかった。未だに向き合えていない。『あれはひどい戦争だった』という声にもう一度耳を傾けるべき」

  行き過ぎた愛国主義者のせいで反省が出来ないと叱った。いつもの自虐史観の押しつけである。「アジアへの加害者責任」と謝罪を唱えるのは、まるで従軍慰安婦や南京虐殺などで反日プロパガンダを繰り返す中国と韓国の代弁者のようだ。同じ頃に慰安婦問題などを取り上げて安倍政権に「侵略の過ちを清算せよ」と叱責する米国の日本研究者ら「187人(さらに賛同者が増え5月末までに457人)の声明」にも名前を連ねたダワー教授が日本に「過去への反省」を訴えるのは初めてではない。『朝日新聞』2008年12月22日付朝刊には、「田母神論文『国を常に支持』が愛国か」と題して寄稿している。

  〈アジア太平洋戦争について、帝国主義や植民地主義、世界大恐慌、アジア(とくに中国)でわき起こった反帝国主義ナショナリズムといった広い文脈で論議することは妥当だし、重要でもある。(中略)しかし、一九三〇年代および四〇年代前半には、日本も植民地帝国主義勢力として軍国主義に陥り、侵攻し、占領し、ひどい残虐行為をおこなった。それを否定するのは歴史を根底から歪曲するものだ〉

  日本が「悪者」で、「南京大虐殺」「従軍慰安婦」を事実と決めつけ、「帝国主義」国家が「侵略」し、人民は抑圧されたとみなす。それ以外の史観を、「歴史修正主義」と排外視するのはなぜだろうか──。


  ダワー教授が日本研究家として大先輩であるハーバート・ノーマンを敬愛し、日本を「解体すべき危険なファシズム国家」と位置づけるノーマン理論を引き継いでいるからだ。英国立公文書館所蔵の秘密文書でMI5(英情報局保安部)が共産主義者と断定したノーマンの歴史観は自虐史観というよりマルクス主義史観である。

  ダワー教授の著作を見れば明らかだ。2002年に加藤周一編『ハーバート・ノーマン 人と業績』で、「この領域(近代日本史研究)の欧米の学者として、ずば抜けて鋭く最も影響力ある地位を確立した。実際、彼以前にそのような偉業をなし得た人物はいなかった。他に誰がなし得ただろうか」とノーマンを絶賛し、2013年に上梓された『忘却のしかた、記憶のしかた』では、第一章を「ノーマン再評価」にあて、「戦後や占領後の学界の傾向は、『明治国家の権威主義的な遺産』というノーマンの考えにたいし、根源的な敬意をもっていた」と指摘した上で、「(ノーマンは)一九三一年以降の日本の侵略が、(中略)日本という国家の性格がまねいた結末でもあった(と解釈して)(中略)、明治維新の不完全な性格や、軍国主義的な政策、権威主義的な構造から生まれた問題こそが、彼(ノーマン)の近代日本分析の核心だった」と深い敬意を持って論評している。


2.「未完の占領政策」
  「戦前まで封建社会にあった日本は専制的な軍国主義国家であり、すべて悪い。容赦なく国家体制を解体し人民を解放すべし」というノーマンの「暗黒史観」は日本を弱体化させる占領政策を進めていたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のニューディーラーたちに重宝された。ところが冷戦が始まり、米ソ対立が激化すると、マルクス色が強い赤い「民主化」政策が変わる。いわゆる「逆コース」である。

  1949年に共産中国が誕生し、翌50年に朝鮮戦争が勃発し、米国は日本を東アジアの共産主義の防波堤に活用した。懲罰的な占領政策は取りやめて日米安保条約を結んで日本を同盟国に格上げしてサンフランシスコ講和条約発効とともに西側自由主義陣営の一員として経済復興を支援するようになる。

  この政策転換を支えたのが駐日米国大使となったエドウィン・ライシャワーの理論だった。「戦犯裁判や公職追放を通じて一部の軍国主義者たちを排除した結果、日本は再び民主主義国家として再出発できる」と対米従属の日米安保条約のもとで、日本を同盟国として扱うことを正当化した。蜜月だった日本共産党は非合法化され、徳田球一も野坂参三も中国に逃亡する。公職追放が解除されて旧政財界人等の復帰がはじまり、レッドパージにより、保守勢力の勢いが増した。マッカーサー命令による警察予備隊の編成が再軍備の端緒ともなった。

  米国内でノーマンが共産主義者でソ連のスパイではないかとの疑惑が広がるのは、ちょうどその頃である。50年にカナダ外務省は46年8月から駐日カナダ代表部主席を務めていたノーマンを解任する。カナダ外務省本省からカナダの国連代表となったノーマンに対して、米上院司法委員会国内治安小委員会が共産主義との関連を追及するのは51年8月からだ。ここに来てようやく米国ではノーマンは「アジアの共産化を企てる共産主義者」と批判されるようになり、学問的影響力を失う。カナダ政府は、ノーマンは共産党員でもソ連のスパイでもないとして、ニュージーランド高等弁務官、エジプト大使に昇進させたが、1957年4月、ノーマンはカイロで生命を絶った

  その後、「忘れられていた歴史家」ノーマンが米国で再び注目を集めるのはベトナム戦争が終結した1975年ごろからである。前述のダワー教授が同年に『近代日本国家の起源─ノーマン選集』の形で99ページに及ぶ解説をつけて『日本における近代国家の成立』(1940)と『日本政治の封建的背景』(1944)を再刊行して、ノーマンの歴史観の再評価を訴えたからだ。

  評論家の江崎道朗氏によると、ノーマン復権を唱えたダワー教授の理論の下敷きになったのが米国でベトナム反戦運動を展開したニュー・レフト(新左翼)だった。彼らは、ソ連の支援を受けた北ベトナムが勝利し、共産政権ができれば、東南アジアにも共産主義政権が誕生し、世界共産化が進むと考えた。ところが1965年のインドネシア共産クーデターが阻止され、反共を掲げる東南アジア諸国連合(ASEAN)が創設された。そこでニュー・レフトの理論的指導者、カリフォルニア大学のヘルベルト・マルクーゼ教授が1969年、『解放論の試み』を出版し、アジア・アフリカ諸国で共産革命が進まないのは、革命闘争を欧米の資本主義国が豊富な資金と武器援助によって抑圧するためと分析し、アジア・アフリカの解放には、共産勢力の強化より、資本主義国の弱体化が必要と訴えた。

3.皇室解体と加害責任追及
  このマルクーゼ理論を基にダワー教授は、ベトナム、ひいてはアジアの民主化を阻害する米国の帝国主義者たちがアジアで影響力を保持するのは、日米同盟と日本の経済力があるからだとして、日米同盟を解体し日本を弱体化することが、アジアの民主化につながると考えた。そしてダワー教授らは次のように訴えた。

  「占領政策で日本の民主化は進んだものの、日本の官僚制を活用する間接統治と『逆コース』で占領政策が骨抜きとなり、『天皇制』など戦前の専制体制が温存された。さらに昭和天皇の戦争責任を不問にするなど東京裁判が不徹底に終わったため、日本は『過去の侵略を反省できない、アジアから信頼されない国家』になった。そこでもう一度、徹底した民主化(憲法の国民主権に基づく皇室解体)と東京裁判のやり直し、アジア諸国への加害責任の追及を行うべきだ。そのため民主化と加害責任の追及を行う日本の民主勢力(例えば、家永三郎氏のような『勇気』ある歴史家たち)を支援するべきだ(ダワー教授は1999年、後述する『抗日連合会』や土井たか子元社民党党首らと連携して、家永三郎氏にノーベル平和賞を授賞させる運動を展開している)」

  「暗黒史観」であるノーマン理論を引き継いで「未完の占領改革」を徹底せよというのである。こうして日本の加害責任を改めて追及して日本を弱体化させ、アジアの民主化を促すという世界戦略が米国のニュー・レフトの間で確立されたのである。

4.ノーマン理論復権
  米国でのダワー教授のノーマン再評価を受けて日本でもノーマン理論が復権する。没後20年を期して77年に全集が刊行され、87年には全集の増補が刊行される。さらに左派リベラル勢力が「一般国民もアジア侵略の加害者である」と戦争責任を問い始めた。

  その理論を支えた一人となった一橋大学の油井大三郎名誉教授は1989年にノーマンを再評価する『未完の占領改革─米国知識人と捨てられた日本民主化構想』を上梓し、「武装解除されても、天皇制が残るならば、日本は他の世界にとって未解決な危険な問題であり続ける」とのノーマンの発言を引用して、アジアから信頼を得るには、日本人自身が天皇制解体や加害責任追及を完遂するべきだと唱えた。言い換えれば東京裁判をやり直し、日本の加害責任を徹底追及しなければ、「占領改革」が完了しない、と訴えかけた。

  こうしてノーマンが説いた「アジアへの加害者責任」の自虐史観は日本に浸透し、日本で謝罪外交の必要性が理論化された。日本国内で運動の中心的役割を果たすのが家永教科書検定訴訟支援運動だった。この結果、1980年代後半ごろから日本を始め世界各地に日本に謝罪と補償をさせる「反日」組織が誕生する。

  東南アジアなどの戦争の被害地を訪問して、加害者としての日本の歴史を確認する「ピース・ボート」運動が83年に辻元清美衆院議員が発起人となって始まる。84年には家永教科書訴訟を支援する形で「南京事件調査研究会」が発足され、84、87年に中国を訪問し、中国側の主張に沿って『侵華日軍南京大屠殺資料専輯』を翻訳して出版するなど「南京大虐殺」キャンペーンを始めている。また八六年には、中国、韓国などの反日活動家を訪日させ、日本の加害責任を追及する国際ネットワーク構築が始まった。

  韓国で親北系のハンギョレ新聞で「『挺身隊』怨念の足跡取材記」の慰安婦キャンペーンが始まるのは90年1月だった。翌2月17日、戸塚悦朗弁護士が国連人権委員会で「従軍慰安婦・強制連行」を取り上げている。

  在米中国人が日本の戦争責任を蒸し返して米国や国連を舞台に日本に謝罪と補償を求めて反日宣伝を行う「対日索賠中華同胞会」が出来るのは87年だ。狙いを「南京大虐殺」に絞った「紀念南京大屠殺受難同胞連合会」を結成、翌92年にはカリフォルニアで「抗日戦争史実維護会」が組織される。

  米国での中国系反日運動に連動して88年に香港で「香港紀念抗日受難同胞聯會」が結成されたのを皮切りにカナダなど世界各地で同趣旨の組織が結成され、94年12月、30を超える中国系反日組織を結集させる連合体として「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)が結成される。
 
  中国政府と連携した中国系米人たちが「日本に戦争での残虐行為を謝罪させ、賠償させる」ことを主目的に設立した「抗日連合会」が、「歴史戦」の主役として北米で日本の戦争責任を追及する苛烈な反日プロパガンダを20年にわたって繰り返している。南京事件のほかに捕虜虐待、七三一部隊、慰安婦を挙げてきた。

  戦犯裁判や対日講和条約での日本の責任受け入れを一切認めない点で、明白な反日組織だ。昨年、カリフォルニア州グレンデール市やニュージャージー州で慰安婦像を設置したのは記憶に新しい。「南京大虐殺」を目撃したとするドイツ人のジョン・ラーベの日記を発掘し、ドイツを「南京大虐殺」キャンペーンに捲き込んだり、反日集会に参加したアイリス・チャンに『ザ・レイプ・オブ・南京』を執筆させたりしたのも「抗日連合会」だった。

  21世紀になると、ノーマンの再評価が広がる。ライシャワーの駐日大使時代の特別補佐官で、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院の学院長を務めたジョージ・パッカード氏も2001年に東京・六本木の国際文化会館で、「ライシャワーの日本近代史観は楽観主義が強すぎて軽視される一方、ダワーの『敗北を抱きしめて』やハーバート・ビックスの『昭和天皇』などの著作にみられるように、ライシャワーと対照的なノーマンの史観に評価が高まっている」とライシャワーを批判し、ノーマンを持ち上げた

  こうしたノーマン再評価を背景に中国、韓国はじめ、米国やカナダ、香港でも「日本の加害者責任」と人権を結びつけ、日本を弱体化させる反日国際ネットワークが次々と構築され、反日プロパガンダは現在も世界で広がっている。中国が仕掛ける「歴史戦」の活断層はこのあたりにあるともいえる。

5.中国人スパイが指南役
  では、英国立公文書館所蔵の秘密文書で、MI5がケンブリッジ大学留学時代に共産主義者であったことを断定したノーマンがいつ、どのような経緯で、ソ連諜報部のスパイ・工作員(GHQ参謀第二部G2のチャールズ・ウィロビー部長)となったのだろうか。

  MI5の秘密文書によると、神戸のカナディアン・スクールを経てカナダのトロント大学に入学してマルクス主義に傾倒したノーマンは1933年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進学すると、極秘にイギリス共産党に入党してインド人留学生をコミンテルン秘密工作組織へリクルートする非公然活動を行っている。欧州からアジアでの共産革命に路線変更したコミンテルンはインドで共産主義によって独立運動を進めることは最重要課題であった。当然ながらインドを植民地とする宗主国の英国にとって、独立を通じてインドを共産化するコミンテルンの非公然活動は最も危険な脅威だった。日本生まれで日本語に堪能なアジア通の白人留学生だったノーマンは、この工作に最適任で、ソ連諜報機関から高い評価を受けたとみられる。

  奨学金の期限が切れたため1935年にケンブリッジ大からカナダに帰国したノーマンは翌年にハーバード大学大学院に入学して博士号をめざすまでの約一年間、カナダ国内で共産党活動に関わっている。「カナダ中国人民友の会」の書記となり、中国革命運動との繋がりができるのだ。これは日本の侵略に抵抗して中国の左翼革命を支援する団体でカナダ共産党の下部組織に位置づけられていた。ここで初めてノーマンは「反日」思想に目覚め、突然ハーバード大やコロンビア大で「日本研究」を志す。そこに導いたのが中国共産党の大物工作員で米国共産党の秘密党員だった冀朝鼎だった。

  その後、冀朝鼎は、ノーマンがハーバード大学大学院留学やカナダ外務省入省、戦後の東京での占領政策など人生の節目で必ず顔を出して、ノーマンのキャリア形成や工作活動に影響を与えた形跡が窺え、指南役「コントローラー」だった可能性が高い。

  第二次世界大戦前後に米国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、米陸軍情報部が傍受し解読した記録「ヴェノナ文書」を1995年、米国家安全保障局(NSA)が公開し、第二次世界大戦前後に、米政府内に約300人のソ連のスパイが潜入し、ルーズべルト政権はソ連や中国共産党と通じていたことが確定しているが、冀朝鼎もその一人だった。

  冀朝鼎は中国共産党の要職を担いながら、そのことを秘して1941年から重慶の国民政府の財務部長(大臣)アドバイザー(秘書官)を務める大物工作員だった。中国の山西省に1903年に生まれ、北京の清華学校に学んだ後、シカゴ大とコロンビア大で学位を取る。1920年代にはソ連にわたり国際共産主義運動の総本山であるコミンテルン本部に務め、28年のコミンテルン第六回大会では、中国共産党代表団の一員として参加。30年代は米国に渡り、米国共産党の秘密党員として北米各地で情報工作を仕掛ける一方、ノーマンらと共にマルクス主義の研究組織、太平洋問題調査会(IPR)米国支部に研究員として参加し、偽名で執筆活動も行っている。ルーズベルト政権中枢にも人脈を広げ、蔣介石国民政府の財政部長のアドバイザーに就任したのも、やはりヴェノナ文書でソ連のスパイと判明した米財務省の財務次官補だったハリー・デスクスター・ホワイトの推薦だった。

  冀朝鼎を通じてノーマンがソ連のスパイにして日米開戦に関係する「ハル・ノート」を起草したホワイトと繋がりがあったことは歴史の偶然ではないだろう。ちなみに冀朝鼎は大戦中に財政部長アドバイザーのポストを利用して国民党が支配する地域の経済を意図的に悪化させて戦後の国共内戦で中共側の勝利に貢献したと言われている。共産革命が成功するや冀朝鼎は北京に戻り、対外投資を統括する中共政府の要職に就任。1972年のニクソン米大統領訪中の際に通訳を務めた弟の冀朝鋳は、駐英大使を経て国連事務次長まで上り詰めた。冀兄弟は中国共産党の「ノーメンクラツーラ」であった。

  ノーマンは、冀朝鼎の紹介から蔣介石政権の「特別顧問」を務め、「天皇制廃止」を唱えた米国有数の中国研究家、オーエン・ラティモアや1945年の「アメラジア事件」でソ連スパイとしてFBIに逮捕され、ヴェノナ文書でもソ連のスパイとされたフィリップ・ジャッフェと関係を深め、「反日」日本研究を始める。

  ケンブリッジ大で欧州中世史を学んだノーマンが冀朝鼎との出会いから、それまで興味が無かった「日本」研究に関心を持つのは、対日情報活動を意識してのものではなかったか。日本に生まれ育ち、家族が日本に住んでいれば、日本に興味を持ち、日本に出入国するのは不自然ではない。そこに冀朝鼎らコミンテルン、中国共産党が目を付けて「日本専門家」の肩書をもつ「スパイ・工作員」に仕立てあげ、外務省に就職させたのだろう。

  ノーマン理論による「ジャパン・ディスカウント」運動が世界で展開される現在、最初にノーマンを操ったのが冀朝鼎だった事実は、中国が仕掛ける「歴史戦」の奥深さを浮き彫りにして、背筋が凍る気がする。
     
   (長くなるので、以下は省略します。全文はhttps://ironna.jp/article/1634でお読みください。)

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