自由化後のブルガリア(10)

  今回は、コストフ政権が、ブルのEU加盟の条件などに関して欧州側と交渉する際の、厳しい条件(原発削減、司法改革、汚職退治とか)、或いは、マケドニア、ルーマニアなどの隣国との関係改善・交渉に関する「歴史的な争点」を乗り越えていく努力などを扱います。
  ソ連圏の時代には、ソ連の共産党幹部たちにゴマをすり、賄賂を手渡す・・・・ある意味やり方は明解でした。しかし、EUの場合は、欧州委員会以外にも、うるさ型の隣国の加盟国(加盟年次が古く先輩筋で、彼らが同意しないと加盟を妨害される)などとの関係の調整・改善が欠かせません。その上、EU加盟国でない隣国との間にも、「紛争」を抱えていると、加盟が難しくなります。外交、交渉はより繊細な対応が必要なのです。

(8)ブルが履行に苦しんだ、ブラッセルからの嫌らしい要求事項 
  経済改革、教育改革(少数民族言語での教育機会の増大)、透明性の拡大、などが、ブルのEU加盟へのチャンス増大に資するとして、自主的に採られた措置とすれば、ブラッセルから直接要求された措置で、これを受け容れ、履行するのが難しかった事例もある。
  Kostov政権、及びこれに続く政権を苦しめた事例は3つ:①コズロドゥイ原発の一部を閉鎖せよとの命令、②司法改革、③汚職の排除。

(ア)原発閉鎖要求 
  コズロドゥイ原発には1--6号機まで6つの反応炉があったが、EUとしてはこのうち4機が危険と感じ、閉鎖を要求した。
  しかし、ブルにとってこれら原発は、電力生産の少なくとも1/3を賄う(年間を通じてほぼフル稼働されていた。また、他のバルカン半島隣国への電力輸出で外貨を稼ぐ)ドル箱で、他には固有の資源で電力需要を十分に代替する方法が無く、これは極めて困難な要求だった。

  99年3月、この要求が突きつけられると、Kostov首相は激怒した。Kostovの言い分では、これを飲めば、ブル経済で競争力を有する非常に僅かな部門の一つが失われるのだ。
  しかし、やがてKostov政権は、ブラッセルからのこの要求に屈した。そして、99年11月に、一番旧式の1--2号機を02年までに、更に3--4号機を06年までに、それぞれ閉鎖すると約束した。代償として、EUからは、閉鎖から来る悪影響を相殺するために2億ドルの支援金を供与することとなった。

   【注:(1)改修済みで、技術的には安全
  ブルの原発は6機とも、ソ連製の軽水炉型原子炉であるが、1--4号機までは、皆44万kwの出力を持つのに対して、一番新型の5--6号機は、それぞれが100万kwという大型の原子炉であるので、Kostov政権が少なくとも新型の2機を守ろうとしたことは理解できる。
  その上、実際には、自由化後に、EUからの資金協力も得つつ、仏の技術協力を得て、安全化対策措置、改修工事などを急いだので(日本も安全対策に関し、色々技術的な助言をしたほか、技術者を日本に招待して研修などの支援をした)、このEUからの閉鎖要求は、仏人原子力技師らも、「遵守する必要性など全くない、技術的には安全だ」と主張したほど。

(2)実はギリシャの隣国虐め
  実際には、実は原発閉鎖要求は、隣国ギリシャが、ブル加盟賛成の条件として、政治的にブラッセルに突きつけた「隣国虐めの裏工作」に過ぎず、このことはほとんど既知・周知の事実だったから、ブル世論も閉鎖要求に納得しなかった。

  またもや、ギリシャ人の嫌らしい「隣国虐め体質(EU加盟の先輩国として、新規加盟申請国に色々難癖を付けるのが、ギリシャ外交の通例」というべきで(他の例としては、①マケドニアに対し、国名を変更しなければ国際社会に受け容れないと、無理難題を突きつけ、国連でもEUでも国名を「Former Yugoslav Republic ot Macedonia=FYROM」という、奇妙な名称しか許容していないことが挙げうるし、②トルコのEU加盟を断固ブロックしていることも周知のこと)、結局ブル政府はこの閉鎖要求を飲んだ。1--4号機の閉鎖措置を決断できたわけには、下記(3)の理由(国内需要減退+トルコの輸入需要縮小)もある。

(3)国内企業倒産で需要も減退
  全ての原子炉を普段使用する必要性もないほど、ブルの電力需要もしぼんだ(社会主義時代のエネルギー多消費型工場の多くが倒産、閉鎖されたから)。なお、電力輸出の買い手としては、一時はトルコが盛んに購入したのだが、トルコでは日本企業による「火力発電所建設→稼働後10年ほどの住民からの電力代徴収による建設費回収→最終的にはトルコ側に施設引き渡し」という一括請負方式(BOT<Build→ Operate →Transfer>方式と呼ばれる)契約で電力供給基盤が改善され、輸入依存の必要性が低まった。
  ちなみに、コ原発のHPを参照(2011年時点)すると、「1--6号機まで6つの原子炉があり、合計出力は3760MW(376万kw)」となっていた。しかし、その後1--4号機は徐々に閉鎖されていって、今では5、6の2機(出力は合計200万kw)しか運転されていない。



(イ)司法改革 
  この問題は、結局Kostovが首相職を去るまでの期間、まじめに対応されることはなかった。

   【小生コメント:(1)改革困難の理由その1:SDS政権に熱意無し
  司法界の要人達は、SDS党員が多く、Kostov政権に色々協力的だったし、Kostov自身が、その独裁的手法を裏付けるために、党資金の取得、政治資金確保のために、マフィア企業との関係もあったことなど、後ろめたい部分を抱えていたから、司法界の改革というのは、SDS政権としては、特に難しい問題だった。

 (2)その2:予審機構およびブル法曹人達は、予審組織廃止に抵抗
  なお、ブルの司法組織では、ロシア、ソ連、昔のオーストリアなどの制度に倣って、日本、西欧などが検察という一つの組織で済ませている部分、すなわち、被疑者の身柄拘束後の証拠固め、捜査のやり直し、などの部分を担当する「予審」という組織が余分に設けられている。
  EU側はこの予審組織は検察だけで十分であり、不要であるとして、廃止を要求したが、ブルの場合、この予審判事職は、検察官と対立して、長らく存在してきた一大組織でもあり、右の廃止は、長年の司法手続き上の習慣、伝統、法学部卒業生の就職先確保という意味からも、廃止には強い抵抗がある。
  ちなみに、ブルの場合、大学法学部卒業証書イコール法曹職就職資格であり、卒業後は、裁判官、検察官、予審判事、弁護士の4つの法曹職に就職できる。日本のように、司法試験に合格するという、もう一つの高いハードルはない。

(3)その3:司法手続きの段階が多いほど、マフィアには工作のチャンスが増える
  なにしろ、自由化後、ブルのマフィア達は、まず警察内部の証拠固めの際に手心を加えて貰うよう警察幹部らに工作したし、更には、予審判事らにも賄賂を贈って、更なる証拠固め、捜査のやり直し、などの段階で手心を加えて貰った(予審判事は、証拠不十分として、立件停止、無罪放免措置を執ることも可能)。
  最後には検察官にも贈賄して、起訴要件不十分、証拠不十分などとして、再度検察命令での捜査やり直しで、時間稼ぎも出来るのだ。もちろん、裁判官達にすら、自由化後には賄賂で手加減をして貰う道があるのだ。

  何れにせよ、マフィアが雇う弁護士らは、法学部時代の人脈なども頼って、予審判事、検察官、裁判官らに賄賂報酬額を約束して、工作するのが常態であるし、警察幹部とマフィアの幹部らは、お互いに、柔道、空手、テコンドーなどの「道場仲間、友人」という、「筋肉系のコネ、友情」で結ばれている。
  
   (注:なぜ警察幹部とマフィア幹部が、「道場仲間、筋肉仲間」かというと、実は社会主義時代末期に、「道場」で修業できたのは、共産党若手官僚、警察官、内務官僚(DSメンバー、内務特殊部隊隊員など)、国軍特殊部隊隊員らであり、社会主義時代末期に警察・内務省が「公認した闇商売組織」の幹部ら(自由化後のマフィア幹部)も、実は共産党・警察・内務官僚、特殊部隊隊員たちの内輪の友人、或いは警察・内務・国軍からの除隊者たち(馘首された場合も含む)であったのだ。
   つまり、社会主義時代末期に、政権側「実力組織」に所属して一般民衆を支配していた、いわば下っ端将校、下士官階級(及び彼らの子分であった闇商人たち)こそが、自由化後のマフィア組織幹部として、経済を牛耳り、暴力・犯罪を駆使して、社会主義体制崩壊後にも権力を握った人々なのだった。ロシアのプーチン、ベラルーシのルカシェンコなどという、ソ連崩壊後の独裁者たちも、同じく社会主義末期の若手将校、若手共産党幹部たちであった「階層」だ。


  そもそも、共産主義時代において、司法の独立、などという制度はなかった(共産党の指令には、絶対服従だった)から、警察官も、法曹人らも、法の下の平等とか、人権、などという意識が薄く、マフィア企業からの賄賂を受け取ることに対しても、罪悪感が低いのだ。



(ウ)汚職問題 
  実は、司法界も上記の通り、深くマフィア企業と提携していたから、この汚職問題も、上記(イ)とも深く関わっていた。そして、政治家らが、自らマフィア企業と提携して裏金を受け取っていたから、汚職追放などは、Kostov政権にとっては(また、その後のブルガリアの諸政権にとっても)、とても履行できるはずもない措置だった。
  政治家も、官僚も、法曹人も、皆がマフィア企業からの「裏金」に依存している部分が多く、この裏資金を封じれば、政治も、経済も、労組も、何も動かなくなってしまうだけだった。

(9)外交面での調整
  なおKostov政権は、外交政策に関しては、これらを「欧州・大西洋共同体」側から承認される方向へと調整することに、ほぼ何らの困難も感じなかった。もちろん、国内各層からの了解という点では、若干問題もあったが、これらは無視できた。
  (注:上記の3つの問題が難しいのは、結局、多くの人々が稼いでいる「裏金」を含めた、金の問題に関わるから難しいのだ。政治的、外交的な、単なるお題目に関してなら、もはや国民も、ほぼどうでも良いことなのだ。

  Kostov政権は就任早々の演説で、NATO加盟を目標として掲げたし、これは国会からも承認を受けたのだ。元来NATOに敵対的だったBSP(元共産党)すらが、今ではこれ以外の安全保障上の選択肢はあり得ない、と確認したほどだ。
  この故に、ブル政府が、NATOのコソヴォ問題に関わる行動を外交的に完全支持し、NATO航空機がブルの領空を通過することを許可したことは、全く驚くに当たらない。ちなみに、ロシアがボスニアからティラナ(アルバニアの首都)に急派した自国軍(国連軍として)への供給のため、99年6月にブル領空通過を要請したのに対しては、ブル政府は「このような特権」を拒否した。

  もちろん、国内世論は、Kosovo問題に関する「アルバニア人支持」というNATO政策にブル政府が荷担することについては、極めて反感が強かった(注:同じオーソドックス教徒として、ムスリムのアルバニア人に対してよりは、セルビア人への共感の方が勝るらしい)が、このようなブル政府のNATO支持という立場は、99年11月にクリントン大統領がソフィアに来訪する、という形で、報奨を与えられた。クリントン大統領の来訪は、現職の米国家元首が、ブル国土に来訪した最初の事例となった。

(10)国軍改革
  外交政策の調整以外にも、NATO加盟の方向で努力すべきだったのは、未だにワルシャワ条約機構時代の遺風を残したままの国軍を改革せねばならないということ。
  ブル政府は、99年9月に、国軍規模を縮減し、機構もスマート体系にリストラすべく、「計画2004年」という改革案を採択した。

(11)ブル政府の得点稼ぎ 
  01年初頭、隣国マケドニアで、アルバニア系住民の蜂起が相次ぎ、同国の情勢が緊迫したとき、Kostov政権は直ちに、NATO側と協定を締結し、NATO側がブル領土を通過して、マケ領内に部隊を展開することを許可した。この協定署名は、国会の承認を得ずに、迅速に行われ、周辺国の中でも、もっとも迅速な対応であった。このように、Kostov政権が、バルカン半島の安定化への貢献に熱心だったのは、実は、NATO加盟を欲するという意図との関わりが強いからだ。加盟承認確保を急ぐには、功績を積むしかない。

  (注:マケドニアにおける、マケ系とアルバニア系との間の厳しい民族対立感情に関しては、08年1月の小生記事:http://79909040.at.webry.info/200801/article_6.htmlを参照願いたい。なお、コソヴォにおけるセルビア系とアルバニア系の対立感情も、同様に激しいものがある。

  NATO側から温かく歓迎されたもう一つの事例は、「バルカン地域平和維持軍」の創設だ。98年9月にスコピエ(Skopje)で開催された伊、アルバニア、ブルガリア、ギリシャ、マケドニア、ルーマニア、トルコ7カ国国防相会議は、3千名規模の合同軍を設立することに合意した。その司令部は、最初ブルのPlovdiv市に置かれ、4年が経過すれば、これら諸国の都市の間で回り持ちされることとなった。99年9月、このプ市司令部は実際に開設された。(注:その後、この「バルカン平和維持軍」関連の報道を聞かない。恐らく米国が、ボスニア、コソボの紛争に鑑みて、このような組織を必要と考えたものの、その後バルカン地域においては、武力紛争が消滅したので、結局この組織の必要性が消えて、組織も消滅したのであろう。

(12)対マケドニア関係の改善:使用言語問題 
  99年2月に、ブルとマケドニア両国が協定締結に成功した裏には、NATO側が、いかなる隣国との間であれ、国境論争を抱える国家については、その加盟を認めない、という原則があった。
  両国とも、相手国領土に対して、いかなる要求もないことを確認したほか、協定文書に使用される言語問題に関しても、遂に解決が見られた:「協定文書は、両国の、公式言語によって書かれる」と規定された。実際上、ブル側は、はっきりとはそれを言わないものの、マケドニア語の存在を承認(容認)したことになる。 
  この合意により、実は既に内容的には合意に達していながら、何年にも渡り発効できなかった約20もの協定が、発効できることとなった。この後、ブル--マケ関係は、総合的には友好的なものとなった。(注:なお、下記の注に追記したように、マケドニアは、「北マケドニア」という新国名に国名変更を受け入れるという妥協をギリシャに対し行い、今後の国際社会参加への障害を取り除いた。

     【注:★北マケドニア:新国名の採択について
(1)ザーエフ政権が、「北マケドニア」という国名への変更を決意

  マケドニアに2017年発足したザーエフ政権は、対ギリシャ融和路線に転換し、国内の反対を抑えつつ、2018年6月に国名を「北マケドニア(Republic of North Macedonia)」に変更することでギリシャと合意した。
  その後マケ、ギ両国の国会では、この国名変更への承認問題が難航したものの、2019年1月に、マケ(1月11日)、ギ(1月25日)の順でそれぞれ国名変更を承認した。これで遂に、マケ側にとっては越えがたい難問であった、国際舞台におけるギリシャによる「妨害」と言う障壁が解除された。
  更には、NATO加盟29カ国(注:2017年加盟のモンテネグロを含む)は2019年2月6日、北マケドニアのNATO加盟を承認する議定書に署名した。すなわち、1991年の独立以来、国際社会では国名が確定していなかった上、FYROMなどという屈辱的な名称に留まっていたマケは、遂に「北マケドニア」と言う国名で、正式にギリシャからの承認も得たので、今後は、EU加盟交渉にも弾みが付くと考えられる。

(2)2019年2月18日小生追記:結局「北マケドニア」との国名でギリシャと妥協した
  産経紙2019年2月14日(ウイーン、共同)記事:マケドニア政府は12日、歴史的正当性を巡る国名論争を抱えていた隣国ギリシャとの合意や憲法改正に基づく「北マケドニア共和国」への国名変更が、12日付で正式に発効したと、「北マケドニア政府」名で発表した。
  国連や加盟国、国際機関などへの通知を進める方針。



(13)対ルーマニア関係の改善:第2架橋協定 
  Kostov政権時に前進を見たもう一つの二国間案件が、ドナウ川に第2の橋を架ける協定を、とうとうブル--ル両国が締結したこと。
  この問題は、実は20年以上も前から、共産主義時代のチャウスシェスク--ジフコフ両首脳間で、しょっちゅう議題となりながら、進展が何もなかった案件。この第2架橋は、本当に必要な工事だった。既存のRuse市とドナウ対岸のGiurgevo市を結ぶ鉄橋(ドナウ第1架橋)は、全く効率の悪い橋であり、橋を通過しようとして、トラックが、10日も待たされることは、決して珍しいことでなかったほどだ。

(ア)西端部架橋に合意 
  第2架橋に関して、ブル側は、両国国境の最西端を希望した。これはハンガリー→西欧への早道だから。他方ルーマニア側は、この案に過去長らく反対してきた。ル側としては、もっと東側で、首都ブカレストを通過するルートを希望した。これにより、ルーマニア国内を通過する距離が増えて、ルの収入が増えるだろうから。

(イ)コソヴォ危機で、セルビア迂回路の必要性を認識 
  ル側が態度を変更したのには、二つの理由がある:
 ①EUからの圧力。EUは、この橋を「汎欧州輸送回廊第4号」として建設したかったのだ。つまり、ギリシャと西欧をブル、ルーマニア、ハンガリー経由で結ぶというプロジェクト
 ②99年のコソヴォ危機で、ユーゴ経由のルートしか西欧とバルカン諸国を結ぶまともな回廊がないということが、いかに不適切なことかが、このユーゴ経由回廊が封鎖されたことで、誰の目にもはっきりと認識されたこと。EU側は、この第2架橋工事につき一定の資金支援することに合意した。

(ウ)EU側は、ルを奮起させるため、まずブルを優遇し競争心を煽った 
  EU加盟交渉の過程で、ブラッセル側はほぼ常にブルとルーマニアを一つのカップルとして扱った。ブル人達は、この事実によく憤慨していた。何故なら彼らは、自国の改革がルより、より進展しているし、より効果的だと信じていて、このように一括処理されることは自分たちの利益に反すると思っていたからだ。

  この故に、00年末に、EU側が、ルーマニア市民はまだだが、ブル市民の場合Schengen area(シェンゲン条約諸国地域)に査証無しで入域することが許可される、と発表したとき、ブル人達は大いに勇気づけられた。01年4月にこの協定は発効し、EU諸国の大部分に旅行したいブル人らは、査証獲得のための、屈辱的で、時間を浪費し、しかも金がかかる作業から解放された。

(14)国内情勢の悪化 
  00年末には、Kostov政権は、上記のような(シェンゲン条約諸国地域への無査証入域許可)明るいニュースを必要としていた。政権の人気は下降していた。01年2月(総選挙実施年の年初)の世論調査では、97年総選挙時に比べ、SDSの支持率は30%ほども下落していたのだ。不人気の理由は幾つもあった。

(ア)経済回復のペース・ダウン、同時に、改革の痛みが痛感されるようになった 
  成長率は、98年第1四半期には、18.9%と絶好調を記録したのだが、実はこれは97年のどん底期との対比での好調さだった。98年通年では、GDP成長率は3.5%と冴えなかった。99年第1四半期ともなると、0.7%にまで落ちた。そしてこの水準からの上げ潮はなかった。
  輸出の不振から、貿易赤字が拡大した。もちろん、これには98年のロシア経済危機の影響という側面もあったが、一番悪影響をもたらしたのは、対ユーゴ制裁措置によるブル輸出の途絶。そして、この制裁に伴う損失が、大衆の間に「政府の対NATO支持政策」に対する反感、激怒を招いた。

  いずれにせよ、成長率の低迷は、外資のブルへの投資意欲を殺いだ。インフレ率も再度悪くなってきた:99年には6%、そして00年には7%強。賃金水準もむしろ低下して、00年11月には、平均月額が110ドルに下がった。01年年初、政府が更に当惑する事例が起きた:民営化したBalkan airlines社が、倒産したのだ。

(イ)経済改革の痛手を一番痛感したのが、固定収入層(年金生活者、シングル・ペアレンツ)と失業者達 
  00年2月頃には、失業率は18.4%に達していた。ジプシー居住地区などでは80%にも達するほど。
  失業の痛みで、問題なのは、特に青年層、しかも高学歴者の間でも失業者が多かったこと。ある青年失業者は、大統領府HPにハッカーとして侵入した。何も悪さはしなかったものの、職を見付けることが困難だと苦情を書き残した。Stoyanov大統領は、この青年を招き、すぐに職を斡旋したが、大部分の有能な青年達には、このようなチャンスが巡ってこなかった。そして、このような有能な失業青年達は、海外移民するしかなかった。

(ウ)成り上がり者達への疑惑 
  社会的に一番困惑すべき現象は、一番経済的困窮に陥った人々が、少数ではあるが急激に金持ちとなった人々は、この金を非合法に取得したらしいと思ったこと。

  犯罪が蔓延していたし、これを抑制することが難しかった。01年年初ソフィア市では10日間の間に6件の殺人事件があった。そして内相は犯罪の津波などはないと否定したが、同時に、一日当たりの犯罪件数が380件と増えていることは認めた。
  シメオン元国王すらが犠牲者となった:99年同人がソフィアに来訪したとき、盗人らがシメオンの携帯電話を盗んだし、娘の宝石も盗まれた。
  犯罪率の上昇と、火器非合法所持の蔓延は、大衆の間に不満を募らせた。

(エ)汚職 
  高官達の汚職も、大衆の激怒したところ。そしてこの恨みこそは、Kostov政権の崩壊を導いた最大の要素。
  汚職と経済犯罪は、実は複雑に絡み合っていた。00年5月に、「黒色経済(black economy)」部分がGDPの1/3強に相当すると推計された。98年には、国境を越える非合法貿易が、8.5億ドル規模だと推測された。この金額は、国防予算総額と同等だった。

  推測では、密輸業者達は、共産主義時代に、秘密警察(DS)が運営していた「経路」を使用していた。その上、これら密輸業者そのものの多くが、実は自由化後に「ビジネスマン」に変身した元秘密警察(DS)士官達であった。彼らは元秘密警察のネットワークを民営化したのだ。

   Kostov政権誕生初期、コ首相は、大臣達に、自らの職場を汚職で汚す者は何ら容赦しないと明言した。倫理的に受容できないし、社会的に破壊的だし、しかもEU、他の国際機関も、汚職の全廃を主張していた。
  しかるに、この汚職という悪は、簡単には除去できなかったし、新しい21世紀になっても、ブルガリア政治の特徴の一つですらある。

   (小生所感:自由化後の新社会で社会の主導権を取ったのは、実は社会主義時代末期に、古参共産党幹部たちの我儘に隷従し、奉仕させられていた、下級将校・士官階層の人々(若者たち)だった。彼らは、自分たちのご主人様たちの権威を背景に、社会主義時代にも特権を振り回していたし、社会主義が崩壊した後も、今度は若手将校間の、従来の「人的コネクション」を利用して、暴力団、警備会社、保険会社、商業・貿易企業、銀行、などを経営し、新たな経済権益を構築して、「新興起業家」として、繁栄を謳歌するようになったのだ。
   つまり一般庶民の目からすれば、共産党時代も、自由化後も、自分たちの前で威張っている「筋肉系マッチョ」達は、同類だし、しばしば同じ人物なのだ!
   だから、自由化後の新政権となっても、彼ら政権幹部たちが、元の仲間たちで、今でも友人として賄賂をくれる仲間たちの「汚職の排除」とか、「取り締まり」などに真剣に取り組めるはずがないのだ。



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