米国で活躍したブルガリア移民者達

   昨日は、ブルガリア、その他の旧共産圏諸国において、体制変換に伴う経済混乱期に、生存本能を刺激されて、多くの有能な人材が、マフィア(その一部が、筋肉系暴力団)となって、未だに「犯罪産業」を、或いは正業と兼業する「灰色産業」を経営している旨ご紹介した。特に、移民者達が西欧にて「犯罪産業にて荒稼ぎして、国内に送金し、自国経済を部分的には支えている」とも指摘した。

  上記のような記述ぶりだと、ブル人移民達が、皆ATMカード詐欺などを繰り返す厄介者と思われる可能性があるところ、他方で、昔から、ブルからの移民者(或いはその2世達)は、そのたぐいまれな才能を開花させて、例えば米国などで、大活躍している、という、別の側面を見逃してしまうこととなる。
  ブル人移民者の活躍に関しては、既にシルヴィー・ヴァルタン(アルメニア系、仏ロック歌手)、ディルマ・ルーセフ(現ブラジル大統領)という二人の女性に関してこのブログで紹介済みだが、今日はブル人、またはブル系男性移民者の活躍に焦点を当てたい。

  ちなみに、小生の目を最近引いたのが、米国における最初の経口避妊薬ピルを開発した化学者に関する記事(下記1.)である。

1.Carl Djerassihttp://www.novinite.com/view_news.php?id=138135):経口避妊薬の父
(1)ブルには良い記憶、墺には悪い記憶  
  このNovinite.com紙記事によると、カール・ジェラシという避妊薬の父は、ウィーン生まれのユダヤ系ブル系アメリカ人だが、墺に関しては、ナチスによる墺併合後国外追放された(1938年)という悪い記憶しかない由。
  他方で、父親が元来ブル人だったことから、ユダヤ系であるにもかかわらず、暖かく歓迎してくれたブルガリアでは、平穏に暮らし、しかも、ソフィア市に所在したAmerican College(米語高校、1年以上在学)における教育のおかげで、英語の習得にも成功し、同人は母親と共に米国移民(1939年)後は、2学年をスキップして、すぐに大学に入学を許された由。すなわち、ブルに関しては、良い記憶しかない、という。
  なお、父親は1948年になって、ブルから米国に移民して家族再会を果たした。

(2)Wikiの記述http://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Djerassi
カールは、1923年10月29日ウィーンにて生まれた。母親はAlice Friedmannという元来はGalicia*にルーツを持つアシュケナージ系ウィーン在住のユダヤ人(歯科医)で、父親はDr. Samuel Djerassiというセファラディ系ユダヤ人(ブルガリア国籍)である。父親は、性病特に梅毒治療を得意とする内科医であった。ソフィア市で父親は、数名の富裕なブル人患者にのみ限定して治療し、稼いでいた由(既存のヒ素系薬剤を使用して、数年をかけて治療するやり方)。
     (*注:ガリツィアは、現在のポーランドとウクライナにまたがる地域で、墺領だった。中心地は、現在ウクライナのリボフ市であり、アシュケナージ系ユダヤ人が多かった地域。)

   父母の離婚に伴い、母親とカールは、ソフィア市を離れ、ウィーンに移住し、有名なフロイドもかつて学んだギムナージアムで14歳まで修学した。1938年の墺併合(Anschluss)後、ユダヤ人弾圧が強まったので、父親は母親と短期間「偽装」再婚し、家族をブルに連れ帰ることに成功した。

カールは、1951年、メキシコ人のLuis E. Miramontes とハンガリー人の George Rosenkranzと共に新薬開発に従事し、progesterone(黄体ホルモン)関連のnorethingrone(経口避妊薬として用いられる一種の黄体ホルモン)を発見した。このホルモンは、後に他の研究者らによって動物実験、人体実験を経て、経口避妊薬として有効性が証明された。もっとも、このホルモン剤開発に従事したカールらの意図は、元来避妊薬としてではなかった:「全く想像すらしなかったことなのだ」という。とはいえ、最近のインタビューでは、カールは、避妊薬が無くとも、現代社会の少子化傾向は止められない社会現象だっただろう、と述べている。
   なお、カールは、幾つかのSF小説の作家でもある。

2.Botyo Tachkov
  この人物に関しては、4月8日付のNovinite.com紙記事(http://www.novinite.com/view_news.php?id=138319)で、ソフィア市に溢れる野犬集団(総計では、恐らく1万匹もの野犬がソフィア市には存在しているという。ソフィア市の人口は、現在約150万人と言われる)に襲われ、結局死亡した88歳の元米国在住著名経済学者と紹介されている。上記のカールと年齢的には同じだが、この人物は、下記の記述から、社会主義時代のブルから米国に亡命したらしい。

Tは、恐らく米国で現在最も著名なブル人である。Pernik市生まれ、ソフィア大学卒の経済学者で、米国に1962年に移民し、1968年からは米国証券業の聖地Wall Streetで活躍し、米国投資銀行の会長にまで出世したことがあるという。
  その後は、米国務省、国連、或いはインドネシア政府経済顧問として勤務した他、米、独の諸大学で講義してきたという。同人は、最近、平穏な隠退生活をするために、ブルに帰国した由。6カ国語に堪能という。
     (注:もっとも、この人物に関し、検索してみたが、wikiでは扱われていないので、本当はさほど有名ではないのかも知れない。
★追記:ちなみに、4月9日付Novinite.com紙記事(http://www.novinite.com/view_news.php?id=138350)によると、Tachkov教授の二人の姪が、bTV局の番組に出演し、「タ教授は、自然と動物を愛する人物で、自分が野犬にかまれて死亡したのは皮肉なことではあるが、他方で、自分の死亡事故を理由に、野犬対策として大量殺害されるような事態は、決して望まないはずだ」として、むしろ野犬たち達の生命が尊重されるよう主張している由。
   野犬対策に関しては、03年当時小生がソフィアにいた頃も、ドイツの女性大使が「動物愛護論者」で、野犬狩りを嫌い、ソフィア市長室に怒鳴り込んだりしていた。このように、欧米における「動物愛護団体」などの、影の圧力もあり、安楽死、とか、毒入り餌とかの方法が採れず、せいぜい「去勢手術」での対応となり、効果が出てこないのだ。市民の間では、徹底的な野犬狩り、安楽死を支持する声も大きいはずだが、市当局もお手上げ状態が続いている
。)

3.その他の著名ブル人
(1)John Vincent Atanasoff
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Vincent_Atanasoff
  ブル系アメリカ人、コンピュータの父、1930年代、40年代にIowa State Collegeにて世界初の電子式コンピュータAtanasoff–Berry Computer(ABC)を開発した。
  父親Ivan Atanasoffは1876年、Yambol県Tundzha郡Boyadzhik村生まれ。
本人は1903年10月4日NY州Hamilton生まれ。1995年6月15日(91歳で)Maryland州Frederickにて死亡。

(2)Assen Jordanoffhttp://en.wikipedia.org/wiki/Assen_Jordanoff
  1896年9月2日ソフィア市生まれ (正式名はAsen Hristov Yordanov)、1967年10月19日NY州White Planeにて死亡。
  ブルガリアの航空機デザイナー。米国移民(1921年)後は、テストパイロット、デザイナーとして、数多くの新型機開発に関係し、操縦マニュアルなども作った。
  特に、B-29爆撃機、DC-3旅客機の開発にも参加した事で知られる。

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