テーマ:偉人

偉人百選:時系列での順位一覧

  今年7月以来、ブルの偉人『百選』の記事を、翻訳し、更に小生なりにいっぱい注を付けて解説し、自分の評価も下しつつ、書いてきました。半分ほど進んだ頃から、やはりこの著者たちの順位づけは、ブル人の考える各偉人に対する格付けとしては、正しいのであろうけど、時系列で読んだ方が歴史書としては分りやすいだろうと、そこの欠点が気になり始めました。 …
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ブルガリア史の偉人100選:ボリス3世王

  23番目の偉人は、第1次大戦後に即位し、第二次大戦中に、ヒトラーとの会談後の心労を元に死亡したと言われるボリス3世王です。1918年に即位したが、第1次大戦で経済的に疲弊し、領土的な夢も壊滅したブル国内では、農民党的共和主義、ファシスト系右翼による共和主義などの王権軽視、極端な政治思潮がはびこり、ボリスが親政を実現できたのは、ようや…
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ブルガリア史の偉人100選:クルム・ハーン

  22番目の偉人は、まだブル国の王たちが遊牧民風のハーンという呼び名で呼ばれていた、ブルガール族君主の統治時代に、ブル第1次王国の中央集権体制、行政機構、法律などを整備し(もちろん、未だに初歩的段階で、例えば、対ビザンツ戦でクルムが率いた軍隊にはスラヴ諸族首領が率いる部隊、アヴァール族部隊などもあった。軍隊レベルでは未だに部族連合的要…
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ブルガリア史の偉人100選:エフティミー総主教

  今回21番目の登場は、エフティミー総主教という、ブル第2次王国期にブル国が保有していた総主教座の最後の長となった人物です。生年月日、死亡年月日、ともに確かなところは不明ですが、恐らく下記のような生年、没年と想定すると、75歳という、中世期としては大変な長生きの人物であったようです。   同人は、元来は瞑想と生きたまま神と同一化する…
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ブルガリア史の偉人100選:ザハリー・ストヤーノフ

  偉人百選の20番目は、Karavelovの新聞記事に感動し、民族解放闘争にStambolov配下として参加し、解放後もStambolov政策を支持する新聞論調で、裏から支えたほか、ブル公国と東ルーメリアの2つのブル国を合併する際には、東ルーメリアにいて蜂起を準備した、ザハリー・ストヤーノフです。   ザは、生涯を通じLyuben …
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ブルガリア史の偉人100選:ステファン・スタンボローフ

  偉人百選の19番目は、小生自身が昔から尊敬してきた近代ブル国家をほぼ一人で基礎固めをしてしまった天才政治家のステファン・スタンボローフです。バルカン半島に多く輩出する、独裁ワンマンタイプの政治家でもあるのですが、とはいえ、後世の歴史家らもこぞって称賛し、後に続く、同種の大政治家が輩出しておれば、その後のブルの悲劇的な歴史は、回避され…
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ブルガリア史の偉人100選:イヴァン・アレクサンダル王

  偉人百選の18番目は、Ivan Aleksandqr王です。   第2次ブル王国末期のブル王で、当初は、ビザンツ皇帝軍を壊滅させるなど、軍事的才能も発揮するし、伸び盛りの西の王国セルビアのStefan Dushanには、妹のElenaを嫁がせて、友好関係を確立するという外交手腕も発揮し、それなりに有能な国王だったとも言える。  …
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ブルガリア史の偉人100選:ボゴミール神父

  偉人百選の17番目は、キリスト教ドグマが一番盛んなはずの中世期に、突如ブル国内から出現した異端派信仰を創設したとされるボゴミール神父です。   ブルではキリスト教受容が864年で、10世紀の当時は、国家によるキリスト教受容決定後まだ半世紀で、まだ国民の多くも、たいして正当なキリスト教の教義自体についても、十分深くなじんでいなかった…
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ブルガリア史の偉人100選:カロヤン王

  偉人百選の15番目です。   カロヤンという名称は、あまり日本人には馴染みがない(養毛剤はあるが)けど、ブル出身の琴欧洲関の本名と言うことでは知られています。また、ブル第1次王朝の始祖だったPetqrとAsenの兄弟の3番目の弟で、しかも、バルカン半島に侵攻してきた西欧からの侵略者たち=十字軍騎士軍を打ち破った英雄でもあります。 …
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ブルガリア史の偉人100選:聖イヴァン・リールスキ

  ブル史の偉人百選で、13番目に位置付けられているのが、多分に伝説的な僧侶であるIvan Rilskiです。   ブル正教副本山格のRila修道院を開設したことでも、その聖遺品が、数々の奇跡を起こしたらしい伝説からも注目されますが、もっと注目すべきは、この聖人こそが、ブル人の庇護聖人として尊敬されている、ということです。今も、ブル観…
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ブルガリア史の偉人100選:Asen家の兄弟王

  さて、12番目の登場は、アッセン王家の2名の兄弟王、Ivan Asen IとPetqr IIの両名の話です。   Petqrが兄で、Ivanが弟ですが、どうしても人気、評判の面では弟が先のようです。もっとも、両名は、どちらかが形式的に「国王」となっていても、実質的には常に「共同統治者」であったし、弟のIvanにこそ、軍事的才能があ…
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ブルガリア史の偉人100選:クリメント・オフリツキー

  さて、ようやくこの百選の中の10番目の人物です。クリメントこそは、キリル兄弟の弟子ながら、実際にブル第1次王国の中に、古ブル語の聖典類を普及させ、ブル人僧侶を多数育成して、独立のブル正教教会の創立に対し、一番大きな貢献をした人物です。古ブル語文語に基づく聖典類を、多く書写して、後のルーマニア、ロシア方面へと普及させたのも、クリメント…
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ブルガリア史の偉人100選:アレコ・コンスタンティーノフ

  前回のイヴァン・ヴァーゾフに引き続き、新生ブルガリアで作家として有名となったアレコ・コンスタンティーノフが、第8番目の偉人です。ブル人は、外国人相手にブルの素晴らしさを威張り散らす表の顔と、自虐ネタで自国人を笑い飛ばす裏の顔の二つを持っています。この2番目の顔のヒーローを創作したのが、アレコとその周囲にいた当時のブル・インテリたちな…
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ブルガリア史の偉人100選:イヴァン・ヴァーゾフ

  ブル史の偉人百選の7番目は、イヴァン・ヴァーゾフです。   小生自身は、ブル作家の著作をほとんど読まなかったので、作品内容に関してはコメント不可能ですが、オスマン帝国からの解放前夜と、解放後の双方の時期にわたって、ブル人の心を同時代的に反映し、写し取った、まるで心霊写真家のような能力があったらしい(この本の著者は、地震計と評価して…
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ブルガリア史の偉人100選:シメオン大王

  ブル史の偉人百選の6番目です。   普通は、シメオンは、第1次ブル王国時に、ブルガリアとしての最大版図(黒海--アドリア海--エーゲ海へと3つの海に到達する大領土)を実現した「大王」として有名ですが、何度も言うように、EU加盟交渉中の03年に書かれた本書では、このような領土面での成果はあまり強調されず、「文化」(キリスト教文化…
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ブルガリア史の偉人100選:パイシー・ヒレンダールスキ

  さて、ブル史の偉人の第5番目を下記にご紹介する。   パイシーという下級の修道僧だが、この人物は、アトス聖山内の、セルビア系の修道院で修業しているとき、同僚のセルビア人僧侶たちから「ブル人」ということで差別を受け、秘かに激怒、発奮して、中世のブルガリアの栄光の歴史を掘り出し、歴史書を書くことで、ブル・ナショナリズムの火付け役、先覚…
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ブルガリア史の偉人100選:キリルとメトディウス

   今回も、偉人百選の続きです。聖書をギリシャ語から古ブル語に翻訳し、スラヴ人世界へのキリスト教布教の先駆けとなり、かつ、後世のスラヴ文化、ロシア文学の基礎をも築いた兄弟です。    この兄弟については、この本の作者たちは、少なくとも母系ではスラヴ人で、ある意味ギリシャ系とスラヴ系(当時のブルガリア系)のハーフという解釈です。 …
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